FC2ブログ

    増員と需要をめぐる「改革」の足踏み的思考

     語弊があることを承知で言えば、傍目に見て、司法改革の法曹人口増員政策によって、弁護士という資格業は、経済的価値を下落させるという手酷い仕打ちを受けることになったといえます。もっとも、傍目とあえて断っていますが、内部に危機感を持っていた人たちも沢山いたとはいえ、弁護士会として一緒になって政策の旗を振った側としては、こういう捉え方にはならないという弁護士も、いまだにいます。

     経済界の人間でさえ、懸念していた極端な増員を、「大丈夫」と受け容れ、需要は沢山あるのだから、「市民のため」になんとかしなければならないとして、進めた政策である以上、少なくとも主導層の人間が、どうしていまさら被害者づらはできるのか、という話になるのかもしれません(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。

     しかし、この「改革」後にこの世界に入った人たち、もしくはこれからこの世界に入ってこようとする人たちにとって、このことがどんな意味があるのかということを考えてしまいます。言うまでもなく、彼らにとって一番「なんとかしなければならない」のは、資格者としての生存であり、かつて掲げられた「改革」ではないからです。

     もちろん、この「なんとかする」と実行された「改革」が、ここまでもう取り返しがつかない(かつてのような資格業に戻れない)とまでいわれるほど、変質させるほどの、それに見合うほどの「価値」が果たしてあるのかということも、彼らは水平的に考えられるし、当然に考えておかしくないはずなのです。

     ただ、現実を見てみると、弁護士会主導層も、あるいは「改革」推進派のメディアも、事ここに及んでも、かつてと全く同じ括り方で、この「改革」の先を「なんとかすべき」「なんとかなる」ものとして描こうとしているようにしかみえないのです。

     「弁護士の平均年収は4割減 過去十年で年収が上がった職業、下がった職業」

     こんなタイトルで、ニューズウイーク日本版が教育社会学者の舞田敏彦氏の記事をネット上に公開しています。この10年間の年収の減少率が最も大きい3つの職業は「士業」で占められており、公認会計士、社会保険労務士、弁護士で、特に弁護士は1271万円から729万円と4割以上減少。背景には、弁護士の増え過ぎがあり、この期間にかけて弁護士は2万8789人から4万1118人と1.5倍に増えている――。

     経済誌などでも、もはや見慣れている感があるデータから読み解いた、弁護士の経済的没落に注目した記事ですが、明らかに弁護士増員政策の失敗が原因であるという認識には立っています。しかし、記事はこれまたお決まりのように、こう続けています。

     「ただ、今の時代、弁護士の力を必要としている人は多いはずで、たとえば生活保護の申請同行などは今後爆発的に需要が増すだろう。高齢化の進行に伴い、終活関連業務(財産管理、遺言、相続等)へのニーズも多い。東京から、弁護士が1人もいない過疎地に移住し、この手の業務をこなして住民から愛されている若手弁護士のニュースがあった(関西テレビ、2020年12月16日)」
     「法曹の3割近くは東京に住んでいて、赤字の上位5位の都府県で56%が占められている。人口当たりの数にすると、東京は10万人あたり62人であるのに対し、高知はわずか3人だ。住民の高齢化率を考えると、上記の終活関連の業務は地方でニーズが大きいだろう。こうした偏りは是正すべきではないか」
     「住むところを変えるだけで、自身の存在意義の感じ方が大きく変わるかもしれない。過疎地に移住した、上記の若手弁護士が好例だ。コロナ禍の今、弁護士も東京脱出、地方移住の波に乗ってみるのもいいかもしれない」

     なぜ、こういう展開になってしまうのかと思ってしまいます。増加し続ける政策に見合い、支え切れるかも、そもそもどれだけ経済的に期待できるかも考えずにいわれる、いわば無責任な「なんとかなる(はず)」論です。とりわけ「地方」推奨は典型的です。可能性の話をしているという人もいるかもしれませんが、生存バイアス的になる話を続けている以上、「多いはず」という「弁護士の力を必要としている」ニーズが本当にあるとして、それを現実的に支える弁護士の経済的前提の話には一向になりません。

     これは弁護士会主導層も同じです。要は、事ここに及んでも、この記事同様、かつてと同じ姿勢で、「なんとかしなければならない」「なんとかなる」と言っているようにしかみえないのです。こんな分野で需要が増すはず、この分野では需要が多い(ようだ)、こんな風に必要とされている弁護士たちもいる、地方には需要がまだある(ようだ)―。こうしたことが、弁護士の「魅力」発信という枠で語られ続けているだけの、いわば足踏み状態が、止まらない増員基調のなかで続いているのです。

     「改革」の失敗を結果的に糊塗し、思考停止をもたらすように使われてきた、「地方」の可能性について、最近、ある地方弁護士のブログが、こんな的確で問題の本質を突いた指摘をしています。

     「『地方には弁護士の仕事はあるのかないのか?』と聞かれれば『ある』。しかし、そこで期待されている『仕事』は、地域の法秩序を維持するために不可欠でありながら、事業としては成り立たないものも少なくない。それがこの十数年の我々の経験から言えることである」
     「もうちょっと踏み込んでいえば、もともとパイの限られた地域で弁護士間の競争が激化すると、収益性の低い業務は顧みられなくなってしまうのである。手間が掛かる、実入りも少ない、その上重要顧客の維持獲得につながらない(競争が激化するとこの要素は特に重要である)、という性質の業務は、他に仕事がないからやる、ということにはならないのである。結果的に、法秩序を維持することが難しくなる場面も現れる」
     「法の支配を津々浦々にというスローガンは、ここに挫折を見るのである」( 「BLOG@yiwapon」)

     「なんとかしなければならない」「なんとかする」ありきの「改革」思考から、いったん脱却しないと、もはや現実は見えてこないのではないか、という気持ちになります。


     地方の弁護士ニーズについて、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト



    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「適切な」弁護士人口というテーマ

      明けましておめでとうございます。
      今年もよろしくお願い致します。

     弁護士ドットコムタイムズが昨年12月に行った法曹養成に関して行った弁護士アンケート(回答者490人)の結果が、新年早々、ネット界隈の弁護士たちの中で話題となりました。詳しくはご覧頂ければと思いますが、適切な司法試験合格者数について、全体の約9割は「1500人未満」(「500人以上1000人未満」51.8%、「1000人以上1500人未満」28.6%、「500人未満」10.0%)であったということです。

     この結果が、どの程度弁護士全体の見方を反映しているとみるべきかには、様々な評価があると思いますが、少なくとも「1500未満」約9割、「1500人以上」は1割を切っているという結果自体は、現実的には多くの業界関係者が驚くようなものではないようにみえます。ただそれでも、この問題を改めて捉え直すきっかけとして、こうした統計は意味があるように思えるのです。

     法曹、とりわけ弁護士の人口とつなげた司法試験合格者数の議論の話をすると、いまや「不毛」という人がいます。それは、相変わらず何人でも合格させればいい、という意味で言っている人もいますが、文字通り議論しても結論はでないということで言っている人が多くなっているようにとれます。

     確かに、上記の結果のばらつきが示すように、自らの置かれてといる状況を反映して回答は異なる面もありますし、その根拠とするところも様々です。自分の体感的な経済状況から判断する人もいれば、かかわる分野でのニーズからの必要論をもとにいう人もいる。有り体に言えば、どういう状況の、どういう立場の人にマイクを向けるかで、返って来る答えが全く違う性格のテーマなのです。

     ただ、これを「不毛」といってしまうのであれば、それは弁護士人口の激増政策の議論そのものが引きずっていながら、目をつぶってきた問題ではないのかと思えるのです。それはいってみれば、「必要」と「適切」が不透明に混在し、結び付けられた議論がなされてきたということです。

     そもそも法曹界内の弁護増員論は、社会の「必要」にこたえるためのもの、要は増やさざるを得ないという前提のものでした。日本の社会には弁護士の需要が沢山あるのに、数の不足によって、それに応えられていない。「二割司法」という言葉が言われ、8割の司法機能不全の原因もまた、それに結び付けられた。ところが、その根拠は不透明でした。

     年間3000人合格を導き出したとされる、「フランス並み」の法曹人口5万人目標(対人口比比較)という話も、いかにも諸外国に比べ、日本の法曹人口が「少ない」という印象の中で説得力を持たせようとした話でしたが、資格制度の違いも無視したものでした。むしろ法科大学院制度導入というシナリオと、そのための「3000人」が先にあったうえでの話と言いたくなるほど、なぜ「フランス並み」か、という突っ込んだ議論がされないまま突き進んだのです。「二割司法」至っては、いまや誰もいわない、当時言われたものはあくまで「感覚的数値」という扱いです(「『合格3000人』に突き進ませたもの」 「『二割司法』の虚実」)。

     さらに、この根拠不明の必要性を満たすことだけを、「改革」路線は「適切」「適正」として激増政策を正当化しました。本当の「適切」「適正」とは、本質的な必要性(どこまで、どれだけという、具体的対象に対する)を満たすためと同時に、それが現実的に成り立たつことにとってのものでなければならなかったのです。

     この「改革」のその後は、そのこと失敗が明らかになるプロセスであったようにみえます。増員必要性が、まず、勢いをもった「べき」論によって語られ、量産された弁護士によって、それを支えるだけの有償需要が生まれるのか、それが弁護士の採算性だけでは支えられず、本当になんとかしなければならない需要であるというならば、現実的にどういう経済的な支えが必要になるのか、そういったことは度外視して駒が進められた結果でした。

     今、前記アンケートで「適切」な数を問われ、少なくともそのことを度外視して回答している人はほとんどいないと思います。しかし、弁護士界内を含めて、今、「改革」の発想が完全に変わったとはいえません。それを支える弁護士の生存、需要の対価性と、前提として必要となる経済基盤。そうした前提のうえに立った、法曹人口の規模を導き出す発想に転換したようにはとても見えないのです。

     当時の司法制度改革審議会での議論でも、委員から出た需要の検証や段階的増員というニュアンスの「3000人」慎重論を振りきって、激増路線を前記した発想で推し進めたのは、弁護士委員であったという皮肉な現実があります(前出(「『合格3000人』に突き進ませたもの」)。いまや前記アンケートでは、20年後の弁護士人口の水準について、6割以上が「4万人未満」として、規模として今よりも弁護士が必要とされ、かつ生存できる未来を描いていません。この現実を直視するのか、それとも過去の発想にしがみき、それを信じ続けるのか。それが問いかけられているように思えてなりません。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「無償」ニーズという根本課題

     司法改革の弁護士増員政策の中で、最もあいまいで、かつ、そのことが同政策失敗に直結したといっていいのは、いうまでもなく、弁護士の需要についての捉え方です。正確にいえば、その需要をどこまで踏み込んでとらえ、その評価を政策決定に反映させたのか、ということです。

     これまでも度々書いてきたことですが、改革論議は端的にいってしまえば、弁護士の需要の有償・無償を緻密に区別してとらえていたようにみえません。いわば、それは常に「ある」「なし」の問題で語られたといってもいいようにとれます。たとえ、弁護士の需要が「ある」という評価になったとしても、それが個人事業主である弁護士の、しかも今後、増産するという弁護士が生存できるほどの、採算性の取れる有償のニーズとして存在しているのか、ということが、突っ込んで検討されたようには、どうしてもみえなかったのです。

     そして、この政策の結果は、弁護士にとって、この点がを避けられないものだったということを教えるものになったのではないでしょうか。

     なぜ、こんなことになっているのか――。あまりにも基本的な視点の欠落だけに、それはいまさらながら、奇妙な気持ちにもなります。こうなった背景には、いくつかの要素があるように思えます。当時の「改革」主導層の中にあった弁護士の経済基盤への過信(「なんとかなる」論)、「二割司法」といった「改革」が描いた司法機能不全論に乗っかった弁護士の公的使命論への傾斜(「なんとかすべき」論)、当時の会外「改革」推進者の弁護士増員必要論に抗せないという妥協論――。

     要するに「なんとかしなければならない」「なんとかせよと言われている」需要がある、という認識と、これまでの経済的安定の実績からくる過信が、前記有償・無償ごちゃまぜのままのまま、「なんとかする」方向で増員の駒を進めた結果、ということになります(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」 「『二割司法』の虚実」)。

