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    「大きな弁護士会」の末路

     最近でこそ、あまり耳にすることがなくなりましたが、かつて今回の司法改革をめぐり、さかんに「大きな司法」ということがいわれました。これまでのこの国の司法は、小さ過ぎたのであり、物的・人的設備が拡大されるべきなのだ、という発想です。

     今、思えば、当時、この発想に最も強く反応したのは、弁護士(会)ではなかったかと思います。国家予算に占める司法予算の少なさを批判し、つとに弁護士には自己犠牲でその穴を埋めてきたという意識がありました。そこに弁護士会内の「改革」の先導役となった中坊公平弁護士は、「二割司法」という、この国に大量の泣き寝入りや不正解決がはびこるという、司法機能不全論を持ち込んだ。弁護士(会)が、「改革」の「大きな司法」に飛びつく状況とお膳立ては存在していたというべきです。

     しかし、今、弁護士(会)が強く反応した「大きな司法」論はとうなったのか。この発想のもと、弁護士会は「改革」の増員政策を前向きに受けとめることになりましたが、結果は弁護士だけが激増する形になりました。「二割司法」がイメージさせたような大量のニーズは、弁護士が増えても、それを支える有償のニーズとしては顕在化せず、いまや八割の膨大な機能不全論そのものが、業界内では、根拠なき感覚的数値だったという、烙印が押されてしまっています(「『大きな司法』論が切り捨てているもの」)。

     一方、当時の弁護士会関係者は、前記「大きな司法」論に乗っかる形で、当然のように「大きな弁護士会」を志向しました。もちろん、それは一つには物理的な意味で、増員政策によって数が増えることに対する機能改革の必要性ということであり、もう一つは前記「改革」の描き方から想像される、漠然とした弁護士会に対する社会的な要請の高まりを根拠にしていたようにとれました。

     当時、この「大きな弁護士会」の発想のなかで、会関係者が何に関心を持ち、議論をしていたかといえば、例えば、弁護士自治の関係で、弁護士の質や倫理性の維持、弁護士個人に対する監督の在り方の問題でした。しかし、大量増員時代に弁護士会が大きくなっても、弁護士会のやれることには限界があるという見方が会内には強く存在していました。有り体に言えば、自治にかかわるとして、口には出せないまでも、多くの弁護士は、実は増えれば増えた分、質の確保は難しく、また不祥事も増えるだろう、と考えていたということです。

     また、当時は司法アクセス解消が注目され、弁護士個人ではなく、「大きな弁護士会」が積極的にかかわるべき課題ととらえられました。「国民の裁判を受ける権利の実質的保障」といったこともいわれ、これもまた「二割司法」論の影響もあって、司法的解決を望む大量の国民が存在している、ということが当然の前提になっていました。国民の権利保障は、本来国家の責任でありながら、これは弁護士にも問われているのだ、という強い犠牲的な自覚が、前記前提のうえに、やはりこの「大きな弁護士会」論にも被せられていたのです。

     しかし、今となってみれば、不思議なくらい、当時「大きな弁護士会」が増員された弁護士の業務をどう守り、支えるのか、どういったメリットを強制加入の会員に与えるのか、といったことが議論されていない現実がありました。前記「改革」が描いた眠れる大量のニーズを、有償無償の区別なく、想定していたことによって、そこはなんとかなるだろう、あるいは個人の問題として、丸投げする考えだった、この前提が崩れるとは夢にも思わなかったといわれれば、それまでかもしれません。

     しかし、司法制度改革審議会の議論でも、弁護士大量増員の是非にもかかわるはずの、司法ニーズの「受け皿」としての隣接士業の存在との関係は、不透明なまま積み残されていました(「弁護士激増既定方針化がもたらしたもの」)。そもそも大量の有償のニーズが、急増ペースに併せて、顕在化しなかった場合を、全く想定していないこと自体(のちにペースダウン論をいうことになるわけですが)、過信というよりも、相当な会員利益不在の発想があったとみることもできるのです。

