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    志望者の現実的選択と失われた「魅力」の関係

     弁護士という仕事について、もっと夢や魅力を発信せよ、という意見が相変わらず業界内にあります。「改革」の増員政策が失敗であったと位置付けない立場の方からは、現実を直視し、そこから将来を見通し、懸念する論調に対して、「ネガティブ・キャンペーンはやめろ」という言葉が浴びせられることもあります。

     増員政策によって、弁護士に経済的な異変があっても、まだ弁護士という仕事には開拓分野を含め可能性があり、現にそれを切り拓いている人たちはいる。前記懸念論は、この世界に将来性がないということだけを強調するもので、志望者に対して誤ったメッセージになる、というのが、大まかな懸念論批判の言い分です。

     選択の最終判断を下すのは、志望者予備軍の方々ですから、もちろん判断材料となる情報はフェアに提供されるべきです。しかし、「改革」推進派の大マスコミの報道があり、増員政策の肯定論と、「改革」の足を引っ張っているとする弁護士の自己保身論や「心得違い」論が既に社会に流されている現実があります。

     人材に来てもらいたいあまり、耳触りのいい将来性や、それが楽に獲得できるという誤解を与える発信には、むしろ慎重であるべきという意見も業界内にはあります。最近は、組織内弁護士になるのでなければ、起業するような覚悟がなければ、この世界はやめておいた方がいいという弁護士もいます。

     誤った悲観論でこの世界に来なくなることと、誤った楽観論で覚悟なき人材がこの世界で立ち往生すること。結局、志望者のことを考えれば、どちらに意を用いるべきで、どちらがより彼らには有り難いことなのか――。懸念論が「ネガティブ・キャンペーン」として批判されるべきなのかどうかは、まず、このことを踏まえる必要があるはずです。

     夢や魅力といわれますが、そもそも「改革」が奪ったそれこそ、むしろ今、語られるべきではないでしょうか。新法曹養成制度は、誰でも公平に受けられ、働きながらチャレンジできる旧司法試験の魅力を奪い、大量増員政策は弁護士の経済的価値の魅力を奪い、その両者によって、この世界を目指す志望者にとって、人生の「一発大逆転」の夢をも奪った、と。そして、そのしわ寄せは法学部にも回って来た。もともと必ずしも卒業生全員が法曹界を目指し、司法試験の関門を通過できたわけではなくても、実は同学部には、前記魅力と夢が張り付き、その「価値」を底上げしていた、と。法科大学院というプロセスの登場が、それをも消すことになった――。

     今年の司法試験で新制度下、最年少となる19歳4カ月での合格者の誕生したことが報じられています(9月12日付け、読売新聞全国版朝刊)。これは、本来、快挙として注目できることでありながら、「改革」という枠組みで考えた場合、ある意味、皮肉な結果ともいえる現象です。彼の快挙は、新法曹養成制度が期待する理想からはみ出たものだからです。

     報道によれば、彼は高校入学直後から司法試験の勉強を開始し、3度目で予備試験に合格、その後、一発で司法試験に合格しています。今後、彼に続く高校生予備試験受験者が登場するだろうこと、さらにその先には予備試験による法科大学院迂回どころか、法学部すら行く必要がないと考える志望者が現れることを予想する弁護士もいます(「Schulze BLOG」)。

     前記「改革」によって失われた魅力ということからいえば、今回の最年少合格者の誕生は、そうした新制度に対して、志望者がいわば自力で示してみせた可能性であり、ある意味、この「改革」に対する一つのアンサーともいえます。魅力なき制度にノーを突き付けるとともに、自ら今後、志望者に魅力あるものとして受けとめられる余地がある可能性を示したということです。

     魅力なき新制度が、予備試験を浮き立たせ、さらに高校生受験という道までを浮き立たせた。それが厳しく、狭き門であればなおさらのこと、それでも志望者が選択するのであれば、それだけ「改革」が奪った魅力の、志望者にとっての価値の大きさを示しているようにも見えてきます。

     もっとも、今後、「将来の進路は大学に通いながらゆっくりと考えていきたい」と記者に話している、この最年少合格の彼が、果たして最終的に法曹への道を選択するかどうかは分かりません。将来の法曹を獲得するという意味では、司法試験チャレンジにおける魅力、ましてや法科大学院関係者から聞こえてくるような、とにかく司法試験に合格できるという魅力だけで、志望者が帰って来るという甘い見通しには立てないことは確認しておく必要があります。

     弁護士の経済的価値の魅力も、新制度下で弁護士になった人材が、新たなチャレンジによって、その魅力を回復できる未来があるのであれば、それは当然歓迎すべきことになるでしょう。しかし、これについては、少なくとも増員基調の「改革」が続き、有償需要に対して弁護士数が過剰である限り、難しいことに変わりありません。一部の魅力ある成功を、多くの人の成功可能性として強調するような、「生存バイアス」的扱いになることの方を、それこそ懸念する必要があるはずです(「弁護士の『生存』と『改革』の価値」)。

     懸念論に対し、やれ「ネガティブ・キャンペーンだ」「魅力を発信せよ」という側は、志望者(予備軍)の「誤解」ということを前提にしているようにとれます。別の言い方をすれば、あくまで現実に起きている、法曹資格あるいは本道の法科大学院に対する志望者の敬遠は、誤解に基づき、賢明な選択ではないという立場と、それを「魅力」が失われた結果と極力結び付けない立場を譲らないものにとれます。しかし、志望者のよりシビアで現実的な選択は先行します。その意味で、法曹界は前記懸念論の「悪影響」よりも、そもそももっと直視するべきものがある、ということをまず、認識しなければなりません。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    巧妙で曖昧な増員「ぺースダウン」論

     弁護士の増員政策について、日弁連はある時期から現在に至るまで、「増員のペースダウン」必要論を維持してきました。具体的にいえば、公には2008年に会長に就任した宮﨑誠弁護士が、その選挙期間に唱え、就任後、緊急提言として発表して以来、ということになります。弁護士を増やしても、需要はそれに比して顕在せず、新人を事務所が採用できず、結果、新人のOJTに影響するといったことへの危機感が背景にありました。

     しかし、この論法は、別の「巧妙さ」を持っていました。増員そのものの方向は間違っていないが、ペースが早すぎた――。つまり、現在、増員政策がもたらしている弊害はあくまでペースの問題が引き起こしているのであって、逆に言えば、ペースが落ちれば解消していく。総体として弁護士が将来にわたり増え続けても、需要はゆっくりと顕在化し、それが支えるという見通しに立っていた、ということです。

     つまり、何が「巧妙」かといえば、内向きには、増員抑制の方向で、現状を看過せず、対応するとアピールし、その一方で、「改革」路線として増員方向は維持する。これに対し、ぎりぎりの選択という評価や、むしろ現状がこうせざるを得なくさせた、という評価の仕方も聞かれますが、あくまで必要なのはペースダウンということであって、増員政策の失敗、躓きを認めず、いわば路線を先につなぐ役割を果たした。ペースダウンの必要性を言い続けることで、増員政策「失敗」の烙印が押されるのをかわし、あるいは先延ばしできる――。

     この宮﨑会長が打ち上げた論調は、当初、増員の旗を振ってきた日弁連が減員に舵を切ったものと、当時、マスコミや政治家に「勘違い」され、批判されましたが(「『改革』の反省と『市民目線』という描き方」)、同会長にとってはまさしく不本意だったと思います。記者会見でこれに反論していますが、そこで当時の規定路線だった、司法試験年間合格3000人の目標について、「見直しを求めていない」と明言しています。

     しかし、増員路線を維持するうえで「巧妙さ」を持った論調であったとしても、その中身は実は何も示していないのと同じといっていいくらい、「曖昧」なものです。増えた結果、出ている弊害を、増やし続けながら緩和できるペースとはどの程度のものを指すのか、全く分からないからです。少なくとも、これは、弊害が出ないように、少しずつ増員するという発想とは全く違う。ペースダウンの効果がでるまでの、あるいは増員の中での今と変わらない弊害、いわば犠牲に目をつむることに変わりないともいえるからです。

     しかも、問題は前記したように、これが現在に至るまで日弁連が繰り返し唱える、いわば増員基調の「改革」を維持するなかで、しがみつく論調になったことです。政府が司法試験合格者数の「死守ライン」とした「1500人」について、日弁連も2016年に「まず1500人にまで減員し、更なる減員については法曹養成制度の成熟度や現実の法的需要、問題点の改善状況を検証しつつ対処」することを盛り込んだ決議を採択しました(「3・11臨時総会からみた『改革』と日弁連」)。

     しかし、決議の「まず」という前置きや、「更なる減員」に言及した文脈とは裏腹に、増員慎重論の会員からは「1500人減員」への、日弁連主導層の消極姿勢が指摘されてきました。そして、その自体が、日弁連にとっての「1500人」、それでも年間1000人余りの弁護士が増え続けるラインの位置付けが、まさしく「巧妙」で、曖昧な日弁連の「ペースダウン」論とつながっていることに気付かされるのです。

     「近年の推移を鑑みるに、上記推進会議決定(2015年6月30日の法曹養成制度改革推進会議決定・筆者注)で言及された『1500人程度』に至ったとも考えられ、これまでの法曹人口の急激な増員ペースが緩和されてきたと言うことができる」

     合格者をさらに昨年より18人減らしながら、1525人となんとかラインを死守した今年の司法試験合格者数の結果(「司法試験の本当の不安点」)について、菊地裕太郎・日弁連会長は9月11日に発表した談話の中でこう述べました。昨年の結果についても同時期に、前会長が一見ほぼ同文のような談話を発表していますが、昨年と違い、菊地会長は「1500人程度」に至ったという見方を示すと同時に、ペースダウンが実現していることを、より明言しました。

     しかし、相変わらずペースダウン論にしがみついていることははっきりしているものの、依然としてその意味はぼやけ、具体的にその効果をどのように評価しているのかは皆目分かりません。会員の一部からは、就職難が改善に向かっているというような感触的な話が伝えられていますが、その一方で、採用されている新人がかつてよりも相当に条件のハードルを下げている結果である、という見方も聞こえてきます。少なくとも、法曹志望者減の根本的な原因となっている弁護士資格の経済的価値の下落につながる増員の影響を、幾分かでも緩和することにつながったといえるのかは、甚だ疑問といわなければなりません。

     日弁連の増員ペースダウン論調は、増員必要論者に向けては「それでも増える」と言い、懸念論者には「ペースダウンによって影響は緩和される」と言うことができる、巧妙で、日弁連「改革」主導層に都合がいいものとして、存在してきました。しかしその論調から見える、「改革」の未来も、それに対する日弁連の姿勢も曖昧なままです。


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    前提なき増員弁護士社会のイメージ

     市民の身近に、その需要にこたえてくる弁護士が沢山いて、市民がこれまで以上に彼らを利用できる社会――。これは、司法改革が弁護士の増員政策、あるいはそれを支える法科大学院を中核とする新法曹養成制度の向こうにイメージ化し、同時に、この「改革」推進を肯定的にイメージ化したものでもありました。

     一方、「改革」の増員必要論には、こうした需要論からのアプローチの手前に、これまでの弁護士の業態批判を置くもの、つまり、その数の少なさと無競争環境が、利用者にとって有り難いはずの質確保やアクセスを阻害してきたことの方を重視する発想もありました。

     需要は増員しても顕在化せず、前記描いた社会が簡単に現実化しないことが明らかになった段階で、この増員必要論の二面性、二つの発想の違いはむしろ鮮明になったといえます。いうまでもないことですか、後者の発想からすれば、増員弁護士を支える需要が直ちに顕在しなくても、この増員政策には意味があり、むしろ後者の立場から、弁護士の責任(努力不足)で需要は顕在化しないとか、弁護士の過当競争状態が良質化・低額化を生むということが言い連ねられたからです。

     その意味で、「改革」の増員政策を受け入れた弁護士たちは二重の意味で楽観視していたととれるところがあります。一つは、当然、需要が顕在化するであろうということについて(少なくとも、ここまで増員弁護士を苦しめ、資格そのものの価値を下げると思わなかったこと)。そして、もう一つは、需要が顕在化しない暁に減員に、ここまで踏み切れなくなることについてです。

     「改革」の「バイブル」のような扱いになった司法制度改革審議会の最終意見書は法曹の数を「社会の要請に基づいて市場原理によって決定される」と位置付けました。これは、当時の目標だった司法試験合格年間3000人につなげて、むしろそれに収まらない、上限を定めないという積極的な意味合いもったものではありましたが、この文脈から逆に需要が顕在化しなければ、当然に減員にスムーズに移行するだろう、と読んだ弁護士がいた、ということです。

     増員是非をめぐるひとつの焦点は、ここになります。需要論と弁護士の競争・淘汰の効用から考えるアプローチです。ところが、ここで問題だと思えるのは、冒頭の「改革」イメージです。なぜならば、需要論で弁護士がここまでせっぱつまったやりとりがなされながら、日弁連・弁護士会の「改革」主導層、あるいは会内法科大学院擁護派の方々は、冒頭の「改革」イメージ、つまり、依然増員基調の「改革」の先に、「市民の身近に需要にこたえる弁護士たちが沢山いて、市民がこれまで以上に利用できる社会」が到来する期待感を捨てていない、むしろそのイメージにしがみつき、「改革」の描き方として見直そうとしていないようにみえるからです。この発想もまた、スムーズな減員を阻害しているということになります。

     「改革」は、弁護士の存立形態を根本的に変えることになったことは、いまや多くの人間が認めるところです。弁護士の経済的な担保は、それだけ非採算的な法的ニーズへの自由なアフロ―チも担保していました。もちろん、その環境のなかで、人権擁護を使命に謳いながら、非採算的なニーズに全く関心もなく、カネ儲けに走る、この「改革」論議の中でも度々批判されてきた弁護士たちは、かつてもいたでしょう。しかし、「改革」はそうした弁護士をどうにかするものではなく、結果、そういう発想ではない、弁護士たちの方を根絶やしにする方向、生存できなくさせるものとなりました。その意味で、経済的自立論は何の言い訳でもなく、存在していたというべきでなのです(「弁護士『プロフェッション』の行方」)。

     そのことを弁護士会主導層を含めて多くの弁護士は、本当は分かっているはずです。分かったうえで、語られ、拠って立つ前記イメージとは一体どう解釈すべきでしょうか。どういう描き方で、この今でも年間1000人余が増え続ける増員弁護士状況が、前記イメージの社会到来に向かうのでしょうか。経済的な支えを含めて、語られるべき前提がなぜか語られていないように見えます。それは、需要の現実と、どこで矛盾なくつなげられるのでしょうか。あくまでミスマッチ論でしょうか。需要のミスマッチが解消されれば、増員弁護士が生み出す理想社会は、本当に見えてくるのでしょうか。

     当ブログのコメント欄でも紹介されていましたが、学校での子どものいじめを刑事告訴する、と宣言した匿名弁護士のツイートガ話題になっています。

     「いじめ、依頼されたらここまでやるぞ!いじめる奴は覚悟しとけ!(1)加害者の刑事告訴(2)加害者本人、場合によっては親権者への損害賠償請求訴訟提起(3)公立学校の場合は国家賠償請求、私立学校の場合は学校への損害賠償請求。これ拡散すればいじめ減るかなあ。減ってほしいわ」(「大阪名物ぱちぱち弁護士」)

     BLOGOS が取り上げたこともありますが、9月16日にアップされたこのツイートは、既に本日現在リツイートが11万9000件、いいねが14万9000件を超える反響で、私の身近でも、現にこれを見た母親の感嘆する声を聞きました。弁護士のこうしたアプローチを市民が期待するのは、ある意味、当然だし、逆に、期待したい現実が学校現場と親の意識存在しているともうかがえます。

     しかし、あえていえば、これを簡単に成立する弁護士の新たな活動として期待するのも、まして弁護士にとっての経済的チャンスのように安易に注目するのも間違いといわなければなりません。言うまでもなく、あくまで弁護士の参入にはおカネがかかります。このツイート主は、別のツイートてわが子がいじめにあった場合に弁護士費用などが支給される「いじめ保険」を提唱していますが、そうした前提がなければ成り立たない話であり、むしろこれが感嘆すべき弁護士の出番であるのであれば、まずこの前提こそ語られなければならないテーマなのです。そして、それがなければ、「いじめが減ってほしい」という弁護士の誠意も(純粋に誠意を持った弁護士がいたとしても)、この社会で十分に生かされないまま終わることになるのです。

     冒頭の「改革」イメージについて、これはあくまで理想であり、目指すべき目標として正しい、と強弁される弁護士会関係者もいるでしょう。しかし、肝心のきちっとした前提が議論、提示されない理想は、所詮、実現されないばかりか、この「改革」が既にそうであるように、社会に誤った期待感を生み、そして正しい「改革」の評価にもつながらない、と言わなければなりません。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    弁護士増員論が明確に伝えなかった「前提」

     規制緩和型司法改革の弁護士増員政策は、現在の結果からみて、それが成立する条件として、事実上、「潜在的」に二つの弁護士利用者の存在を想定していたとみることができます。一つは、増員弁護士におカネを投入する用意がある利用者(依頼者)の存在。弁護士の活動領域の飛躍的拡大が前提的に語られ、「社会の隅々」への進出の必要性が、偏在解消論と結び付いたアクセス容易化の「要請」とともに強調されたわけですが、いうまでもなく、そこには当然のように弁護士を待望し、おカネを投入する利用者市民の存在が想定されていたとみることができます。

     その利用者市民とは、別の言い方をすれば、弁護士がそこにいてさえしてくれれば、おカネを投入する資力と意思を持った存在といえます。「改革」は資力の乏しい利用者を切り捨てたわけではないと強弁する人もいそうですが、唯一、その期待を背負ったといっていい日本司法支援センター(法テラス)が費用の原則償還制を採用している時点で、その発想に基づく「改革」効果はそもそも限定的なものといわざるを得ません。

     つまり、この点での「改革」の、(少なくとも当初の)発想を有り体に言ってしまえば、活動領域が拡大する未来において、増員弁護士はそこにいるおカネを投入する用意がある利用者によって、当然に支えられるはずということであり、逆にいえば支えられるほどのそうした利用者がいるのだから、弁護士増員は可能であり、必要であるという描き方になります。そして、ほかならない弁護士会の幹部までが、いち早くこの構図を丸のみし、その成立可能性について「大丈夫」と断言してしまったのでした(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」) 。

     思っていたように潜在需要が顕在化しないことが明らかになってもなお、増員基調が続くなかでも言われる、弁護士の「開拓」努力不足だとか、需要のミスマッチだとか、需要「まだまだある」論も、基本的には前記構図の描き方を変えていないといえます。

     一つ違う考え方があることを挙げれば、「増員弁護士を支えるだけ(支えるほどの)」という点であり、要は過当競争が良質化や低額化のメリットがある、と言い続ける競争の「効用」を強調する立場からすれば、増員弁護士の運命に関係なく、増員必要論を言い続けられることになります。もっとも、前記弁護士会幹部が「大丈夫」と受け入れた議論のときに、こういうこと、つまり需要不足による、多くの増員弁護士の、あるいは資格価値そのものの犠牲を伴っても増員政策はとられるべき、ということが前提的に議論され、弁護士側がそう言う認識を了解していたかは甚だ疑問といわなければなりません。  

     もう一つ、想定されていたのは、弁護士を選別できる(できるようになる)利用者の存在です。これは、弁護士についての競争の「効用」を強調したい側からすれば、当然に譲れないところといわなければなりません。なぜなら、こういう利用者の存在を前提にしなければ、そもそも競争・淘汰が成り立たないからです。弁護士が情報公開することによって、利用者は主導的に、そして適正に弁護士を選別し、利用できる。弁護士を一サービス業として一般化し、その特殊性を認めず、その実現可能性のハードルを下げる捉え方です。当然、依頼者の自己責任論も、これが前提です。

     これに関して、どうしても疑問に思う、と同時に、ある意味、罪深いとさえ思えるのは、この実現可能性について主張・反論してこなかった弁護士会内「改革」推進派の姿勢です。なぜならば、彼らこそ、この捉え方の現実的な実現困難性を理解し、かつ、選択の困難さと失敗の自己責任だけが依頼者に回る結果を、一番分かっていたはずだからです。弁護士と依頼者市民の、決定的ともいえる情報の非対称性を単純に情報公開で解消できるという見通しに立てないこと、具体的にそれを可能にする手段を見出せないこと(持ち合わせないこと)を彼らはよく知っていたのです。

     ただ、この二点について、もっと基本的な問題は、冒頭「潜在的」と付記したように、「改革」そのものがこれを真正面から社会に、とりわけ利用者が理解できる形で提示してこなかった、提示しないまま、「改革」を進めたととれる点です。弁護士増員は、無償化や低額化の期待よりも、実はおカネを投入する用意がある利用者を前提にしており、かつ、弁護士の選択を、現実よりも相当安易に見積もったうえで、これまでの関係を変える有効策がないまま(競争・淘汰の成立を前提に、資格の質保証が後退するならば、今まで以上にリスキーなる可能性もありながら)、自己責任という扱いで片付けられるという現実を伴っていること――。

     利用者市民から「そうだとすると話は違う」と言われかねない、「改革」の評価そのものにかかわる、逆にその推進にとって都合が悪い現実は後方に押しやられた。そして、そこに十分言及しない弁護士会内推進派も含めて、「改革」は今もそれを後方に押しやっているようにとれるのです。推進派大マスコミ論調も含めた、(結論的には)延々と増員メリットに光を当て続ける増員肯定論の、そして依然として止まらない増員政策の、最も見過ごしてはならない現実がそこにあるように思えてなりません。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    対価性と需要をめぐる誤解と無理

     「サービスに対する適正な対価」という言葉が、かつてよりも弁護士の口から聞かれるようになりました。報酬に対する依頼者の不満に対して、弁護士がその「適正さ」を弁明する場面が、もちろんこれまでにもなかったわけではありませんが、最近、それとは明らかに違う文脈で登場しています。その違いとは、弁護士全体への処遇に対する危機感を背景に語られている点です。

     「改革」の増員政策は、弁護士の競争による低廉化、つまり利用者からすれば、安く使えるという期待感を社会に広げましたが、それは弁護士が生存していくこと、あるいは持続可能性から逆算されていないことに、多くの弁護士が実感し始めた、ということです。依頼者の誤解に、実際に接してみて、それを感じている弁護士たちもいます。

     これまでもそうした指摘がなかったわけではありませんが、より明確にはっきりと弁護士側の採算性については、勘違いしている依頼者にクギを指すべきという意見が、弁護士側の自己防衛策として語られているのです。これまでよりも、より慎重に依頼者を選別し、お引き取り願う方には早々にお引き取り願う。関わること自体が業務上のリスクである、と。

     その意味では、「どんなことでもお気楽に」という、これまでの「敷居を低くする」ことを主眼に置いた、日弁連の「ウェルカム」広告に、会内にはやや批判的な目線もあります。「敷居が低い」ことをアピールして、いわば誤解を解けば、市民は弁護士を頼って来るというスタンスよりも、もっとサービス業としての当然の有償性を強調すべきではないか、要はいまや最優先で解くべき誤解は他にあるということです(「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」 「日弁連イメージ広告戦略への距離感」)。

     ただ、弁護士のサービスの対価性への誤解は、単に前記した「改革」への(あるいは利用者による勝手な)期待感ということに止まらない、根の深い問題です。なぜなら、「改革」自体が初めから、そのテーマを後方に押しやってきた、もっと言ってしまえば無視してきたようにとれるからです。

     利用したい人がいる、買いたい人がいる、というだけで、サービスや商品を大量に生み出すなとということは、もちろんあり得ません。その利用者や購入者は、それが成り立つだけの対価を払うつもりなのかも分からない。あるいは安ければ買う、無料ならサービスを利用する、という人たちかもしれないからです。これらを一律、有効な需要として換算できるわけではありません。

     弁護士の増員政策は、いうなれば、初めからそうしたことを無視したといえます。そして、さらに問題とすべきは、そこで生まれる無理を、あたかも弁護士側の努力で「なんとかしろ」「なんとかなる」と丸投げしているようにとれる点です。弁護士が経済的なハードルを下げることと、ひたすら有効需要を開拓すること(これまた努力すれば、必ずや存在する有償需要を掘り起こせるはずという捉え方)が、前記無理を無視し、常に弁護士の努力不足に置き換える形で、大マスコミも含め、推進派から繰り返し言われたのです。そして、弁護士会主導層自体が、無理を主張するわけではなく、「なんとかなる」論の側に立ってきたのです(「弁護士坂野真一の公式ブログ」)。

    このことは逆に、増員弁護士が、社会的な要請として、取り組まなければならない無償の需要があるならば、それをどうすれば成り立たせられるか、どういう経済的支えが必要なのかという現実的な対応への議論も遠ざける結果につながってきたというべきです。

     ここ1、2年、新人弁護士の就職状況が改善に向かっている、という話が業界内で聞かれます。確定的な根拠があるとはいえない話ですが、弁護士の一斉登録時の未登録者数が修習68期(2015年12月登録)以降、明らかに減少したこと(「Schulze BLOG」)などを改善の根拠にする見方もあるようです。しかし、この変化については司法試験合格者が減り、就職希望者の母数が減ったことなどとともに、推測ではありますが、勤務弁護士の給与水準が下がったことが原因ではないかということが業界内で言われています。

     そうだとすれば、結局、「改善」と位置付けられても、弁護士側がハードルを下げることで生まれる「需要」と変わりません。そして、前記したような「改革」の発想からすれば、その点は省みられることはなく、やはり「改善」と位置付けられてしまいそうです。

     安く使えるならば、嫌な言い方をすれば買いたたいて使えるならば使うという「需要」を、これまでも、そしてこれからも、弁護士の需要と位置付ける「改革」に、弁護士会ははっきりと異を唱えないのでしょうか。ここをはっきりさせなければ、昨今、メディアやネット界隈で取り上げられる、弁護士という仕事が「食えるか食えないか」というテーマの答えにも、本当は近付けないはずです。

     もっとも、今、深刻な問題となっている志望者の減少についていえば、焦点は「食えるか食えないか」ではなく、「恵まれているかいないか」であるというべきですから、ハードルはさらに高くなるということも、需要「まだまたある」論を言い続ける側はしっかりと認識しておく必要があります。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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