会長選最低投票率更新が示す日弁連の現実

     2月9日に行われた日弁連会長選挙の投票で、東京弁護士会所属の菊地裕太郎氏が、同会所属の武内更一氏を破り、次期会長に当選しました。同日現在の開票結果仮集計によれば、菊地氏の得票数は、武内氏に1万票以上差をつけた1万3005票で、過去最多での当選となりますが、会員数の増加で選挙人数そのものが増え、過去2回の選挙で当選者の得票は過去最多を更新しています。前回2016年選挙から選挙人数は約2400人増え、前回当選の中本和洋氏の得票数から菊地氏は700票上乗せしていますが、選挙人数に占める得票数の割合でみると、菊地氏は、中本氏の32.9%とほぼ同率の32.7%という結果です(2014年当選の村越進氏は33.6%)。

     際立っているのは、やはり40.8%という投票率の低さです。1981年の谷川八郎会長辞任に伴う補欠選挙を除く、通常の会長選挙では過去最低。前々回2014年の46.6%から最低を更新し、史上2番目に低かった前回2016年から6.4ポイント下げています。また、各単位会別にみると、前々回30会、前回28会あった投票率50%を超える会が、今回16会とほぼ半減。逆に30%未満の会は前回の3会から11会に増えています。今回、会員は会長選挙からさらに遠のいたととれます。

     選挙の構図そのものは、過去20年にわたり日弁連会長選挙で展開されてきた、「主流派」といわれる「改革」路線のうえの執行部方針を継承する陣営と、反「改革」路線の反執行部派の闘いとみることはできます。その構図でみれば、反「改革」派陣営から前々回2014年に継いで二度目の出馬となった武内氏は、同年から選挙人数が約5000人増えながら、得票数を1300票余り減らしました。

     2008年の選挙で7000票余り獲得して、当選した「主流派」候補に2300差に迫った反「改革」派の高山俊吉氏が、8年4期ぶりに出馬した前回2016年選挙では伸び悩み、4900票余りにとどまったことからみても、同派が従来の支持票を固め切れず、かつ、それを埋めるような新たな票の上乗せも出来ていない状況がみてとれます。最多得票会でみても、高山氏が前回、埼玉、千葉、栃木、岩手で最多を押さえたのに対して、今回武内氏は同氏が2014年の出馬で最多だった千葉でも勝ちきることができず、全会で菊地氏の最多票を許す形になっています。

     また、反「改革」スタンスでは、高山・武内陣営とは一致しないながら、反執行部の票を集め、前記過去20年の会長選で唯一、「主流派」候補を破った2010年選挙(再投票)での宇都宮健児氏の約9700票、破れたものの再投票・再選挙まで持ち込んだ同氏7600票余りの獲得票を見ても、日弁連会長選挙での「改革」路線を挟んだ会員票の流れの潮目が、決定的に変わったことがうかがえます。

     今回の選挙については、前記対立の構図とは、別の観点を押さえておく必要があります。この選挙で主張された、大きな政策の柱でみると、菊地氏は「憲法の根本規範を護る」「公正・公平な人権尊重の社会」「弁護士業務基盤を確かなものにする」「貸与制世代への対応」「災害対策・被災者支援」「刑事・民事の司法改革の推進」「法曹養成制度」「弁護士自治を堅持」、武内氏は「9条改憲反対・戦争阻止」「権力と対決のための弁護士自治堅持」「弁護士貧困化攻撃をはね返す」「刑事司法改悪に反対」「白紙委任状による総会支配阻止」。

     「9条改憲反対」を前面に出している点や、法曹養成制度にしても法科大学院制度を完全に破綻しているとみるかどうかなど、両氏の主張には際立った違いがあるものの、一方で弁護士の経済的な状況への対策や弁護士自治堅持は、中身は異なるとしても、弁護士・会が置かれた現状から、両氏とも避けて通れないテーマとしたととれます。

