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    止められない「改革」を支えているもの

     「一旦動き出せたならば、止めることは容易ではない」。今回の司法改革が動き出したころ、その成り行きを不安視していた、ある弁護士がこう語っていたのを思い出します。結果は、その通りになっている。しかし、今思えば、それは、正直、その時の想像以上に思い知らされることになった、といえます。

     弁護士の増員政策が、ここまで失敗し、需要が顕在化せず、ひいては弁護士という仕事の経済的価値まで下落させ、挙句の果てには、ここまで人材が目指さない仕事になる、ということは、おそらく「改革」の未来を描いた人はもちろん、不安視していた人の想像も超えていたといえるかもしれません。

     しかし、それもさることながら、ここまではっきりした影響が出ても、しかもこの政策でもっとも打撃を受けた弁護士(界)自身が、この元凶たる増員政策方針を改めることで一致できない。そのことはどの程度想像できたのでしょうか。当初「改革」を支持した弁護士の中にも、明らかに悪い影響が出たならば、その段階で改めればいい、やってみなければ分からないくらいに安易に考えていた人もいたはずです。

     日弁連は、弁護士の就職難など、増員政策の「実害」に直面したのを受け、2008年に初めて増員のペースダウンの必要性を唱え始めます。しかし、その時点で、この政策の根本的な無理に踏み込むこともできなくはなかった。しかし結果として、このペースダウン路線、増員減速の必要性を掲げながら、増員政策そのものは肯定する路線は固定化してしまいます(「『改革』の反省と『市民目線』という描き方」 「巧妙で曖昧な増員『ぺースダウン』論」)。

     ペースダウン論はいうまでもなく、「問題は増員ぺースが早過ぎただけ」というものですから、増員の減速によって、政策は「実害」を生まないだけでなく、「改革」としてプラスの効果を生み出すのを前提にしていることになります。ゆっくりな増員に併せて、需要が生まれる。需要に併せて弁護士の数を追いつかせるという当初の話が、いつのまにか弁護士の増員に、需要が生まれ(あるいは顕在化して)、追いついてくる(はず)という描き方になったことになってしまいっています。

     これは、別の見方をすれば、需要見通しの失敗については、基本的に一顧だにしない、反省も検証もしない、ということを意味しています。そして、この減速論を述べ続け、やがて需要が追い付くということを言い続ける限り、根本的に増員路線の失敗が省みられることはない。それがいつまで続くのか、その間、弁護士自身がどのような影響を被るのか、は問われず、その間、仮に増員政策のメリットが顕在化しなくても、それは延々と言い続けられるかもしれないのです。それが、まさに年合格1500人からの、減員方向で一致して舵を切れない、冒頭の「止めることが容易にできない」でいる弁護士会の現実といわなければなりません。

     もちろん、増員政策だけでありません。この増員政策に乗っかって出来た法科大学院制度も、もはや失敗ははっきりしている。増員政策が失敗し、制度への要請そのものが仕切り直されていい、ということがあります。それに加え、新たなプロセスとともに加えられた経済的時間的負担に対して、制度そのものが志望者に選択される「価値」を示し切れなかった。

     ところが、それを一番に直視するのではなく、単に時間的負担を軽減する、資格取得への時短化政策で、この制度を維持しようとする見直し政策が、今年、打ち出されました(「法曹資格取得『時短化』法成立が意味するもの」 「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」)。制度擁護論者からも疑問が出る弥縫策は、もはや「止めることが容易でない」この「改革」の現状を象徴しています。

     「国の政策を議論する際に客観性の乏しいデータで弁護士不足を声高に叫んだ結果、どのような事態を招いたのかということについて、国の関係省庁(法務省、文部科学省)だけでなく、弁護士会も猛省する必要はあるのではないでしょうか」

     「プレジデントオンライン」が12月26日に、こう語る田村秀・長野県立大学グローバルマネジメント学部教授の原稿「弁護士が人気職業から陥落した元凶は国にある」を掲載したことが話題になっています。法科大学院での司法試験をパスしたことのない教員による指導、15年で法科大学院半数以上廃校、弁護士の収入減と社会的価値低下、志望者学生数の大幅減、弁護士は少な過ぎるという思いこみ、諸外国との比較で弁護士不足を導き出した誤り、弁護士を増やせば需要が増えるという安易な考え――。これらの事実をきっちり踏まえたうえでの前記結論です。

     大手新聞に比べて経済誌は、これまでも「改革」路線について現実を直視した論評も一部にみられてきましたが(「法科大学院制度『元凶』を伝えた経済誌」http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-730.html)、今回もこの掲載論稿が「失敗」の責任に言及している点は目を引きます。逆にこうした当たり前の視点に立てないのが、「改革」の当事者であるということにされてしまわないでしょうか。

     私たちは、本当は何のための「改革」の延命策をみせられているのでしょうか。来年は日弁連会長選挙があります。そろそろこの「止められない『改革』」に対して、新たな流れを作るきっかけを期待したいところです。

     今年も「弁護士観察日記」をお読み頂きありがとうございました。いつもながら皆様から頂戴した貴重なコメントは、大変参考になり、刺激になり、そして助けられました。この場を借りて心から御礼申し上げます。来年も引き続き、よろしくお願い致します。
     皆様、よいお年をお迎え下さい。


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    弁護士増員による階層分化と「改革」の無責任

     「改革」と名の付くものが、現実的には予想外の事態を生むことは当然理解できますが、こと弁護士会で「改革」を主導した人と話をすると、それも程度の問題ではないか、という気がどうしてもしてしまいます。有り体にいえば、「蓋を開けてみなければ分からない(分からなかった)」ということを、どこまで抗弁として認めるべきなのか、という素朴な疑問がずっとつきまとっているです。

     とりわけ、弁護士の増員政策によって、弁護士がどう変わってしまうのか、ということ。もっといってしまえば、今日のような姿になることを、どこまで想像できたのか。そして、想像できた(あるいは想像できない)うえで、「市民のため」の「改革」を唱導したのか、ということが、なぜか問われていない現実があるのです。

     例えば、大量増員によって弁護士が現在のように階層分化することは、日弁連内で相当程度予想していた人たちがいました。日弁連は2004年3月に「21世紀の弁護士像及び弁護士のあり方」をテーマにシンポジウムを開催しています。その研究成果などをまとめた資料のなかで、森山文昭弁護士は概ね以下のように、弁護士が5つに階層分化することを予想していました。

     ① ごく一部のエリート弁護士。主に都市部の大ローファームに勤務。しかし、競争によって下位階層に転落していく弁護士が恒常的に生まれ、勤務弁護士のみならずパートナー弁護士も安閑としていられない時代となる。
     ② 多くの国民がイメージする普通の弁護士。個人事務所がなくなることはないが、共同事務所が進む。サービスが洗練され、企業化・近代化が進むことも。
     ③ 企業・官庁で従事する組織内弁護士。独立に不安を覚える弁護士側の事情と弁護士を必要とする企業・官庁側の事情によって、急速に数を増やしていく。しかし、日本の国内事情では、ある一定の段階で頭打ちになる。
     ④ 生計を維持できず、転職を余儀なくされる弁護士。この中には、社員等と基本的に同条件で転職する者、アルバイトなどしながら、細々と弁護士業務を続ける者も。
     ⑤ 業務を投機的に遂行するなど、業務形態に問題を抱えた弁護士。「一発ねらい」(事務所経費をできるだけ削減し、高額な損賠事件など全面成功報酬で受任し、数件の高額報酬で生活)や、提携弁護士まがいの弁護士によってさまざまな弊害が生まれる。

     細かな点を言えば、この予想の評価も分かれるかもしれません。既に②についても、うまくはいってはおらず、④や⑤に収斂されつつあるという、さらに悪い見方もできるように思います。しかし、基本的には、この予想通りになっているといえないでしょうか。

     この予想の認識が、どこまで「改革」主導層のなかで一致していたかは分かりませんが、こういう指摘があり、文章として資料化されていることを考えれば、それでも激増政策が必要とする立場に立つ「市民のため」を、この予想のうえに掲げられなければおかしかった。しかし、結果が出た今、しかもそれでも増員政策を止めない側に立ちながら、いまだにそれがはっきり示されていない。

     これは、こうした予想と結果を、上回る「改革」の「価値」の問題です。「改革」以前よりも、「おカネにならないことはやらない(やれない)」という意識は、確実に弁護士の中に広がりました。「サービス業だから当たり前」「慈善事業じゃないんだから」と、今、弁護士たちは言います。そして、それも国民が求めた「改革」の結果なんだと。

     しかし、国民が弁護士におカネを投入する用意がある、と描いた(あるいは今も描いている)のは、「改革」を推進した側です。数さえ増やせば、そうした国民が弁護士を利用し、おカネを落としてくれると。実際には、「ニーズ」と一括りにされるなかで、有償・無償をごちゃまぜにとらえていたわけですが、それも「改革」の旗を振った弁護士側の問題です(「日弁連の『改革』の発想と会員の『犠牲』」 「『改革』の発想の呪縛」)。

     前記した弁護士の階層分化の先にも、増員政策は必要であり、また、それが成功するヨミに立つには、前記したような余程の楽観的な需要の見立てか、企業ニーズなど一部の要求にこたえることに目を奪われたか、はたまた「市民のため」とは言いつつ、そこまで増員の結果について考えてなかったかーー。

     「自分たちには関係なかったからではないか」。こうした「改革」の責任に関わるテーマについて振ると、今、弁護士のなかからは、「改革」主導層に対するこんな不信感を示す言葉までが異口同音に返ってきます。もちろん、彼らがそれを認めることはないでしょう。

     しかし、弁護士増員にしても、思えは法科大学院制度にしても、前記「蓋を開けて見なければ」の弁明が通用してしまっているように見える、「改革」主導層の無責任の構造が、この「改革」の評価を根本的にあいまいなものにしている現実があるように思えてならないのです。


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    弁護士外「活用」というテーマ

     弁護士の激増政策は、結果的に弁護士が法的市場をできるだけ独占するという方向と、一体となって進もうとした、といえます。とりわけ、増員政策を積極的に受けとめた、弁護士会の「改革」主導層は、その発想のもとに、この政策を牽引しようとしました。

     有り体にいえば、法的問題には、できるだけ弁護士が乗り出して、関与する社会が望ましいということになります。そして、それは同時に隣接士業を含め、そうした問題に対処する社会の受け皿の、いわば棲み分け、要は専門性や現実的な能力を考慮して、分担して臨むという発想を、あらかじめ極力排除するものになったようにとれるのです。まるで、弁護士を増員させる社会には、それが不都合なものになるかのように。

     そうした発想の始まりを伺わせる議論の記録が残っています。2000年8月29日、司法制度改革審議会第28回会議。経済界から委員として参加した山本勝・東電副社長(当時)から、隣接士業や企業法務を含めた、弁護士外「活用」に道を開く議論への期待感が示され、竹下守夫・同会会長代理からも弁護士法72条による、法律事務の「一切排除」について見直しの考えを問われた場面で、説明者として参加していた久保井一匡・日弁連会長(当時)が述べます。

     「この21世紀社会の法的なニーズに応える方法として、二つあると思うんです。一つは、弁護士の数を増やして、そして弁護士がきちっと対応していくという方法。もう一つは、弁護士の数をなるべく押えて、その代わりに隣接業種の方々に手伝っていただくという、どちらかの方法があると思うんですが、私どもとしましては、やはり基本的には、訴訟だけではなくて、示談交渉、法律事務を含めて、こういう法律判断を、あるいは法律に関する仕事を、我々自身がやはりつらくても数を増やして、自らこなしていくというのが、真の意味での国民に対する責務ではないかと考えておりまして、72条を部分的に開放する形で、ほかの業種の方に手伝っていただくことによってカバーするというのは邪道ではないかと。そういうことで今回臨時総会を開いて、きちっと社会の必要に応じた数と質を確保していくという方針を打ち出した」

     増員弁護士が受け皿になることこそ、国民に対する責務、弁護士法72条の部分開放で、他業種の力を借りる方向を「邪道」と切り捨てています。この日は、この山本委員から、当時の司法試験合格者1000人を3倍にするという急増政策に危惧の念が示されたのに対し、久保井会長が「十分に大丈夫」と太鼓判を押したのと、同じ会合です(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。

     また、2001年2月2日、同審議会第46回会議の、山本委員による、法務部門の機能を本部に集中して、分社化したグループ企業に対して同じようなサービスを一元的に提供することの合理性と72条の縛りが取り上げられた場面。さらに2001年5月29日の第61回会議での、再び企業法務の位置付けが取り上げられた場面。そのいずれでも、委員として参加していた中坊公平弁護士が、72条の存在を盾に議論の拡大にクギを刺しています(「弁護士法第72条についての司法制度改革審議会での主なやりとり」)。

     要は、弁護士増員政策を既に受け入れる覚悟を固めた以上、弁護士会としては、あくまで増員弁護士活用を中心に考え、それから外れる可能性がある議論を当初から排除したかったことが伺われるのです。そして、それはその後、増員しても需要が顕在化しないという現実に直面したのちは、増員してしまった(あるいは増員し続ける)弁護士の受け皿という視点から、結果的にますます前記議論からは遠ざかる方向になってしまったといえます。

     その結果は、うまくいっているといえるのでしょうか。その意味では、弁護士増員政策の影響を受けるはずの、隣接士業が同政策に強く反対して、棲み分け論を強調したわけでもなかった(あるいはできなかった)という現実はあります(「司法書士にとっての弁護士激増」)。

     一方、72条に絡む問題は、弁護士会の立場として慎重な対応をとること自体は、利用者の危険排除からは、ある意味、当然な面はあり、そこは前記議論での中坊委員の主張につなげることもできます。しかし、弁護士会側は、弁護士外「活用」の方向の議論に関して、常に二つの課題を背負い、ある意味、それを積み残してきているようにとれます。それは一つは、「排除」すべき具体的範囲の明確化、そしてもう一つは、その本当の根拠につながる、「排除」しない時の「実害」の具体的提示です。72条がある、ルールはルール的な説明に聞こえたならば、結局、課題は積み残されてしまからです。

     弁護士外「活用」論のテーマは、ここに挙げている隣接士業、企業法務との関係や、72条が絡む問題に止まらず、「改革」が唱えた、いわゆる「社会の隅々」論の評価にも関わります。さらには増員政策だけでなく、法科大学院の存在、増員を前提にそれが導入された現実とその活用というテーマにも関係しています(「弁護士業務拡大路線の正体」 「弁護士『津々浦々』論の了解度」 「法科大学院関係者の『印象操作』から見えるもの」)。

     ただ、いずれにしても需要の顕在化が、激増政策を必要とするほどには期待できないことが、もはや「改革」の結果として明らかになっています。あの日、久保井会長は、「つらくても数を増やして、自らこなしていくというのが、真の意味での国民に対する責務」と言い切りましたが、もはや何でも弁護士、どこまでも弁護士の発想そのものが、弁護士にも、あるいは社会・国民にとってもべストではないのではないか、という視点に立ち返るべきときだと思えるのです。


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    弁護士必要・活用論への疑念

     弁護士は必要だから増やす、というのが、司法改革の増員政策の基本的な発想でした。そのためか、ある意味、当然のごとく、この「改革」では当初から、この社会の法的な需要の受け皿になるのが、「どうしても(あるいは本当に)弁護士でなければならないのか」という視点が後方に押しやられてきた感がありました。

     ここでも何回か取り上げている、司法制度改革審議会意見書の、いわゆる隣接士業との関係の下りにも、そのことが象徴的に表れていました。

     「弁護士と隣接法律専門職種との関係については、弁護士人口の大幅な増加と諸般の弁護士改革が現実化する将来において、各隣接法律専門職種の制度の趣旨や意義、及び利用者の利便とその権利保護の要請等を踏まえ、法的サービスの担い手の在り方を改めて総合的に検討する必要がある」

     増員政策を既定方針化し、既に増員政策の上に法科大学院を構想していた司法審の方向性しては、隣接士業の最終的活用のあり方については棚上げにした。その後、散々、諸外国との比較において、隣接士業数を換算しなかった法律実務家不足論のおかしさが指摘されるわけですが、この時点で、司法審はそうした視点で、既定方針の増員政策を覆すことになるかもしれない議論を回避したのです。

     結果として、司法審意見書がいう弁護士大幅増の「将来」では、それを支えるだけの経済的な法的需要は顕在化せず、増員政策そのものもが大幅に想定からズレました。増やしてしまった、あるいは増え続ける弁護士をどうするか、という活用論、開拓論のなかでも、隣接士業の可能性を考えた「総合的に検討する」ことが行われていません(「司法書士にとっての弁護士激増」 「弁護士『資格』必須度というテーマ」)。

     職能団体としての弁護士会が、弁護士の必要論、活用論を強調し、幅広い「進出」論を唱え続けること自体は、はもちろん理解できなくはありません。ただ、前記増員政策の失敗で、弁護士がこれまでのような経済的環境を維持できず、同時に人気資格から転落すると、「改革」論議の中には「法曹有資格者」という言葉が登場してきました。

     この言葉に内心衝撃を受けた弁護士会関係者は少なくありませんでした。これはある意味、法科大学院を中核とする新法曹養成に都合がいい、苦し紛れの人材「活用論」につながっています。「弁護士」という資格にこだわらない「活用」の可能性を示唆するものであり、激増させてまで、なにが何でも弁護士が必要という立場とは異なるメッセージだからです。弁護士の需要開拓は、そちらで「なんとかしろ」という丸投げの姿勢は変わらないまま、一方で、弁護士がどうにもならなくても、あるいはそれが経済的妙味で敬遠されるならば、という目線逸らしの発想ともいえます(「『法曹有資格者』への変化」)。

     もちろん、あくまでこれはご都合主義ですので、現実は「法曹有資格者」ならばどうにかなる、志望者に魅力的なアピールになるという、楽観的な状況ではありません。しかし、制度の側には、「法務博士」の価値は上げたい、法科大学院修了生が単体で社会から評価され、そこに法科大学院の存在価値が見出せるという期待感は、実は延々と強いのです(文科省「“法科大学院”と“あなた”が拓く新しい法律家の未来」)。

     「改革」の、激増させてまで、どうしても「弁護士」という発想の土台の、脆弱性、根拠性を疑いたくなる要素になります。

     本当に、法科大学院のような専門教育機関が養成した人材が活用できるとして、そうした一定のリテラシーを持った人材を前提にできるのであれば、資格の経済的価値を破壊するほどに、あるいはのために資格者も利用者も混乱させてまで、どうしても弁護士の活用を前提とした激増が必要なのか、という視点が生まれてもいいのではないでしょうか(「『事後救済型社会』と法科大学院の選択」)。

     弁護士万能主義に立ち、隣接との関係においても、あたかも「上位資格」として、「弁護士ならばまちがいなし」という思考停止も見直していいはずてす。棲み分けの方向、法的に高度な対応が要求される部分を弁護士に委ねる、隣接との関係、有り体いえば、大病院と開業医のような連携の可能性を考えた時に、弁護士の激増が本当に必要なのかという、根本的なところに立ち戻ることはできないでしょうか。

     最近、弁護士のなかでは、需要はあったとしても、経済的に処遇されていない、ということはそれなりの存在なのではないか、とか、弁護士の将来的可能性が期待されている、企業内弁護士などインハウスにおいても、大卒事務系社員に比べて、果たして弁護士資格者が処遇されているのか、といった疑念の声が聞かれます。合否がかかった時間的年齢的リスクを負ったチャレンジ、さらに経済的なリターンや将来的な妙味の期待減。これらはの現実は、志望者の敬遠傾向につながっているだけでなく、弁護士の自覚としても「どうしても弁護士必要論」が変化してきていることをうかがわせます。

     もちろんいうまでもなく、弁護士が必要でなくなったのではありません。需要が眠っているから、大量に必要とされる未来がやってくるから、という「改革」の予想が外れた今、もう一度、社会の需要の受け皿として、無理なく、そして他の資格も活用した上での、弁護士の数はどのくらいが本当は適正であったのか――。その視点に立ち返った方が、それこそ無理も、犠牲も生まない、かつ「市民のための」司法に向かうような気がしてならないだけなのです。


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    弁護士業務拡大と需要創出をめぐる不思議

     司法改革の結果として、業務拡大、需要創出の必要性が、いまや死活問題として、当たり前に語られるようになった弁護士ですが、弁護士界の外では、そのことに「違和感を覚える」という声に、今でも時々出合います。「弁護士さんって、そういうお仕事なのですか」と。

     例えは、弁護士自身が「社会生活上の」と関して重ね合わせた医師について、業務拡大や需要創出が死活問題になったり、他のビジネス同様、採算性を追求する形を当てはめられるのか、と。医師が患者の疾病に向き合うように、弁護士は、目の前に発生した「社会生活上の」疾病としてのトラブルに対応するのが基本であり、営業マンのように、利益を求めて動くのは、医師がそうであるように、弁護士もやはりふさわしくないのではないか、と。

     確かに、「改革」以前の弁護士会にあっては、権力対抗性を意識した在野性や、プロフェッション性を強調する弁護士たちが、営利を追求する活動とははっきりと一線を画す姿勢を示していました。また、今でもこの「改革」に疑問を持つ弁護士の中には、市民社会にとって、「不幸産業」ともいえる弁護士が、積極的に利益を求めて進出することは望ましくない、とか、プロフェッションとしての弁えの方を強調する人もいます。

     一方でこういう話をすれば、「改革」推進論者は、待っていましたとばかり、それこそが、これまで自らが保身的に作り上げた経済環境にあぐらをかいていた、弁護士の改めるべきだった過去の姿であり、「改革」は社会・利用者の利益のために、むしろ望ましい形を生み出している、と反論するはずです。

     しかし、弁護士会主導層をはじめ、「改革」を肯定する多くの弁護士が、現状のような業務拡大、職域拡大を正当化する、最大の根拠は、需要の潜在性の強調にあるようにとれます。つまり、弁護士は、まだまだ潜在的に社会で活用される可能性があり、また、大衆はそれに気付いていないかもしれない。弁護士側の工夫によって、その可能性を社会に喚起すれば、必ずや弁護士の需要は生まれ、広がりを見せる――。

     弁護士の中の、プロフェッションとしてビジネスとは一線画したいという意識を取り込みつつ、一方で前記発想に立った需要創出の「開拓要員」獲得のための、増員政策の必要性を取り込める、弁護士会内「改革」主導層には、ある意味、都合のいい発想といえます。そして、今でも、この捉え方にしがみついている方々をこの世界では、沢山目にすることになっているのです。

     しかし、結論から言えば、現実はそうはうまくいっていない。そもそも当初の弁護士会が、少なくとも「開拓」が死活問題になるような、潜在需要観を持っていたわけではなく、どんどん増え続ける弁護士に対して、予想外に顕在化しない需要の状況に、より「眠れる大鉱脈」を強調せざるを得なくなってきた、という経緯があります(「『大鉱脈』論失敗という経験の活かされ方」)。

     そうなればそうなるほど、冒頭の社会の違和感は行き場がなくなる、ということになります。潜在需要はそれほどなかったとなれば、それでも需要創出に走る弁護士の姿はどうみえるか。そもそも需要創出といったところで、情報の非対称性の関係のなかで、社会・大衆には、それが前記したような発想の、需要の「掘り起こし」なのか、それともビジネス的発想による、自らの商売のための「たきつけ」なのかは区別できないのです(「弁護士激増と需要『掘り起こし』の危うさ」)。

     2000年代初頭の弁護士会内の議論でも、業務拡大という問題がしきりと取り上げらました。改めて当時発行の「改革」関連の書籍などに目を通すと、それは、「改革」推進に回ることを受け入れながらも、「改革」主導層を含めて、弁護士会内にあった、その先の未来に対する相当な不安感の裏返してあった、ということが見て取れます。

     しかし、その議論で登場しているのは、今見れば、不思議なくらい、決定的な前提の成立を仮定したうえでの、非常に危うい発想のもとでの前進方針だったことも分かります。例えば、弁護士会内の、当時のある議論では、「業務拡大の否定的な予測を算出させる要素」が真剣に取り上げられ、次のような業務拡大制約要因が取り上げられていました(日弁連弁護士業務改革委員会「いま弁護士は、そして明日は?」)。

     ① 弁護士は弁護士法1条の基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とすることから、社会的ニーズがある限り、どのようなニーズでもすべて弁護士が対応すればよいというわけにはいかないという地位的な制約。
     ② 弁護士の専門的知識・能力の制約。
     ③ 仕事としてペイするかという経済的な制約。

     今、これを見ると、正直、弁護士が冷静にここまでのことを分かっていながら、なぜ、前記のように、「開拓」の先を期待して突き進んできたのか、という気持ちにもなります。「改革」の結果がどうなったかを簡潔にいえば、①の視点はぼやけ、②の視点は延々と言われながら、むしろ弁護士の努力不足論やミスマッチ論となり、「開拓」の可能性につながる視点に取り込まれ、そして、③が今、「改革」の失敗と、弁護士資格の変質や衰退にかかわる現実的で決定的な要因になりながら、依然として、十分に検討される方向が生まれているとも言い難い。

     とりわけ、③の制約に対して、業務拡大方向の需要が高まっても、採算性の合わない仕事は、結局、多くの弁護士が業務として取り込めないこと、それゆえに経済的意味での依頼者市民のアクセス障害除去が課題であるところまで認識しながら、結局、法律扶助拡大、弁護士保険制度拡大、社会の諸条件整備などの条件を挙げていました。逆にいえば、これらが完全に整備されてからでなければ、③の問題が発生することは、はじめから分かっていたということになります。分かっていながら、条件整備を前提とせず、増員政策に突き進んでいる結果を私たちはみていることになります(「増員既定路線に縛られる日弁連」) 。

     その結果、弁護士の意識はどう変わりつつあるか、といえば、もはやビジネスと割り切らせてほしい、という欲求を持つ層は、おそらく大きく膨らんだ。そして、そう割り切ればこそ、日弁連・弁護士会は強制加入の業者団体として、会員に貢献できないのであれば、少なくとも個々の業務の足を引っ張らないでほしい、という弁護士会の強制加入そのものを規制ととらえる見方まで広がりつつある観があります。そして、それは冒頭の違和感にもつながっています。

     採算性を度外視し、使命感から「適正な対価」が担保されていないものまでも「ニーズ」として一括りにして、突き進んだ結果としては、ある意味、当然のことといえるかもしれません。弁護士からすれば、当然の「適正な対価」の裏付けもなく、「なんとかなるだろ」で、「ニーズ」とされるすべての社会的な要求に応えられるわけもないのですから。

     逆に、もし、弁護士に冒頭のイメージのような存在であることを、社会が求めているのであれば、必要なのは、弁護士自らの首を絞めるだけで、効果が見通せていない、需要開拓要員確保のための増員ではなく、医師のような、基本的なその存在を持続可能な形で支える制度的な裏付けのはずです。弁護士の無理な努力に丸投げするという話自体、この「改革」の無責任といわなければなりません。このこともまた、一番分かっているはずの、弁護士会が率先して取り上げない、という不思議な現実といわなければなりません。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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