     今、多くの弁護士会の会員は、まさに会員利益から、「大きな弁護士会」を求めなくなってきているようにみえます。物理的な意味で、会員数を抱えているという大きさではなく、やはり会員に対する役割あるいは関係性として、むしろ最小限度のものを求めつつあるのではないでしょうか。なぜかといえば、皮肉にもこの「改革」自体が、それが描いたような「大きな弁護士会」の存在意義よりも、高い会費負担の解消も含めて、個々の弁護士業務の足を引っ張らない弁護士会を求める会員意識を生み出すことになったからです。

     「大きな弁護士会」が、会員利益に貢献してくれない存在であると、見切ったとき、それでも弁護士会が自治を伴って、「大きく」あるべきという会員が、どれだけいるのか、という問題です。

     今、弁護士会のなかには、三つの立場の弁護士がいるといわれています。「改革」の旗を振ってきた「主流派」といわれるグループ、「改革」路線に反対・慎重な立場をとってきた「反主流派」「反執行部派」といわれるグループ、そして、「改革」そのものへの無関心層。ただ、この分け方は微妙で、三番目の「改革」無関心層は、結果的に選挙などでは、多くが「寄らば大樹」的に執行部寄りの投票行動をとってきた層で、現在もその傾向にあるというのが、反執行部派の受けとめ方です。

     ところが、弁護士会への関心でみれば、前二者を含む関心層と無関心層に分けることもできます。つまり、いうまでもなく、「主流派」も「反主流派」も自治の維持も従来の弁護士活動の意義も認め、それに対する期待もあり、そしてそれは守ることを前提に、そのあるべき形で意見が割れている。それに対し、無関心層は、もはやそこに期待する意味が感じられない、その優先順位は低く、弁護士自治の維持、これまでの弁護士会活動の存在意義にも懐疑的な方向の見方をしている。そして、前記したように「改革」が、結果的に膨らませつつあるのが、この層ということになります。

     「改革」が生み出している現在の弁護士(会)の状況でありながら、もはや会員を「反改革派」として糾合できなくなりつつある現実が、ここにあります。「改革」論議が遠い過去になりつつあり、新法曹養成下で生まれた会員が半数に及んでいることもありますが、日弁連会長選挙で「改革」を争点に、「主流」「反主流」が肉薄した時とは、弁護士会世論の状況が明らかに変わってきたといえます。

     昨年末、このブロクで1年を振り返った感想として、弁護士は確実に「改革」からも日弁連からも距離を取り出しているようにみえると書きましたが、今年についても全く同じで、その距離は広がったようにすら感じます。ネット上では、「改革」批判派の弁護士に対して、「改革」派からではない弁護士からの、、冷ややかな言説もみられます。

     「もっと(「改革」の影響で)深刻な状況にならないと、この流れは変わらない」と語る「反改革派」の弁護士もいます。これも昨年とほぼ同様の括り方になってしまいますが、その時に弁護士と弁護士会はどうなっているのか、「大きな司法」「大きな弁護士会」を銘打った「改革」の末路が、どういうものになるのか。そのことが一番気がかりです。

     今年も「弁護士観察日記」をお読み頂きありがとうございました。いつもながら皆様から頂戴した貴重なコメントは、大変参考になり、刺激になり、そして助けられました。この場を借りて心から御礼申し上げます。来年も引き続き、よろしくお願い致します。
     皆様、よいお年をお迎え下さい。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

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    伝えない弁護士会の深層

     かつての日弁連・弁護士会は、むしろ今よりもずっとオープンな団体だったのではないか、と思うことが度々あります。これは一般の人の印象とは違うかもしれませんが、有り体にいえば、ある時期から、会内情報が外に出ることに、極端に神経を尖らせるようになった。取材者の立場からいえば、それだけやりにくくなった、ということです。

