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    増員政策に乗っかった法科大学院制度必要のロジック

     法曹人口大量増員の実現と、法科大学院制度の必要性を、「質の確保」ということでつなげる、司法改革のロジックがありました。要は、旧司法試験体制では、司法試験合格者を増やし、大量の法曹を輩出するうえで、質が維持できなくなる、だから、法科大学院のような、新たな養成機関が必要なのだ、というものです。

     司法制度改革審議会の最終意見書は、「受験者の受験技術優先の傾向が顕著となってきたこと、大幅な合格者数増をその質を維持しつつ図ることには大きな困難が伴うこと等の問題点が認められ、その試験内容や試験方法の改善のみによってそれらの問題点を克服することには限界がある」としていました。予備校に依存した受験技術に依存した「一発試験」では、質の問題が生じる、そして、それはこの新制度を導入しない限り、他の改革、要はこれまでの法曹養成改革で議論されてきた司法試験や司法修習の改善では克服できない、という捉え方だったのです。

     これが提起されていた2000年代初頭の法曹界が、こうした捉え方を頭から信じて、それで一致していたかというと、それもまた疑わしい面があったといえます。弁護士会内の「改革」推進派のなかからも、結果的に前記捉え方をまさになぞるような必要論もいわれましたが、懐疑派も根強く、日弁連も当初はアメリカ流ロースクールは困難とする姿勢にとれました。特に裁判所は司法修習の評価、あるいはその先に予想される修習不要論台頭への脅威もあって、法科大学院の未知数の「実力」には、最後まで懐疑的であったようにとれました。

     しかし、結果的に裁判所がこの新制度を受け入れる形になったのは、ひとえに数の問題があったからでした。要するに、「改革」が当初目標としていた、司法試験合格年間3000人を突き付けられれば、もはや物理的に従来の司法修習体制では背負い切れないということだったのです。逆に言うと、法曹界は当初から、今後も司法試験と司法修習によって「質は絶対におとさない」として、法科大学院については、「お手並み拝見」という視線を送っていた面があったのでした(「新法曹養成制度の実力という視点」)。

     いろいろな見方があったとはいえ、あえていえば、これは「改革」の方向性としてこうなった以上、新制度に期待するしかないということであり、少なくともこと増員の影響と質確保という点で前記したような旧試体制の問題性、あるいは実害性と絡めて導き出した前記ロジックの発想とは、もともと異なっていたのです。

     しかし、現段階で前記ロジックの描き方は、二つの点から、事実上ほぼ破綻しているようにとれます。一つは、目標であり、目的ともいえた年間3000人合格者という増員政策が破綻していること。前記した法曹界、とりわけ裁判所にとっての新制度導入の物理的根拠となった数についていえば、実は合格1500人というリミットが業界内でいわれていました。つまり、法曹界は合格1500人というラインまでは、従来の現行司法修習制度と、その改善で「やれる」という腹を固めていた、ということです。

     目標としての合格3000人の旗が降ろされ、そのラインに近付いてきた現在の司法試験合格者数を考えれば、数の関係で何が何でも法科大学院が必要という、司法審が描いたような法科大学院でなければ克服できないという前提は消えたようにみえます。少なくとも、裁判所の動機付けにかかわるところが、今はなくなっているといえます(「法科大学院制度導入必然性への疑問」)

     そして、もう一つは、実証性の問題です。制度発足から10年経って、いまでも続く増員基調の「改革」のなかで、質確保にこの制度が必要であること、別の言い方をすれば、こうしたプロセスの教育をどうしても経なければ、増員法曹の質に支障が出る(出ていた)ということを示せていないということです。

     それはとりわけ、予備試験組という法科大学院を経ずに、旧試同様、「一発試験」を経て、法曹になった人材への評価との対比において、はっきりした形で表れていないということでもあります。「質の維持」のためにどうしても必要というプロセスを経た人材が、法曹になったあと、その違いをはっきりと社会に示しているのであれば、前記ロジックの正しさは、当然、裏打ちされるはずでした。

     増員政策と新法曹養成制度の先に現れた法曹志望者減という事態は、これまでも書いてきたように、本質的には弁護士資格の経済的価値の激減に起因しているといえます。しかし、そのなかで予備試験受験者が確保されている現実は、あれほど旧試体制を数としての参入規制とした「改革」にあって、法科大学院制度、とりわけ司法試験受験要件化という強制こそが、志望者にとっての参入規制になっていることを示しています。そして、それに加えて前記ロジックが描いた「価値」を、多くの志望者が認めていないことも示しているといえます。

     法曹志望者が、それこそ法曹としての将来を考えて、自らの質のために「なるほど必要である」という評価を、法科大学院というプロセスに下しいない、ということです。「価値」という意味では、これこそが法科大学院が目指すべき目標であっていいはずです。ところが、制度は前記受験要件化という強制に始めからすがっている。

     そして、さらにもし、それを理想とするのであれば、むしろこのプロセスは、司法試験の合格後に位置している方が望ましい、ということにもなります。いうまでなく、法曹に必要な法知識や能力を身につけさせるということであれば、司法試験合格を気にしない状況で行われる方が、志望者の現実的な意識としても、教育の効率からいっても、当然に適切だからです。逆に言えば、そうなっていない制度が、志望者に見切られているのです。もちろん、そうなっていないのは、それこそ前記ロジックとは関係なく、大学運営にとっての経済的妙味から望ましくない(志望者を相手にするか、合格者を相手にするかの、数の問題)という思惑も透けています。

