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    消えた法曹一元と給費制への姿勢

     今、考えると、ある意味、信じられないことではありますが、今回の司法改革は当初、法曹一元制度実現への期待をはらんだものとされました。もっとも正確にいえば、同実現を長年の悲願としていた、弁護士会がこの「改革」にその期待を被せたということです。さらに当時の印象で言えば、弁護士会の多くの会員が本当にそれが実現すると、その気になっていたのかは疑わしく、むしろこの期待感によって会内「改革」主導層は、1964年の臨時司法制度調査会意見書以来の、会内の法曹一元論者をはじめとする有力者を、今回の「改革」路線に導いた観がありました(「『法曹一元』論が果たした役割と結末」)

     そして、その期待感とは何であったかとといえば、法曹人口の激増政策に、前記意見書で制度実現のために条件化された給源の確保を、最高裁関係者の必要論に実現への空気の変化を、さらに法科大学院制度の登場に、法曹養成における弁護士会のイニシアティブを、すべて弁護士会が描き込んだうえに、実現を夢見たものだった、といえるのです。

     法曹一元がこの「改革」の先に現れないことを、ほどなく弁護士会関係者も気付くわけですが、そもそも「改革」の発想は、彼らが考えていた以上に、実はその期待感に冷淡なものであったといわなければなりません。そして、今思えば、そのことを絶望的に明らかにしたのが、実はこの「改革」の先に現れた「給費制」廃止だったのではないかと思うのです。

     弁護士は国家事務を行うものとして必ず統一的な司法修習を、他の法曹二者とともに受け、対等に国家に養成されるという、長年守られてきた給費制の意味。そのことよりも、事業者として民間にある弁護士の私益性を、裁判官、検察官と区別し、あくまで民間事業者の職業訓練として自弁とすることを強調し、そしてそれが何よりも、増員政策による司法試験合格者増と法科大学院制度優先という目的から、「改革」が導き出した給費制廃止という結論。この時点で、完全にこの「改革」には、法曹一元の根本的な意味を理解する発想がないことが浮き彫りになっている。

      別の言い方をすれば、弁護士会関係者の前記期待感は、その根拠だった増員政策と、法科大学院制度によっても、完全に裏切られたというべきなのです。法曹養成は国の責務であり、それは国費で賄うこと。そのなかで弁護士が三者対等に養成されること。その基本的発想に立てない「改革」の、どこをどう捻っても弁護士を裁判官の給源とする制度は生まれない。「国家事務」に携わる同一性の発想では、前記1964年の臨司意見書の時点よりも、さらに後退しているという見方もできるのです。

     そして、その結果が志望者減につながっているとなると、途端に「改革」路線のために、給付制という限定復活に踏み切っても、前記本質論は抜け落ちたままです。

     問題は、日弁連・弁護士会の主導層が、この「改革」の現実にも、そして法曹一元と給費制に絡む、この欠落した本質論にも、もはや何もなかったかのように冷淡、無関心に見えるところです。増員政策を根本的に支持しながら、あるいは法科大学院制度堅持を掲げながら、「給費制」存続や復活を唱えることの、ある種の矛盾と論理破綻をいう声は、会内につとに存在していましたが、それはあれほど悲願として掲げてきた法曹一元についてもいえることなのです。

     全国の弁護士が給費制廃止を憲法違反であるとして国を相手に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁は7月10日、弁護士らの上告を退ける決定を下しました。弁護士有志でつくる「ともに日弁連を変えよう!市民のための司法をつくる会」(及川智志代表)が同月24日、決定に強い遺憾の意を表明するとともに、国が責務として法曹養成を国費で賄う制度に戻す必要を訴える声明を発表しました。

     一方、日弁連は本日現在、この件に関して、会長声明も談話も発表していません。3月の日弁連として支援策を決めた、いわゆる「谷間世代」問題への対応をめぐる議論を見ても、「給費制」問題がはらむ本質的な問題から日弁連は遠ざかりつつある印象を持ちます。法曹一元は「もはや悲願ではない」という業界関係者の声も聞こえてきます(「『谷間世代』支援を決めた日弁連臨総の欠落感」 「『給費制』から遠ざかる日弁連」)。

     そこには日弁連が支持してきた「改革」路線によって、実は法曹一元も姿を消している、葬り去られているという、厳然たる事実を直視しようとしない日弁連の姿勢が被って見えてしまうのです。


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    「改革」の無責任性の正体

     AIの登場で仕事がなくなるとか、職業そのものが将来消えるといった切り口で、メディアが取り上げる「脅威論」。弁護士という仕事も、ご多分に漏れず、しばしばその対象として取り上げられてきましたが、以前も書いたように、煽り気味とも言われる、そんな取り上げた方がされる一方で、多くの弁護士は今のところ、概ね楽観視している。つまり、いわれるほどの「脅威論」として受けとめていないようにみえる現実があります(「『AI時代』脅威論と弁護士処遇への理解」)。

     その理由は、第一に現段階で見通せる弁護士業のテリトリーにかかわるAI活用の影響が、限定的なものにとれるということがあります。多くの関係者も指摘していますが、過払いのような定型型業務と法令・判例などのデータ集積にかかわるものに限定され、それ以外の多くの業務では、複雑な事実関係、情報の集積だけで、一定のロジックを見出せない法的な判断を伴うところでは、当面、AIは弁護士の仕事を脅かさないであろう、ということです(宮野勉弁護士「AIと弁護士」 野口悠紀雄氏「裁判官の仕事はAI向き?」)。

     しかし、言うまでないことかもしれませんが、このテーマに対する、個々の弁護士の意識は、別の説明の仕方をした方が、より現実に即しているように思えます。つまり、自分が弁護士であるうちに、この問題が自らの業務に影響を及ぼすか否か。AIの発展はもちろんはっきり見通せないだけに、遠い将来どうなるかはともかく、現役時代の自らの業務にかかわるかどうかが問題であり、表向きはともかく、その余についてはぐっと関心のレベルが下がる――。

     宮野弁護士は前記論稿の末尾で、次のように的確に表現しています。

     「無責任な言い方をするならば、自分のキャリアのタイムスパンの中で『逃げ切れるか』が当面の大きな課題となりそうだ」

     もとより、これが「けしからん」という話ではもちろんありません。プラスにせよ、マイナスにせよ、自らの業務との距離感でこのテーマをみることも、そしてそれを最優先させる結果として、関心が遠のいたとしても、それはある意味、当たり前の話です。時間は有限であり、やるべきこと、考えるべきことは沢山あるはずなのですから。

     しかし、目を移して、司法改革をめぐる法曹界周辺のこれまでの議論を見てくると、どうもこの発想が「改革」の建て前に隠れて張り付いているようにもとれるのです。AIと司法改革の問題は、いうまでなく、弁護士(会)にとって、全くコミットの仕方が違うテーマです。片やイノベーションに関わる問題は多くの弁護士が主体的にかかわり得るテーマというより、あくまでそれ次第で社会的に利用されるにしても、利用するにしても、大方受け身にならざるを得ないテーマ。しかし、もう一方は、少なくとも弁護士会が主体的に旗を振り、いまだ積極的にコミットしたはずの人物が沢山会内に存在しているものです。

     弁護士の増員政策にしても、法曹養成にしても、将来を見通して繰り出されたはずの「改革」が、その失敗によって、いつのまにか自らへの影響から逆算する発想で、路線が語られるとすれば、どうでしょうか。ここでも何度も書いてきたように、「改革」は当初の予想を外し、成果を出せていない。そして、見直しを迫られた「改革」は、現在、ある種の「後退戦」を強いられている状況ともいえます。しかし、「改革」の見直しが、あくまで法曹界の将来を考えた、有利な「後退戦」ではなく、推進者たち自らへの影響をいかに緩和するかという本音を忍ばせて、語られるのであれば、それは前記AIでの対応への評価とは異なり、大きな無責任の集合体といわなくてはなりません。

     弁護士が増え続けようとも、法科大学院が法曹養成の中核として志望者の自由な参入を阻害し続けようとも、前記「後退戦」すら認めず、「まだまだ決着はついていない」「『改革』は間違っていない」と唱え続ける。その無責任性が問われないのは、社会的には大マスコミが延々と旗を振り続けていることと、業界的には、もはや「受け身」に捉えても仕方がない「改革」後に誕生した弁護士たちが、業界内でかなりのウエィトを占めている現実があるからともいえます。

     しかし、「自分のキャリアのタイムスパンの中で『逃げ切れるか』」が課題となっているようにとれる「改革」推進論や推進論者が、今、存在していないでしょうか。ある意味、残念なことではありますが、この視点で見ないことには、この「改革」の無責任性に辿り付けない状況に、ますますなってきているように思えてなりません。


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    作られた「改革」イメージと救済対象

     1999年12月8日、司法制度改革審議会第8回会合で行われた、法曹三者に対するヒアリングのなかで、泉徳治・最高裁事務総長(当時)は、司法の現状に関わる次のような発言をしています。

     「我が国の司法制度が以上のような課題を抱えていることにつきましては、ほぼ異論のないところかと思いますが、一部には更に進んで、我が国の司法は機能不全に陥っているのではないか、さらには、法的紛争の大きな部分が暴力団等の不健全な形態で処理されているのではないかといった、センセーショナルな意見も見られるところでございます」
     「しかし、資料11のアンケート結果が示しますように、法律問題が起きたときに、弁護士に相談する割合は約2割にとどまっておりましても、弁護士に相談しなかったものが、すべて不健全に処理されているというわけではございません(中略)。」
     「勿論、いろいろ改善しなければならない点が多くございますが、弁護士、検察官、調停委員、それからパラ・リーガルの方々、裁判所書記官等の関係者に支えられました我が国の司法は、国際的な水準にあるのでございます。この点は御理解いただきたいところでございます」(第8回司法制度改革審議会議事録)

     ここで泉氏がクギを指している「センセーショナルな意見」というのは、中坊公平弁護士が「改革」必要論の文脈で、司法の膨大な機能不全と潜在需要の存在をイメージさせた「二割司法」を指しているととれます。それに対して、泉氏の発言は、裁判所側の現行司法についての弁明ではありながら、この点で非常に冷静な現状認識を示していたのです。

     「資料11」 というのは、法曹養成制度等改革協議会のアンケート結果で、法律問題の相談相手として、弁護士・会が21.0%である一方、司法書士・税理士など10.0%、職場の上司・同僚10.3%、友人・知人・親戚36.9%、国・市町村など12.1%、国・市町村などの役所12.1%といった結果が出ていました。弁護士相談が2割である現実をもってして、法律需要の不健全処理の烙印を果たして押せるのか、というのは、当然の疑問だったというべきですし、なによりもそうとらえることが、当時の社会の実感とも大きくずれていたように思えませんでした(経済的な認識と、弁護士を最終手段ととらえる意識等)。

     しかし、結果として、この「二割司法」の現状認識の方に、弁護士界は乗っかり、増員基調の「改革」路線に傾斜していきました(「『二割司法』の虚実」 「『二割司法』の亡霊」)。今でこそ、感覚的数値として、その根拠性を否定する見方が業界内で一般的になっているこの言葉の前に、どうして当時の弁護士たちは、むしろ泉氏のような冷静な視点で現状を見れなかったのかという、素朴な疑問が湧いてきます。

     そもそも「改革」路線は、どういう人々を救済することを、司法の課題として目指したのでしょうか。事後救済社会の到来を掲げた「改革」路線は、実は弱者救済を正面から掲げていないし、事後救済そのものへの本気度も疑わしいという見方があります(「『事後救済型社会の到来』の正体」)。経済的弱者の権利などをめぐる不公正な事態からの救済をイメージさせながら、「バイブル」とされる司法制度改革審議会意見書には、実はそうした思想が希薄で、唯一言及しているといっていいプロボノについては、弁護士に丸投げし、無償で対応せよといっているに等しい扱いです(弁護士 猪野亨のブログ)。

     では、弁護士会はどうだったのか――。経済界が唱道した規制緩和の改革に対し、「市民のための改革」を対峙させた、弁護士会は、「改革」の弱者救済的な意義を強調したように見えました。しかし、これも彼らの本音としては、違ったという見方も出来てしまいます。つまり、有償・無償の区別なく、「ニーズ」と括りながら、要は膨大な有償ニーズの存在の想定が先にあり、経済的弱者の救済は、どの程度の比重で想定されていたのか、ということです。

     「改革」の提唱から今に至るまで、弁護士会の現状認識には、司法を利用したいけど、出来ない人々が沢山いる、あるいは情報を提供し、「誤解」が解ければ、利用者はやってくるという捉え方があります(「弁護士数と需要の非現実的な発想」)。その人たちは必ずしも経済的弱者ではなく、逆におカネを払う容易がある人々と描かれているようにとれます。実は「二割司法」で描かれた8割の機能不全も、経済的理由で司法を利用できないのではなく、いうまでもなく、おカネを払う容易がありながら、知識と条件(弁護士の数等)で利用できない人、間違ったおカネの使い方をしている人ととらえていればこそ、そこに有償需要の大鉱脈を見たといえるのです。

     前記プロボノという形での弁護士丸投げに、弁護士が反発しなかったのは、顕在化すると想定された有償需要への甘い見通し(それによって対応できる)があったことは否定できないところですが、「改革」の目的としてなんとかしなければならない無償需要という認識は低かったのではないでしょうか。経済的弱者救済の役割を法テラスが担っていると「改革」が描くのであれば、それもプロボノと同様、弁護士が経済的に被ることになるという結果への認識が甘かったし、むしろ「改革」路線側の矛盾することない、弱者救済というテーマへの一貫した扱いをみるべきではないでしょうか。

     「改革」の結果を経た今、「弁護士もサービス業」「おカネを適正に払える人を相手するのは当然」ということを、当然のこととして強調する弁護士が沢山います。むしろ、そちらの方で、弁護士の仕事を社会に認識させたい、という欲求は業界内に強まっているようにみえます。もちろん、有志の精神で、かつての「手弁当」弁護士が存在できる環境も、「改革」は破壊しています。

     しかし、あえて言えば、泉氏が指摘したかつての姿が、実は経済的な問題をむしろしっかりと踏まえた、適正で当然な市民の選択の結果だったとすれば、それに丸ごと望ましくない「不正解決」という烙印を押して、「利用しやすい」をうたい文句に、「改革」を進めたのは、そして、おカネのことを曖昧にしたまま、パンドラの箱を開けてしまったのは、一体、誰だったのかということも問いたくなるのです。


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    「失われたもの」という視点

     司法改革に限らず、「改革」と名の付くものは、その「成果」とされるものだけで評価することはできません。何かを変えて、何を得たのか(「改革」の目論見通り、何を得ることに成功したのか)と同時に、それと引き換えに何を現実的に失ったのかの、比較考量がなければ、その評価がアンフェアなものになるは当然と言わなければなりません。

     この場合、「改革」を推進しようとした側が、それにしがみつき、ことさらに「成果」を強調することは、ままあることで、およそ想像もつくことですが、同時に肝心なのは、一体、誰にとっての、それが「成果」なのか、という点です。

     なぜ、改めて今、ここでそのようなことを述べているかといえば、それは司法改革にあって、誰にとって何が失われているのかという視点が、どうもぼやける、さらにぼやける方向に向かっているような気がしてならないからです。

     弁護士という資格は、この「改革」の中で、最も負の影響を被った(もっともここも弁護士によって認識が分かれるところというべきかもしれませんが)といわれます。有償・無償を区別しない潜在需要論に後押しされた激増政策によって、大きな経済的打撃を受けたことで、いまや資格としての経済的魅力まで失ってしまった、そして彼らは余裕を失った――。

     しかし、現実的には、こうした事態への弁護士の受けとめ方はさまざまなのが現実です。例えば、組織内弁護士の伸びを強調し、その将来性を強調する方や、いまだに潜在需要論を繰り返し、弁護士側の「掘り起こし」努力不足をいう人もいます。ただ、それに加えて、今、注目すべきなのは、この「改革」の現実を踏まえて、社会への、より有償サービス業としての周知・徹底化が必要とし、今をその機会ととられる弁護士が増えてきているところです。

     これは、この「改革」の結果として、当然ともいえる弁護士の動向といえます。前記潜在需要論のあいまいさによって、経済的打撃を被った側からすれば、法律相談を含めて、もともとが有償サービスであり、そうでなければ成り立たないという当たり前が、より主張されてしかるべきところでしょう。また、そこから先に進めて、「改革」以前からあった、そのあいまいさをここではっきりさせるという意識傾向になることも、理解できなくはありません。

     そのあいまいさとは、「経済的自立論」といった、いわば今は失われた前記経済的余裕が支えていたものであり、その前提が失われた時点での、彼らにとっての当然の主張という理解にもなります。その意味で、過去に通用していた弁護士利用者との関係も、これによって終了し、「これからはそうはいませんよ」ということを、積極的に発信すべきという話にもなっていきます。「改革」路線を依然として支持しながら、こうした方向でのアピールを強めていない弁護士会主導層への不満・不信も会内には存在します。あくまで「改革」の結果であるのに、そこは目をつぶるのか、と。

     当ブロクでのコメント欄でも言及されていましが、「弁護士はカネ持ちの味方」という、従来、弁護士をやや揶揄するような文脈で言われた表現、要は弱者の味方を強調する資格者の真の姿のようにいう言い方に対し、「それのどこが悪いのか」と返す弁護士も、この「改革」で目立ってきたような印象があります。もちろん、実態として、ご本人が認めるか否かはともかく、そういうスタンスにとれる弁護士は過去においてもいましたが、今、起きていることからすれば、弁護士の採算性追及をより正当化すべき、という意識の中から、それが言われているようにとれるのです。

     しかし、いうまでもなく、これらは、あくまで弁護士にとっての「改革」の受けとめ方であり、理解の仕方、割り切り方の結果であって、直ちにこれを「改革」の評価につなげることはできません。有り体にいえば、弁護士がそういう形で存在することになった、そうでなければ生きられなくなったというだけで、現実に社会として何が失われるのか、あるいは「改革」によって何がもたらされないのか、看板に偽りがあったのか、については、こだわる必要があるということです。

     弁護士の数が増やすことで、「改革」はどういう市民との関係を描いていたのか。より広く、司法によって救済される社会を描いたのではなかったのか。これまで弁護士の余裕が支えてきた無償性のニーズは誰が支えるのか。法テラスは「改革」が社会に期待させた通り、現実問題として弁護士が支える「受け皿」となり得ているのか。無償性の無理の「受け皿」を移しただけで、その先は何も見通せていなかったし、今も見通せていないのではないか。そもそも弁護士は以前より市民が安心して利用できる存在になったのか。「ゼロ・ワン」が解消されても、経済的な問題も含めて利用者にとっての「過疎」、アクセス障害は解消されたといえるのか――等々。

     弁護士を有償サービスとして自覚させ、社会もそれをより理解し、その新たな関係を構築することに意味があったとしても、それでこの「改革」の評価が終わることはあり得ません。現実的に失ったものにこだわらなければ、「改革」が実現しなかっただけでなく、実質的に後退したという結論があっても、それが導かれることがなくなってしまいます(「『生業』と『ボランティア』というテーマ」 「弁護士の『地位』と失われつつあるもの」)。

     「何かを得るためには、何かを失わなければならない」という言葉は、ある意味、真理を突いていると思います。しかし、失われたものの価値は、「改革」を続けようとする立場からは、とかく顧みられないものとなります。法曹養成にしても、志望者減少や、社会的評価を含めた法科大学院の実績に照らして、それでも旧司法試験体制を破壊してやる価値があるか、あったかが、やはり問われ続けるべきです。「作ってしまったから」「増やしてしまったから」という認識の先にくる話は、「改革」の評価とはあくまで別のものとみなければなりません。

     今でも時々、この「改革」は国民・市民が選択したというニュアンスの発言をする業界関係者がいますが、もとより「こうしたことと引き換えに、こうなります」ということが提示されて、この「改革」を社会が選択したという事実はありません。いまさら認識不足を言うのはフェアではないし、そもそも彼らだって「改革」の想定外を認めているのです。「市民のための改革」と銘打った「改革」であった以上、そこは社会の側も問い続けていいはずです。


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    「事後救済型社会の到来」の正体

     「事後救済型社会の到来」とは何であったのか、という声が聞かれます。今回の司法改革のなかで盛んに言われた、規制緩和によって、自由な競争が促進されるなかで、経済的弱者の権利などをめぐる不公正な事態に、事後的に救済される必要が生じる社会がやってくるという描き方。いわゆる「大きな司法」論につながり、規制緩和論者が司法改革のなかで、まさに法曹人口増、とりわけ弁護士増員政策の必要性の論拠としたものです。

     現実的に、「改革」当初の弁護士のなかでも、規制緩和の先にこうした時代到来が不可避であるという捉え方はされていましたし、正面からそこに弁護士の将来的役割を描き込む方もいました。弁護士会は、経済界から要求が出されていた「規制緩和型」の司法改革に対し、司法を国民の側に取り戻し、市民に役立つものにするという「市民のための『改革』」(「市民の司法型司法改革」)を掲げていました(「同床異夢的『改革』の結末」)。しかし、この「事後救済型社会の到来」に備えよ、という描き方は、少なくとも弁護士会内「改革」推進論者の中にも一定限度浸透したといえます。

     一方で、実は弁護士会内には、あたかも不可避の未来における救済の必要性とつなげるこの描き方を疑問視する見方もずっとあったのです。一つは、規制がなくなれば、たとえ「大きな司法」が作られても、法律家による救済は困難になるのではないか、という疑問。規制を緩和した部分で、弱者保護の武器となる法律も改廃され、手段を奪われることで、結果として事後救済はできなくなるのではないか、ということです。

     そして、もう一つは、そもそもこの規制緩和は、本気で事後救済を考えるのか、という疑問。規制緩和論が拠って立つ新自由主義は、企業活動を優先し、弱者保護を考えない方向で、結果は「自己責任」と結び付ける立場です。彼らの言う救済のための「大きな司法」、という発想そのものに疑ってかかる余地があったのです。

     それでは、なぜ、規制緩和論者が弁護士増員政策を必要としたのか――。その本当の狙いが別のところにあったのは、むしろ現在の「改革」の結果で、よりはっきりしてきたというべきではないでしょうか。つまりは、企業が使い勝手のいい弁護士の獲得、別の言い方をすれば、弁護士そのものをそういう姿に変えることだったということです。弁護士は増員政策により過当競争に陥り、ビジネス化し、彼らの中には利潤追求に抵抗がないマインドが生まれ、さらに安定を求める環境変化によって、彼らはこれまでより安く使える形になる――。

     嫌な見方をすれば、前記「事後救済型社会の到来」に、弁護士側が、救済者として必要とされる未来と、あるいはそこに増員後も経済的に支えてくれるかもしれない需要までも描き込んだのに対し、規制緩和論を唱えた経済界は、仮に救済必要社会が到来しようとも、弁護士が経済的に追い詰められる、その先の利の方を見込んでいた、ということになります。念頭にあったのは、救済のためではなく、企業利益のためであり、そして結果からいえば、彼らは確実にその利を獲得しつつある。

     一方、司法は弁護士の数が増えただけで、本当の意味での役割を果たす「大きな司法」などが実現しているわけではありません。最も市民の身近な存在であるはずの町弁の衰退がいわれ、企業内弁護士が唯一の明るい未来のようにいわれているのをみても、また、もはや弁護士会の自治・強制加入を規制ととらえ、普通の業者団体化や任意加入化を求める会員の意識傾向まであるのをみても、経済界、あるいはこの方向を歓迎する勢力にとっての「改革」の果実は、確実に実を結んでいるようにもとれるのです(「『町弁』衰退がいわれる『改革』の正体」)。

     いまや弁護士会の掲げた「市民のための『改革』」は、規制緩和型の前に、完全に敗北したという人もいます。規制緩和の特定の果実だけが残っているようにみえる「改革」の結果は、確かに市民からすれば、一体どこが有り難いのか、と問いかけたくなるものになりつつあるようにみえます。そして今、どうなってしまったのか、問いたくなる「事後救済型社会の到来」も、やはり救済の正義より、彼らの「改革」への動員という役割を持った描き方だったのか、と今さらのように思ってしまうのです。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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