     もちろん、「出さない」「出ない」から先こそが、取材者の力量や努力にかかっているともいえるわけですが、長年取材してくると、「取れていた」ものが「取れなくなる」「取りずらくなる」ということには、やはり敏感になります。そして、取材を始めた30数年前と比べて、最も日弁連・弁護士会の対応が違うと思えるのは、やはり内部議論の扱いです。

     つまり、最終的な決定がなされるまで、外に情報が出ることを極端に嫌い、また、恐れるようになったということです。それは、執行部の広報に対する姿勢、マスコミ対応ということにとどまらず、会員から情報が流れることを恐れ、一種の「箝口令」が委員会レベルなどで敷かれてしまう現実です。

     情報が漏れて、記事になった場合、出所を探す「犯人探し」が行われる場合もありました。「君に情報を流したあと、犯人探しが厳しくて参っている」などと、会内の取材協力者から言われたこともありましたし、一度だけ取材者本人である私に直接、委員会担当者が「誰にも言わないから、取材源を教えてくれないか」などと持ちかけてきたことがありました。その時は、さすがに取材者としては、随分舐められたものだと感じましたが、同時にその感覚に正直呆れかえったのを覚えています。

     弁護士会として決定事項だけ、外部に流すことの是非については、会内でも賛否意見が分かれるところでしょうし、それも結構なことではないか、と考えている会員も少なくないとは思います。ただ、取材の過程で弁護士会側とさんざんやりとりしてきたことですが、いうまでもなく、決定という議論の結論だけでなく、その経過には伝える「価値」があります。会内にどんな意見があり、どんな議論が起こっているのか、日弁連・弁護士会の執行部がどういう方向に議論を進めようとしているのか。むしろ結論に至る前に、それを知らせる意味があります。

     これに対する、弁護士会主導層の言い分は、ほぼ同じことが繰り返し言われています。つまり、決定前のことが、あたかも日弁連が決定したかのように流れてしまうのがよくない、一旦、そうした情報が独り歩きしてしまうと、後でそれを打ち消すことが困難になってしまう――と。最近、一部ネット上では取り沙汰された、弁護士職務基本規程改定の動きなどをめぐっても、日弁連は会外への情報漏れに神経質になっているといわれ、会員のなかからは、いつもながらの前記したような「上の言い分」で、事実上の「箝口令」が敷かれている、という話が聞こえてきます。

     ただ、この模範解答のようになっている言い分が、いささか苦しいのは、伝えられない対象が、「部外者扱い」されている会外のマスコミ・国民だけではなく、実は会員でもあるという点です。一般会員も、実は十分に知らされていない。今は、ネットがあるので大分変わってきてはいますが、会員間の噂で議論を知るというのは当たり前。会の機関紙・誌は、それこそ結論が中心で、意見が出ていても、全体的に執行部の方針に沿った作りになっている。

     つまり、何が言いたいかと言えば、日弁連・弁護士会が内と外に向けて、堂々と開かれた議論をする「価値」を本気で考えているのであれば、前記言い分は、それほど説得力があるだろうか、ということです。それを上回る守るべき「価値」があるだろうかということを、どうしても考えてしまうのです。

     こうした日弁連・弁護士会の姿勢は、1990年代に司法改革の議論が本格化するほどに、どんどん強まった観があります。ここで、あえて嫌な推測をすれば、日弁連・弁護士会は臆病になったのではないでしょうか。「改革」議論では、「市民サイド」というこれまでの彼らの意識に反し、弁護士・会は強い自省を迫られ、そして、内部にはこれまでに体験したことがない、会を二分する路線対立を抱えることになりました。「オールジャパン」を標榜する「改革」を推進する側に立った弁護士会には、「上からの」といえる、それまでにない執行部主導体制が姿を現し、会内民士主義の在り方も問われました。

