「町弁」衰退がいわれる「改革」の正体

     いわゆる町弁(マチベン)の衰退がいわれ続けています。業界内でも、その将来性についての悲観的見方は強まる一方にみえます。「改革」の増員政策の影響が直撃したのが、この町弁であるという見方も、いまや弁護士のなかでは一般的です。増えても需要は増えない「改革」の結果は、この仕事で従来主流だった個人開業型の弁護士モデルにとって、最も酷な経済環境をもたらした(「『自由業』弁護士の終焉」)。そして、その中からは、事務所維持のために、依頼者のおカネに手をつけてしまう弁護士まで生み出し、日弁連が頭を悩ます状況まで生まれました。

     いまや将来性、安定性という観点から、企業や官庁で働く組織内弁護士(インハウス)だけが、残された期待のようにいう業界関係者は少なくありません。町弁―インハウス間の相互乗り換え(転身)は、それぞれ弁護士としては、技術的にも精神的にも(受け入れる企業側のハードルも含めて)楽ではない選択ですが、町弁からインハウスへの転身の成功例があると、いまや一部同業者からは羨望のまなざしがおくられ、話題になるのが現実です。

     これは目を離してみれば、不思議な現実です。市民の最もそばに寄り添い、その法的な問題に対処する、それこそ「身近な」存在であるはずの、町の弁護士が、「市民のため」「身近な」存在になることを、繰り返し表明して来た「改革」によって、いまや消えゆく立場に立たされているという現実です。あれほど繰り返し前記「改革」の目的を唱えてきた弁護士会の「改革」主導層が、この現実に危機感を示すどころか言及もせず、インハウスの将来性を社会にアピールしているようにみえるのは、どういうことなのでしょうか。

     弁護士会のなかでは、この点に関して大きく二つの捉え方をしている弁護士に出会います。最も多いのは、「ご時世」として諦めている人。もはやこうなってしまった以上、仕方がない。なんとか転身を考える人もいますが、それが不可能であれば、とにかくなんとか生きのびるしかない。ただし、そこではキレイごともいっていられない。これまて以上の採算性の追求はもちろん、生き残るために「受けられない」案件、要はカネにならない案件は、これまで以上に意識させてもらう。弁護士会活動にも距離を置いたり、法テラスにも協力しないという方向も、ここから生まれています。

     もう一つのタイプは、あくまで楽観的、あるいは建設的なポーズを維持しているようにとれる人。「改革」推進派や弁護士会主導層に多く、前記したようにこのことそのものへの危機感がなく、なんとかなるという見方で、インハウスの可能性を強調したりする。前者の立場の同業者を「悲観論者」とし、「もっと将来性を語れ」と言ったりする一方、前者の弁護士たちからは彼らが、「自分たちの経済的安定を確保できている人間たちのセリフ」(要するに他人事)と揶揄されたりしています。

     ただ、「改革」の結果登場して来た、この両タイプとも、市民にとって直ちに有り難い存在の弁護士とはいえないということも押さえておく必要があります。

     需要がない、需要を生み出せない仕事なのであれば、消えればよし、もしくは消えても仕方がない、という自由競争では当たり前の考え方を当てはめれば、増員するほど、この国には需要はなく、あるいは生み出せもしない、存在が消えること自体、問題ない、という片付け方もありそうです。だとすれば、残る問題は供給のミスマッチだけで、必要なタイプの弁護士を増やせばよいだけなのだ、と。

     あえていえば、今回の「改革」が初めからそういう発想で議論し、スタートしているのであれば話は違ったようにも思います。増員政策も新法曹養成も、本当に増やすべき対象、増やしても経済的に成立するであろうタイプの弁護士を限定していれば。もっとも、そういう発想であれば、年間3000人などという激増政策が掲げられることになったかも疑問です。

     全体を増やさなければ、良質なものは確保できないといった、いわゆる「裾野論」(「弁護士増員の規模と期待への『反省』」) や、「二割司法」に象徴されるような、有償無償の区別のない膨大な潜在需要論の前に、とにかく増やせという増員ありきと、それを支える量産機関として、新法曹養成の中核たる法科大学院制度も導入されたのです。

     増員しても需要が生まれないことが表面化すると、弁護士会内推進派からも前記ミスマッチ論がまるで路線維持のための弁明のように繰り出されました。だが、気がつけばいつのまにか、「市民のため」「身近」という「改革」アピールからイメージされていた町弁の存在はかすみ、それこそ今でも時々、引き合いに出される弁護士一人当たりの人口、といった切り口の意味も、よく分からなくなってきたというべきです。

     会外からは、つとにこのミスマッチを、訴訟偏重の従来スタイルから脱皮てきない弁護士の問題という扱いになり、明らかに見通しが外れたはずの、会内推進派のなかの人間までが、この論に乗っかって弁明しているのを見ます。

     しかし、こだわるべきは、本来、そこだけではないというべきでしょう。「市民のため」の「改革」がイメージさせたものはどうなってしまったのか。何が今、期待できて、何を期待すべきでない(なかったのか)。そして、この町弁が結果的に消えてゆく、「市民のため」の「改革」の結果は、どこまで市民にとって有り難い話なのか――。そろそろ、それをはっきりさせるべきです。


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    議論すべきことを遠ざける「改革」推進派論調

     「弁護士報酬お布施論」といわれても、知らない弁護士はいまや多くなっているようです。「ミスター司法改革」といわれた、故・中坊公平弁護士が提唱し、その後、弁護士会のなかでも、現実離れ論の代表格のような扱いをされてきた論です。当初の「改革」論議そのものを知らない弁護士が増えているなか、それが言われたという事実を知らないのは当然ですが、はじめから弁護士は専門サービス業であると認識して、この世界に来た人からすれば、この字面で想像しても、どうすれば弁護士報酬を「お布施」にすることができるのか、それがピンとこなくても、何もおかしくありません。

     この「お布施論」が、「改革」の弁護士増員政策めぐる論議のなかで出されたことには、ある意味があったのではないか、ということを以前書きました。弁護士に競争とサービス業化をもたらした「改革」の現実からすれば、およそ「聖職者」意識を求めるような同論は真逆の発想。「改革」がサービス業化を押し付けながら、一方でサービス業としては当たり前であるはずの「対価」という発想を否定するような発想には、今、思えば明らかな矛盾がありました。

     ただ、中坊氏が、あえて矛盾ともいうべき「お布施」論を提示してみせたのは、サービス業化という「改革」の現実、あるいは多くの弁護士にとって「改革」への抵抗感につながりかねない、その現実に対して、極力違うイメージを付与しつつ、当然予想される拝金主義化の懸念から目を遠ざけるようとしたのではなかったのか。要は、弁護士激増政策を会内向けに飲ませるためのものだった、と(「弁護士報酬「お布施」論の役割」)。

     「改革」増員政策の結果が徐々に明らかになって、ほどなくこの論は、多くの弁護士から、いわばキレイごととして、総スカンをくらうことになるわけですが、当初、「改革」推進派の人たちの中で、知っていたか知らないかはともかく、前記矛盾を指摘した人は私が知る限りいませんでした。

     一方で、中坊氏の当時の発言をみれば、増員政策に対して会員の抵抗感をなんとかしければならない、という意識が強くありながら、彼は結果的に「改革」の影響も、それに対する会員の不満も甘く見積もっていた、といえます。増員政策を飲ませるために繰り出された論が、本来サービス業化が進むなかで弁護士が生き残るためには、むしろ当初から議論されなければならなかった「対価性」という観点の議論を遠ざける役目を果たすことも、見通せなかったといわなければなりません。

     そして、さらに付け加えるのであれば、「市民のため」という「改革」を提唱する側にありながら、今思えば、本当に市民が見えていたのかという気がするのです。「お布施」という感覚に直結するかどうかはともかく、弁護士利用者のなかには、本当に「ありがたい」と手を合わせるように、弁護士に感謝のおカネを差し出す人もいるかもしれませんが、それはあくまで結果次第。利用者が弁護士に差し出すおカネが常にそんなものではないことは、ほかならない弁護士が一番分かっていたはずです。

     あえていってしまえば、報酬が「お布施」という位置付けになって、喜ぶ市民の感覚があるとすれば、いわばそれによって、弁護士から高い請求を受けなくて済むようになるかもしれない、という期待感につながるものではないでしょうか。

     結局、多くの利用者市民は、弁護士に払わなければならないおカネが、「お布施」になるなどとは土台思っておらず、当然、高い請求を覚悟している。むしろ、弁護士会外の増員論者がにおわすような、弁護士が増えて、競争が起こり、廉価競争と価格破壊が起こる方が、「改革」への期待であっておかしくない。だからこそ、弁護士会の「改革」推進論者は、「お布施で結構」という話よりも、むしろ報酬がきちっとした「対価」であることと、増員をしても廉価競争は期待できないことの方をはっきりと示すべきだったと思うのです。

     法科大学院制度を中心に、司法試験の内容・合格率をそれに合せることや、弁護士増員政策の堅持を訴えてきた弁護士らのグループ「ロースクールと法曹の未来を創る会」(「Law未来の会」)が、7月20日付けで法務大臣と司法試験委員会委員長に、昨年1580人だった司法試験合格者を、今年は「少なくとも2100名程度」にすることを求める要請文を提出した、という情報が流れています。今のところ、同会のホームページでも、この要請文は公開されていませんが、弁護士ブログである「Schulze BLOG」が全文を公開しています。

     あくまで法科大学院制度の存続を軸に、現実をそちらに合せろ、という方向の訴えをしてきたグループですから、とにかく合格させろと、彼らがいうこと自体は、新味もなく、驚くことではないかもしれませんが、弁護士過剰状態が弁護士という仕事の経済的妙味を奪い、それが法科大学院にとっても死活問題であるはずの志望者獲得を遠ざけていることがはっきりしていながら、なお増やせ、増やせば活路が見出せる、という発想は、さすがに理解できません。いうまでもなく、増やせば、弁護士はさらに経済的なダメージを受け、仕事につけない資格者も生み、ますます、志望者はこの世界から遠ざかるだけだからです。

     ただ、この一文には、司法試験の合格判定、要はそれが、合格数が少ないという方向で不合理であることをいう文脈で、「社会が求めている」もののとして、次のような下りがあります。

     「法務省と司法試験委員会がこうした不合理かつ不当な合否判定を行っている理由は、『職がない』などというデマまがいの宣伝を繰り広げる地方を中心とする弁護士会と、それに動かされる国会議員の意向を受けてのことと思われるが、これは現実の国民や企業の要請と真っ向から矛盾し、『反国民的』と言っても過言ではない」
     「このことは、内閣官房法曹養成制度改革推進室が一昨年4月に発表した『法曹人口調査報告書』によれば、国民の8割が『弁護士の知り合いがいない』と回答し、『弁護士に依頼したいと考えたことがある者』の3分の2が、『弁護士の探し方が分からない』などの理由で弁護士に依頼していないこと、大企業でも弁護士資格を有するものを雇用しているのが僅か13%に過ぎない反面、弁護士を募集した企業の3割が、『応募がなかった』と回答していることにも示されている」

     そもそも弁護士の数を増やさないことを、当の国民が「反国民的」だと思っているのか、という点で、この認識にはずれがあるようには思いますが、この文脈で「証拠」として示さていることは、果たして増員が社会的要請であるとつなげられることでしょうか。弁護士の知り合いがいない、頼みたくても探し方が分からない、大企業で雇用しているところがまだ少ない、募集企業にも応募がなかった、だから、増やせ、増やせば解決するという、ことになると本気で考えているのでしょうか。

     こういう事実があったとしても、増やせば社会がおカネを投入する用意があるとは限らない、肝心のことが担保されなければ、増員弁護士は支えられない――。「改革」が明らかにそうしたことを示す結果を出していながら、延々と同じ過ちを繰り返す議論を繰り出さそうとするのは、どういうわけでしょうか。

     それは、「改革」路線に不都合な議論を結果的に回避し、内向きに納得させようとするような、前記「お布施論」と同様の虚しい発想が、推進論者のなかに依然として存在していることを示しているように見えてならないです。


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    「実現可能性」から逆算されていない弁護士像

     かつての司法改革論議について、触れた話をすると、以前から弁護士会のなかには、「いまさらそんなことをいっても仕方がない」といった反応をする人たちがいます。要は、「改革」路線は既に選択されてしまったのだから、これからどうすべきかを問題にすべきであって、過去を振り返るのは建設的ではない、というのです。

     趣旨は分かりますし、こうした論調に納得される方もいるようですが、やはり不思議な感じがしてきます。選択され、現在も続いている「改革」の評価に当たって、事前に何が検討され、何が欠落していたか、何が本当に想定外だったのかを、きちっと総括する必要があるのは当たり前ではないか、と。

     それはいうまでもなく、欠落していたこと、想定外であったことをいまからでも穴埋めする視点に立ち、議論されるべきだと思うからです。そして、それが今、なぜ、強調されるべきかといえば、この「改革」の結果が出た現在でも、当初と基本的に変わらない発想のままで、「改革」路線が続いているように見えるからです。

     そうとらえれば、前記過去を探ることを「建設的でない」という立場は、結局のところ対症療法を求めるものであっても、「改革」路線の維持を積極的に求めているか、あるいはその方向に結果的に手を貸すものでしかない、ととれてしまうのです。

     「弁護士会は何を議論してきたのか」

     自らにその影響が跳ね返ってくる結果を招いた、弁護士増員政策について、弁護士会はなにを検討、検証したのか、あるいは何もしなかったのか、という疑問の声を会外の人間から投げかけられることがあります。経済的に追い詰められ、安定した修養機会を失い、かつ弁護士自身の意識を変え、自治や強制加入までを負担として、内部からその存立を脅かす方向を生み出している「改革」に対して、一体、当初、弁護士主導層はどういう展望を描いていたのか、と。

     増員政策について、弁護士会内の当時の議論を大まかに括ってしまえば、増員の是非が会内で議論になっていても、日弁連・弁護士会の主導層の関心・あるいは焦点は、その詳密な影響への検討や実現可能性ではなく、もっぱら「改革」時代の「あるべき弁護士像」の方だった、という印象を持っています。それが、当時は、いわば「建設的」ととられた。

     ただ、いうまでもなく、前記した詳密な影響や実現可能性よりも、この「あるべき弁護士像」論が先行されていること自体、もはや大増員を不可避とし、それを前提とするところから議論がなされていることを意味している、ととれます。あるべき弁護士像から弁護士増員の是非を探るのではなく、増員政策から逆算して、そのなかであるべき未来を規定した。しかし、増員の影響をいわば「大丈夫」、成立するという前提から導かれた「あるべき論」が、どういう運命をたどるか、なぜ、それを疑わなかったのか、どうしても疑問として残るのです。

     「改革」の激増政策がもたらすだろう状況のなかでの弁護士の姿について、「改革」の方向性を前向きにとらえていた弁護士たちが、どのように描いていたのか――。その一端がうかがえる内容が、2004年に行われたシンポジム「21世紀の弁護士像及び弁護士のあり方」の資料のなかの、ある日弁連業務改革委員会委員のまとめに出てきます(「21世紀の弁護士像及び弁護士会――弁護士のアイデンティティを探る」)。

     「新司法試験合格者数の3000人は、将来さらに増加されることも考えられる。いずれにしても、法曹人口が飛躍的に増加することは間違いない。そもそも、法科大学院制度をとれば、本質的に比較的簡単に法曹人口を増やすことができる」
     「弁護士人口が増えれば、従来型の業務も量的に拡大する。例えば、弁護士を身近に知らなかったため訴訟を諦めていたような依頼者も、訴訟を選択することができる。そして、交渉の一方の当事者に弁護士がつけば、その相手方にも弁護士がつく傾向もある」
     「また、増加されれば、少なくとも一時的には、従来型以外の領域にも、弁護士が進出することが考えられる。例えば、少額事件を効率的に受任したり、特定の債務整理をさらに専門家し(原文ママ)、受任することが考えられる。ともかく、弁護士も生き抜いていくために様々な試みをしなければならない」
     「以上のような状況は、弁護士にとって苦しい試練であるが、従来弁護士が関与していない案件に弁護士が関与することは、このような案件について法による解決がはかられ、法の支配が実現されるということである。むしろ、こうした事態を積極的に捉えるべきである」

     安易な、甘い見通しと括ってしまえばそれまでですが、弁護士の増加によって業務が増えるということの当然視、「二割司法」が描いた司法機能不全論に影響を受けたととれる「泣き寝入り」市民救済の意義強調、そして、そのために弁護士は試練を受けとめよ、と言っているような精神論が繰り出されています。前記機能不全論を含め、そもそもこれを導き出した前提事実そのものが間違っているということはいえます。ただ、それもさることながら、問題は、例え部分も含め、この論調のどこをとってみても、「比較的簡単に」実現すると予想される弁護士激増状態が経済的に支え切れるのか、その可能性すら提示できていない、ということです。

     要は、提示できないなか、その「苦しい試練」を「生き抜いていくために様々な試み」で立ち向かい、なんとかするのが、増員時代の「あるべき弁護士」だと、言っているに過ぎないことになります。

     当時、こうした弁護士会の「改革」推進派の論調を沢山聞きました。そこには、昨今言われるような「持続可能型」といえるような切り口が、全くつきつめられていない。増員弁護士にあたかもこれまで弁護士を依頼したくても、少なすぎたためにそれができなかった依頼者が駆け寄ってきて、おカネを当然に投入するだろうという、思い込みと、弁護士が増員を支え切れる規模の、どことは特定しきれない他分野に進出して、試練を克服するだろうという見通しだけ。いかに持続的に活動し、生存できるのか、という、普通の業界団体ならば、真っ先に考えそうなところから、逆算して、この「改革」を考える発想が決定的に欠落しているのです。

     普通の業界団体などいう用語を使えば、またぞろ「日弁連・弁護士会は普通の業界団体ではない」と言ってくる人もいるかもしれません。そこが前記引用の「法による解決がはかられ、法の支配が実現される」という意義の前に、「積極的に捉え」ろ、という、弁護士(会)スタイルを生み出す発想につながっている、というべきかもしれません。その現実的な無理が、この「改革」の失敗であぶり出されたようにみえます。

     冒頭の「いまさら」論は、「改革」を知らない世代の会員の増加と、それこそ「改革」が生み出した会員の余裕のない状況のなかで、今後、さらに会員間にさらに広がるかもしれません。そして、そもそも「改革」主導の責任という視点が生み出されないなかでは、なおさら総括の必要性という視点が生み出されなくても不思議ではありません。

     しかし、仮に前記した「改革」の発想が、結果的にそのままであるというならば、私たちは、彼らのいう「あるべき弁護士」と、現実に私たちが接する「存在できる弁護士」「存在してしまう弁護士」が結び付かない「改革」の結果を見続けることになる可能性かあります。


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    企業内弁護士への期待感と「弁護士余り」の関係

     2001年当時は66人だったが企業内弁護士が、今年4月時点では約30倍の1927人となり、弁護士全体の5%近くを占めるようになった、という記事を、6月22日付けで共同通信が配信しています。増員政策を伴った、今回の「改革」で、この現象は確かに特筆すべきものかもしれません。ただ、この配信記事も、ここ数年の、この現象に関するメディアの取り上げ方同様、お決まりといっていい次のような括り方をしています。

     「『弁護士余り』が問題となる中、企業が新たな活躍の場になりつつあるようだ」

     弁護士全体の比率で、一定の数がこれまでになくその方向に流れているということでは、「新たな活躍の場」という表現は、必ずしも間違いとはいえません。ただ、それが「弁護士余り」という現実が存在している、という認識のもとに括られるとなると、いつもながらイメージとして社会に間違って伝えられるような違和感を覚えてしまうのです。

     2016年版の弁護士白書によれば、企業内弁護士と任期付き公務員を加えた、いゆる組織内弁護士の数で見ても、確かに2006年の186人から、2016年には1907人と10年間で10倍に膨れ上がっています。ただ、一方で、この間、日本の弁護士数は、約1万5700人増加しています。全体に占める組織内弁護士の割合でみると、この間、0.84%から5.06%へと増えていますが、それでもその間のこの占有率の増加は年0.5ポイントないし0.6ポイントです。

     このまま推移するという仮定に立てば、10年以内に組織内弁護士が全弁護士の1割を占めるようになる、という見通しも立つかもしれません。ただ、それが現状、「弁護士余り」という状態があるなかで、弁護士が増え続けることへの対策として、あたかも期待できる「解」になるようなイメージにとられるとすれば、それは果たして大丈夫なのか、と言いたくなるのです。

     なぜ、今、企業内弁護士が増えているのかについては、大きく二つのことがいわれてきました。グローバル化、日系企業の海外進出が進むなかで、現地法人の設立やコンプライアンスの構築、M&Aなど、企業が直面した案件に対応する法務部門の要員として、弁護士を抱え込むニーズが生まれていたという、受け入れ側の事情。そして、もうひとつは「改革」の弁護士増員政策による、いわゆる就職難によって、法律事務所で修養するというモデルの崩壊、さらにリーマンショックの影響もあり、経済的により安定を求める若手が企業を目指したという事情。企業側からすれば、後者の事情が、前記の事情への対策に、より彼らにとって有利な環境を提供した、要は採用しやすい条件がもたらされた、ということになります。高い顧問料でつながっていた法律事務所と企業の関係も、この段階で逆転した、という見方もありますし、さらに、ここに弁護士を使いやすいものにする、という「改革」の真の意図があった、という指摘もあります。

     ただ、大事なことは、意図したか意図しないかはともかく、彼らにはこうした「改革」による変化の恩恵を受ける意思はあっても、それを積極的に支えるつもりなど毛頭ないということです。メディアに出る声も含めて、企業関係者の「改革」の増員政策に絡んだ発言を聞けば、彼らは繰り返し釘をさしているのです。あくまで採用は自社の戦略であり、より使い勝手がよければ、われわれは、われわれの都合によって、必要な分だけ採用するだけ。ゆめゆめ増員した弁護士の「受け皿」になるなどという期待感を持ってくれるな、と。このスタンスは、今も、これからも変わらない、といっていいと思います(「『企業内弁護士』の将来性と激増論の線引き」)。

     それは別の言い方をすれば、彼らは提供される側として、常に要求し、期待する側ではあるけれど、要求され、期待される側にはならない、ということです。企業内弁護士が拡大するということは、前記その規模的なこともさることながら、「弁護士余り」の状況を前提に考えたとき、それはどこまでいっても所詮、そこから逆算された対策の「解」には成り難い。結局、弁護士界が、いつか組織内志向のものだけが目指すような、前記比率において彼らが絶対的に多数を占める世界になるか、それとも、この世界そのものが志望者にとって見向きもされないものになるまで、「弁護士余り」という状況自体が大きく変わらないことを意味するようにとれるのです。

     前記統計でも明らかのように、いまだ弁護士を目指してこの世界に来た人の大半は、組織内弁護士を志向しておらず、そこにこそ「弁護士余り」という状況があるわけですが、かといって今後の志望者の意識が変わることも、そもそも組織側が、それを今後、どこまで受け入れるかも現在も全く不透明です。数に見合う「受け皿」がみえない以上、いうまでもなく「弁護士余り」は確実に続くことを想定しなければならないはずなのです。

     司法改革の結果を直視し、法曹人口や法曹養成の在り方を問い直す活動を展開する有志グループ「これからの司法と法曹のあり方を考える弁護士の会」が6月16日、政府の法曹養成制度改革推進会議が打ち出している司法試験合格者年間「最低1500人」方針から、「1000人以下」を視野に入れたさらなる減員を求める声明を発表しています。

     声明のなかで同会は、10年間で1.8倍に弁護士人口が増えるなかで、裁判事件数は逆に減少傾向を示し、弁護士会等の相談件数が増えず、需給のアンバランスが生じているなかで、前記したような勤務弁護士制度の変容、OJT機能の弱体化で、「国民に対し弁護士の質を保証するという点で大きな不安が生じてい」ると、改めて訴えています。「弁護士余り」という状態は、私たち利用者にとっても、悠長なことを言ってられるものではない、というべきなのです。

     いくら組織内弁護士が増え、組織こそがこれからの弁護士にとって期待できる活躍の場であるとしても、「弁護士余り」という現実の前に、私たちはまず、「改革」が一体、何を生み出しているのかの方を直視する必要があります。


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    激増政策の中で消えた「法曹一元」

     日弁連が組織として、司法試験合格者年間3000人を目指すという「改革」の法曹人口激増方針を受け入れることになった2000年11月の臨時総会決議について、当時を知る弁護士のなかには、これを「歴史的」という言葉を冠して語る人がいます。ただ、言うまでもないかもしれませんが、これには多くの場合、皮肉なニュアンスが込められています。その後の弁護士業と法曹養成を劇的に変えてしまう大失策を、この時、日弁連が堂々と選択してしまった、という捉え方です。

     当日の臨時総会の議事は約9時間にも及び、日弁連としては簡単な選択ではなかったといえますが、結論は賛成多数ですから、前記のような意味で語る人は、当時、反対に回ったか沈黙していた会員であり、今さらそんな皮肉は口にできない立場の会員も少なからずいることは推察できます。当時の状況を考えれば、既にこの決議の2ヵ月前、既に3000人方針で一致を打ち出していた司法制度改革審議会の席上、当時の日弁連会長自らが、同方針で「十分に大丈夫」と太鼓判を押してしまっていたのですから、日弁連主導層は、もはや前のめりになっていた、ということは確かなのです(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。

     今でも日弁連のホームページで見ることができるこの決議の提案理由を、改めて読むと、非常な違和感を感じます。あるいは当時を知らない、今や多くの会員の中には、この内容が入ってこない、よそよそしいものを感じる人も少なくないのではないか、と思います。

     「21世紀の弁護士は、なによりもまず、自らの公益性と倫理性を自覚し、我が国の弁護士の輝ける伝統を引き継いで、人権の擁護に取り組む存在とならなければならない。この弁護士の公益性と倫理性の自覚は、弁護士人口が増加し、法曹一元制が実現して、弁護士がより広い役割を担う存在となったときにも、弁護士職のアイデンティティとして保持されなければならない」
     「法曹一元制の下で市民感覚豊かで真に独立した裁判官と、質の高い豊富な量の弁護士が存在すれば、市民の権利の適正かつ迅速な実現が可能となり、それが司法に対する信頼を高めて、新たな需要を喚起するという好循環も期待できる。弁護士の共同化、専門化が促進され、より使いやすく、より信頼できる司法を実現することもまた可能となる」
     「我々の展望する21世紀の社会では、弁護士が、自由・公正並びに透明性の高い法化社会の進展に寄与し、それを維持発展させるために、地域的にも、分野・領域的にも、社会全般に進出し、市民に助言する専門的法律実務家として活動することが求められるであろう」

     こうした描かれた将来の弁護士像や、自らが求められる社会の展望が、需要の好循環などが生まれていない未来を知ってしまった人間からすれば、「3000人」という既定方針から逆算された、それを「大丈夫」とするための都合のいい「予言」が並べられているように見えてしまいます。

     ただ、そのこともさることながら、この提案理由への違和感を決定付けているのは、前記引用部分以外にも、全編にわたり度々登場する「法曹一元」という言葉です。ここでしつこいほど繰り出されることになった、この日弁連・弁護士会の長年の悲願。これが、どういう意味を持っていたのか――。結論からいえば、「法曹一元」論は「改革」に利用された、ということになると思います。

     1964年に意見書を発表した臨時司法制度調査会の議論で弁護士側は、法曹一元実現の条件として、法曹人口の不足が突き付けられる格好になっていました。弁護士から裁判官を採用させるという法曹一元にあっては、給源の確保という意味で、増員政策と親和性があったといえます。そして、その悲願達成は、1990年代に会内に多数いた、臨司以来の会内の有力な法曹一元論者を、「3000人」方針を含めた「改革」路線に動員する役割を果たした、ととれるのです(「『法曹一元』論が果たした役割と結末」)。

     既にこの決議の段階で、提案理由も認める通り、司法審の「改革」路線からは、法曹一元とは不可分の関係であるはずの判事補制度の廃止の芽はなくなっていました。それを分かった上で、この提案はなされています。多くの会員が、法曹一元の実現を革命前夜のごとく、当時熱狂を持って受けとめていたかというと、少なくとも私の目にはそうも見えませんでした。懐疑的な声はいくらもありました。ただ、「改革」推進の旗を振る人たちほど、この実現をことさら口にし、そして前提のように語っていた印象が残っています。

      しかし、現実はどうなったか――。日弁連自らが、会内に抵抗があった激増政策への合意形成のために、利用することになったこの悲願は、まさに皮肉にも、その政策によって完全に後退させられた、いまや葬られたという状況にまでなったといえます。それは大きく二つの点で、明らかです。

     一つは、法曹一元の根拠においてです。弁護士(本来的には経験を積んだ弁護士)から裁判官を採用するというこの制度にあっては、弁護士の優位性が前提となります。なぜ、弁護士でなければならないのか――。より国民生活に近い在野の法曹経験が生かされるという建て前になりますが、前記臨司でも、弁護士側は反対派から、この点の根拠を突かれています(「尊敬される弁護士と『法曹一元』」  「弁護士任官と法曹一元の距離」)

     「改革」がもたらした、現在の弁護士大量増員時代が、現実的にこの優位性を高めることにつながっているとは、とても思えません。競争と生存に直面した弁護士たちがサービス業としての自覚を高める一方、依頼者のカネにまで手をつける不祥事に、日弁連・弁護士会が頭を悩ます時代です。社会は、そうした存在をどうしても裁判官の前に経るべきものととらえるでしょうか。少なくとも、この「改革」以前に比べて、よりその説得力が増したと到底思えません。

     そもそも国民生活に近い、といっても、弁護士は、時に庶民とも対立することもある、あらゆる階層の弁護をする存在である点から、このロジックの説得力に懐疑的な見方は、当時から弁護士界のなかにもありました。それだけに、法曹一元実現には、この点で、より強く、こうしたものを社会に提示していく必要が前提的に存在していたはずなのです。

     そして、もう一つは弁護士会内の認識においてです。前記したような「改革」が生み出した環境のなかで、実現のリアリティだけではなく、果たして多くの会員、特に会内で多数になっている若い層の会員にとって、いまでも法曹一元が悲願なのかは、甚だ疑問です。弁護士の経済的な状況から、任官の条件が経済的妙味をもたらすものならば、関心が向くのではないか、と言う人がいました。しかし、弁護士が弁護士として豊富な経験を積める状況がなければ、法曹一元の本来的な意義に合致しないばかりか、経験不足の人材の給源になるのであれば、それこそ社会への説得力はありません。

     「改革」が、そうした裁判官予備軍になる弁護士を養成するのに適した環境を与えるどころか奪い、社会のイメージとしても弁護士の優位性を遠ざけ、なおかつ個々の会員の意識からも一元を遠ざけたといえます。そして、いまやこの言葉を弁護士が口にすることも少なくなりました。法曹一元を目指すのであれば、この激増政策はとるべきではなかった、といってもいいはずなのです。しかし、日弁連主導層は、このことをいまだに認めていません。あるいは将来、法曹一元という言葉が完全に消えた時代に発行される日弁連の年史には、この悲願の顛末が、どう記されることになるのでしょうか。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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