「改革」に被せられた経済界の思惑

     弁護士の経済的価値の下落による志望者減という、法曹養成の根幹を脅かすような負の影響をもたらしてしまったことが、もはや明らかになっている弁護士激増政策にあって、最も利を得たのは経済界ではないか、という指摘が、業界内には根強く存在します。端的にいえば、社会全体として、そのメリットをそれほど実感できないなかで、彼らは「改革」によって確実に弁護士について、より「使い勝手」が良い環境を手にしつつあるのではないか、ということです。

     弁護士増員推進派の論調のなかには、「裾野論」といわれるものがあり、つとに全体を増やさなければ、細部のニーズに応える人材を確保できないということがいわれてきました。10年で10倍に増え、弁護士の活躍する分野として最も目下、最もその将来性が期待されている形の企業内弁護士についても、「効果」としてそれを当てはめる人がいます。

     しかし、これは、かつて増員推進派の人権派弁護士たちが言っていた、まるで含有率をいうような「増えれば志向する人材も増える」式の話ではないとみるべきです。要は、彼らが手にしたもの、したかったものは、むしろ環境といえます。弁護士増員がもたらす経済的環境の変化によって、経済的に彼らを利用できるハードルが下がり、かつ、より主体的に選別・交換可能な環境を手にすること。これまでの顧問弁護士に依存する関係よりも、よりリーズナブルにかつ自社ニーズに沿う形の弁護士を内部に抱えるのに、ふさわしい環境が生まれる可能性を激増政策の先に読みとったのではないか、ということです。

     経済的環境の激変による不安定感は、新たにこの世界に来る人材の志向を、以前の独立自営型のスタイルよりも、企業内のより経済的安定を求める形に変えたことも彼らにとって都合のいいものになったといえます。経済界全体が、増員後に弁護士の有償需要が、ここまで顕在化しないことを読み込んでいたかは分かりませんが、弁護士増員ありきの政策が、その社会的需要を考えたときに、過剰なものになる危険性に気付いていた経済人もいました(「『改革』論議の本末転倒なアプローチ」)。

     しかし、それでも激増政策を後押しした経済界は、その先に前記「果実」をとることを目論んでいたとみれば、言葉は適切ではないかもしれませんが、弁護士全体の有償需要の存否などどちらでもよかったということになります。弁護士余りが顕著となり、増員の「受け皿」ということが取り沙汰され始めたとき、メディアなどに登場した企業法務関係者が、「改革」路線側のある種の期待感に、クギを刺したのは、当然といえば当然の話です。

     つまり激増弁護士の「受け皿」ではなく、われわれのニーズに応える弁護士を必要な分だけほしいだけなのだ、と。そのための環境を作るために、従来の環境を壊したかった、そのために激増政策には賛成した、しかし、そのために増員弁護士が経済的に支え切れないとか、その先、どういう影響が出ようと関係ない、われわれが議論する問題ではない、というのであれば、非常に分かりやすい話というべきです。

     4年前に、経済同友会の司法制度改革検討PTが発表した法曹養成制度に関する提言「社会のニーズに質・量の両面から応える法曹の育成を」のなかでも、そうした彼らの法曹養成に対する本音ともいうべきものが透けてみえていました。

     「バイブル」ともいうべき2001年の司法制度改革審議会最終意見書は基本的に正しかったが、「改革」の現実が法廷偏重の旧来の実務家養成の発想に傾き、本当の社会のニーズに応える法曹を輩出できていない、その旧来の発想を引きずった司法修習制度や司法試験が残った結果、法科大学院制度の足が引っ張られている――と描くこの提言のなかで、「法曹」について彼らは独自に次のように三つに分類をしています。①法廷実務中心の法曹=最狭義の法曹②経済のグローバル化とともに、日本企業の競争力を支える企業法務を専門とする法曹=狭義の法曹、③法律のスペシャリストではなく、企業、行政、政治、福祉や教育を舞台によりジェネラリスト的に活躍する法曹=広義の法曹。彼らは②③の必要性を強調し、それこそ彼らが確保したい人材であることをうかがわせています(「経済同友会、法曹養成『改革』提言の描き方」)。

     提言は、こうした法曹の描き方、認識のうえに、司法試験年間3000人の目標の堅持を主張しています。そして、「社会のニーズ」としながら、実質、自分たちのニーズとのマッチングという欲求をもとに、法曹養成を提言しているのです。そのおかしさ、問題性を森山文昭弁護士は、著書のなかで次のように指摘しています。

     「法律を専門としないジェネラリストとしての法曹が、どうして司法試験に合格しなければならないのかがわからない。現在でも、法学部を卒業した大勢の人が、右提言にいう『広義の法曹』として活躍しているのである。『広義の法曹』の活躍が重要だというのなら、法学部教育の充実を考えるべきではないだろうか」
     「司法試験の問題や合格基準を『広義の法曹』に合わせてやさしくするべきであると言っているようであるが、問題であろう。それでは法廷業務はできない。法廷業務をする能力のない法曹に裁判を依頼した当事者は、大変な損害を被ってしまう。それを避けるためには、法廷業務をすることのできる資格を認定する別の試験を考えないといけないことなる」
    「結局、今の司法試験と同じような試験を別に実施する必要が出てくるのである。そのようなことなら、司法試験は現在のままにしておいて、『広義の法曹』を養成する法学部教育の充実を考えた方が、よほど効率的なはずである」(「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」)

     彼らは、これからも自分たちのニーズも、りっぱな「社会のニーズ」として、この「改革」に当然にその欲求を被せるはずです。しかし、彼らのいうニーズが、「改革」の先の法曹養成や、社会にとって弁護士のあり方について、どこまで深く考慮しているのかは疑ってかかる必要があります。この「改革」を「市民のため」と銘打っていた日弁連・弁護士会が、企業内を含む組織内に弁護士の「活動領域の拡がり」を期待し、経済界こそが「利用しやすい」という「改革」メリットを既に手中に収めつつある現実をみるにつけ、改めてそのことを感じます。


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    弁護士増員論のバイアス

     他の改革、変革でも同様ですが、司法改革においても、さまざまな「あるべき論」が語られてきました。改革にあって、理想やビジョンが語られるのは当然であり、必要なことですが、常に戒められるべきは、現状認識の在り様です。いうまでもなく、現実を正しく認識していなければ、ゴールにどうつなげるのか、という解が導き出せないからです。

     結論から言ってしまうと、司法改革の法曹人口増員をめぐる現状認識には、二つのバイアスがかかっていたといえます。一つは弁護士必要論のバイアス。 今回の「改革」で登場した、弁護士必要論の基本的な認識は、概ね次の3つに分類できます。現在においての不足、将来的な必要性(必要となる未来の到来)、そして、「あるべき論」としての必要性。

     それらは、微妙に重なる形で存在していますが、例えば、一番目の現在においての不足は、「ゼロワン」といった目に見える形で示された弁護士偏在・過疎問題が、将来の必要性は、「事後的救済社会の到来」「法曹需要の多様化・高度化」という見込みや、刑事被疑者弁護、来るべき法曹一元の給源などがその典型といえます。そして、「あるべき論」としての、必要性とは、例えば「頼もしい権利の護り手」としてのプロボノ活動の実践、「社会生活上の医師」として、もっと市民に身近に寄り添うべき、などいったものが挙げられます。

     しかし、本来、これら必要論の認識を、現実的な増員政策の効果につなげようと思うならば、それぞれについて、それが成り立つ財政基盤、弁護士に丸投げするのであれば採算性(有償需要)を踏まえて、増員規模を導き出すという、工程が必要だったはずでした。ところが、「改革」は増員、しかも激増させることが、あたかも一気にこれらの必要論を解決に導くという捉え方になったようにとれるのです。

     いまや根拠性に疑問が出ている、現行司法の膨大な機能不全をアピールした「二割司法」は、必要論のバイアスを強く後押しした、象徴的な「改革」ワードになったといえます。「泣き寝入り」や不正解決がはびこる社会のイメージ化は、まさに弁護士の現在の決定的不足論と結び付けられ、かつ、「あるべき論」としての増員必要論としても繰り出されたのです。

     一つ一つ取り出してみれば「正論」で、そこに確かに一定の必要性が見出せたとしても、それを激増政策と結び付けるとなると根拠的裏付けとしては怪しい。要するに、細かく検証したうえでの話ではないのです。

     そして、もう一つは、弁護士「元凶」論といえるバイアス。「心得違い」、数の問題への姿勢も含めて、要は弁護士が悪い、という方向に集約させるような捉え方です。例えば、法律需要と弁護士の活用との関係で、従来「市民が弁護士を依頼しない理由」は、司法審などが行ったアンケート調査などで、実ははっきりと示され、そこでは必ずといって「弁護士費用」(司法審アンケート50.0%)と「頼むほどのことではなかった」(同55.9%)が半数以上、もしくは上位を占めました。

     実は、これに関する印象的な文章があります。かつて産業界から行革に関わり、法曹養成制度改革等協議会のメンバーで、増員推進論者だった鈴木良男氏(「法曹人口増員路線が『実証』した社会」)が著書のなかで、この点について触れているところです。彼は、同協議会が行った同様のアンケートの中の「弁護士に相談しなかった」理由への設問への回答で、64%が「(弁護士に)相談するほどの問題ではないと思った」とし、19%が「費用の不安」を挙げたことを引いて、次のように述べています。

     「つまり、現在でも法律需要はあるのだ。弁護士に頼まないのは『長くて、高くて、敷居が高いから』だ。弁護士は『本当に仕事はあるのだろうか』と心配するが、仕事がないのではない、仕事がこないように、自分自身が知らず知らずのうちに仕向けているのである」(「日本の司法 ここが問題」)

     ここで出てくる弁護士の言が、有償需要を指すのは明らかですが、このアンケート結果がなぜ、それを満たす「仕事がある」ことになるのか分かりませんし、なぜ、これが弁護士の「心得違い」のような責任論なのか、いや、責任論と結び付けて解決する問題なのかが分かりません。

     前記「改革」の捉え方とすれば、「弁護士に相談、依頼するほどではない」という「価値」判断は、まず、前記「あるべき論」なかで望ましくない、と決めつけ、その判断の妥当性はみない。そして、その「価値」判断を認めないという前提ならば、「ほどではない」根本理由に立ちいるべきなのに、どうも弁護士の「心得違い」と弁護士が身近にいないから(数の問題)にしてしまう。要は、弁護士が敷居を低くし、利用者の誤解を解き、そばに弁護士がいるだけ増やせば、「ほどではない」という価値判断が変わる、という捉え方です。

     しかも、おカネの問題が決定的な壁であることがはっきりしていながら、ここはどういう解釈になるのでしょうか。利用者は知らないだけで、費用に関する情報を提供すれば、壁じゃなくなるというのか(増やせば必ずやおカネを投入するはずという解釈)、弁護士が腹を切って壁を取り払え(要は自主的低廉化。それをしない「心得違い」)というのか――。

     増員論は数を増やし、競争させることで、低廉化が実現することをイメージさせましたが、現実化していません。少なくとも弁護士・会は、低廉化を増員の「効用」として打ち出していませんが、いうまでもなく、それは起こらない、期待できないことが、弁護士の努力、「心得」の問題ではなく、現実化しないことを分かっているからです。もっとも、分かっていながら、そこをあいまいのまま「改革」推進の旗を振る会主導層の責任はあります(「『経済的基盤』を考慮しない『改革』の正体」  「変わらない弁護士報酬『不評』から見えるもの」 )。

     そもそも鈴木氏のいうように、これは弁護士需要の証左だとして、弁護士を激増させたところで、利用者の「ほどではない」という「価値」や、「弁護士費用」というネックが変わったのでしょうか。利用者自身、そもそも「ほとではない」という「価値」判断が間違っている、社会にとっても望ましくないなどと認識しているのかは疑わしいというべきです。一方で、むしろ「改革」の間違ったアナウンス効果で、有償性を無視して、どんなことでも持ち込む、解決してもらうという、間違った認識への対処に、弁護士側が困惑しなければならない事態を生み出していることに注目すべきです。

     弁護士増員論は、一種の「イデオロギー」と化したという指摘があります(「弁護士『既得権益』批判の『効果』と結末」)。「増員ありき」で進んだ、本来手段である増員が目的化したような「改革」の根底には、前記した必要論と弁護士に対する、推進する側の偏った見方があったというべきです。そして、それが本来、当然に経るべき検証、踏まえるべき現実を飛び越させ、増員政策の失敗を導く、まさに元凶となったといえないでしょうか。それが、なぜ、今、強調されるべきかといえば、いうまでもなく、増員政策の結果が出た今でも、そのバイアスは、なぜか生きているようにもみえるからです。


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    弁護士数と需要の非現実的な発想

     増やせば増える――。弁護士の数と需要をめぐり、こうしたことが「改革」推進派の中からいわれてきました。もともと「二割司法」などという言い方を含め、「改革」はすぐそこに眠る、潜在需要を連想させましたが、増員しても顕在化しないことが分かると、逆に前記論調は強まった。つまり、それは弁護士の努力不足(あるいは意識変革不足)と、その時点で増員をセーブしようとする弁護士らを批判するものとしてでした。

     この話を講演などでするときには、よく鉱脈と鉱夫に例えました。要するに、弁護士には眠れる大鉱脈(需要)があり、掘り起こす鉱夫(弁護士)がいなければ辿りつけないという描き方だ、と。従ってこの描き方だと、今、起こっている鉱脈が見当たらない(需要が顕在化しない)という現象は、鉱脈がないのではなく、ひとえに鉱夫の不足と、そのヤル気の問題になるのだ、と(「『大鉱脈』論失敗という経験の活かされ方」)。

     今、なぜ、このことに触れるのかといえば、こうした増員政策に染みついた発想が、需要を検証しつつ、慎重に進めるという方法や、鉱脈そのものの存在をどの程度とみるのか、そもそも存在するのか、という視点を、後方に押しやってきたと思うからです。増員政策には、それと一体の法科大学院制度という激増を既定路線化する要素が張り付いていたことも事実ですが、「増員ありき」の方向を、この発想が強く後押しした、といえます。

     この発想の背景には、二つの要素があると思います。一つは、「追い詰め」式ともいえる考え方。もともと経済的に恵まれた環境にあった弁護士は、そうした環境を破壊することも含めた数による変化がなければ、需要開拓に動かない。「あぐらをかいてきた」といわれるような、「心得違い」論や、競争・淘汰肯定論ともつながります。偏在対策でも同様の発想がとられたともいえますが、数が増えることで経済的に「追い詰められる」ことで、弁護士は需要を求めて地方に向かい、そして、新たな需要を求めて「開拓」するはず、というものです。

     これは、「改革」の結果によって、「増やせば増える」の非現実性、要はそもそも需要がなければ、それは起こらないということをすぐ実証する、ようにもとれますが、鉱脈はあると言い続ければ、現実的にはいつまでも鉱夫不足とヤル気不足のせいにする、こともできる話になっていく。そして、鉱脈の存在の根拠もさることながら、そもそも、ではなぜ、そこに辿りつくまで、開拓要員としての鉱夫が経済的に生き残れるのかという、決定的な問題が十分問われないまま、繰り出されることになってきた、といえます。

     もう一つの要素は、「啓蒙論」です。これは、弁護士の利用者が需要を知らない、気付いていない、あるいは誤解していることが、顕在化しない理由であるとする考えに支えられ、逆に言うと、弁護士がもっとその点を「啓蒙」すれば、需要は生まれるというものです。実は、日弁連のCMなどでみられる「弁護士活用論」もこれに支えられているととれます(「弁護士利用拡大路線が生み出している負の『効果』」 「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」)。しかし、「啓蒙」が需要を生むという立場であれば、これも数を増やすほどに効果が上がり、効果が上がらないのは、やはり数の不足と弁護士のヤル気の問題に置き換えられることになります。

     以前、今でも弁護士界内の大量増員論者で知られる久保利英明弁護士も、経済誌のインタビューのなかで、こう語っていました。

     「アップルのスティーブ・ジョブズの名言に『消費者は欲しいものを知らない』というのがある。スマホは消費者が欲しいと言ったから誕生したのではな く、まさに供給が需要を生んだ」
     「弁護士も同じ。消費者は自分に起きている問題が弁護士を必要としている問題なのか、そもそも法律問題なのかすらわからない。そういう人に、いくらニーズに関するアンケートをとったところで無意味だ」(東洋経済ONLINE「弁護士のニーズは『供給』によって増大する」)

     しかし、弁護士という仕事について、果たしてそう言い切れるでしょうか。いつも感じることは、彼らが描き、思っている以上に、消費者は費用対効果を含めて、自分たちの持ち出し、つまりおカネのことはシビアに考えています。逆に言えば、必要論があって、そこに弁護士がいれば、消費者は必ずやおカネを出す用意があるという考え方が、前記のような「啓蒙論」を支えていないでしょうか。無料化という方向になれば、途端に弁護士を悩ませることになる不適正利用を含め、弁護士活用に走る利用者動向をみても、「啓蒙」で生まれるニーズの見積もり方の甘さが、どうも気になります。

     最近も、教育現場の人間と、弁護士活用論の先に登場している「スクールローヤー」について話をする機会がありましたが、その存在理由・効果は正確に理解しながら、選択しない、選択されない、定着化しないだろうという回答が返ってきました。弁護士側の教育への理解度の問題も言われていますが、費用対効果を考えた場合、常設化に積極的な意味を感じていないという意見にとれました。もちろん、それでもという必要論が先行すれば、結局、またぞろ弁護士を安く使うという設定が既定方針化した形で、この構想が進むことにもなりかねません。

     必要論が経済的価値を生むという発想は、必要の値踏みを期待先行で誤った瞬間に崩れさります。必要論の正しさと、値踏みの正しさが、この「改革」で分けて考えられてこなかったことにも問題があったように思います。

     前記インタビューでの久保利弁護士も含め、今や「希望の星」のごとく、弁護士需要の将来性を語る場では、この10年で数が10倍以上増えた(2007年188人→2017年1931人。日弁連調べ)企業内弁護士が、真っ先に取り上げられます。しかし、この間に増えた弁護士の数は約1万5800人。2017年時点で企業内弁護士は依然全体のわずか4.9%です。

     状況をはっきりと物語る表が、現時点で最新版の「弁護士白書 2017年版」に掲載されています。「弁護士の活動領域の拡がり」と題された章に掲載された2017年までの10年間の弁護士会別企業内弁護士数の推移です。一見してスカスカのこの表は、企業弁護士の極端な大都市集中を示しています。東京、大阪以外で、欄を埋めているほとんど弁護士会の数値は1ケタで、左の2017年に向かうほどわずかに増えていますが、それでも同年時点で47弁護士会中、21弁護士会は全くの空欄で実績ゼロ。東京三会会員で企業弁護士全体の82.9%、大阪を加えた4会会員で89.4%を占めるというのが現実です。

     増員路線を前提とした場合、遠い将来は別にしても、当面、前記4会会員以外、ここが期待できる分野ではない、まさに偏在したニーズであることは明らかです。必要論をその規模から考えなければならないことも、改めて示しているようにとれます。

     やはり、「増やせば増える」という発想から脱却したところから、「改革」のボタンの掛け違えと、これからについて、見直す必要があるはずです。


    地方における弁護士の経済的ニーズの現状についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

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    伝えられない利益享受幻想と喪失

     「弁護士を競争させて何が悪い」と界外推進論者が強調していた激増政策は、「生き残りを優先して、利益を追求して何が悪い」と考える弁護士を、この国に増やす結果につながりました。競争・淘汰を求めた界外推進論者からすれば、こういう弁護士の意識変化は、ある意味、想定内でなければおかしいことになりますが、なぜ、彼らがそれを推奨したかにかかわる表向きの理由である、その社会が享受するはずの利の部分、つまり良質化や低額化は生まれていません。もっとも、経済界はじめ界外推進論者は、別の利益を得たとみることはできますが(「ぼやけた弁護士『足りない論』」)。

     一方、今、前記のように考えている弁護士のなかには、ここまで生き残りがかかるほどに経済的に追い詰められることは想定外であったという人もいるはずですが、いずれにしても「改革」の現実を直視する以上、当然の帰結として、こう考える、こう考えざるを得ないということになったといえます。もちろん、彼らは、この現状を前記推進論者が社会にイメージさせたような、これが彼らの描いた競争・淘汰であったとしても、それが良質化や低額化の過程にならないことはよく分かっているはずです。

     つまり、何が言いたいかといえば、いまだに続いている増員基調の政策で、当初の話から何が欠落してしまっているのかははっきりしている、しかしながら、どうもそこを「改革」の責任として、一体、誰が担っていくのかは、ますます分からなくなってきているのではないか、ということなのです。

     界外推進論者は、この政策によって、しっかり別の利益を得ているのであればなおさら、前記したような社会が享受できるとした利についてぼやかすか、あるいは「改革」の不徹底をいい、いつか来る春のように語ればよし。一方、経済的に追い詰められた弁護士は、かつて所属団体が「市民のための『改革』」と銘打ったとしても、もはやそんな余裕はない、生存最優先は当然の権利のような話になる。

     日弁連・弁護士会がなぜ、増員基調の政策をやめる方向に舵を切れないのかについては、会員間ではしばしば話題になってきました。一つは、強固な弁護士不足元凶論、保身批判のトラウマがあるのではないか、という説。確かに、「改革」論議のなかで出されてきたマスコミによるものを含む、そうした論調を、これまで会主導層を過度に意識して、「通用しない論」に傾斜してきたことはうかがえるところです。

     弁護士激増政策の負の結果と影響を、合格者数の頭打ちや弁護士の就職難によって認めざるを得なくなった段階で、彼らが繰り出した「増員ペースダウン論」にも、それは現れているという見方があります(森山文昭弁護士「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」)。いうまでもなく、「ペースダウン」ということは、需要がいつかは、あるいはゆっくりと顕在化していくということを前提とした歴とした増員論であり、その意味では「改革」の結果を先送りし未決着の立場に立つ、前記「いつかくる春」論と同じです。そして、これは「私たちは決して増員反対論ではない」というアピールでもあったわけです。

     また、別の見方として、「数は力」のこどく、弁護士の数が増えることを、政治的な意味(文字通りの勢力としてや、人材確保のための、いわゆる「裾野論」など)で歓迎し、量産弁護士を支える現実的な経済的基盤に対する楽観視、度外視するもの、という声もあります。

     いずれにしても、こうした会主導層の発想は、「改革」によって生み出されている、生き残りと利益追求を第一に考える弁護士が、まさに会に期待できない原因となり、その距離に決定的に影響しているといえます。彼らは、増員政策を変更できることを会に期待せず、むしろ強制加入団体として、少しでも普通の業者団体のように、会員弁護士の生き残りと利益追求の助けになる存在になることを求め、さらにそれもできないのであれば、会費の負担減など、せめて個々の弁護士の足を引っ張らない存在になることを求めるからです(「『普通の業者団体』という選択と欲求」)。

     これに加えて、激増政策は、弁護士資格の経済的価値の激減による法曹志望者減という、これまた「改革」路線には想定外といっていい事態を生み出しました。「もはや弁護士資格は永久の就職ではない」とか、「プラチナチケットではない」ということが、マスコミの弁護士「没落」記事などのなかで取り上げられ、一方、多くの弁護士はそれをまた、前記「生き残り」の自覚のなかでとらえたように見えますが、もちろん、それで志望者減という事態は解決しない。なぜならば、いうまでもなく、それは弁護士の資格は、いわば「プラチナチケット」であったところにこそ、大きなウェートを占める魅力があったことが、この事態で証明されてしまったからです。

     そのこともまた、法科大学院を擁護しようとしている「改革」推進派も、また弁護士会主導層も、直視しようとしていないし、なんとかしようとしているようにも見えないのです(「資格価値の暴落と『改革』への認識」 「司法試験合格率『主因説』が無視するもの」)。

     結局、社会が享受できるという触れこみの利については、誰も責任も見通しも立てず、それぞれが抱えた事情が優先される結果、社会も行方が見通せない「改革」に付き合わされている形になっているのではないでしょうか。もっも、弁護士のなかにも、この結果が決して社会に有り難いものをもたらさないことを自覚しているだけでなく、はっきりと公言している人たちはいます。

     「では、全ての弁護士が、自らの利益だけを考え、生き残りをかけて行動を決定すればどうなるでしょうか。国選弁護や法律扶助の受け手はなくなり、法テラスも崩壊することでしょう。司法修習も教える人がいなくなりますし、弁護士会の活動も止まります」
     「さて、その先にはどのような世界が見えてくるのでしょう。お金のない人は刑事も民事も問わずろくな弁護が受けられません。指導を受けられない新人弁護士が量産されます。弁護士自治も機能しないとなれば、権力に抗う人や活動を擁護している弁護士は容易に資格を剥奪されるでしょう。他の国では弁護士がしばしば弾圧の対象になっていると聞きます。昔の日本だってそうでした。このような世界の出現こそが、まさに、司法制度改革の成果です」
     「残念ながら、弁護士が公益業務に従事したところで生活を維持できる保障はない環境になってしまいました。趣味でやりますという人でもいない限り、適切な費用弁償を前提とすることなく、弁護士に公益的な活動を強いるのはもう無理です」
     「弁護士の業界に人が増え、そのような雰囲気が蔓延すればするほど、もはやその流れを止めることは出来なくなってきます。その結果が今の状況です」(弁護士法人岩田法律事務所のブロク)

     これまで弁護士が担ってきたもののうち、現実的に何が失われるのか――。だれも確信できないような不確定な「改革」で得られる利の行方よりも、より確実に失われる利の話を、われわれは彼らから聞くべきであり、また、こだわるべきなのです(「弁護士の活動と経済的『支え』の行方」) 


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    ぼやけた弁護士「足りない論」

     弁護士の増員必要論には、なぜかずっと、もやっとした不足論がつきまとってきたという印象があります。「就職ができないほど過剰ならば、なぜ増やすのか」と弁護士界外の人間から尋ねられる度に、本来、そのかっちりした解になるはずの「足りない論」の不透明感に改めて気付かされもしてきました。

     例えば、当初、官側が強調し、弁護士会内でもいわれた、弁護士偏在解消のための増員必要論にしても、偏在の根本原因は地方の需要であり、需要がないところに弁護士がいないだけ、ということは、会内でつとにいわれてきました。偏在が存在していても、増やせば自然に人がそこに流れて解消するということではなく、また、それを支えるのは有志の精神だと多くの同業者は分かっていた。つまり、その解消が必要であっても、「足りない論」から導かれるものではない、ということが容易に導かれていたのです。

     また、耳にタコができるほど聞かされてきた諸外国に比べて、日本の弁護士が少ないということも、各国で司法が現実にどのように機能し、国民がそれをどうとらえてきたか、ということ抜きに比べることへの疑問も加え、日本で法的ニーズの受け皿となる隣接士業の存在を加味しないような分析に、すぐさま疑問の声が上がってしまい、「足りない論」の根拠をぐらつかせることになります。

     局所的な「足りない論」も、ずっと言われています。企業、国際分野、自治体でニーズに応える人材、刑事弁護、離婚、あるいは交通事故案件といった弁護士の取扱案件ごとに「まだまだ」と強調する「足りない論」がいわれてきました。ただ、常にそれがどの程度の不足なのかはぼやけていて、そもそも母数を大幅に増やさなければならないことなのか、という疑問が消えません。

     そもそも母数を増やさなければ増えない、というのは、実は弁護士の増員には、不思議なくらいつきまとってきた発想といえます。企業系の弁護士のなかにも、人権派のなかにも、そういう形で自らが求める人材獲得を、全体の増員と結び付る人たちがいましたし、前記偏在解消が有志の精神で支えることが分かっている人のなかにも、そういう発想の人がいました。

     しかし、これは見方によっては、消極的アプローチといっていいくらい、非効率で不確実な方法であり、かつ、母数をどうやって支えるのか、支える必要がないという前提に立つのか、といった疑問がすぐさま浮上するものです。これの発想が非効率であり、また、全体を持ちこたえられないために問題か発生するということは、当初の増員政策の破綻が明らかになったときに、弁護士会内を含め、推進派がこぞってミスマッチ論を強調した時点で、もはや分かったはず、といっていいもののように思えます。要は、求められたのは「足りない」の前に、どうマッチングするかで、さらにそうだとすれば、必要なのは激増なのか、ということになるのです(「決別すべき『弁護士不足』論の発想」)。

     弁護士会のなかの増員反対・慎重派のなかでも、当初、完全な増員不要論者の方が少なかったといっていいかもしれません。なぜ、ここまでの激増が必要なのか、なぜ、増員ありきで、少しずつ影響を検証しながら、必要ならば増やすという方策がとれないのか、という意見の人は多かった。初めから「足りない」論に立った全体の激増ではなく、マッチングを考えながら増員の程度を考えていくという発想ならば、ここまで増員をめぐる会内の対立的世論状況は生まれなかったかもしれません。

     「足りない論」は、厳密にいえば、「足りなくなる論」としても言われました。不足する未来を描く推論のもとに、いわば準備しなければ大変なことになるという話です。しかし、これも結果からすれば、なぜ、それに多くの弁護士が乗っかってしまったのか、と疑問に思うほど、中身は漠としています。「事後救済社会の到来」「二割司法」といった司法改革ワードは、弁護士が必要とされる、あるいは、必要とされるべき未来を連想させましたが、いまやそれは何だったのか、という疑問が呈されています。

     さらに、弁護士界にあっては、「法曹一元」という悲願が「足りなくなる論」に被せられたことも指摘しておかなければなりません。「改革」が悲願実現の千載一遇のチャンスととらえた方々のなかには、本気で弁護士が裁判官の給源になる未来のために、増員は不可避と考えた人もいたのです。これまた、いまやあれは何だったのかといわれるほど、もはや「法曹一元」そのものが夢のように消えてしまっているのです(「激増政策の中で消えた『法曹一元』」)。

     弁護士増員政策は、当初、国家も政治家も経済界も、「足りない論」に乗っかって、こぞって推進した、ととらえられています。ただ、一方で、国家も政治家も経済界も、本質的には弁護士が増えることを手放しには歓迎していない、ということがずっといわれてきました。つまり、法的に理論武装した弁護士たちという存在は、時に政策や制度構築を目指す国家と政治家には疎ましく、また、消費者側に立って企業を訴える弁護士たちの登場と濫訴社会の到来は、経済界にとっては悪夢なのだ、と。

     では、なぜ、ということになれば、一つの推測が成り立ちます。つまり、彼らは、この「改革」の増員政策の先に、そうした不都合な未来が到来しないことを見切っていた、見切っていたからこそ推進派に回ったということです。経済的に追い詰められることになる弁護士たちは、もはや自らの生活でいっぱいになり、反権力対国家のエネルギーを失い、また、単に弁護士を増やしただけでは、経済界を脅かすような濫訴社会など、この国には到来しない、と。

     もちろん経済界は、前記したような母数論に立ったとしても、関心はあくまでマッチングの方であり、必要な人材を必要なだけ確保できることが目的ですから、その目的が達成できるのであれば、ハナからそれ以外に関心はなく、無論、責任を負うつもりもありません。

     ただ、それにとどまらず、国家も政治家も経済界も、前記した自分たちに不都合な形ではなく、むしろ、都合のいい形に弁護士そのものを変えられる未来を、この政策の先に読みとったのではなかったのか、ということを考えてしまうのです。根拠がぼやけている弁護士「足りない論」の向こうには、そうした思惑までが薄らと浮かんでくるのです。

     弁護士の数が今月4万人を突破したことが報じられています(毎日新聞1月26日付け) 。ぼやとした「足りない論」を引きずりながら、弁護士の激増政策は依然続いています。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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