「弁護士経験」登場の場面 

     やる前から「空回り」が取り沙汰されていた出直し大阪市長選で、再選された橋下徹市長のインタビュー記事を、3月27日付の朝日新聞朝刊が掲載しています。内容的には、過去最低投票率もなんそのの、前向き解釈の持論を展開する、案の定のもので、あくまでこの人のなかでは、「空回り」が存在していないことは改めて理解しました。

     それはともかくとして、このインタビューでの橋下市長の発言のなかで、2箇所に「弁護士経験」が登場します。

      「僕は弁護士の経験から、最後は第三者に委ねるということが染みついている。弁護士は自分がどれだけ『これだ』と思っていても最後は裁判官に委ねる」
      「弁護士としての経験で、対話で解決するものとそうでないものの峻別はできる」

     前者は、都構想について最後は住民投票の民意に従う「潔さ」、議会での話し合い解決の無理をいう文脈で、それぞれ登場してきたものです。紙面の扱いとしては、「主なやりとり」となっていますから、あるいは、この他にも、市長の口から「弁護士経験」が登場していたのかもしれませんが、これを見ただけでも「そうか、そういえば彼は弁護士だった」と思い出した読者が少なからずいたのではないかと想像します。

     それくらい、彼のイメージは、もはや「弁護士」から遠く、そのイメージが大衆のなかで頭をもたげるとすれば、他の多くの弁護士政治家の場合がそうであるように、「理屈っぽい」とか「言い訳がうまい」といった、およそネガティブなイメージを被せたくなるときだけのようにも思います。

     ただ、その意味で、逆に今回の彼の発言は、実は彼の中に「弁護士」であった(である)自分について、その能力や経験を強調したい、ポジティブな意味で「弁護士」を自分に被せたい意識があることを教えています。もちろん、こちらが知らないだけで、彼は常日頃から、そうした意識をむしろ積極的に表に出すタイプなのかもしれません。ただ、先ごろ、業界内でも微妙な反応を生んだ、彼のツイッターでの「訴訟物」発言もそうですが、どうも最近、そうした傾向があるような印象も持ちます。件の発言に対しても、かつて「弁護士」らしからぬ弁護士をウリにしてきたようにとられがちな彼のなかに、そういう意識が強くあることの方に注目する声も聞かれました。

     ただ、「訴訟物」発言については、それこそ業界内はともかく、一般大衆は「きょとん」だったとしても、今回の「弁護士」発言については、いささかどうかと思います。もちろん、彼が何を言いたいかは分かります。ただ、少し目を離して見れば、これは何も「弁護士」が強調されなければならないような局面でしょうか。

     第三者に委ねることは、何も弁護士に限らず、「染みついている」国民はいくらもいると思いますし、現に多くの国民は司法を最終判断、最終決着の場と考え、裁判官に委ねています。対話で解決するものと、そうでないものとの「峻別」も、一般大衆に比べて、弁護士という職業に備わっていると強調すべきものかといえば、そうとも言い難いように感じます。嫌な言い方になりますが、そもそも「弁護士」という肩書を、もし100%利用したいという意図のもとに、こうした言い方を繰り出すであれば、その向こうの大衆側のとらえ方に、「なるほど」と言わせしめるような「弁護士」イメージがなければ、効果はない、それこそ「空回り」というべきです。

     つまり、何が言いたいかといえば、こうした形での「弁護士」の「特別」を強調するのは意味がないと同時に、弁護士としてはやめておいた方がいい、ということです。弁護士が本来、社会のなかで強調されるべき「特別」はもっとほかにある。ここは、弁護士としては、こだわらなければならないところのように思えるのです。もちろん、橋下市長が、そこまで考えて発言しているわけもないのですが。

     弁護士が、「弁護士だから」とか「弁護士の経験があるから」という表現で、一般の人に対して、自分が備わっている「能力」を誇示する場面がそんなにあるとは思えませんし、しかも法律的知識はともかく、なにも弁護士に限らないことまで強調することは、およそないようにも感じます。しかも、仮にそれが「特別」と括れそうなことでも、それを口にするのは、あまりカッコがいいことではありません。それは一つ間違えれば、「僕はタクシー運転手だから運転が上手い」とか「マラソン選手だから足が速い」といっているようなものですから。言うほどに安っぽくとられても仕方ありません。

