「甘やかすな」で片付かない現実

     弁護士を増やすことに反対、もしくは慎重であることは、彼らを甘やかすことであるという論調が、あたかも市民目線であるように語られています。

     増やして、彼らをこれまで以上に、競争にさらさせることは、より良い法的サービスとなって返って来るのだと。これは、本来、そうあるべきなのに、彼らが楽をするために自ら作った数の環境が、彼らをして甘やかさせていただけなのだと。

     そして、これは本来、どの職業でもそうであり、彼らだけを特別扱いをする必要は全くないのだと。

     これは、ある意味、「不公平」のイメージと、「よりよくなる」という方向において、大衆に伝わりやすい切り口だと思います。間違いなく、これまで「儲けている」職業とみられてきた仕事である弁護士が、特別扱いされてきたことの反感や、そうした仕事が変わることをよしとする気持ちがあっても当然といえば、当然です。

     しかし、そう単純に考えられない面もあります。その最大の理由は、弁護士という仕事は、社会にとっても個人にとっても「危険」な存在になり得るものだからです。彼らに特別な資格を与えているのは、法律という危険物を取り扱うことになるものでもあるからで、なぜ、危険かといえば、法治社会においては、絶対な力を持つからです。

     彼らはもちろん、基本的人権の擁護と社会正義の実現という使命のもと、この危険物の適正な運用を監視しなければなりません。そのために彼らは、能力だけでなく、その点での強い自覚が求められます。なぜならば、その能力は一つ間違えれば、危険物の不適正な運用を許すのみならず、その自覚次第では、自らの利のために、国民に多大な被害を与えることもあり得る仕事だからです。

     とても残念なことですが、今、現在、そうしたことの犠牲者は、確実に出ています。これまでも書いてきたように、弁護士会には懲戒制度があります。日弁連の機関誌「自由と正義」を見れば、いかにその自覚がない弁護士が、市民・依頼者に被害を与えているかが分かります。

     しかも、これがすべてとは言えません。懲戒を申し立てられ、現に処分に至ったケースだけの話です。程度はさまざまですが、市民の声に耳をかせば、裁判の過程、交渉の過程で、弁護士がその立場、職責への自覚のなさがもたらしているととれる「被害」の話は、巷にあふれ返っています。懲戒されても取り返しがつかないことだって、いくらもある、というか、逆にいうと取り返しがつかないということが、危険物を扱っている彼らの仕事であり、また彼らの自覚でなければならないとみるべきです。

     誤解のないようにいえば、もちろんそんな弁護士ばかりではありません。ただ、この言い方も微妙です。心得違いは一部の弁護士であっても、それで弁護士全体のイメージダウンにつながる現実はあります。もちろん、ばかりでなければ、いいということにも決してなりません。

     懲戒制度を働かせても、何をもってこれが機能しているのかを考えると評価は分かれます。起こってしまったことへの戒め、弁護士自治としての役割としての示しのつけ方ではありますが、それがどれだけ抑止力になるのかは、評価が分かれます。実績として、弁護士会が不祥事を抑止している、これからも減らす、その責任を負うと断言できる弁護士は、実は少ないのが現実です。

     弁護士はサービス業といえば、言葉としては正しいかもしれません。だから、他のサービス業と同じでいい、「淘汰」されればいい、と果たして言い切れるのでしょうか。「淘汰」というのは、実はいつまで続くか分かりません。年間数千人が、この世界にきて、もし、懸念されている通り、このままニーズが増えなければ、えんえんと流入後に生き残りをかけた「淘汰」が繰り返される。サービス業としての自覚が、「危険物」を扱っている自覚を失わせないかどうか、そう考える弁護士が現れないどうかは、残念ながら現在までの実績で見るしかありません。

     「淘汰」論理は、とりわけ企業系の方から声高に聞こえてきます。「成長戦略」だ「国際的に通用しない」と企業ニーズと弁護士の関係で、この社会の依頼者と弁護士の関係をすべて当てはめるのは、間違いです。企業は、より自分たちのニーズにあった弁護士を、より安く、より使い勝手良い形で選択したいと思っていますし、数を含め、その環境を作りたいと思っています。

     この関係では、一般依頼者との関係に比べ、継続的な企業の活動の中で、次の弁護士の選択が考えられます。企業活動においても取り返しのつかないことはありますが、大衆との関係に比べれば、はるかに一回性の関係ではありません。逆にいえば、弁護士のサービス競争の利も見込め、リスクも少なくできる、「淘汰」の論理を当てはめやすい条件が整っているとみるべきです。

     ゆえに彼らからすれば、弁護士がサービス業と割り切ることこそ、望ましく、また大企業であれば、ニーズを強調することも間違ってはいないかもしれません。問題は、それを弁護士全体にあてはめ、大衆にとってもプラスであると単純にあてはめられるかどうかの問題です。

     大衆の目も肥えてくる、馬鹿にするな、という言い方もなされますが、現実問題として弁護士に関する情報も含めて、大衆が弁護士を選択できる環境は十分に整っているわけではありません。これからも多くの大衆にとって、弁護士との関係は、突然降ってわいた不幸のような紛争の中での、次がない一回性のお付き合いです。しかし、前記したような、生き残りをかけた競争は、一回性のものでない一般のサービス、商品と同様の、効率化を伴った利潤追求の視点で行われることになります。きれいな絵ばかりは、想像できません。

     そこで質のいい弁護士を選べないことを自己責任というのは、あまりに酷であると同時に、その酷をいうことが「馬鹿にする」ことにはならないと思います。

     大衆のなかに弁護士に対する、ニーズがないわけではありません。ただ、大衆に大量の弁護士を経済的にささえるだけの、おカネを出す用意があるニーズがあるわけではありません。もし、そのニーズのために弁護士が必要というのであれば、その数を支えきれるだけの環境を整えることを考えなければなりません。そこを他のサービス業と同じに、弁護士の競争・努力と、大衆の自己責任にすべてゆだねることが、大衆にとって本当にプラスなのか、ということです。

     「甘やかすな」という言い方で、すべてが語り切れないことも、大衆に伝えられなければなりません。

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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