「会費」をめぐる理解し難い弁護士会の姿勢

     高いことで定評のある弁護士会の会費に対して、弁護士会外の人間から、よく二つの疑問の声を聞きます。一つは、いうまでもなく、なぜ、そんなに高いのか、ということですが、もう一つは、会員である弁護士はなぜ、それに納得しているのか、ということです。もちろん、前者については弁護士会には自治があり、自前の登録・懲戒業務があることに加えて、人権にかかわる公的な活動を引き受けていること、そして後者については強制加入であり、会費を払って弁護士会員でいなければ業務ができない、許されていないという一般的な説明は用意されます。

     ただ、それでも弁護士の激増が現実化していることを考えれば、むしろ弁護士会が財政的には楽になり、それが個々の会員に還元されていいというイメージにはなりますし、後者についていえば、本格的な減額提案を含めて、会員がなぜ、積極的にそちらの方向で動かないのか、というのは、なかなか理解できない点のようにみえます(「弁護士会費『減額』というテーマ」)。

     確かに弁護士会の場合、そもそもこの会費に対しての会員の理解度、許容度は、これまで比較的高い、寛容であると思ってきました。前記公的な意味において、弁護士自治とともにその活動を支える意義をいう人はいます。もちろん、負担感は個々の弁護士の経済的事情によって違うわけで、かつていまほど会費の高さが取り沙汰されなかったのは、ひとえに会費に負担感を覚える会員が相対的に少なくて済んでいた、弁護士全体の経済環境があったから、ということもいえなくはありません。

     ただ、やはり会費について、今も弁護士は全体的にまだまだおとなしいといえます。それは、仕方がないからだという意見もありますし、弁護士の中にはやはりまだ、同業者にそこまで経済的に困窮しているようにとられたくない、という意識もあると聞きます。

     しかし、こう見てくると、一方でこの点が弁護士会主導層の会費問題に対する姿勢、要はこういう形で会員から理解され、許容されてきたということにあぐらをかくような、楽観的な捉え方につながってきたのではないか、とも思うのです。

     弁護士会の会費は高額であると同時に、徴収者である会が会員の滞納に対して厳しい姿勢をとることで知られています(「『会費滞納』に対する姿勢の意味」)。それもまた、前記した弁護士自治と結び付けた理解や、業務が可能となる条件として諦めに近い納得の仕方がされるという自信に裏付けられています。それに加えて、最近は特に、公平ということが強調され、経済的な負担感が増していることをにらんで、逆に、「みんな苦しい中、出しているのだから、滞納は厳しく取り締まらなければ、他の会員に申し訳ない」といった論法を繰り出す理事者も増えているようです。

     しかし、問題は根本的にこれまでの弁護士会の姿勢が今後も通用するのかどうか、また、そうした姿勢で臨むことが、本当に弁護士・弁護士会にとってプラスなのか、という点にあります。

     弁護士事務所、インハウスを経験後、就職先が見つからず、弁護士会・日弁連会費計47万2500円を滞納した53期の元女性会員に、東京弁護士会が同滞納分の支払いを求めた訴訟の控訴審判決が、今月、東京高裁で言い渡されました。結果は、1審同様、元会員が敗訴。彼女が滞納したのには、個人的な事情とともに、もちろん「改革」の弁護士激増政策の影響もありました。1審は本人訴訟、2審は複数の弁護士がついて、そうした事情についても主張しました。

     このなかで、この元会員は会費が高額であるのに、生活困窮者や会務活動休止者に対する減免措置や救済業務を行わない弁護士会の姿勢の問題を指摘しています。しかし、東京弁護士会も裁判所も、要は会費納入義務があるのに納入しない会員に請求するのは当然、決まりは決まりという論法からは踏み出すことなく、結論を導き出しました。減免措置なども、「裁量」だから日弁連・弁護士会に義務付けられていない、というのが裁判所の判断でした。

     元会員側によれば、同弁護士会は訴訟前も、ほとんど彼女の事情に耳を貸すことはなく、対応した理事者からは「会費納入は会員の義務」「6ヵ月以上滞納すると懲戒対象になる。最初は戒告から始まって最後は退会命令を出すことになる」と告げられたとしています。

     この結果については、弁護士のなかにもいろいろな捉え方をする人はいると思います。弁護士会側の「決まりは決まり」的な姿勢に賛同する人もいるかもしれませんし、それこそ前記したような「他の会員も苦しい中、納入している」という論法をここにあてはめるかもしれません。

     ただ、あえていえば、弁護士会としては、むしろ裁判所が言った「裁量」の問題として、この元会員が投げかけていることを考えるべきときなのではないでしょうか。そもそも目を離してみれば、前記論法は「苦しい」方に合せろ、といっているのと同じで、ここにも減額など念頭にない、高い会費の徴収が常に会員の了解のもとにあるとみているような楽観視が見てとれます。この元会員のような人に、もっと良心的に手を差し延べる弁護士会の姿勢・態勢は、会費への会員コンセンサスがぐらつき出している今こそ、意味あるものになるととれないでしょうか。元会員に限らず、会員の経済状況を結果的にここまで追い込んでいる「改革」を推進している責任、という視点もあっていいはずです。

     控訴審提出の書面で元会員側が、こう主張している下りがあります。

     「会員数が大幅に増加した後も被控訴人(東弁)は高額会費を維持している。被控訴人の2015年度の収支は1億5700万円を超える黒字であり、繰越収支差額(剰余金累計学)も15億円以上で、年間の会費収入13億円を大幅超過している。つまり、被控訴人は1年以上にわたって全会員の会費を無償としても運営できる財政基盤を有しているのである」
     「そのような状態にある被控訴人が、苦労して得た弁護士資格を返上し弁護士会を退会するという途を選ばざるをえなかった控訴人に対して、50万円に満たない未納会費を請求するために、支払督促、裁判という手法を選択したのは、会費を支払わないとこうなるという会員に対する一種の『見せしめ』というほかない」

     この指摘をみればなおさらのこと、弁護士会の会費をめぐる現実は、やはり一般には理解し難いことものを含んでいるといわなければなりません。


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    懲戒請求に発展した委任状変造問題

     3月3日の日弁連臨時総会で、3人の東京弁護士会会員の委任状の受任者が、委任者の承諾なく、他の会員に書き換えられていた問題(「弁護士自治の足を引っ張った日弁連臨時総会」)について聞いた、弁護士会外の人の反応は、ほとんど一様に「理解不能」というものでした。それは、いうまでもなく、委任者の意思を反映させるというその役割を根本的に否定するという意味では、委任状の扱いとして絶対にあってはならないことであり、なおかつ、それが法律の専門家集団である弁護士会であれば、およそ最も起こり得ないと考えられるところで発生したという二重の意味において、当然の反応ではありました。

     このことを踏まえると、臨総終了直後から、東京弁護士会サイドから出され、同月7日には小林元治会長名で出された談話のなかでも示された「事務的なミス」という説明、さらには会内の一部に出始めている、この説明でこの事態を収拾すべきとするようなムードには、前記反応と隔絶したものを感じてしまいます。

    「弁護士会だってミスはする」という弁護士がいました。まさに東京弁護士会の立場は、そこにすがるものにみえます。しかし、前記エントリーでも書きましたが、受任者名が書かれているにもかかわらず、白紙委任状として疑いもなく分類し、そこに書かれた受任者を疑いもなく訂正した(他の職員が誤って別の名前を書き込んだと判断した)という「ミス」を重ね合わせる不自然さ。それに加えて、そもそもこんなことが起こり得る白紙委任状の扱いが、こともあろうに弁護士会でなぜ行われていたのか、という疑問。ここが二重の意味で「ミス」で片付け難い問題である、という認識が、どこまで同会理事者にあるのか、という疑問に突き当たるのです。

     ここにもう一つ、付け加えなければならないは、「責任」という問題です。「ミスであれば、弁護士会という組織は、一体、誰が責任をとるのですか」。前記反応のなかで、こんな疑問の声を聞きました。前記談話のなかにも、「事務局が」「職員が」という言葉が出てきます。しかし、たとえ「ミス」だとしても、前記事情をみれば、「ミス」に関する監督責任だけでなく、これをやらせていたという根本的な責任が会執行部にある、と考えなければならないはずです。原因究明や再発防止に言及した談話をみても、その点でもなにやら一般の目線とは隔絶した、この問題への甘い認識をみてしまうのです。

     こうしたなか3月22日、この問題は遂に、受任者名を書きかえられた3人の委任者の一人である八坂玄功弁護士が、東京弁護士会に対して、会長である小林元治弁護士の懲戒請求(会の対内関係における秩序を乱し、対外関係における信用を著しく毀損〈弁護士法56条1項〉、同時に、品位を失うべき非行〈同法56条1項〉)を申し立てるという事態に発展しました。

     懲戒請求のなかで、八坂弁護士は前記「ミス」で説明する弁護士会の見解の不自然さとして大略以下の5点を挙げ、変造は意図的であり、それが会長印の押印で行われていることから、同会長の責任は明らか、と主張しています。

     ① 受任者名が明記されている委任状と明記されていない委任状とでは外見上、容易に見分けがつくものであるから、受任者名が明記されている委任状を白紙委任状と誤って分けたという説明は極めて不自然。
     ② 白紙委任状には執行部側が出席予定の執行部案に賛成の会員の名前を受任者として適宜補充するとの運用が仮に許されるとしても、白紙委任状に受任者名を記入する際に、本件においては、受任者名欄に北周士会員の氏名、登録番号が委任者名と同じ筆跡で明記されていたのであるから、他の事務職員が受任者名を誤って書き入れたと誤信したとの説明は極めて不自然。
     ③ 受任者名を(委任者印ではなく)東京弁護士会会長印で書き換えるといった方法は、法律の素人であっても有効性に問題を感じるのが当然のやり方であって、弁護士業務に日ごろから触れている事務職員が勝手にやれるはずはない。東京弁護士会会長から明示または黙示の指示がなければやれない。
     ④ 受任者である北会員が委任を受けていた18通の委任状の内、3通もの多くの委任状が受任者名を書き換えられていた。仮に単純ミスであるとしたら、北会員という特定の受任者にのみこのような高い割合で単純ミスが重なるとは到底考え難く、この点でも、東京弁護士会会長側の説明は極めて不自然。
     ⑤ 本当に「ミス」によるものなのか、委任者ら本人が受任者名の書き換えに同意したのかは、委任者ら本人に確認しなければわからないはずなのに、変造問題発覚後、会長は、委任者ら本人に一切確認おらず、何らの照会もしなかったことは極めて不自然。

     さらに、八坂弁護士は、これが「ミス」としたとしても、なぜ、こんなことが弁護士会で発生したか、という前記疑問に関わる重大な指摘をしています。それは、すばり「従前から、東京弁護士会においては、日弁連総会などにおける弁護士会長印による受任者の書き換えが行われることが常態となっていた」というものです。その問題の運用を大略次のようなものであるとしています。

     ① 執行部が執行部提案に対する白紙委任状をかき集めるとともに、総会当日に出席する執行部派の会員に、一人50通までというルールの範囲内で適当に委任状の受任者を割り振るという運用を行ってきた。
     ② 委任状の中には、執行部提案に賛成であっても受任者名が明記されているがその受任者が総会に本人出席しない場合、いったん受任者を割り振ったもののその受任者が都合により総会に本人出席できなくなった場合、何らかの事情で受任者が明記された委任状が50通を超えてしまった場合等がある。
     ③ それらの場合に、執行部提案に賛成する委任状を死票としないために、会長印によって、受任者名を総会当日本人出席する執行部提案に賛成する会員名に書き換えていた。

     つまり、ここで指摘されているのは、委任状の持つ本来の意味よりも、とにかく執行部提案を通すことに前のめりになっている弁護士会の姿勢です。受任者名が書かれている委任状の受任者が、委任者本人の意思確認もないまま、会長印によって実行されるという事態は、こうした東京弁護士会の慣行の中で発生した、ということになります。

     法律専門家集団のなかで常態化していた委任状をめぐるこの扱いをみてしまうと、冒頭の「理解不能」という反応が、より正常なものに感じられてきます。隔絶感というのであれば、そもそもこの問題が発覚しながら、採決に及んだ日弁連執行部と、それを受け入れた多数の出席会員にも覚えたこととではありました。しかし、今回の事態に対する責任と、委任状をめぐる慣行に弁護士・会が、これからどう向き合うによっては、前記した隔絶は、いよいよ決定的なものになるとみなければなりません。
     

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    弁護士自治の足を引っ張った日弁連臨時総会

     3月3日の日弁連臨時総会は、この国の弁護士が、弁護士自治を守り続けるという考えに立つのであれば、歴史に残る大失敗だったと思います。弁護士不祥事続発が自治を揺るがすという危機感から、弁護士の横領事案被害者に見舞金を出す制度の新設を決めるという、まさにその総会で持ち上がった前代未聞の委任状変造問題。それらは、二重三重の意味で、弁護士自治にとってはマイナスのものになったとしかみえないのです。

     この日、提案の8議案のうち、最も注目され、賛否の分かれていた見舞金制度創設。弁護士が不祥事によって市民の信頼を失う、ひいては法律事務独占や弁護士自治を失うことになるという危機感を会員が共有している、一会員の不祥事は全会員の問題という論法で、故意犯の「尻拭い」とみられるような見舞金を、強制加入団体の会費から支出するところまで押し通す発想です。

     しかし、これが不祥事の抑止と信頼回復に効果を発揮するとは提案者も認めていません。不祥事の根本原因が、増員政策による弁護士の経済的異変にあるとすれば、そこが見直されない限り、不祥事は続く、被害者一人当たり上限500万円支出の信頼回復への効果もさることながら、延々とその支出が続く。増員政策と経済圧迫が続くのであれば、不祥事の信頼回復ができないだけでなく、決定的に会員の気持ちは強制加入・自治不要に傾く――。

     現に当日、会場からは、会員は「見舞金制度を作らなければ維持できない自治なんかいらない、強制加入なんていらない、になる」として、この制度が弁護士自治の終わりの始まりになることを強く危惧する声が出ました。

     弁護士会の不祥事対策は、これまでも「効果」よりも、弁護士自治がある以上、何もやらないわけにはいない、という、ある種の建て前に押されて繰り出されてきた面があります。今回の見舞金制度もそうしたものとみることはできますが、対外的な評価の前に、もはや自治の内部崩壊、あるいは息の根を止めるかもしれないところまで来ていながら、それが繰り出されているということを執行部は本当に理解していないのか、という気持ちにさせられます。

     そして、まさにこの議事の最中、委任状の変造問題が会員の指摘で明るみに出ます。委任状の委任先の弁護士名が別の弁護士名に書き換えられ、弁護士会の印が押されていた。少なくともこれまでに東京弁護士会の3件について、この対応が発覚しましたが、執行部は会場でも「事務的なミス」と説明し、また、総会後、東京弁護士会は即座にメディア向けに、「ミス」の経緯を説明しています(弁護士ドットコムNEWS)。

     要するに、白紙委任状のなかに問題の名前が書かれていた3通が混じったために、前記のような扱いになったという説明ですが、名前が書かれたものであることを確認できるチャンスがあったことと、名前が書かれていながら疑問に思わなかったことの不自然さを考えれば、これを「ミス」ととらえられない人がいても当然です。さらにいえば、この白紙委任状の扱いが、これまでの日弁連の議決で果たして公正に行われてきたのか、賛成票獲得へ操作されていなかったのか、という疑念が生じたとしても致し方ないように思います。いくら「ミス」といっても、対外的にみて、弁護士自治の汚点としかいえません。

     そもそも今回、白紙委任状という形が弁護士会の議決でとられていることを知って驚いている人もいました。もし、ミスであるならば、当然、これをやめるとか、インターネットを使った投票も考えられることになると思います。むしろ、それ自体は検討できる余地が十分あるだけに、弁護士会が公正さ担保に遅れているというイメージになることも避けられません。

     ただ、今回についていえば、さらに大きな問題があったといえます。私は、やはり今回の臨時総会は、執行部の決断で流会、全議案継続審議にすべきだった、この状態で、採決すべきではなかった、と思います。むしろ、この疑わしい状態では採決をしない、という公正さに対する厳格な姿勢を示すことが、前記疑惑を伴った「ミス」に対する、最も適切で、弁護士自治を堅持する姿勢にふさわしい、少なくとも効果が疑われる前記見舞金制度を会員を割ってまで、強行するよりも、はるかに意味のある対応だったのではないでしょうか。

     当日、出された継続の動議が多数の反対で否決された状況をみれば、当然、全国から集まった会員の反発は予想されたでしょう。しかし、執行部関係者も議場で言った「せっかくお集まりいただいたから」的で話で、進めていい話にはとても思えません。日弁連・弁護士会の信用をそれこそ根底から失墜する大問題として、緊急に最優先課題とする緊張感や危機感が、あの時の執行部と議場にいた多数の弁護士にはなかった。報道席から見ていて、そのことに強い違和感を覚えました。

     前記見舞金制度は、委任状出席を含めて、賛成9848票、反対2699票(弁護士会は賛成37、反対14、棄権1)で可決、成立しました。賛否の差は歴然ですが、賛成票は全会員の4分の1に過ぎません。それを考えればなおさらのこと、強制加入団体のリーダーならば、対立議案の議決にもっと慎重であってもいいと思えてきます。獲得票数で勝ることだけにとらわれず、会員の意見が割れている、しかも、それが自治の存続にかかわる見解であるならば、なぜ、もっと耳をかさないのでしょうか。

     30年以上日弁連を取材してきて、これほど後味の悪い総会に立ちあったことはありません。この後味の悪さこそが、これからの日弁連・弁護士会を暗示しているような気持ちになってきます。


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    日弁連イメージ広告戦略への距離感

     日弁連が新たなイメージ広告となる、広報用CMを制作しました。昨年、ポスターで起用した女優の武井咲さんを登場させた15秒と30秒の2バージョンです。



      「人生何があるか分かりません。
      そんな時、あなたを助けてくれる人はいますか。
      私に笑顔をくれたのは弁護士さんでした」

     どこか東京の丸の内仲通りのようなオフィス街を悠々と歩く武井さんの前に、突然、現れる大きな崖。そこに落ちそうになる武井さんが、大きなひまわりの茎につかまって救われてニッコリ。上記ナレーションを被せた映像としては、ある意味、とてもシンプルです。

     弁護士が市民に身近な存在であることをアピールする狙いは、前回2013年に作成されたCM(「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」)と同じですが、印象は大分違います。全国の弁護士を次々に登場させて、「私たちあなたの応援団」とリレーで歌わせた前作には、弁護士界内で言われ続けてきた「敷居が高い」イメージ払しょくのため会員にひと肌脱いでもらった感があります。それに対して、「頼りになる存在」の方を誇張した本作は、ナレーションがいう、振って湧いたトラブルの時に助けてくれるということのイメージ映像で、武井さんの注目度に寄りかかっている感はどうしてもしてしまいます。

     弁護士役の「大きなひまわり」も、ひまわりが弁護士を象徴していることを知らない人にどういう形で伝わるのか、ということもありますが、意地悪な見方をすれば、大胆な映像を使っている割に武井さんの印象ばかりが先に立って、肝心の弁護士の存在を印象付ける部分が弱い感じはします。

     しかし、以前も書きましたが、あくまでイメージ広告は、消費者のなかによいブランドイメージを形成するためのもので、直ちに成果が出せるものではありません。前回も今回も、最終的に「ひまわりお悩み相談」への誘導も図っていますが、そちらへの反響だけで価値をみるのは、この広告の目的の本筋ではありません。

     長く繰り返し流されなければ、効果は期待できない広告ですから、この種の広告は実質的な、あるいは実証的な費用対効果でみたならば出せないという見方まであります。仮にクライアントから効果についてのクレームがあっても、必ず広告代理店からは反復性や、しまいには直接いえるかはともかく、商品そのものの限界という言い訳が用意される。クライアントの発想で、向き不向きがはっきりしてしまう広告ともいえます。

     今回の日弁連のイメージ広告についても、前記「お悩み相談」への誘導を含め、「会費を使うだけの効果があるのか」といった不満の声が、はやくも会内から聞こえてきますが、そもそもその種の不満が出る主体が出す(出せる)広告ではない、といわなければなりません。

     ところで、一旦手段としての広告から目を離して考えると、弁護士は、今、どういうイメージを社会に形成すべきなのでしょうか。日弁連の広告戦略では、一貫して形成すべきイメージは「身近で頼りがいのある相談相手」です。それは前回にしても今回にしても、市民のなかにある種の固定観念があることや、常に本当の弁護士を知らない層の存在を前提として、そこをターゲットにアピールされてきたといえます。そこには需要開拓という発想も結び付けやすい。

     しかし、今、弁護士が直面しているのは、そこだけでしょうか。例えば、増員政策による経済的な激変に伴う弁護士のイメージ変化――依頼者のカネに手をつける型の横領事案の報道で必ず背景として伝えられる、その変化が生み出した正義に反するイメージ、ビジネス化がもたらした拝金的なイメージ、さらに逆にサービス業化のなかで足かせになる、無償性や採算性を追求することに対する誤ったイメージ。

     弁護士会は業界団体として、もっと弁護士が個人事業主であることをアピールしてほしい、という声まで会内にはあります。「普通の」個人事業主でありなから、普通ではない使命や期待を背負う仕事であること。弁護士の自覚として受けとめるべきところと、それでも「普通の」を理解してもらわなければできないことがある、というところに、イメージの問題を含めて弁護士の難しい現実があります。

     では、それを広告という手段でなんとかできるのか、といわれれば、それはそれで簡単にはいかないとは思います。その意味では、効果はともかく、日弁連は広報活動として、少しでもできることをやっている、あるいはあえていえば、何もやらないわけにもいかないからやっている、という見方もできるかもしれません。

     ただ、前記弁護士が抱えている現実を考えると、会費から高い費用を使い、女優まで投入する日弁連の熱意に反し、「身近」ばかりを打ち出す、そのイメージ戦略は、その効果や狙い以前に、会員の気持ちからは離れつつあるようにみえます。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    発言する日弁連の不安要因

     日弁連・弁護士会の活動は、これまでもしばしば「政治的」という批判を浴びてきました。国家秘密法、慰安婦問題、憲法、死刑などというテーマへの関与が、強制加入団体という性格と絡めて、会の外からも内からも問題視されることもしばしばありました。しかし、これまで日弁連は、こうした問題を「人権問題」であるという一点で、会員を束ね、活動してきたといえます。少なくとも、会員の意思決定機関での多数が形成されてきたのは、まさにその一点でのコンセンサスといっていいと思います。

     日弁連が強制加入でありながら、弁護士の連合体として、個々の弁護士が担った人権擁護の使命を社会的に全うする人権団体であるのならば、それは時に「政治的」という批判を乗り越えなければ、成し遂げられない役割を宿命的に背負っているということを意味します。在野の法律専門家集団として、人権擁護団体として、「政治的」との批判を受けとめても超然として発言しなければならないという、自覚のもとに、言うべきことは言う立場になります(「弁護士会が『政治的』であるということ」)。

     前記会内コンセンサスについて、弁護士のなかにもさまざまな捉え方があります。あたかも積極的にこれを支持してきたわけではなく、強制加入であるがゆえに渋々付き合ってきたかのようにいう会員もいます。総会などでの意思決定にしても、賛成票の全体に占める割合から、サイレントマジョリティの意思を違うように解釈する見方も付きまとってきました。

     弁護士であるならばなおさらのこと、意思表明の機会が与えられている以上、そうした主張には限界があることも多くの人は理解しています。ただ、これが暗黙の了解であったかどうか以前に、少なくともそれに参加し、賛成に挙手した会員の意識としても、こうした案件が必ずしも「政治的でない」という理解ではなく、「政治的であったとしても、これはいうべき」という判断であると理解してきました。強制加入団体であるという会の実態があったとしても、この判断に基づく使命感が優先されるという、一応の会員コンセンサスがあって日弁連・弁護士会は進んでこられたように見えます。会員の思想信条と切り離し、個々会員に特定意見で拘束していないということを前提とした、国家秘密法反対運動をめぐる司法判断(「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」)の立場のうえに、やってこられたといっていいと思います。

     マスコミも注目した日弁連として初の死刑廃止宣言は、人権擁護大会で出席会員のほぼ7割に当たる546人の賛成、96人の反対で可決、採択されました。この対立図式だけみれば、ここまで書いてきたこれまでの日弁連の「政治的」活動批判を乗り越えてきた歴史を、そのままあてはめられるのかもしれません。ただ、今回、気になるのは、むしろ144人という約2割に当たる棄権票です。この中身をどうみるかは、さまざまな意見があるかもしれませんが、少なくとも死刑廃止への賛成、反対以前に、ここで日弁連がこの件での意見表明をすることについて、躊躇した、抵抗を覚えた会員がこれだけいた。反対票と合わせれば、出席会員の三分の一のコンセンサスは得られていないという現実です。

     特に死刑廃止に向けた宣言は、民意や犯罪被害者遺族への配慮を考えた会員もいたかもしれません。ただ、その人については、たとえ多数派民意に反しても、日弁連が「言わなければならない」案件ではなかった、ということになります。

     結果からみれば、今回もこれまで通りに前に進めることができたようにはみえます。しかし、日弁連の内部体質は確実に変わっている。それは、日弁連が強制加入団体として直結しているはずの業者団体としての立場に対して、会員の要求が高まっているという現実があるからです。

     「日弁連は会員を守っているのか」。こういう声が最近、会内から異口同音に聞かれます。日弁連も支持、推進した「改革」の増員政策がもたらした弁護士の経済的異変。そのなかで法テラスをはじめ、弁護士が安く使われる枠組みばかりに日弁連が肩入れし、一貫して、会員の業務に「有利」になるような活動をしていない、という不満です。会員の犠牲を強いているという見方だけではなく、会活動や人権擁護の基盤となる個々の会員の生活の安定化を軽視しているととれる現実によって、弁護士会から会員の気持ちが離れてはじめているということなのです。

     10年間で10倍にも増えてきている組織内弁護士の傾向を日弁連は歓迎し、弁護士の活動の場として、今後も期待しています。ただ、そこで働く彼らのなかからは、従来型の日弁連の「言うべきことは言う」スタイルに対して危惧する見方が出始めています。いかに人権問題であったとしても、その弁護士が所属する企業や自治体が「政治的」と判断した場合、どうなるのか。弁護士会費を負担している弁護士雇用企業が、これを「政治的」活動への拠出と判断したならばどうするのか。案件によっては、その日弁連のアクションが、事案にかかわる所属企業体との関係で、利益相反になる場合もあるのではないか、その場合所属弁護士の立場はどうなるのか(「Schulze BLOG」)。

     これは、これまでのように、前記捉え方で、会は会、個々の弁護士は個々の弁護士で、活動の性格を切り離せない事情が存在しはじめていることを意味します。日弁連主導層は歓迎する組織内弁護士増加の先に、その点までの危機感を果たしてもっているのか、という話にもなるのです。

     日弁連・弁護士会主導層は、その使命に基づき、これからもこれまでのようにすべきであるし、それができると思っているかもしれません。しかし、それが、あるいはこの国の「人権」にとって重要な意味を持っていると自覚しているのであれば、なおさらのこと、それが続けられる環境を足元から崩し始めている「改革」の影響を、もっと深刻に受け止めなければならないはずです。


    「依頼者保護給付金制度」についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7275

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    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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