     2012年の段階で、総務省は、「改革」の当初、目標だった司法試験合格年3000人目標の近い将来の達成見込みはなく、増員合格者数を吸収する需要が顕在化しておらず、弁護士の供給過多などの課題を明確に指摘した政策評価と提言を発表し、推進派関係者を驚かせました。

     「利用者である国民の立場からすると、上記イでも示したとおり、需要が審議会意見において予見されたほどには拡大・顕在化しておらず、ただちに3000人を達成しなければならないほどの大きな支障は確認されていない。一方、3000 人の目標に達してはいなくとも、現在の需要規模の中、年間 2000 人規模の合格者数が輩出されるようになったことで、新たに、就職難や即独の発生・増加が重要な課題として指摘されている」

     年合格3000人は「必要」であり、弁護士の経営についても「大丈夫」と豪語していた「改革」推進派の弁護士たちには、形無しといってもいい現状認識が書かれていました。そして、この中で、いわゆる「潜在的需要」に関連して、こんな報告もなされていました(「『支障ない』と評価された合格3000人未達成」)。

     「潜在的需要の発掘に関し、日弁連は個々の弁護士が行うことには限界があり、組織的に行う必要性があるとし、また、ニーズの潜在が経済的な理由である場合は、法律扶助などの公的支援が必要としている」

     これを今、読むと、それこそ日弁連主導層は、前記したような発想で「改革」の旗を振りながら、実は核心的なことを認識していたのではないか、という気持ちになります。個々の弁護士に潜在的需要の発掘に限界があるならば、鉱夫を増やして鉱脈を探り当てさせるかのごとき、増員効果への期待そのものがおかしいこと。「潜在が経済的な理由である場合」という仮定に立ってはいるが、もし、それが大きなウエートを占めていたならば、公的な支えがなければ、土台無理ということを見通せるところまできていた、ということです。

     「経済的な理由ではない」潜在化というのは、要はアクセスと周知の問題になるはずです。弁護士がいないか、いても気後れして門をたたけない(いわゆる「敷居が高い」論)、あるいは弁護士の使い勝手、いかに役立つかがまだまだ周知されていないという発想。弁護士会がいわゆる弁護士過疎と増員必要論を結び付けてきたことも、なんでもウェルカム的な広報に力を入れてきたことも、その発想が裏打ちしているものです。

     しかし、現実は、もはやそこを大きく見積もって「なんとかなる」問題なのか、あるいはどのくらいのものを見積もれるのかという話です。むしろ、大量に潜在化しているという弁護士のニーズがあったとしても、それは「経済的な理由」を抜きに語れる性格のものなのか、という疑問です。

     「結局、社会に沢山あるという弁護士のニーズとは、無償か無償に近いものではないのか」

     こういう声が最近、弁護士の中から異口同音に聞こえてきます。要は、ただならお願いしたいという程度のニーズではないか、という、増員論からすれば悲観的な見方です。そして、むしろそうしたことを口にし始めた弁護士たちにあるのは、それを相手にしていられない、という方向の問題意識です。

     サービス業への自覚を促す結果となった増員政策からすれば、当然に有償サービスの徹底・周知への要求もあります。それ自体が、採算性を犠牲にしても、公益的活動という、あるべき弁護士像であったり、まさに「改革」が生み出す現実を度外視して、単体として必要性が強調された感がある「プロボノ」促進論の方向と、現実的に矛盾するような形にもなっています(「『事業者性』の犠牲と『公益性』への視線」「弁護士『ボランティア的活動』の未来」)。

     「改革」の弁護士の需要に関する、いびつな発想に基づく描き方は、弁護士の経済的状況を変え、資格の経済的価値まで下落させました。しかし、それに止まらず、なにをどこまで弁護士が背負うべき無償性の高い需要であり、それにはどういう前提が必要で、整備されなければならないのか、という論点を、後方に押しやりました。

     「経済的な理由」の潜在的需要に対して必要であるとされた公的支援も、そのレベルを問わないのであれば、弁護士も弁護士予備軍も離反するだけです。結局、そのツケは、弁護士の経済事情にだけではなく、本当に救われるべき利用者市民に回って来るといわなければなりません。


    地方の弁護士ニーズについて、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士増員に関する二つの「裾野論」

     以前も書きましたが、今回の司法改革の弁護士増員政策に絡んで、かつて「裾野論」という考え方が言われました。「裾野を広げないと山は高くならない」。要は全体を増やさないと、局所に当たるような人材や有志(なかには優秀な人材という意味も)は獲得できない、という前記政策肯定論です(「弁護士増員の規模と期待への『反省』」 「弁護士の活動と経済的『支え』の行方」) 。

     しかし、結果的に、裾野(全体)が支えられる経済的需要という視点を全く欠いたこの考え方は、これまでも書いてきたように事実上、破綻しました。いくら競争・淘汰によって、これが成り立つように強弁しても、経済的需要なき増員は、その裾野から崩れさせ、人材は敬遠し、従ってこの発想の目論見通りに山が高くなることもなかった。むしろ、今より経済的負担を強いられず、自由なチャレンジが可能だった旧司法試験体制の方が、志望者そのものの裾野は広く、結果的にそこに選抜が機能して、より人材を獲得できていた、ということが、いまや言われています。

     だが、あまりこういう言い方はされていませんが、この政策には、実はもう一つの「裾野論」が存在したというべきです。それは、いわば利用者の裾野論です。これまで国民の一部であった弁護士利用者の裾野を、格段に広げるという考え方です。この考え方の特徴は、一つには弁護士の獲得できる利用者は、本来的にもっと沢山いる、つまり本来、裾野は広く、その利用者の声にこたえるのが「正義」であるという前提。そして、もう一つは、その本来的に広いはずの裾野を狭くしている原因が、弁護士の姿勢(努力不足や心得違い)と、数の問題であるという前提に立ったということです。

     もちろん、前者の「裾野論」が成り立つように描かれるには、後者の「裾野論」が成り立つように描かれることも必要だった。より現実的にいえば、前者の一目で分かりそうな無理は、後者が成り立つという見込みに丸投げされる形で押し通された、ということです。そして、いうまでもなく、増員政策によって、あるいは「改革」路線が描いた、「社会の隅々」に弁護士が登場すべきという理念によって、現実が後者「裾野論」の目論見通りの結果になったかといえば、それもそうはいかなかった。経済的需要の現実は、冷厳に結果を出したといえます。

     しかし、後者の「裾野論」の問題は、実は「改革」の増員政策の成否という点にとどまらないものをはらんでいます。弁護士が国民多数に利用されるべき(利用されるはず)であるという視点。潜在的にその状況は存在し、弁護士の姿勢一つでそれは開拓されるという見方。そこを中心に、あるいはそこから逆算して、弁護士の使命や自治の役割を描き続けることに、本当に無理はないのか、という疑問が、いまや弁護士の中に生まれ出しているようにみえるのです。

     前回のエントリーに対するコメントで、吉田孝夫弁護士がこう述べています。

     「危機的状況に限らず、弁護士の経済的困窮を避けるために国が責任を持てなどと日本の弁護士会、日弁連が要求するなど、現状では無理です。大部分の弁護士が日弁連の主流派を支えています。それは、日本の国民全体の縮図です。
    2004年11月10日の日弁連臨時総会で成立した弁護士職務基本規程は、国選弁護の報酬に関して、弁護士を日本司法支援センター(法テラス)に隷属させる規定(49条)を置いており、それが弁護士の本質に反するという人はほとんどいません。法律扶助に関しても、弁護士が法テラスに隷属することを日弁連が後押ししている状態です。ストライキどころではありません」
     「その根底には、1970年以降、日弁連の主流派の方々が主張してこられた、弁護士自治は国民・市民の理解と支持によって維持できるものであるから、弁護士自治を守るためには国民・市民の、言わばご機嫌取り政策を拡大すべきだという考え方があります。私は、弁護士自治に関するこのような考え方は、弁護士自治成立の経緯、弁護士の本質・弁護士の独立(日弁連会則15条、弁護士職務基本規程前文)に反しており、根本的に間違っていると思います」

     吉田弁護士引用の職務基本規程前文には、基本的人権の擁護と社会正義の実現という使命達成のために、弁護士の職務の自由と独立が要請され、高度の自治が保障されていると書かれています。独立・自治の維持が、ある意味、抽象的に多数派の国民・市民の理解を条件化したために、弁護士はよりその広い「裾野」の需要にこだわらざるを得なくなり、本来、自治や独立の根拠性も自ら歪めてしまった、ということになります。そして、それはもはや弁護士の経済的困窮という、本来の根拠を脅かす事態にあっても、それを弁護士が主張できないような現実を生み出してしまっている、ということにならないでしょうか(「弁護士の経済的困窮を主張できる国とできない国」)。

     弁護士会主導層も、あるいは多くの弁護士なかにも、いまだ基本的に後者の「裾野論」、いわばより多くの国民のニーズにこたえる弁護士のあり方が望ましく、同時に、その声にこたえ、向き合うなかに弁護士業も、その自治も、独立も存在し得ることを疑っていない人がいると思います。

     しかし、いかに「ご機嫌取り政策」を続けても、それがどこまでいっても多数の弁護士の生活と自治・独立を成り立たせる、現実の弁護士需要から逆算されていないこと、本当に弁護士が必要な利用者(提供者側の思惑や期待感で水増しされていない存在)を守るという使命からも逆算されていないこと、そして、現状、弁護士が採算性に合わない対象のうち、それでも使命として救わなければならない、本当に必要な利用者をどう救うかという視点が、結果的に欠落し続けること。それらが、もはや無視できないところにきていることを、彼らもそろそろ認めるべきであると思えてならないのです。


    弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    見えてきた「更なる減員」検証と課題

     先日の日弁連会長選(「5氏出馬の日弁連会長選から見えたもの」)で落選した、千葉県弁護士会の及川智志氏が代表を務める「ともに日弁連を変えよう!市民のための司法をつくる会」が、3月11日の再投票に臨む仙台弁護士会の荒中氏と第二東京弁護士会の山岸良太氏に提出した法曹人口政策と、いわゆる谷間世代についての不公正是正についての公開質問状への両氏からの回答が公開されています。

     このうち法曹人口政策についての質問は二点で、一つは、再投票に当たり、選挙公約で司法試験年間合格者数「1000人」という数字に言及するか、する場合の具体的な内容としない場合の理由。もう一つはこの問題での公約実現のために、各単位弁護士会から推薦してきた委員を選任する新組織を設置する意向があるか、ある場合、具体的にどのような新組織を想定しているか、ない場合の理由を質したものでした。

     この手の候補者に対する質問では、明確に大きな政策の違いがある場合はともかく、そうでない場合、細かなレトリックから違いを引き出すことにもなりがちです。しかし一方で、選挙期間中のレトリックは、のちのちいかようにも言い逃れられるように出来ている傾向もあります。その意味では、細かな違いを額面通り、受け取って解釈しても、実際にどの程度の違いとなるか、分からない現実もあるといわなければなりません。

     とはいえ、前記テーマへの両者の回答の違いを挙げれば、前者の設問で荒氏は「1000人」に言及しないものの、単位会の1000人決議等を考慮し、「更なる減員」を検証し、遅くとも任期中に結論を出すとしたのに対し、山岸氏は「1000人」に明確に言及し、「更なる減員」の検証を進め、大幅な減員を要する場合、必要な期間をとって段階的に行うべき、という考えを示しています。

     後者については、ともに各単位会から推薦される組織で会内の意見を聞いて検証するとしていますが、前記危惧をひとまず無視して文言にこだわれば、山岸氏は「新組織」としていますが、荒氏は明言していません。検証経過は同氏が理事会で説明、会員に可能な限り公表する意向を示したのに対し、山岸氏は透明化し会員に分かりやすく開示するとし、ここで荒氏同様「更なる減員」への結論を任期中に出す、としています。

     前記したように、この表現違いだけから、いわゆる「主流派」同士の戦いとなった再投票で「更なる減員」への積極性の微妙な違いを読み取るとろうとするのは逆に危険なように思えます。ただ、むしろ「改革」路線を推進してきた会内「主流派」の、この問題に対する、一応の現在地を読み取ることはできます。

     司法試験合格者1500人について、荒氏は「既に実現」、山岸氏は「ほぼ達成」と表現し、ともに「更なる減員」の検証を挙げています。現実には以前か書いたように「1500人」というラインは目標数値というより、同路線にとっての「最低死守ライン」とされたもの。そして、「実現」「達成」というよりは、むしろ「改革」全体の失敗によって、ずるずるとそのラインまで下降してきたというのが現実であり、何か積極的な政策に誘導されたものではないという現実は確認しておく必要があります。

     とはいえこの時点で、「主流派」2候補がともに「更なる減員」の検証の必要性を確認し、少なくとも一人は「1000人」という数字を明確に打ち出したということです。

     しかし、問題はむしろ会内ムードにあるようにみえます。「検証」や「段階的」な達成という表現からとれる、ある種の不透明感のある彼らの公約にあって、この方向に向けて強く背中を押すようなムードが、「反主流派」苦戦の今回の会長選挙を見ても、どこまで今の弁護士会にあるのか、という問題です。

     法曹人口問題から離れる会員意識のなかには、今、二つの受けとめ方が読みとれます。一つは「自然解決論」といってもいいもの。まさに前記「1500人」死守ライン到達がそうであったように、数の問題は弁護士会がを方針として、どうこう言う前に、自然と結論が出る、つまりは適正規模に落ち着くところに落ち着くという考え方になります。

     当初、積極的な意味で、法曹の数を「市場原理」に委ねるとした「改革」路線の発想からすれば、逆の結論が出ればそれに従うのも当然の話になります。そもそもより食えないところ、経済的な妙味のないところに人は来ないということからすれば、そのこと自体は、一面、それは正しいといえるかもしれません。

     ただ、これをいう彼らは弁護士増員が続く中で、その着地点に向かうことの問題性に目をつぶっています、その間、大量の弁護士を合格させることによって、現実がそうであったように、資格の経済的価値を棄損し続け、かつ、かつての優秀な人材が目指すところでも、多くの人材から選抜されるとこめろでもない形で、その着地点がみえたとして、それが果たしてこの世界にとっていいことなのかどうか。有り体にいえば、かつてのように大量の志望者が目指す世界であって、そこで選抜された1000人と、志望者が背減り、ずるずると下降して到達した1000人の意味の違いです。このままでいくと、どちらになるのかは明白です。

     もう一つの受けとめ方は、法曹人口問題を今、起こっていることの原因としてとらえないものです。弁護士の質、経済的困窮、志望者離れという問題に危機感を持ちながら、なぜか原因と結果の関係でみない。かつてのような規模で行われていた教育のメリット、有償需要を考慮しない増員規模、そして志望者減の真の原因は無理な増員政策がもたらした資格価値の下落にあること。それらを考慮せず、その失敗を直視しなくとも、この増員基調のなかでも、さらには逆に国民の数が減るなかでも、それらは克服できる。法曹人口の数の問題は切り離せるという考え方になります。

     こうした捉え方は、日弁連・弁護士会の「改革」主導層の方向には親和的、というよりも甚だ都合がいいものになるといえます。とりもなおさず、増員基調のなかで、「改革」推進論の根本的な失敗を反省・直視せずとも、なんとかなっていく、という考え方になるからです。しかし、今後の業務拡大の可能性を唱え続けてさえいれば、いつの日にか、増員路線が正しかったことが証明されるはず、そういう時代が来るはず、と言っているに等しいものです。

     この公開質問状には、今回の第1回目の選挙に出馬した5候補のうち、3候補が、司法試験年間合格者数「1000人」または「1000人以下」と主張し、これらの候補の獲得投票数は合計5120票で、投票総数のほぼ4分の1に達していることを指摘しています。最終決戦に際し、彼らにとってこの票を支える主張は無視できないものかもしれませんが、とはいえ投票総数の4分の1である、という現実もあります。

     両氏の回答は、「主流派」のこの問題への認識が、「1000人」を含む「更なる減員」に近付いたことは読みとれるかもしれません。しかし、両氏とも回答で言及している「1000人」を決議している弁護士会声明のトーンとは、いまだ大きな開きがあるといわなければなりません。「更なる減員」が俎上に上る一方で、会内ムードが変化しているなか、増員政策の根本的な問題性が、改めて問われる必要がありそうです。


    地方の弁護士の経済的ニーズの存在についてご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR