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    弁護士の活動と経済的「支え」の行方

     この国で弁護士が「足りている」「足りていない」という議論は、ずっとぼやけた土俵のうえで、行われているような印象があります。ある分野の「足りない」という現状認識が正しいもので、だから「増やすべき」という要求が正当なものであったとしても、だから、この国の弁護士の総体を激増させるべき、という議論に果たしてなるのかという疑問が、ずっとあります。

     「裾野論」といわれるような、全体を増やさなければ、局所に当たるような人材や有志は獲得できない、という説明も、増員論者からは言われてきましたが、総体が経済的に支えられるかどうかが、いかに念頭にない発想なのかも分かるものといえました。

     かつて日弁連内には増員先行か、司法の基盤整備が先かという議論があり、増員派はその両者並行論を唱えたという話もありますが、そういう発想に立つことができたことも、また、本来、少しずつ増員し、足りなければ増やせばいい、で片付きそうな話が、そうならなかったことも、総体の運命を考えないでよしとする、ぼやけた土俵のうえの、「増員ありき」論であればこそ、説明がつくものです。

     そして、「改革」の「ぼやけている」(あるいは「ぼやかしている」)という点で、もっと基本的なことをいえば、それは、そもそも弁護士の需要とは、どうとらえられていたのか、ということについてです。

     司法制度改革審議会意見書は、今後の弁護士の役割として、個人や法人の代理人、弁護人としての活動にとどまらない「社会のニーズ」に積極的に対応し、公的機関、国際機関、非営利団体(NPO)、民間企業、労働組合など「社会の隅々」に進出し、貢献することが期待される、と描きました。また、日弁連側の受けとめ方としても、弁護士は、「法の支配を社会の隅々にまで貫徹させるべき公益的責務」を負い、「どこでも、いつでも、容易に法的サービスが受けられ、迅速に国民の権利の実現が図られる社会をつくらなければならない」といったことが盛んに言われました(「弁護士制度の改革と弁護士法30条改正問題の位置づけについて(総論)」)。

      しかし、ぼやけているという意味では、ここでは弁護士の経済的自立性という問題が全くぼやけています。司法審は、ここに羅列する機関、組織が、当然のように弁護士を遇し、経済的に弁護士を支えるという前提だったのでしょうか。「社会のニーズ」と括られるなかで、有償・無償が区別されていなかったということを散々書いてきましたが、別の言い方をすると、どこまでを弁護士の採算性の範囲内で考えればいいニーズで、どこからがそれを超えても社会的になんとかしなければならないニーズと位置付けているのかが分からないということです。

     弁護士も一サービス業に過ぎないという意識が、まさにこの「改革」で広がっていることからすれば、もはや前者のように採算性の範囲内で考えるのは当たり前、要はそれ以外手を出せなくて当たり前だし、関心もないという弁護士は増えていると思います。しかし、前記「改革」路線の描き方も、日弁連主導層に近い弁護士たちの受けとめ方は、必ずしもそのようにはとれません。

     有り体にいえば、これまで弁護士が手弁当としてやってきたようなこと、個々の弁護士の持ち出しで成立してきたことは、これからは弁護士の需要のなかに含めないでよし、という話なのか、それともどうにかしなければならない、これまでのように弁護士が負いきれないと言うならば、社会としてなんとか考えなければならない需要なのか、ということが問題なのです。

     医師免許なく客にタトゥーを入れたとして、彫り師の男性が医師法違反の罪に問われたケースで、弁護士支援のもと裁判費用をクラウドファンディングで集めるという試みが、業界内で話題となっています(BuzzFeedNEWS) 。これは、確かに前記無償ニーズに対する、これからの弁護士の活動の在り方の一つとして、可能性を持った注目できる動きであると思います。

     いうなれば、「手弁当」が事実上不可能になった今、市民に呼びかけ、その直接的な賛同とそれに基づく経済支援によって実現していく道を探る、ということになります。「改革」がぼやかしてきた、どう支えるのかという点への、具体的な一つの解になる可能性がありそうです。

     ただ、これでいいじゃないか、という話になると、どうなっていくのでしょうか。前記したように、多くの弁護士は採算性のなかだけで業務を考え、どうしてもなんとかしなければならない案件に接し、かつ、そうした意識を持った弁護士は、社会に訴え、個別の共感を元に支えてもらう。もちろん、社会的共感、一定の支持者を得られることで成り立つ前提の制度にあっては、案件自体の向き不向きもあるでしょうし、そもそも集金に成功しないこともある。つまり、弁護士としてなんとかしなければならない案件かどうかは、結果としてその成否に委ねられることになります。クラウドファンディングの成功率は、母体によって差があり、はっきりしたことは言えませんが、ほぼ3割、高いところで5割という話が聞かれます。

     「手弁当」から「クラウドファンディング」へ、という流れが、もし、生まれたとすると、弁護士自身の、弁護士会の在り方についての発想も変わるかもしれません。個々の弁護士の採算性とは無縁の弁護士会活動は、「手弁当」と同様の、会員の持ち出しの会費で支えていることを考えれば、会員の登録事務や懲戒、広報以外の部分は、まさに社会の共感に基づき、クラウドファンディング、もしくはそうした発想で支えられてもいいのでないか、と。そうなれば、会費負担や強制加入維持への理解も変わってくるということです。弁護士自治が、国民の理解によって支えられるという、日弁連の描き方にも矛盾しないかもしれません。

     ただ、もし、そうなれば、弁護士だけでなく、弁護士会がやるべき活動、やれる活動もまた、すべて現実的にそれに委ねられることになります。人権擁護活動も再審も、両性の平等も、子どもの人権も、公害も、貧困も、弁護士会の活動は、その結果次第で決まる形になります。

     これらが必ずしも絵空事と思えないのは、それでもいい、という空気が、弁護士会内に現実的にあるからです。以前、当ブログのコメント欄にもありましたが、弁護士会の「大ヒット商品」とまでいわれた当番弁護士制度まで、もはややめてもいのではないか、という声がいまや会内にあります。なぜ、弁護士が負担しなければならないのか、当番弁護士で接見しても、私選で依頼できる資力のある人は数パーセントではないか、などなど。

     これまでも弁護士会の活動に積極的な会員の方が、圧倒的に少なかった現実はもちろんありました。ただ、「改革」から生まれた、採算性への意識は、会費負担へ理解度、会活動への許容度を変えつつあります。会員利益を確保するために会費が使われないのならば、活動は弁護士会でなく、有志でやってくれ、という声も強まっているだけに、前記の方向は支持される余地があるようにとれるのです(「『普通の業者団体』という選択と欲求」 「『新弁護士会設立構想』ツイッターが意味するもの」 )。

     それでもいいんだ、というならば、話はこれで終わります。しかしこれが、弁護士の活動を現実的に何が支えるのか、あるいは支えられるのかをぼやかした「改革」の先に現れた、社会はもちろん、「改革」自身も想定していなかった結末だとすれば、やはり、ここは冷静に考えてみる必要があります。


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    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

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    No title

    >司法試験なんて撤廃

    これやると、「企業法務」なる「法律事務」の独占が完全に崩壊しちゃいますから、弁護士ども特に渉外弁護士だかビジネスローヤーだか自称してる連中が死に物狂いで最後まで反対するでしょうね。

    「法科大学院」なるものをでっち上げ、そこに入学修了しない限り司法試験の受験を禁止する。で、その「法科大学院」は大学に設置するから、国家試験と違って入試はいくらでも恣意的にできるから、その合否判定権を握る。これで、事実上司法試験の合格者は自分たち弁護士が恣意的に決められる。これで俺たちの学閥門閥コネ利権は未来永劫安泰!

    こういう卑しい賎しいコネ根性に凝り固まってる連中が今も権力握って居座ってやがるんだから、そりゃ没落しますわ。権力を笠に恣意的な利権の回しあいに固執する連中と、そいつらに媚び諂って利権のおこぼれにありつこうと躍起になってる連中が、知性も品性も何もかも腐らせて醜悪化していく現象は、どんな業界にも普遍的です。

    No title

    >国民は、弁護士に、そういうことを求めています。
    >しかし、そういう弁護士さんを探しているのですが、全然見つかりません。

    まぁ、
    「お前がやれ」で済みますからね。本人訴訟の禁止はないですから。
    弁護士には受任義務もないので、それをわからない馬鹿は勝手にどうぞですな。
    >なんなら、司法試験なんて撤廃しましょう。
    >誰でも弁護士になれるようにするべきではないでしょうか。
    これにも賛成です。
    やれるものなら弁護士をやってみればいい。実際にやってどれほど己が思い上がっているか思い知ればいいです。
    どうせペーパー弁護士が増えるだけですから脅威は感じませんね(裁判所には同情しますが)

    No title

    日本には、弁護士が全然足りません。

    1 無償で動いてくれて
    2 無茶なことでもなんでもいいなりにやってくれる
    3 一切口答えをしない
    4 それでいて能力の高い
    弁護士。

    国民は、弁護士に、そういうことを求めています。
    しかし、そういう弁護士さんを探しているのですが、全然見つかりません。
    日本には弁護士が少なすぎるんじゃありませんか!?
    もっと合格者を増やしましょう。
    なんなら、司法試験なんて撤廃しましょう。
    誰でも弁護士になれるようにするべきではないでしょうか。

    No title

    恐縮ながら、議論あるいは視点が古すぎるかもしれません。

    弁護士は大勢いるアメリカでは、民事訴訟の本人訴訟率が高い。裁判所も書式をネットで積極的に配布し、Q&Aも充実しています。

    そもそも、
    「貧乏や無知であることは、自己責任」
    「天は自ら助くる者を助く」
    という価値観がベースにあるグローバル化を、誰のせいでもなく日本国民一人一人が日々の買い物を通じて促進しているのです。
    したがって、日本国民も、アメリカ人と同じく、自分の権利は自己責任で守るのは当然です。

    また、アメリカでは、刑事弁護を受ける権利と表裏をなす、
    「刑事弁護を受けない権利」
    が、判例上認められています。

    被告人に無料の弁護士すらいらないと拒絶されるほど、公設弁護人の仕事ぶりがひどい(公設弁護人がむしろ被告人の利益を害することがしばしばある)、ということです。

    そして、被告人本人が、刑事弁護人なしに、自分の権利を守るために刑事訴訟を追行することが、認められています。

    二弁の一派がマンセーしてごり押しした公設弁護人の実態は、これです。
    (なお、現在、同一派は、利権をがっちりつかんでいる後見業務に関して上から目線で諸会員に無理難題を次々にゴリ押ししており、会員から唾棄されています。)

    今の法テラスのスタッフ弁護士の腐敗ぶり・堕落ぶり・使えなさぶり・困難事案拒否ぶりを見れば、日本もほぼ忠実にアメリカを再現しつつあるといえます。

    つまりは、スタッフ弁護士養成事務所・都市型公設・法テラス事務所などの貧困層向けの弁護士は、アメリカ化しているともいえますし、昔懐かしい300代言に成り下がりつつあるということです。

    そして、たまたまキャッチ―な事件があったときに祭り状態となりクラウドファンディングが成功する。裁判もショービジネスの一部となったわけで、これもまたアメリカと同じです。

    ただそれだけのことです。

    なお、司法取引導入により、捜査機関の手抜きが許されるようになりました。これもまたアメリカ化の流れの一つであり、二弁の一派が最初から意図していたこと、つまり、裏で捜査機関と握っていたということと思われます(意図も予期もしていなかったとすれば、相当なバカだったということになります)。

    そういう連中が日本の刑事弁護を仕切っているので、今後は益々劣化していくとしか予想できません。

    No title

    別にクラウドファンディングがあるから弁護士増員を容認すべきだなどと主張するつもりはないが,弁護士が今よりもっと豊かであった時代でも,依頼者の資力不足のため十分な弁護活動ができない事例はいくらでもあった。
    そういった事例のうち,弁護士が手弁当で補ってきたのは,弁護士が深く共感したごく一部の事例に過ぎない。クラウドファンディングの成功率は3割から高いところで5割というが,それでも手弁当方式に比べればマシな数字であり,特に社会的注目を集める事件の弁護活動としては,クラウドファンディング方式は積極的に評価されてよいと思う。
    弁護士会の会務活動をクラウドファンディングでやるかどうかはまた別の話だが,弁護士会の活動には正直言ってかなり無駄なものが多く,特に地方単位会の会員が事実上強制的にやらされる多重な会務活動に苦しんでいるのもまた事実。
    両性の平等委員会なんて,「各委員会の正副委員長に最低1名女性を登用しろ」「各事務所で最低5人に1人は女性を雇用しろ」などと訴え,弁護士会内部ですら白眼視されている連中であり,その他の活動も,慣例に従って半強制的にやらされている活動なのでなかなか実も上がらない。
    従来の弁護士自治体制では,無駄な会務活動のリストラは一向に進まないので,いっそのこと民間からの募金が集まらない活動はすべてやめてしまうくらいの思い切りの良さは必要と思う。

    No title

    >どこまでを弁護士の採算性の範囲内で考えればいいニーズで、どこからがそれを超えても社会的になんとかしなければならないニーズと位置付けているのかが分からないということです。

    それは当時の総本山の執行部の方々に聞いてみないとな。
    まさか分からず導入したというわけではないだろう(まさかイタコ呼んで「彼」を呼び出すレベルではなかろうに)。
    ただそれを担うのが某テラスじゃなかったのかいな。

    No title

    釣り糸をたらしてみた。

    そういえば先日静岡でも需要はあるとか言ってたね。

    需要がないというのは所得が300万とか500万とかの需要がないことであって、懲役3年罰金1000万円払っても、大学卒業の初任給どころマクドナルドのアルバイトにも満たない金額でも良いという需要がないことではない。
    そういう需要でもよいという弁護士を生み出すためにも司法改革は必要だ!キリッ

    No title

    https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2018_03/p48-49.pdf
    >札幌弁護士会では,「純粋な形での弁護士の独立が少ない」というお話が非常に印象的でした。即時独立の弁護士が少なく,多くの弁護士がイソ弁(勤務弁護 士)として経験を積み,パートナーになるか,事務所を承継するというスタイルは,弁護士同士の距離が近い札幌弁護士会の大きな特徴だと感じました。もっとも,札幌地裁本庁管轄内ではやや難しくなってきたものの,道内の支部管轄のほうであれば一部の自治体を除いて弁護士の需要はあるようにも聞きましたので, 東京のように顧問先や事件先の見込みなしに独立することは厳しいという状況にはないかもしれません。

    (引用終わり)

    ということなので、需要があるところには需要はあるのです。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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