「供給制限」と「適正規模」のイメージ

     弁護士の増員問題に絡んで、よく法曹界外の人に聞かれた素朴な疑問があります。

     「レベルを下げずに、どうやって増やせるの?」

     司法試験という狭き門の試験があり、合格者を何倍にもするというならば、その門がそれだけ開かれるのだろうというのは、まあ当然の発想です。門を広げることは、合格基準を下げて、試験を簡単にすること、つまりはこれまで合格できなかった人が、合格することを普通はイメージします。

     合格者数は増やすが、レベルは下げない、とすれば、受験者のレベルを格段に上げるしかない。門の手前で、合格点が500人しかいなかったものが、3000人になっていればよろしい、なるほど、そのために法科大学院で受験者のレベルを何倍にも上げるのか、という解釈になっていきます。

     ただ、そうだとすると、必ず疑問が出てきます。

     「司法試験合格者を何人にするという方針みたいなものは何?」

     もし、法科大学院修了者のレベルが上がり、法曹資格者としての一定のレベル、少なくともこれまで合格していた人のレベルの人が増えても、ある人数以上合格させないことの意味が分からないということです。受かっていたはずの人が受からなくなるかもしれない、ということになるからです。 

     厳正に一定レベルの基準を定めている資格試験というならば、こう考えるのもまた、当然です。法曹資格を免許としてみるならば、資格を取る能力を満たしたならば、何人でも合格しておかしくないというわけです。

     さて、ここで何が言いたいかといえば、こうした市民のなかにある素朴な疑問は、あたかも免許制度を利用して、実は自分たちのために供給を制限していると批判される弁護士イメージと直結しているということです。

     実際、こうした考えは、決して素人考えではありません。これまでの司法試験・法曹養成に批判的な目を向ける経済人などからは、基準を満たせば、純粋に何人でも合格させる試験にせよ、という意見は出され、そこから先は、国民、市場が決めることというお決まりの意見も出されます。

     プロセスの教育といいながらも点は残っています。門はあくまで一定で合格人数も一定という以上、前記したように門の手前でレベルの確保がなければ、当然、予定通りの人数を合格させることはできません。一方、一定の合格人数の前に、一定レベルを多数が確保していたならば、年によって合格の難易度が違ってきても当然です。大学受験と同じですから、法科大学院は、ある一定以上のレベルの教育だけではなく、合格難易度を見ながら、レベルを考えなければ実績が伴わなくなります。

     法科大学院制度が門の手前で受験者のレベルを上げているという前記したような状況を目指すとしても、かといって一定レベル以上、合格させて一律免許を与える制度ではない、そこから先は調整するというのは、確かに疑問を持つかもしれません。
     
     つまり、ここから先は、「質」とか「レベル」の話ではなく、むしろ「供給制限」の話をきっちりしていかなければならないということです。

     弁護士のニーズがどれほどあるのか、どういう形で弁護士が存在することが、大衆にとって、本当の利益になるのか――この弁護士界でも真っ二つに割れている見解の評価から、逆算しないことには、この問題ついての正しい判断材料は提供できないことになります。

     要するに、法曹資格という制度は、特に資格者が社会に放逐された結果から逆算しなければならないということです。そこを単純に「あればあっただけいい」「あとは競争させればいい」「他の仕事だってみんなそうだ」から、基本的に免許を与えた方がいい仕事かどうかということです。

     そのことにこだわらなければいけないのは、何も弁護士の生活保障のためではありません。そこは果たして伝わっているのでしょうか。

     弁護士の数があればあるだけいいほどニーズはある、と描くほど、当然、門の必要性は揺らぎ、そのうえで、門にこだわる弁護士の姿勢は、あたかも不要な門の調整を資格者の保身という別の目的で必要としているように描き出されます。

     一方、国民のための適正規模が、弁護士という職を正常に支える有償のニーズと社会的に必要な無償のニーズ双方を念頭に語られ、できることとできないこと、資格をとってからの教育・質の確保の不安材料や、競争がもたらす現実が正直に伝えられれば、あるいは門の調整の必要性が、前記した素朴な疑問を越えて伝えられるかもしれません。

     若手弁護士の窮状にしても、結局、後者からすれば、まさしく適正規模の現実ではありながら、前者の目線に立てば、彼らを含む弁護士界の努力不足、さらに甘えということになり、供給制限悪の弁護士イメージを補強してしまいます。

     「供給制限をしているから弁護士は高給が保証されてきた」という意見は、いまや一般的というくらいに、よく耳にします。国民には、いびつに見えてしまうかもしれない司法試験制度は、この言葉とつながって理解されます。

     もっとも国民のための本当の適正規模も分からず、沢山あるというニーズも疑わしく、どちらにしてもおカネをかけて苦労して通過した門の先に待っている世界も不透明になってきたというふうに伝われば、正義感に燃える志望者にも、経済的成功とステータスを夢見る志望者にも、決してこの世界は魅力的なものではなくなっていくでしょう。人気商売でなくなれば、それはそれで「レベルを下げずに人数を増やす」ことそのものが、法曹界のおごりのようにいわれるかもしれません。

     ある層の利用者の利益、ある層の志望者の魅力ではなく、全体の利用者と志望者の発想に立つ、トータルに見た、この国の弁護士の適正規模という見方に、国民が立てるための材料が、もっと提示される必要もあるように思えます。

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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