     今回の選挙について、陣営の関係者に聞くと、明確な対立構図を持っている両陣営でありながら、不思議なことに争点を明確に会員に伝え切れなかったというニュアンスの答えが返ってきます。一つの要素は、司法試験合格者数が取りあえず1500人台で落ち着いていること。今後の適正人数について、菊地氏側がやや柔軟ととれる姿勢をみせたこともあって、これまで「改革」路線をめぐる大きな焦点となってきた法曹人口問題の対立軸が、会員の投票行動につながる争点としては霞んだのではないか、という見方もあります。

     しかし、今、この選挙から推測すべき最も大きな要素は、そこではないように思います。それは、一言でいえば、現在の多くの会員の関心が、日弁連でも「改革」路線でもないところに、いよいよ傾いてきたということではないか、ということです。現在、会員弁護士が抱える不満の根源は、明らかに「改革」がもたらしたものです。しかし、以前のように「改革」路線を変えるための議論を求めていない。変えられる現実感がない。そして、一義的に日弁連に求めたいことは、会費減を含めた会員利益につながることであり、さらにそれにつながらないことをやめること――。そうした根本的な会内に充満する要求が、結局、従来の日弁連を堅持する候補へも、さらに強い新たな団結を求める候補へも投票することを回避させた、最低投票率の現実なのではないのか、ということです(「日弁連会長選挙結果から見える現実」)。

     選挙に臨んだ陣営関係者の口からも、そういうムードを感じとったという声が聞こえてきます。これまでの日弁連会長選挙でも、「投票にいっても同じ」という、候補の楽勝ムードから投票行動に及ばなかった会員も含め、消極層・無関心層が存在してきたことは事実ですが、今回、投票行動に及ばなかった6割の会員の中身はそれとは異なり、日弁連に対して、よりはっきりした別の意思を背景にしつつあるととることができそうなのです。言い過ぎかもしれませんが、弁護士自治を含めて、両陣営にとって共通の「敵」が会内に生まれているという見方をしなければならないところにきているのかもしれません。

     遠くない未来、日弁連会長選挙に「弁護士の生活が第一」とか「弁護士ファーストの会」といった名称、あるいはそういうスタンスを前面に掲げた勢力が推す候補が登場するかもしれない。そして、それは「改革」が生んだ、弁護士としては避けられない、極めて現実なスタンスということになるかもしれません(「『普通の業者団体』という選択と欲求」)。しかし、それは弁護士という存在が、結果としてどんどん内向きになっていくことだとすれば、やはり私たちは、それが果たして有り難い「改革」の結果なのかどうかだけは、問い続ける必要があります。


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    弁護士業の現実を伝えられない弁護士会

     司法改革の弁護士増員政策の結果が、一番はっきりさせたのは、社会が思っていた、あるいは思っているほど、弁護士という仕事の経済的基盤は、盤石でも安定したものでもなかった、ということではないでしょうか。全体的な経済的な沈下はもちろんのこと、高い会費の負担から弁護士会の強制加入制度に厳しい目を向け、会のあり方としてより会員利益の追求を期待し始めた会員の意識変化も、実はそこにたどりつく。むしろ、本来そうみてもおかしくないものに思えます(「『新弁護士会設立構想』ツイッターが意味するもの」)。

     ところが、ある意味、不思議なことですが、弁護士会主導層を中心に、多くの弁護士自身が、こうした切り口での社会へのアピールを、かつての「改革」論議のなかでも、また「改革」の結果が出た、現在においてもしていない。していない、というのが、言い過ぎであれば、少なくともその点では決定的に不足しているようにみえるのです。

     これまでも書いてきたように、基本的に知的労働を求められる労働集約型の弁護士の仕事にあっては、収益の多寡にかかわらず、同じような時間がとられ、数をこなすことに困難が伴います。まともに対応するならば個別事案によって対応が異なってくる、マニュアル化が困難な、オーダーメイドの仕事です。そこに無理をさせれば、利用者に、あるいは見えない形のしわ寄せがくる危険性がある仕事でもあります(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」 「『手抜き』という当然の展開」)。

