FC2ブログ

    弁護士「東京一極集中」と「改革」の矛盾

     弁護士は、顕著に東京一極集中で存在している資格業です。今でも、このことを否定的にとらえる論調に接することがありますが、結論からいえば、この東京一極集中という現象は、司法改革の法曹人口増員政策の前後をとってみても、ほぼ変わっていません。

     日弁連ホームぺージにあるデータによれば、今年7月1日現在の全国の弁護士数4万1109人中、東京の三弁護士会に所属するのは47.6%に当たる1万9585人。「弁護士白書」に基づいて、過去の5年間の同様の数値(各年3月31日現在)を見ると、この間、弁護士の数は全体で毎年1000人―1300人ずつ増えていますが、東京三弁護士会所属弁護士の全体に占める割合は、2014年45.8%、2015年46.3%、2016年46.6%、2017年46.8%、2018年47.1%で、わずかながらですが一貫して増えています。

     ちなみに29年前の「改革」以前、司法試験年間合格者も、弁護士人口も、ともに現在の約3分の1だった1990年をみても、同割合は45.8%。つまり、いくら司法試験合格者を増やし、弁護士の数を増やしたところで、東京一極集中という現実は全く変わっていないことが分かります。

     そもそも「改革」の増員政策の発想には、東京一極集中を含めた弁護士の偏在に関して、ある種の矛盾を引きずってきたといえます。弁護士会内でも、ずっといわれてきた疑問ですが、「改革」の発想は、この弁護士偏在を生んでいる、極めて現実的な弁護士の状況をどこまで踏まえているのか、別の言い方をすれば、これが需要を踏まえた弁護士の合理的な選択結果であるということを、どこまで勘案して、弁護士偏在を解消しようとしているのか、ということです。

     「改革」のバイブルとなった司法制度改革審議会意見書は、「法曹の数は社会の要請に基づいて市場原理によって決定される」という立場をとり、当時の目標だった司法試験年間合格者3000人についても、あえて「上限ではない」と付け加えています。一方で、同意見書は、「『法の支配』を全国あまねく実現する」というレトリックで、その前提として弁護士人口の地域的偏在の是正、いわゆる「ゼロ・ワン地域」(弁護士がゼロか1人地域)解消の必要性を掲げました。

     問題はこの両者の関係です。市場原理によって数を決定するという立場であれば、その市場原理に基づいて生じる(生じている)偏在はどう考えるのか、ということです。あくまで「改革」の発想を成り立たせることを考えれば、とにかく現在の弁護士が目を向けていない(気付いていない)、大量の有償のニーズが、いわば市場原理によって、地方に弁護士が流出するほど眠っている、もしくはそれを増員弁護士が開拓するという前提に立つ必要があります。

     当時、「改革」推進派のなかには、正面から建て前として、こうした前提に立つ人もいましたが、同派の中にも、それに懐疑的な人が相当いました。そして、そういう人たちが言う、弁護士が地方に流れる描き方は、若干違っていました。それは、いわば「押し出し式」というような考え方。つまり、大都市集中で弁護士は飽和状態になり、コップの水が溢れるように、いやでも(採算性、収益性を犠牲にしてでも)弁護士は地方に流れる(だろう)、というものでした。いうまでもなく、それが成立すると描く前提は、それでも弁護士は生きられる(はず)、現状散々儲けている(はず)なのだから、という、相当に感覚的な先入観のようなものも背景にあったといえます。

     いまでも弁護士偏在解消には増員政策が必要であった、とか、増員政策によって偏在は解消に向かった、と括られることがあります。確かに弁護士会の精力的な取り組みによって、前記「ゼロ・ワン」は解消されました。しかし、それを実現に導いたのは、少なくとも前記推進派のいずれの前提によるものでもなかった。以前にも書いたように、これを支えたのは偏在そのものへの純粋な問題意識からくる、弁護士たちの犠牲的な有志の精神といわなければなりません(「弁護士過疎と増員の本当の関係」)。

     強いて増員を関連付けるのであれば、増員によって、そうしたチャレンジャーが相対的に増えたということがいえるのかもしれませんが、それは市場原理が前提ではない。つまり、もっと言ってしまえば、弁護士の偏在解消に社会的な必要性がある、という前提に立つのであれば、市場原理には委ねられない、別の経済的な手当てが必要、という発想に立たなければならない、ということが、「改革」の結果として既にはっきりした、ということなのです。

