FC2ブログ

    「超人」弁護士たちへの目線

     おカネをとらずに、弁護を引き受ける弁護士がいます。私が尊敬している故・遠藤誠弁護士もそういう人物でした。おカネのない、闘う市民の弁護は、タダで引き受ける。仏教者であり、左翼であり、革命夢想家であった彼は、あくまで本業はそちらの方で、「人権派弁護士」を自認しながらも、「弁護士はあくまで余技、趣味」とまで言い切っていました。

     彼との思い出、というよりも、彼の存在と生きざま自体が、今でも強烈に私のなかに焼き付いていますが、彼は自分のスタンスについてこう語っていました。「革命でも法律でも救済されないものがある。そのために仏教が必要なのだ」と。彼は、自らの思想を、釈迦とマルクスを信奉する「釈迦マル主義」であるとも、真剣に主張していました。

     「奇人」と言われていましたが、彼には幅広い分野の熱狂的なファンが沢山いました。左翼・右翼活動家、仏教をはじめとする宗教関係者、メディア関係者、彼が主宰する仏教の会でつながる市民たち、日弁連会長経験者を含む法曹関係者などが、時々開かれる彼を囲む会に集まり、彼を持ち上げたり、こき下ろしたりするのを、いつも末席で見ていた私はつくづく、彼は多くの人に愛され、幸せな人だなあ、と思ったものです。

     そして、その集まった人々の中には、いつも前記彼の信念に基づき、弁護士としての彼に救われた市民が、まさに手を合わせるように彼に感謝の言葉を述べる姿もあったのでした。

     「『お金のために、というのは僕の生き方じゃない』 北海道の山奥に移住、費用ゼロで公権力に挑む”山小屋弁護士”」

     こんなネットニュースの記事が、最近、ネット界隈の弁護士の間で話題になりました。ここに登場する市川守弘弁護士も、思想的な背景が同じかどうかは分かりませんが、遠藤弁護士同様、自らの信念に基づいて、弁護士費用を受け取らとらずに弁護を引き受けるタイプの弁護士として紹介されています。

     彼はこう語っています。

     「極力経費は落としちゃって。食っていければいいんだから。その代わり、意味のある公益的な事件は率先して弁護士費用なしで取り組めたら、僕の残りの人生、生きがいがあるんじゃないかなあと」
     「昔ながらの戦後の日本の経済成長と同じで、地域社会がしわ寄せを受けながら、儲かるところが大きく儲かっていこうという、その構図が現代においても典型的に現れている。これは正義に反する、アンジャスティスなんですよ。こんなのは許せない」。
     「弁護士である前に一市民であると思っているし、市民として行動するときにたまたま自分が弁護士という職業についているんだから、その職業についていることを市民として生かせればという風に思っている」

     ここでやはり二つのことを、あえて確認しておかなければならないように思います。一つは、弁護士界には、昔から業界内でも話題になるような、時に清貧という言葉をあてがわれるような、彼らのようにおカネ度外視、経済的成果度外視の、信念に基づいて闘う弁護士がいること。そして、もう一つは、それは昔から決して一般化できない、絶対的にレアな存在であったこと、です。

     この記事の中で登場する、同業者をはじめとする関係者の声を見ても分かるように、市川弁護士も遠藤弁護士同様、「奇人」の部類に属するという扱いです。一般的な資格業としての弁護士とは、別の、あるいはそれを上回る「価値」を見出している個人的な信念がなければ、彼らのようなことはできないし、彼らの領域に達することはできない(遠藤弁護士にとっては、本業ですらなかったのですから)。

     だから、逆に彼らのような姿勢を、弁護士業という資格業に求めるというのは、違うというべきなのかもしれません。別の言い方をすれば、資格業たる弁護士から入って、彼らのような人材に辿り付くのは、ある意味、昔も今も無理があるといわなければならないように思うのです。

     以前から時々、メディアで取り上げられる、彼らのように信念に基づき、無償で弁護を引き受ける弁護士について、ひとつかつてと大きく違ってきたと感じることがあります。それは、彼らの取り上げ方に対する同業者の目線です。今回のような取り上げ方がされる度に、こうした弁護士の姿勢が一般化される、そういう形で社会に伝わることの方を危惧する同業者の声が、ネットなどを通じて聞かれるのです。

     「彼らは尊敬できる。でもどの弁護士もが、彼らのような『超人』になれるわけではない」

     同業者のそうした声は、当然、利用者市民の過度な要求につながることを懸念するものといえます。彼らのような「超人」が、弁護士の鏡であり、あるべき姿のようにとらえられれば、即座に「なんであなたはそれをやらないのか。やっている弁護士もいるじゃないか」という依頼者市民の声が返って来るのではないか、そういう声につながるのではないか、というおそれです。

     しかし、もともとそれは現実的に無理といわなければなりません。資格業として成り立たせ、普通に生活をして、家族も養う、そのなかでゆとりや豊かさも求める。そういう前提でない人だけが、弁護士になるなどということは、過去においてもない。いかに人権の擁護と社会正義の実現を使命にする資格であっても、「超人」「奇人」だけが務まる仕事という話はどこにもないのです(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。

     もっとも、かつてと違うところもう一つ挙げるとすれば、「超人」も「超人」予備軍の人材も、「改革」によって、かつてよりも生きづらく、生まれづらくなった、ということはいえるかもしれません。おカネをとらない弁護士たちが、何で生活できているのかには、そもそも個々人の一般化できない事情や有利な条件がある可能性もあります。しかし、それを脇においても、増員政策による弁護士の経済的激変は、彼らの信念を貫けるだけの、最低限の経済的余裕も奪っていることは考えられます。

     どこまで耐えられるかは、それこそ彼らの信念と価値観に委ねられることですが、依頼者市民にとっては、それこそ手を合わせたくなるような彼らの信念を、貫き難くする方向、いわば足を引っ張る方に、「改革」が作用していることは十分に想像できることです。

     もう一つ、メディアの取り上げ方に関係して、同業者の不安をかき立てている事情を付け加えておく必要があります。それは、日弁連・弁護士会主導層の姿勢が、自己犠牲を前提にしている弁護士像を、弁護士法1条の使命の先に、理想としているように見えることです。そして、それは個々の普通の弁護士として、決して有り難くないアピールを社会に対してしているのではないか、ということです。

     採算性ではなく、あるべき論を前提に、弁護士のニーズを考える。まさに増員政策の失敗につながった発想は、基本的に変わっていないのではないか、と。強制加入でありながら、会費が個々の弁護士の業務にプラスに跳ね返ってきているという実感できない現実につながっているものです。そして、そうした主導層の弁護士自身は、必ずしも「超人」ではない、という事情も付け加わっています(「問われる弁護士会主導層の現実感」 「日弁連の『改革』の発想と会員の『犠牲』」)。

     市川弁護士の記事のなかに「絶滅危惧種」という表現が出てきます。昔も今も彼らのような弁護士は「絶滅危惧種」だったというべきです。また、彼らのように生きて、信念を貫き、感謝されることは、遠藤弁護士に感じたように、傍目にもそれは幸せな人生のようにも思います。しかし、間違えてはいけないのは、それは彼らの個人的な信念を貫く幸福感のうえに成り立つものです。増やせば「超人」も増えるのではないか、という期待感も介入しがちですが、資格業のあるべき論につなげることは、一般の弁護士たちにとってだけではなく、結局、弁護士という資格が成り立つ基盤を根底から揺るがし、そして私たちにとって有り難いはずの、彼らの「信念」も絶滅に導くということは分かっておく必要がありそうです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト



    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士「東京一極集中」と「改革」の矛盾

     弁護士は、顕著に東京一極集中で存在している資格業です。今でも、このことを否定的にとらえる論調に接することがありますが、結論からいえば、この東京一極集中という現象は、司法改革の法曹人口増員政策の前後をとってみても変わっていません。

     日弁連ホームぺージにあるデータによれば、今年7月1日現在の全国の弁護士数4万1109人中、東京の三弁護士会に所属するのは47.6%に当たる1万9585人。「弁護士白書」に基づいて、過去の5年間の同様の数値(各年3月31日現在)を見ると、この間、弁護士の数は全体で毎年1000人―1300人ずつ増えていますが、東京三弁護士会所属弁護士の全体に占める割合は、2014年45.8%、2015年46.3%、2016年46.6%、2017年46.8%、2018年47.1%で、わずかながらですが一貫して増えています。

     ちなみに29年前の「改革」以前、司法試験年間合格者も、弁護士人口も、ともに現在の約3分の1だった1990年をみても、同割合は45.8%。つまり、いくら司法試験合格者を増やし、弁護士の数を増やしたところで、東京一極集中という現実は全く変わっていないことが分かります。

     そもそも「改革」の増員政策の発想には、東京一極集中を含めた弁護士の偏在に関して、ある種の矛盾を引きずってきたといえます。弁護士会内でも、ずっといわれてきた疑問ですが、「改革」の発想は、この弁護士偏在を生んでいる、極めて現実的な弁護士の状況をどこまで踏まえているのか、別の言い方をすれば、これが需要を踏まえた弁護士の合理的な選択結果であるということを、どこまで勘案して、弁護士偏在を解消しようとしているのか、ということです。

     「改革」のバイブルとなった司法制度改革審議会意見書は、「法曹の数は社会の要請に基づいて市場原理によって決定される」という立場をとり、当時の目標だった司法試験年間合格者3000人についても、あえて「上限ではない」と付け加えています。一方で、同意見書は、「『法の支配』を全国あまねく実現する」というレトリックで、その前提として弁護士人口の地域的偏在の是正、いわゆる「ゼロ・ワン地域」(弁護士がゼロか1人地域)解消の必要性を掲げました。

     問題はこの両者の関係です。市場原理によって数を決定するという立場であれば、その市場原理に基づいて生じる(生じている)偏在はどう考えるのか、ということです。あくまで「改革」の発想を成り立たせることを考えれば、とにかく現在の弁護士が目を向けていない(気付いていない)、大量の有償のニーズが、いわば市場原理によって、地方に弁護士が流出するほど眠っている、もしくはそれを増員弁護士が開拓するという前提に立つ必要があります。

     当時、「改革」推進派のなかには、正面から建て前として、こうした前提に立つ人もいましたが、同派の中にも、それに懐疑的な人が相当いました。そして、そういう人たちが言う、弁護士が地方に流れる描き方は、若干違っていました。それは、いわば「押し出し式」というような考え方。つまり、大都市集中で弁護士は飽和状態になり、コップの水が溢れるように、いやでも(採算性、収益性を犠牲にしてでも)弁護士は地方に流れる(だろう)、というものでした。いうまでもなく、それが成立すると描く前提は、それでも弁護士は生きられる(はず)、現状散々儲けている(はず)なのだから、という、相当に感覚的な先入観のようなものも背景にあったといえます。

     いまでも弁護士偏在解消には増員政策が必要であった、とか、増員政策によって偏在は解消に向かった、と括られることがあります。確かに弁護士会の精力的な取り組みによって、前記「ゼロ・ワン」は解消されました。しかし、それを実現に導いたのは、少なくとも前記推進派のいずれの前提によるものでもなかった。以前にも書いたように、これを支えたのは偏在そのものへの純粋な問題意識からくる、弁護士たちの犠牲的な有志の精神といわなければなりません(「弁護士過疎と増員の本当の関係」)。

     強いて増員を関連付けるのであれば、増員によって、そうしたチャレンジャーが相対的に増えたということがいえるのかもしれませんが、それは市場原理が前提ではない。つまり、もっと言ってしまえば、弁護士の偏在解消に社会的な必要性がある、という前提に立つのであれば、市場原理には委ねられない、別の経済的な手当てが必要、という発想に立たなければならない、ということが、「改革」の結果として既にはっきりした、ということなのです。

     東京など大都市に弁護士が集中するのは、経済的な安定性や有利性が見込める大規模事務所が存在していることや、人口の多さに比例して、特定の階層や分野に絞った活動ができる(というか、そうした活動で生存できる)などの理由がいわれています。それこそ市場原理に立てば、こうしたメリットを上回るものを地方にどれだけ求められるか、ということにもなりますし、そもそも東京一極集中そのものが解消しなければならない対象なのか、という話にもなります。

     最近もある弁護士ブログが、弁護士の東京一極集中大都市と、地方での就職減に関する、某法科大学院在学生・修了生のキャリアプランニング支援サイトによる評価の混乱を指摘していますが(「Schulze BLOG」)、これも「改革」路線の引きずる前提の矛盾が反映しているようにみえます。

     法曹を地域で生んで地域で活用する、いわば「地産地消」を描き込んだ地方法科大学院の失敗(「法科大学院制度「執着」が切り捨てているもの」 「『改革』の発想の呪縛」)も含めて、「市場原理」を建て前にした「改革」が、何を無視し、どういう無理な前提で成功を描いたのかが、改めて問われるべきです。


    地方の弁護士の経済的ニーズについてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「志」を持った志望者にとっての「改革」

     法曹界の人と話していると、今でも法曹志望者には「弱者のために働きたい」とか、「市民の役に立つ仕事がしたい」という動機で、この世界にくる人が多い、ということを強調される声に出会います。統計的な裏付けがあるとかではなく、多くは印象的な話ではありますが(そもそもアンケートでの回答があっても、それが本音かは別として)、おっしゃっていることは分からなくもありません。

     そして、少なくともいまだ社会的な意味でも、弁護士はそうしたイメージが被せられやすい仕事であることも間違いありません。

     しかし、今の弁護士の現状を生んだ「改革」を肯定的に捉えている業界関係者が、そうしたニュアンスのことを強調し、それを「まだまだこの世界は捨てたものではない」という響きを持って、それを業界の未来への期待につなげるような言に出会うと、正直複雑な気持ちになります。端的に言って、この「改革」が、少なくともそうした志を持った人材にとって、以前より生きやすい世界を創った、あるいは創ろうとしている、とは、とても思えないからです。

     これまでも書いてきたように、弁護士の増員政策は、弁護士に一サービス業としての自覚を与えると同時に、「生き残り」ということを至上命題として強く意識させることになりました。有り体にいえば、それを意識しないで前記志にまい進してきた人材の「価値」よりも、その志を持たず、金儲けをする人材が、「あぐらをかいてきた(いる)」環境が、「改革」推進のなかで問題視され、ある意味、怨嗟の対象になった。

     ただ、「改革」の結果をみれば、後者のメリットがはっきりしないまま、前者のデメリットだけは、はっきりしてきた、といえないでしょうか。もちろん、「生き残り」がかかった現役弁護士の「覚悟」自体は、だれも責めることはできない。しかし、「改革」によって負の影響を受け、ある意味、見捨てられたのは、前記志であり、その志を持った志望者であり、そして、そうした志を持った人材に助けられてきた(助けられるはずだった)市民であるということもいえるはずなのです。

     法曹養成にしても、さらにその中でさんざん言われてきた「多様性」にしても、結局、そうした志をもった人材が志望しやすい、ということが、本当に配慮されていたようには思えません。だからこそ、そうした志がありながら、条件として断念した人材が沢山いる。こういうことを言うと、必ず「それは他のの職業でも同じ」「旧試でもそうだった」という意見が返ってきます。しかし、「改革」によって、少なくともそこがより配慮され、より前進したようには見えない。だからこそ、「改革」肯定論のなかで言われる冒頭のような言には、ある種のご都合主義を感じてしまうのです。

     それは、「改革」が志望者と社会に何を期待させたのか、という問題でもあります。改めていうまでもなく、増員政策は、増やしても弁護士が、およそ生存に困るような状況を連想させない、莫大な潜在ニーズの顕在化を期待させ(というかそれを前提とし)、「市民の身近になる」ことや「利用しやすくなる」ということの強調によって、より前記志が活かされる環境の誕生を期待させました。

     新法曹養成は、法学未修者に力点が置かれ、これまでよりも、そうした志をもった社会人を含めた人材が資格を採れる制度と、増員政策とあいまって、これまでよりも「法曹になれる」という環境の登場を期待させました。もちろん、旧試に比べて司法試験の合格率は上がり、法曹になれる人材は拡大した。しかし、その分、旧試にはなかった、経済的な負担という参入規制は、前記増員政策の失敗による弁護士の経済環境の悪化での、リターンの期待を奪ったことで、残念ながら志をもった志望者にとって、良化を実感できるものとはならなかった。

     もちろん、日弁連・弁護士会は、一貫して、そうした志ある志望者に期待し、彼らのことを考えている、と強弁する人もいるはずです。しかし、今回の日弁連総会の宣言を見ても、日弁連ホームページでずっと貼られている、「活躍の場」アピールを見ても、それが現実的に間違っていないことだとしても、これらの業界の期待感が、前記「改革」が生んだ志を持った志望者たちへの答えとして、どこまで受けとめられるのかという気持ちになるのです。

     こういう生き方もある、という「可能性」の例示、こういう分野のニーズがあるから、人材の裾野を広げていく、というアピールに、もちろん意味がないわけではありませんが、「これから来る人はこういう条件で」ということだけが伝わり、当初強調されたような、市民に寄り添える環境とか、志望者側の志をできるだけ断念しなくていい制度づくりに、業界が取り組むという発想は、後方に押しやられている印象を持ちます。

     志望者は、いかに業界が期待を煽ろうとも、大方、状況を見抜き、本人にとって適正な選択をしているし、だからこその志望者減である、という人もいるもしれません。しかし、その一方で、「改革」をめぐる業界側の微妙な動きでも、志望者はやはり期待し、その都度反応する部分もあります(「Schulze BLOG」)。

     いまだに社会に根強く残っている、弁護士の良いイメージの「貯金」に頼り、「生きやすさ」「志望しやすさ」という点での「改革」のメリット・デメリットには、こだわらない、という業界が、本当に志望者の期待感につながるのか、そして、新たな被害者を生まないのか、という点は、いつになれば直視されるのでしょうか。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「ネガティブキャンペーン」の正当性をめぐる視点

     「改革」がもたらしている経済的環境を含めた弁護士の現実に関する発信に対して、相変わらず「ネガティブキャンペーン」という烙印を押す指摘が聞かれます。かなり以前にも書きましたが、もともと弁護士志望への敬遠傾向につながることを懸念する文脈で語られてきたものでした(「弁護士の『ネガティブキャンペーン』」)。

     しかし、以前はどちらかといえば、この指摘は、弁護士の魅力をもっと発信せよ、という発信自体のアンフェアさを問題視することに力点が置かれているようにとれました。ところが、最近は志望者減という、法曹界が現在抱える深刻な問題の主因は、この「ネガティブキャンペーン」である、ととれるような文脈で登場することが多くなったという印象を持ちます。

     そもそも明らかに弁護士の経済的価値の下落を生んだ「改革」の現実を伝えることが、事実に反する、あるいはアンフェアに誇張した「ネガティブキャンペーン」といえるものなのか、さらにはそれを発信する行為自体が「ネガティブキャンペーン」と称されるような、妥当性を欠いた不適切な行為なのか、について、突き詰めた議論がなされてきたわけではありません。

     弁護士増員政策の需要を見誤った失敗、法科大学院制度の成果や弁護士の現状に見合わない負担といったことを無視して、弁護士の一部やマスコミが「ネガティブ」に業界を描いていなければ、志望者減は今のようになっていないというのは、それだけでいかにも無理がある、と、片付ける人もいるとは思います。

     しかし、あえて付け加えれば、今の志望者減という状況に照らすと、この「ネガキャン」批判は、(知ってて言っているのか、知らないのか分かりませんが)前提的な認識に決定的な誤りがあるようにとれます。同批判論者は、必ずといって、この問題で、「食える食えない」論争を取り上げます。つまり、弁護士の一部やメディアがこぞって、弁護士は食えない、食えない資格になったと取り上げた、と。当然、そこには、トーンはさまざまながら、「本当はそんなことはない」「食えている弁護士も沢山いる」「工夫次第では今でも食えている」「今後、まだまだ食える余地がある」というニュアンスの反論がくっついています。

     ところが、志望者減につながっている資格の経済的価値の下落とは、おそらくそういうことではなく、少なくともそこに収まる話ではありません。以前も少し書きましたが、端的にいえば、問題は「食えるか食えないか」ではなく、以前のように「恵まれた資格かそうでないか」。つまり、資格そのものが、以前のように時間的経済的コストに見合うほど、「恵まれたもの」ではなくなっていること、そのものが問われている、という否定し難い現実があるです。

     そのレベルから考えると、前記列挙した「実は食える」、といった「ネガキャン」批判論の認識そのものが、効果を生まない空虚なものであり、そうしたレベルで語られる資格になったことそのものが、あるいは志望者にとって、当然の敬遠理由につながってもおかしくないことなのです。

     こういう言い方をすると、前記批判論の方々の中には、弁護士の職業的魅力からすれば(それがちゃんと伝われば)、ちゃんと「食える」というレベルでも志望する人は沢山いる、というニュアンスの認識を示される人もいます。これ自体、多分にこれまでの人気商売幻想(信仰)に寄りかかった発想ともいえなくありませんが、全面的に否定することもできないかもしれません。

     しかし、少なくとも将来的な進路について、いくつもの選択肢がある若い、優秀な志望者予備軍のなかには、やはり自分にふさわしい処遇や経済的な将来性を期待する人がいることは、批判論者の方々も分かっているはずです。法科大学院制度を中核とした新法曹養成の経済的時間的先行投資の重さの、志望者にとっての「価値」は、資格者後のリターンの問題を抜きには語れません。それは、社会人志望者を含めて、彼らにリスクの問題としてのしかかっています。ただ、そこをまるで「元が取れるかどうか」のような、最低ラインの話でするのは間違いです。先行投資をする、リスクをとるだけの、「恵まれた」結果が待っていなければ、やはり結果は変わらないのではないでしょうか。

     はなから「そんな人は来なくていい」という捉え方もあるかもしれませんし、現にそういうニュアンスにとれる発言も時々耳にします。ただ、もしそうだとするのであれば、今の志望者減をそこまで深刻にとらえず、より優秀な多くの人材に志望してもらいたいという方向も目指さず、現在のような経済的状況と彼らのいう魅力をフェアに伝え、この負担でもリスクでも、そしてリターンでも、それでも「魅力を感じる人」「チャレンジする人」を待っています、でいくしかないのではないでしょうか。

     数を増やして競争・淘汰させるとか、それが良質化や低額化を生むとか、はたまた法科大学院制度維持のために学生を確保したいなどという話は、もちろん一旦棚上げして、この制度とこの現実で、それでもこの世界を目指す人材で、法曹(界)がどうなるのか、を試してみるというのであれば。

     「もっともっと志望者から敬遠されなければ、『改革』主導層は分からないのではないか」。こう語る「改革」反対・慎重論者がいます。その意味で、逆に批判者が言うような、「ネガティフキャンペーン」はもっとなされていい、という人もいます。その一方で、最近、志望者減の下げ止まりが見えてきたとか、弁護士の状況にも少しずつ明るい兆しが見えてきているというニュアンスの発言が聞かれます。

     しかし、志望者予備軍と社会にとって、本当に有り難くないのは、この「ネガティブキャンペーン」か、それとも「ネカティブキャンペーン」へのネカティブキャンペーンなのか、そこは今こそ、しっかりと見定める必要がありそうです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    魅力発信期待論が無視するもの

     日本組織内弁護士協会が今年2月に会員を対象に実施した企業内弁護士アンケートの結果が、同協会のホームページに掲載されています。そのなかで、現在の勤務先を選んだ理由を尋ねた設問への回答結果は、複数回答可で、以下のようになっています。

     ①「現場に近いところで仕事がしたかった」59.5%
     ②「ワークライフバランスを確保したかった」57.1%
     ③「収入を安定させたかった」32.8%
     ④「その会社で働きたかった」29.6%
     ⑤「その業界で働きたかった」27.8%
     ⑥「ほかに就職先がなかった」12.4%
     ⑦「提示された報酬が高額だった」8.0%
     ⑧「所属事務所から出向を命じられた」0.3%
     
     同協会が例年行っている調査ですが、これまでの結果を見ても、多少の順番の入れ替えがあっても、この設問への回答全体の傾向は大きく変わらず、とりわけ①②の回答の多さが例年目立っている印象です。ちなみに現在公開されている最も古い2013年の結果と比べると、増加しているのは①②⑥で、それぞれ①14.1ポイント、②6.3ポイント、⑥2.4ポイントの各増、他の減っている回答のうちでは⑤が11.0ポイント、④10.8ポイントの各減となっています。

     この結果でみると、①④⑤の理由は、組織内以外の弁護士の状況との関係性が比較的薄い理由ととることができ、同時にそういう選択理由が一定数存在していることを明らかにしているともいえます。別の言い方をすれば、組織内か、それとも従来型の事務所勤務、とりわけ町弁あるいは独立志向という選択のなかで、「改革」の影響で後者の状況が大きく変わったことや、さらには今後の改善如何にかかわらず、選択理由となる(なってきた)可能性が高いものということです。

     逆に、弁護士の供給過剰状態を含め、状況の改善によって、彼らの選択を組織内から外に振り戻す余地があるとすれば、より②③⑦に訴えるしかない、ということになります。もちろん、複数回答でもあり、この結果だけから、すべてを読み取ることはできず、個人にとって何か選択の決定的な要素になるのかも分かりません。

     しかし、やはり少なくとも組織か、それ以外か、という選択の岐路に立った、「改革」後の若手弁護士たちにとって、「ワークライフバランス」「収入の安定」あるいはその「多寡」が、選択の判断材料として重要な要素であることが示されています。

     なぜ、今このことを改めて取り上げたかといえば、弁護士の仕事の魅力をもっと訴えよ、として、そこにあるいは志望者の回復を期待しているように見える人々には、この若手弁護士たちの本音ともいえる、こだわりどころが本当に目に入っているのか、という気持ちになるからです。本来的な弁護士業務そのものの魅力を訴えても、その効果をどのようにとらえているのかということへの疑問ともいえます。

     しかも、それが今、弁護士会がこの増員基調の「改革」の中で、実績的に最も「受け皿」としての伸び代があり、そしてそのことから今後への期待をアピールしている、「組織内」という分野での、志望者の判断要素として、これほどはっきりとした事実があるにもかかわらず、です。

     そして、さらにいえば、こうした発想に立つ限り、「組織内」以外の弁護士志望を真剣に回復させるために、今、何にこだわらなければならないか、そしてそれはとりもなおさず、供給過剰を早急に何とかしなければならないのではないか、という発想も後方に押しやることに繋がっているようにとれるのです。

     有り体にいえば、一方で前記したような志望者の本音ともいえる選択理由が分かっている分野を、弁護士の将来的進出期待分野と位置付けながら、その一方で弁護士過剰状態の継続と、それが生み出している経済的魅力の低下をそのままに、その余の魅力発信で、志望者を引き付けたい、なんとかしたい、という発想の、矛盾ともいうべき状況です(「弁護士の『魅力』をめぐる要求が示すもの」 「『自由業』弁護士の終焉」)。

     もっとも「努力次第でなんとかなるはず」と聞こえる、当たり前の、もはや何も言っていないのと同じように語られる弁護士の将来的可能性については、会内でもまともにとらえていない人が少なくありませんし、中には「もはや町弁は見捨てられている」という声もあります(「『町弁』衰退がいわれる『改革』の正体」)。嫌味な言い方になるかもしれませんが、それが「改革」あるいはその主導層の、本音であるというのであれば、もはや矛盾とはいえないのかもしれません。そして、それもきちっと見抜いている志望者の現実が、冒頭のアンケート結果に反映しているともいえなくありません。

     しかし、そうなると問題は、志望者回復のための、弁護士の魅力発信の効果もさることながら、最も市民の身近であるはずの町弁が見捨てられていることを含めて、やはり「市民のため」であるはずの「改革」の「価値」へのこだわりそのものを問わなければならなくなります。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR