弁護士「資格」必須度というテーマ

     今回の司法改革で生み出された法科大学院を中核とした新法曹養成制度の発想について、かつて法知識の集中型モデルであると指摘した学者がいました。それは、専門家以外に法知識が分布せず、素人とプロの壁がはっきりしている世界であり、企業にも、中央官庁にも法知識を兼ね備えた優秀な人材がいる、これまでの日本の拡散型モデルとは、基本的に異なるものを目指したのだ、という見方です(「『事後救済型社会』と法科大学院の選択」)。

     この論を敷衍して、新法曹養成と結び付いた弁護士増員政策をひっくるめてこの「改革」の発想を改めて見ると、それは法曹資格、(少なくとも当初は)とりわけ資格者としての弁護士に、法的ニーズの受け皿としての役割を集中させるものであったようにとれます。有り体にいえば、法的な問題のあるところ、何でも弁護士が乗り出す世界、それが望ましい世界であるという描き方です。法科大学院という新プロセスを通過し、法知識を集中化させたプロたちに、資格者として役割も集中させる、という発想だったといえます。

     「改革」のバイブルとされた司法制度改革審議会の最終意見書が、いわゆる弁護士の隣接士業の活用を挙げながらも、弁護士増員達成後に仕切り直すというニュアンスで、その恒久化にクギをさすような微妙な表現をとったこと、そもそもこの国の法的ニーズの受け皿を弁護士を含めた法律系士業総体でとらえず、膨大な弁護士増員に突き進んだことをみても、既定方針化したその集中化の発想を読み取ることができます(「司法書士にとっての弁護士激増」)。

     なぜ、そうでなければならなかったのか――。必ずしも唯一の選択肢ではなったはずのこのことについて、「改革」論議の当初から、不思議なくらい突っ込んだ議論がされてこなかった現実があります。前記司法審意見書は、事後救済社会の到来と法曹の役割増大を、疑いようもないかのごとく大前提にしています。そのことが「改革」の根本的な発想に影響したととれる面はあります。

     それと同時に、弁護士自身がこの「改革」に主体的に関与したという事実も影響しているようにとれます。弁護士万能論のごとく、弁護士に役割が集中する未来を、望ましく、魅力的に感じた「改革」主導派の方々がいたということです。そして、その彼らの意識こそが、そうした世界が本当に実現するのかという、可能性への詳密な分析を飛び越えて、根拠なき膨大な増員政策を受け入れ、そして失敗につながった一因ともとれるのです。

     「弁護士がやらなくてもいいのではないか」。いまでこそ、こうした類の言葉が会内からもよく聞こえてきます。訴訟代理権、法知識、法令解釈能力が、この「資格」によって担保されるということが、役割集中化の基本的な根拠になるはずですが、企業などの組織が求める人材をはじめ、弁護士の活用先として挙げられている場面で、どこまでが必須条件なのか。少なくとも国家にも、個人にも投資を求める大規模な強制プロセスを経て得られる「資格」で担保されなければどうにもならないのか、果たして他に選択の余地がないことなのか、という疑問が生まれているのです。

     「図書館にも弁護士を」という話あたりから、首を傾げはじめた業界関係者も少なくないようにみえます。「法曹有資格者」という言葉の登場(「『法曹有資格者』への変化」)で、「改革」の射程があいまいになると同時に、弁護士という「資格」の必須度があいまいになり、見方によっては弁護士増員政策の梯子は、この時点で既に外されたととっても不思議ではありません。

     ここでさらに気になるのは、この時点での弁護士生き残り策との関係です。増えてしまった弁護士が、生き残りをかけてさまざまな工夫をする。そのことをメディアが、弁護士の可能性として伝える。ただ、それは当事者にとって意味のある可能性でも、これから弁護士になろうとする人間にも果たして同じ意味を持つのかどうか、という点です。なぜ、そういうかといえば、そこには、前記したような弁護士「資格」必須の根拠、時間とおカネを投入し、不合格のリスクを負ってまで目指す弁護士でなければならないのか、という問題が、巧みに隠されているような感じを受けてしまうからです。

     「弁護士起業 ITが後押し 『リーガルテック』広がる」

     こんな見出しで、4月24日付けの日本経済新聞が報じています。大手の法律事務所や民間企業などで勤務経験がある弁護士がスマホアプリやオンラインサービスの事業を展開している話が紹介されています。「IT(情報技術)を駆使して法律関連サービスを提供する『リーガルテック』の市場が広がり、弁護士の活躍の場が広がっていることが背景にある」としていおり、登場する弁護士のコメントの抜き方を含めて、この分野での弁護士のチャレンジの将来的な可能性について、非常に肯定的に伝えている記事です。

     こうした弁護士のチャレンジにスポットを当てた記事には、そもそも一般化できない「生存バイアス」的な匂いがつきものであり、その当事者の志向や資質によっても差し引かねばならないものがあるように感じます(「『ビジネス』が強調される弁護士の魅力度」)。そして、少なくとも現在弁護士でない人間からすれば、この記事もまた、本当に「資格」としての弁護士を経由しなければ、たどりつけないところに、ここに登場する彼らがいるのか、その説得力のようなものが決定的に欠けているように思ってしまうのです。 

     記事の最後に、ある種奇妙にも感じてしまうこんな記述があります。オンライン事業を手掛けているある若手弁護士の言葉を抜いて、「『ITで何かをしたいという自分のような弁護士は増えるはず』と、後に続く若手弁護士の登場に期待をかける」という一文で、記事は締め括られています。しかし、そのすぐ前に、この記事は、やはりその弁護士の発言を抜いたこんな一文が載せています。

     「今はビジネスの楽しさにどっぷりとはまり『弁護士の仕事には絶対に戻らないと断言できる』ほど」

     やはり、弁護士の資格を持ちながら、弁護士の仕事ではないという意識と、それに絶対に戻らずにビジネスを楽しむことに価値を見出せる人材こそ、この記事が描いて見せた可能性なのか、といいたくなるオチというしかありません。

     ただ、こうした記事をたとえ、弁護士をこれから志望先にするかどうか検討している人が目にしたとしても、もはや安易にこれを受けとめてしまったり、その気になる人は少ないはずです。それならば、リスクを冒して弁護士にならずとも、法律を勉強しながら、はじめから企業や公務員を目指してもいいのでは、と考えてもおかしくありませんし、起業にしても、弁護士という「資格」をどうしても経由しなければたどりつけないと読みとるようには、とても思えないからです。

     分かっていないのは、むしろこうした可能性のアピールで、まだ「資格」としての弁護士を目指す人間たちが返ってくると考える人たちの方ではないでしょうか。これが実は役割集中型を目指した「改革」の失敗の結果として、「なんとかしなければならない」状況から逆算されたものであり、それがまだ、この世界に踏み込まないで済んでいる人たちの目にどう映るのかも、きっと彼らは十分に分かっていないのです。


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    判決偽造という弁護士の病

     民事訴訟にかかわることになった市民の話の中に、強烈な疑心暗鬼の声を聞くことが、これまでもしばしばありました。典型的なものは、相手側当事者とその弁護士、それに味方であるはずのこちらの弁護士が水面下でつながり、結果的にこちらの意向に沿わない結論を導き出そうとしている、という強い被害者意識です。

     民事訴訟であれば、弁護士は、もちろん依頼者の意向を十分に汲み上げ、法律的に主張し得る有効な論理を展開する一方、依頼者に対して、現在の状況、法的な落とし所を含めた見通しについて、十分に説明あるいは説得しなければならない局面もあります。そうした第三者からみれば、弁護士として明らかに、はみ出しているとはいえないような行為でも、当事者にはまるで別のもののように、怪しくみえてしまう。

     そのなかには、単純に弁護士という仕事そのものが分かっていない、誤解しているととれる場合も少なくありませんが、時にそれはこうした裁判という体験したことのない非日常に接した普通の市民が陥っている、特殊な心理状態からくるのではないか、と思えることもあったのです。

     有り体にいえば、何を信じていのか分からないという状態。法律も分からない、裁判も分からない、自らの人生や財産にかかわる重大な案件が決定付けられる手続きが目の前で繰り広げられていながら、当事者である自分がまるで蚊帳の外に置かれ、分からないままに第三者に結論を出されてしまう孤独感と無力感。信じたい気持ちに疑いの影が忍び寄るのは、そうした依頼者の置かれた心理状態からすれば、何も不自然なことではないようにも思えます。

     「判決が弁護士によって偽造されたのではないだろか」

     実はこれまで依頼者市民と話すなかで、こうした声を聞いたことが複数回ありました。事実関係を聞いても、そもそも私が判断できる材料はないとはいえ、正直、「まさかそこまでは」という気持ちがあったことも否定できません。結局、こちらとしては、どちらにしても確証がないままに、前記心理状態を被せて、この話をそのなかでとらえてしまったように思います。疑心暗鬼のなかの、受け入れがたい現実に対する特殊な心理状態の反応として。

     あの時、あの依頼者たちの声に、あるいは別の対応をすべきだったのか――。そんな気持ちにさせるニュースが報じられています。兵庫県弁護士会所属の37歳の弁護士が、民事訴訟の判決文2通を偽造したとして、会が綱紀委員会に調査を求めたというものです。報道によれば、依頼者に依頼された訴訟の提訴手続きを放置、それがバレないために判決を偽造。弁護士本人もその事実を認め、裁判所に偽造を申して出ているといいます。

     改めて見直してみれば、弁護士による判決偽造は、実はこれまでも度々報じられていました。▽2013年~15年、顧問先企業から依頼された裁判の処理を放置し、発覚を恐れた50代の大阪弁護士会会員(当時)が判決文など5通偽造し、預かり金2806万円着服(2016年有印公文書偽造・同行使、業務上横領で1審懲役3年の判決、控訴)▽2003年都内IT会社の女性従業員から未払い賃金問題で訴訟の相談を受けていた30代の東京弁護士会会員(当時)が発覚を恐れ判決文を偽造(この弁護士は偽造判決文の支払い命令に合せて、会社に代わり自腹で未払い賃金を従業員に支払っていた)▽2000年~04年仕事を抱え過ぎ処理しきれなくなり、依頼者を納得させるために50代の大阪弁護士会の女性会員(当時)が判決文など37通を偽造(有印公文書偽造・同行使等で1審懲役1年6月)▽2001年倒産会社の債権回収に絡み、事件放置を隠すため、40代の札幌弁護士会会員(当時)が架空の訴訟の判決文を裁判所に提出。

     少なくともこれらの案件に共通しているのは、依頼した事件を放置し、その発覚を恐れて偽造に手を染めるという動機です。こうした案件について、同業者に聞いても、それこそ偽造の方の発覚のリスクを考えたならば、なぜ、そんなことができるのか理解できない、という答えが大方返ってくることになります。これは、他の不祥事ついても、ほとんど共通する答えだけに、結局、不祥事に手を染める人間にしかその気持ちが分からない、言われているのと同じになってしまいます。

     事件放置で懲戒案件になる痛手を回避するために、その場しのぎでやってしまった、ということかもしれませんが、東京弁護士会会員のケースのようにあくまで偽装するために、自腹で判決内容に沿って支払いまで行っていたとなると、そこまでする彼らの中の位置付けが全く分からなくなってきます。

     冒頭に書いた依頼者の疑心暗鬼のなかでいわれる、依頼者にとって不利な状況を意図的に作るために行われたというストーリーとは、若干違うものとはいえます。経済的に余裕がない現実が、こういうところにしわ寄せとなって表れているという見方もできるかもしれません。だが、一番重要なことは、やはり意識においても技術においても、その気になれば、弁護士が判決文を偽造できてしまう、という現実そのものです。判決を書き換えてしまう、という、法律で紛争解決に当たる人間が、その土俵を根底的にひっくり返すような行為を、どんな理由であれ、できてしまうということ――。

     記憶が正しければ、札幌弁護士会会員の案件で札幌地裁が告発した際に、弁護士による判決文偽造の前例がない、とする裁判所側の話を新聞の記事が紹介していました。その事実が正しいかどうかは分かりませんが、弁護士という仕事にとっては前例がない、ことこそに意味があった。そして、実例はさらに積み重ねられつつあります。

     そのことは、冒頭の依頼者が陥る疑心暗鬼の心理にも、ますます悪い影響を与えるはずです。


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    「処遇」をめぐる弁護士の自信とその変化

     弁護士を激増させた暁に、いわれているような潜在需要が顕在化しなかったとしたならば、どうなるのか。そのときに弁護士という資格そのものの、「市場価値」が下がってしまわないのか――。1990年代後半から2000年代初頭、さかんに「改革」が論議された時代に、当時、増員の必要性を声高に主張していた弁護士たちに、何度かこうした趣旨の質問をぶつけました。

     結論から言えば、彼らの中に、そのことに対する危機感はほとんどなかった、少なくとも表向きそれをにじませる回答を彼らから聞くことはありませんでした。経済的な価値が下落し、資格が見離される時代、もはや独立開業型の資格でもなくなる未来への危険性について尋ねた、今でも増員必要論を唱える企業系の大物弁護士は、当時、私の問いに一言、「そうなったらば悲しいね」とだけ答えました。そんなことはあるわけない、と言わんばかりの態度でした。

     彼らの表向きの自信の根拠は、一体、どこにあったのでしょうか。正直、今にしてみれば不思議な感じではありますが、まず、需要の顕在化を信じていたという面(それも本心からすれば不安があったかもしれませんが)はあるように思います。数が増えるほどに需要が掘り起こされるという発想は、まさに鉱脈にたどりつくには鉱夫が必要という、需要があるどうかを脇においた開拓論と増員必要論の一人歩きを生みました(「『大鉱脈』論失敗という経験の活かされ方」)。

     ただ、彼らの自信には、前記発想の基礎部分にあるような、別の思いをみることができました。それは、端的いえば、自らがこの社会で絶対に必要とされる、という強い確信です。それは当時の弁護士という仕事に対する「人気信仰」ということもできなくありません(「弁護士『人気商売信仰』の破綻と『有志の犠牲』」)。

     しかし、今になってみれば、そこには別の意味があったことにも注目すべきです。それは「処遇される」ということ。彼らの必要とされるという自信は、当然に社会から高く「処遇される」はずということに裏打ちされていたのではないか、ということです。やはり、この資格の経済的「価値」が、社会的な「評価」において、常に高いものとして維持されるだろう、という見通しがあったということです。

     「私たちにおカネが投入されない、ということは、社会がそれだけこの資格に『価値』を認めていないということだ」。最近、弁護士たちの口から、異口同音に、こうした諦め、というよりは、むしろ同業者の認識を改めることを促すような言葉を聞きます。法テラスでの低い処遇や、無料化の中での社会の反応など、「改革」がもたらした結果から、弁護士という仕事への前記したような自信を見直すべきではないか、というニュアンスにとれる言葉です。

     会内で時々聞かれる、弁護士は社会の「インフラ」である、という捉え方に対しても、前記ニュアンスの言葉は向けられます。「インフラ」ならば、社会はもっと弁護士を厚遇しているのではないか、と。「社会の隅々」に弁護士が進出するという前提も、結局、その「社会の隅々」で弁護士が拍手をもって迎えられ、おカネが投入されるということを想定しているのならば、それは誤りではないか、ということにもつながります。

     要は、そういうことを当たり前に考える前提をやめよう、という提案になります。この先の持って行き方としては、だから努力が必要だ(努力をすれば、克服できる)というものもありそうですが、そうではなく、弁護士はもはや、そうした高い処遇を当然の前提にする仕事ではない、その現実を受けとめようという方に力点があるようにとれます。

     ただ、いうまでもありませんが、社会的に「価値」がある仕事で、それにふさわしい経済的価値が付与されていない、いわば妥当な評価がされていない仕事は、この世界に沢山あります。たがら、厚遇されないことをもってして、社会的な「価値」がない仕事なのだ、ということには異論を唱える方がいても当然です。不当に厚遇されない仕事は、もちろん社会が見直していかなければなりません。

     今の多くの弁護士、「改革」の結果を知ってしまった彼らに、冒頭のかつてのような「自信」が存在しているようにはみえません。不当に厚遇されているとみられた弁護士という仕事は、「改革」によって、いつのまにか不当に厚遇されない仕事になったと感じている人もいるはずです。ただ、弁護士が妥当に処遇されることは、彼らの生き残りにかかわるだけでなく、結局、成り手の問題を含めて、利用者に返ってくる問題なのです。それでも弁護士はやっていける、儲けている、という片付け方は、弁護士を甘やかしているか否かの問題よりも、そういう社会の認識を阻害するという点を、私たちはちゃんと理解しておくべきです。 


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    「ビジネス」が強調される弁護士の魅力度

     かつて日本の多くの弁護士が、自らの仕事と結び付けられることに抵抗があった「ビジネス」という言葉は、いつのまにか彼らのなかで、あるべき覚悟のように語られるようになりました。弁護士はビジネスではない、といえば、そんな覚悟では当世生き残れない、頭が古いという批判が同業者から即座に返ってきてもおかしくない。ビジネス系の弁護士からは、かつて「弁護士会内では肩身が狭い」といったマイナー感をにじませた言葉を異口同音に聞いてきただけに、そこには、やはり隔世の感があります。

     以前も書いたように「サービス業」という言い方も、弁護士は「覚悟」としていまや極一般的に使うようになっています(「『サービス業』という決意と覚悟」)。同じ意味合いで使われているようにもみえますが、こちらがジャンル分けとしての言い方であるとすれば、「ビジネス」にはもっとアグレッシブなものが込められているようにもとれます。この言葉が強調されるとき、おカネ儲けや採算性の追求というテーマに対して抵抗感を引きずる弁護士の業態に対して、より批判的に、新しい覚悟を求められてきた、ともいえます。

     そして、「弁護士が何でビジネスではいけないの?」という、初めから旧来の弁護士とは違う発想の、その意味では過去と隔絶した人材もまた、弁護士の世界にやってきていることも事実です。

     しかし、もし「ビジネス」という言葉が、弁護士としてやっていくために必要な「覚悟」として発信されているだけなのであれば、実はこれからこの世界に来ようとする人間にアピールする効果は、実は限定的なものではないか、と思います。つまり、「ビジネス」というのであれば、弁護士が「ビジネス」として、どれだけ魅力的なものであるかが語られなければ、そもそも弁護士という仕事が選択されるとはならない。少なくとも前記のようなアピールでは、積極的な選択の材料にはならない、ということです。

     「ビジネス」として、新規参入、しかも未経験者が参入したくなる条件を考えれば、当然、採算性の効率、需要への見通し、安定性を担保する一応のモデル、そして、肝心のそれを自らのものにできる道筋が、より見えていることが当然プラス評価の材料になります。しかも、弁護士の場合、新法曹養成制度による法科大学院というプロセスの強制化によって、時間的経済的な先行投資を強いられているというマイナス条件が加味されています。

     給費制や志望者減問題とも絡めて書きましたが、要は弁護士として「やれるか」「やれないか」ではなく、積極的な妙味が、しかもビジネスとして(つまりはより効率よくおカネ儲けにつながる商売として)、アピールできるのかどうかということです。

     前回ご紹介した2月25日付けの週刊ダイヤモンドの特集「司法エリートの没落」では、弁護士ドットコムやアディーレのトップを、まさにビジネス感覚で弁護士業界に新たな地平を切り拓こうとしているパイオニアのような扱いでスポットを当てています(「『司法エリート没落』記事の限界」)。記事は、こう言います。

     「彼ら風雲児に共通するのは、世間のニーズがどこにあり、どうすればそのニーズを満たすことができるのか、という野心的な常識破りのマーケッテイング思考を持っていることだ」

     とりわけ、登場する三人の弁護士のうち、特に興味深い発言をしているのは、アディーレの代表である石丸幸人弁護士です。彼は自らは「マーケッター」であるとし、事業をやりたくて、弁護士界を「有望なマーケット」みて、この世界にきた。ただ、彼は言います。

     「僕はマーケッターですから、市場が有望でなくなったら、次の市場に移ります。注目はやはり医療。弁護士業界はしょせん5000億~6000億市場ですけど、医療は年間70兆円ですからね。それで北里大学の医学部に通っているんですよ。純粋に医者になります」

     このあと彼は、そのこととアディーレとのシナジーについての問いかけを「ない」と笑い飛ばしています。彼らが確かに弁護士として先駆的なビジネスモデルに果敢に挑戦している「先駆者」であり、成功者であったとしても、そこに必ずしも後進がこの世界を目指し、あとに続くようなモデルが提示されたとはいえません。しかも、マーケッターを自認する「先駆者」の一人は、既にこの世界をビジネスの「妙味」としては見切っているような発言をしています。彼の発言は、そもそもこの企画にふさわしかったのか、疑いたくなるくらい弁護士や業界の未来からは、もはやはずれているのです。
     
     弁護士という仕事は、ここに登場した弁護士たちのように、もともとが「ビジネス」の発想をもったものこそが集まる世界になっていく、とみるべきなのでしょうか。しかし、「先駆者」である彼らも、また、「ビジネス」の成功者として、後進が続きたくなるような、そして、他のビジネスのなかで弁護士を選択したくなるような、材料を与えている存在にもみえません。

     そして、もっといってしまえば、弁護士の志望者たちは、必ずしも彼らのような発想の持ち主ではないだけでなく、依然、本音では彼らのようにならずともやれる弁護士スタイルを求めているかもしれません。志望者たちの中には、資格さえとれば、なんだかんだいっても、かつてのような自分のなかのイメージとしてある、独立系自由業として魅力のある存在になれるはず、と信じている人たちもいるようにみえます。かつてのこの資格の安定性に比する、この仕事の魅力は、今後、どこに見出せるのでしょうか。

     新しい時代に必要にされる弁護士になれない人間は、この世界に来なくていい、という声も聞こえてきそうです。しかし、「こういう弁護士ならばやっていけます」「いまやこういう発想でないと弁護士にはなれません」というアピールで期待できるのは、そこにビジネスチャンスを見出す新人の獲得よりも、現実的には、こういう世界にはやたらにこない方がいいという戒め効果の方です。それももはや、実害を考えれば、成功者による「生存バイアス」のようなもので魅力が語られるよりは、ずっと健全であるようにも思います。


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    「兼業」弁護士の魅力が語られること

     日弁連はどうやら弁護士の兼業を推奨するらしい、という話を聞いて、何事かと思えば、3月14日に開催される予定のシンポジウムのこと。タイトルは「聞いてびっくり!多様な弁護士ライフ」。日弁連ホームページのイベント案内には、こんな風に書かれています。

     「本シンポジウムは、弁護士としての仕事以外の分野においても活躍している弁護士をパネリストに迎え、弁護士の仕事のみにとらわれることのない各自の“夢”の実践の在り方を紹介し、提案するものです」

     どうも弁護士のなかにも首を傾げている方は少なくないようですが、正直、この一文を見ると、なおさら奇妙な気持ちになります。一体、主催者である日弁連は、どういう方向のアピールをしたいのか、という疑問が湧いてきてしまうからです。

     弁護士の増員政策によって経済的な魅力が減退している、少なくともそう社会に受け取られはじめているなかで、弁護士会内からはこの仕事の魅力を発信せよ、という声は聞かれます。それは、ある人にとっては、経済的魅力はチャンスとして残っていると言い続けることであったり、また、ある人にとっては、経済的なことだけではない、この仕事の持つ意義や「やりがい」のアピールの必要性であったりします。

     当否は別としては、それはまだ理解できます。しかし、ここで語られようとしているのは、直接的なこの仕事の魅力ではなく、「弁護士の仕事のみにとらわれていない」人の夢の実践の話です。そうだとすれば、これはヤブヘビではないか、という声が会内から出るのは至極当然のような気がします。「兼業」弁護士の魅力を語るというのは、もはや弁護士単体での魅力を語れない現実を浮き彫りにしていないか、別の言い方をすれば、その現実から目をそらさせようとしているととられないか、ということです。経済的な意味でとらえられたとすれば、もはや兼業でなければやれない仕事ととられる可能性だってないとはいえません。

     「兼業」弁護士自体にメディアやネットメディアが注目して取り上げることは、これまでもありました。「マネブ」というサイトが掲載した「弁護士がプロボクサーという草鞋も履くワケ3人の『兼業弁護士』が考える仕事観とは?」という記事には、今回の日弁連シンポに報告者として出席する弁護士の一人も登場しますが、こうした記事を読むと、彼ら「兼業」派に共通するのは、あくまで個々人の弁護士外の仕事へのつながりの強さや思い入れです。さまざまな事情や経緯があっての、自己実現の形の話です。たまたまそういうものがあった人が、たまたま弁護士業と両立に成功した話といってもいいものです。

     もし、そういう前提で、「弁護士の仕事のみにとらわれない」「夢」の実践を視野に入れている、あるいは入れたい人向けに、そういうスタイルを日弁連が推奨するというのであるならば、むしろ、弁護士が経済的なメリットや安定度で、弁護士外の「夢」を実現させるのに、この仕事は最適である、というのであれば、むしろ分かりやすい話といえます。でも、さすがにそうアピールできる現状にはない、というべきです。

      つまり、何かをもって、弁護士が「兼業」に向いている仕事ともいいにくい。かといって、弁護士をどうしてもやりたい人のために、こういう「兼業」もあり得るというには、前記したようにもともとのこだわりのある人ならばともかく、逆算して答えを導き出すことは容易ではなく、かつ、前記したように弁護士単体では成り立たないアピール度も強めかねない。 

     もっとも 「弁護士の仕事とのシナジー効果」ということも語られるようで、ここの説得力次第では、どういう形で個々の「夢」に適合するかは分からないものの、あるいは弁護士業特有の「兼業」メリットが見えてくるのかもしれません。ただ、「聞いてびっくり!」するようなスタイルとは、特に他の「夢」の実現が念頭にない志望者の弁護士業への期待感とは、果たして結び付くのか、そこはやはり不安になります。

     しかし、最も気になるのは、こうしたことも、また、弁護士会員がどう受けとめるかも、実は日弁連が分かったうえでこれを繰り出しているのではないか、ということです。「もう、なんでもありなのかな」。そう呟いた弁護士がいましたが、あるいはこの企画の切り口自体が、いまの弁護士の置かれた現実を物語っているということかもしれません。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

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