「処遇」をめぐる弁護士の自信とその変化

     弁護士を激増させた暁に、いわれているような潜在需要が顕在化しなかったとしたならば、どうなるのか。そのときに弁護士という資格そのものの、「市場価値」が下がってしまわないのか――。1990年代後半から2000年代初頭、さかんに「改革」が論議された時代に、当時、増員の必要性を声高に主張していた弁護士たちに、何度かこうした趣旨の質問をぶつけました。

     結論から言えば、彼らの中に、そのことに対する危機感はほとんどなかった、少なくとも表向きそれをにじませる回答を彼らから聞くことはありませんでした。経済的な価値が下落し、資格が見離される時代、もはや独立開業型の資格でもなくなる未来への危険性について尋ねた、今でも増員必要論を唱える企業系の大物弁護士は、当時、私の問いに一言、「そうなったらば悲しいね」とだけ答えました。そんなことはあるわけない、と言わんばかりの態度でした。

     彼らの表向きの自信の根拠は、一体、どこにあったのでしょうか。正直、今にしてみれば不思議な感じではありますが、まず、需要の顕在化を信じていたという面(それも本心からすれば不安があったかもしれませんが)はあるように思います。数が増えるほどに需要が掘り起こされるという発想は、まさに鉱脈にたどりつくには鉱夫が必要という、需要があるどうかを脇においた開拓論と増員必要論の一人歩きを生みました(「『大鉱脈』論失敗という経験の活かされ方」)。

     ただ、彼らの自信には、前記発想の基礎部分にあるような、別の思いをみることができました。それは、端的いえば、自らがこの社会で絶対に必要とされる、という強い確信です。それは当時の弁護士という仕事に対する「人気信仰」ということもできなくありません(「弁護士『人気商売信仰』の破綻と『有志の犠牲』」)。

     しかし、今になってみれば、そこには別の意味があったことにも注目すべきです。それは「処遇される」ということ。彼らの必要とされるという自信は、当然に社会から高く「処遇される」はずということに裏打ちされていたのではないか、ということです。やはり、この資格の経済的「価値」が、社会的な「評価」において、常に高いものとして維持されるだろう、という見通しがあったということです。

     「私たちにおカネが投入されない、ということは、社会がそれだけこの資格に『価値』を認めていないということだ」。最近、弁護士たちの口から、異口同音に、こうした諦め、というよりは、むしろ同業者の認識を改めることを促すような言葉を聞きます。法テラスでの低い処遇や、無料化の中での社会の反応など、「改革」がもたらした結果から、弁護士という仕事への前記したような自信を見直すべきではないか、というニュアンスにとれる言葉です。

     会内で時々聞かれる、弁護士は社会の「インフラ」である、という捉え方に対しても、前記ニュアンスの言葉は向けられます。「インフラ」ならば、社会はもっと弁護士を厚遇しているのではないか、と。「社会の隅々」に弁護士が進出するという前提も、結局、その「社会の隅々」で弁護士が拍手をもって迎えられ、おカネが投入されるということを想定しているのならば、それは誤りではないか、ということにもつながります。

     要は、そういうことを当たり前に考える前提をやめよう、という提案になります。この先の持って行き方としては、だから努力が必要だ(努力をすれば、克服できる)というものもありそうですが、そうではなく、弁護士はもはや、そうした高い処遇を当然の前提にする仕事ではない、その現実を受けとめようという方に力点があるようにとれます。

     ただ、いうまでもありませんが、社会的に「価値」がある仕事で、それにふさわしい経済的価値が付与されていない、いわば妥当な評価がされていない仕事は、この世界に沢山あります。たがら、厚遇されないことをもってして、社会的な「価値」がない仕事なのだ、ということには異論を唱える方がいても当然です。不当に厚遇されない仕事は、もちろん社会が見直していかなければなりません。

     今の多くの弁護士、「改革」の結果を知ってしまった彼らに、冒頭のかつてのような「自信」が存在しているようにはみえません。不当に厚遇されているとみられた弁護士という仕事は、「改革」によって、いつのまにか不当に厚遇されない仕事になったと感じている人もいるはずです。ただ、弁護士が妥当に処遇されることは、彼らの生き残りにかかわるだけでなく、結局、成り手の問題を含めて、利用者に返ってくる問題なのです。それでも弁護士はやっていける、儲けている、という片付け方は、弁護士を甘やかしているか否かの問題よりも、そういう社会の認識を阻害するという点を、私たちはちゃんと理解しておくべきです。 


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    「ビジネス」が強調される弁護士の魅力度

     かつて日本の多くの弁護士が、自らの仕事と結び付けられることに抵抗があった「ビジネス」という言葉は、いつのまにか彼らのなかで、あるべき覚悟のように語られるようになりました。弁護士はビジネスではない、といえば、そんな覚悟では当世生き残れない、頭が古いという批判が同業者から即座に返ってきてもおかしくない。ビジネス系の弁護士からは、かつて「弁護士会内では肩身が狭い」といったマイナー感をにじませた言葉を異口同音に聞いてきただけに、そこには、やはり隔世の感があります。

     以前も書いたように「サービス業」という言い方も、弁護士は「覚悟」としていまや極一般的に使うようになっています(「『サービス業』という決意と覚悟」)。同じ意味合いで使われているようにもみえますが、こちらがジャンル分けとしての言い方であるとすれば、「ビジネス」にはもっとアグレッシブなものが込められているようにもとれます。この言葉が強調されるとき、おカネ儲けや採算性の追求というテーマに対して抵抗感を引きずる弁護士の業態に対して、より批判的に、新しい覚悟を求められてきた、ともいえます。

     そして、「弁護士が何でビジネスではいけないの?」という、初めから旧来の弁護士とは違う発想の、その意味では過去と隔絶した人材もまた、弁護士の世界にやってきていることも事実です。

     しかし、もし「ビジネス」という言葉が、弁護士としてやっていくために必要な「覚悟」として発信されているだけなのであれば、実はこれからこの世界に来ようとする人間にアピールする効果は、実は限定的なものではないか、と思います。つまり、「ビジネス」というのであれば、弁護士が「ビジネス」として、どれだけ魅力的なものであるかが語られなければ、そもそも弁護士という仕事が選択されるとはならない。少なくとも前記のようなアピールでは、積極的な選択の材料にはならない、ということです。

     「ビジネス」として、新規参入、しかも未経験者が参入したくなる条件を考えれば、当然、採算性の効率、需要への見通し、安定性を担保する一応のモデル、そして、肝心のそれを自らのものにできる道筋が、より見えていることが当然プラス評価の材料になります。しかも、弁護士の場合、新法曹養成制度による法科大学院というプロセスの強制化によって、時間的経済的な先行投資を強いられているというマイナス条件が加味されています。

     給費制や志望者減問題とも絡めて書きましたが、要は弁護士として「やれるか」「やれないか」ではなく、積極的な妙味が、しかもビジネスとして(つまりはより効率よくおカネ儲けにつながる商売として)、アピールできるのかどうかということです。

     前回ご紹介した2月25日付けの週刊ダイヤモンドの特集「司法エリートの没落」では、弁護士ドットコムやアディーレのトップを、まさにビジネス感覚で弁護士業界に新たな地平を切り拓こうとしているパイオニアのような扱いでスポットを当てています(「『司法エリート没落』記事の限界」)。記事は、こう言います。

     「彼ら風雲児に共通するのは、世間のニーズがどこにあり、どうすればそのニーズを満たすことができるのか、という野心的な常識破りのマーケッテイング思考を持っていることだ」

     とりわけ、登場する三人の弁護士のうち、特に興味深い発言をしているのは、アディーレの代表である石丸幸人弁護士です。彼は自らは「マーケッター」であるとし、事業をやりたくて、弁護士界を「有望なマーケット」みて、この世界にきた。ただ、彼は言います。

     「僕はマーケッターですから、市場が有望でなくなったら、次の市場に移ります。注目はやはり医療。弁護士業界はしょせん5000億~6000億市場ですけど、医療は年間70兆円ですからね。それで北里大学の医学部に通っているんですよ。純粋に医者になります」

     このあと彼は、そのこととアディーレとのシナジーについての問いかけを「ない」と笑い飛ばしています。彼らが確かに弁護士として先駆的なビジネスモデルに果敢に挑戦している「先駆者」であり、成功者であったとしても、そこに必ずしも後進がこの世界を目指し、あとに続くようなモデルが提示されたとはいえません。しかも、マーケッターを自認する「先駆者」の一人は、既にこの世界をビジネスの「妙味」としては見切っているような発言をしています。彼の発言は、そもそもこの企画にふさわしかったのか、疑いたくなるくらい弁護士や業界の未来からは、もはやはずれているのです。
     
     弁護士という仕事は、ここに登場した弁護士たちのように、もともとが「ビジネス」の発想をもったものこそが集まる世界になっていく、とみるべきなのでしょうか。しかし、「先駆者」である彼らも、また、「ビジネス」の成功者として、後進が続きたくなるような、そして、他のビジネスのなかで弁護士を選択したくなるような、材料を与えている存在にもみえません。

     そして、もっといってしまえば、弁護士の志望者たちは、必ずしも彼らのような発想の持ち主ではないだけでなく、依然、本音では彼らのようにならずともやれる弁護士スタイルを求めているかもしれません。志望者たちの中には、資格さえとれば、なんだかんだいっても、かつてのような自分のなかのイメージとしてある、独立系自由業として魅力のある存在になれるはず、と信じている人たちもいるようにみえます。かつてのこの資格の安定性に比する、この仕事の魅力は、今後、どこに見出せるのでしょうか。

     新しい時代に必要にされる弁護士になれない人間は、この世界に来なくていい、という声も聞こえてきそうです。しかし、「こういう弁護士ならばやっていけます」「いまやこういう発想でないと弁護士にはなれません」というアピールで期待できるのは、そこにビジネスチャンスを見出す新人の獲得よりも、現実的には、こういう世界にはやたらにこない方がいいという戒め効果の方です。それももはや、実害を考えれば、成功者による「生存バイアス」のようなもので魅力が語られるよりは、ずっと健全であるようにも思います。


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    「兼業」弁護士の魅力が語られること

     日弁連はどうやら弁護士の兼業を推奨するらしい、という話を聞いて、何事かと思えば、3月14日に開催される予定のシンポジウムのこと。タイトルは「聞いてびっくり!多様な弁護士ライフ」。日弁連ホームページのイベント案内には、こんな風に書かれています。

     「本シンポジウムは、弁護士としての仕事以外の分野においても活躍している弁護士をパネリストに迎え、弁護士の仕事のみにとらわれることのない各自の“夢”の実践の在り方を紹介し、提案するものです」

     どうも弁護士のなかにも首を傾げている方は少なくないようですが、正直、この一文を見ると、なおさら奇妙な気持ちになります。一体、主催者である日弁連は、どういう方向のアピールをしたいのか、という疑問が湧いてきてしまうからです。

     弁護士の増員政策によって経済的な魅力が減退している、少なくともそう社会に受け取られはじめているなかで、弁護士会内からはこの仕事の魅力を発信せよ、という声は聞かれます。それは、ある人にとっては、経済的魅力はチャンスとして残っていると言い続けることであったり、また、ある人にとっては、経済的なことだけではない、この仕事の持つ意義や「やりがい」のアピールの必要性であったりします。

     当否は別としては、それはまだ理解できます。しかし、ここで語られようとしているのは、直接的なこの仕事の魅力ではなく、「弁護士の仕事のみにとらわれていない」人の夢の実践の話です。そうだとすれば、これはヤブヘビではないか、という声が会内から出るのは至極当然のような気がします。「兼業」弁護士の魅力を語るというのは、もはや弁護士単体での魅力を語れない現実を浮き彫りにしていないか、別の言い方をすれば、その現実から目をそらさせようとしているととられないか、ということです。経済的な意味でとらえられたとすれば、もはや兼業でなければやれない仕事ととられる可能性だってないとはいえません。

     「兼業」弁護士自体にメディアやネットメディアが注目して取り上げることは、これまでもありました。「マネブ」というサイトが掲載した「弁護士がプロボクサーという草鞋も履くワケ3人の『兼業弁護士』が考える仕事観とは?」という記事には、今回の日弁連シンポに報告者として出席する弁護士の一人も登場しますが、こうした記事を読むと、彼ら「兼業」派に共通するのは、あくまで個々人の弁護士外の仕事へのつながりの強さや思い入れです。さまざまな事情や経緯があっての、自己実現の形の話です。たまたまそういうものがあった人が、たまたま弁護士業と両立に成功した話といってもいいものです。

     もし、そういう前提で、「弁護士の仕事のみにとらわれない」「夢」の実践を視野に入れている、あるいは入れたい人向けに、そういうスタイルを日弁連が推奨するというのであるならば、むしろ、弁護士が経済的なメリットや安定度で、弁護士外の「夢」を実現させるのに、この仕事は最適である、というのであれば、むしろ分かりやすい話といえます。でも、さすがにそうアピールできる現状にはない、というべきです。

      つまり、何かをもって、弁護士が「兼業」に向いている仕事ともいいにくい。かといって、弁護士をどうしてもやりたい人のために、こういう「兼業」もあり得るというには、前記したようにもともとのこだわりのある人ならばともかく、逆算して答えを導き出すことは容易ではなく、かつ、前記したように弁護士単体では成り立たないアピール度も強めかねない。 

     もっとも 「弁護士の仕事とのシナジー効果」ということも語られるようで、ここの説得力次第では、どういう形で個々の「夢」に適合するかは分からないものの、あるいは弁護士業特有の「兼業」メリットが見えてくるのかもしれません。ただ、「聞いてびっくり!」するようなスタイルとは、特に他の「夢」の実現が念頭にない志望者の弁護士業への期待感とは、果たして結び付くのか、そこはやはり不安になります。

     しかし、最も気になるのは、こうしたことも、また、弁護士会員がどううけとめるかも、実は日弁連が分かったうえでこれを繰り出しているのではないか、ということです。「もう、なんでもありなのかな」。そう呟いた弁護士がいましたが、あるいはこの企画の切り口自体が、いまの弁護士の置かれた現実を物語っているということかもしれません。


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    弁護士業務拡大路線の正体

     弁護士の業務拡大路線とは、一体何のために続けられるのか、という素朴な疑問を持ちます。誤用のような「法の支配」という言葉を振りかざし、社会の隅々や、権力機構の内部にまで弁護士が進出することを是とする「改革」路線に後押しされ(「『法の支配』というイメージ」)、かつ、「二割司法」という感覚的数値がイメージさせた、膨大な潜在需要を前提に、弁護士は業務拡大の実現を夢見て増員路線を受け入れました。

     その時に多くの弁護士が思い描いた業務拡大と、現在、弁護士に突き付けられているものとは大きく絵が違うといわなければなりません。いうまでもなく、前記描き方のなかでは、拡大は社会の要請であり、あくまで弁護士はそれに応えなければならなくなったというものであり、大量の供給に対して、需要を必死に掘り起こさなければ、それを支え切れないなどということは想定されていなかったからです。

     過剰状態のなかでも弁護士としては、生きていかなければならず、そのための努力することも、それを所属団体が鼓舞することも、彼らにとっては当然かもしれません。しかし、私たち利用者からみれば、増やしてしまったものを支えるためにやることと、社会的要請のもとにやることとは意味が違います。また、前記事情に社会的な要請をどこまで被せられるのか、ということは、きちっとみなければなりません。いうまでもなく、それは、「市民のため」と銘打った「改革」の評価にかかわってくるはずだからです。

     拡大路線を肯定する弁護士のなかには、路線の前段部分の「進出」の意義を強調される方がいます。しかし、それが大量供給を必要とした根拠になるのか、という疑問はどうしても残る。それは数の点だけでなく、それがすべて弁護士でなければならなかったのか、という問題もあります。自治体職員や議員秘書、最近では話題となった学校給食の回収まで、弁護士全体の経済環境を激変させ、ひいては志望者を遠ざける結果を招来させてまで向き合わなければならなかった需要なのでしょうか。

     「活用」という言葉があてはめられると、「結構ではないか」という話になります。しかし、ここには後付け感、もっといってしまえば「隠蔽感」といえるものを覚えてしまいます。何度も書いているように、市民社会のなかには、「二割司法」が連想させたような、大量の泣き寝入りや不正解決を生み出している、弁護士の「進出」を待っている需要、しかも大量の供給を支える有償需要はなかった。そして、無償の需要があったとしても、それに弁護士がどうこたえられるのか、ということについて、詳密な検討がされていたわけでもなかった――。

     不思議な感覚に陥りますが、今でも弁護士業務拡大路線を掲げ、少なくともそれを社会的な要請とつなげて、「べき論」でいう方々は、常に「社会の隅々」で拍手をもって弁護士が迎えられると信じて疑わないようにみえます。弁護士はもっと「活用」できる、社会はそれを知らず、それに大衆が目覚めれば、必ずやわれわれは必要とされ、当然、われわれを支えてくれるおカネを有り難く頂戴できるはずなのだ、というような(「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」)。

     しかし、何度も書いていますが、弁護士が、まして生き残りをかけて行う需要創出に私たちは手放しで乗っかることはできないし、それは危険といわなければなりません。事件創出などという言葉を、弁護士=正義を前提に、割と抵抗なく使う風潮が弁護士会のなかにありますが、一般の利用者には事件創出、あるいは掘り起こしと、焚きつけの区別は簡単につかないのです。

     逆に無償需要に対する対応への期待感は、法テラスを含めて、失望を生むことになります。弁護士業務が成り立つ採算性というものを、社会に周知させず、また、想起もさせない、「改革」の現実です。少なくとも「改革」は、非採算部門に弁護士が手を出せる経済的自立の基盤を一方で破壊している。そのことの意味もまた、周知されているとはいえないのです。

     そもそも拡大路線だけが、弁護士がとるべき選択肢だったのか、という見方もあります。弁護士が常に登場するのではなく、最終的に登場するプロ中のプロ。あるいは隣接士業や一定の法律教育を受けてきた人間たちが、手に負えないものを引き受ける存在でよかったのではないか、という捉え方です。何も弁護士がすべてをやるのではなく、むしろ弁護士外の業務的な対応力やリテラシーを向上させる方に力を入れる。例えるならば、極端な話、弁護士は町医者になるのではなく、町医者が対応できないときに回ってくる大学病院のような存在。今となってみれば、弁護士を激増させるよりも、少数の、しかし頼りになる、先鋭部隊として弁護士が存在した方がよかったのではないか、という思いが過るのです。

     弁護士の拡大路線は、「改革」にまだ決着がついていないという建て前でありながら、実は「失敗」のうえに、続けられているといえます。しかし、あくまでそれを認めない路線は、「市民のための改革」から離れているだけでなく、弁護士自身も追い込んでいるように見えます。


    「依頼者保護給付金制度」についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/7275

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    弁護士自由競争の先に見えているもの

     弁護士という仕事に自由競争はなじまない、ということを、公言する弁護士は、かつてこの世界に沢山いました。今でも本音では、そう考えている弁護士も少なからずいるとは思いますが、いまや堂々とそう発言するのを、あまり耳にしなくなりました。「改革」は、需要が生まれることを前提として、弁護士を増やすことの必要性を掲げましたが、その一方で市場原理に委ねるとしたその方向には、弁護士の競争を肯定する、逆に言うと、これまで数の制限によって無競争状態だったことを「悪」とみる発想が、当然のように被せられました。

     それまでの弁護士が無競争だったという前提には、今でも弁護士間にも異論がありますが、競争を否定することは、黙っていても仕事が転がり込んでくるという、あたかも怠慢を許す恵まれ過ぎの環境を求めている、ととられるという、ある種の「自覚」が、冒頭の言葉を公言しない弁護士の意識傾向を生んだ、ということは否定できないように思います。その点で、弁護士は他の商業活動と同様であり、特別扱いされない、ということを、多くの弁護士が形として受け入れた格好になっているようにもとれます。

     しかし、これまでも書いてきたことですが、私たち利用者がこの発想を肯定できるかどうかは、いうまでなく、その発想が思惑通り、あるいは「改革」が私たちに期待させた通りの結果を出すのか、という1点にかかっています。つまりは、競争によって、弁護士ではなく、利用者がサービスの良質化や低額化といったメリットを得られるという「価値」です。少なくとも弁護士のかつての環境を「悪」とみるには、あくまで私たちが本来得られるべき利益の獲得が阻害されてきたという前提に立つ必要があるはずだからです。

     結論からいえば、「改革」路線は、弁護士の需要が生まれるという予想を外したのみならず、競争によって利がもたらされるという結果も出せてない、といわなければなりません。そして、今、問われるべきなのは、果たして弁護士の自由競争とは、利用者にとって何を意味するのかについて、「改革」はフェアに伝えたのか、という点にあるように思えるのです。

     そもそも多くの案件で薄利多売化が困難な弁護士業務実態や、情報の非対称性が存在し、利用者にとってフェアな選択が担保しにくい彼らとの関係性を考えただけでも、容易に競争のメリットをわれわれが享受できるというシナリオは描きにくいものでした(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。「改革」推進派も大マスコミも、その現実をフェアに伝えたわけではない。ただ、それもさることながら、彼らはその先に、何が生まれるのか、利用者にとって負の部分、リスクについても、意図的に伝えていないのです。

     その最大の欠落点は、弁護士が採算性を追求することになる現実です。それは、彼らが当然のごとく(少なくとも「改革」が描いたように、大幅に需要が拡大する未来が来ない限り)、彼らは非採算部門を切り捨て、より利益を追求するということにほかなりません。以前も書いたように、大本の司法審「改革」路線派は、それを積極的に肯定したわけではありません。むしろ一方で、採算性度外視が前提となる、公益的領域を視野にいれた「奉仕者」になることを求めていたのです(「弁護士の採算性と公益性をめぐる無理と矛盾」)。

    このはっきりとした矛盾した方向を、「改革」路線を受け入れた当時の弁護士たちは、どう理解していたのか――。それを今、考えてみれば、ひとえにそうした矛盾が顕在化しないで済む、大量の需要発生の未来を司法審の言う通り、信じた、あるいはなんとかなるだろ、という非常な楽観論が支配した、としか説明できないように思います。

     競争する、そのために彼らが営業するということの、利用者にとっての意味は、彼らが採算性の視点で、より「選択」するということでもあります。

     「営業するということは、今までえらそうだった弁護士が他の人に頭を下げて仕事をもらうことだから弁護士の腰が低くなり、良い傾向だと思うかもしれないが、そうとも言い切れない面がある」
     「なぜなら、アメリカの弁護士を見ていて思うのだが、営業を重視するあまり、金になる良いお客さんにだけ大切に扱い、金にならないような仕事を持ってくる個人や小規模の企業に対しては、相手に嫌な思いをさせないようにしながら上手に断ってしまうことになるのではと思う。ビジネスになるクライアントと仕事を選別するのである」(「アメリカ法曹事情」)

     日本のかつての弁護士が口にした、自由競争にくっついた「営業」「ビジネス」といった事柄を「なじまない」という意識には、そこを表看板にした場合に危い、この仕事の実態を見抜いた「知恵」があったのではないか、ということを以前書きました。そうなった場合、彼らは何をできるのか、そのしわ寄せはどこにいくのか、彼はよく分かっていた、というべきです(「『使いこなせない』人間にとっての弁護士『改革』」)。

     弁護士は、刑事弁護、弁護士会活動を含めて、非採算部門から今後、続々と撤退するだろうとする見方が会内から聞こえてきます。「福岡の家電弁護士のブログ」は最近のエントリーの中で、①このプラクティス分野での経験を積みたいという気持ちがあってかつ経済的に余裕のある(イソ弁として一定の生活が保証されている者も含む)弁護士、か、②他のプラクティス分野での収入獲得の見通しがないため非採算かそれに近いレベルのフィーであってもこのプラクティス分野に甘んじるしかない弁護士以外、この分野から撤退すると指摘。さらに弁護士激増論は、②の弁護士を増やす必要があるから主張されている、との見方も示しています(「弁護士が経営上注意すべき弁護士の『自由競争』にまつわる2つの問題」http://www.mk-law.jp/blog/319/)。

     低額化という意味で、社会の期待感の受け皿にはなっているように見える法テラスが、公金導入をバックに価格破壊を生み、逆に弁護士の競争を阻害していることも指摘していますが、同時にそれにかかわる弁護士像をどういう前提で想定しているのか、という問題も浮き彫りにしています。つまり、採算性という現実を考えたときに、この制度は期待感の「受け皿」として成り立っているのか、成り立っていくのか、ということを根本的に考えさせられるのです。

     弁護士の自由競争をめぐる「改革」の発想は、既に成り立っておらず、今後、ブログ氏が予想するように、さらに大きな破たんが待っているかもしれない――。そのことが利用者である私たちに知らされていない、というところから、まず、捉え直していく必要がありそうです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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