     もっともそんなことも、弁護士ならば多くの人は、分かっていると思います。「訴訟物」発言を含めて、そんな感じがしないところが、やはり橋下市長が、もはや「弁護士」から遠い人であることの表れなのかもしれません。


    「司法ウオッチ」では、現在、以下のようなテーマで、ご意見を募集しています。よろしくお願い致します。
     【法テラス】弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。
     【弁護士業】いわゆる「ブラック事務所(法律事務所)」の実態ついて情報を求めます。
     【刑事司法】全弁協の保釈保証書発行事業について利用した感想、ご意見をお寄せ下さい。
     【民事司法改革】民事司法改革のあり方について、意見を求めます。
     【法曹養成】「予備試験」のあり方をめぐる議論について意見を求めます。
     【弁護士の質】ベテラン弁護士による不祥事をどうご覧になりますか。
     【裁判員制度】裁判員制度は本当に必要だと思いますか

     司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ





    スポンサーサイト

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    「弁護士不祥事」報道に見るお決まりの展開

     弁護士の不祥事を伝える報道は、読者にとって、およそ二つの意味を持つものになります。一つはいうまでもなく、弁護士に対する警戒。問題になったケースを伝えることで、同種事案について、弁護士を利用する依頼者・市民に注意を喚起するものになります。当然、そこでは「弁護士でもそういうことをやる人間がいるんだ」という認識を前提にすることになりますから、弁護士会関係者も懸念する通り、一部の人間の行為で、弁護士全体のイメージダウンにつながることにもなります。

     そして、もう一つは根本的な原因の認識です。つまり、なぜこういうことになっているのか。弁護士という社会的な影響力が大きく、およそ厳格な選抜と養成過程を経ている印象がある「資格」、かつそれに対する利用者の信頼を基本に成り立っているようなイメージがある存在が、なぜ、今、それを裏切るのか、ということです。

     この点が、弁護士を利用する、あるいは利用する可能性がある市民にとって、なぜ、重要なのかといえば、それはまさしく「これから」にかかわるからです。この弁護士との不安な関係がいつまで続くのか、いつになったら弁護士を安心して使えるのか。原因がしっかりと分からなければ、現実的には対策のしようもなく、したとしても効果は期待できない。

     そして、この第2点の方が、利用者にとってより切実であるのは、これまたいうまでもないかもしれませんが、第1点が注意喚起によって期待するような、依頼者の自己防衛が、こと弁護士という存在に対しては、容易ではないという現実があるからにほかなりません。

     弁護士の不祥事をめぐる大マスコミの報道を見ていて気になるのは、いつもこの第2点の扱いです。第2点は素通りするもの、取り上げていても、おざなりな括り・結論で、果たして本当に「これから」を期待できるものなのか、疑いたくなるものを多く目にするからです。

      「依頼人を訴える弁護士…詐欺、横領、怠慢、弁護士モラルはなぜ落ちたのか」(msn産経ニュース2014年2月1日18:00)

     ネットで最近流れたこの記事は、最近、勝訴の見込みのない民事訴訟を起こした弁護士を弁護士会が懲戒処分(戒告)ケース(「『期待にこたえる』姿勢の落とし穴 )や、国有地の架空取引で約2億円をだまし取った詐欺容疑で、弁護士が逮捕されたケース(「『弁護士逮捕』が突き付けている現実」)を取り上げ、さらに日弁連は相次ぐ不祥事を問題視し、昨年、新たな職務適正化のための委員会を設置したり、対策の一つとして事務所の経営や依頼人への対応でストレスを抱える弁護士を対象にした相談窓口などを検討していることを伝えています。7年前に比べると、各弁護士会の市民相談窓口に寄せられる苦情件数も年間で約4500件増加。懲戒請求では年間約650件も増えていることも紹介されています。

      前者のケースについていえば、弁護士の自覚の問題なのか、能力の問題なのか、おそらく一般の市民には区別がつきませんがそのいずれか、後者については弁護士という「資格」への信用の悪用、と読者は理解するはずです。ただ、こうした事態に、日弁連が頭を悩ましているのは分かっても、その具体的対策の一つが弁護士の「経営や依頼者への対応のストレス」に関する相談と紹介されている点は、現実はもちろんそれだけではないとしても、どれだけ読者がその効果に「期待感」を持てる話なのかは甚だ疑わしいといわざるを得ません。

     この記事の最大の問題は、前記第2点の扱いです。原因にかかわる話として、国際法曹倫理学会理事で名古屋大法科大学院の森際康友教授(法哲学)を登場させ、そのコメントとして、背景として考えられる、依頼人の権利意識の向上と、「弁護士の増加に伴う競争激化で、一部の弁護士が生活に困り、倫理を問われるような行動を取る」現実や、過払い金返還訴訟が底をつき、「社会の需要が弁護士の増加に追いついていない」という現状を伝えます。

     しかし、その後に記事は、こう書きます。

      「法曹界を批判する『二割司法』という言葉がある。司法が市民の求める役割の二割しか果たしていないという意味だ。こうした批判を踏まえ、法曹界は人材の増強を進めてきた」

     これを受ける形で、森際教授の話も、弁護士の「従来型の訴訟を中心とした業務形態を続けるのであれば、供給過多」であり、「大切なことは職域の拡大」という、いわばお決まりの論を展開。記事は同教授の、次のコメントで締めくくられています。

      「司法制度がかつていわれた二割司法から脱却するためには、弁護士や自治組織が事件あさりに陥ることなく、埋もれた市民の権利を救済することが必要」

     この記者は、「二割司法」という言葉が、もはや業界内では根拠なき感覚的数値であったとして、悪名をとどろかしていることをご存知ではなかったのでしょうか。この脱却のためという、弁護士と自治組織=弁護士会に森際教授が求める「事件あさり」に陥らない、「埋もれた市民の権利」の救済の話に、弁護士の「事件あさり」と、市民の権利「掘り起こし」の区別が、依頼者・市民に果たしてつくのか、という疑問は持たなかったのでしょうか。

     この最後の下りで、記事はなぜか「法テラス」のことを取り上げています。ブロク「PINE's page」も指摘していますが、これは国費をもっと法テラスに投入し、弁護士の職域拡大や「埋もれた市民の権利」救済につながらせよう、という「期待感」につなげる話と読んでいいのでしょうか。

     この記事を読んで感じるのは、一つは、残念ながら、この記事もまた、前記第2点の「これから」の期待感につながるなる話になると、途端に中身が薄くなってしまっていること。そして、もう一つは、「二割司法」論の幻想にとりつかれているうちは、結局、「職域拡大」の可能性という結論と、利用者にとっては危なっかしい「掘り起こし」論が繰り返しいわれることになる、ということです。


     ホームページ制作・SEO会社経営者・「司法ウオッチ」ディレクター(技術担当スタッフ)執筆のコラム「弁護士のためのホームページ活用術」の連載スタートしました。

     「司法ウオッチ」では、現在、以下のようなテーマで、ご意見を募集しています。よろしくお願い致します。
     【弁護士業】いわゆる「ブラック事務所(法律事務所)」の実態ついて情報を求めます。
     【刑事司法】全弁協の保釈保証書発行事業について利用した感想、ご意見をお寄せ下さい。
     【民事司法改革】民事司法改革のあり方について、意見を求めます。
     【法曹養成】「予備試験」のあり方をめぐる議論について意見を求めます。
     【弁護士の質】ベテラン弁護士による不祥事をどうご覧になりますか。
     【裁判員制度】裁判員制度は本当に必要だと思いますか

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ





    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    「やらせ」弁護士を生み出しているもの

     移動中の車のなかで、ラジオから流れてくるこのニュースを初めて耳にした時、一瞬、妙な気持ちになりました。日本テレビの昨年放映した番組で、女性をターゲットにした出会い系サイト詐欺と、芸能人になりすましたサクラサイト詐欺の「被害者」として、放映した人物が被害者ではなかったことを短く伝えたこのニュースは、最後に、この偽被害者を紹介したのが弁護士であったとして、その実名を伝えたのでした。

     よくあるパターンのテレビ局の、「やらせ」番組制作の話かと思いきや、そこに弁護士がかかわっていた、という事実。制作者側からすると、この手の「やらせ」というのは、完全に「偽」と分かって使った場合と、結果的に手抜き取材によるミスである場合と、本当は前者だけど後者として弁明する場合があるように思います。今回も、真実はまだ分かりませんが、ただ、今回に限って言えば、おそらくは二番目の可能性が一番推察できてしまいます。とりもなおさず、それは弁護士の紹介という事実があるからです。

     今回の事態に対する、マスコミ側の反省の仕方としては、当然、なぜ、こうした確認を怠たることによる不祥事が起こるのか、というものになります(水島宏明・元日本テレビディレクター「なぜ日本テレビで“不適切な取材”が次々に続出するのか?」)。ただ、今回の場合、紹介者が弁護士であったという事実が、大きく関係していることは否定できないように思えます。つまり、もともと「偽」を作るために、番組制作者と弁護士が組んだ可能性もないとはいえませんが、相手が弁護士であるがゆえに、確認のハードルが下がってしまった、より手抜きをしてしまったということが考えられるからです。

     前記水島氏の指摘にもありますが、制作者側の反省としては、たとえそれが弁護士であろうとも、なぜ、きっちり裏をとらないのか、ということになるわけで、逆に言うと、弁護士という存在の信頼のうえに、裏をとらずにこうした企画を進めるのも、「当然に」許されないという前提に立つことになります。弁護士だから大丈夫、信憑性が高いなどということは、もはや全然ないのだ、という前提です。

     この件は、今、弁護士の間でも話題になり、それなりに衝撃を受けている方もいるようですが、要はそれは、弁護士という存在が、もはや社会にとって決定的に信頼できない存在になる、もしくはそうした存在になっているのを示していることに対するものです。

     冒頭、「妙な気持ち」と書きましたが、何が一番そうさせたのかと考えると、やはり、なぜ、弁護士がこんなことをやる必要があったのか、その目的が、ぱっと浮かんでこなかったからでした。しかし、それは、実はすごく分かりすいことだったのかもしれないと思えてきました。

     問題の弁護士に関して、同業者間でとりわけ注目されているのは、彼が実は「詐欺専門」をうたい、その法律事務所のホームページ上で、派手にそれを宣伝していた弁護士だったということです(「黒猫のつぶやき」 「福岡の家電弁護士 なにわ電気商会」)。文字通り、「詐欺救済でメシを食っている法律家が詐欺」(日刊ゲンダイ)という位置付けがされてしまってもおかしくない現実です。

     ただ、そのこともさることながら、弁護士のなかの問題意識として、こうしたホームページ上での派手な宣伝によって、依頼者・市民が誤導される実害への懸念があります。「増員の影響もさることながら、広告の影響は深刻」という知り合いの弁護士もいます。

     仕事の奪い合いのなかで、結局、派手な広告に導かれるように市民が向う。片やその実害をいう弁護士がいるかと思えば、片やこれが自由競争であり、批判するのは要は「やれない」もののやっかみ、ととらえる弁護士もいるのが現実です。また、一方で、前記「福岡の家電弁護士」氏も指摘するように、ホームページでの集客そのものを、今回のような事態から批判できない、という意見もあります。

     そして、これが果たして市民を正しく導くことを前提とした公正な競争なのか、結果を依頼者の自己責任にすべて転嫁できるのか、そして、そもそも弁護士という仕事の危険性からいって、こうした手段がなじむのか、という点で、個々の弁護士の意識には、大きな開きがあります。

     ここで注目しなければならないのは、手段そのものではなく、今、弁護士のなかに生まれている意識の方ではないかと思います。

      「テレビ出演が多いのは、その業界で実績が高い証。弊所代表弁護士は、『消費者詐欺被害』」に関する報道番組に対して数多くの出演実績があります。そして、現在も多くの出演依頼を頂きますが、それは、私たちがこの分野における第一人者である証だと考え、可能な限り協力をさせて頂いております」

     問題になっている弁護士のホームページには、こう書かれています。彼にとっては、テレビでの露出こそが、自らが詐欺対策の「第1人者である証」、もしくは「そういうことにできる」という認識があったことになります。そして、その「可能な限りの協力」の結果が、今回のようなおよそ考えられないような、弁護士という存在の自己否定になる事態を生んだととることができます。

     およそ一時代前の弁護士が、法律家として、自らの専門家として認められることの尺度を、テレビの露出に求めるようなことを口にすること自体、プライドとしても考えられなかったように思います。マスコミにも取り上げられることがない、人知れず、話題にならない事件を、コツコツと扱うことにも、まして、自らの「評判」をマスコミが取り上げることなどがなくても、そのことで自らの法律家としての価値が左右されるものでない、ことくらいのプライドは、弁護士として当然に持ち合わせていたと思います。

     露出することは、認められ、売れること。 そういういわば、広告的発想からは、「当然の思考」の先に、彼のような弁護士は生まれてきた、というべきです。彼を例外として切り離すのは容易ですが、これは弁護士の信頼にかかわる根本的な意識変化の兆候とみる必要があります。もちろん、それは私たちも看過できないはすです。なぜならば、このプライドなり、自覚を失った弁護士たちの前には、依頼者・市民はいとも簡単に被害者となり、それは市民側の自己責任として処理されかねないからです。

     弁護士にとっても、市民にとっても、こんなに望ましくない方向に、なぜ、進んでいるのか。何がそうさせているのか――。そのことが何度でも問われるべきなのです。


    ただいま、「弁護士の質」「今、必要される弁護士」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ




    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    「弁護士流」の扱われ方

     6月14日付け週刊ポストが、こんな刺激的なタイトルの記事を掲載しています。

      「この国の政治を歪めている『弁護士政治家』の研究」

     刺激的とは書きましたが、このタイトルは正直見ただけで、何を取り上げようとするのかは大体、想像できてしまいました。刺激的なのは、括り方の問題で、実はそこでいわんとすることはベタというべきかもしれません。ただ、そこが、いまや当たり前の弁護士の扱われ方という意味で、この記事の一番の読みどころだったように思います。

     案の定というべきか、話は件の「橋下発言」からです。弁護士でありながら、杓子定規に法律を振りかざすのではなく、時代にそぐわないものを変える、枠組みにとらわれない斬新さが売りだった橋下徹氏。

      「その橋下氏が今回の『従軍慰安婦』発言で苦境に陥った時、釈明と自己正当化の論理で『弁護士病』を発症したことは、橋下氏を『政治家』として見ていた人々に一種の落胆を与えたのではないか」

     この「弁護士病」ということが、記者が言いたいことの一つのキーワードです。釈明と自己正当化を繰り出す手法。そのプロとして弁護士流がしばしば登場する「弁護士政治家」の政治に読者の目を向けようとしています。そこで記者が「弁護士政治家」の共通する具体的な手法として挙げているのが「論点のすり替え」です。

     軍への性的サービスはつきものという前提で、合法な日本の風俗の活用を沖縄米軍に提案したような主張、少なくともそうとられたことに対して、「誤報」として報道機関に責任を転嫁し、日本の慰安婦制度を反省すべきだが、各国の兵士が女性の人権を蹂躙した事実に真摯に向き合うべきだという趣旨だったと論点を変えた――。

     こういう「論点のすり替え」が「弁護士政治家」の言動には、過去にも見られたのだと。2010年の尖閣列島での中国漁船衝突で、「国内法で粛々」という言葉とともに、那覇地検の対応に任せ、中国船長を処分保留釈放させ、強制送還させた当時の仙石由人長官が、国会で追及されると「捜査に対する政治介入」や「指揮権発動」を挙げた振りかざし、弁明したこと。翌2011年の東日本大震災で、直後、放射能拡散データ―での被害想定を公表せず、例の「ただちに」影響はないなどとする「安全」情報を流した当時の枝野官房長官が、国会で追及されると、「被害者の誤解」「情報発信というより政府の情報集約とそれに基づく想定ができなかったこと」などとしたこと(「『弁護士流』とされた官房長官会見」)。

     いかにも結果責任が問われている場面で、それを違法合法という尺度を絡めた、自己の責任に対する弁明を巧みに繰り出す。そんな「弁護士政治家」の姿を私たちは見てきたのではなかったのか、というわけです。さらには、小沢一郎氏の陸山会事件でも、民社党内の弁護士政治家たちが、強制起訴を理由に同氏の政治活動を封じ込めた「弁護士政治家の正義」と、瑕疵の違法性を問うことよりも、有権者への責任を果たすことが重要という「政治家の正義」のぶつかり合いがあったとしています。

     一見すれば、この記事は弁護士流、あるいは「弁護士病」が出てくる「弁護士政治家」は、政治家として問題、要は弁護士という職業の人間は、政治家には不向きであるという目線の提示に読めます。ただ、これは別に昨日今日いわれている話ではなく、ずっといわれていたことではあります。

     以前、触れましたが、かつてある著名弁護士議員が、弁護士を前に、「もし、議員になるならば、弁護士が板につくまえにした方がいい」という趣旨ことを言っていたことがあります。もちろん、これを弁護士の公明正大性の話ととれば、それこそ永田町の論理に巻き込まれろというのも変な風に聞こえますが、要は裁判や法的な場面の議論で繰り出す弁護士流は通用しない世界、政治の世界に来るからには頭を切り替えろということでした。

     前記ポストの記事では、橋下氏の「論点すり替え」と弁護士の手法との関係について、長瀬佑志弁護士のこんなコメントを掲載しています。

      「弁護士は民事の法廷で非を認めたらば負け。こちらが不利だと判断すれば、論理構成を変え、争点を変えようとすることもあるが、政治家として法廷での論理やテクニックで国民の信頼を得られるかといえば、少し違うのではないか」

     政治の世界で目立つ弁護士政治家の、こうした問題性の指摘は、立法の世界での弁護士活用の可能性を強調したい弁護士会側の意向には、そぐわず、弁護士こそ能力的に活かされるという主張は、弁護士の体質的問題で足を引っ張られる現実があるようにも見えます。ポストの結論も政治家になるなとはいわないが、「ひまわれバッチ」をつけたままこられては、立法府は劣化する、というもの。体質的な「弁護士流」をなんとかしてからこい、という話です。

     ただ、この記事が伝えるもう一つ、気になることがあります。それは、当然のようにふられる、いわば社会的認知として、もはや容易という前提に立っているようにとれる「弁護士病」という扱いです。政治家の中に、それを見つけ出すことができることの問題性を掲げたこの記事ですが、弁護士の方は「弁護士病」で片付けられるのかどうか、そこは弁護士への信頼ということでは、何の問題もないのかということです。法律の理屈を振りかざしても、社会の実態を知らない弁護士の存在を、この記事でも郷原信郎・関西大学特任教授が指摘しています。

     この記事を読んだ読者が、国政では困るが、本業ではどんどん「弁護士流」「弁護士病」でやってくれ、と果たして思うのか。もはやベタといえるような扱いを見るなかで、弁護士への信頼とはそういうものなのか、その辺が気になるといえば気になります。


    ただいま、「今、必要とされる弁護士」「法曹養成制度検討会議の『中間的取りまとめ』」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事





    「ハシシタ騒動」が残しているもの

     話題となっている「週刊朝日」10月26日号掲載の「ハシシタ 奴の本性」を最初に読んだ時、まず、企画自体がこの先にどうなるんだ、ということに強い興味をかきたてられました。初回から、「悪口」ともとられかねない表現での、フルスロットルの橋下徹氏への攻撃、「被差別部落」につながる出自にふれる暴露的内容。これに問題化する声が上がらないわけがなく、当の橋下氏が黙っているわけもない。だから、むしろ興味はそれを乗り越えて、同誌がこの連載をどう進めるつもりなのかの方にありました。

     展開は予想通りになりました。しかし、ここで肝心なことは、前記興味の前提でもありますが、同誌と、おそらくこの企画を把握していたはずの朝日新聞も、この展開、つまりはこの企画に対し、当然批判が出され、問題化することを予想しなかったわけがない、ということです。つまり、批判は覚悟のうえ、百も承知でやったはずではないのか、と。

     今、その目線で初回記事を読めば、そこにはこの企画に対する、いわば確信的にこの切り口で望む自信が読みとれます。「この連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない」、この連載で解明したいのは「橋下徹という人間そのもの」であって、「一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性」であり、それに迫るために「橋下徹の両親や、橋下家のルーツについてできるだけ詳しく調べあげなければならない」と、はっきりと宣言しているのです。つまり、そうした批判を乗り越えてでも、この企画の意義を社会に納得させてみせる、というつもりかとも思えたわけです。

     だから、むしろ驚いたのは、同誌側が早々に白旗を上げ、これが連載中止という全面敗北に終わったことでした。お詫びが掲載されるという11月2日付けで何を語るのかも、関心をもっていましたが、その意味では、ここでは何も語られていないのと同じでした。「差別を是認したり助長したりする意図」はないが、「不適切な表現」と「ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠」いた、と。しかも、これが部内の誰かの独断で間違って載ってしまった、通過してしまったというのではなく、表現方法や内容について、編集部での検討だけでなく、社内の関係部署のチェック、指摘も受けながら進めたと、同誌編集長は言っています。組織として、入念にチェックした結果である、と。

     ここで二つの疑問があります。一つは、問題が表現上のミス、行き過ぎであったというとならば、きちっと謝罪・訂正し、あそこまで確信的に宣言した企画の目的は達成するという選択肢がなかったのか、ということです。もっとも、この企画には、どうしても手法として、問題視されるようなことを抜きには進められないから断念せざるを得ないということなのでしょうか。それが、こういう展開になって、はじめて分かった、というのも、信じ難い話です。それとも、何か予想外の批判の強さに、持ちこたえられないという判断が働いた結果でしょうか。

     そして、もう一つは、一体の何のミスということになるのか、ということです。組織として入念なチェックが行われるなか、前記したように誰もこの展開を予想しなかった、ということでしょうか。表現的にも誰も問題視しなかったのは見落としのようなミスなのか、それとも分かったうえで大丈夫、問題ない、それでもやるという確信があった話なのか。そのどちらかで、大分、話が違ってきます。今後の検証でも、前記チェック過程がどれも正しく機能しなかった、という通り一変の「反省」では、説得力があるとは、とても思えません。企画意図が間違っていた、とは同誌はいっていない以上、そこはこのチェック過程で経てゴーサインを出したこと(企画自体は正当と見たこと)については、「反省しない」立場を貫かなければならないはずですが、そこも注目してみていかなければなりません。

     鋭い切り口で現実をえぐり出す数々の作品を世に生み出してきた、それこそベテランのノンフィクション作家である佐野眞一氏がかかわっているだけに、彼にも本当のことを聞きたくなります。

     この問題をめぐっては、弁護士のなかからは、出自を理由とした「差別文書」として批判する意見( 「なんばの弁護士-梁英哲弁護士のブログ」や、やはり問われるべきは橋下氏の政治手法であり、こうしたアプローチが結果としてその批判を妨げることにつながるといった、表現・手法において問題とする見方が多く聞かれます。しかし、その一方で、弁護士の立場からも「人権を侵害していない」という主張( 「Everyone says I love you !」)もあるほか、同和地区特定をめぐる批判についても疑問視するジャーナリストの見方(「マリードフットノート」もあります。

     いうまでもなく、週刊誌が連載中止に追い込まれるという事態は尋常なことではありません。何が問題にされなければならなかったのかは、この騒動が、後々、別の問題を残したということにならないためにも、きちっと明らかにされなければなりません。


    ただいま、「弁護士の質」「今、必要とされる弁護士」についてもご意見募集中!
    投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。http://www.shihouwatch.com/

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 橋下徹
    ジャンル : 政治・経済





    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR