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    日弁連の「改革」の発想と会員の「犠牲」

     日弁連の「改革」史観に貫かれた代表的な一冊として、以前取り上げたことがある、2007年に朝日新聞社から出版された「司法改革――日弁連の長く困難なたたかい」(「日弁連『改革』史観の神髄」)。2002年4月から2年間、本林徹・日弁連会長の執行部で事務総長を務めた大川真郎弁護士によって記されたこの本の巻頭の言葉には、こんな下りがあります。

     「日弁連は、『市民のための司法』を真っ先に提唱し、その実現の牽引車となったといってよい。この間、さまざまな困難をかかえ、きびしい道のりを歩んだ。しかも、その結果、すべて日弁連の望みとおりの改革ができたわけではないだけでなく、すべての弁護士を厳しい状況にも置くことにもなった」

     サブタイトルからも分かるように、「市民のため」の「改革」に日弁連がどれだけ汗をかいてきたのかを、当時の会内「改革」主導層弁護士らの証言を中心にまとめた本書のなかにあって、この引用の最後の下りだけが、ほとんど唯一異なる視点のような印象を与えます。つまり、日弁連が提唱した「改革」が、「すべての弁護士を厳しい状況に置くこと」に、いわば巻き込んだという認識と責任につながる部分だからです。

     もちろん、「巻き込んだ」などと書けば、そうではない、という反論が直ちに返って来ることも想像できます。つまり、「市民のため」の「改革」に突き進むことは、日弁連の意思決定機関を経て、会員の総意で選択され、多くの会員が主体的にこれに関与したのだと。しかし、「すべての弁護士を厳しい状況に置くこと」へのコンセンサスの問題だけではなく、むしろ今、日弁連内に広がってきているのは、会員の「厳しい状況」に対して日弁連主導層がどこまでの認識を持ち、具体的に何をしようとしているのか、への疑問や不満のように見えるのです。

     あるいは日弁連の「改革」路線に「巻き込まれた」という認識よりも、「改革」後にこの世界に来た多くの弁護士からすれば、強制加入団体として、現状に対して何をしてくれるのか、日弁連の選択が会員の犠牲のうえに行われるのであれば、その「価値」こそが、高い会費を投入している会員の関心事になって当然の状況なのです。少なくとも前掲書に書かれている「市民のため」の「改革」の正当性で、あるいは日弁連の会員の「犠牲」のうえにやってきた闘いの歴史で、日弁連のあり方がこれからもこれまでのように維持できる状況にはない、という認識が、果たして会主導層にどこまであるのかが、まさに今、問われているというべきなのです。

     坂野真一弁護士が最近の自身のブログで、次のような的確な分析をしています。

     「弁護士会は人権擁護のために必要があると考えた場合、採算度外視、会員の負担無視、で突進してしまう傾向にあるように思われる。結果的にはそのための費用は会員である弁護士の負担に帰してしまうのだが、執行部の方は、とにかく人権擁護が先にあるようで、会員の負担をどこまで真剣に考えているのか、私には見えない場合も多いのだ」
     「弁護士会の執行部の方は、人権擁護に必要なら、人に知られなくても歯を食いしばって弁護士が頑張っていれば、いずれ制度が変わり国費が支出されるなどして、救われる必要のある方が救われるようになると、未だに考えていると思われる」
     「マスコミのいうように弁護士も自由競争社会で、どんどん競争すべきというのなら、利益を上げられない者は退場せざるを得ないから、経済的利得を重視しろということだろう。だとすれば、経済的にペイしない事件は扱わないことが時代の流れに沿う、ということになってしまうのではなかろうか。それが望ましいかは別として、国民の皆様が、弁護士の自由競争を望むのなら、弁護士としても経済的利得を重視せざるを得ず、仮に儲け最優先主義を取る弁護士がいてもそれを国民の皆様から非難されるいわれは、全くないということになろう」
     「確かに弁護士が全般的に余裕があるのであれば、執行部のいうような『弁護士が歯を食いしばって・・・・』といような牧歌的な発想があっても良いかもしれないが、既に現実はそんなに甘いものではなくなっていると私は思う」

     坂野弁護士がいう、「人権擁護」のためならば会員の負担度外視で突進、というのは、「改革」以前からの、ある種の「気質」「体質」として存在していた、ともいえます。自己犠牲のうえに「頑張っていれば」という発想は、かつて法律扶助に深くかかわっていた弁護士たちから、自分たちが支えているという自負の響きをもって聞かれたことでもありました。

     そして、弁護士が身を切るものとして打ち上げられ、弁護士会の内側に自覚を迫った「中坊路線」といわれる「改革」で日弁連は、この「気質」「体質」のうえに突進した、というべきです。しかし、増員政策は需要を決定的に見誤っただけでなく、それを後押しした自由競争の発想は、坂野弁護士が指摘するように、前記した現会員たちの問題意識につながる、日弁連の従来の発想を成り立たせない深刻な状況を日弁連自身に突き付けた、というべきです。

     有り体にいえば、坂野弁護士が言う通り、もし、「改革」が弁護士にこれまでよりも自由競争社会での生き方を求めたのであれば、弁護士は当然、経済的利得と採算性に、よりこだわらなければならず、それはより「改革」でも強調されてきた、これまでの日弁連の発想が通用しにくくなることを意味する。仮に国民がそれを求めるのであれば、「市民のため」でそれを無視して突破することもできない――。

     最近の個々の会員の日弁連・弁護士会に対する要求や問題意識が、より業務に直結するテーマになりつつあり、それが逆に執行部への疑問や不満の根底にある、という見方があるのも、これを考えれば当然ということになります。

     もっとも、坂野弁護士も仮定の話として書いていますが、この形を「国民が望んだ」ものといえるのかは疑わしいといわなければなりません。いうまでもなく、この先、弁護士が経済的な余裕がなくなり、より採算性で行動しなければ生きられない時代が到来するなどということを、当時「改革」を唱道した、それこそ前掲書に登場するような人々が、社会にアピールしたわけではないからです。

     弁護士がそのように変質するくらいならば、経済的余裕が担保されている方に安心感を見出す人がいてもおかしくありません。増えれば良質化や低額化がおきる、競争は市民に利をもたらす、という、いいことづくめの「改革」のメリットだけか喧伝されたのではなかったでしょうか。逆にいえば、弁護士がこれまでのような「気質」「体質」、会員の「犠牲的」な発想を伴いながら、弁護士法1条に忠実な団体であろうとするのであれば、それを許す会員の環境を根底か破壊する、非常に不都合な「改革」を日弁連・弁護士会は受け入れたことになります。

     「市民が求めている」ということも、「改革」の常とう句のようにいわれてきたことですが、本当は何を求めていたのかということが改めて問われていいはずなのです。

     問題は、これらのことに今の会主導層がどこまで気付いているのか、あるいはどこまで気付いていて無視しているのかということです。

     前掲書のあとがきで、大川弁護士はこう結んでいます。

     「しかし、いかにきびしい状況になろうとも、日弁連は、市民の期待にこたえ、『市民のための司法』の実現に向かって進みつづけるものと思われる」

     この本の狙いからすれば、あるいはとても座りのいい結びの一文といえるかもしれません。しかし、この発想が今も変わらず、かつ、会員に向けて通用するものととらえているようにとれる日弁連・弁護士会主導層の姿勢をみると、やはり坂野弁護士が言うように、「牧歌的な発想」という言葉を当てはめたくなるのです。


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    弁護士職務基本規程をめぐる思惑と懸念

     かつて存在した「弁護士倫理」が、2004年に「弁護士職務基本規程」にとって代わり、そして現在に至るまで、これらに関する弁護士会内の問題意識には、大きく分けて、常に二つのものが存在してきたといえます。一つは、この存在について、あくまで弁護士(会)の社会的責任を重く見て、より弁護士を具体的に律し、拘束する方向を中心にとらえるべきとするもの。そして、もう一つは、こうした規範を弁護士会自らが設定した場合、権力に対抗している弁護士側が、それを権力側に不当に利用されたり、また民亊においても相手側からの懲戒請求の濫用につながったりする方を懸念し、慎重にとらえるべきとするもの、です。

     そもそも「職務基本規程」は、厳密には「倫理」ではありません。会規として制定された同規程には、強制力があり、違反すれば懲戒対象になる。2004年の制定に至る議論でも、この点に後者の立場からの強い懸念が示されました。まさに倫理としての、外面的強制を伴わない内面的な規範であった「弁護士倫理」の同規程への衣替えは、弁護士の行動を「倫理」の社会的宣明と個々の自制だけで支えていた時代の終焉、むしろその断念を意味したようにとれました。有り体にいえば、後者の懸念を乗り越えて、自制に頼れない現実を自省的に受けとめる方向が選択されてきたことになります(「『弁護士倫理』という原点」)。

     「職務基本規程」に後者の懸念が全く意識されていないかといえば、もちろんそういうわけでもありません。同規程を見ると、一般的に「こんな当たり前のことまで」と言いたくなるような内容の条文の多さとともに、その条文末尾が「ならない」だけでなく「努める」となっているものの多さにも気付かされます。行為規範を広く、細かく盛り込もうとするあまり、そのレベルは低く設定され、そして前記懸念を緩和するために努力義務化が行われたことを意味しています。

     しかし、その結果として、同規程は、そもそも「倫理」にあったような「弁護士はこうした職業倫理を有しています」という社会的宣明のトーンは下がり、逆に「弁護士はこんなことまで条文化しないと守れない」といった印象の方が強く出てしまっているようにとれます。

     もっとも前者の立場からすれば、それも分かった上での選択といえるかもしれません。なぜならば、この同規程の性格は、規範としての効果を期待するものであると同時に、(不祥事背対策全般にいえることではありますが)弁護士会の姿勢としての「努力」の宣明、要は「やるべきことはやっている」というアピールの面が強く存在しているからです。そこまでやらなければならないくらい、問題弁護士が存在しているという危機感があるという自覚を、形として示すということ。結局、そのためには、後者のような会員の懸念も乗り越える、という選択であるととれるのです(「『建て前』としての不祥事対策の伝わり方」)。

     そして、もう一つ、押さえておくべくなのは、司法改革との関係です。日弁連が前記2004年「職務基本規程」への改定作業を進めた直接のきっかけとなったのは、2001年の司法制度改革審議会意見書での指摘とされています。同意見書は、「国民と司法の接点を担う弁護士の職務の質を確保、向上させることは、弁護士の職務の質に対する国民の信頼を強化し、ひいては司法(法曹)全体に対する国民の信頼を確固たるものにするために必要であり、これにより国民がより充実した法的サービスを享受できるようになる」とし、その見地から「弁護士倫理の徹底・向上」のための、同倫理の整備を弁護士会に求めました。

     そこには、当時の弁護士会会員の認識としても、今後の急激な弁護士急増の影響への懸念がありました。増えたら増えた分だけ不祥事は増えるのではないか、という懸念。しかし、それを弁護士会として当然視するわけにはいかない。現実は懸念通りになったといえますが、現に存在する問題弁護士への目線だけでなく、増員政策を受け入れた「改革」路線の旗を振る側として、「やるべきことはやっている」をアピールすべきという動機付けが日弁連にはあったというべきです(「懲戒請求件数・処分数の隔たりと『含有率』という問題」)

     しかし、この建て前論も含めた規範的性格強化の立場と、具体的弁護士業務への影響を懸念する立場の会内世論のバランスにも変化が表れているようにみえます。現在、にわかに弁護士会内で注目されいる新たな「弁護士職務基本規程」改正の動きへの反応を見ても、後者の立場では、以前のような権力介入よりも、増員弁護士時代の依頼者の現実を踏まえた(「『望ましくない顧客』を登場させたもの」)、具体的業務の支障になるクレームへの懸念の方が強く生まれています(「弁護士職務基本規程改正に関するQ&A」 「共同アピールの賛同の呼びかけについて 特設ページ」)。

      例えば、特に注目されている法令違反行使避止義務(説得義務)の新設(同規程14条の2)。弁護士は、受任した事件に関して、依頼者が法令に違反する行為を行うか、行おうとしていることを知ったときは、その依頼者にその行為が法令に違反することを説明し、やめるように説得を試みなければならない、というものです。既に同条では、弁護士が不正行為を助長したり、それを利用することを禁じていますが、改正案ではさらに進めて、やめるよう説得する義務を課すというものです。

     一般の人がみれば、あるいはそのどこがそんなに問題なのかという気持ちになるかもしれません。しかし、単に手間の問題だけでなく、多くの弁護士の感覚からすれば、これはまさに言いがかりのような、クレームリスクの拡大を懸念させます。債務整理の依頼者に相手への返済を説得することや、残業代請求をされ依頼会社に、従業員への支払いを説得することまでの義務を、この規程のなかで課せば、当然にここが逆の立場からは攻撃ターゲットとして利用され、言いがかりのような懲戒請求濫用につながりかねない、ということなのです。

     なぜ、こうした会員がリスクを負うような、そして、それによって弁護士の活動が委縮しかねないような改正が、今、日弁連で検討されているのかにはよく分からない部分もありますが、前出Q&Aに書かれているのを見ても、前記規範的性格強化派の建て前論は基本的に変わっていない、という印象を持ちます。しかし、問題は「改革」が描いた絵も、それを支える弁護士の状況についても、完全に裏目に出た現在、その建て前がこれからも会員に通用するのかどうか。その感性が弁護士会主導層に今、問われているような気がしてなりません。


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    問われる弁護士会主導層の現実感

     弁護士会活動や自治というテーマについての、会主導層の姿勢の中に、しばしば、ある共通した違和感を感じることがあります。それは、言ってみれば、会員に理解を求めるという一方的なアプローチばかりが目につき、その姿勢の中に、会員の現状を理解するとか、会員の声を踏まえるという発想が希薄なことへの違和感です。

     こう書けば、それは弁護士会の会内民主主義の問題とも括れそうですが、それもさることながら、それ以前に、彼らはまるで思い込みのように、常にある前提に立っている。つまり、会員は本質的に「理解する(している)」と。弁護士会活動や自治の重要性は、会員は分かっているはず。分かっていればこそ、他の要素を排しても、基本的に弁護士会の主張を、「理解する」道を選択し、支持するはずであると。

     時に、まるで「弁護士たるもの」という前置きを付けそうな断定調の、その前提を踏まえた切り口には、それが会員から、もはやよそよそしいものにとられる、あるいはとられている、という懸念が、全く感じられません。前記テーマについて弁護士会は、常に市民の理解あるいは信頼を生命線のように語ってきましたが、「自治」である以上、それを支える会員の理解もまた、生命線であっておかしくないはずです。

     当ブログのコメント欄でも一部紹介されていましたが、東京弁護士会の機関誌「LIBRA」7月号に掲載された、同弁護士会前年度会長である安井規雄弁護士のインタビュー記事が、一部ネット上でも話題になっています。このなかにも同弁護士個人の発想にとどまらない、まさに前記した違和感につながる、典型的な会主導層の発想ととれるものが登場してきます。

     「── 弁護士会の活動には無駄が多いと感じますが、いかがでしょうか。
      そういう指摘はあると思います。我々弁護士の使命からしますと、自分の事務所を経営できればいい、ということだけではないと思います。すなわち弁護士には、国民の基本的人権を守り、社会正義を実現するという使命があります。それがほかの団体との大きな違いでもあるのではないかと思います。 誇りを持って、我々はこの使命をもっと自覚する必要があると思います」
     「──現在,弁護士を取り巻く経済環境が厳しくなってる中で、いろいろな活動(たとえば、憲法改正反対運動など)に会費を使っていてもよいのかと疑問を感じる会員も少なくないのではないかと思いますが。
     たしかに、そういう指摘はあります。もっと我々の業務拡大のためにお金を使ってもらいたいという話に行きがちかもしれません。考えはいろいろあると思いますが、憲法改正が恒久平和主義や立憲主義に反する方向に向かった場合、国民の平和な生活はどうなるのか。国民の基本的人権を擁護し、社会正義を実現するとの弁護士の使命からして、国民に問題点を指摘していくという公的活動は大事だと思います」
     「──弁護士会の会務活動に無関心という会員も少なくないと思います。特に近時は、弁護士を取り巻く経済環境が厳しくなっておりますので、会務活動にエネルギーを割く余裕のない会員も少なくないと思います。今後ますます会務活動離れが進んで、いずれ弁護士自治が成り立たなくなる日が訪れるのではないかとも思いますが。
     そういう指摘はずっと昔からありますね。ただ、私が思うには、一日24時間あるわけですね。24時間でも使えるのは12時間ぐらいかもしれません。それを100%としますと、7割もしくは8割ぐらいは自分の仕事やプライベートな時間にあてて、残りの2割、3割ぐらいを弁護士会の活動にシェアしてもよいのではないかと思います。 弁護士は、国民の基本的人権を守り、社会正義を実現するんだという崇高なミッション(使命)を負っており、このことから、弁護士自治を与えられているわけです。そういうことから考えると、会務活動に時間を費やすことは大事なことと思います」

     この質問者は、ある種の問題意識を持って質問している印象を持ちます。しかし、それに対して前年度会長の口から繰り返し出てくるのは、「使命」ということです。質問で振られている、会員の現実的な問題について、それは弁護士の本来的な「使命」への自覚によって乗り越えよ、と。逆にいえば、前年度会長の立場からすれば、それで会員が理解する、あるいは「なんとかなる」という前提に立っているととれてしまいます。

     これが会員側の無理解を前提とした、メッセージであるとすれば、それ自体が会員の現実を理解していない、ということになるかもしれません。いうまでもなく、観念的には多くの会員は、「使命」も弁護士自治も、その重要性は理解していると思うからです。そうではなく、それらのコストやメリットについて、会員がそれこそ真剣に、深刻に考えなければならなくなっている。その前提が、この回答にはないのです。仕事とプライベートを差し引いた残りの2割、3割とか、「崇高なミッション」だからとか、どれも「やろうと思えばできるはずじゃないか」といっているようにとれてしまいます。質問者のいう危機感とその現実要認識の前提とは全くかみ合わず、それらはもはや有効な回答になっていないといわざるを得ません。

     前年度会長個人の見識を問うたり、その発言の揚げ足を取りたいのではありません。繰り返しますが、ここに私がみてきたた弁護士会主導層に共通する姿勢が見て取れるということを言いたいのです。

     なぜ、彼らは、ある意味、平然と、こういうスタンスをとれるのでしょうか。やはり決定的に彼らが無視しているのは、「改革」の影響といわなければなりません。増員政策の失敗による弁護士の経済環境の激変。それが実は弁護士と弁護士会の関係も変えている現実です。コストとメリットを一切考えず、弁護士会活動と自治を認める、余裕も寛容さも、多くの弁護士の「改革」のもたらした状況のなかでは失われている(「弁護士会費『納得の仕方』から見えてくるもの」)。

     かつてのように、「使命」を掲げるだけで、たとえ積極的に会活動に参加しなかったり、必ずしもそれに賛同しない人も含めて、会員が許容し、承認した関係。主導層はあくまでそのころの発想で、「なんとかなる」と言っているようにみえますが、それはとりもなおさず、「改革」の失敗を直視せず、依然、かつてのような発想が成り立つ弁護士の状況を、この先に描こうとしていることを意味します。

     「改革」路線に反対し、すぐさまこの弁護士の供給過剰状態を解消すべきとする会員に対しても、また、そうではなく、「改革」がもたらした競争状況のなかで、それを前提として、もはや会の存在意義を正面から問うべきだとする会員に対しても、前記したような会主導層の姿勢は、よそよそしいものになりつつあるのではないでしょうか。いずれにしても、会員の利益に、もっと向き合わない限り、弁護士の使命達成も、志望者の回復もなく、自治の維持もますます困難になる、ところに弁護士会は来ている。その認識に立てるかどうかが問われているのです。(「『弁護士自治』会員不満への向き合い方」 「『新弁護士会設立構想』ツイッターが意味するもの」)。  

     「現状を理解しているかどうかの問題ではなく、理解するつもりがあるかどうかの問題ではないか」。弁護士会主導層の現実について、こう語った人がいました。前記インタビューにもあるように、「指摘」は重々分かっている。分かったうえで言っているというのであれば、少なくとも引用した最後の質問者の未来予想図は、より現実的なものとしてとらえなければならないはずです。


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    若手「自己責任論」が覆い隠すもの

     先日の日弁連臨時総会で取り上げられた「谷間世代」問題(「『谷間世代』支援を決めた日弁連臨総の欠落感」)を含めて、現状に苦悩している若手弁護士に対して、「自己責任」という言葉をあてがう人たちが業界内外にいます。「改革」後の、弁護士界の状況、給費制廃止の影響や増員政策による経済的な異変を、彼ら若手弁護士たちは知ることができた。知ったうえで、この世界に来たし、今、現在、この世界にいるのではないか、と。

     要するに、覚悟を決めろ、自分で決めた(決めている)道なのだから、あれこれ言うな、嫌なら辞めろ、甘えるな、という話になります。こうした主張は、現実的に考えると、しばしばある種の思考停止を導くことを伴った、「説得力」を持ってしまいます。つまり、現在の意識の問題として、「誤っている」という前提に立つことで、その余を判断するまでもなく、アウトという話です。

     もちろん、情報収集や選択は、個人の努力、意欲、能力に関わり、その結果が、現在の彼らの立ち位置に繋がっているとはいえます。そして、当ブログのコメントにもあったように、このこと自体は、「改革」後に生まれた彼らに限ったことではない。かつてこの世界を目指した志望者だって、きちっと現状を認識したうえで進路を選択したかもしれないし、それができた彼らが、この「改革」後の人間であれば、「ちゃんと」この道を選択していないかもしれない。

     こういう捉え方は、あるいは冒頭の若手に浴びせられる自己責任論を、補強するものになるかもしれません。しかし、仮にこれが彼らが背負わされる自己責任論として、一定の「説得力」を持つことがあったとしても、どうしてもこれでは割り切れない問題が残っているといわなければなりません。それは、いうまでもないことですが、この状況を作った「改革」の評価やその責任について、これは何の「説得力」も持ち得ない、いわば別次元の話であるということです。

     つまり、これ自体が「改革」が生んだ望ましい形なのか、どうか。あるいは「谷間世代」の背負う格差も含め、それが望ましい「改革」のための、望ましい「犠牲」なのかという点です。仮に、「改革」の結果として、苦悩する若手が、前記自己責任を真摯に受け止めて沈黙したとしても、あるいは自らが「改革」の増員政策の枠の中で生まれ、「改革」によって誕生した法科大学院によって生み出されたという事実によって、発言の適格性そのものに躊躇を覚えたとしても、そのテーマは消えないということです。

     しかも、彼らの諦念を引き出すような自己責任論が、この「改革」に同意し、旗を振った側から発せられるとすれば、それはどうとらえるべきでしょうか。若手の諦念と躊躇のうえに、「改革」の評価と責任から目を逸らさせるため、つまり前記思考停止そのものが目的ではないか、ということも疑わなければならなくなるのです。

     若手が自己責任として甘受すべきかどうかと、結果的により甘受することを強いることになった「改革」の妥当性。前者に対する彼らの自覚で、「改革」を正当化しきれない、という関係は、若手に限らず既存の弁護士が、増員時代の状況や止まらない「改革」と作ってしまった制度への諦念によって、生き残りを模索した(できた)としても、それだけで「改革」の評価につなげられないのと同じです。これは一体何がいいのか。これを彼らの犠牲だとすれば、それに見合う「成果物」を社会は受け取っているのか――。そこがスル―されかねない、決定的な危うさがあるというべきです。

     別次元とあえて書いていますが、それは自己責任では片付けられないという意味ではあっても、これは本質的には原因と結果の関係にあります。「谷間世代」への救済を決定した、前記日弁連臨時総会でも、出席会員からそもそもの原因である給費制廃止につながった増員政策を、日弁連は転換する意向があるかが問われましたが、執行部はあっさり「別問題」と切り捨てました。そうしなければ、責任の問題、そしてその犠牲によって何が得られているのかという「改革」の評価に踏み込まなければならなくなるのは明らかだからです。

     つまり、「谷間世代」が20万円という日弁連の「誠意」に納得し、いまや多数を占めている「改革」論議や経緯を知らない「改革」後世代の会員が、諦念と躊躇のもとに沈黙するなかで、「改革」世代が責任を問われることなく、先の見えない「改革」路線が大きく変更されることなく続くこと。これがいまや、弁護士会主導層にとっての、望ましい形なのではないか、と言いたくなるのです。

     その過程では、当然、期待を未来につなげる話が繰り返されます。弁護士のニーズは、増員政策と弁護士たちの工夫と努力の先に、いつか顕在化して、増員弁護士を経済的に支えるはず、今、進められている法曹養成制度の変更も、やがて志望者回復につながり、弁護士の経済的魅力もやがて回復し、法曹界の適材確保につながる。要は、明るい未来が来る、今は厳しいが、いずれ「改革」が正しかった、と評価される日が来るのだ、と。

     思えば、冒頭の自己責任論にしても、自ら志望した若手の姿勢を批判できるほど、正しい情報を提供していたのか、有り体にいえば、いいことばかりを切りぬいて、本来それこそのちのち責任が問われていいはずの、甘い見通しが垂れ流されていなかったのか、という問題だってあります。もっともいまや詐欺的といわれている法科大学院修了者の司法試験合格率についての、当初の触れこみ(「7、8割程度」合格)にしても、「実現不可能を見抜けたはず」と期待した志望者の見識をなじる意見もあったくらいですから、自己責任とは本当に、一方に都合のいい使われ方をされるものです(「『資格商法』とされた法科大学院制度」 編集長コラム「『飛耳長目』~ジャーナリスト解放と日本の『自己責任』論の正体」)。

     しかし、そのこともさることながら、こうした自己責任論によって、「改革」の結果を直視しない姿勢は、これからこの世界を目指そうとする志望者には、もちろん何の「説得力」はなく、それを見切った彼らを、より遠ざけるものにしかなっていない。そして、「改革」を肯定するために繰り出された、未来に期待をつなぐ言葉によって、見切れなかった志望者には、新たな自己責任論と悲劇が待ち受ける――。この「改革」の現実と推進派の姿勢には、やはり二重三重の罪深さを見てしまいます。


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    「谷間世代」支援を決めた日弁連臨総の欠落感

     給費制廃止という失策によって、新たな給付制導入までの6年間、無給を余儀なくされた、いわゆる「谷間世代」会員(司法修習新65期~70期、対象人員約1万1000人のうち、約9700人)について、20万円を支給する支援策を、日弁連が3月1日の臨時総会で、圧倒的賛成多数で可決しました。

     この間の貸与額約300万円の6.7%に過ぎない支給額の少なさという論点。会場の同世代会員から「馬鹿にしているのか」という声が出る一方で、「それでも有り難い」という評価があり、また、日弁連次期繰越金の約44億円の半分近くに当たる20億円をこれに投入するという、日弁連始まって以来の「英断」も評価の対象になりました。登録期間を満たさない会員への例外措置検討を盛り込んだ付帯決議案を執行部が受け入れた点にも、同世代の一部から感謝の声が出されました。

     そして、これでこの問題は幕引きか、という、もう一つの論点。「谷間世代」の経済問題の是正策について、今後も国に対して働きかけをしていくということを、執行部が提案理由でも、答弁でも一応明言したことで、これとさらなる会内施策の可能性を念押しするために、会員が用意していた付帯決議案は、提案されませんでした。

     要するに、全体的にみれば、この問題で現実的に今、日弁連は、できるだけのことをやろうとしている、ということを、執行部が「谷間世代に寄り添う」などという言葉とともに、会員に理解を求め、総会に参加した同世代の一部を含めた会員の多数が、これを評価、了承した、という格好です。

     しかし、結論からいうと、この日弁連の方針決定には、残念ながら、本質的な議論が全く反映していない。報道席から見ていた当日の議論は、むしろ、その本質にもはや踏み込むことができなくなっている、日弁連の今日の姿を強く印象付けるものだったといわなければなりません。

     その欠落した本質的議論とは、大きく2点です。一つは「給費制存続」運動とは、一体何だったのか、ということです。日弁連が反対したものの実現してしまった同制度廃止によって、「谷間世代」の格差は生まれ、かつ、新たな給付制そのものが、その失策の証明でありながら、いまだ失地回復の方向は見えないという現実。そして、さらにいえば、「給費制存続」は、弁護士が他の法曹二者とともに、対等に国家に養成されるという意味と、そのことが弁護士の意識を公益につなぎとめてきた意義のもとに主張されたはず、ということ。

     ここを踏まえないまま、日弁連がこの独自の支援策に踏み込むということへの意味をどう考えるのか、ということです。いかに「谷間世代にできるだけのことを」といっても、ここの整合性をどう踏まえているのかを明らかにしなければ、一部会員の懸念通り、これは「終わり」を意味し、また、そうとられることを許すものになりかねない。つまり有り体に言えば、「給費制」とその存続運動の正当性、その廃止が失策であったことを、いまこそ日弁連として確認したうえで先に進むべきだったのではないか、ということです(「『給費制』から遠ざかる日弁連」 「『谷間世代』救済と志望者処遇の視点」)。

     この方針の提案理由には、はっきりと「法曹は社会のインフラであるから、国には公費で法曹を養成する責務がある」と書かれています。しかし、「給費制」の文字は、経緯を説明した1箇所にしか出てきませんし、その国の責務という主張を裏打ちするような「給費制」復活の必要性をいうものは、この提案理由の中にも、当日の執行部の姿勢のなかにもありませんでした。

     この問題を国会議員に訴える院内集会に顔を見せないことを指摘された菊地裕太郎会長は、自分が出るタイミングではないとし、その理由のなかで、この問題に消極的な国会のムードを強調し、「働きかけを粘り強く継続」という前記提案理由の表現とは裏腹に、終始、腰の引けた姿勢を示しました。「無理なことは言えない」という敗北主義ともとれる姿勢には、執行部の姿勢だけでなく、それに対する会場の反応も含めて、正直、これがあの「給費制存続」運動をやった同じ団体なのか、という印象も持ちました。

     そして、もう一つ欠落していたのは、弁護士激増政策という「改革」に対する議論です。いうまでもなく、「谷間世代」を生み出した給費制廃止につながった、根本的な原因がどこにあるのか、という問いかけです。増員政策の実現を支える存在としての法科大学院制度の予算。その制約につながる給費制の存続は、増員へのブレーキになるという「改革」路線の描き方がありました。そして、その問いかけは一方で、その「改革」の旗を共に振り、そして現在においても、その路線を転換する姿勢に舵を切れない、日弁連の責任をどう自覚すべきなのか、という問いかけにもなります。

     臨総当日の質疑でも意見でも、こういう主張は出席者からも出されました。しかし、執行部側は答弁でも、増員政策は「谷間世代」の問題とは別問題と切り離し、その一方で、新たな給付制が「谷間世代」に遡及させる形にならなかった点へのこだわりさえも示されませんでした。そして、前記欠落点に対する会員の疑問への、多くの出席会員の関心もまた、希薄であるようにとれたのです。

     もはや、自ら進めた運動を、これからの活動との整合性を含めて総括できず、かつ、事態の根本的な原因を問い、それにかかわった、これまでの自らの活動を反省することもできない――。「谷間世代」への現実的な救済としての、「できるだけのこと」という方針決定の陰で、「給費制」を含めた「改革」に対して、今の日弁連は、本当に「できるだけのこと」をやろうとする、あるいはやれる団体なのかということを、残念ながら、今回の臨総からは思わずにいられません。 


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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