「経済的基盤」を考慮しない「改革」の正体

     今回の司法改革が、弁護士の現実的な経済的基盤をいかに考慮しなかったか、そして、それはなぜだったのか――。弁護士の経済的価値の下落、新法曹養成制度と、同時に法曹界の未来をぐらつかせる、根源的な「改革」の失敗につながったはずのテーマが、「改革」の結果が出た現在においても、「改革」推進論のなかで顧みられることがない現実があります。

     それは、有り体にいえば、もはや「冷淡」という言葉を当てはめたくなります。「改革」の「バイブル」となった2001年の司法制度改革審議会意見書でも、司法部門が政治部門と並び「『公共の空間』を支える柱」であり、法曹を「社会生活上の医師」などして、その役割の重要性を強調し、それを法曹人口の拡大につなげながら、それを支える経済的基盤についての直接的な考察がありません。

     弁護士に対する揺るぎない経済的信頼が前提にあったとか、需要の拡大を見込んでいた、という見方があります。見方によっては、司法への国民の直接参加につなげた主体的な国民の「役割論」とつなげてみれば、結局、これも国民が支えてくれるだろう、というヨミに頼っていたとも読めます。要は、弁護士側がこれまでと異なった努力をすれば、国民は当然に司法におカネを投入するという未来。そのために、ひたすら弁護士は国民・市民のニーズにこたえよ、と。

     こういう見方に頼ること自体に、土台無理であること、少なくとも、相当に危い話であることを、多くの弁護士は初めから分かっていたといっていいと思います。異口同音に業界内で聞かれてきた話ですが、国民・市民のニーズにこたえた「利用しやすい司法」ということになれば、利用者側からは当然におカネの問題が「障壁」のように言われることになります。では、「障壁」の一つとなる弁護士費用は現実的に「利用しやすい司法」のために下げられるのか。

     弁護士増員政策に競争・淘汰を描き込んだ、主に弁護士会外の推進論者は、多分にその低廉化への期待、要は本来的に「下がる」「下げられる」という前提に立ち、その期待を煽りました。しかし、現実的には経済的な補てんがなければそれはできず、事業として成り立たなくなる現実をはらんでいたのです。

     「改革」の結果がむしろそれを明らかにした、といえるのに、「改革」路線は依然として、そこは弁護士の努力でなんとかせよ、という立場を変えていません。そして、「改革」路線がもはや変えられない、そんなことを待っていたらば絶滅すると考えた弁護士たちは、生き残るために割り切る、という選択に傾きはじめる。経済効率化が本来の姿であると国民に理解を求める動きはむしろまだ「健全」かもしれませんが(もっとも弁護士会がそれに舵を切ったわけではない)、それを曖昧にしたまま、利用者が分からないところでの効率化、さらには不正に手を染める弁護士が登場する。それが、弁護士の経済的基盤を考慮しない「改革」の「利用しやすい司法」が行きついた現実であることを、社会は分かっておかなければなりません(「弁護士業の現実を伝えられない弁護士会」)。

     前記「社会生活上の医師」という言葉は、当初、業界関係者自身もよく好んで使っていた事実があります。あくまで役割から見た国民との関係での位置取りをいったものという、前置きもある時点から強調されるようになりましたが、経済的基盤を考えれば、はじめからその違いは明確でした。ただ、逆に言うと、そこまで社会的役割を強調しながら、弁護士については医師のような経済的基盤の確立、補てんを検討しない「改革」にもっとこだわるべきだったのではないでしょうか。

     この「改革」路線の導入の中心人物の一人である、前記司法制度改革審議会会長の佐藤幸治・京都大学名誉教授が、久しぶりに新聞紙上で持論を展開しています(2月13日付け毎日新聞朝刊「発言」)。タイトルは「『国民の司法』へさらに努力を」。なぜか、この記事は有料コーナー以外、現在ネットで読むことはできません。同新聞社によれば、有料コーナ―以外での掲載の可否は、編集権ではなく、著者の意向に基づいているとのことです。

     そこで彼は「(改革の)成果についてはさまざまな評価がありうるが、相当の変化が生じたことは否定できない」と前置きしたうえで、概ね以下のような「改革」メリットを指摘しています。

     ・「小さく固まっていた司法の基盤が拡大した」。法曹人口4万5000人、うち弁護士4万人超で組織内弁護士増、「市民に寄り添う弁護士」が多く誕生。
     ・「裁判が争点整理を踏まえた法廷重視のスピーディーなものに」。迅速審理をもたらす労働審判制度は「成果の象徴」。
     ・「供述調書中心の〝調書裁判〟と評された刑事裁判は、裁判員制度導入を契機として、公判中心の裁判への転換を促した」。裁判員経験者の95%以上が「よい経験だった」。経験共有へ工夫が必要。
     ・「日本司法支援センター(いわゆる法テラス)の活動は、日弁連の公設事務所の活動と相まって、一般市民が司法にアクセスする重要な道を開いた」
     ・「(法科大学院は)さまざまな難題に直面しつつも、法学研究者と法曹実務者とが協働してあるべき教育を真剣に追求し、2万人を超える法曹を送り出してきた」。この養成の場が、制度上の例外である予備試験に脅かされるのは本末転倒。旧制度の弊害からみても「取り返しのつかない損失」の恐れ。

     佐藤氏の発言として、想像はついた、といえば、それまでですが、メリットとして強調できそうな点をつまみ出した内容ですし、そもそも法曹人口増にしても、裁判員制度にしても、法曹養成にしても、相対的に「価値」を捉えなくてもいい、「こんないいところもあります」というだけならば、旗を振ってきた側の弁明ととられても仕方がないように思います。

     そして、この中でも、弁護士の経済的基盤は看過され、どこにも登場しません。増員政策が需要見通しを大きく外し、弁護士を経済的に追い詰めたことも、新法曹養成の実力も含め、当初の司法試験合格年3000人目標の旗を降ろさざる負えなかったことも(「新法曹養成制度の実力という視点」)、成果についてあり得る「さまざまな評価」として、かつ資格価値の棄損が志望者減という深刻な事態を生んでいることも、法科大学院にとっても「さまざまな難題」で、彼は片付けているとしかとれません。嫌な言い方をすれば、それでも「改革」と叫ぶ側のお手本になるような、扱い方に見えてしまいます。

     佐藤氏は、「国民の司法」へ「改革」は大きく踏み出したけれども、「危さと課題に満ちた時代状況」にあり、さらに努力が必要なのだ、ということで締め括っています。この「危さと課題」は「改革」路線が生み出したのではなく、「時代」が生んだともとれる発言ですが、それよりもこの「努力」は一体誰に求められているのでしょうか。

     少なくとも経済的基盤を考慮しない「改革」路線が、弁護士の努力に丸投げしながら、実はそれを支える国民・市民の、現在もおそらく全く想定もしていない「努力」に頼らざるを得ない現実を、私たちは知っておかなければなりません。より国民・市民が司法におカネを投入する、経済的にも国民・市民が「主体的に」を支えることになる未来こそが、「国民の司法」「市民のための司法」の現実であるというのならば、そろそろそれははっきりさせる必要があるはずです。


    地方の弁護士の経済的ニーズについてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

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    「改革」で担った専門家たちの負の役割

     あけましておめでとうございます。

     司法改革に限らず、「改革」と名のつくものが、社会とって罪深いものとなるときには、常に「幻想」がまき散らされているといえます。「改革」を提唱する側は、まさにそれを推進したいがために、時にメリットだけを切りぬいて誇張したり、「改革」後の明るい未来を提示したりします。

     そして、このなかで最も罪深いといえるのは、それに加担する専門家たちの姿勢です。「改革」の幻想に対して、本来、厳しい眼でチェックし、事実を伝えられる、また伝えるべき彼らが、専門家としてその筋を通さず、「改革」ご都合主義の旗振り役を務めてしまう。いうまでもなく、彼らの作為的で盲目的加担は、彼らが専門家であるがゆえに、「改革」をめぐる罪深い結果をもたらすといえます。

     「オールジャパン」という掛け声とともに、国家と法曹三者が一丸となって取り組むという形になった司法改革で、今、いわれていることは、専門家は専門家である前に、「改革」推進者になってしまった、ということです。裁判への直接参加を強制する裁判員制度を、なぜ、国民にとっての「義務」ではなく、「権利」と括り、「裁かれる側」が裁判の主役であることを最も分かっている専門家たちが、この制度推進のために「裁く」国民が主役であるという論調をまき散らしました。

     「普段着」とか「普通の感覚で」とか、国民の参加への抵抗感を取り除きたいがために、「裁く」ことのハードルを下げる話ばかりが先行したともいえます。この国の裁判のことを第一に考えるのであれば、「裁く」ことの過酷さを最もわかっている人間こそが、それを伝えなければならないは当然のことだった。法的な整合性についてもきちっと筋を通したとはみていない同じ専門家はいます。裁判所も検察も弁護士会も、専門家である前に推進者となったのです(織田信夫弁護士「全員一致の怪~大法廷判決が抱える真の危険性 前編 使命を放棄した最高裁」 同「裁判員制度はなぜ続く~制度廃止への道程 第2回 最高裁の制度推進姿勢の正体」) 。

     弁護士の増員で、弁護士がより身近になったり、使いやすくなると主張した弁護士たち自身が、実はそれを容易く得られる未来とは思ってなかった。それなのに、「改革」を前に進めるために、彼らはそれを伝えようとはしなかったのです。弁護士を競争させても、低額化、良質化が簡単に起こらないことは彼らが一番分かっていたはずでした。

     あたかも弁護士を利用者が選択できる未来くると伝えながら、それはそうした能力がある利用者に限られることも、一般化できないことを知っていたし、結局、自己責任に被せる話であることも重々承知していたというべきです。さらに利用者視点に立てば、その先に第三者による格付けや、弁護士のマイナス情報の積極的開示といった方向への欲求が当然導かれてくることを認識しながら、その実現が現実的には難しいことを伝えたわけでありません(「良質化が生まれない弁護士市場のからくり」 「弁護士報酬をめぐる不安感と不信感」)。

     弁護士という仕事の有償性について、「改革」が社会を誤解させたというのは一面事実ではありますが、その誤解にはその「改革」推進の側に立った弁護士自身も関与しているとはいわなければなりません。彼らは現在おいても、増員基調の「改革」路線の上で、伝えるべきことを伝えていないようにみえます(「弁護士が転嫁できない『改革』の責任」)。

     かつて「弁護士は『改革』という言葉に弱い」と語った弁護士がいました(「『あるべき論』の落とし穴」)。ある種の善意から、この「改革」は選択されたが残念ながら予想が外れた、という理解が、この言葉の前提にあり、弁護士全体の弁明であるととれたのは、これが反「改革」派の弁護士の口から出されたものだったということもありました。

     しかし、いまやそんな捉え方で、現在の「改革」と弁護士をみる人間が業界内にどれくらいいるのか、甚だ疑問です。新法曹養成で誕生した「改革」後世代が、この弁護士の現実を「善意から選択された『改革』の結果」などと認識できないのは当然ですが、当時から旗を振り、現在も「改革」路線の上をいこうとする人たちのなかにも、いまや、当初「善意」て目指したものが何であり、それはどうなったのか、という視点が果たしてどこまであるのかと疑問といわなければなりせん。

     司法改革の旗をふった専門家たちには、社会をミスリードした責任が少なからずあるように思います。前記したような「改革」後世代の急増で、逆に「改革」路線の問題から現実を考えるムードも会内で急速になくなりつつあるなか、この「改革」を「市民のための」と銘打った専門家たちが、この結果と「改革」の責任を総括する日はいつかくるのでしょうか。


    裁判員制度は本当に必要だと思いますか。ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4808

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    弁護士が転嫁できない「改革」の責任

     今回の司法改革は、市民が求めた「下からの改革」といえるものではありません。この事実は変わりません。弁護士の数が決定的に足りないから激増させよ、とか、現行の裁判が民意と乖離しているから、市民が直接参加しなければならない、という声の盛り上がりを背景として、起こったものではないのです。

     こういう切り口の話になると、推進派は必ずといって、そうした「下からの」を待っていては、何も、そして、いつまでも変わらない、と言いました。弁護士会のなかで「改革」の中心にいた、中坊公平弁護士が好んで使っていた「牽引」という発想につながります。以前も書いたように、彼自身、この「改革」が「下から」ものでないことを初めから認識していました(「『「改革」への期待感』という幻影」)。「下から」ではないけれど、(われわれ日弁連・弁護士会の、というニュアンスを込めて)闘い方、進め方によって「下から」のものと同じになる、というような論法が、当時、弁護士会内推進派が公式見解のように言っていたことなのです。

     この状況は、今、はやり言葉のようになっている表現を当てはめれば、「忖度」ということにもなると思います。国民・市民は欲している、あるいは「改革」が実現すれば、なるほどわれわれが求めていたものだ、と分かるはずなのだと。弁護士激増政策の発想につながった「二割司法」にしても、この国には泣き寝入りと不正解決がはびこり、「八割」の司法は機能していないとか。社会の隅々に弁護士が進出することを国民は望んでいる(そうなれば、おカネを弁護士に投入する用意もあるはず)とか。弁護士は市民にとって「敷居が高く」(言葉として誤用の疑いもありますが)、それを「低く」すれば彼らはやって来るのだ、とか。裁判に国民が直接参加するのは、民主的であり、動き出して経験を共有すれば国民も納得する、とか。

     これらの認識を国民、市民が共有し、また、「改革」の結果、今、共有したとも思えません。裁判員制度についていえば、そもそも現行刑事裁判の深い反省のうえに、国民を義務化して参加しなければどうにもならない、という趣旨ですらなく、「国民に理解してもらうため」というのが、裁判所の認識です。もし、裁判が不適切であったとしても、税金を払ってきた国民からすれば、「それならば、素人を強制して引っ張り出さず、プロのあなたたちが変わるのが筋です」と考える民意は、全く「忖度」しないということも、「改革」はやってのけたのです。

     それでも前記「牽引」という発想が「改革」には必要だった、というのであれば、少なくとも結果に対する「責任」という視点は持つべきです。弁護士の役割や将来的な必要性、裁判の現実を知らない国民、市民に対して、「改革」のメリットを強調したのであれば、そのメリットが示せて、その「忖度」は正しかったことになるのではないでしょうか。

     それが叶わないのであれば、いち早く現実を伝えるべきです。そうでなければ、「上から」勝手に推進した「改革」が、失敗し、自滅するのを見せつけられるだけで、「市民のため」と銘打った「改革」は、一体、市民・社会にとって何がよかったのか、以前に比べてどう良化する「改革」たったか、当の国民・市民には分からないままだからです。「市民」「市民」という割には、弁護士会主導層がそういう発想に立っているようにも思えません。

     だからこそ、といわなければなりません。弁護士会の中から「この『改革』は国民が望んだ」とか、当ブログのコメント欄にも登場する、最近普通に聞かれるようになった、弁護士の門をたたく依頼者の心得違いをいう論調には、やはり違和感を覚えます。コメント欄にもありましたが、あえて言えば、そうした心得違いがあるとすれば、それを呼び込んだのは誰の責任ですか。確かに今でも日弁連・弁護士会は小さなことでも弁護士に、とアピールしているではないですか。

     そもそも社会の中の有償・無償のニーズをごちゃまぜにして、「ニーズ」はあるとして、要は前記したように漠然とそれらが、量産された弁護士を支えてくれるはず、「大丈夫」と見込んで増員を進めたのは弁護士自身です。前エントリーでも触れたように「無料化」は、サービス業化、競争激化の先に現れた顧客誘引のための戦略的な意図もあったととれますが、その副作用での利用者の「心得違い」としても、それは利用者からみれば、まさしく「自業自得」ということになります(「弁護士『プロフェッション』の行方」)。

     当ブログの前回エントリーのコメントでも、「心得違い」の要求は、弁護士側が断ればいいだけじゃないか、という意見が書かれていました。小さなことでもなんでもウェルカムではなく、有償性も含めて、弁護士側がもっとアピールすればいいではないですか。あえていえば、それを決定的にやらず、「心得違い」をさせているのは、あるいはさせたのは弁護士側ともとれます。そんなことをすれば、さらに弁護士は利用されないというならば、「選別」を厭うべきではありません。それが「改革」が生んだ競争の現実だ、というのであれば、そのどこが「市民のため」なのか、を問わなければならなくなります。(「変わらない弁護士報酬『不評』から見えるもの」 「日弁連イメージ広告戦略への距離感」)。

     弁護士会内の論議を含めて、この「改革」のおかしさを訴えてきた弁護士が沢山いることを知っているだけに、「弁護士(側)」とひと括りにすることには、若干の心苦しさも覚えます。また、「改革」の結果が直撃した弁護士たちのなかには、「改革」推進派がどういうつもりだったとか、そんなことは自分たちにはもはや関係ない、という発想が広がっていることも感じます。

     しかし、あえていえば、それも、市民、国民にどうこう言える話ではありませんし、結果責任について、誰も何もいわなくていいことにはなりません。「市民のための『改革』」とは、一体、何だったのかを、やはり今、問わないわけにはいかないのです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    保釈保証書担保機能をめぐる弁明と現実

     全国弁護士協同組合連合会(全弁協)が「保証機関」となり、裁判所が「被告人以外の者を差し出した保証書を以て保証金に代えること」を許した場合(刑事訴訟法94条3項)を前提に、保証書を発行する、いわゆる保釈保証書事業がスタートして、今年7月で丸4年になります。ただ、この間、全弁協からの情報発表は極めて限られており(「保釈支援の現実と懸念」)、この事業の現実について、残念ながら弁護士会内の認識が十分共有されてきたとはいえません。スタート時から比べると、会員の関心も同事業から遠ざかりつつあるようにみえます。

     そうしたなか、唯一といっていい一般向け広報の場となってきた全弁協ホームページ上のサービス案内コーナーに、昨年、この事業に関する、あるQ&A が掲載されました。結論から言うと、このQ&Aは同事業を推進する側として、よく考えられているものであると同時に、それだけ現在、同事業が置かれている状況も、よく映し出しているものにみえるのです。

     詳細はご覧頂ければと思いますが、設問は3つで、内容は大略以下のようなものです。

     ① 裁判所(官)から、全弁協の保釈保証書では被告人の出頭確保及び罪証隠滅行為の防止等のための担保機能が不十分なので、保釈保証書のほかに現金を納付するように言われたが、どう対応したらいいか。
     ② 全弁協の保釈保証書を発行した件数は、どれくらいか。そのうち、保釈取消しになったものは、どれくらいあるのか。
     ③ 全弁協発行の保釈保証書に関して、その被告人の出頭確保及び罪証隠滅行為の防止のための担保機能について、平成27(2015)年に、東京高等裁判所で二つの決定が出されたそうだが、どのように判断しているのか。また、この二つの決定から、どのようなことに注意したらよいか分かることはないか。

     ここで挙げられている二つの高裁決定とは、一つは、保釈保証金計500万円のうち300万円について、全弁協の保釈保証書で保証金に代えることを許可した原決定を、被告人の出頭確保及び罪証隠滅行為の防止のための担保機能を著しく損なう、として取り消した同年5月19日の決定で、もう一つは、保釈保証金計300万円のうち250万円について全弁協の保釈保証書で代えることを許可した原決定に対する検察官からの抗告について、「保証委託者の被る経済的損失は被告人にとっての心理的負担や経済的威嚇として十分である」として棄却した決定。要は、保釈保証書の担保機能について、正反対の方向の結論になった二つの司法判断です。

     前記3つの設問に対して、全弁協のアンサー部分の内容は、およそ以下のようになります。

     ① 全弁協の統計では、制度開始以降平成28(2016)年11月25日までの保釈保証書発行件数1625件(保釈保証金額が保釈保証書発行限度額300万円を超えるものは除く)のうち 1244件(約76.6)は、保釈保証書のみで保釈が許可され、現金納付はしておらず、保釈保証書のほかに現金納付を求められる方が少数。ただ、保釈の対象になる事件は、ごく軽微な事件から重大犯罪まで様々ですし、逃走等のおそれの程度も様々であり、一律に、保釈保証書以外に現金納付を求めるのは不当とはいえない。逃走や罪証隠滅のおそれが小さいこと、被告人と保証委託者との関係について、より詳細に主張して、できる限り保釈保証書だけで保釈許可が出るように交渉してはどうか。
     ② 全弁協の保釈保証書発行事業は、現在、旭川を除く全国の単位協同組合で申請の取次を行っており、平成28年11月25日までの間に、1716件(保釈保証金額が300万円を超えるものを含む)の保釈保証書の発行、うち没取は10件(うち覚せい剤事件6件)しかない(0.58%)。さらに、覚せい剤事件以外で没取になった4件のうち、2件は、単純に住所変更の許可を取っていなかったというもので、逃走・不出頭事案ではない。全弁協発行の保釈保証書の被告人の出頭確保及び罪証隠滅行為の防止のための担保機能が十分であることが裏付けられている。
     ③ 裁判所は二つの事案のうち前者のような覚せい剤事件で、その事案の内容や前科前歴の関係等から長期の実刑が予想されるような場合には、500万円のうち300万円を保釈保証書で代納するのは、被告人の出頭確保及び罪証隠滅行為の防止のための担保機能を著しく損なうと判断されることがあるとしつつも、後者のような窃盗等の一般の事件では、被告人にとっての心理的負担や経済的威嚇として十分であることを認めており、両者は矛盾していない。

     この設問の目的は、はっきりしています。それは全弁協が発行する保釈保証書の担保機能が十分に存在していることの弁明であり、この点に対する利用者の疑念の払拭です。そして、彼らがなぜ、いま、このQ&Aを作ったかといえば、この点こそ、彼らの事業にとっての、最大のネックであるから、ということが推察されるのです。「紙」による代納が、保釈制度の前記担保機能(抑止力)を維持し得るのか、それは現金納付と比べても、有効に作用するのか――。この点は、全弁協の制度の構想時から、専門家の間でも指摘、懸念され、現にこの点での米国での「失敗」が保釈金額上昇という、思わぬ副作用まで生んでいる実態が関係者からも報告されていました(「保釈保証書に冷やかな米国司法の現実」)。

     また、今回の設問からもうかがえることですが、法曹関係者に聞けば、依然、日本の裁判所、検察庁にも保証書の抑止力を問題視する見方は根強く存在している現実があります。

     全弁協は、そのネックを今回、自ら積極的に取り上げ、利用者と、裁判所・検察庁内にある担保機能への疑念に対して、没取の少なさと、事案による裁判所判断の違いという実績を提示することで、保証書事業そのものの可能性を強くアピールした、といえるのです。

     ただ、ここであえて気になる数値を提示しておかなければなりません。保釈支援では、2004年にスタートして既に定着している日本保釈支援協会による、保証金の現金立て替え事業の実績です。同協会の立て替え事業への昨年度申し込み件数は7912件、立て替え件数4756件で、同年度だけ比べても申し込み件数で全弁協保釈保証書事業の約8倍、立て替え件数は保証書発行件数の約7倍という規模です。同協会の申し込み件数と立て替え件数はスタート以来、ともに右肩上がりで、その勢いは全弁協が支援事業に参入後もとまらず、申し込み・立て替え件数ともに過去7年間で倍増しています。

     気になるのは、没取件数です。取材したところ、同協会の場合、昨年度4756件の立て替えのうち、没取はわずか8件、没取率は0.17%。事業スタートからこれまで過去13年間の全実績でみても2万9062件中86件、0.30%と、全弁協の前記0.58%とは、歴然たる差があるということです。これは、今後の保釈保証書事業の展開のなかで埋められていく差なのか、それともこれこそが「紙」による支援の逆転することがない限界なのか、という点は、当然問われてくるところだと思います。

     この両制度について取材した、ある弁護士は「刑事弁護士は単に利用できるものなら、何でも利用するという発想しかないので、全体的に制度的関心は低い」と話していました。弁護士の関心は主に制度の使い勝手であり、全弁協保釈保証書事業についても、利用できるならば利用すればいい、選択肢はあっていい、というところで思考停止し、裁判所や検察庁ほど没取率やそれが示す保釈の抑止力といった問題に今一つ目がいかない、という現実もあるようにみえます。

     日が当たっていない制度であればなおさらのこと、全弁協が弁明する可能性の先に、保釈制度はどのようになっていくのか、冷静な視線も求められているように思えます。


    全弁協の保釈保証書発行事業を利用した感想、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5882

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    「司法エリート没落」記事の限界

     いわゆる「エリート」といわれる人間たちは、時にその人の人間性や資質と関係なく、この社会では「やっかみ」の対象になります。そこには、「選ばれた者」に対する「選ばれなかった者」への劣等感があり、そして彼らの「没落」に対してもつ痛快感もまた、そこから生まれてくることを、私たちは知っています。

     以前も書きましたが、司法改革による弁護士の経済的異変を、2009年くらいから取り上げ始めた経済誌などの企画は、「エリート」とされる仕事の意外性とともに、その経済的「没落」に対する好奇の目が、報じる側の動機付けとして、相当影響しているとみることができました。実際に取材協力などを通して経済誌側と接してみると、「改革」の影響は、彼らにとっては、むしろこうした取り上げ方しか取り上げようがないテーマであることも分かりました(「弁護士『没落』記事の効果」)。

     好奇の目がすべて俗悪的な痛快感に支えられているとは、もちろん言えません。ただ、その企画が、どうしてこういうことになったのかはもちろん、さらに肝心なのは、こういう事態を生んでまで進行させた「改革」の価値に踏み込まないのであれば、前記痛快感頼みの企画とあまり変わらない、現実的には区別がつかないように思えてくるのです。

     「弁護士 裁判官 検察官 司法エリートの没落」という2月25日付け週刊ダイヤモンドの特集記事が話題になっています。弁護士を他士業と並べた企画はありましたが、法曹三者を並べたという点は新しさを感じます。ただ、全体的なテーストは、やはり前記これまでの彼らの扱い方、その発想のなかでの企画という印象は否めないものです。

     弁護士の急増、過当競争のなかでの経済的異変・収入減、組織内弁護士への期待感、大手、新興、中小事務所で全く異なる弁護士像、そのなかで「混沌の弁護士業界を先駆ける」、弁護士ドットコムやアディーレのトップを「風雲児」として紹介する、といった当たりまでは、情報そのものに正直あまり目新しさはありません。

     五大事務所がM&Aから「危機管理」にシフトし、不祥事企業に群がっている現実や内部の勤務実態に関する記事は興味を持たれている業界関係者も多いようですが、彼らは「ハゲタカ」として扱われています。また、預かり金着服事案など弁護士のモラルハザードの深刻化に触れるなかでは、3月3日の日弁連臨時総会に諮られる「依頼者見舞金制度」について、「弁護士の面汚しの尻拭いをする」という見出しとともに、「社会正義を実現する使命を帯びた人々でつくる業界団体が、犯罪者の『けつを持つ』。何とも情けない時代になった」と指摘。執行部の狙いに反し、とても好感触にはつながらない現実も浮き彫りになっています。

     ただ、やはりこうした現実を刺激的に浮き上がらせる企画(もちろん、読者の興味をひくための、やや俗っぽい演出はよいとしても)の先に、現在も進行しているこうした状態が、「改革」の価値につながるのか、要はやるだけの甲斐があるのか、について、相変わらずたどりつけない印象を持ちます。

     また、裁判官、検察官については、話題になっている、事実上学識者である山口厚氏の最高裁判事就任による、弁護士枠減少問題を取り上げ、官邸による最高裁への人事介入、長くいわれ続けている事務総局支配、検察不祥事を経て検察の劣化、現場と赤れんが組について解説など掲載されています。しかし、彼らについては「エリートの没落」といっても、弁護士とは質が違うもので、むしろ根底には「改革」を飛び越して、長年横たわってきた体質的問題があるようにとれます。

     そうしたなかで、「つぶしたくてもつぶせない崩壊寸前の法科大学院の今」という記事では、つぶせない「お家事情」として教員の首が切れないことを挙げ、「失職」がネックであることに言及したことは注目できます(「法科大学院の『本音』と『自覚』」)。ただ、「苦悩」はいいとしても、彼らがいうような法科大学院の「安楽死」がいつ訪れるのかは全く見えていません。

     「エリートの没落」というコンセプトで括られているうちは、「これで本当にいいのか」という読者への投げかけは、残念ながら、結果的に二の次になっているようにみえます。業界の情報に「へぇ」とうなったり、その現実に俗悪的な痛快感を持ったり、あるいはこんな世界は目指さないという意識は呼び起こしたとしても、それ以上の効果が期待できるだろうか、という気持ちになってしまいます。

     
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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
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