     そのなかで、内外からの批判にさらされる環境を極力回避することに神経を使う、政策的政治的な姿勢を取るようになり、その結果、強制加入団体であればこそ、会内民主主義が担保されなければならない弁護士会にあって、およそ似つかわしくない統制的な空気までもが、徐々に蔓延したのではないか――。

     弁護士会の対外的な意見表明と会員個人の思想信条の齟齬というテーマが、強制加入団体の在り方として、弁護士会批判という観点で延々と言われています。弁護士会の意思表明の内容と、会員個人の思想・信条とは別、要は現実の弁護士会にはいろいろな考え方の人間がいる、という結論は間違っておらず、そのうえで弁護士会の意思表明には、やはり存在意義はある、と思います(「弁護士会意思表明がはらむ『危機』」)。

     ただ、前記のような批判が消えない現実を考えたとき、このテーマへの弁護士会の姿勢として、決定事項だけでなく、さまざま意見の存在、対立的な議論(あるいは執行部方針に不都合な意見を含めて)が現に存在していること、要は一枚岩でない現実があるのならば、正直にそれ伝えることもまた、「価値」があることといえないでしょうか。

     弁護士会主導層に、なぜか、そういう発想がみてとれないことに、ある意味、不思議な気持ちがさせられるのです。


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    「給費制」から遠ざかる日弁連

     給費制の廃止後の6年間、無給での司法修習を余儀なくされた元修習生(新65期~70期、事実上、現在弁護士)を指す言葉として、業界内ではほぼ定着した「谷間世代」という表現への違和感を指摘する声が、業界内の一部にはずっとあります。端的に言って、この表現は、給付制が給費制の完全復活ととらえられ、両制度は別物で、71期以降についても、まだ問題が残っているということをイメージさせない、という指摘です。

     前記したような無給時代を強調するうえで、「谷間」という表現には分かりやすさがあります。また、私も、給付制採用を「事実上」と前置きをして給費制の「復活」と表現しましたが、そこには無給状態が通用しなくなった現実の方を強調する意味合いがありました(「『給費制』復活と『通用しない』論」)。

     言い訳がましくなるかもしれませんが、冒頭の違和感にあるような、前後の両制度が別物で、完全復活ではない、ということを当然の前提としていたつもりですし、私は「谷間」という表現を使う、あるいは給費制を知っている多くの弁護士たちの意識としても、当然でそうであると思っていました。つまり、あくまで新制度は元の地平ではない、と。

     それは、給費制の月額20万円が、給付制では13万5000円であるといった、それこそ分かりやすい額の違いがありますが、それだけではなく、言うまでもなく、そもそも支給される意味が違う、ということでもあります。給付制採用は、あくまで志望者減という状況に、無給状態を継続できなくなった、通用しなくなったというだけで、給費制が長く採用されてきた意味が理解されたわけではないのです。

     弁護士は国家事務を行うものとして必ず統一的な司法修習を、他の法曹二者とともに受け、対等に国家に養成されるというそもそもの意味と、そのことが弁護士の意識を公益につなぎとめてきた意義。甘い見方だったかもしれませんが、あれだけ給費制復活を求めた側として、回復すべき失地として、この点へのこだわりが、まだ弁護士会内には残っていると思っていました。

     事業者として民間にある弁護士の私益性を強調し、裁判官、検察官とはっきりと区別する論調、民間強者の職業訓練は自弁といった論調の前に、前記したような給費制の本来的な意義への理解は後方に押しやられました。そこには、長年社会に形成されてきた弁護士という仕事のイメージが、その区別する論調を跳ね返すものになっていなかったという面もあったかもしれません。しかし、これを跳ね返した向こうに、本来の回復すべき給費制の地平があるはずでした。

     このいわゆる「谷間世代」の救済をめぐる、最近の日弁連内の状況には、その回復すべき給費制の地平から、彼らの意識が、さらに遠く離れてしまったという感を強く持たざるを得ません(弁護士坂野真一の公式ブログ「谷間世代給付金案~続報」「谷間世代給付金案~常議員会で討議の報告」)。会費減額案から20万円給付案へ。そこでは同世代の不平等解消や会として一体性などが取り沙汰され、本質的に国の責任と失策を真正面から問うという話にはならない。しかも、そこを会員が捻出するということの是非へのこだわりは希薄である現実。以前も書いたように、この失策の背景にある司法改革については、日弁連は責任があると思うが、それを認めたうえでの話でももちろんありません(「『谷間世代』救済と志望者処遇の視点」)。

     給付制と関連して法務省が出した制度方針の中の「社会還元」に対しても、日弁連の姿勢には危ういものがありましたが(「『給付制』と『社会還元』をめぐる日弁連の印象」)、もはや日弁連自身が強固な「通用しない論」のなかにいて、それを大前提にして、「谷間世代」問題に向き合おうとしているように見えてしまうのです。

     以前、「給費制は二度死んだ」と言った小林正啓弁護士の、ブログでの指摘の重みを改めて感じます。

     「裁判官・検察官であろうが、弁護士であろうが、『国家事務を行うものである』という点において同一である以上、その育成に等しく国費を投じるべきである、というのが、給費制の精神であった。この精神からは、弁護士の職務は裁判官や検察官と違って公益的ではないとか、弁護士だけが職務以外に社会還元活動をやらなければならないとか、いう結論は絶対に、金輪際出てこないのである」
     「もとより私は、給費制復活に費やした日弁連幹部の努力を否定するつもりはない。しかし彼らが、給費制の復活という目先の目標を獲得するために、給費制の精神を自ら放擲したことは、指摘しなければならない。そして、給費制の精神を放擲したことは、統一修習の精神も放擲したことを意味する。同時に、裁判官や検察官と、本質的に同じ仕事をしているのだという、弁護士の矜持をも打ち砕いた」(花水木法律事務所のブログ)

     この本質論が欠けたところで処遇されなかった「谷間世代」に対して、まさに目先の「救済」を模索しているのが、今の日弁連ではないでしょうか。本来問題は、「救済」ではなく、「清算」である、と言った人がいましたが、初めからそうした発想が出てこないのは、まさにこの現実につながっているととれます。

     今の、日弁連は本来の給費制から、遠く離れつつあります。その距離感は統一修習へのこだわりとの間のそれと一致し、まして法曹一元など、もはやさらにそのずっと向こうに離れてしまったと見なければなりません。


    弁護士会の会費についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4822

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    「条件付き賛成」という日弁連の選択

     業界内で既に話題になっていた、政府が検討する、法科大学院の在学中に司法試験の受験を認める方向(「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」)について、早くも日弁連は10月24日の理事会で、これに条件付きで賛成することを決定しました(反対9、棄権6、賛成多数)。会員向けのFAXニュースに掲載された、その条件となる「基本的確認事項」なるものの全文が、弁護士ブログで公開されています(「Schulze BLOG」)。

     詳細はお読み頂ければと思いますが、日弁連はこのなかで、この制度変更が「法科大学院を中核とするプロセスとしての法曹養成の理念を損なうものとならないように関係機関への配慮を求める」とともに、法曹養成制度改革全体について、「法曹志望者の多様性を確保するため、法学未修者、社会人及び地方に居住する法曹志望者への教育上の配慮」を求めたうえで、具体的条件として、概ね以下のような点を列挙しています。

     ① 法科大学院修了を司法試験受験資格とすることの原則維持と、在学中受験の例外的位置付け。
     ② 在学中受験をしない法科大学院修了者への現行受験可能期間の確保。
     ③ 在学中合格者の司法修習について、法科大学院修了の条件化。
     ④ 法科大学院教育の充実維持のための、司法試験実施時期についての配慮。
     ⑤ 在学中受験と受験までの法科大学院教育の整合性確保のための司法試験実施時期を含めた内容の検討。
     ⑥ 予備試験制度の目的と法科大学院の教育内容を踏まえた、予備試験の内容等の検討。

     この「基本的確認事項」は、制度変更を検討する政府に対し、日弁連が前記したような賛成をするための条件を突き付けているという形になっていますが、この内容は同時に、会内の法科大学院擁護派のなかの制度変更反対派に向けられていることを強く印象付けるものとなっています。有り体にいえば、法務省に要請文を提出した「Law未来の会」のような立場からの制度変更反対論を強く意識し、この前提的条件化で在学中受験容認賛成の方向で収めようとしているようにとれるのです。

     以前も書いたように、在学中受験許容という「時短化」策で志望者回復を期待する制度改正に向けられた、この制度擁護派内変更反対派の主張は、法科大学院教育修了を司法試験の受験要件にまでしてきた発想、同制度の「理念は正しい」と強弁してきた立場からすれば、ある意味、当然といっていい真っ当なものといえます。

     今回の日弁連の決定で分かることは、要は100%彼ら「理念」忠実派の意見に乗って、制度変更に反対する立場をとらず、条件付きながら、事実上制度変更の、前記「時短化」による志望者回復に期待する側に立ったということです。「基本的確認事項」は、司法試験の内容に手を付けるということを条件として挙げている点で、最も前記擁護派内反対派側の論調に配慮しているようにもとれますが、この方向を、「『ギャップターム問題の解消』に名を借りて、法科大学院制度を廃止に追い込もうとする『策謀』」といった危機感まで示した前記要請文の論調からすれば、この条件での賛成は相当に温度差があるようにとれます。

     しかし、最大の問題は、この条件の内容そのものにあるといわなければなりません。この内容から、現在の日弁連の配慮は、法科大学院本道主義者の異論には向けられていても、より現実を直視した、本質的な制度の失敗を指摘する声には、全く向けられていないととれるからです。

     そもそも今回の決定で、日弁連はまず、「法科大学院を中核とするプロセスとしての法曹養成の理念」を掲げ、制度維持を一も二もなく前提としているわけですが、「法曹志望者の多様性」の確保が、この制度によって成功していないことを直視しておらず、あくまで制度の問題とは見ていません。「法科大学院修了を司法試験受験資格とすることの原則維持と、在学中受験の例外的位置付け」といっても、それを裏打ちするような実績が果たしてこの制度にあるのか、制度はそこまで胸を張れるのか、という視点も全く抜け落ちています。

     もちろん、いうまでもなく、法科大学院教育の現状を肯定し、「整合性確保」といった表現を持ち出して、司法試験や予備試験の方を、法科大学院教育の現状に合わせよ、というのは、盲目的といいたくなるような、存続が自己目的化した制度擁護論以外の何ものでもありません(「法科大学院制度に『肩入れ』する日弁連の見え方」)

     前記会員向けFAXニュースには、理事会での審議模様を伝える一文が掲載されていますが、その中に、日弁連執行部が今回の決定提案に当たり、「情勢を踏まえて、反対意見だけを表明することは日弁連として適切でないと考え、『十分な対応がされない限りは、容易に賛成できない』との取りまとめとしたい」という説明がなされたことが書かれています。執行部の発想のなかにある「反対意見だけを表明すること」が「適切でない」日弁連とは、どういう存在とみるべきでしょうか。提案型へのこだわる日弁連ということでしょうか。

     この「改革」で、日弁連が本質論でなく、情勢論に傾斜して選択した方針は、果たして良い結果につながったのか(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)――。「改革」の教訓もまた、全く省みられていないという気持ちにさせられます。


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    法科大学院制度に「肩入れ」する日弁連の見え方

     12月1日に日弁連が開催を予定している「司法試験シンポジウム~法科大学院での試験・成績評価との関連を中心に」の内容が、日弁連のホームページに掲載されています。シンポでは法科大学院2年次の時点での学修成果を図る目的の期末試験で、どのような出題形式、分量、内容となっているのかとともに、本年度司法試験の出題形式、分量、内容について分析する、としたうえで、次のように述べています。

     「2年次の成績評価とその後の司法試験の合否との間の相関も分析することを通じて、法科大学院での学修の成果を図るという本来の趣旨に近い司法試験にするには、法律基本科目の学修が終了した時点での法科大学院の学修成果に何を、あるいはどのような内容を加味することが必要なのか、あるいは必要ないのか等、より踏み込んだ検討を行うことも含めて、標記シンポジウムを開催いたします」

     この内容紹介、そしてその内容でのシンポ開催は、法科大学院制度に対する、日弁連の、あるはっきりした方向性を改めて示しているといえます。それは、司法試験合格率で結果を出せない法科大学院サイドから言われている、司法試験を法科大学院の現実的レベルに合せるべきという方向(「新司法試験批判と法科大学院の認識の問題」)に、日弁連が積極的に関与・協力するということにほかなりません。

     それは別の言い方をすれば、一定レベルの修了者を輩出できていない法科大学院側の教育の責任よりも、法科大学院教育の「効果測定」としての現行司法試験の不当性の方を、日弁連は問題視するということです。日弁連は新司法試験開始以来、毎年このシンポで、同試験内容から運営方法まで、その時々の重要課題を取り上げてきていると説明していますから、前記法科大学院サイドからの要求を重視し、まともに向き合おうとしていることは明白です。

     しかし、以前も書いたように、新制度において司法試験が法科大学院教育の「効果測定」の役割を担わされたとはいえ、司法試験には法曹に必要な学識や応用力を判定する目的(司法試験法第1条)があります。資格制度、あるいは法曹養成の本来の役割を考えれば、法科大学院を修了しながら、そのレベルに達していない現実の方を重視し、むしろより関門が厳格に機能することの維持が考えられなければならないはずです。

     ハードルを乗り越えられる選手の養成の在り方を問うのではなく、資格試験でありながら、選手の実力に合わせてハードルを下げる――それに日弁連は加担しようとしていることになります。あえていえば、ハードルを下げなければ、延々と合格率をアップできない、これからも修了者の多くがハードルを越えてこれない、さらにいえば、その現実を抱えて生徒を呼び集められない、という法科大学院制度の実力を、十分に分かったうえで、あるいは見切ったうえでの、加担・協力のようにとられても仕方がないように思います。

     なぜ、そこまで日弁連は、この制度死守に肩入れするのでしょうか。昨年度の同シンポでも、司法試験合格後2~3年程度のモニターに司法試験論文問題を解いてもらい、司法試験の出題について法科大学院での学修の成果を確認するといったアプローチを試みており、弁護士らがかかわる法科大学院「応援団」といっていい、「Law未来の会」周辺の発想と、被って見えます。

     個人的なかかわりでのステークホルダ化から、同会のような「改革」理念心酔派まで、さまざまな肩入れの背景がいわれていますが、すべて現実的な制度の失敗も、その実力も分かったうえで、上げた手を下ろせない「改革」に日弁連が付き合っているのではないか、という見方をし始めている弁護士は、増えているという印象を持っています。

     この問題を自身のブログで取り上げた坂野真一弁護士は、それを次のような一文で締め括っています。

     「どうしてそのような、ド厚かましい法科大学院側に日弁連が尻尾を振って協力する必要があるのか。失敗には誰にでもあるが、失敗を失敗と認められずに現状を維持し続けることはさらに傷を大きくすることであって、賢い選択ではない。いくら導入に賛同してしまったからとはいえ、日弁連も、早く目を覚まして欲しいと思ったりするのである」(「日弁連は、もう、法科大学院とつるむな」)

     制度存続が自己目的化した方向に肩入れする日弁連の行動について、むしろ私たちは、法曹養成について、今、日弁連が本来、やるべきことをやっていないことの方にこだわった目線を持つべきです。 


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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