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    失敗原因を直視しない「改革」論調

     「成功の母」であるはずの「失敗」のプラス面に着目し、それにどう向き合うべきかを説いた、畑村洋太郎・東京大学名誉教授の著書「失敗学のすすめ」のなかに、失敗情報の知識化について述べられているところがあります。ある失敗をその次の失敗の防止や成功の種に結び付けるためには、失敗が起きるに至った原因や経過を正しく分析したうえで知識化し、第三者に伝達することが重要なポイントである、と。

     ところが、失敗情報には困ったことに、知識化を阻害する様々な性質があるというのです。例えば、失敗情報は「隠れたかる」(発覚した失敗をその主体が嘘をついてまで隠そうとする)、「単純化したがる」(経過や原因が単純化した形でしか伝えられない)、「原因は変わりたがる」(伝えるべき情報に利害が介入し、歪曲される)――など。

     そして、彼は、この本のなかで、こうも言っています。

     「真の創造は、目の前の失敗を認め、これに向き合うことからしか始まりません。にもかかわらず、起きてしまった失敗を直視できず、『思いもよらない事故』『予測できない事故』という言い訳で失敗原因を未知への遭遇にしてしまう責任逃れを繰り返しては、次の失敗の防止も、失敗を成長・発展の種にすることもできません」

     これらを見ると、どうしても司法改革をめぐる、これまでの議論が被って見えてしまいます。「見直し」という段階に入った「改革」論議は、本当に「失敗」を直視し、知識化しているといえるでしょうか。

     法科大学院の「失敗」の原因は、当初の74校の乱立であったとか、予備試験が本来の使われ方をせず、本道の「抜け道」になっていることである、とか。法曹人口の増員政策の失敗は、潜在需要はまだまだあるけれど、ペースが急だったり、供給側のミスマッチが原因であり、弁護士の旧態依然とした業態がいけなかったとか。はたまた裁判員制度に依然、国民が背を向けているのは、情報の不足が原因で、もっと経験者の体験が共有されれば変わって来るはず、とか。

     「思いもよらない事故」扱いや、推進・制度維持をしたい側の利害が介入しているととれる歪曲・単純化をここに読みとることはできないでしょうか。本来、原因として何が問われていなければいけないのか、ということから、それらの傾向をみると、その特徴として、選択する側(法曹志望者、「裁く」市民)の目線(あるいは評価)の不在、選ばれる「価値」に対する認識の欠如、弁護士の経済的基盤や現実的な持続可能性を度外視した必要論や需要論に基づく発想など挙げられます。逆に言うと、失敗原因を極力ここにつなげない、ということが、推進者にとって、あるいは「改革」そのものにとって、都合がいい、ということになります。

     2月22日付け、東京新聞朝刊が、現在進められている、「法曹5年一貫コース」、在学中の司法試験受験容認、選択科目の廃止検討などの、法科大学院をめぐる制度改革の方向を、反対派の大学関係者のコメントを交えて批判的に取り上げた特集記事を掲載しています(「こちら特報部」)。見開きの大きな扱いで、「法科大学院制度 骨抜き」「『多様な人材』 ゆらぐ理念」という大きな見出しが躍っています。

     こうした改革案が出てきた背景にあるのは、「予備試験」を利用した合格者が増えていること。「『予備試験は、法科大学院の学生らが多くの枠を奪っている。本来対象となる人たちのチャンスを奪っているともいえる』」。「『経済法に通じた弁護士はまだ都会に集中しているが、知識を蓄えた人がさらに増えれば全国に人材が行き渡る』」「専門性ある選択科目を学ぶことは、法曹の質を高め、法曹の地域偏在を解消していく観点からも必要だとみる」「『予備試験への学生流入を放置したのが法科大学院の崩壊を招いた』」(二重カギ部分は論者コメント)――。

     負担軽減という発想で、資格取得までの時短化などで、なんとか志望者を回復したいという、現在の制度変更の方向自体、志望者が離れる最大の原因を直視していない、単純化がみてとれるものです。また、それは確かに法科大学院の「理念」を骨抜きにするものともいえます。しかし、一方で、今回、東京新聞が取り上げている、それを批判する論調もまた、前記の通り、失敗原因を直視しているわけではない。予備試験批判のための都合のいい言い方と、弁護士の経済環境や偏在解消について、これまでの現実を教訓としない捉え方。まさに、本来、こだわるべきことを差し置いて、むしろ本当の原因に辿りつかないために繰り出されているような言い分のオンパレードといえます(「法科大学院制度擁護派の分裂と旧試『欠陥論』」)。

     そして、この特集をみると、推進派の大新聞もまた、本当の意味で「改革」の「失敗」に向き合うことを阻害し、そこから社会の目を逸らさせることに加担しているということをつくづく思い知らされます。この特集の末尾に掲載された編集後記のような「デスクメモ」には、「どんな制度も変えるならエビデンスを示して議論するのが基本だと思うが、法科大学院問題も独裁的な決め方が怖い」などと書かれています。しかし、制度変更を批判する側のスタンスには目をつぶり、ある意味、「改革」路線の独裁性と「失敗」の関係にはこだわらない、という姿勢には、もはやため息しか出ません。

     わが国の法曹養成論議が、「失敗学」が教えるような、「改革」の「失敗」を直視し、それを今後のプラスにつなげる、そのスタート地点に立つのは、果たして、いつのことになるのでしょうか。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    No title

    「失敗」というのは「成功」の反対だと思いますが、司法制度改革の「成功」とは何でしょうか。

    司法制度改革が、新自由主義に対応する弁護士の輩出、弁護士のアメリカ化を目的としたのであれば、日本の弁護士が明らかにその方向で変質しつつあり、プロフェッション性が希薄になっているという点で、大筋、成功しているのではないでしょうか。

    それは、アメリカの意向にも添っており、日本の財界が望んだ方向でもあります。

    それが少しうまくいかないから失敗だというのは、欲張りというものです。司法制度改革の失敗から学んで、これ以上改革を押し進めるのは災いでしかありません。

    法科大学院の理念など元々ありません。宣伝文句としては色々言われましたが、司法研修所を法曹養成の中核から外すという目的のための口から出まかせに過ぎないと言ったら言い過ぎでしょうか。

    司法修習生の給与を廃止できたのは、司法制度改革の大成功でしょう。私は憲法違反だと言ってきましたが。

    No title

    >推進・制度維持をしたい側の利害が介入しているととれる歪曲・単純化をここに読みとることはできないでしょうか。

    この論法はうまくない。
    利害なんぞどの立場にもあり、利害がない行動などあり得ないからだ(やる気ボランティアの問題はここでは論外)。
    逆にいえば、推進・制度を維持したくない側の利害は、既得権益の維持ととれる歪曲・単純化ということがいえる。

    古き良き時代に戻ることができるかどうかというのはまた別の問題。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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