     東京など大都市に弁護士が集中するのは、経済的な安定性や有利性が見込める大規模事務所が存在していることや、人口の多さに比例して、特定の階層や分野に絞った活動ができる(というか、そうした活動で生存できる)などの理由がいれています。それこそ市場原理に立てば、こうしたメリットを上回るものを地方にどれだけ求められるか、ということにもなりますし、そもそも東京一極集中そのものが解消しなければならない対象なのか、という話にもなります。

     最近もある弁護士ブログが、弁護士の東京一極集中大都市と、地方での就職減に関する、某法科大学院在学生・修了生のキャリアプランニング支援サイトによる評価の混乱を指摘していますが(「Schulze BLOG」)、これも「改革」路線の引きずる前提の矛盾が反映しているようにみえます。

     法曹を地域で生んで地域で活用する、いわば「地産地消」を描き込んだ地方法科大学院の失敗(「法科大学院制度「執着」が切り捨てているもの」 「『改革』の発想の呪縛」)も含めて、「市場原理」を建て前にした「改革」が、何を無視し、どういう無理な前提で成功を描いたのかが、改めて問われるべきです。


    地方の弁護士の経済的ニーズについてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4798

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「志」を持った志望者にとっての「改革」

     法曹界の人と話していると、今でも法曹志望者には「弱者のために働きたい」とか、「市民の役に立つ仕事がしたい」という動機で、この世界にくる人が多い、ということを強調される声に出会います。統計的な裏付けがあるとかではなく、多くは印象的な話ではありますが(そもそもアンケートでの回答があっても、それが本音かは別として)、おっしゃっていることは分からなくもありません。

     そして、少なくともいまだ社会的な意味でも、弁護士はそうしたイメージが被せられやすい仕事であることも間違いありません。

     しかし、今の弁護士の現状を生んだ「改革」を肯定的に捉えている業界関係者が、そうしたニュアンスのことを強調し、それを「まだまだこの世界は捨てたものではない」という響きを持って、それを業界の未来への期待につなげるような言に出会うと、正直複雑な気持ちになります。端的に言って、この「改革」が、少なくともそうした志を持った人材にとって、以前より生きやすい世界を創った、あるいは創ろうとしている、とは、とても思えないからです。

     これまでも書いてきたように、弁護士の増員政策は、弁護士に一サービス業としての自覚を与えると同時に、「生き残り」ということを至上命題として強く意識させることになりました。有り体にいえば、それを意識しないで前記志にまい進してきた人材の「価値」よりも、その志を持たず、金儲けをする人材が、「あぐらをかいてきた(いる)」環境が、「改革」推進のなかで問題視され、ある意味、怨嗟の対象になった。

     ただ、「改革」の結果をみれば、後者のメリットがはっきりしないまま、前者のデメリットだけは、はっきりしてきた、といえないでしょうか。もちろん、「生き残り」がかかった現役弁護士の「覚悟」自体は、だれも責めることはできない。しかし、「改革」によって負の影響を受け、ある意味、見捨てられたのは、前記志であり、その志を持った志望者であり、そして、そうした志を持った人材に助けられてきた(助けられるはずだった)市民であるということもいえるはずなのです。

     法曹養成にしても、さらにその中でさんざん言われてきた「多様性」にしても、結局、そうした志をもった人材が志望しやすい、ということが、本当に配慮されていたようには思えません。だからこそ、そうした志がありながら、条件として断念した人材が沢山いる。こういうことを言うと、必ず「それは他のの職業でも同じ」「旧試でもそうだった」という意見が返ってきます。しかし、「改革」によって、少なくともそこがより配慮され、より前進したようには見えない。だからこそ、「改革」肯定論のなかで言われる冒頭のような言には、ある種のご都合主義を感じてしまうのです。

     それは、「改革」が志望者と社会に何を期待させたのか、という問題でもあります。改めていうまでもなく、増員政策は、増やしても弁護士が、およそ生存に困るような状況を連想させない、莫大な潜在ニーズの顕在化を期待させ(というかそれを前提とし)、「市民の身近になる」ことや「利用しやすくなる」ということの強調によって、より前記志が活かされる環境の誕生を期待させました。

     新法曹養成は、法学未修者に力点が置かれ、これまでよりも、そうした志をもった社会人を含めた人材が資格を採れる制度と、増員政策とあいまって、これまでよりも「法曹になれる」という環境の登場を期待させました。もちろん、旧試に比べて司法試験の合格率は上がり、法曹になれる人材は拡大した。しかし、その分、旧試にはなかった、経済的な負担という参入規制は、前記増員政策の失敗による弁護士の経済環境の悪化での、リターンの期待を奪ったことで、残念ながら志をもった志望者にとって、良化を実感できるものとはならなかった。

     もちろん、日弁連・弁護士会は、一貫して、そうした志ある志望者に期待し、彼らのことを考えている、と強弁する人もいるはずです。しかし、今回の日弁連総会の宣言を見ても、日弁連ホームページでずっと貼られている、「活躍の場」アピールを見ても、それが現実的に間違っていないことだとしても、これらの業界の期待感が、前記「改革」が生んだ志を持った志望者たちへの答えとして、どこまで受けとめられるのかという気持ちになるのです。

     こういう生き方もある、という「可能性」の例示、こういう分野のニーズがあるから、人材の裾野を広げていく、というアピールに、もちろん意味がないわけではありませんが、「これから来る人はこういう条件で」ということだけが伝わり、当初強調されたような、市民に寄り添える環境とか、志望者側の志をできるだけ断念しなくていい制度づくりに、業界が取り組むという発想は、後方に押しやられている印象を持ちます。

     志望者は、いかに業界が期待を煽ろうとも、大方、状況を見抜き、本人にとって適正な選択をしているし、だからこその志望者減である、という人もいるもしれません。しかし、その一方で、「改革」をめぐる業界側の微妙な動きでも、志望者はやはり期待し、その都度反応する部分もあります(「Schulze BLOG」)。

     いまだに社会に根強く残っている、弁護士の良いイメージの「貯金」に頼り、「生きやすさ」「志望しやすさ」という点での「改革」のメリット・デメリットには、こだわらない、という業界が、本当に志望者の期待感につながるのか、そして、新たな被害者を生まないのか、という点は、いつになれば直視されるのでしょうか。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「ネガティブキャンペーン」の正当性をめぐる視点

     「改革」がもたらしている経済的環境を含めた弁護士の現実に関する発信に対して、相変わらず「ネガティブキャンペーン」という烙印を押す指摘が聞かれます。かなり以前にも書きましたが、もともと弁護士志望への敬遠傾向につながることを懸念する文脈で語られてきたものでした(「弁護士の『ネガティブキャンペーン』」)。

     しかし、以前はどちらかといえば、この指摘は、弁護士の魅力をもっと発信せよ、という発信自体のアンフェアさを問題視することに力点が置かれているようにとれました。ところが、最近は志望者減という、法曹界が現在抱える深刻な問題の主因は、この「ネガティブキャンペーン」である、ととれるような文脈で登場することが多くなったという印象を持ちます。

     そもそも明らかに弁護士の経済的価値の下落を生んだ「改革」の現実を伝えることが、事実に反する、あるいはアンフェアに誇張した「ネガティブキャンペーン」といえるものなのか、さらにはそれを発信する行為自体が「ネガティブキャンペーン」と称されるような、妥当性を欠いた不適切な行為なのか、について、突き詰めた議論がなされてきたわけではありません。

     弁護士増員政策の需要を見誤った失敗、法科大学院制度の成果や弁護士の現状に見合わない負担といったことを無視して、弁護士の一部やマスコミが「ネガティブ」に業界を描いていなければ、志望者減は今のようになっていないというのは、それだけでいかにも無理がある、と、片付ける人もいるとは思います。

     しかし、あえて付け加えれば、今の志望者減という状況に照らすと、この「ネガキャン」批判は、(知ってて言っているのか、知らないのか分かりませんが)前提的な認識に決定的な誤りがあるようにとれます。同批判論者は、必ずといって、この問題で、「食える食えない」論争を取り上げます。つまり、弁護士の一部やメディアがこぞって、弁護士は食えない、食えない資格になったと取り上げた、と。当然、そこには、トーンはさまざまながら、「本当はそんなことはない」「食えている弁護士も沢山いる」「工夫次第では今でも食えている」「今後、まだまだ食える余地がある」というニュアンスの反論がくっついています。

     ところが、志望者減につながっている資格の経済的価値の下落とは、おそらくそういうことではなく、少なくともそこに収まる話ではありません。以前も少し書きましたが、端的にいえば、問題は「食えるか食えないか」ではなく、以前のように「恵まれた資格かそうでないか」。つまり、資格そのものが、以前のように時間的経済的コストに見合うほど、「恵まれたもの」ではなくなっていること、そのものが問われている、という否定し難い現実があるです。

     そのレベルから考えると、前記列挙した「実は食える」、といった「ネガキャン」批判論の認識そのものが、効果を生まない空虚なものであり、そうしたレベルで語られる資格になったことそのものが、あるいは志望者にとって、当然の敬遠理由につながってもおかしくないことなのです。

     こういう言い方をすると、前記批判論の方々の中には、弁護士の職業的魅力からすれば(それがちゃんと伝われば)、ちゃんと「食える」というレベルでも志望する人は沢山いる、というニュアンスの認識を示される人もいます。これ自体、多分にこれまでの人気商売幻想(信仰)に寄りかかった発想ともいえなくありませんが、全面的に否定することもできないかもしれません。

     しかし、少なくとも将来的な進路について、いくつもの選択肢がある若い、優秀な志望者予備軍のなかには、やはり自分にふさわしい処遇や経済的な将来性を期待する人がいることは、批判論者の方々も分かっているはずです。法科大学院制度を中核とした新法曹養成の経済的時間的先行投資の重さの、志望者にとっての「価値」は、資格者後のリターンの問題を抜きには語れません。それは、社会人志望者を含めて、彼らにリスクの問題としてのしかかっています。ただ、そこをまるで「元が取れるかどうか」のような、最低ラインの話でするのは間違いです。先行投資をする、リスクをとるだけの、「恵まれた」結果が待っていなければ、やはり結果は変わらないのではないでしょうか。

     はなから「そんな人は来なくていい」という捉え方もあるかもしれませんし、現にそういうニュアンスにとれる発言も時々耳にします。ただ、もしそうだとするのであれば、今の志望者減をそこまで深刻にとらえず、より優秀な多くの人材に志望してもらいたいという方向も目指さず、現在のような経済的状況と彼らのいう魅力をフェアに伝え、この負担でもリスクでも、そしてリターンでも、それでも「魅力を感じる人」「チャレンジする人」を待っています、でいくしかないのではないでしょうか。

     数を増やして競争・淘汰させるとか、それが良質化や低額化を生むとか、はたまた法科大学院制度維持のために学生を確保したいなどという話は、もちろん一旦棚上げして、この制度とこの現実で、それでもこの世界を目指す人材で、法曹(界)がどうなるのか、を試してみるというのであれば。

     「もっともっと志望者から敬遠されなければ、『改革』主導層は分からないのではないか」。こう語る「改革」反対・慎重論者がいます。その意味で、逆に批判者が言うような、「ネガティフキャンペーン」はもっとなされていい、という人もいます。その一方で、最近、志望者減の下げ止まりが見えてきたとか、弁護士の状況にも少しずつ明るい兆しが見えてきているというニュアンスの発言が聞かれます。

     しかし、志望者予備軍と社会にとって、本当に有り難くないのは、この「ネガティブキャンペーン」か、それとも「ネカティブキャンペーン」へのネカティブキャンペーンなのか、そこは今こそ、しっかりと見定める必要がありそうです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    魅力発信期待論が無視するもの

     日本組織内弁護士協会が今年2月に会員を対象に実施した企業内弁護士アンケートの結果が、同協会のホームページに掲載されています。そのなかで、現在の勤務先を選んだ理由を尋ねた設問への回答結果は、複数回答可で、以下のようになっています。

     ①「現場に近いところで仕事がしたかった」59.5%
     ②「ワークライフバランスを確保したかった」57.1%
     ③「収入を安定させたかった」32.8%
     ④「その会社で働きたかった」29.6%
     ⑤「その業界で働きたかった」27.8%
     ⑥「ほかに就職先がなかった」12.4%
     ⑦「提示された報酬が高額だった」8.0%
     ⑧「所属事務所から出向を命じられた」0.3%
     
     同協会が例年行っている調査ですが、これまでの結果を見ても、多少の順番の入れ替えがあっても、この設問への回答全体の傾向は大きく変わらず、とりわけ①②の回答の多さが例年目立っている印象です。ちなみに現在公開されている最も古い2013年の結果と比べると、増加しているのは①②⑥で、それぞれ①14.1ポイント、②6.3ポイント、⑥2.4ポイントの各増、他の減っている回答のうちでは⑤が11.0ポイント、④10.8ポイントの各減となっています。

     この結果でみると、①④⑤の理由は、組織内以外の弁護士の状況との関係性が比較的薄い理由ととることができ、同時にそういう選択理由が一定数存在していることを明らかにしているともいえます。別の言い方をすれば、組織内か、それとも従来型の事務所勤務、とりわけ町弁あるいは独立志向という選択のなかで、「改革」の影響で後者の状況が大きく変わったことや、さらには今後の改善如何にかかわらず、選択理由となる(なってきた)可能性が高いものということです。

     逆に、弁護士の供給過剰状態を含め、状況の改善によって、彼らの選択を組織内から外に振り戻す余地があるとすれば、より②③⑦に訴えるしかない、ということになります。もちろん、複数回答でもあり、この結果だけから、すべてを読み取ることはできず、個人にとって何か選択の決定的な要素になるのかも分かりません。

     しかし、やはり少なくとも組織か、それ以外か、という選択の岐路に立った、「改革」後の若手弁護士たちにとって、「ワークライフバランス」「収入の安定」あるいはその「多寡」が、選択の判断材料として重要な要素であることが示されています。

     なぜ、今このことを改めて取り上げたかといえば、弁護士の仕事の魅力をもっと訴えよ、として、そこにあるいは志望者の回復を期待しているように見える人々には、この若手弁護士たちの本音ともいえる、こだわりどころが本当に目に入っているのか、という気持ちになるからです。本来的な弁護士業務そのものの魅力を訴えても、その効果をどのようにとらえているのかということへの疑問ともいえます。

     しかも、それが今、弁護士会がこの増員基調の「改革」の中で、実績的に最も「受け皿」としての伸び代があり、そしてそのことから今後への期待をアピールしている、「組織内」という分野での、志望者の判断要素として、これほどはっきりとした事実があるにもかかわらず、です。

     そして、さらにいえば、こうした発想に立つ限り、「組織内」以外の弁護士志望を真剣に回復させるために、今、何にこだわらなければならないか、そしてそれはとりもなおさず、供給過剰を早急に何とかしなければならないのではないか、という発想も後方に押しやることに繋がっているようにとれるのです。

     有り体にいえば、一方で前記したような志望者の本音ともいえる選択理由が分かっている分野を、弁護士の将来的進出期待分野と位置付けながら、その一方で弁護士過剰状態の継続と、それが生み出している経済的魅力の低下をそのままに、その余の魅力発信で、志望者を引き付けたい、なんとかしたい、という発想の、矛盾ともいうべき状況です(「弁護士の『魅力』をめぐる要求が示すもの」 「『自由業』弁護士の終焉」)。

     もっとも「努力次第でなんとかなるはず」と聞こえる、当たり前の、もはや何も言っていないのと同じように語られる弁護士の将来的可能性については、会内でもまともにとらえていない人が少なくありませんし、中には「もはや町弁は見捨てられている」という声もあります(「『町弁』衰退がいわれる『改革』の正体」)。嫌味な言い方になるかもしれませんが、それが「改革」あるいはその主導層の、本音であるというのであれば、もはや矛盾とはいえないのかもしれません。そして、それもきちっと見抜いている志望者の現実が、冒頭のアンケート結果に反映しているともいえなくありません。

     しかし、そうなると問題は、志望者回復のための、弁護士の魅力発信の効果もさることながら、最も市民の身近であるはずの町弁が見捨てられていることを含めて、やはり「市民のため」であるはずの「改革」の「価値」へのこだわりそのものを問わなければならなくなります。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    依頼者との関係を変えたもの

     日本の弁護士の意識のなかで、かつてと大きく変わっきたととれるものの、一つとして、依頼者との関係・位置取りがあります。日本の弁護士には、依頼者との関係における、独立・自由にこだわる伝統的な考え方がありました。それは、今でも業務における懸念材料として指摘される、弁護士の従属的地位の形成が、結果的に職業的使命たる、正義の実現を阻害するといった捉え方として残ってはいます。しかし、一方でこの考え方が、かつては、それ以上に弁護方針の決定をはじめ、依頼者との関係のあらゆる面で、実質的に弁護士の優越的地位を彼らに意識させ、それを醸成させるものになっていたことも否定できないのです。

     その具体的な根拠であると同時に、そうした弁護士の考え方を裏付けるものを、かつて弁護士倫理の中に見つけることができます。現在の弁護士職務基本規程は、依頼者との関係で自由・独立の立場を保持する努力義務を規定する(20条)とともに、弁護士に依頼者の意思の尊重や意思確認を求めています(22条)。ところが、2005年に同規程に代わり、廃止された、それまでの弁護士倫理には、依頼者の意思尊重の規定がありません。同倫理18条には前記職務規程とほぼ同文の、自由・独立保持の努力義務規定がありますが、依頼者の意思尊重も相談も求めておらず、依頼者の正当な利益の実現(同19条)、依頼者が期待する結果の見込みがない事件を見込みがあるように装っての受任禁止(同21条)、事件処理の報告義務(31条)などがあるだけです。

     かつての弁護士のなかにあった自由・独立へのこだわりは、依頼者の意思尊重より、当然のごとく上に置かれ、その優越的地位への意識を形成していた。弁護士が方針を決定するということが、依頼者の意思よりも、重要な意味を持っていたということです。かつて依頼者市民から、よく弁護士の対応への不満として聞かれた「素人扱い」には、素人を素人として扱うのが、彼らのためになるプロの仕事であるといった、弁護士の自負ともとれる弁明も存在していました(「弁護士に関する苦情(3)『素人扱いされた』」)。しかし、前記事実からは、そうした捉え方では括り切れない、根深い意識の背景が存在していたように思えます。

     弁護士の在り方について、厳しい自戒・自省が迫られることになった、今回の司法改革当初、弁護士会内でもこのことを問題視する見方がありました。「『依頼者から独立・自由』という伝統的考え方が、依頼者に対する背信的弁護活動の温床になっている」「『依頼者から独立』という規範を放棄して、『依頼者のための弁護活動』を自らの『職務』の基本とし、そのためにこそ、訴訟手続における『当事者主義』の徹底を図り、市民にとって『利用価値のある』司法制度へ変革するために尽力すべきだろう」(「いま、弁護士は、そして明日は?」)。

     「市民のため」を標榜した弁護士会の「改革」運動が、その中で、こうした自戒的な視点に立った意識改革に踏み込もうとしたこと自体は、ある意味、当然の流れであり、今でもそれを肯定的にとらえている弁護士もいると思います。しかし、あえていえば、「改革」の結果、この自省と自戒はどういう成果をもたらし、そして評価されているのでしょうか。一見正しい彼らの意識改革は、何を生み出したのでしょうか。いま、これが弁護士の正しい変化として、評価する声が、あまり聞かれないのは、なぜなのでしょうか。

     結論から言ってしまえば、この弁護士の自省・自戒に基づく意識改革の最大の「不幸」は、それが「改革」の無理な激増政策とともに、実行されたことではないでしょうか。激増政策に伴う弁護士の経済環境の激変。これは、弁護士と依頼者の関係、別の言い方をすれば、双方にこれまでにない現実的な視点を与えることになりました。

     弁護士からは、これまでになく、依頼者をつなぐための従属的傾向が言われ始めました。最も効果的で、依頼者の利益になる主張よりも、無理な主張であると分かっていても、そのままなぞった主張を掲げる弁護士。無理を説得するよりも、依頼者の言い分に従ってファイティングポーズを取る。同業者からは、「かつてでは考えられない」という姿勢の弁護士の登場が、盛んにいわれています。依頼者の思い込みに従った、有利な和解への説得回避といった傾向も聞かれます。選択基準が変わった、むしろ生き残りのために変わらざるを得なくなったということかもしれません(「歓迎できない『従順』弁護士の登場」 「『ポーズ』弁護士増加の嫌な兆候」)

     そして、その一方で、依頼者の弁護士に対する目線も変わりました。弁護士か増えたという事実を以て、弁護士を安く使えると誤解したり、これまでよりも無理難題を持ち込む傾向。さらに、弁護士はいくらでもいるとばかり、どこかに自分の言う通りに主張し、それを実現する弁護士がいる、と思い込む依頼者もいる。依頼者側の勘違いという意味で、採算性にごだわらざるを得なくなった弁護士にとって「望ましくない客」という判定が下されることにもなってきていますが、ただ、それとて100%弁護士が正当というケースだけではなく、そして、そのことを依頼者側が判別することもできない(「『望ましくない顧客』を登場させたもの」 「法律相談無料化の副作用」l)。

      「依頼者のための弁護活動」も「当事者主義」も「利用価値」という言葉の意味も歪み、すべてはビジネスと自己責任に溶かし込まれる関係へ。もちろん全ての弁護士がそうだといっているのではありませんが、経済的な力関係と利害が自律的な弁護士の判断に影響することを、「改革」の現実が示してしまっているような感じになります。そして、そうなったところで、結果は必ずしも依頼者が望むものではない(結局、終わってみれば望ましい解決ではない)のですから、そう考えれば、「改革」が想定した社会的評価につながるわけもありません。

     「改革」の結果を直視して、弁護士の独立・自由の意味を、弁護士と利用者双方が再考すべき時期に来ているように感じます。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR