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    弁護士外「活用」というテーマ

     弁護士の激増政策は、結果的に弁護士が法的市場をできるだけ独占するという方向と、一体となって進もうとした、といえます。とりわけ、増員政策を積極的に受けとめた、弁護士会の「改革」主導層は、その発想のもとに、この政策を牽引しようとしました。

     有り体にいえば、法的問題には、できるだけ弁護士が乗り出して、関与する社会が望ましいということになります。そして、それは同時に隣接士業を含め、そうした問題に対処する社会の受け皿の、いわば棲み分け、要は専門性や現実的な能力を考慮して、分担して臨むという発想を、あらかじめ極力排除するものになったようにとれるのです。まるで、弁護士を増員させる社会には、それが不都合なものになるかのように。

     そうした発想の始まりを伺わせる議論の記録が残っています。2000年8月29日、司法制度改革審議会第28回会議。経済界から委員として参加した山本勝・東電副社長(当時)から、隣接士業や企業法務を含めた、弁護士外「活用」に道を開く議論への期待感が示され、竹下守夫・同会会長代理からも弁護士法72条による、法律事務の「一切排除」について見直しの考えを問われた場面で、説明者として参加していた久保井一匡・日弁連会長(当時)が述べます。

     「この21世紀社会の法的なニーズに応える方法として、二つあると思うんです。一つは、弁護士の数を増やして、そして弁護士がきちっと対応していくという方法。もう一つは、弁護士の数をなるべく押えて、その代わりに隣接業種の方々に手伝っていただくという、どちらかの方法があると思うんですが、私どもとしましては、やはり基本的には、訴訟だけではなくて、示談交渉、法律事務を含めて、こういう法律判断を、あるいは法律に関する仕事を、我々自身がやはりつらくても数を増やして、自らこなしていくというのが、真の意味での国民に対する責務ではないかと考えておりまして、72条を部分的に開放する形で、ほかの業種の方に手伝っていただくことによってカバーするというのは邪道ではないかと。そういうことで今回臨時総会を開いて、きちっと社会の必要に応じた数と質を確保していくという方針を打ち出した」

     増員弁護士が受け皿になることこそ、国民に対する責務、弁護士法72条の部分開放で、他業種の力を借りる方向を「邪道」と切り捨てています。この日は、この山本委員から、当時の司法試験合格者1000人を3倍にするという急増政策に危惧の念が示されたのに対し、久保井会長が「十分に大丈夫」と太鼓判を押したのと、同じ会合です(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。

     また、2001年2月2日、同審議会第46回会議の、山本委員による、法務部門の機能を本部に集中して、分社化したグループ企業に対して同じようなサービスを一元的に提供することの合理性と72条の縛りが取り上げられた場面。さらに2001年5月29日の第61回会議での、再び企業法務の位置付けが取り上げられた場面。そのいずれでも、委員として参加していた中坊公平弁護士が、72条の存在を盾に議論の拡大にクギを刺しています(「弁護士法第72条についての司法制度改革審議会での主なやりとり」)。

     要は、弁護士増員政策を既に受け入れる覚悟を固めた以上、弁護士会としては、あくまで増員弁護士活用を中心に考え、それから外れる可能性がある議論を当初から排除したかったことが伺われるのです。そして、それはその後、増員しても需要が顕在化しないという現実に直面したのちは、増員してしまった(あるいは増員し続ける)弁護士の受け皿という視点から、結果的にますます前記議論からは遠ざかる方向になってしまったといえます。

     その結果は、うまくいっているといえるのでしょうか。その意味では、弁護士増員政策の影響を受けるはずの、隣接士業が同政策に強く反対して、棲み分け論を強調したわけでもなかった(あるいはできなかった)という現実はあります(「司法書士にとっての弁護士激増」)。

     一方、72条に絡む問題は、弁護士会の立場として慎重な対応をとること自体は、利用者の危険排除からは、ある意味、当然な面はあり、そこは前記議論での中坊委員の主張につなげることもできます。しかし、弁護士会側は、弁護士外「活用」の方向の議論に関して、常に二つの課題を背負い、ある意味、それを積み残してきているようにとれます。それは一つは、「排除」すべき具体的範囲の明確化、そしてもう一つは、その本当の根拠につながる、「排除」しない時の「実害」の具体的提示です。72条がある、ルールはルール的な説明に聞こえたならば、結局、課題は積み残されてしまからです。

     弁護士外「活用」論のテーマは、ここに挙げている隣接士業、企業法務との関係や、72条が絡む問題に止まらず、「改革」が唱えた、いわゆる「社会の隅々」論の評価にも関わります。さらには増員政策だけでなく、法科大学院の存在、増員を前提にそれが導入された現実とその活用というテーマにも関係しています(「弁護士業務拡大路線の正体」 「弁護士『津々浦々』論の了解度」 「法科大学院関係者の『印象操作』から見えるもの」)。

     ただ、いずれにしても需要の顕在化が、激増政策を必要とするほどには期待できないことが、もはや「改革」の結果として明らかになっています。あの日、久保井会長は、「つらくても数を増やして、自らこなしていくというのが、真の意味での国民に対する責務」と言い切りましたが、もはや何でも弁護士、どこまでも弁護士の発想そのものが、弁護士にも、あるいは社会・国民にとってもべストではないのではないか、という視点に立ち返るべきときだと思えるのです。


    地方の弁護士の経済的ニーズについてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

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    弁護士必要・活用論への疑念

     弁護士は必要だから増やす、というのが、司法改革の増員政策の基本的な発想でした。そのためか、ある意味、当然のごとく、この「改革」では当初から、この社会の法的な需要の受け皿になるのが、「どうしても(あるいは本当に)弁護士でなければならないのか」という視点が後方に押しやられてきた感がありました。

     ここでも何回か取り上げている、司法制度改革審議会意見書の、いわゆる隣接士業との関係の下りにも、そのことが象徴的に表れていました。

     「弁護士と隣接法律専門職種との関係については、弁護士人口の大幅な増加と諸般の弁護士改革が現実化する将来において、各隣接法律専門職種の制度の趣旨や意義、及び利用者の利便とその権利保護の要請等を踏まえ、法的サービスの担い手の在り方を改めて総合的に検討する必要がある」

     増員政策を既定方針化し、既に増員政策の上に法科大学院を構想していた司法審の方向性しては、隣接士業の最終的活用のあり方については棚上げにした。その後、散々、諸外国との比較において、隣接士業数を換算しなかった法律実務家不足論のおかしさが指摘されるわけですが、この時点で、司法審はそうした視点で、既定方針の増員政策を覆すことになるかもしれない議論を回避したのです。

     結果として、司法審意見書がいう弁護士大幅増の「将来」では、それを支えるだけの経済的な法的需要は顕在化せず、増員政策そのものもが大幅に想定からズレました。増やしてしまった、あるいは増え続ける弁護士をどうするか、という活用論、開拓論のなかでも、隣接士業の可能性を考えた「総合的に検討する」ことが行われていません(「司法書士にとっての弁護士激増」 「弁護士『資格』必須度というテーマ」)。

     職能団体としての弁護士会が、弁護士の必要論、活用論を強調し、幅広い「進出」論を唱え続けること自体は、はもちろん理解できなくはありません。ただ、前記増員政策の失敗で、弁護士がこれまでのような経済的環境を維持できず、同時に人気資格から転落すると、「改革」論議の中には「法曹有資格者」という言葉が登場してきました。

     この言葉に内心衝撃を受けた弁護士会関係者は少なくありませんでした。これはある意味、法科大学院を中核とする新法曹養成に都合がいい、苦し紛れの人材「活用論」につながっています。「弁護士」という資格にこだわらない「活用」の可能性を示唆するものであり、激増させてまで、なにが何でも弁護士が必要という立場とは異なるメッセージだからです。弁護士の需要開拓は、そちらで「なんとかしろ」という丸投げの姿勢は変わらないまま、一方で、弁護士がどうにもならなくても、あるいはそれが経済的妙味で敬遠されるならば、という目線逸らしの発想ともいえます(「『法曹有資格者』への変化」)。

     もちろん、あくまでこれはご都合主義ですので、現実は「法曹有資格者」ならばどうにかなる、志望者に魅力的なアピールになるという、楽観的な状況ではありません。しかし、制度の側には、「法務博士」の価値は上げたい、法科大学院修了生が単体で社会から評価され、そこに法科大学院の存在価値が見出せるという期待感は、実は延々と強いのです(文科省「“法科大学院”と“あなた”が拓く新しい法律家の未来」)。

     「改革」の、激増させてまで、どうしても「弁護士」という発想の土台の、脆弱性、根拠性を疑いたくなる要素になります。

     本当に、法科大学院のような専門教育機関が養成した人材が活用できるとして、そうした一定のリテラシーを持った人材を前提にできるのであれば、資格の経済的価値を破壊するほどに、あるいはのために資格者も利用者も混乱させてまで、どうしても弁護士の活用を前提とした激増が必要なのか、という視点が生まれてもいいのではないでしょうか(「『事後救済型社会』と法科大学院の選択」)。

     弁護士万能主義に立ち、隣接との関係においても、あたかも「上位資格」として、「弁護士ならばまちがいなし」という思考停止も見直していいはずてす。棲み分けの方向、法的に高度な対応が要求される部分を弁護士に委ねる、隣接との関係、有り体いえば、大病院と開業医のような連携の可能性を考えた時に、弁護士の激増が本当に必要なのかという、根本的なところに立ち戻ることはできないでしょうか。

     最近、弁護士のなかでは、需要はあったとしても、経済的に処遇されていない、ということはそれなりの存在なのではないか、とか、弁護士の将来的可能性が期待されている、企業内弁護士などインハウスにおいても、大卒事務系社員に比べて、果たして弁護士資格者が処遇されているのか、といった疑念の声が聞かれます。合否がかかった時間的年齢的リスクを負ったチャレンジ、さらに経済的なリターンや将来的な妙味の期待減。これらはの現実は、志望者の敬遠傾向につながっているだけでなく、弁護士の自覚としても「どうしても弁護士必要論」が変化してきていることをうかがわせます。

     もちろんいうまでもなく、弁護士が必要でなくなったのではありません。需要が眠っているから、大量に必要とされる未来がやってくるから、という「改革」の予想が外れた今、もう一度、社会の需要の受け皿として、無理なく、そして他の資格も活用した上での、弁護士の数はどのくらいが本当は適正であったのか――。その視点に立ち返った方が、それこそ無理も、犠牲も生まない、かつ「市民のための」司法に向かうような気がしてならないだけなのです。


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    弁護士業務拡大と需要創出をめぐる不思議

     司法改革の結果として、業務拡大、需要創出の必要性が、いまや死活問題として、当たり前に語られるようになった弁護士ですが、弁護士界の外では、そのことに「違和感を覚える」という声に、今でも時々出合います。「弁護士さんって、そういうお仕事なのですか」と。

     例えは、弁護士自身が「社会生活上の」と関して重ね合わせた医師について、業務拡大や需要創出が死活問題になったり、他のビジネス同様、採算性を追求する形を当てはめられるのか、と。医師が患者の疾病に向き合うように、弁護士は、目の前に発生した「社会生活上の」疾病としてのトラブルに対応するのが基本であり、営業マンのように、利益を求めて動くのは、医師がそうであるように、弁護士もやはりふさわしくないのではないか、と。

     確かに、「改革」以前の弁護士会にあっては、権力対抗性を意識した在野性や、プロフェッション性を強調する弁護士たちが、営利を追求する活動とははっきりと一線を画す姿勢を示していました。また、今でもこの「改革」に疑問を持つ弁護士の中には、市民社会にとって、「不幸産業」ともいえる弁護士が、積極的に利益を求めて進出することは望ましくない、とか、プロフェッションとしての弁えの方を強調する人もいます。

     一方でこういう話をすれば、「改革」推進論者は、待っていましたとばかり、それこそが、これまで自らが保身的に作り上げた経済環境にあぐらをかいていた、弁護士の改めるべきだった過去の姿であり、「改革」は社会・利用者の利益のために、むしろ望ましい形を生み出している、と反論するはずです。

     しかし、弁護士会主導層をはじめ、「改革」を肯定する多くの弁護士が、現状のような業務拡大、職域拡大を正当化する、最大の根拠は、需要の潜在性の強調にあるようにとれます。つまり、弁護士は、まだまだ潜在的に社会で活用される可能性があり、また、大衆はそれに気付いていないかもしれない。弁護士側の工夫によって、その可能性を社会に喚起すれば、必ずや弁護士の需要は生まれ、広がりを見せる――。

     弁護士の中の、プロフェッションとしてビジネスとは一線画したいという意識を取り込みつつ、一方で前記発想に立った需要創出の「開拓要員」獲得のための、増員政策の必要性を取り込める、弁護士会内「改革」主導層には、ある意味、都合のいい発想といえます。そして、今でも、この捉え方にしがみついている方々をこの世界では、沢山目にすることになっているのです。

     しかし、結論から言えば、現実はそうはうまくいっていない。そもそも当初の弁護士会が、少なくとも「開拓」が死活問題になるような、潜在需要観を持っていたわけではなく、どんどん増え続ける弁護士に対して、予想外に顕在化しない需要の状況に、より「眠れる大鉱脈」を強調せざるを得なくなってきた、という経緯があります(「『大鉱脈』論失敗という経験の活かされ方」)。

     そうなればそうなるほど、冒頭の社会の違和感は行き場がなくなる、ということになります。潜在需要はそれほどなかったとなれば、それでも需要創出に走る弁護士の姿はどうみえるか。そもそも需要創出といったところで、情報の非対称性の関係のなかで、社会・大衆には、それが前記したような発想の、需要の「掘り起こし」なのか、それともビジネス的発想による、自らの商売のための「たきつけ」なのかは区別できないのです(「弁護士激増と需要『掘り起こし』の危うさ」)。

     2000年代初頭の弁護士会内の議論でも、業務拡大という問題がしきりと取り上げらました。改めて当時発行の「改革」関連の書籍などに目を通すと、それは、「改革」推進に回ることを受け入れながらも、「改革」主導層を含めて、弁護士会内にあった、その先の未来に対する相当な不安感の裏返してあった、ということが見て取れます。

     しかし、その議論で登場しているのは、今見れば、不思議なくらい、決定的な前提の成立を仮定したうえでの、非常に危うい発想のもとでの前進方針だったことも分かります。例えば、弁護士会内の、当時のある議論では、「業務拡大の否定的な予測を算出させる要素」が真剣に取り上げられ、次のような業務拡大制約要因が取り上げられていました(日弁連弁護士業務改革委員会「いま弁護士は、そして明日は?」)。

     ① 弁護士は弁護士法1条の基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とすることから、社会的ニーズがある限り、どのようなニーズでもすべて弁護士が対応すればよいというわけにはいかないという地位的な制約。
     ② 弁護士の専門的知識・能力の制約。
     ③ 仕事としてペイするかという経済的な制約。

     今、これを見ると、正直、弁護士が冷静にここまでのことを分かっていながら、なぜ、前記のように、「開拓」の先を期待して突き進んできたのか、という気持ちにもなります。「改革」の結果がどうなったかを簡潔にいえば、①の視点はぼやけ、②の視点は延々と言われながら、むしろ弁護士の努力不足論やミスマッチ論となり、「開拓」の可能性につながる視点に取り込まれ、そして、③が今、「改革」の失敗と、弁護士資格の変質や衰退にかかわる現実的で決定的な要因になりながら、依然として、十分に検討される方向が生まれているとも言い難い。

     とりわけ、③の制約に対して、業務拡大方向の需要が高まっても、採算性の合わない仕事は、結局、多くの弁護士が業務として取り込めないこと、それゆえに経済的意味での依頼者市民のアクセス障害除去が課題であるところまで認識しながら、結局、法律扶助拡大、弁護士保険制度拡大、社会の諸条件整備などの条件を挙げていました。逆にいえば、これらが完全に整備されてからでなければ、③の問題が発生することは、はじめから分かっていたということになります。分かっていながら、条件整備を前提とせず、増員政策に突き進んでいる結果を私たちはみていることになります(「増員既定路線に縛られる日弁連」) 。

     その結果、弁護士の意識はどう変わりつつあるか、といえば、もはやビジネスと割り切らせてほしい、という欲求を持つ層は、おそらく大きく膨らんだ。そして、そう割り切ればこそ、日弁連・弁護士会は強制加入の業者団体として、会員に貢献できないのであれば、少なくとも個々の業務の足を引っ張らないでほしい、という弁護士会の強制加入そのものを規制ととらえる見方まで広がりつつある観があります。そして、それは冒頭の違和感にもつながっています。

     採算性を度外視し、使命感から「適正な対価」が担保されていないものまでも「ニーズ」として一括りにして、突き進んだ結果としては、ある意味、当然のことといえるかもしれません。弁護士からすれば、当然の「適正な対価」の裏付けもなく、「なんとかなるだろ」で、「ニーズ」とされるすべての社会的な要求に応えられるわけもないのですから。

     逆に、もし、弁護士に冒頭のイメージのような存在であることを、社会が求めているのであれば、必要なのは、弁護士自らの首を絞めるだけで、効果が見通せていない、需要開拓要員確保のための増員ではなく、医師のような、基本的なその存在を持続可能な形で支える制度的な裏付けのはずです。弁護士の無理な努力に丸投げするという話自体、この「改革」の無責任といわなければなりません。このこともまた、一番分かっているはずの、弁護士会が率先して取り上げない、という不思議な現実といわなければなりません。


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    現実とズレた人材待望論

     日弁連・弁護士会の主導層は、本音の部分で、今、どんな人材がこの世界に来ることを待望し、また想定しているのだろうか――。彼らを見ていると、そのことが時々、よく分からなくなってきます。例えば、日弁連のパンフレットに、やや「成功バイアス」がかかったように取り上げられている、「意識高い系」とされるような人材。この資格の業務の拡がりの「可能性」を強調し、志望者の期待をつなぎとめたいという、業界の意思をそこに感じ取ることはできるかもしれません。

     職域拡大という「改革」路線にのっかった方向で、その先兵になってくれる、それに納得して邁進してくれる人材こそ、この世界にふさわしいということでしょうか。ただ、なんの注釈もなく、「チャレンジャーよ来たれ」的なアピールで、この世界にかつてのように人が集まると、本心から思っているのか、という疑問の声は、ほかならない業界内の中からも聞こえてきます。

     つまりは、そのことの無理や、ある意味、業界の現実を誤魔化しているところを見透かされているからこそ、業界は志望者からも、既存会員からも、徐々に見限られつつあるのではないか、ということです。

     いまや弁護士に最も求められているのは、「商売人」としてのスキルである――ということが、異口同音に聞こえてくる業界内から現実があります。かつてであれば、弁護士として「心得違い」と先輩から叱咤されたかもしれないことが、逆にそうした意識の欠落こそが、「心得違い」扱いされかねない「改革」の現実があります。

     増員時代の弁護士が生き残るためには、これまでのようなわけにはいかない、少なくともかつて主流だった、独立自営型の弁護士を目指すのであれば、まず、この点での自覚が必要である、という話です。もちろん、かつて独立したベテランの中にも、以前から全くそういうスキルやセンスが求められていなかってわけではない、という方を強調する人もいます。

     しかし、建て前ということだけではなく、「生き残り」ということがここまでのしかかっていなかった時代とは、明らかに状況が違います。これまでも、いろいろな弁護士がいたことも事実ですが、プロフェッション性を支えるための、経済的自立は語られても、正面から堂々と他の商売と同じく、採算性から入っていい仕事とは、多くの弁護士が自覚していなかったのは事実です(「弁護士『プロフェッション』の行方」 「『改革』のあいまいさと職業モデルの関係」)。

     ただ、ひとつ確認しておかなければならないのは、およそインハウスや大手事務所にしがみつくという選択を除けば、彼らにとって、これは現実的にはいまやほとんど選択の余地があって語られていることではない、ということです。つまりは、こういう「改革」が生んだ経済的な現実がある以上、そう割り切るしかない。もし、かつてのような状況であれば、当然、プロフェッションという自覚の中でやれた(あるいは、やるべきと考えた)人材までが、おそらくこれしかない、という発想に切り替えているのです。

     日弁連・弁護士会主導層が求める人材について、よく分からなくなってくるというのは、こうした現実を一方で見てしまうからです。もちろん、主導層がこうした現実を知らないわけではありません。しかし、そうした「覚悟」を求める発信をしているわけではない。かつてのようなわけにはいかない、というわけでもない。

     こうした形が弁護士としてふさわしい方向なのか、そして利用者市民にとって、かつてよりも有り難い話なのかにも言及しない。ただ、こうした状況を絶望的に「覚悟」させる増員基調の「改革」路線だけは改めない。こうした状況が続く中で、営利主義に走らず、依頼者にも従属せず、最終的に依頼者にツケが回らない、ということを、自信を持って語るのは難しい、という業界内の本音の声もあります。そんな不安は、もちろんおくびにも出しません。

     こここそ、「士業努力」としての競争・淘汰の要という捉え方をする人もいるかもしれません。しかし、「商売人」としてスキルがあり、あるいはそれによって「生き残る」弁護士が、必ずしも利用者にとって「有り難い」弁護士にならないことは、ほかならない弁護士たちが知っていることです。だからこそ、弁護士会主導層も、「この先、増員政策の競争・淘汰によって、弁護士はどんどん良質化していきます」などとは、決して言いません。

     「商売人」として割り切らざるを得ない現実、また、その「覚悟」が必要な業界の状況は脇に置き、司法試験合格者減員を求める会内の声を無視して増員基調の「改革」を維持し、かつ、職域拡大の可能性とチャレンジャー待望をアピールする。そして、その先にはかつてのように安定的に弁護士業を営みつつ、かつ、会務やプロボノを手掛ける余裕もあり、また、直接それに携わらない会員も高額の会費によって会務を支えることに不満を持つことのない人材が存在し、また、この世界に来てくれる――。 

     「まるで夢をみているかのようだ」と語った人がいました。会員のために、「改革」が生んだ、この状況をなんとかしようとする方向を示すわけでもなく、弁護士が増え続ける、この路線の先に、利用者にとっても弁護士会員にとっても、良い形が待っていると疑っていないような。あるいは必ずや「有為な人材」が、この世界にやってきて、道を切り開いてくれるはずだ、と信じているような。

     この先、何がどう、誰にとって、かつてよりも「有り難い」形になるのか――。こうなってしまったからではなく、そこからこの「改革」をもう一度、考え直してみる必要があるはずです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    増員既定路線に縛られる日弁連 

     今は姿を消すことになった、司法試験合格者を年3000人にするという「改革」路線の方針を、日弁連がはじめて公の場で示すことになったとされている、2000年8月29日、司法制度改革審議会第28回会議での、久保井一匡・日弁連会長(当時)の発言。地方の過疎化、弁護士受任率の伸び悩みなどから、行政指導や司法の透明化、広告などをもってしても、この急増政策には、弁護士にとって経済的に無理があるのではないかと質した経済界出身委員の声に、久保井氏は、それでも弁護士は「十分に大丈夫」と太鼓判を押しました(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。

     後日、彼は、その時の心境を次のように機関誌「自由と正義」所収の座談会で語っています。

     「3000人という数字は現在の合格者の3倍を意味するわけで、日弁連にとってとても重い数字である。しかし、審議会が国民各層・各界の意向をくんで出した数字である以上はこれに反対するわけにはいかない」(「司法改革――日弁連の長く困難なたたかい」)

     久保井会長個人の意見というよりも、ここには当時の日弁連「改革」主導層の本音が示されているようにとれます。彼は、前記委員への回答の中でも「3000人」を「国民の声をくみ上げた結果お出しになった数字」としています。国民各層・各会がこの3000人増を望んでいるという「前提事実」を前に、経済界出身委員の極めて現実的でもっともな意見を含め、もはや異論にも慎重論にも耳を貸すわけにはいかない、という姿勢です。

     弁護士に与える経済的な無理、そしてそもそも「3000人」が本当に国民各層・各会の意見なのか、もし、弁護士に対する大きな要求が社会にあるとして、「3000人」がそれに応えるものになるのか、ということなどについて、その時、もっと慎重に検討するという選択肢は、本来はあったはずです。しかし、久保井氏の発言を読めば、それは、当時の彼らの判断として、「政治的」にはありえなかった、といっているようにとれるのです。

     1990年代の日弁連内には、増員と司法基盤整備のどちらを先行させるのかを争点とする議論がありました。その当時のもようを、森山文相弁護士は、著書の中で次のように、言及しています。

     「日弁連内における増員論も、その主流は、司法基盤整備が重要であると認めていた。司法基盤整備が伴わない増員は、弊害があるか、少なくとも増員の効果は限定的だということである。しかし、増員論の最大の特徴は、司法基盤整備を増員の条件にしてはいけないという立場にあった」
     「これも、『増員=善』と考えるところから出てくる論理的帰結だと思う。つまり、司法基盤整備は大事だが、増員はもっと大事だ。しかも、増員すること自体がよいことなのだから、仮に司法基盤整備が伴わなくても(あるいは遅れたとしても)、増員が実現するだけでもプラスだ。このように考えるから、司法基盤整備を条件とするのは間違いだということになるのである」
     「日弁連内の増員論は、『われわれは増員先行論ではない。司法基盤整備と同時並行論だ』と主張した。しかし、司法基盤整備と同時並行が条件だと言わない限り、結局、増員だけが進み、増員先行になってしまう。司法基盤整備には予算が必要なので、そう簡単には実現しないかである」(「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」)

     この日弁連内の増員と司法基盤整備をめぐる、当時の議論状況を振り返ってみれば、久保井発言で示された「政治的」な発想で、結果的に日弁連が、いわば「増員ありき」の無条件増員論に傾斜する、あるいはそういう形に絡め取られていく要素を、内包していたことが分かります。

     そして、それは司法審「改革」路線があくまで「民意」であると信じる前提とともに、今に至っても変わっていないようにとれるのです。

     司法基盤整備されていない増員が、弊害を生む可能性も、増員効果を薄める可能性も分かっていた。現実は、その通りになっているともいえます。しかし、当時の増員論のなかには、それを分かっていながら、増員の実行が、根拠なく、あたかも本当に司法基盤整備にもつながるようにとらえられていた面もみられました。増員だけが進み、弁護士がここまで追い詰められるということは、想定していなかった、という、今にして見れば、ちょっと信じられないような現実もあったのです。 
     
     森山弁護士も、前掲書で指摘していますが、司法基盤整備によって司法の需要が増えたなら、その需要によって法曹人口の確保を考える。法曹人口が足りなければ、足りない分増やす。増員はあくまで現状から導き出される――、とう、当然の発想に日弁連は今も立っていない。

     日弁連主導層が、取りあえず「1500人合格」にこだわり、いったん「1000人」にすべきという地方会の声を無視している事情、さらに、いわゆるぺースダウン論(増員ペースが早過ぎたのが問題という主張)もここにつながります(「伝わっていない司法試験『選抜機能』の危機」)。「3000人」の失敗から、合格死守ラインを後退させながら、増員基調を守る「改革」の発想か、いったん「改革」の前記検証なき増員の失敗を認め、足りないなら増やすという慎重な発想に戻るか――。既に「改革」の増員政策の失敗がはっきりし、かつ、前記慎重な増員検討路線であれば、弁護士が現在ほどの経済的ダメージを回避できたことを一番分かっているはずの、日弁連・弁護士会「主導層」が、なぜか「改革」路線の初期の「政治的」決断を引きずっているようにとれるのです。

     今月10日、今年の司法試験合格者が1502人と発表され、いよいよ「1500人」という政府設定の「最低死守ライン」に、ほぼ到達した(「司法試験合格者数『死守ライン』到達と今後」)ことを受け、菊地裕太郎・日弁連会長は、談話の中で次のように述べています。

     「当連合会は、市民にとってより身近で利用しやすく頼りがいのある司法を実現するために、司法基盤の整備、司法アクセスの拡充、弁護士の活動領域の拡大などに積極的に取り組むとともに、社会の様々な要請に応えることができる質の高い法曹を輩出するべく、法曹養成制度の改革に主体的に取り組んできた」
     「一昨年は1543人、昨年は1525人であり、近年の推移に鑑みれば、上記推進会議決定で言及された『1500人程度』に至ったと考えられる。この傾向を前提として、法曹養成制度の成熟度や現実の法的需要、問題点の改善状況についての検証のためのデータを集積しつつ、引き続き注視していきたい」

     日弁連が主体的に取り組んできた、と自負する前段の本当の成果こそが、法的需要につながり、かつ、会員を経済的にいまほど追い込めない、増員の条件であるという発想に依然、立っていない、増員既定路線の発想から検証しようとしている日弁連の姿が見てとれます。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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