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    前提なき増員弁護士社会のイメージ

     市民の身近に、その需要にこたえてくる弁護士が沢山いて、市民がこれまで以上に彼らを利用できる社会――。これは、司法改革が弁護士の増員政策、あるいはそれを支える法科大学院を中核とする新法曹養成制度の向こうにイメージ化し、同時に、この「改革」推進を肯定的にイメージ化したものでもありました。

     一方、「改革」の増員必要論には、こうした需要論からのアプローチの手前に、これまでの弁護士の業態批判を置くもの、つまり、その数の少なさと無競争環境が、利用者にとって有り難いはずの質確保やアクセスを阻害してきたことの方を重視する発想もありました。

     需要は増員しても顕在化せず、前記描いた社会が簡単に現実化しないことが明らかになった段階で、この増員必要論の二面性、二つの発想の違いはむしろ鮮明になったといえます。いうまでもないことですか、後者の発想からすれば、増員弁護士を支える需要が直ちに顕在しなくても、この増員政策には意味があり、むしろ後者の立場から、弁護士の責任(努力不足)で需要は顕在化しないとか、弁護士の過当競争状態が良質化・低額化を生むということが言い連ねられたからです。

     その意味で、「改革」の増員政策を受け入れた弁護士たちは二重の意味で楽観視していたととれるところがあります。一つは、当然、需要が顕在化するであろうということについて(少なくとも、ここまで増員弁護士を苦しめ、資格そのものの価値を下げると思わなかったこと)。そして、もう一つは、需要が顕在化しない暁に減員に、ここまで踏み切れなくなることについてです。

     「改革」の「バイブル」のような扱いになった司法制度改革審議会の最終意見書は法曹の数を「社会の要請に基づいて市場原理によって決定される」と位置付けました。これは、当時の目標だった司法試験合格年間3000人につなげて、むしろそれに収まらない、上限を定めないという積極的な意味合いもったものではありましたが、この文脈から逆に需要が顕在化しなければ、当然に減員にスムーズに移行するだろう、と読んだ弁護士がいた、ということです。

     増員是非をめぐるひとつの焦点は、ここになります。需要論と弁護士の競争・淘汰の効用から考えるアプローチです。ところが、ここで問題だと思えるのは、冒頭の「改革」イメージです。なぜならば、需要論で弁護士がここまでせっぱつまったやりとりがなされながら、日弁連・弁護士会の「改革」主導層、あるいは会内法科大学院擁護派の方々は、冒頭の「改革」イメージ、つまり、依然増員基調の「改革」の先に、「市民の身近に需要にこたえる弁護士たちが沢山いて、市民がこれまで以上に利用できる社会」が到来する期待感を捨てていない、むしろそのイメージにしがみつき、「改革」の描き方として見直そうとしていないようにみえるからです。この発想もまた、スムーズな減員を阻害しているということになります。

     「改革」は、弁護士の存立形態を根本的に変えることになったことは、いまや多くの人間が認めるところです。弁護士の経済的な担保は、それだけ非採算的な法的ニーズへの自由なアフロ―チも担保していました。もちろん、その環境のなかで、人権擁護を使命に謳いながら、非採算的なニーズに全く関心もなく、カネ儲けに走る、この「改革」論議の中でも度々批判されてきた弁護士たちは、かつてもいでしょう。しかし、「改革」はそうした弁護士をどうにかするものではなく、結果、そういう発想ではない、弁護士たちの方を根絶やしにする方向、生存できなくさせるものとなりました。その意味で、経済的自立論は何の言い訳でもなく、存在していたというべきでなのです(「弁護士『プロフェッション』の行方」)。

     そのことを弁護士会主導層を含めて多くの弁護士は、本当は分かっているはずです。分かったうえで、語られ、拠って立つ前記イメージとは一体どう解釈すべきでしょうか。どういう描き方で、この今でも年間1000人余が増え続ける増員弁護士状況が、前記イメージの社会到来に向かうのでしょうか。経済的な支えを含めて、語られるべき前提がなぜか語られていないように見えます。それは、需要の現実と、どこで矛盾なくつなげられるのでしょうか。あくまでミスマッチ論でしょうか。需要のミスマッチが解消されれば、増員弁護士が生み出す理想社会は、本当に見えてくるのでしょうか。

     当ブログのコメント欄でも紹介されていましたが、学校での子どものいじめを刑事告訴する、と宣言した匿名弁護士のツイートガ話題になっています。

     「いじめ、依頼されたらここまでやるぞ!いじめる奴は覚悟しとけ!(1)加害者の刑事告訴(2)加害者本人、場合によっては親権者への損害賠償請求訴訟提起(3)公立学校の場合は国家賠償請求、私立学校の場合は学校への損害賠償請求。これ拡散すればいじめ減るかなあ。減ってほしいわ」(「大阪名物ぱちぱち弁護士」)

     BLOGOS が取り上げたこともありますが、9月16日にアップされたこのツイートは、既に本日現在リツイートが11万9000件、いいねが14万9000件を超える反響で、私の身近でも、現にこれを見た母親の感嘆する声を聞きました。弁護士のこうしたアプローチを市民が期待するのは、ある意味、当然だし、逆に、期待したい現実が学校現場と親の意識存在しているともうかがえます。

     しかし、あえていえば、これを簡単に成立する弁護士の新たな活動として期待するのも、まして弁護士にとっての経済的チャンスのように安易に注目するのも間違いといわなければなりません。言うまでもなく、あくまで弁護士の参入にはおカネがかかります。このツイート主は、別のツイートてわが子がいじめにあった場合に弁護士費用などが支給される「いじめ保険」を提唱していますが、そうした前提がなければ成り立たない話であり、むしろこれが感嘆すべき弁護士の出番であるのであれば、まずこの前提こそ語られなければならないテーマなのです。そして、それがなければ、「いじめが減ってほしい」という弁護士の誠意も(純粋に誠意を持った弁護士がいたとしても)、この社会で十分に生かされないまま終わることになるのです。

     冒頭の「改革」イメージについて、これはあくまで理想であり、目指すべき目標として正しい、と強弁される弁護士会関係者もいるでしょう。しかし、肝心のきちっとした前提が議論、提示されない理想は、所詮、実現されないばかりか、この「改革」が既にそうであるように、社会に誤った期待感を生み、そして正しい「改革」の評価にもつながらない、と言わなければなりません。


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    弁護士増員論が明確に伝えなかった「前提」

     規制緩和型司法改革の弁護士増員政策は、現在の結果からみて、それが成立する条件として、事実上、「潜在的」に二つの弁護士利用者の存在を想定していたとみることができます。一つは、増員弁護士におカネを投入する用意がある利用者(依頼者)の存在。弁護士の活動領域の飛躍的拡大が前提的に語られ、「社会の隅々」への進出の必要性が、偏在解消論と結び付いたアクセス容易化の「要請」とともに強調されたわけですが、いうまでもなく、そこには当然のように弁護士を待望し、おカネを投入する利用者市民の存在が想定されていたとみることができます。

     その利用者市民とは、別の言い方をすれば、弁護士がそこにいてさえしてくれれば、おカネを投入する資力と意思を持った存在といえます。「改革」は資力の乏しい利用者を切り捨てたわけではないと強弁する人もいそうですが、唯一、その期待を背負ったといっていい日本司法支援センター(法テラス)が費用の原則償還制を採用している時点で、その発想に基づく「改革」効果はそもそも限定的なものといわざるを得ません。

     つまり、この点での「改革」の、(少なくとも当初の)発想を有り体に言ってしまえば、活動領域が拡大する未来において、増員弁護士はそこにいるおカネを投入する用意がある利用者によって、当然に支えられるはずということであり、逆にいえば支えられるほどのそうした利用者がいるのだから、弁護士増員は可能であり、必要であるという描き方になります。そして、ほかならない弁護士会の幹部までが、いち早くこの構図を丸のみし、その成立可能性について「大丈夫」と断言してしまったのでした(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」) 。

     思っていたように潜在需要が顕在化しないことが明らかになってもなお、増員基調が続くなかでも言われる、弁護士の「開拓」努力不足だとか、需要のミスマッチだとか、需要「まだまだある」論も、基本的には前記構図の描き方を変えていないといえます。