     それだけに、というべきか、定型型の処理ができる仕事は、弁護士の仕事のなかでは例外的で少ない、とされながら、「過払いバブル」という現象をみても、そうしたものに経済的に寄りかかり、期待する現実が、一面で存在していること自体、前記弁護士の仕事が持つ収益化と業務安定化の、限界の裏返しともいうべきものなのです。

     かつての「改革」論議のなかで、当時の弁護士会主導層が、もちろんこうした弁護士という仕事の現実を知らなかったわけがありません。「改革」推進派の中心人物が、今後の弁護士のあり方として、弁護士はまず株を買って業務を安定化させればいい、というニュアンスの発言をしたことが伝えられていますが、本音がどこにあったにせよ、経済基盤への強い自信が「改革」推進の背景にあったようにはとれませんでした。

     では、なぜ、彼らはアピールしなかったのか――。今、それを問いかけると、概ね二つの答えが返ってきます。一つは、これもこれまで書いてきたように、需要論に引きずられたということ。「改革」が掲げた事後救済社会の到来や、潜在需要論によって、前記したような業務の実態がありながらも、弁護士の生存が脅かされることはないだろう、という見通しに立ってしまった、と。外部の「改革」推進論者が、この先に競争・淘汰を描き込んでいたとしても、むしろ需要が顕在化するという方を信じ、ここまでの競争化にさらされることを想定しなかった。

     そして、もう一つの答えは、「言えなかった」ということです。参入規制、業務独占という「規制産業」批判が弁護士会に向けられるなか、前記したような弁護士業務の現実を強調することが、あたかも弁護士の特別扱いを求めるものとして「通用しない」という考え方が彼ら自身のなかに広がったということです。正確には、主導層が真っ先にそうした考え方に立ち、会内向けて、「改革」への主体的関与を唱えるメッセージとともに、多分にこうしたムード作りをした感がありました。

     ただ、前記したような弁護士業の実態にあって、かつ、需要顕在化がない増員のあかつきに、一サービス業としての同一化だけが求められるしわ寄せが、弁護士自身と社会にどう回ってくるのか、そこが全く念頭になかったとすれば、それはやはり失敗といわなければなりません。

     「改革」スタート後の2004年3月に日弁連主催のシンポジウムにパネリストとして出席したNHK解説委員(当時)の若林誠一氏が、ある興味深い見方を示していました。この「改革」が進んだのは、「最大の抵抗勢力であって、この改革で一番影響を受けるはずの弁護士の皆さんが徹底的な反対をしなかったことではないか」「恐らく別の職能集団であれば、様々な政治的な力を使っていろいろ足を引っ張っていたのではないか」と。そして、その足を引っ張らなかった理由は、「理屈、建前でいくと反対しづらい」ということと、「時代の流れを把握」していたからだ、と。

     しかし、この彼がこの直後、弁護士への市民の期待について何と言っているかといえば、「牛丼屋さんみたいな」「安い、うまい、早い」法的サービス、と、「食の安全と同様に、安心できる法サービス」であり、「その観点が進めば、腕利きのシェフの料理としての能力の高い弁護士への需要が高まる」という認識なのでした(シンポジウム「21世紀の弁護士像及び弁護士のあり方」)。

     ここには弁護士の経済的基盤、いわば「生活」から見た実現可能性についての現実的な視点、配慮が全くありません。「安い、うまい、早い」のチェーン展開の牛丼屋流が、「安心できる法的サービス」への弁護士の自覚ひとつで実現し、そこに需要まで生まれてくるような。もっといってしまえば、他の職能集団だったならば当然反対していただろうことに反対しなかった「賢明な」弁護士会にあっては、「やれる」という見通しにせよ、前記「規制」批判への了解にせよ、なんらかの「歓迎すべき」自覚があったのだ、という捉え方になっているようにみえます。

     改めてNHKの解説委員にして、こういう認識だったのだな、という気持ちにさせられます。当時の弁護士会関係者は、このパネラーに言うべきだったのではないでしょうか。両立できないような安易な期待の前に、まず何が前提になるのかを。「生活」が支えられるという前提がなければ、すべて夢物語に終わるということを。

     そして、もう一つ、今、この発言とつなげて見たくなるのは、こうした過去の「改革」論議と切り離されて、今、にわかに弁護士会内のなかで会員の要求が高まりつつある、「業者団体」として会員利益を追求する弁護士会とは、こうした局面でまさに「他の職能団体」同様、徹底して言うべきことを言う、あるいは言える団体なのではないか、ということです(「『普通の業者団体』という選択と欲求」 )。

     「改革」に対する自己犠牲が正義のように語られても、現実的な無理は無理と主張されなければ、描かれたような利が社会にもたらされることもない。「改革」の結果が、そういう前例ととらえられるかどうかも、今、試されているように思います。


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    「新弁護士会設立構想」ツイッターが意味するもの

     日弁連会長選挙の真っ只中、「新弁護士会設立構想」(@ShinBengoshikai) というツイッターが、にわかにネット界隈の弁護士界関係者のなかで話題になっています。「弁護士会が強制加入団体であることを自覚し、特定の思想に偏向しない、必要最小限の機能(ミニマム機能)を備えた、新しい弁護士会の設立を構想する」とうたい、現在の東京の三弁護士会に加えて4番目の単位会をつくることを目指す考えを示しています。

     このツイッターが指摘するように、弁護士法34条1項には弁護士会が、その所在地で設立の登記によって成立するとあり、弁護士会登記令7条には、弁護士会の設立登記の申請が規定されています。しかし、弁護士法32条には弁護士会が地方裁判所の管轄区域ごとに設立されることが定められています。東京の三弁護士会の存在が例外的に認められたのは、同法附則89条でこの法律施行の際に、既に存在していた弁護士会の存続を認めたから、ということになっています。

     技術的な可能性については分からないところもありますが、一般的にこの戦後の法的な取り扱いが、戦前のいきさつで分かれ、法的には違いがない三弁護士会の東京での併存を、例外的に固定化させたという捉え方がなされており、同時にこのことから新弁護士会は作れない、というのが、業界内でも一般的な理解になってきたといえます(「なぜ東京に三つの弁護士会?」)。

     ただ、これまで新弁護士会設立という議論が弁護士会内で表立って浮上してこなかったのは、やはり前記法的な縛りもさることながら、そもそもそんなことを積極的に打ち上げようとする人間がいなかった、つまり、そう考える弁護士のなかの動機付けが希薄だったということがあると思います。ときどき弁護士界内でそんな話がなされても、居酒屋談義以上にならなかったのは、当然といえは当然の現実ではありました。

     しかし、今回の動きに対しては、会内に「ついに来たか」という受けとめ方もあります。会費負担を含めて弁護士会強制加入への不満があるなかで、新たな道を会員に提案する動きがいずれ具体化するという見方が会内で広がっていたことがあります。前記実現可能性はともかく、現実に「必要最小限の機能」だけもった、より「業者団体」に近い弁護士会が東京に誕生すれば、現状、相当の会員がそこに流れ、巨大な弁護士会になる、といった想像をかき立てるには十分なものがあるのです(「『普通の業者団体』という選択と欲求」)。

     ただ、この動きに対して、やや違う見方をする人もいます。ツイッター上での発言を見る限り、同構想が弁護士会の「政治的中立性」の観点にこだわっているようにとれる点についてです。会員個人と合わない思想と政治活動のために会費が使われることに納得がいかない、という従来からいわれてきた弁護士会批判の論調が、この構想ツィッターでも繰り出されていますが、日弁連批判、弁護士自治・強制加入廃止論ではなく、強制加入を前提に弁護士会の一角に、従来の発想に立たない弁護士会を実現させて、会員の賛同を得る、という方向です(「弁護士会が『政治的』であるということ」)。同時に同ツィッターはそうした「政治的」活動は、強制加入の弁護士会という枠組みではなく、弁護団など任意団体でやるべき、という立場を打ち出しています。

     これについて、あるブログがこんな疑問を投げかけています。

     「とても勇気ある行動だとは思いますが、少しズレてるかなぁ・・・。私に言わせれば、『特定の思想に偏向』してるかどうかなんて、どうでもいいんですよね。本当の意味で理想の弁護士会は、『徹頭徹尾、会員の利益のみを追求する業界団体』です。会員の利益のため、徹底的な合格者削減を主張し、会員の利益のため、弁護士報酬のデフレ断固阻止を主張し、会員の利益のため、あらゆる分野での弁護士関与の義務づけを主張し、会員の利益のため、隣接士業の職域拡大に徹底的に反対し、そのために必要な政治活動・意見表明をガンガン積極的に行っていく、そういう組織こそが理想なんです」
     「会員の利益になる活動さえしてくれていれば、あとは、死刑賛成だろうが反対だろうが、改憲賛成だろうが反対だろうが、別に好きにしてくれて構わないんです」(「弁護士が会社員に転職して細々と生きてます2」)

     実は、若手会員、あるいは弁護士会に見切りをつけようかどうかを考え始めるレベルの会員意識は、この設立構想ツイッターの発想を越えて、もっと純粋に「業者団体」を志向している、ことをうかがわせます。「政治的」批判、会員の思想・信条の自由という切り口で共感する会員も一定数存在すると思いますが、会員の不満の本筋は、このブログ氏がいう会員利益、いわば「生活」なのだと、ということです。

     ただ、このブログ氏の発言は、奇しくも別の弁護士会の現実を改めて浮き彫りにしています。弁護士会の活動を支えてきたサイレント・マジョリティの存在です。かつても弁護士会の活動に直接かかわる会員でなくても、それを了解事項としてきた、まさに「別に好きにしてくれて構わない」という会員で支えられていた部分は確かに存在し、また、それを支えていたのが業務の安定、つまり「生活」であったということです。

     そう見ると、設立構想のツイッターとは違い、「政治的批判」に屈せず、専門的職能として筋を通す存在としての弁護士会の強制加入・自治を維持することから逆算するとしても、今、何が求められるのかは自ずと見えてくると思うのです。いわゆる「経済的自立」を含め、弁護士の「生活」の安定化、その足を現実的に引っ張る結果となった増員政策を含む「改革」路線から一刻も早く決別し、会員利益にも同時に向き合う弁護士会に転換することです。かつてのように会員の了解を得る基盤を、少しでも回復する方向に弁護士会自身が向かわなければならないはずなのです(「日弁連『偏向』批判記事が伝えた、もうひとつの現実」 「『左傾』とされた日弁連の本当の危機」)。 

     1月18日の開設から現在までに、同構想ツィッターが獲得しているフォロワーは344人ですが、日増しに増えています。同構想ツィッターは日弁連会長選期間中であることを理由に、「匿名」にしていますし、また、強制加入を前提としながら、前記したような「ミニマム機能」会の先に、どういう弁護士会像を描いているのかいないのかも、現段階では皆目分かりません。もっとも、専門職能として権力から独立して筋を通すことがなくなるということは、当然に強力な自治を保持している根拠にかかわってくる話ですから、「ミニマム」化、あるいは純粋「業者団体」化した会に、もはや弁護士自治の未来があるとも思えません。

     今、弁護士会が何を目指すべきなのか、何が失われようとしているのかを私たちも冷静に考えて、この動きを見つめる必要があります。


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    「改革」から離れる弁護士の意識

     残すところ任期約3ヵ月となった中本和洋・日弁連会長が、今月、弁護士ドットコムニュースのインタビューにこたえ、その中で法曹養成と弁護士の現状について、言及しています。このなかで彼は、法曹志望者の減少という事態が起きている理由について、「法科大学院の教育に時間と費用がかかること」が「指摘されている」ことと、「弁護士業界の競争激化で『試験に受かればなんとかなる』という状況ではなくなって」いる、という認識を示したうえで、次のように述べています。

     「司法試験合格はスタートであって、ゴールではありません。弁護士は雇用が保証されておらず、サラリーマンのように退職金をもらえるわけでもありません。自分の努力で生きていかなければいけません。時間と費用をかけてなりたいという職業ではない、という認識が一部の人たちの間にあるのかもしれません」
     「でも、私はこんなに素晴らしく魅力的な仕事はないと思っています。自分で仕事が選べ、社会から評価されます。最近では、企業内弁護士になる人もいれば、地方公共団体や中央官庁で働く人もいて、キャリアの積み方も様々です。企業で会社員として働いてから、弁護士業に戻ってくることもできます。また、報酬が明確になっていて、自分の努力が目に見えることも弁護士の良いところです」

     志望者減の根底にある、彼らから見た弁護士資格の経済的「価値」の下落に対し、彼は当然、ここでそれを引き上げる方向の積極的なアピールをしたかったのだと思います。しかし、ここで語られたその中身は、仕事を選べ、社会から評価され、報酬が明確で自分の努力が見える、という彼個人の中にある仕事観と、インハウスの将来性でした。

     正直、この下りには、日弁連トップとしての、この問題に対する説得力よりも、逆に苦しさのようなものを感じます。彼は、志望者減の原因を認識し、「一部の人たち」と断りながら、もはや「時間と費用をかけてなりたいという職業」ではないという扱いをされ出した弁護士の現状にあって、こうした主観的ともいえる魅力の発信や、「受け皿」のキャパや待遇面でのメリットが未知数のインハウスの将来性が、本心ではどのくらいのこの状況打開につながると考えているのか、と問いたくなってしまうのです。

     この発言のなかには、この状況をもたらしている「改革」についての認識が出できません。「弁護士業界の競争激化で」とさらっと書いていますが、一体、何がそれをもたらしたのか。弁護士は昔から、自由業であり、雇用保証も退職金もなく、司法試験合格がゴールでなくても、かつては誰も「時間と費用をかけてなりたいという職業ではない」などと思わなかった、この資格業を何が今のように変質させてしまったのか――。ここに、おそらくあえて触れない彼の前提が、このインタビューを苦しいものにしているようにもみえます。

     このあと彼は、「予備試験」について、「ショートカット」という表現で、法科大学院制度擁護派の論調のなかで登場する「抜け道」論を当てはめ、これまたお決まりの「本来の趣旨」に戻す必要を掲げる一方、71期司法修習生からの「給付制」による経済負担の改善、現在、進められている法学部・法科大学院「5年一貫コース」の検討に期待をつなぐような話で、このインタビューを終えています。

     限られた時間のインタビューで、彼も意を尽くしていない、という面はあるかもしれません。しかし、志望者離れという、厳然とした「改革」の結果から、「改革」路線そのものを根本的に見直すという余地は、今の彼の頭のなかに、全くないということだけは、この発言から伝わってくるのです。

     今年一年の弁護士界を振り返って、いま、一番思うことは、「改革」路線と弁護士の意識の広がりつつある距離感といえるようなものです。「改革」の増員政策の影響を受け続けながら、もはや「改革」路線そのものにこだわらない、議論の対象とは見れなくなりつつある彼らの意識です。新法曹養成で誕生した、いわば「改革」後世代の弁護士が増えていることもさることながら、この流れは、いまさらなにも変わらないという認識の広がり。まして、日弁連・弁護士会が、これを変えられるとも思えない。「改革」を議論するよりも、もはや変わらないそのなかで、いかに生きるかが問題である、と。つまり、弁護士は確実に、より「改革」からも日弁連からも距離を取り出しているようにみえるのです。

     この日弁連会長インタビューの内容からは、まさにそうした弁護士と弁護士会主導層の現実が浮かび上がっきます。彼が語る「改革」の現状に対する姿勢は、志望者への動機付けに繋がるものにならないだけでなく、「改革」の影響が直撃した会員にとっても、変化への期待につがらない、よそよそしいものに映る現実があるのではないでしょうか。

     そして、この会員間の意識傾向は、来年の次期日弁連会長選挙にも影を落とすという見方もあります。「改革」路線そのものが争点となり、反「改革」派候補の高山俊吉弁護士が、当選した「主流」派候補との間で激戦となり、有効投票数の43%を獲得した2008年選挙、宇都宮健児弁護士が「主流」派を破り、再投票で勝利した2010年選挙、さらに同弁護士が再投票、再選挙までもつれ込み、最終的に敗北したものの48%の票を獲得した2012年選挙――。「改革」の状況はさらに深刻になっているにもかかわらず、会内ムードは、こうした結果を生み出した当時とは隔世の感があります。「改革」路線変更のリアリティと、日弁連への期待感で、何か会員意識の根本部分が冷え込んできた、というべきかもしれません。地方弁護士会の疲弊が言われ、弁護士過剰が言われ続けても、増員基調の「改革」路線をやめることで一枚岩にはなれないことも、弁護士会内の分裂的な世論状況を物語っています。

     「結局、この路線のまま、弁護士会はいくところまでいくのではないか」。こう語った弁護士がいました。この「改革」がもたらした分裂的世論状況のまま、弁護士会が強制加入団体として持ちこたえられなくなるまで行くか、それともどこかで大きく舵を切ることができるのかーー。もはや、そういう次元の話が、会員間で取り沙汰されていることも、弁護士会主導層には見えないか、それとも見ないことなのかもしれません。

     今年も「弁護士観察日記」をお読み頂きありがとうございました。いつもながら皆様から頂戴した貴重なコメントは、大変参考になり、刺激になり、そして助けられました。この場を借りて心から御礼申し上げます。来年も引き続き、よろしくお願い致します。
     皆様、よいお年をお迎え下さい。


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    日弁連の「失敗」への姿勢

     「日弁連は失敗を認めない組織である」という捉え方をする会員が以前より増えた印象があります。こういう話をすると、「いや、日弁連は昔からそういう体質だ」という一部ベテランの声も聞くことになります。日弁連の主導層のなかにある、ある種のプライドや運動方針的な考えから生み出される、「無謬性神話」を貫こうとする姿勢が、かつてなかったか、と言われると、判断は難しいものになります。

     ただ、冒頭の印象は、明らかに今回の司法改革にかかわるものです。前記「無謬性」体質があったとしても、これまでの日弁連の歴史のなかで、ここまで広く、明確な形で尾を引くことなる執行方針の失敗が問われる、テーマそのものがなかった。要は今回の「改革」以前の日弁連には、ここまで多くの会員を巻き込み、その批判の目を向けられるような、そしてこの資格の未来を決定付けてしまうような、テーマを抱えることも、そうした局面に立たされることもなかった、という現実があります。少なくとも「改革」の結果への評価・姿勢は、「失敗を認めない」という体質への認識を、会内に浸透させることになったととれるのです。

     「改革」に対する失敗を認めないということは、歴史の改ざん・隠ぺいであるという捉え方もできます。「改革」の成立に至る経緯について、一貫して肯定的な捉え方をする「日弁連『改革』史観」に基づくといっていい推進派関係者の著作物や弁護士会史の記述、さらにこの結果に対する評価をめぐり、「改革」路線に呪縛されているような主導層の発言にも接してきました(「日弁連『改革』史観に基づく内向きアピール」 「『失敗』を認めない日弁連会長」)。

     法曹人口増員をめぐる、1990年代半ばの日弁連の迷走劇の経緯が、日弁連の正史「日弁連50年史」から抹消されている事実を取り上げた、小林正啓弁護士の著書「こんな日弁連に誰がした」の中の印象的な記述があります。同書を読む限り、小林弁護士の認識としては、司法試験合格者数の年1000人、1500人以上が法曹養成制度改革等改革協議会で議論されているなかでの、日弁連の1994年臨時総会での「800人」関連決議、翌年同での「1000人受け入れ案」の各採択は「失敗」で、日弁連が当時、人口増に徹底抗戦せず、早期に一定の増員に応じていれば、その後の増員の展開は違った。むしろこの姿勢は、仇になったというものにとれます。

     この評価については議論があるところだと思いますが、こうした経緯を歴史に留めない日弁連の姿勢について、彼は同書で次のように厳しく指摘しています。

     「この記述によって日弁連は、歴史を後輩に語り継ぐという責任を放棄した。自分のやったことさえ後輩に語り継げない日弁連に、歴史問題で偉そうな口を叩く資格もなければ、若手弁護士に対して、わけ知り顔で説教する資格もない」
     「筆者が最も腹立たしく思うのは、過去の執行部の失敗ではなく、失敗を語り継ぐという先輩としての責任の放棄である。なぜなら、失敗を後輩に語り継げない組織は、同じ失敗を繰り返して滅亡するからだ」

     これは、その通りだと思います。そして、この姿勢は、今の「改革」論議を知らない多くの若手会員の、「改革」の現状に対する評価に影響しているようにもとれます。結果に対する肯定的な評価からは、諦念が導き出されても、過去の失敗を克服して取り返すべきものも、現在、止めることができる失敗の継続も、見えてこないからです。

     日弁連が認めない「失敗」の歴史には、専門的職能集団には似つかわしくない、二つのキーワードが浮かんできます。それは、焦燥感と孤立への恐れです。「改革」当初の日弁連主導層のなかには、これまでの日弁連の活動の「成果」に対する焦りといら立ちがあったようにみえます。例えば、長年の悲願である「法曹一元」にしても、絶望的といわれた刑事司法にしても、あるいは法曹養成におけるイニシアティブにしても、日弁連活動の壁に対する焦りがあればこそ、その突破口を「改革」への期待につなげてしまった。

     裁判員制度を陪審制度への「一里塚」とし、刑事司法の現状打破の「風穴論」と結び付ける方向も、「法曹一元」現実化への担保と弁護士増をつなげたことが、激増の現実的無理という視点をぼやけさせることにつながったことも、さらに法科大学院制度を中核とする新制度に、最高裁支配の研修所教育から脱却した、弁護士会主導の法曹養成を夢見た弁護士を登場させたことも、活動「成果」への焦り・いらだちとつながっていた、といえるように思います(「『法科大学院』を目指した弁護士たち」) 。

     そして、その焦りに拍車をかけたのが、「改革」論議のなかで味わうことになった孤立への恐れだったようにみえます。「市民に近い法曹」という自信が、弁護士不足という切り口のなかで、「ニーズに応えていない」という方向からの、このままでは孤立するという恐れによって揺らぎ出した。自省的な受けとめ方と、ことさらに「市民のため」を強調する日弁連の「改革」主張は、それを反映し、そして逆に時に筋を専門的職能集団として、筋を通すためには多数派市民とも対峙する、孤立を恐れないという発想を後方に押しやり、さらには「オールジャパン」の名のもとに、対峙してきた権力との位置取りもぼやかす形で、「改革」の旗をふる側に回った――。

     前記小林弁護士が指摘した1990年代半ばの日弁連の迷走劇にも、執行部の焦りと孤立への恐れが読み取れるものでした。

     その結果どうなったか、といえば、「改革」に期待を被せた悲願達成は、いれもむしろ遠ざかり、逆に弁護士は失敗の代償として、経済的に安定した地位と資格の経済的な「価値」を失い、さらに弁護士会は会員離反と自治の内部崩壊の危機まで抱えることになりました(「激増政策の中で消えた『法曹一元』」 「弁護士の『地位』と失われつつあるもの」 「『弁護士自治』会員不満への向き合い方」)

      「改革」の結果について、弁護士会のなかに様々な評価の仕方があること自体が悪いわけではもちろんありません。ただ、焦燥感と孤立への恐れにとりつかれた日弁連は「失敗」しているのです。やはり「失敗」を後進に伝え、そこから学ぼうとするようには見えない「改革」と日弁連の現実は、小林弁護士が言った滅びへの道を進むものに見えてしまうのです。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
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