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    「雇う」表現をめぐる弁護士の意識

     最近、いわゆる「谷間世代」(新65期~70期司法修習生、2011年11月~2017年10月採用の無給世代)の独立した弁護士であるという人の興味深いツイートに、たまたま目が止まりました。それは、「弁護士を雇う」という表現をめぐる発信でした。

     彼の弁護修習先のボス弁は、「弁護士を雇う」という表現を否定し、相談者が「相手方が弁護士を雇って」などと言うと、話を遮ってまで「弁護士は雇われるものじゃない。委任契約といって頼む頼まれるの関係だから。そこを間違えないようにね」と釘を刺していた、というのです。

     なぜ、そこにこだわるのかを彼が尋ねると、そのボス弁は、①自分の気分の問題(雇う意識ならば、長期化するんだしもっと着手金もらうわ笑、とのこと)、②依頼者をテストしている(釘を刺した時の反応で事件を受けてよい依頼者かどうかを見極めてる)、③依頼者と弁護士の意識のズレは都度修正しておかないと後で大変になる――という理由を概ね回答した、と。

     そして、彼は、以下のような自らの考えで、締め括っています。

     「弁護士としての矜恃と言葉を大切にする姿勢は見習おうと思った。現在もその事務所のイソやそこから独立した先生は依頼者の『雇う』発言には反応する。私も、(ボスほどではないが)柔らかめに、相談者・依頼者に諭すくらいのことはしている。『雇う』ではなく『委任する』が定着するとよいな」

     このツイートを読んだ時、若干、不思議な気持ちになりました。それは、今から10年近く前に、当ブログで、今回のツイートとは少し違う方向性の話として、この「弁護士を雇う」という表現をテーマとして取り上げていたからです(「威張る弁護士」)。それは、その記事書いた時点からさらに遡ること20年くらい前に、「雇う」という言葉を使った人に「弁護士を雇うとは何事ですか」と烈火のように怒った、ある大物弁護士のエピソードをもとにしたものでした。

     「弁護士を雇う」という表現は、市民の間で、昔から現在に至るまで、ほとんど疑問の余地もなく使われているが、かつての多くの弁護士の意識としては、それは認められないことだった。その根本には、依頼者に従属しない、自由で独立した法律家であるべき、という強烈な意識があった。それ自体には、歴とした彼らにとっての意義はあったといえるが、その一方で、それは弁護士の依頼者にとって「威張る」というイメージの中で捉えられても仕方がない、一面があった――。

     そして、ここからが肝心なことというべきですが、「改革」後のサービス業を意識した弁護士のなかでは、前記意義自体は理解しても、「雇う」という表現そのものが使われることへの抵抗感はなくなりつつある、少なくともかつてこの表現に激怒したような弁護士の意識とは変わりつつある、というニュアンスのことを書きました。かつてよりも「威張る」弁護士が格段に減っているようにみえることにも、そこにつながっているかのように。

     あくまで自由・独立の意義は分かっていても、「雇う」という表現そのものは、「改革」後を生きる弁護士にとっては、もはやこだわりどころではない、ということだったのです。当時のこの記事を読んだ弁護士の反応としても、概ねそうした現状認識であるという声が多かったと記憶しています。インハウスが増え続ける気配が強まり、また「改革」自体が弁護士のさらなる進出領域として注目するなか、もはや名実ともに「雇う」という表現そのものに目くじらを立てるのはどうだろう、という意見もありました。

     「改革」が弁護士の中に、強く植え付けることになったサービス業としての自覚の中で、この表現にこだわる弁護士も、過去のものになりつつある、そして、「敷居を低く」することを目指した「改革」後の弁護士のあり方として、その方向がふさわしいものとして受けとめられつつあるかのような捉え方をしていたのです。

     ところが、今回のツイートが伝える現実は違うようにみえます。相談者の話を遮って、あえてこの表現にクギを刺し、諭す弁護士は今も存在する。しかも、それは「自由・独立」といっても、前記ボス弁の問題意識でも分かるように、むしろ弁護士がサービス業を円滑に営むうえでの、ノウハウの一つのように捉えられている。そして、谷間世代のツイート主もまた、それは弁護士にふさわしいこととして、受けとめようとしているのです。

     言葉の正確さとしては、もとより昔も今も「雇う」ではなく、「委任する」がふさわしい表現であることに変わりないと思います。しかし、「威張っている」ように捉えかねない、そこまでこだわらなくてもいいのではないか、という「改革」後の弁護士の意識変化のなかから、あたかも揺れ戻すかのように、サービス業としての弁護士のあり方としても、この表現をこだわりどころとするような意見に出会ったのです。

     もちろん、このツイート主、一人の捉え方だけで、傾向的なものを語れるわけもありません。ただ、無料化という流れもそうですが、「改革」が広げた、「身近に」とか「敷居を低く」といった弁護士の発信の反作用として、依頼者の意識もまた変化し、そのなかには、サービス業としての弁護士の仕事を維持していくうえで、むしろ足を引っ張りかねない現象も起きている、また弁護士がそのことに気付いてきたようにもみえるのです。

     もし、そうしたなかでとらえられるとすれば、むしろこの表現をめぐる、今回のツイートが伝えるエピソードも、「改革」の想定外の結果による、弁護士の経験値がもちらした、「価値」見直しのようにとらえることができてしまうのです。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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