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    作られた「改革」イメージと救済対象

     1999年12月8日、司法制度改革審議会第8回会合で行われた、法曹三者に対するヒアリングのなかで、泉徳治・最高裁事務総長(当時)は、司法の現状に関わる次のような発言をしています。

     「我が国の司法制度が以上のような課題を抱えていることにつきましては、ほぼ異論のないところかと思いますが、一部には更に進んで、我が国の司法は機能不全に陥っているのではないか、さらには、法的紛争の大きな部分が暴力団等の不健全な形態で処理されているのではないかといった、センセーショナルな意見も見られるところでございます」
     「しかし、資料11のアンケート結果が示しますように、法律問題が起きたときに、弁護士に相談する割合は約2割にとどまっておりましても、弁護士に相談しなかったものが、すべて不健全に処理されているというわけではございません(中略)。」
     「勿論、いろいろ改善しなければならない点が多くございますが、弁護士、検察官、調停委員、それからパラ・リーガルの方々、裁判所書記官等の関係者に支えられました我が国の司法は、国際的な水準にあるのでございます。この点は御理解いただきたいところでございます」(第8回司法制度改革審議会議事録)

     ここで泉氏がクギを指している「センセーショナルな意見」というのは、中坊公平弁護士が「改革」必要論の文脈で、司法の膨大な機能不全と潜在需要の存在をイメージさせた「二割司法」を指しているととれます。それに対して、泉氏の発言は、裁判所側の現行司法についての弁明ではありながら、この点で非常に冷静な現状認識を示していたのです。

     「資料11」 というのは、法曹養成制度等改革協議会のアンケート結果で、法律問題の相談相手として、弁護士・会が21.0%である一方、司法書士・税理士など10.0%、職場の上司・同僚10.3%、友人・知人・親戚36.9%、国・市町村など12.1%、国・市町村などの役所12.1%といった結果が出ていました。弁護士相談が2割である現実をもってして、法律需要の不健全処理の烙印を果たして押せるのか、というのは、当然の疑問だったというべきですし、なによりもそうとらえることが、当時の社会の実感とも大きくずれていたように思えませんでした(経済的な認識と、弁護士を最終手段ととらえる意識等)。

     しかし、結果として、この「二割司法」の現状認識の方に、弁護士界は乗っかり、増員基調の「改革」路線に傾斜していきました(「『二割司法』の虚実」 「『二割司法』の亡霊」)。今でこそ、感覚的数値として、その根拠性を否定する見方が業界内で一般的になっているこの言葉の前に、どうして当時の弁護士たちは、むしろ泉氏のような冷静な視点で現状を見れなかったのかという、素朴な疑問が湧いてきます。

     そもそも「改革」路線は、どういう人々を救済することを、司法の課題として目指したのでしょうか。事後救済社会の到来を掲げた「改革」路線は、実は弱者救済を正面から掲げていないし、事後救済そのものへの本気度も疑わしいという見方があります(「『事後救済型社会の到来』の正体」)。経済的弱者の権利などをめぐる不公正な事態からの救済をイメージさせながら、「バイブル」とされる司法制度改革審議会意見書には、実はそうした思想が希薄で、唯一言及しているといっていいプロボノについては、弁護士に丸投げし、無償で対応せよといっているに等しい扱いです(弁護士 猪野亨のブログ)。

     では、弁護士会はどうだったのか――。経済界が唱道した規制緩和の改革に対し、「市民のための改革」を対峙させた、弁護士会は、「改革」の弱者救済的な意義を強調したように見えました。しかし、これも彼らの本音としては、違ったという見方も出来てしまいます。つまり、有償・無償の区別なく、「ニーズ」と括りながら、要は膨大な有償ニーズの存在の想定が先にあり、経済的弱者の救済は、どの程度の比重で想定されていたのか、ということです。

     「改革」の提唱から今に至るまで、弁護士会の現状認識には、司法を利用したいけど、出来ない人々が沢山いる、あるいは情報を提供し、「誤解」が解ければ、利用者はやってくるという捉え方があります(「弁護士数と需要の非現実的な発想」)。その人たちは必ずしも経済的弱者ではなく、逆におカネを払う容易がある人々と描かれているようにとれます。実は「二割司法」で描かれた8割の機能不全も、経済的理由で司法を利用できないのではなく、いうまでもなく、おカネを払う容易がありながら、知識と条件(弁護士の数等)で利用できない人、間違ったおカネの使い方をしている人ととらえていればこそ、そこに有償需要の大鉱脈を見たといえるのです。

     前記プロボノという形での弁護士丸投げに、弁護士が反発しなかったのは、顕在化すると想定された有償需要への甘い見通し(それによって対応できる)があったことは否定できないところですが、「改革」の目的としてなんとかしなければならない無償需要という認識は低かったのではないでしょうか。経済的弱者救済の役割を法テラスが担っていると「改革」が描くのであれば、それもプロボノと同様、弁護士が経済的に被ることになるという結果への認識が甘かったし、むしろ「改革」路線側の矛盾することない、弱者救済というテーマへの一貫した扱いをみるべきではないでしょうか。

     「改革」の結果を経た今、「弁護士もサービス業」「おカネを適正に払える人を相手するのは当然」ということを、当然のこととして強調する弁護士が沢山います。むしろ、そちらの方で、弁護士の仕事を社会に認識させたい、という欲求は業界内に強まっているようにみえます。もちろん、有志の精神で、かつての「手弁当」弁護士が存在できる環境も、「改革」は破壊しています。

     しかし、あえて言えば、泉氏が指摘したかつての姿が、実は経済的な問題をむしろしっかりと踏まえた、適正で当然な市民の選択の結果だったとすれば、それに丸ごと望ましくない「不正解決」という烙印を押して、「利用しやすい」をうたい文句に、「改革」を進めたのは、そして、おカネのことを曖昧にしたまま、パンドラの箱を開けてしまったのは、一体、誰だったのかということも問いたくなるのです。


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    「失われたもの」という視点

     司法改革に限らず、「改革」と名の付くものは、その「成果」とされるものだけで評価することはできません。何かを変えて、何を得たのか(「改革」の目論見通り、何を得ることに成功したのか)と同時に、それと引き換えに何を現実的に失ったのかの、比較考量がなければ、その評価がアンフェアなものになるは当然と言わなければなりません。

     この場合、「改革」を推進しようとした側が、それにしがみつき、ことさらに「成果」を強調することは、ままあることで、およそ想像もつくことですが、同時に肝心なのは、一体、誰にとっての、それが「成果」なのか、という点です。

     なぜ、改めて今、ここでそのようなことを述べているかといえば、それは司法改革にあって、誰にとって何が失われているのかという視点が、どうもぼやける、さらにぼやける方向に向かっているような気がしてならないからです。

     弁護士という資格は、この「改革」の中で、最も負の影響を被った(もっともここも弁護士によって認識が分かれるところというべきかもしれませんが)といわれます。有償・無償を区別しない潜在需要論に後押しされた激増政策によって、大きな経済的打撃を受けたことで、いまや資格としての経済的魅力まで失ってしまった、そして彼らは余裕を失った――。

     しかし、現実的には、こうした事態への弁護士の受けとめ方はさまざまなのが現実です。例えば、組織内弁護士の伸びを強調し、その将来性を強調する方や、いまだに潜在需要論を繰り返し、弁護士側の「掘り起こし」努力不足をいう人もいます。ただ、それに加えて、今、注目すべきなのは、この「改革」の現実を踏まえて、社会への、より有償サービス業としての周知・徹底化が必要とし、今をその機会ととられる弁護士が増えてきているところです。

     これは、この「改革」の結果として、当然ともいえる弁護士の動向といえます。前記潜在需要論のあいまいさによって、経済的打撃を被った側からすれば、法律相談を含めて、もともとが有償サービスであり、そうでなければ成り立たないという当たり前が、より主張されてしかるべきところでしょう。また、そこから先に進めて、「改革」以前からあった、そのあいまいさをここではっきりさせるという意識傾向になることも、理解できなくはありません。

     そのあいまいさとは、「経済的自立論」といった、いわば今は失われた前記経済的余裕が支えていたものであり、その前提が失われた時点での、彼らにとっての当然の主張という理解にもなります。その意味で、過去に通用していた弁護士利用者との関係も、これによって終了し、「これからはそうはいませんよ」ということを、積極的に発信すべきという話にもなっていきます。「改革」路線を依然として支持しながら、こうした方向でのアピールを強めていない弁護士会主導層への不満・不信も会内には存在します。あくまで「改革」の結果であるのに、そこは目をつぶるのか、と。

     当ブロクでのコメント欄でも言及されていましが、「弁護士はカネ持ちの味方」という、従来、弁護士をやや揶揄するような文脈で言われた表現、要は弱者の味方を強調する資格者の真の姿のようにいう言い方に対し、「それのどこが悪いのか」と返す弁護士も、この「改革」で目立ってきたような印象があります。もちろん、実態として、ご本人が認めるか否かはともかく、そういうスタンスにとれる弁護士は過去においてもいましたが、今、起きていることからすれば、弁護士の採算性追及をより正当化すべき、という意識の中から、それが言われているようにとれるのです。

     しかし、いうまでもなく、これらは、あくまで弁護士にとっての「改革」の受けとめ方であり、理解の仕方、割り切り方の結果であって、直ちにこれを「改革」の評価につなげることはできません。有り体にいえば、弁護士がそういう形で存在することになった、そうでなければ生きられなくなったというだけで、現実に社会として何が失われるのか、あるいは「改革」によって何がもたらされないのか、看板に偽りがあったのか、については、こだわる必要があるということです。

     弁護士の数が増やすことで、「改革」はどういう市民との関係を描いていたのか。より広く、司法によって救済される社会を描いたのではなかったのか。これまで弁護士の余裕が支えてきた無償性のニーズは誰が支えるのか。法テラスは「改革」が社会に期待させた通り、現実問題として弁護士が支える「受け皿」となり得ているのか。無償性の無理の「受け皿」を移しただけで、その先は何も見通せていなかったし、今も見通せていないのではないか。そもそも弁護士は以前より市民が安心して利用できる存在になったのか。「ゼロ・ワン」が解消されても、経済的な問題も含めて利用者にとっての「過疎」、アクセス障害は解消されたといえるのか――等々。

     弁護士を有償サービスとして自覚させ、社会もそれをより理解し、その新たな関係を構築することに意味があったとしても、それでこの「改革」の評価が終わることはあり得ません。現実的に失ったものにこだわらなければ、「改革」が実現しなかっただけでなく、実質的に後退したという結論があっても、それが導かれることがなくなってしまいます(「『生業』と『ボランティア』というテーマ」 「弁護士の『地位』と失われつつあるもの」)。

     「何かを得るためには、何かを失わなければならない」という言葉は、ある意味、真理を突いていると思います。しかし、失われたものの価値は、「改革」を続けようとする立場からは、とかく顧みられないものとなります。法曹養成にしても、志望者減少や、社会的評価を含めた法科大学院の実績に照らして、それでも旧司法試験体制を破壊してやる価値があるか、あったかが、やはり問われ続けるべきです。「作ってしまったから」「増やしてしまったから」という認識の先にくる話は、「改革」の評価とはあくまで別のものとみなければなりません。

     今でも時々、この「改革」は国民・市民が選択したというニュアンスの発言をする業界関係者がいますが、もとより「こうしたことと引き換えに、こうなります」ということが提示されて、この「改革」を社会が選択したという事実はありません。いまさら認識不足を言うのはフェアではないし、そもそも彼らだって「改革」の想定外を認めているのです。「市民のための改革」と銘打った「改革」であった以上、そこは社会の側も問い続けていいはずです。


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    「事後救済型社会の到来」の正体

     「事後救済型社会の到来」とは何であったのか、という声が聞かれます。今回の司法改革のなかで盛んに言われた、規制緩和によって、自由な競争が促進されるなかで、経済的弱者の権利などをめぐる不公正な事態に、事後的に救済される必要が生じる社会がやってくるという描き方。いわゆる「大きな司法」論につながり、規制緩和論者が司法改革のなかで、まさに法曹人口増、とりわけ弁護士増員政策の必要性の論拠としたものです。

     現実的に、「改革」当初の弁護士のなかでも、規制緩和の先にこうした時代到来が不可避であるという捉え方はされていましたし、正面からそこに弁護士の将来的役割を描き込む方もいました。弁護士会は、経済界から要求が出されていた「規制緩和型」の司法改革に対し、司法を国民の側に取り戻し、市民に役立つものにするという「市民のための『改革』」(「市民の司法型司法改革」)を掲げていました(「同床異夢的『改革』の結末」)。しかし、この「事後救済型社会の到来」に備えよ、という描き方は、少なくとも弁護士会内「改革」推進論者の中にも一定限度浸透したといえます。

     一方で、実は弁護士会内には、あたかも不可避の未来における救済の必要性とつなげるこの描き方を疑問視する見方もずっとあったのです。一つは、規制がなくなれば、たとえ「大きな司法」が作られても、法律家による救済は困難になるのではないか、という疑問。規制を緩和した部分で、弱者保護の武器となる法律も改廃され、手段を奪われることで、結果として事後救済はできなくなるのではないか、ということです。

     そして、もう一つは、そもそもこの規制緩和は、本気で事後救済を考えるのか、という疑問。規制緩和論が拠って立つ新自由主義は、企業活動を優先し、弱者保護を考えない方向で、結果は「自己責任」と結び付ける立場です。彼らの言う救済のための「大きな司法」、という発想そのものに疑ってかかる余地があったのです。

     それでは、なぜ、規制緩和論者が弁護士増員政策を必要としたのか――。その本当の狙いが別のところにあったのは、むしろ現在の「改革」の結果で、よりはっきりしてきたというべきではないでしょうか。つまりは、企業が使い勝手のいい弁護士の獲得、別の言い方をすれば、弁護士そのものをそういう姿に変えることだったということです。弁護士は増員政策により過当競争に陥り、ビジネス化し、彼らの中には利潤追求に抵抗がないマインドが生まれ、さらに安定を求める環境変化によって、彼らはこれまでより安く使える形になる――。

     嫌な見方をすれば、前記「事後救済型社会の到来」に、弁護士側が、救済者として必要とされる未来と、あるいはそこに増員後も経済的に支えてくれるかもしれない需要までも描き込んだのに対し、規制緩和論を唱えた経済界は、仮に救済必要社会が到来しようとも、弁護士が経済的に追い詰められる、その先の利の方を見込んでいた、ということになります。念頭にあったのは、救済のためではなく、企業利益のためであり、そして結果からいえば、彼らは確実にその利を獲得しつつある。

     一方、司法は弁護士の数が増えただけで、本当の意味での役割を果たす「大きな司法」などが実現しているわけではありません。最も市民の身近な存在であるはずの町弁の衰退がいわれ、企業内弁護士が唯一の明るい未来のようにいわれているのをみても、また、もはや弁護士会の自治・強制加入を規制ととらえ、普通の業者団体化や任意加入化を求める会員の意識傾向まであるのをみても、経済界、あるいはこの方向を歓迎する勢力にとっての「改革」の果実は、確実に実を結んでいるようにもとれるのです(「『町弁』衰退がいわれる『改革』の正体」)。

     いまや弁護士会の掲げた「市民のための『改革』」は、規制緩和型の前に、完全に敗北したという人もいます。規制緩和の特定の果実だけが残っているようにみえる「改革」の結果は、確かに市民からすれば、一体どこが有り難いのか、と問いかけたくなるものになりつつあるようにみえます。そして今、どうなってしまったのか、問いたくなる「事後救済型社会の到来」も、やはり救済の正義より、彼らの「改革」への動員という役割を持った描き方だったのか、と今さらのように思ってしまうのです。


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    「経済的基盤」を考慮しない「改革」の正体

     今回の司法改革が、弁護士の現実的な経済的基盤をいかに考慮しなかったか、そして、それはなぜだったのか――。弁護士の経済的価値の下落、新法曹養成制度と、同時に法曹界の未来をぐらつかせる、根源的な「改革」の失敗につながったはずのテーマが、「改革」の結果が出た現在においても、「改革」推進論のなかで顧みられることがない現実があります。

     それは、有り体にいえば、もはや「冷淡」という言葉を当てはめたくなります。「改革」の「バイブル」となった2001年の司法制度改革審議会意見書でも、司法部門が政治部門と並び「『公共の空間』を支える柱」であり、法曹を「社会生活上の医師」などして、その役割の重要性を強調し、それを法曹人口の拡大につなげながら、それを支える経済的基盤についての直接的な考察がありません。

     弁護士に対する揺るぎない経済的信頼が前提にあったとか、需要の拡大を見込んでいた、という見方があります。見方によっては、司法への国民の直接参加につなげた主体的な国民の「役割論」とつなげてみれば、結局、これも国民が支えてくれるだろう、というヨミに頼っていたとも読めます。要は、弁護士側がこれまでと異なった努力をすれば、国民は当然に司法におカネを投入するという未来。そのために、ひたすら弁護士は国民・市民のニーズにこたえよ、と。

     こういう見方に頼ること自体に、土台無理であること、少なくとも、相当に危い話であることを、多くの弁護士は初めから分かっていたといっていいと思います。異口同音に業界内で聞かれてきた話ですが、国民・市民のニーズにこたえた「利用しやすい司法」ということになれば、利用者側からは当然におカネの問題が「障壁」のように言われることになります。では、「障壁」の一つとなる弁護士費用は現実的に「利用しやすい司法」のために下げられるのか。

     弁護士増員政策に競争・淘汰を描き込んだ、主に弁護士会外の推進論者は、多分にその低廉化への期待、要は本来的に「下がる」「下げられる」という前提に立ち、その期待を煽りました。しかし、現実的には経済的な補てんがなければそれはできず、事業として成り立たなくなる現実をはらんでいたのです。

     「改革」の結果がむしろそれを明らかにした、といえるのに、「改革」路線は依然として、そこは弁護士の努力でなんとかせよ、という立場を変えていません。そして、「改革」路線がもはや変えられない、そんなことを待っていたらば絶滅すると考えた弁護士たちは、生き残るために割り切る、という選択に傾きはじめる。経済効率化が本来の姿であると国民に理解を求める動きはむしろまだ「健全」かもしれませんが(もっとも弁護士会がそれに舵を切ったわけではない)、それを曖昧にしたまま、利用者が分からないところでの効率化、さらには不正に手を染める弁護士が登場する。それが、弁護士の経済的基盤を考慮しない「改革」の「利用しやすい司法」が行きついた現実であることを、社会は分かっておかなければなりません(「弁護士業の現実を伝えられない弁護士会」)。

     前記「社会生活上の医師」という言葉は、当初、業界関係者自身もよく好んで使っていた事実があります。あくまで役割から見た国民との関係での位置取りをいったものという、前置きもある時点から強調されるようになりましたが、経済的基盤を考えれば、はじめからその違いは明確でした。ただ、逆に言うと、そこまで社会的役割を強調しながら、弁護士については医師のような経済的基盤の確立、補てんを検討しない「改革」にもっとこだわるべきだったのではないでしょうか。

     この「改革」路線の導入の中心人物の一人である、前記司法制度改革審議会会長の佐藤幸治・京都大学名誉教授が、久しぶりに新聞紙上で持論を展開しています(2月13日付け毎日新聞朝刊「発言」)。タイトルは「『国民の司法』へさらに努力を」。なぜか、この記事は有料コーナー以外、現在ネットで読むことはできません。同新聞社によれば、有料コーナ―以外での掲載の可否は、編集権ではなく、著者の意向に基づいているとのことです。

     そこで彼は「(改革の)成果についてはさまざまな評価がありうるが、相当の変化が生じたことは否定できない」と前置きしたうえで、概ね以下のような「改革」メリットを指摘しています。

     ・「小さく固まっていた司法の基盤が拡大した」。法曹人口4万5000人、うち弁護士4万人超で組織内弁護士増、「市民に寄り添う弁護士」が多く誕生。
     ・「裁判が争点整理を踏まえた法廷重視のスピーディーなものに」。迅速審理をもたらす労働審判制度は「成果の象徴」。
     ・「供述調書中心の〝調書裁判〟と評された刑事裁判は、裁判員制度導入を契機として、公判中心の裁判への転換を促した」。裁判員経験者の95%以上が「よい経験だった」。経験共有へ工夫が必要。
     ・「日本司法支援センター(いわゆる法テラス)の活動は、日弁連の公設事務所の活動と相まって、一般市民が司法にアクセスする重要な道を開いた」
     ・「(法科大学院は)さまざまな難題に直面しつつも、法学研究者と法曹実務者とが協働してあるべき教育を真剣に追求し、2万人を超える法曹を送り出してきた」。この養成の場が、制度上の例外である予備試験に脅かされるのは本末転倒。旧制度の弊害からみても「取り返しのつかない損失」の恐れ。

     佐藤氏の発言として、想像はついた、といえば、それまでですが、メリットとして強調できそうな点をつまみ出した内容ですし、そもそも法曹人口増にしても、裁判員制度にしても、法曹養成にしても、相対的に「価値」を捉えなくてもいい、「こんないいところもあります」というだけならば、旗を振ってきた側の弁明ととられても仕方がないように思います。

     そして、この中でも、弁護士の経済的基盤は看過され、どこにも登場しません。増員政策が需要見通しを大きく外し、弁護士を経済的に追い詰めたことも、新法曹養成の実力も含め、当初の司法試験合格年3000人目標の旗を降ろさざる負えなかったことも(「新法曹養成制度の実力という視点」)、成果についてあり得る「さまざまな評価」として、かつ資格価値の棄損が志望者減という深刻な事態を生んでいることも、法科大学院にとっても「さまざまな難題」で、彼は片付けているとしかとれません。嫌な言い方をすれば、それでも「改革」と叫ぶ側のお手本になるような、扱い方に見えてしまいます。

     佐藤氏は、「国民の司法」へ「改革」は大きく踏み出したけれども、「危さと課題に満ちた時代状況」にあり、さらに努力が必要なのだ、ということで締め括っています。この「危さと課題」は「改革」路線が生み出したのではなく、「時代」が生んだともとれる発言ですが、それよりもこの「努力」は一体誰に求められているのでしょうか。

     少なくとも経済的基盤を考慮しない「改革」路線が、弁護士の努力に丸投げしながら、実はそれを支える国民・市民の、現在もおそらく全く想定もしていない「努力」に頼らざるを得ない現実を、私たちは知っておかなければなりません。より国民・市民が司法におカネを投入する、経済的にも国民・市民が「主体的に」を支えることになる未来こそが、「国民の司法」「市民のための司法」の現実であるというのならば、そろそろそれははっきりさせる必要があるはずです。


    地方の弁護士の経済的ニーズについてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

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    「改革」で担った専門家たちの負の役割

     あけましておめでとうございます。

     司法改革に限らず、「改革」と名のつくものが、社会とって罪深いものとなるときには、常に「幻想」がまき散らされているといえます。「改革」を提唱する側は、まさにそれを推進したいがために、時にメリットだけを切りぬいて誇張したり、「改革」後の明るい未来を提示したりします。

     そして、このなかで最も罪深いといえるのは、それに加担する専門家たちの姿勢です。「改革」の幻想に対して、本来、厳しい眼でチェックし、事実を伝えられる、また伝えるべき彼らが、専門家としてその筋を通さず、「改革」ご都合主義の旗振り役を務めてしまう。いうまでもなく、彼らの作為的で盲目的加担は、彼らが専門家であるがゆえに、「改革」をめぐる罪深い結果をもたらすといえます。

     「オールジャパン」という掛け声とともに、国家と法曹三者が一丸となって取り組むという形になった司法改革で、今、いわれていることは、専門家は専門家である前に、「改革」推進者になってしまった、ということです。裁判への直接参加を強制する裁判員制度を、なぜ、国民にとっての「義務」ではなく、「権利」と括り、「裁かれる側」が裁判の主役であることを最も分かっている専門家たちが、この制度推進のために「裁く」国民が主役であるという論調をまき散らしました。

     「普段着」とか「普通の感覚で」とか、国民の参加への抵抗感を取り除きたいがために、「裁く」ことのハードルを下げる話ばかりが先行したともいえます。この国の裁判のことを第一に考えるのであれば、「裁く」ことの過酷さを最もわかっている人間こそが、それを伝えなければならないは当然のことだった。法的な整合性についてもきちっと筋を通したとはみていない同じ専門家はいます。裁判所も検察も弁護士会も、専門家である前に推進者となったのです(織田信夫弁護士「全員一致の怪~大法廷判決が抱える真の危険性 前編 使命を放棄した最高裁」 同「裁判員制度はなぜ続く~制度廃止への道程 第2回 最高裁の制度推進姿勢の正体」) 。

     弁護士の増員で、弁護士がより身近になったり、使いやすくなると主張した弁護士たち自身が、実はそれを容易く得られる未来とは思ってなかった。それなのに、「改革」を前に進めるために、彼らはそれを伝えようとはしなかったのです。弁護士を競争させても、低額化、良質化が簡単に起こらないことは彼らが一番分かっていたはずでした。

     あたかも弁護士を利用者が選択できる未来くると伝えながら、それはそうした能力がある利用者に限られることも、一般化できないことを知っていたし、結局、自己責任に被せる話であることも重々承知していたというべきです。さらに利用者視点に立てば、その先に第三者による格付けや、弁護士のマイナス情報の積極的開示といった方向への欲求が当然導かれてくることを認識しながら、その実現が現実的には難しいことを伝えたわけでありません(「良質化が生まれない弁護士市場のからくり」 「弁護士報酬をめぐる不安感と不信感」)。

     弁護士という仕事の有償性について、「改革」が社会を誤解させたというのは一面事実ではありますが、その誤解にはその「改革」推進の側に立った弁護士自身も関与しているとはいわなければなりません。彼らは現在おいても、増員基調の「改革」路線の上で、伝えるべきことを伝えていないようにみえます(「弁護士が転嫁できない『改革』の責任」)。

     かつて「弁護士は『改革』という言葉に弱い」と語った弁護士がいました(「『あるべき論』の落とし穴」)。ある種の善意から、この「改革」は選択されたが残念ながら予想が外れた、という理解が、この言葉の前提にあり、弁護士全体の弁明であるととれたのは、これが反「改革」派の弁護士の口から出されたものだったということもありました。

     しかし、いまやそんな捉え方で、現在の「改革」と弁護士をみる人間が業界内にどれくらいいるのか、甚だ疑問です。新法曹養成で誕生した「改革」後世代が、この弁護士の現実を「善意から選択された『改革』の結果」などと認識できないのは当然ですが、当時から旗を振り、現在も「改革」路線の上をいこうとする人たちのなかにも、いまや、当初「善意」て目指したものが何であり、それはどうなったのか、という視点が果たしてどこまであるのかと疑問といわなければなりせん。

     司法改革の旗をふった専門家たちには、社会をミスリードした責任が少なからずあるように思います。前記したような「改革」後世代の急増で、逆に「改革」路線の問題から現実を考えるムードも会内で急速になくなりつつあるなか、この「改革」を「市民のための」と銘打った専門家たちが、この結果と「改革」の責任を総括する日はいつかくるのでしょうか。


    裁判員制度は本当に必要だと思いますか。ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4808

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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