「改革」が変えつつある弁護士の姿

     話題になっている青山学院大学法務研究科(法科大学院)の来年度からの学生募集停止について、三木義一学長が発表した一文には、次のような下りがあります。

     「本学法務研究科は、2004年度に設置され、いわゆる法科大学院の一つとして、これまで数多くの司法試験合格者を輩出してまいりました。しかしながら、法曹の増大に対応した社会環境が十分に整わなかったこと等のために、法科大学院受験者の減少が続いてきました」

     三木学長は、募集停止の原因は彼らがどうにもできなかった志願者、入学者の減少にあり、さらにその理由の一つとして、主に弁護士と推察できる法曹の「増大に対応した社会環境」の不整備を挙げているのです。法科大学院撤退についての関係者の弁では、これまでも「改革」の想定外を強調した無念と恨み節が示されることになりがちで、ここでも結局は、自分たちの努力とは関係ないところに原因がある、ということが強調されることにはなっています(「法科大学院『本道』をめぐる現状認識と自覚の問題」)。

     ただ、今回の三木学長の弁で、一番引っかかるのは、増大した法曹(弁護士)に対応した社会環境の不整備という捉え方です。確かに、激増政策によって弁護士の経済環境が激変したことが、今日の法曹志望者減につながり、それが法科大学院を直撃した、という見方は間違っていません。問題はそこから先です。これを増員政策の完全な失敗とみて、弁護士の需要はなかった、というのであれば、むしろ話は簡単です。しかし、これが需要は絶対にある、整備すればなんとかなる(なんとかなった)という前提であるのならば、それはいったい具体的に誰に、どのようなことを求めるのか、そして、またそれが結果的にどういうことを意味してしまうかを考えなければならないはずだからです。

     「弁護士は経済的弱者ばかりを相手にしているわけではないだろ」。

     増員によって、これまでの経済的な基盤が崩れたことに対する影響を言う業界内からの声に対して、こういう声がしばしば浴びせかけられます。事実、弁護士は貧困層や弱者だけではなく、あらゆる階層の弁護をする立場にあります。おカネにならない人権問題等の活動をするには、弁護士の経済的な基盤が確保されている必要がある、という、いわゆる「経済的自立論」から、増員政策がその基盤を脅かし、そのしわ寄せはそうしたところにきてしまう、という弁護士側の主張にも、このことはぶつけられてきました。「いや、あなた方は、カネ持ちからおカネをとる商売もしているし、それができるではないか」と。それゆえに、弁護士会内にも、「経済的自立論」は封印した方がいい、という意見もあります。

     しかし、やはり私たちは、激増政策が結果的に、この「経済的自立論」が想定しているような弁護士を、この国から消しつつあることの方を心配すべきではないでしょうか。(「『経済的自立論』の本当の意味」)。「改革」の現状と、前記「経済的自立論」に批判的な論調を前向きに受けとめ、それを「自覚」した弁護士たちでこの国が満たされていくというのは、どういう状態を意味するのか、ということです。

     つまり、端的に行って、むしろ弁護士は堂々とカネ持ちの味方、よりカネを持っている側の仕事をやる存在でよし、という方向になるのではないか、ということです。「改革」の増員政策の現実と前記論調の捉え方を前提に考えれば、これは必ずしも心得違いという言い方はできません。競争とサービス業への自覚を求める「改革」が、生き残りをかけた彼らをそこに追い込んでいる、といえます。前記批判的論調は、もはや彼らからしても、「当然」と言いたくなる話なのです。

     「経済的自立」が倫理低下への歯止めになる、という論調は、いまでも弁護士のなかで聞かれます。「貧すれば鈍する」を弁護士自身が口すれば、またぞろ心得違いの批判を浴びることにもなりがちですが、一方で、この「改革」の流れのなかで生まれた、より採算性に目がいく弁護士たちが、「独立性」を担保し、その意味でプロフェッションとしての高い倫理性を保持しつつ、前記「経済的自立論」が想定していたような弁護士の役割をも果たす、という見通しに立てるのかどうかの問題です。

     三木学長が指摘した、増大した法曹(弁護士)に対する社会環境の不整備は、一体、誰にその解消の責任や努力を求めることになるのでしょうか。もし、弁護士にとって採算性のとれない無償性の高いニーズを、増大した弁護士がカバーするという前提であるのであれば、法テラスの現状をみても、弁護士任せにはできない経済的基盤の担保が、今、もっと検討されなければなりません。そうではなく、これまでの「改革」路線のように、これを弁護士の努力に求めるのであれば、その無償性の高いニーズから、彼らは当然に遠ざかり、堂々とサーヒス業の道を歩み、やがてそのニーズの担い手ではなくなるでしょう。前記した意味での「経済的自立論」など、いわれるまてもなく、口にする弁護士はいなくるかもしれません。

     基本的人権の擁護ともに、社会正義の実現を弁護士の使命としてうたう弁護士法1条は、彼らに課せられたカセだと以前書きました(「カセとしての弁護士法1条」)。彼らが、そこから外れ、遠のくことは、それだけ私たちにとって、危険なのだと。

     もちろん、この規定も、あらゆる階層を弁護する弁護士に当てはまります。しかし、今、この弁護士法1条すら不要、廃止すべきてはないか、という声が弁護士会の中から聞かれ始めています。それが一体、何を意味しているのか。人権擁護も含めて、無償性の高いニーズを、相手にしないこれからの弁護士にとって、この条文は、サービス業に課せられるには過剰なカセ、ということになっていくのでしょうか。

     弁護士・会サイドから言われ続ける「市民のニーズにこたえる」という言葉だけでは、今後、どうなっていくのか分からない、本当にその市民に有り難い存在になるのか皆目不透明な、弁護士の現実があるといわなければなりません。


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    No title

    司法制度改革審議会意見書より引用

    「我が国の法曹人口は、先進諸国との比較において、その総数においても、また、司法試験、司法修習を経て誕生する新たな参入者数においても、極めて少なく、我が国社会の法的需要に現に十分対応できていない状況にあり、今後の法的需要の増大をも考え併せると、法曹人口の大幅な増加が急務であることは明らかである。 」
    http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report/ikensyo/iken-3.html


    司法改革は「需要に十分に対応できておらず、今後の需要も増大するから、法曹人口を増やせ」というものであって、「需要以上に弁護士を増やして競争させろ」というものではないんだよ。

    ここは絶対に勘違いしてはいけない。

    需要がなければ増やす理由もなくなる。

    No title

    下の続き
    ステータスが下でかつ稼ぎも全部自前の弁護士がタダ働きしろなどと、
    補助金でぬくぬく暮らしている学者や役人なんかから言われたくはないな。
    よく弁護士は偉そうだとか言われるが、こいつらのほうがよほど偉そうだろ。
    顧客対応なんかしたことないだろ。上からの対応しかしたことないのだろう。

    弁護士に体よくめんどくさくてマネタイズできないことを押し付けんなよ。

    それをやすやす引き受ける弁護士会の姿勢にも問題があるとは思うが

    No title

    なんで「正義の担い手」が「無償の活動」になっちゃうわけ?
    弁護士なんて大学教授より社会的ステータス下だよ?
    彼らは自分で稼がず、国からの補助金で食ってる分際でだよ?
    弁護士は全部自分の才覚で稼いでいる。
    なのに「いわゆる「プロ・ボノ」活動(無償奉仕活動の意」って、なめてんの?
    ふざけないでもらいたいな。
    こっちは一日一日、一つ一つが勝負なんだよ。
    そこらの大学教授とは厳しさが違うよ。
    自分の水揚げで食って勝負師として生きている弁護士にタダでやれなんて、甘えでしかない。

    No title

    現役弁護士が「弁護士が弁護士法を守る必要はない」とか堂々と言っちゃう時代だからね。
    一方で素人は「弁護士=無条件で信頼できる」という間違った認識を持ってしまい、実物を見てギャップに幻滅する。
    内からも外からも厄介者に思われてるのが現実よ。もっと言ってしまえば時代遅れ。

    No title

    >弁護士は、「信頼しうる正義の担い手」として、通常の職務活動を超え、「公共性の空間」において正義の実現に責任を負うという社会的責任(公益性)をも自覚すべきである。その具体的内容や実践の態様には様々なものがありうるが、例えば、いわゆる「プロ・ボノ」活動(無償奉仕活動の意であり、例えば、社会的弱者の権利擁護活動などが含まれる。)、国民の法的サービスへのアクセスの保障、公務への就任、後継者養成への関与等により社会に貢献することが期待されている。


    笑止千万

    No title

    司法制度改革審議会意見書から引用

    弁護士は、「信頼しうる正義の担い手」として、通常の職務活動を超え、「公共性の空間」において正義の実現に責任を負うという社会的責任(公益性)をも自覚すべきである。その具体的内容や実践の態様には様々なものがありうるが、例えば、いわゆる「プロ・ボノ」活動(無償奉仕活動の意であり、例えば、社会的弱者の権利擁護活動などが含まれる。)、国民の法的サービスへのアクセスの保障、公務への就任、後継者養成への関与等により社会に貢献することが期待されている。
    http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report/ikensyo/iken-3.html

    いいか悪いかは別にして、司法改革の目的を勝手に定めないように。

    No title

    タイトルが不思議で仕方ないのですが
    改革というのは変えることですから
    弁護士の姿が改革によって変わるのは当たり前ではないでしょうか?

    弁護士なんてサービス業の一つに過ぎない。
    偉そうに公益だの社会への奉仕だのを口にするのは間違っている

    利潤を追求することこそ経済活動の唯一の目的であることを骨身にしみこませよというのが司法改革の目的ですから、目的を果たしたというべきでしょう。

    No title

    >彼らが、そこから外れ、遠のくことは、それだけ私たちにとって、危険なのだと。

    そういう司法改革を望んだのは、弁護士ではなく国民ですよ。
    そのツケは国民が自らの経験をもって支払うべきですよ。

    No title

    >「市民のニーズにこたえる」

    (裕福で、証拠を揃えることができるカネの力とそもそも証拠を残しておけるだけの法的知性が高い)市民の(カネになる)ニーズ(だけ)にこたえる」の意

    つうか、もともとカネになるニーズにしかこたえられんのよね。
    昔は元が取れませんよと言えば諦めてくれたもんだが。

    No title

    弁護士法1条は不要です。
    廃止しましょう

    当たり前のことであれば条文など不要でしょう。
    元々今でも訓示規定ですが、条文があることでこれを口実にして会員に無駄金を支出させ、委員会活動と称して遊んでいる人たちから口実を奪うことはきわめて重要です。
    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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