弁護士職務基本規程をめぐる思惑と懸念
かつて存在した「弁護士倫理」が、2004年に「弁護士職務基本規程」にとって代わり、そして現在に至るまで、これらに関する弁護士会内の問題意識には、大きく分けて、常に二つのものが存在してきたといえます。一つは、この存在について、あくまで弁護士(会)の社会的責任を重く見て、より弁護士を具体的に律し、拘束する方向を中心にとらえるべきとするもの。そして、もう一つは、こうした規範を弁護士会自らが設定した場合、権力に対抗している弁護士側が、それを権力側に不当に利用されたり、また民亊においても相手側からの懲戒請求の濫用につながったりする方を懸念し、慎重にとらえるべきとするもの、です。
そもそも「職務基本規程」は、厳密には「倫理」ではありません。会規として制定された同規程には、強制力があり、違反すれば懲戒対象になる。2004年の制定に至る議論でも、この点に後者の立場からの強い懸念が示されました。まさに倫理としての、外面的強制を伴わない内面的な規範であった「弁護士倫理」の同規程への衣替えは、弁護士の行動を「倫理」の社会的宣明と個々の自制だけで支えていた時代の終焉、むしろその断念を意味したようにとれました。有り体にいえば、後者の懸念を乗り越えて、自制に頼れない現実を自省的に受けとめる方向が選択されてきたことになります(「『弁護士倫理』という原点」)。
「職務基本規程」に後者の懸念が全く意識されていないかといえば、もちろんそういうわけでもありません。同規程を見ると、一般的に「こんな当たり前のことまで」と言いたくなるような内容の条文の多さとともに、その条文末尾が「ならない」だけでなく「努める」となっているものの多さにも気付かされます。行為規範を広く、細かく盛り込もうとするあまり、そのレベルは低く設定され、そして前記懸念を緩和するために努力義務化が行われたことを意味しています。
しかし、その結果として、同規程は、そもそも「倫理」にあったような「弁護士はこうした職業倫理を有しています」という社会的宣明のトーンは下がり、逆に「弁護士はこんなことまで条文化しないと守れない」といった印象の方が強く出てしまっているようにとれます。
もっとも前者の立場からすれば、それも分かった上での選択といえるかもしれません。なぜならば、この同規程の性格は、規範としての効果を期待するものであると同時に、(不祥事背対策全般にいえることではありますが)弁護士会の姿勢としての「努力」の宣明、要は「やるべきことはやっている」というアピールの面が強く存在しているからです。そこまでやらなければならないくらい、問題弁護士が存在しているという危機感があるという自覚を、形として示すということ。結局、そのためには、後者のような会員の懸念も乗り越える、という選択であるととれるのです(「『建て前』としての不祥事対策の伝わり方」)。
そして、もう一つ、押さえておくべくなのは、司法改革との関係です。日弁連が前記2004年「職務基本規程」への改定作業を進めた直接のきっかけとなったのは、2001年の司法制度改革審議会意見書での指摘とされています。同意見書は、「国民と司法の接点を担う弁護士の職務の質を確保、向上させることは、弁護士の職務の質に対する国民の信頼を強化し、ひいては司法(法曹)全体に対する国民の信頼を確固たるものにするために必要であり、これにより国民がより充実した法的サービスを享受できるようになる」とし、その見地から「弁護士倫理の徹底・向上」のための、同倫理の整備を弁護士会に求めました。
そこには、当時の弁護士会会員の認識としても、今後の急激な弁護士急増の影響への懸念がありました。増えたら増えた分だけ不祥事は増えるのではないか、という懸念。しかし、それを弁護士会として当然視するわけにはいかない。現実は懸念通りになったといえますが、現に存在する問題弁護士への目線だけでなく、増員政策を受け入れた「改革」路線の旗を振る側として、「やるべきことはやっている」をアピールすべきという動機付けが日弁連にはあったというべきです(「懲戒請求件数・処分数の隔たりと『含有率』という問題」)
しかし、この建て前論も含めた規範的性格強化の立場と、具体的弁護士業務への影響を懸念する立場の会内世論のバランスにも変化が表れているようにみえます。現在、にわかに弁護士会内で注目されいる新たな「弁護士職務基本規程」改正の動きへの反応を見ても、後者の立場では、以前のような権力介入よりも、増員弁護士時代の依頼者の現実を踏まえた(「『望ましくない顧客』を登場させたもの」)、具体的業務の支障になるクレームへの懸念の方が強く生まれています(「弁護士職務基本規程改正に関するQ&A」 「共同アピールの賛同の呼びかけについて 特設ページ」)。
例えば、特に注目されている法令違反行使避止義務(説得義務)の新設(同規程14条の2)。弁護士は、受任した事件に関して、依頼者が法令に違反する行為を行うか、行おうとしていることを知ったときは、その依頼者にその行為が法令に違反することを説明し、やめるように説得を試みなければならない、というものです。既に同条では、弁護士が不正行為を助長したり、それを利用することを禁じていますが、改正案ではさらに進めて、やめるよう説得する義務を課すというものです。
一般の人がみれば、あるいはそのどこがそんなに問題なのかという気持ちになるかもしれません。しかし、単に手間の問題だけでなく、多くの弁護士の感覚からすれば、これはまさに言いがかりのような、クレームリスクの拡大を懸念させます。債務整理の依頼者に相手への返済を説得することや、残業代請求をされ依頼会社に、従業員への支払いを説得することまでの義務を、この規程のなかで課せば、当然にここが逆の立場からは攻撃ターゲットとして利用され、言いがかりのような懲戒請求濫用につながりかねない、ということなのです。
なぜ、こうした会員がリスクを負うような、そして、それによって弁護士の活動が委縮しかねないような改正が、今、日弁連で検討されているのかにはよく分からない部分もありますが、前出Q&Aに書かれているのを見ても、前記規範的性格強化派の建て前論は基本的に変わっていない、という印象を持ちます。しかし、問題は「改革」が描いた絵も、それを支える弁護士の状況についても、完全に裏目に出た現在、その建て前がこれからも会員に通用するのかどうか。その感性が弁護士会主導層に今、問われているような気がしてなりません。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

にほんブログ村

にほんブログ村


そもそも「職務基本規程」は、厳密には「倫理」ではありません。会規として制定された同規程には、強制力があり、違反すれば懲戒対象になる。2004年の制定に至る議論でも、この点に後者の立場からの強い懸念が示されました。まさに倫理としての、外面的強制を伴わない内面的な規範であった「弁護士倫理」の同規程への衣替えは、弁護士の行動を「倫理」の社会的宣明と個々の自制だけで支えていた時代の終焉、むしろその断念を意味したようにとれました。有り体にいえば、後者の懸念を乗り越えて、自制に頼れない現実を自省的に受けとめる方向が選択されてきたことになります(「『弁護士倫理』という原点」)。
「職務基本規程」に後者の懸念が全く意識されていないかといえば、もちろんそういうわけでもありません。同規程を見ると、一般的に「こんな当たり前のことまで」と言いたくなるような内容の条文の多さとともに、その条文末尾が「ならない」だけでなく「努める」となっているものの多さにも気付かされます。行為規範を広く、細かく盛り込もうとするあまり、そのレベルは低く設定され、そして前記懸念を緩和するために努力義務化が行われたことを意味しています。
しかし、その結果として、同規程は、そもそも「倫理」にあったような「弁護士はこうした職業倫理を有しています」という社会的宣明のトーンは下がり、逆に「弁護士はこんなことまで条文化しないと守れない」といった印象の方が強く出てしまっているようにとれます。
もっとも前者の立場からすれば、それも分かった上での選択といえるかもしれません。なぜならば、この同規程の性格は、規範としての効果を期待するものであると同時に、(不祥事背対策全般にいえることではありますが)弁護士会の姿勢としての「努力」の宣明、要は「やるべきことはやっている」というアピールの面が強く存在しているからです。そこまでやらなければならないくらい、問題弁護士が存在しているという危機感があるという自覚を、形として示すということ。結局、そのためには、後者のような会員の懸念も乗り越える、という選択であるととれるのです(「『建て前』としての不祥事対策の伝わり方」)。
そして、もう一つ、押さえておくべくなのは、司法改革との関係です。日弁連が前記2004年「職務基本規程」への改定作業を進めた直接のきっかけとなったのは、2001年の司法制度改革審議会意見書での指摘とされています。同意見書は、「国民と司法の接点を担う弁護士の職務の質を確保、向上させることは、弁護士の職務の質に対する国民の信頼を強化し、ひいては司法(法曹)全体に対する国民の信頼を確固たるものにするために必要であり、これにより国民がより充実した法的サービスを享受できるようになる」とし、その見地から「弁護士倫理の徹底・向上」のための、同倫理の整備を弁護士会に求めました。
そこには、当時の弁護士会会員の認識としても、今後の急激な弁護士急増の影響への懸念がありました。増えたら増えた分だけ不祥事は増えるのではないか、という懸念。しかし、それを弁護士会として当然視するわけにはいかない。現実は懸念通りになったといえますが、現に存在する問題弁護士への目線だけでなく、増員政策を受け入れた「改革」路線の旗を振る側として、「やるべきことはやっている」をアピールすべきという動機付けが日弁連にはあったというべきです(「懲戒請求件数・処分数の隔たりと『含有率』という問題」)
しかし、この建て前論も含めた規範的性格強化の立場と、具体的弁護士業務への影響を懸念する立場の会内世論のバランスにも変化が表れているようにみえます。現在、にわかに弁護士会内で注目されいる新たな「弁護士職務基本規程」改正の動きへの反応を見ても、後者の立場では、以前のような権力介入よりも、増員弁護士時代の依頼者の現実を踏まえた(「『望ましくない顧客』を登場させたもの」)、具体的業務の支障になるクレームへの懸念の方が強く生まれています(「弁護士職務基本規程改正に関するQ&A」 「共同アピールの賛同の呼びかけについて 特設ページ」)。
例えば、特に注目されている法令違反行使避止義務(説得義務)の新設(同規程14条の2)。弁護士は、受任した事件に関して、依頼者が法令に違反する行為を行うか、行おうとしていることを知ったときは、その依頼者にその行為が法令に違反することを説明し、やめるように説得を試みなければならない、というものです。既に同条では、弁護士が不正行為を助長したり、それを利用することを禁じていますが、改正案ではさらに進めて、やめるよう説得する義務を課すというものです。
一般の人がみれば、あるいはそのどこがそんなに問題なのかという気持ちになるかもしれません。しかし、単に手間の問題だけでなく、多くの弁護士の感覚からすれば、これはまさに言いがかりのような、クレームリスクの拡大を懸念させます。債務整理の依頼者に相手への返済を説得することや、残業代請求をされ依頼会社に、従業員への支払いを説得することまでの義務を、この規程のなかで課せば、当然にここが逆の立場からは攻撃ターゲットとして利用され、言いがかりのような懲戒請求濫用につながりかねない、ということなのです。
なぜ、こうした会員がリスクを負うような、そして、それによって弁護士の活動が委縮しかねないような改正が、今、日弁連で検討されているのかにはよく分からない部分もありますが、前出Q&Aに書かれているのを見ても、前記規範的性格強化派の建て前論は基本的に変わっていない、という印象を持ちます。しかし、問題は「改革」が描いた絵も、それを支える弁護士の状況についても、完全に裏目に出た現在、その建て前がこれからも会員に通用するのかどうか。その感性が弁護士会主導層に今、問われているような気がしてなりません。
弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794
司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

にほんブログ村

にほんブログ村


スポンサーサイト