「司法エリート没落」記事の限界

     いわゆる「エリート」といわれる人間たちは、時にその人の人間性や資質と関係なく、この社会では「やっかみ」の対象になります。そこには、「選ばれた者」に対する「選ばれなかった者」への劣等感があり、そして彼らの「没落」に対してもつ痛快感もまた、そこから生まれてくることを、私たちは知っています。

     以前も書きましたが、司法改革による弁護士の経済的異変を、2009年くらいから取り上げ始めた経済誌などの企画は、「エリート」とされる仕事の意外性とともに、その経済的「没落」に対する好奇の目が、報じる側の動機付けとして、相当影響しているとみることができました。実際に取材協力などを通して経済誌側と接してみると、「改革」の影響は、彼らにとっては、むしろこうした取り上げ方しか取り上げようがないテーマであることも分かりました(「弁護士『没落』記事の効果」)。

     好奇の目がすべて俗悪的な痛快感に支えられているとは、もちろん言えません。ただ、その企画が、どうしてこういうことになったのかはもちろん、さらに肝心なのは、こういう事態を生んでまで進行させた「改革」の価値に踏み込まないのであれば、前記痛快感頼みの企画とあまり変わらない、現実的には区別がつかないように思えてくるのです。

     「弁護士 裁判官 検察官 司法エリートの没落」という2月25日付け週刊ダイヤモンドの特集記事が話題になっています。弁護士を他士業と並べた企画はありましたが、法曹三者を並べたという点は新しさを感じます。ただ、全体的なテーストは、やはり前記これまでの彼らの扱い方、その発想のなかでの企画という印象は否めないものです。

     弁護士の急増、過当競争のなかでの経済的異変・収入減、組織内弁護士への期待感、大手、新興、中小事務所で全く異なる弁護士像、そのなかで「混沌の弁護士業界を先駆ける」、弁護士ドットコムやアディーレのトップを「風雲児」として紹介する、といった当たりまでは、情報そのものに正直あまり目新しさはありません。

     五大事務所がM&Aから「危機管理」にシフトし、不祥事企業に群がっている現実や内部の勤務実態に関する記事は興味を持たれている業界関係者も多いようですが、彼らは「ハゲタカ」として扱われています。また、預かり金着服事案など弁護士のモラルハザードの深刻化に触れるなかでは、3月3日の日弁連臨時総会に諮られる「依頼者見舞金制度」について、「弁護士の面汚しの尻拭いをする」という見出しとともに、「社会正義を実現する使命を帯びた人々でつくる業界団体が、犯罪者の『けつを持つ』。何とも情けない時代になった」と指摘。執行部の狙いに反し、とても好感触にはつながらない現実も浮き彫りになっています。

     ただ、やはりこうした現実を刺激的に浮き上がらせる企画(もちろん、読者の興味をひくための、やや俗っぽい演出はよいとしても)の先に、現在も進行しているこうした状態が、「改革」の価値につながるのか、要はやるだけの甲斐があるのか、について、相変わらずたどりつけない印象を持ちます。

     また、裁判官、検察官については、話題になっている、事実上学識者である山口厚氏の最高裁判事就任による、弁護士枠減少問題を取り上げ、官邸による最高裁への人事介入、長くいわれ続けている事務総局支配、検察不祥事を経て検察の劣化、現場と赤れんが組について解説など掲載されています。しかし、彼らについては「エリートの没落」といっても、弁護士とは質が違うもので、むしろ根底には「改革」を飛び越して、長年横たわってきた体質的問題があるようにとれます。

     そうしたなかで、「つぶしたくてもつぶせない崩壊寸前の法科大学院の今」という記事では、つぶせない「お家事情」として教員の首が切れないことを挙げ、「失職」がネックであることに言及したことは注目できます(「法科大学院の『本音』と『自覚』」)。ただ、「苦悩」はいいとしても、彼らがいうような法科大学院の「安楽死」がいつ訪れるのかは全く見えていません。

     「エリートの没落」というコンセプトで括られているうちは、「これで本当にいいのか」という読者への投げかけは、残念ながら、結果的に二の次になっているようにみえます。業界の情報に「へぇ」とうなったり、その現実に俗悪的な痛快感を持ったり、あるいはこんな世界は目指さないという意識は呼び起こしたとしても、それ以上の効果が期待できるだろうか、という気持ちになってしまいます。

     
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    「前向き」論への視点

     あけましておめでとうございます。

     志望されない業界になっているという、お世辞にも明るいとはいえない現実を抱えている法曹界。そんななかで、「前向き」論と括れるような論調を繰り出されている方々も目立ってきました。既存法曹が業界の未来と自ら生存をかけて、「前向き」であること自体を頭から否定する人はいないと思います。ただ、それがこの状態を生んでいる「改革」への肯定的評価とつなげようとする試みを含んでいるとなると、本来話は別といわなければなりません。

     「改革」の動かし難い負の影響の前に、「改革」を全否定するのはおかしい、として、プラス面を強調する論調が業界内に登場しています。増員政策にしてもある種の需要がみたされた、裁判員制度によって裁判所が国民の目線を意識するようになった、民事裁判が短縮化された――。「改革」以前には、どうにも動かなかったものが、制度改革によって着実に動いたんだと。昨年、「希望」という言葉を書名に冠した裁判官・元裁判官らによる書籍が出版されましたが、まさに、「改革」路線の先にある未来の希望を、そのプラス面に見出そうとする試みです。

     しかし、こうしたタイプの「前向き」論に出会う度に、二つのことが気になります。一つは、それがどういう意味を持つのかということへの疑問です。前記したプラス面の捉え方自体、評価が分かれるところですが、仮にそれが正しい主張であったとしても、それこそ、「司法改革」といわれるもの全体に点数をつけるような試みにしかいかされない。要は、反対派が主張するようなマイナス面について、何の助け舟にもならないということです。

     そもそも「改革」反対派、慎重派が、プラス面を含めて全否定しているとは限らず、プラス面があったとしても、マイナス面を無視できないといっているのであれば、対立軸はずれていることになります。むしろ、「前向き」論が反対派、慎重派への対抗論調として真正面からぶつけられ、正当性が主張されるのであれば、マイナス面の犠牲をプラスの「価値」によって、許容させようとする方向にだってとれてしまいます。

     ただ、現実的には「価値」の評価、つまりこれだけのプラスを「改革」生んでいるんだから、ある種の犠牲が伴うのは致し方ない、という直球勝負ではなく、単にそれは「改革」の現実への目くらましにしかなっていない、ように見えます。反対派・慎重派からすれば、どこまでいっても光の部分の「希望」を語るだけでは済まない、という言葉が用意されるはずなのです。

     そして、もう一つは、その「前向き」論が見出そうとしている「希望」とは一体、誰にとっての希望なのか、ということです。生き残ろうとしている弁護士にとっての希望なのか、裁判官にとってのそれなのか、これから法曹になろうとするものにとってのそれか、それとも私たち利用者にとってのものなのか――。「改革」の現実的な問題は、むしろそれが共通のものとして生み出せていない、想定通りには生み出せていないというところにあるのではないでしょうか。

     弁護士が増やしても経済的には破綻せず、市民にとってよりよい形の司法救済が実現し、そして、それを支える優秀な人材がこの世界に集まる。利害の対立ということだけでなく、それぞれの無理を直視しないところに、むしろ「改革」の想定の甘さがあったのではないでしょうか。弁護士会主導層などから昨今聞こえてくる「魅力」発信を同業者に求める論調も、現状を甘く見た、一方向からの「前向き」論である印象を持ちます。

     最近のツイッターでこんなことがつぶやかれていました。

      「司法制度改革について『弁護士が儲からなくなったら弁護士志望者が減る』という批判をする弁護士が居て、それに対して『自分が儲からなくなるのが嫌なんだろ』って反論は、むしろ相手の論を補強してるよね。 目の前の弁護士は『元・弁護士志望者』やで」(泥濘大魔王サイケ)

      「改革」をめぐって、甘えや努力不足一辺倒で弁護士をたたいてみてももはやこの現実からは抜け出せない、むしろそれが盲目的であるところに「改革」論調の行き詰まりが読み取れます。もはや自らにとってもマイナスになることまでが強弁されていることこそ、「改革」の行き詰まりの根深さ、深刻さを物語っているというべきなのです(「弁護士のため息」)。

     やはり私たちは、さまざまな立場で繰り出される「前向き」論、楽観論に惑わされず、この「改革」が当初の想定に反し陥っている現実に向き合う必要があります。


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    「改革」と期待の危うい関係

     「改革」と名の付くものには、もちろんさまざまな期待が被せられますし、なかにはそれが前に進める原動力だとする人も現れます。ただ、その期待の方が先行してしまうとどうなるのか――。その弊は、期待に目がくらみ、あるいはそれに後押しされて、冷静な現状分析がなされないまま、「改革」のレールが引かれる当然の結末として、結果が出せないということだけに、実はとどまりません。さらに、深刻なのは、それでも期待にしがみつくという現象が生まれることです。

     その結果として、動き出した列車は止まらない。もちろん、れっきとした期待の対象が存在し、それが「改革」をさらに前に進めているのだ、と強弁する人も登場します。しかし、「見直し」という建て前の議論で、見つけられ、被せられる期待は、「改革」の当初の目的や描き方の正しさを問うことから離れ、いつしか列車を止めないことを目的に繰り出されているものにもなりかねないのです。

     これが、まさに今回の司法改革が陥っている現実ではないでしょうか。増員政策による過剰状態が明らかになりながらも、弁護士会のなかにはいまだに有償・無償を区別することなく、その増員弁護士を支えるニーズの存在へ期待をつなぐ論調が延々と存在しています。なかには非採算的なニーズにもビジネスチャンスがあるとか、自らの成功体験をあてはめて期待することの正しさをいうものもあります。「受け皿」としての組織内弁護士にしても、あるいはもはや弁護士ではない「法曹有資格者」という枠組み転換にしても、期待の中身はよく見れば、依然不透明です。

     志望者減という現象に対しては、「改革」の法科大学院本道主義を守ることを念頭に、合格率の向上で志望者が返ってくるという期待が被せられますが、そういう方々が、肝心要の弁護士の経済状況の好転(あるいはそれがもたらされない影響)をその先にどのくらいリアルに期待できているのかは皆目みえません。本道主義を守るために予備試験を制限した場合、今のより人材が離れるという結果や、統廃合と志望者減によって、生き残った法科大学院の累積合格率が仮に7割を達成したとしても、それがあるべき法曹の選抜の形として望ましいのかといった疑問は、彼らの期待の前では無視されているようにみえます。

     裁判員制度にいたっては、「改革」が一顧だにせず、そもそもこの制度の目的として全く考慮されていない誤判防止を、この制度に期待する論調も被せられています(司法ウオッチ「編集長コラム『飛耳長目』~冤罪防止と裁判員制度の危うい期待感」)。一方で、民意を反映する建て前の制度の民意離反が進むなかで、筋違いの期待感が制度存続を後押しする格好にもなりかねないようにとれます。

     期待に水をさすような現実論に対して、「ネガティブ情報」として批判する声が聞かれます。意図的に「改革」の足をひっぱっている、「改革」批判が目的化しているといわんばかりの批判も耳にします。前向き論があたかもその姿勢のよさだけを根拠に繰り出されますが、それは見方を変えれば、「ネガティブ情報」というレッテルによって、耳を貸すなということだけにその目的があるとしかとれません。

     最近も、村越進・前日弁連会長がある媒体で、弁護士の生活困窮の情報が耳に入ってこない、ネガティブ情報が独り歩きしている、と述べていることがネットで取り上げられていました(武本夕香子弁護士のブログ)。もちろん、このことだけで、弁護士会主導層に本当に情報が届いていないのか、それとも彼らが意図的に耳を貸そうとしていないのかは分かりません。

     ただ少なくとも、前会長の認識を裏打ちするかのように、「改革」の影響が深刻化すればするほど叫ばれるようになってきた「魅力を語れ」「メリットに目を向けろ」という掛け声は、社会に誤ったメッセージを伝える危険性があるだけではなく(「弁護士の『魅力』をめぐる要求が示すもの」)、内向きには前記期待に水をさす現実論に、耳を貸すなというメッセージになっていることも抑えなくてはなりません。

    以前、法曹養成改革の見直し議論のなかで、ある有識者が「改革」が生み出して新制度を撤廃して元に戻すという発想を、「そこまで恐ろしいこと」と表現したことがありました(「法曹養成論議の気になるシーン」)。後戻りに恐怖する方々も、この「改革」には確かに存在しています。少なくとも私たちは、手を変え品を変え繰り出され、煽られる「改革」への期待と、列車を止めたくないという意図によるバイアスについて、冷静に見つめる必要があります。


    「予備試験」のあり方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    無関心、無関係に助けられている「改革」路線

     今回の司法改革「路線」は、結果として国民の無関心に助けられているのではないか、と思うときがあります。何を言いたいかといえば、改革の結果に対して、国民は自らにかかわる問題として厳しい眼を向けることがなく、推進論者が責任を追及されることもなくて済んでいる、ということです。

     これはある意味、司法にとっては皮肉な結果ともいえるかもしれません。無関心を生み出しているのは、いうまでもなくむしろ推進論者が乗り越えたかった縁遠さであるということもいえるからです。弁護士が過剰に増えようが、法科大学院制度が失敗しようが、そして、それがどういうずさんな見込みや利害打算が絡んでいようが、「私たちには直接かかわりない」「かかわらないで済むはず」と、距離を置いてみることができる。「かかわりがない」という認識が先に立てば、当然、批判的捉え方は後方に押しやられます。

     常道とはいえ、推進するときは、それこそ「こんなに変わる」「こんなにかかわりがある」と国民にアプローチした「改革」が、雲行きがあやしくなれば、「変わらない」「かかわりがない」という国民の認識で批判を浴びない、助けられるなどということがあっていいのでしょうか。「市民のため」と豪語したはずの弁護士会はどうなのでしょか。この結果に対して、本当に「市民のため」ということを優先した姿勢といえるのでしょうか。

     「かかわりがない」という認識が薄く広がっているのならば、あくまで国民にかかわる「失敗」は伝えず、その向こうに必ずややってくるメリットを言い続けることもまた、たやすくなるように思います。

     「国民にかかわる決定的な実害を、社会が認識するまで、改革『路線』はとまらないのではないか」

     こう語る弁護士がいました。弁護士が増え、その経済環境を激変させ、それとあいまって強制プロセスである法科大学院制度の負担とともに、まるごと法曹界に人材が来なくなり、結果、将来的に弁護士という存在そのものが変質する。生存をかけた弁護士たちが、結果、生きるために「自治」を自滅に追い込むかもしれない。人権擁護としても、サービス業としても、弱者はさらに救われない。数は増えても、身近でも、使いやすくもなく、安心もできない。淘汰による良質化もなければ、低額化もなく、それどころか、独立した弁護士という資格さえも消えていく――。

     そのくらいになって、ようやく「かかわりがない」と考えてきた層も含めて、「これはどうしたことか」「何か意味があったの?」と本気で気づくのではないか、と。もちろん、そのころには、すべて手遅れであり、もちろん責任追及などという話にもならない、と。

     「年収200万円弁護士、依頼を求めて町から町へ」。こんなネット上の記事が最近、話題になりました(「日刊SPA!」9月6日)。紹介されているのは、中部地方の田舎町で開業する55歳の弁護士の話。30歳で司法試験合格後、バブル期に登録し、年収1000万円超のイソ弁時代をおくった彼が独立開業後、仕事を求めて過疎地をさまようことになったという話です。

     最近、また多くなってきた感がある弁護士の経済的窮状にスポットを当てた記事ですが、こだわりたいのは、この記事が一体何の意味があるのか、ということです。こうした記事の多くは、以前も書いたように、エリート「没落」の好奇の目に支えられているといえますが、こうした状態に陥った原因について、全く言及していないこの記事は、その典型といえます(「弁護士『没落』記事の効果」)。

     弁護士増員政策にかかわる点への言及がないこの記事では、数が増えても事件が増えない状況がこの弁護士の運命にかかわったという以上に、何も伝わるものがありません。仕事が続かないのは、「(彼の)気の利かない性格や会話の少なさが災いしてる」などという、「近しい人」の声をご丁寧にひけばなおさら、自己責任という読み取り方もしてしまいます。もちろん、個人にかかわるエピソードは、現象を象徴する一方で、「そんな人間ばかりでない」という例外視を生み出してもおかしくありません。

     まさに「かかわりがない」「関係ない」という社会の視線のなかで、それに向けられて書かれた記事といえます。「へーそうなんだ」という反応以上のものを、期待していないものといっていいかもしれません。もちろん、それ以上のことをこの記事に期待するのもおかしいという見方はできます。しかし、好奇の目に応えるだけで終わる弁護士が大変、法科大学院が大変、志望者が減って大変で終わるメディアの取り上げ方にも、改革「路線」は助けられているようにみえるのです。

     ただ、一方でこの記事は、「路線」に対して、一つだけ確実に有り難くない真逆の効果を生む可能性があるとはいえます。いかにも経済的価値がさがってしまった資格としての弁護士の姿は、確実に志望者をこの世界から遠ざけるからです。その「効果」がもたらす意味もまた、この記事から読みとられることはないはずです。弁護士の仕事の魅力を語れということがしきりと言われ、あたかも現実が語られることがネガティブ・キュンペーンであるかのような言い方も推進派から聞こえてきますが、そういう方々は、こうした現実について、どこかで社会の例外視の方を期待しているといえるかもしれません。うまくいっていない奴もいるけど、ほとんどはあなたのイメージ通り、経済的にもいまだエリートですよ、と。

     「助けられている」という言い方をしてきましたが、あくまでそれは「路線」を維持したい側にとっての話。司法改革が最終的に「市民のため」になるものであるべきというのであれば、これもまた真逆の効果を生み出すといわなければなりません。司法が身近になるメリットを実感できないまま、気が付けばデメリットだけが回ってくる。そんな「改革」だけはあってはなりません。


    「依頼者保護給付金制度」についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7275

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    「幻想」としての司法改革

     「縄文時代」のイメージは、つくられた幻想だった、ということを、8月30日付け朝日新聞朝刊オピニオン欄に掲載されているインタビーューで、先史学者の山田康弘氏が語っています。興味深いのは、時代背景、社会背景でそれが変遷してきたという点です。戦後間もなく、代表的な弥生遺跡である登呂遺跡の発見で、ポジティブな弥生時代イメージが登場し、日本人がそこに日本の原風景、ユートピアをみるなかで、縄文時代は貧しく遅れた時代に。

     それが1970年代、国土開発で大規模開発が行われ、縄文遺跡から籠や漆を塗った椀が、一方弥生遺跡から武器が発見され、高い技術を持つ縄文人、争いが多かった弥生時代となり、「縄文は遅れていた」「弥生は平和」というイメージが崩れてきた。高度成長の終焉、公害の社会問題化で、現代社会への懐疑が高まるなかでの「ディスカバー・ジャパン」、オカルトブーム、その空気が縄文土器に美を見出した岡本太郎らの「縄文ポピュリズム」と結び付き、縄文ブームを起こした。

     さらに、1990年代になると、三内丸山遺跡などの発見で、縄文の平等社会イメージに疑問符がふられ、バブル崩壊後、格差や社会の階層化が問題になった時期に、縄文時代にも階層があったという話に――。

     彼は、この一連の流れについて、こう括っています。

     「縄文のイメージは、考古学的な発見とそれぞれの空気があいまってつくられてきたものです。見たい歴史を見た、いわば日本人の共同幻想だったんです」

     これは、とても示唆に富む意見だと思います。私たちは、何かの発見によって、すぐさま歴史が塗りかわったかのように、それを受けとめてきたかもしれません。しかし、考えてみれば、山田氏が言う通り、縄文にしても地域差もあれば、文化の併存だってある。現代人である私たちが考えたい、進歩史観やユートピア論が、多様性を奪い、実際とは違う歴史を生み出してしまっているのかもしれません。

     いささか突拍子もない話と思われるかもしれませんが、この記事をみて、全く次元も内容も、異にする司法改革のことを連想しました。1990年代後半から、2000年にかけて、この「改革」が論議された時代。最終的に小泉規制改革のムードのなかでまとめられていった「改革」は、弁護士の役割、これからやって来る時代のニーズ、市民のかかわり方、法曹養成の在り方、いずれもそのムードの影響を多分に受けた、過去と未来の「見たい歴史」のもとに形づくられたのではなかったのか、と思えてきたのです。

     司法は「二割」しか機能せず、そこに決定的な弁護士の数の不足が存在している。予備校依存が法曹の質に影響している。これからやってくる事後救済社会に向けて弁護士の社会的役割は飛躍的に増大する。人的基盤の確立のためには、司法試験という「点」のみの選抜ではだめで「プロセス」としての法曹養成が必要。国民はこれまでの統治客体意識から脱却し、公共的事柄に能動的姿勢が求められ、司法も国民の主体的参加を得て、国民的基盤がより強固になる――。

     これらをみると、どれもこの「改革」路線が描いてみせた一面的なストーリーのようにみえます。「二割司法」論が本当にどれだけの弁護士の生存可能性を前提に、増員必要論を生み出したのか、法曹養成の「プロセス」は、「点」と決めつけられたかつての「プロセス」よりも、本当に多様性を確保できるものだったのか。納税者であり、司法に一定の信頼を置いていた国民の意識を、脱却すべき統治客体意識と決めつけ、そこから司法への直接強制参加に直ちに結びつけたのは妥当だったのか。

     既にこたえは出ているというべきかもしれませんが、やはりこれらも「共同幻想」といってもいい、「見たい歴史」だったのではないでしょうか。

     それは現在の議論でもいえることかもしれません。たとえば、弁護士の経済的異変が語られるときに、さまざまな地域や業態を無視した「やれる」論、あるいは自分は「できている」論が、まるで「生存バイアス」のように同業者間でも語られる現実。同じものさしで弁護士の現実を括って、「だからこの改革は間違っていない」という論法も、「見たい歴史」がある種の多様性を奪っている議論といっていいように思えるのです。

     「縄文に限らず、ある時代の一側面を切り取って、優劣をつけるのは、様々な意味で危険です」

     前記記事で山田氏はこう語ります。「改革」は過去の司法の在り方の一面を切り取り、優劣をつけた。それは、遺跡の発見で見えた世界とは違い、もっと見える、見てきた歴史をもとにしたはずだったのに、「必ずしもそういえるのか」という問いかけには、時代のムードのなかでに耳をかさなかった。「私たちは欠陥品ですか」と問いかけた旧試出身の弁護士議員がいましたが、「改革」の優劣には大きな矛盾があったともいえます。

     この「改革」の本質的な問題に目を向けず、路線の上を走ろうとする人々は、いまだに「見たい歴史」の虜なのではないかという気がしてきます。


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    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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