     このロジックの描き方について、「事実上ほぼ破綻」などという言い方になったのは、いうまでもなく、まだ、決着がついたわけではないという人もこの世界には沢山いるからです。多くが撤退したあとの、残った法科大学院が、将来、法曹の「質の確保」において、必ずや当初の予定通り、社会にその違いを見せつけるのだ、と。その時は、予備試験組法曹(その時に予備試験が本道の都合によって潰されていなければ)の社会的評価を、法科大学院修了法曹が凌駕し、志望者は「なるほど法科大学院を経なければ」として、その「価値」を認めて帰って来るのだ、と。

     もちろん、今、その可能性を頭から全面的に否定することなどできません。しかし、百歩譲っても、その未来が実現するまでに、この国の法曹と法曹養成はどうなってしまうのか、果たして社会にとって有り難い形で、持ちこたえられるのかは、今から懸念しておく必要があるはずです。


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    No title

    若者の法曹離れ食い止めねば 弁護士会が本気でPR 大学講義、冊子に逆質問イベント
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180701-00000000-kobenext-l28
    >弁護士は「弁護士は法廷に行くというイメージが強いが、今は働き方が多様化している。さまざまな業務の形を知ってほしい」と呼び掛ける。

    No title

    二つ前のコメントはただの釣りです。
    弁護士が増えた結果、貧困層を相手にする弁護士は減ったのです。
    弁護士が増えればさらに貧困層を相手にする弁護士は減ります。

    No title

    貧困層に当たる弁護士=「無敵の人」に当たる可能性がある=「無敵の人」は知的能力が低いため、弁護士が行う複雑で高度に知的なことが理解できない=騒ぐ=トラブルになる=弁護士にとっては儲からないうえにdisられる・逆恨みされる=弁護士業界全体にとってマイナス

    弁護士にとっていいのは「依頼者がお金のある人・会社」「相手方がお金のある人・会社」の一方もしくは双方が備わっている事件であり、どちらもなければ、その事件は、地雷でしかない

    カネがない・貧困というのは、心の貧困を招き、余裕を失わせるので、自己中心性が強くなる

    やらないのがベスト

    No title

    >ボランティア的な受任をする弁護士、というのはどんどん減るでしょうね。
    >社会全体が貧困化しているので、かえって、そういう人たちばかりが殺到する。
    >弁護士業の成否のカギは、いかにお金を持っているお客さんに当たるか、ですから、貧困層なんて集めても

    そこで弁護士の数を増やせばですね……

    貧困層に当たらざるを得ない弁護士も増えてくるという論理です

    No title

    ボランティア的な受任をする弁護士、というのはどんどん減るでしょうね。
    社会全体が貧困化しているので、かえって、そういう人たちばかりが殺到する。
    弁護士業の成否のカギは、いかにお金を持っているお客さんに当たるか、ですから、貧困層なんて集めても経営にはマイナスにしかならない。
    過払いや交通事故みたいに、相手が確実に金を持っている、というなら別ですが。ただ、交通事故は、依頼者において被害者意識が強く、依頼者のコントロールが難しい。

    No title

    ろーの未来をなんとかの会でしたか?
    正直恥ずかしいと思わないんですかね?
    自分が司法試験に挑戦したが落第点だった。

    そこからの結論が司法試験は不必要に難しすぎる?

    己の不出来を棚にあげて・・・

    おっと誰か来たようだ。

    No title

    >逆に言うと、法曹界は当初から、今後も司法試験と司法修習によって「質は絶対におとさない」として

    少なくとも質については、ベテランの先生方が新司法試験を解いてみた結果がこちら
    http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-1072.html
    http://www.lawyer-mirai.com/contents/houkoku_012.html
    ですから、落ちてないんじゃないですかね。

    落ちてるのは他のところ

    No title

    全く同感です。
    手弁当、ボランティアなどという言葉が駆逐され、純粋に競争社会であることを確認した、今の制度のほうが、かえって弁護士のサービス業としての原則と、法曹の一員としてOJTでスキルをつけるための指導をすべきだとかいう戯言の切捨てを可能とすることが出来たといえると思います。

    競争主義に基づいて生き残れない法科大学院が廃校になるのも当然です。
    本体の大学もろとも廃校になればいいですね。

    ちなみにうちの単位会には、自分のところのイソ弁でもないのに、弁護士登録してすぐに経営弁護士となる弁護士のために、共同受任してノウハウを提供しなさいとかいう制度があります。

    まあ何かの冗談だと思いますが、先日、この制度を利用してノウハウを提供してもらおうと指導を受ける側の弁護士として申請をしようとしたら断られたので(弁護士10年目)、私には関係のない制度なのだと思いました。

    No title

    >この国の法曹と法曹養成はどうなってしまうのか、果たして社会にとって有り難い形で、持ちこたえられるのか

    まるで今まで(あるいは過去)の社会にとって、この国の法曹と法曹養成が有難かったかのような表現だが、そもそもそこから疑ってかからねばなるまい。
    なるほど手弁当且つボランティアでの受任が有難かったかといえば社会にとっては有難かっただろうが。
    そこだけをあげて「かつての法曹と法曹養成は社会にとって有難いものであった」とも言い切れない。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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