国民に任せた「品位」の基準

     以前にも紹介しましたが、弁護士の広告は、原則自由化されたとはいえ、一般の方からみると、業務広告に関する規程と、運用指針でかなり縛りがかけられている印象になると思います。

     この運用指針をみると、あることに気が付くと思います。あちらこちらにふんだんに盛られた「国民」という二文字です。そうなっていることの意図は、「広告が品位を損なうおそれがあるかどうかは、弁護士等の立場から判断するのではなく、国民の弁護士等に対する信頼を損なうおそれがあるか否かという広告の受け手である国民の視点で判断されるもの」という、この中の説明を読めば、分かります。国民の目線を意識しているのだから、結構なことじゃないか、と思われる方もいるかもしれません。

     ただ、この中には、こんな内容が出てきます。

     「奇異、低俗、派手すぎるもの、見る人に不快感を与えるもの等、国民からみて弁護士に相応しくないと思われる広告の方法及び表示形態並びに場所における広告は、弁護士の品位又は信用を損なうおそれのある広告として許されない」

     運用指針は、「拡声器で連呼する広告は、不快感を与える」「サンドイッチマン、プラカードによる広告は,弁護士に対する国民の信頼を損なう」「風俗営業店内、消費者金融業店内は、国民からみたとき、品位や信用を求められる職種の広告場所として相応しくない」「外科病院などの待合室、銀行のロビーにおいて管理権限のある者の承諾を得て案内書を置くことは、その案内書を手に取った国民が不快感を抱くような形態、内容等他の要素がなければ,そのこと自体が品位を損なうものとはいえない」といったことを例示しています。

     分かったような分からないような内容ではありませんか。例示する以上、それを一応の目安として、他の案件の妥当性を測れるようなものが望ましいと思いますが、この内容はそういったものなのでしょうか。

     「拡声器」や「風俗営業店内」というのは、かなりレアケース過ぎて、どう他の例にあてはめていいのか分かりませんが、そもそもこれらが何でいけないのかについて、国民が共通の認識に立つと決めつけられるのでしょうか。最後の外科病院や銀行のロビーに至っては、管理者が承諾したうえで、特段クレームがこなければいい、といっているようにも聞こえます。

     つまり、問題は「品位」の基準を「国民」に全面的にゆだねているところです。端的にいえば、「国民」が「品位」の面で「ふさわしくない」と感じることが基準となるとすることで、果たしていいのかということです。弁護士という職業固有の基準としての「品位」が存在するのならば、それがいかなるものなのかは全くこの指針からは、分からないということです。

     そもそも「国民からみてふさわしくない」というのは、国民のなかにある弁護士イメージを基準にすることになります。「あるべき弁護士」という何か確固たるものを持ち合わせている方ならばともかく、社会的な弁護士のイメージがどんどん下がれば、社会常識として弁護士に必ずしも特別な「品位」を求めず、あるいは「弁護士だってビジネス」「弁護士なんてそんなもの」という割り切った見方が広がり、世間にあふれてしまえば、それでも「ふさわしくない」という評価になるとは限らないということです。

     つまり、社会の受け止め方で、「品位」のハードルが下がるように受け取れるのです。運用指針は、冒頭、「この指針は,事例の集積にあわせて適時に改定される」とうたっていますが、そういうことでいいようにも取れてしまいます。

     弁護士の品位とは、一体なんなのでしょうか。これを読む限り、弁護士の中にも確固としたものがないのではないか、というイメージを市民に与えてしまいかねません。「国民がよしとすればよし」という基準は、その国民の感じ方が多様で、かつ、変動し、さらに皮肉なことをいえば、実態が下がるほどに、基準が降下することもあり得るものであることを国民が見抜いた瞬間に、逆に国民の信頼を失うものになるように思います。

     勝訴率の広告表示は、誤導を招くとして禁止していますが、国民の視点からは、求められる情報です。逆にいえば、弁護士という職能の性格を変わらないものとするならば、すべてを国民の求めに応じることはできない、という選択もあり得ます。もちろん、その場合には、きちっとした説明をしなければなりませんが、単なるニーズに沿わす姿勢が、その意義そのものを疑わせる形になることもあり得ます。

     そして、そもそも大衆が弁護士に求めているものとは、果たしてこういうものなのでしょうか。紳士的な振る舞いをいうのならば、それは弁護士だけが胸を張っていうようなことではありません。この社会のどんな仕事人にも求められていいことです。

     やはり正義や公正さに、もはや業務態度として、明らかに背を向けているような姿勢、そう疑われてもしようがない態様は、およそ時代や社会の弁護士に対する受け止め方が変わり、諦めと割り切りが寛容につながっても、弁護士が肝に銘じるべきものと思います。また、その筋の通し方が、それこそ「国民の信頼」につながるような気がします。

     「国民」の二文字の連発は、弁護士会の意図に反して、その国民に間違ったメッセージを伝える危険があるように思えます。

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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