     一つ違う考え方があることを挙げれば、「増員弁護士を支えるだけ(支えるほどの)」という点であり、要は過当競争が良質化や低額化のメリットがある、と言い続ける競争の「効用」を強調する立場からすれば、増員弁護士の運命に関係なく、増員必要論を言い続けられることになります。もっとも、前記弁護士会幹部が「大丈夫」と受け入れた議論のときに、こういうこと、つまり需要不足による、多くの増員弁護士の、あるいは資格価値そのものの犠牲を伴っても増員政策はとられるべき、ということが前提的に議論され、弁護士側がそう言う認識を了解していたかは甚だ疑問といわなければなりません。  

     もう一つ、想定されていたのは、弁護士を選別できる(できるようになる)利用者の存在です。これは、弁護士についての競争の「効用」を強調したい側からすれば、当然に譲れないところといわなければなりません。なぜなら、こういう利用者の存在を前提にしなければ、そもそも競争・淘汰が成り立たないからです。弁護士が情報公開することによって、利用者は主導的に、そして適正に弁護士を選別し、利用できる。弁護士を一サービス業として一般化し、その特殊性を認めず、その実現可能性のハードルを下げる捉え方です。当然、依頼者の自己責任論も、これが前提です。

     これに関して、どうしても疑問に思う、と同時に、ある意味、罪深いとさえ思えるのは、この実現可能性について主張・反論してこなかった弁護士会内「改革」推進派の姿勢です。なぜならば、彼らこそ、この捉え方の現実的な実現困難性を理解し、かつ、選択の困難さと失敗の自己責任だけが依頼者に回る結果を、一番分かっていたはずだからです。弁護士と依頼者市民の、決定的ともいえる情報の非対称性を単純に情報公開で解消できるという見通しに立てないこと、具体的にそれを可能にする手段を見出せないこと(持ち合わせないこと)を彼らはよく知っていたのです。

     ただ、この二点について、もっと基本的な問題は、冒頭「潜在的」と付記したように、「改革」そのものがこれを真正面から社会に、とりわけ利用者が理解できる形で提示してこなかった、提示しないまま、「改革」を進めたととれる点です。弁護士増員は、無償化や低額化の期待よりも、実はおカネを投入する用意がある利用者を前提にしており、かつ、弁護士の選択を、現実よりも相当安易に見積もったうえで、これまでの関係を変える有効策がないまま(競争・淘汰の成立を前提に、資格の質保証が後退するならば、今まで以上にリスキーなる可能性もありながら)、自己責任という扱いで片付けられるという現実を伴っていること――。

     利用者市民から「そうだとすると話は違う」と言われかねない、「改革」の評価そのものにかかわる、逆にその推進にとって都合が悪い現実は後方に押しやられた。そして、そこに十分言及しない弁護士会内推進派も含めて、「改革」は今もそれを後方に押しやっているようにとれるのです。推進派大マスコミ論調も含めた、(結論的には)延々と増員メリットに光を当て続ける増員肯定論の、そして依然として止まらない増員政策の、最も見過ごしてはならない現実がそこにあるように思えてなりません。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    対価性と需要をめぐる誤解と無理

     「サービスに対する適正な対価」という言葉が、かつてよりも弁護士の口から聞かれるようになりました。報酬に対する依頼者の不満に対して、弁護士がその「適正さ」を弁明する場面が、もちろんこれまでにもなかったわけではありませんが、最近、それとは明らかに違う文脈で登場しています。その違いとは、弁護士全体への処遇に対する危機感を背景に語られている点です。

     「改革」の増員政策は、弁護士の競争による低廉化、つまり利用者からすれば、安く使えるという期待感を社会に広げましたが、それは弁護士が生存していくこと、あるいは持続可能性から逆算されていないことに、多くの弁護士が実感し始めた、ということです。依頼者の誤解に、実際に接してみて、それを感じている弁護士たちもいます。

     これまでもそうした指摘がなかったわけではありませんが、より明確にはっきりと弁護士側の採算性については、勘違いしている依頼者にクギを指すべきという意見が、弁護士側の自己防衛策として語られているのです。これまでよりも、より慎重に依頼者を選別し、お引き取り願う方には早々にお引き取り願う。関わること自体が業務上のリスクである、と。

     その意味では、「どんなことでもお気楽に」という、これまでの「敷居を低くする」ことを主眼に置いた、日弁連の「ウェルカム」広告に、会内にはやや批判的な目線もあります。「敷居が低い」ことをアピールして、いわば誤解を解けば、市民は弁護士を頼って来るというスタンスよりも、もっとサービス業としての当然の有償性を強調すべきではないか、要はいまや最優先で解くべき誤解は他にあるということです(「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」 「日弁連イメージ広告戦略への距離感」)。

     ただ、弁護士のサービスの対価性への誤解は、単に前記した「改革」への(あるいは利用者による勝手な)期待感ということに止まらない、根の深い問題です。なぜなら、「改革」自体が初めから、そのテーマを後方に押しやってきた、もっと言ってしまえば無視してきたようにとれるからです。

     利用したい人がいる、買いたい人がいる、というだけで、サービスや商品を大量に生み出すなとということは、もちろんあり得ません。その利用者や購入者は、それが成り立つだけの対価を払うつもりなのかも分からない。あるいは安ければ買う、無料ならサービスを利用する、という人たちかもしれないからです。これらを一律、有効な需要として換算できるわけではありません。

     弁護士の増員政策は、いうなれば、初めからそうしたことを無視したといえます。そして、さらに問題とすべきは、そこで生まれる無理を、あたかも弁護士側の努力で「なんとかしろ」「なんとかなる」と丸投げしているようにとれる点です。弁護士が経済的なハードルを下げることと、ひたすら有効需要を開拓すること(これまた努力すれば、必ずや存在する有償需要を掘り起こせるはずという捉え方)が、前記無理を無視し、常に弁護士の努力不足に置き換える形で、大マスコミも含め、推進派から繰り返し言われたのです。そして、弁護士会主導層自体が、無理を主張するわけではなく、「なんとかなる」論の側に立ってきたのです(「弁護士坂野真一の公式ブログ」)。

    このことは逆に、増員弁護士が、社会的な要請として、取り組まなければならない無償の需要があるならば、それをどうすれば成り立たせられるか、どういう経済的支えが必要なのかという現実的な対応への議論も遠ざける結果につながってきたというべきです。

     ここ1、2年、新人弁護士の就職状況が改善に向かっている、という話が業界内で聞かれます。確定的な根拠があるとはいえない話ですが、弁護士の一斉登録時の未登録者数が修習68期(2015年12月登録)以降、明らかに減少したこと(「Schulze BLOG」)などを改善の根拠にする見方もあるようです。しかし、この変化については司法試験合格者が減り、就職希望者の母数が減ったことなどとともに、推測ではありますが、勤務弁護士の給与水準が下がったことが原因ではないかということが業界内で言われています。

     そうだとすれば、結局、「改善」と位置付けられても、弁護士側がハードルを下げることで生まれる「需要」と変わりません。そして、前記したような「改革」の発想からすれば、その点は省みられることはなく、やはり「改善」と位置付けられてしまいそうです。

     安く使えるならば、嫌な言い方をすれば買いたたいて使えるならば使うという「需要」を、これまでも、そしてこれからも、弁護士の需要と位置付ける「改革」に、弁護士会ははっきりと異を唱えないのでしょうか。ここをはっきりさせなければ、昨今、メディアやネット界隈で取り上げられる、弁護士という仕事が「食えるか食えないか」というテーマの答えにも、本当は近付けないはずです。

     もっとも、今、深刻な問題となっている志望者の減少についていえば、焦点は「食えるか食えないか」ではなく、「恵まれているかいないか」であるというべきですから、ハードルはさらに高くなるということも、需要「まだまたある」論を言い続ける側はしっかりと認識しておく必要があります。


    地方における弁護士の経済的ニーズの現状についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

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    弁護士「需要」と処遇をめぐる疑問

     これまでも書いてきたことですが、弁護士増員政策の失敗は、ある意味需要論へのアプローチの当然の結果ではありました。「改革」論議の中で度々括られてきた弁護士の「需要はある」とヨミは、細かくその採算性を踏まえたもの、つまり有償性・無償性を区別したものではなく、まして増員弁護士を経済的に支え切れるのか、ということまで念頭に入れたものではなかった。要するに、それは、顕在化するだろう「需要」が、支えてくれるだろう、という漠然としたヨミだったということです。

     「あるべき論」で話を進める、「弁護士(会)的」ともいいたくなる、「社会的必要論」ともいえるものが、当時の「改革」論議のなかで、その漠然さを後押ししたとみるならば、残念ながら、それは仇になったという言い方も出来てしまうかもしれません(「弁護士増員論のバイアス」)。

     しかし、それが増員弁護士を支えてくれるはずの需要は顕在せず、「(弁護士を)増やせば(需要も)増える(はず)」ということにもならなかった結果として、案の定、増員時代の弁護士は経済的に追い詰められた。そればかりか、無償の需要への対応という点では、むしろ後退しつつあるといえるのかもしれません。有り体に言えば、そうしたものを支えてきた、経済的な余裕はなくなり、これまで以上に弁護士は手を出せなくなった。そして、その一方で、無償需要を支えるために弁護士を経済的に支える発想は、いまだのこの「改革」のどこにもない、あるのは、依然として弁護士の経済的犠牲のうえに期待する発想だけだからです。

     この流れのなかで、これまでも何度となく、頭をもたげてきた素朴な疑問は、「改革」路線が(あるいは推進した弁護士自身が)、なぜ、弁護士に社会がおカネを投入すると考えたのか、です。弁護士を増やせば、そして「社会の隅々」に進出した先で、自分たちにおカネが投入される。弁護士増員を待望し、そこに存在さえしてくれれば、おカネを投入する用意がある膨大な大衆が、社会がそこにいるとなぜ、考えたのか、です。

     弁護士は一番分かっていたのではないか、と思ってしまうのです。「身近に」「医師のように」といったところで、大衆にそんな経済的余裕はないのは分かりそうなもの。司法的解決手段としての弁護士との距離感も、関係性そのものを変えるのが、「二割司法」を打破することであったとらえていたとしても、「本当は身近です」「お気軽に」と言ったところで、昨日まで一生に一度関わるかどうかの最終手段のようにみられていた関係性が変わり、「実はおカネを投入しても頼みたかったのです」という発想の市民が大量弁護士の経済的基盤を支えると思ったのだろうか、と。

     しかも、その意味では、経済界の人間の一部にも、地方の経済的な疲弊から、弁護士急増の無理は懸念されていたことです。弁護士会関係者がそれを跳ね返して推進する側に回ったという事実もあります(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)

     さかんに言われた「弁護士はインフラ」という言葉には、それこそ社会的に弁護士の存在価値が見直され、どこからか支えられるような期待感が込められていたようにも思えます。また、おカネの投入元としては経済界が存在し、現に企業内弁護士が10年で10倍になっていることからも、前記ヨミの正しさをさらに将来に向けて主張される方もいます。

     しかし、残念ながら多くの弁護士は実感しています。これにしても、投入される用意があったというよりは、弁護士がハードルを下げた、下げざるを得なくなった結果なのではないか、と。結果、増員弁護士を支えたのではなく、使う側に都合のいい環境になっただけだということです(「『改革』に被せられた経済界の思惑」)。そして、弁護士の努力と経済的妥協に丸投げしている「改革」の扱いは、もはや社会にとって必要不可欠な「インフラ」の扱いではない、と。

     しかも、この現実的な弁護士の生存環境にかかわる不思議な前提は、現在も省みられていないといえます。「『弁護士は余っている』は本当? データを読み解く」。こうしたタイトルの、最近、弁護士間でも話題になった、7月18日の日経電子版の記事。弁護士数が15年て倍増する一方で、訴訟件数が減少。しかし、企業需要は拡大し、企業弁護士は10年で10倍になり、五大事務所は採用を増やしている、としたうえでこう続ける。

     「新人弁護士の多くが大手事務所をはじめとして大都市で就職する結果、しわ寄せが地方に生じている。全国には東京に3つ、その他は地裁管内に1つずつの計52弁護士会があるが、このうち12の弁護士会では2017年の新人登録がゼロまたは1人だけだ。相続や離婚、交通事故など身近な法的ニーズに対応しきれない事態が生じるおそれもある」
     「日本経済新聞の2017年の調査では、66%の企業が法務部門を増強する意向を示した。M&Aや知的財産を巡る海外企業との紛争も増加傾向にあり、法務人材は、日本のビジネス環境に欠かせないインフラといえる。司法試験合格者数を増やすだけでなく、志願者が減っている法科大学院の立て直しや、司法修習のカリキュラムの改善などを含む法曹養成制度全般の見直しが急務だ」

     切り口そのものは珍しいものとはいえません。しかし、大都市集中が昨日今日はじまったことではありませんが、「しわ寄せ」が来ているという地方での「身近な法的ニーズ対応」が本当に必要だというのならば、一体、どうするとこの記事はいっているのでしょうか。記事は司法試験合格1500人体制で「需要が満たせるか」懸念していますが、必要とする増員弁護士をどこがどのように支える話なのか全くみえません。媒体の性格もありますが、企業ニーズを強調して、「ビジネス環境に欠かせないインフラ」といってみても、どこまで期待できるか分からず、分かるのは、相変わらず、供給側のミスマッチが問題というニュアンスだけです。

     大事なことは、実は志望者が見切ってしまっているのは、ここではないか、ということです。生存環境の不透明さ。ニーズがあるといいながら、経済的にどこまで支えられるか分からず、企業にしても、どこまでの受け入れキャパと処遇が期待できる話なのかも分からない。企業内弁護士2000人になった、紛争も増加している、法務人材はインフラといわれても、そこにかつてのような資格の魅力を果たして見出せるかは、やはり疑問といわなければなりません。少なくとも、インフラとして弁護士を遇して採用するヤル気を、志望者は感じるでしょうか。

     売り手市場がいわれていても、実は新人が処遇ハードルを下げている。そして、弁護士の妥協によってハードルを下げれば、必要という形になるものは、本当の意味で需要といっていいものなのか。「改革」が弁護士を買いたたける環境を作り、「改革」の弁護士増員の需要論の失敗があればこそ、企業内に弁護士が流れた――。こう考えると、やはり弁護士増員の目的と需要の関係は、延々と不透明のままという気がしてきます。


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    「改革」に被せられた経済界の思惑

     弁護士の経済的価値の下落による志望者減という、法曹養成の根幹を脅かすような負の影響をもたらしてしまったことが、もはや明らかになっている弁護士激増政策にあって、最も利を得たのは経済界ではないか、という指摘が、業界内には根強く存在します。端的にいえば、社会全体として、そのメリットをそれほど実感できないなかで、彼らは「改革」によって確実に弁護士について、より「使い勝手」が良い環境を手にしつつあるのではないか、ということです。

     弁護士増員推進派の論調のなかには、「裾野論」といわれるものがあり、つとに全体を増やさなければ、細部のニーズに応える人材を確保できないということがいわれてきました。10年で10倍に増え、弁護士の活躍する分野として最も目下、最もその将来性が期待されている形の企業内弁護士についても、「効果」としてそれを当てはめる人がいます。

     しかし、これは、かつて増員推進派の人権派弁護士たちが言っていた、まるで含有率をいうような「増えれば志向する人材も増える」式の話ではないとみるべきです。要は、彼らが手にしたもの、したかったものは、むしろ環境といえます。弁護士増員がもたらす経済的環境の変化によって、経済的に彼らを利用できるハードルが下がり、かつ、より主体的に選別・交換可能な環境を手にすること。これまでの顧問弁護士に依存する関係よりも、よりリーズナブルにかつ自社ニーズに沿う形の弁護士を内部に抱えるのに、ふさわしい環境が生まれる可能性を激増政策の先に読みとったのではないか、ということです。

     経済的環境の激変による不安定感は、新たにこの世界に来る人材の志向を、以前の独立自営型のスタイルよりも、企業内のより経済的安定を求める形に変えたことも彼らにとって都合のいいものになったといえます。経済界全体が、増員後に弁護士の有償需要が、ここまで顕在化しないことを読み込んでいたかは分かりませんが、弁護士増員ありきの政策が、その社会的需要を考えたときに、過剰なものになる危険性に気付いていた経済人もいました(「『改革』論議の本末転倒なアプローチ」)。

     しかし、それでも激増政策を後押しした経済界は、その先に前記「果実」をとることを目論んでいたとみれば、言葉は適切ではないかもしれませんが、弁護士全体の有償需要の存否などどちらでもよかったということになります。弁護士余りが顕著となり、増員の「受け皿」ということが取り沙汰され始めたとき、メディアなどに登場した企業法務関係者が、「改革」路線側のある種の期待感に、クギを刺したのは、当然といえば当然の話です。

     つまり激増弁護士の「受け皿」ではなく、われわれのニーズに応える弁護士を必要な分だけほしいだけなのだ、と。そのための環境を作るために、従来の環境を壊したかった、そのために激増政策には賛成した、しかし、そのために増員弁護士が経済的に支え切れないとか、その先、どういう影響が出ようと関係ない、われわれが議論する問題ではない、というのであれば、非常に分かりやすい話というべきです。

     4年前に、経済同友会の司法制度改革検討PTが発表した法曹養成制度に関する提言「社会のニーズに質・量の両面から応える法曹の育成を」のなかでも、そうした彼らの法曹養成に対する本音ともいうべきものが透けてみえていました。

     「バイブル」ともいうべき2001年の司法制度改革審議会最終意見書は基本的に正しかったが、「改革」の現実が法廷偏重の旧来の実務家養成の発想に傾き、本当の社会のニーズに応える法曹を輩出できていない、その旧来の発想を引きずった司法修習制度や司法試験が残った結果、法科大学院制度の足が引っ張られている――と描くこの提言のなかで、「法曹」について彼らは独自に次のように三つに分類をしています。①法廷実務中心の法曹=最狭義の法曹②経済のグローバル化とともに、日本企業の競争力を支える企業法務を専門とする法曹=狭義の法曹、③法律のスペシャリストではなく、企業、行政、政治、福祉や教育を舞台によりジェネラリスト的に活躍する法曹=広義の法曹。彼らは②③の必要性を強調し、それこそ彼らが確保したい人材であることをうかがわせています(「経済同友会、法曹養成『改革』提言の描き方」)。

     提言は、こうした法曹の描き方、認識のうえに、司法試験年間3000人の目標の堅持を主張しています。そして、「社会のニーズ」としながら、実質、自分たちのニーズとのマッチングという欲求をもとに、法曹養成を提言しているのです。そのおかしさ、問題性を森山文昭弁護士は、著書のなかで次のように指摘しています。

     「法律を専門としないジェネラリストとしての法曹が、どうして司法試験に合格しなければならないのかがわからない。現在でも、法学部を卒業した大勢の人が、右提言にいう『広義の法曹』として活躍しているのである。『広義の法曹』の活躍が重要だというのなら、法学部教育の充実を考えるべきではないだろうか」
     「司法試験の問題や合格基準を『広義の法曹』に合わせてやさしくするべきであると言っているようであるが、問題であろう。それでは法廷業務はできない。法廷業務をする能力のない法曹に裁判を依頼した当事者は、大変な損害を被ってしまう。それを避けるためには、法廷業務をすることのできる資格を認定する別の試験を考えないといけないことなる」
    「結局、今の司法試験と同じような試験を別に実施する必要が出てくるのである。そのようなことなら、司法試験は現在のままにしておいて、『広義の法曹』を養成する法学部教育の充実を考えた方が、よほど効率的なはずである」(「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」)

     彼らは、これからも自分たちのニーズも、りっぱな「社会のニーズ」として、この「改革」に当然にその欲求を被せるはずです。しかし、彼らのいうニーズが、「改革」の先の法曹養成や、社会にとって弁護士のあり方について、どこまで深く考慮しているのかは疑ってかかる必要があります。この「改革」を「市民のため」と銘打っていた日弁連・弁護士会が、企業内を含む組織内に弁護士の「活動領域の拡がり」を期待し、経済界こそが「利用しやすい」という「改革」メリットを既に手中に収めつつある現実をみるにつけ、改めてそのことを感じます。


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    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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