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    依頼者との関係を変えたもの

     日本の弁護士の意識のなかで、かつてと大きく変わっきたととれるものの、一つとして、依頼者との関係・位置取りがあります。日本の弁護士には、依頼者との関係における、独立・自由にこだわる伝統的な考え方がありました。それは、今でも業務における懸念材料として指摘される、弁護士の従属的地位の形成が、結果的に職業的使命たる、正義の実現を阻害するといった捉え方として残ってはいます。しかし、一方でこの考え方が、かつては、それ以上に弁護方針の決定をはじめ、依頼者との関係のあらゆる面で、実質的に弁護士の優越的地位を彼らに意識させ、それを醸成させるものになっていたことも否定できないのです。

     その具体的な根拠であると同時に、そうした弁護士の考え方を裏付けるものを、かつて弁護士倫理の中に見つけることができます。現在の弁護士職務基本規程は、依頼者との関係で自由・独立の立場を保持する努力義務を規定する(20条)とともに、弁護士に依頼者の意思の尊重や意思確認を求めています(22条)。ところが、2005年に同規程に代わり、廃止された、それまでの弁護士倫理には、依頼者の意思尊重の規定がありません。同倫理18条には前記職務規程とほぼ同文の、自由・独立保持の努力義務規定がありますが、依頼者の意思尊重も相談も求めておらず、依頼者の正当な利益の実現(同19条)、依頼者が期待する結果の見込みがない事件を見込みがあるように装っての受任禁止(同21条)、事件処理の報告義務(31条)などがあるだけです。

     かつての弁護士のなかにあった自由・独立へのこだわりは、依頼者の意思尊重より、当然のごとく上に置かれ、その優越的地位への意識を形成していた。弁護士が方針を決定するということが、依頼者の意思よりも、重要な意味を持っていたということです。かつて依頼者市民から、よく弁護士の対応への不満として聞かれた「素人扱い」には、素人を素人として扱うのが、彼らのためになるプロの仕事であるといった、弁護士の自負ともとれる弁明も存在していました(「弁護士に関する苦情(3)『素人扱いされた』」)。しかし、前記事実からは、そうした捉え方では括り切れない、根深い意識の背景が存在していたように思えます。

     弁護士の在り方について、厳しい自戒・自省が迫られることになった、今回の司法改革当初、弁護士会内でもこのことを問題視する見方がありました。「『依頼者から独立・自由』という伝統的考え方が、依頼者に対する背信的弁護活動の温床になっている」「『依頼者から独立』という規範を放棄して、『依頼者のための弁護活動』を自らの『職務』の基本とし、そのためにこそ、訴訟手続における『当事者主義』の徹底を図り、市民にとって『利用価値のある』司法制度へ変革するために尽力すべきだろう」(「いま、弁護士は、そして明日は?」)。

     「市民のため」を標榜した弁護士会の「改革」運動が、その中で、こうした自戒的な視点に立った意識改革に踏み込もうとしたこと自体は、ある意味、当然の流れであり、今でもそれを肯定的にとらえている弁護士もいると思います。しかし、あえていえば、「改革」の結果、この自省と自戒はどういう成果をもたらし、そして評価されているのでしょうか。一見正しい彼らの意識改革は、何を生み出したのでしょうか。いま、これが弁護士の正しい変化として、評価する声が、あまり聞かれないのは、なぜなのでしょうか。

     結論から言ってしまえば、この弁護士の自省・自戒に基づく意識改革の最大の「不幸」は、それが「改革」の無理な激増政策とともに、実行されたことではないでしょうか。激増政策に伴う弁護士の経済環境の激変。これは、弁護士と依頼者の関係、別の言い方をすれば、双方にこれまでにない現実的な視点を与えることになりました。

     弁護士からは、これまでになく、依頼者をつなぐための従属的傾向が言われ始めました。最も効果的で、依頼者の利益になる主張よりも、無理な主張であると分かっていても、そのままなぞった主張を掲げる弁護士。無理を説得するよりも、依頼者の言い分に従ってファイティングポーズを取る。同業者からは、「かつてでは考えられない」という姿勢の弁護士の登場が、盛んにいわれています。依頼者の思い込みに従った、有利な和解への説得回避といった傾向も聞かれます。選択基準が変わった、むしろ生き残りのために変わらざるを得なくなったということかもしれません(「歓迎できない『従順』弁護士の登場」 「『ポーズ』弁護士増加の嫌な兆候」)

     そして、その一方で、依頼者の弁護士に対する目線も変わりました。弁護士か増えたという事実を以て、弁護士を安く使えると誤解したり、これまでよりも無理難題を持ち込む傾向。さらに、弁護士はいくらでもいるとばかり、どこかに自分の言う通りに主張し、それを実現する弁護士がいる、と思い込む依頼者もいる。依頼者側の勘違いという意味で、採算性にごだわらざるを得なくなった弁護士にとって「望ましくない客」という判定が下されることにもなってきていますが、ただ、それとて100%弁護士が正当というケースだけではなく、そして、そのことを依頼者側が判別することもできない(「『望ましくない顧客』を登場させたもの」 「法律相談無料化の副作用」l)。

      「依頼者のための弁護活動」も「当事者主義」も「利用価値」という言葉の意味も歪み、すべてはビジネスと自己責任に溶かし込まれる関係へ。もちろん全ての弁護士がそうだといっているのではありませんが、経済的な力関係と利害が自律的な弁護士の判断に影響することを、「改革」の現実が示してしまっているような感じになります。そして、そうなったところで、結果は必ずしも依頼者が望むものではない(結局、終わってみれば望ましい解決ではない)のですから、そう考えれば、「改革」が想定した社会的評価につながるわけもありません。

     「改革」の結果を直視して、弁護士の独立・自由の意味を、弁護士と利用者双方が再考すべき時期に来ているように感じます。


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    「望ましくない顧客」を登場させたもの

     かつて弁護士自らが改めるべき姿勢を自省的にいう表現として、業界内で盛んにいわれた「敷居が高い」という言葉が、最近、以前ほど言われなってきました。以前も書いたように、訪問する側の理由による気後れを意味する言葉の使いどころとしては、誤用といっていいものですが、今回の「改革」にあっては、依頼者市民を遠ざけている、弁護士の体質改善の対象として、これを「低くする」ということが、まるで合言葉のように言われた観もありました(「『敷居を低くする』競争のリスク」)。

     しかし、ある意味、この言葉の魔法は解けてしまったのかもしれません。もちろん、この「改革」を肯定的にみたい人は、増員政策によって、相当程度、弁護士の「敷居」は低くなった、ということを強調し、それがゆえに、依然ほど口にされなくなったというかもしれません。「敷居が高い」という言葉でいわれた、弁護士側にアクセス阻害の要因があるという自覚が、増員政策がもたらす競争への覚悟とともに、対依頼者市民への姿勢を変えるものになった面がなかったとはいえません。

     しかし、一方で、この言葉には、常に弁護士側の期待が被せられていた、ともいえます。有り体に言えば、「敷居」さえ低くすれば、市民はもっと法律事務所の門をたたくはずだ、という期待です。その意味では、この言葉は、弁護士の潜在的な需要を当然の前提としているともいえます。

     解けた「魔法」というのは、そこを指します。言ってみれば、多くの弁護士は、現状、もはやそういう問題ではない、ということに気付いてしまったのではないでしょうか。そこまでの潜在需要がないのに、それを見込んだ増員が失敗し、前記した前提が崩れ、「敷居」を低くしたところで、もはや効果は限定的。そもそも低い「敷居」が当たり前になるほど、強調材料でもなくなってくる――。

     これまでの弁護士側のアピールのなかには、弁護士側がもっと気楽に、相談できる存在になるというだけではなく、イメージとして、市民の側の「誤解」を解く、つまり、弁護士がもっと気楽に利用できる、いろいろ利用価値がある存在であると周知されれば、もっと利用されるという発想も見受けられました。しかし、それも見方によっては、非常に楽観的な捉え方であるということが分かってきてしまったようにも見えます(「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」)。

     そして、実はもう一つ、弁護士の意識の中に、ある変化が起きているようにとれます。それは、この言葉の「魔法」が解けた、というよりも、むしろ積極的に負の影響を感じとっているのではないか、ということです。この言葉が、弁護士がこれまで言われてきたような、偉そうな態度を改め、あるいはサービス業としての自覚のもと、対依頼者に対して怠ってきた努力に向かう(いわゆる、よく言われてきた「あぐらをかいてきた」のを改める)ということ自体に、異論はないかもしれません。

     問題は、これが何でもウェルカム、小さいことでもどうぞ、という顧客誘引アピールにつながった結果、弁護士が今、深刻な「望ましくない顧客」の増加に直面している現実です。弁護士の自己防衛という観点で、以前、弁護士が慎重な対応にならざるを得ない依頼者・相談者を列挙した弁護士ブログの指摘を取り上げましたが(「依頼者からの『自己防衛』」)を、弁護士からみて「望ましくない」内容を大別すれば二つです。一つは弁護士の採算性から見て、割りに合わない、という意味で「望ましくない」相手、もう一つは、そもそも勘違いしているという意味で関わるべきでない相手です。

     その結果、実は、ある「たらい回し」が行われているということが業界内から聞こえてきます。たまたま当ブログの最近のコメント欄にも、それを指摘したものがありました。「望ましくない顧客」の登場(荒唐無稽な相談)→法テラスへ流す→法テラスは弁護士会・都市型公設事務所に流す→弁護士会の電話相談・法律相談担当や都市型公設に、「望ましくない」案件(投稿者いわく「金にならず懲戒リスクたっぷりのゴミ事件」)が集まる、という仕組み。コメントは、それが結果的に若手に押しつけられているという「裏事情」にも言及しています(「弁護士『専門性』認定へのハードル」)。

     今回の「改革」には想定されていなかった事実(本当に想定できなかったというよりも、そう片付けられている事実)が沢山ありますが、これらも全くそれに当たります。「改革」の結果を前提にすれば、「望ましくない顧客」に対する弁護士側の言い分自体は、ある意味、当然のものともいえます。しかし、「改革」の結果として、これが望ましいものであるのか、といえば、それはまた別の話です。

     「パンドラの箱」を開けたかのような状態に目をつむれるのは、誰も「改革」の責任を問うことがないから、問われることがないからです。その結果、私たちは、利用者にとって、ちっとも有り難くない「改革」の結果を前提にする話に付き合わせられ、また、今後も付き合わされる話になっているのではないでしょうか。それは、思えば増員政策につながる弁護士の潜在需要論と、「敷居が高い」論への、彼らの、ある意味、一方的な思い込みから始まっていたというべきです。


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    弁護士会請求退会者数増加という現実

     弁護士登録者数の動向をウオッチしている白浜徹朗弁護士が、こんなショッキングなタイトルの記事を自身のブログに掲載し、話題なっています。「弁護士は年間で400人近くが自主廃業することが定着した」。それによると、日弁連の機関誌「自由と正義」に掲載された請求退会者について整理してみたところ、今年は382人と、昨年の358人から24人増加し、同弁護士の統計では過去最多。うち270人が弁護士登録3万番台以上で、若い弁護士の廃業が増えているということが示された、というのです。

     弁護士登録番号3万倍台以上というのは、ほぼ司法修習56期以降、弁護士登録15年目よりも弁護士歴の若い会員で、2017年版の「弁護士白書」によれば、昨年3月時点で、既に全会員の約57%を占めています。白浜弁護士は、2014年以降、請求退会者はは若干減少傾向にあったが、今年は増加に転じたとしています。前記「白書」と同弁護士のブログの数値とは、統計基準点の違いからか若干異なりますが、「白書」のデータでも2014年以降請求退会者数は頭打ちのようにとれます。同データによれば、2007年から2016年の間に、請求退会者はほぼ倍増、一方、この間に会員数も1.6倍に増えています。

     同弁護士は、弁護士急増政策開始前には、せいぜい年間50人に満たない人数しか退会していなかったことから考えると、年間400人近い弁護士のが自主退会は、弁護士の供給過剰を裏づけ、2015年から2017年まで弁護士の総人口が増えているなから退会者の減少傾向があったことは、司法試験合格者数を減らしたことが影響しているとみて、「司法試験合格者数は更なる減員が求められている」と結論付けています。

     確かに、こうした見方はできます。ただ、弁護士のなかには合格者減の必要論を導き出したこととの関係で違う見方もあります。それは、この請求退会は、企業などの組織内弁護士が「法曹有資格者」で足りる、という判断のもとに選択したものが含まれている、という推測を前提にするものです。高い会費を弁護士会に支払う意味がもはやない、と判断したものということもできます。

     そうだとすれば、弁護士登録を外したとはいえ、「自主廃業」というイメージとは大分異なってきますし、これをもって直ちに司法試験合格者減員が必要という結論にはつなげられない、という見方も出てきそうです。いうまでもなく、請求退会は単に弁護士資格に止まらないということしか意味せず、「弁護士」という資格にこだわらなければ、「法曹有資格者」というニーズは存在することになるからです。

     しかし、そうだとしても、問題は残ります。端的にいって、増員政策によっても、弁護士のニーズが顕在化しないことが決定的になった段階で、新法曹養成をめぐる議論で浮上してきた「法曹有資格者」という捉え方に対して、「改革」と弁護士会の姿勢が依然、ぼやけているということです(「『法曹有資格者』への変化」)。弁護士職務基本規程など弁護士を拘束するルールから外れる「有資格者」が、「企業内弁護士」に変わって企業利益獲得にまい進する事態、弁護士登録不要という弁護士会離れがもたらす弁護士自治・強制加入への影響、さらには今後の弁護士そのものの増員の是非、あるいは「改革」の弁護士増員政策はなんだったのかという問題――。

     日弁連・弁護士会が増員政策の向こうに、いまや弁護士活躍の最も期待すべき地平のこどく強調する、「組織内弁護士」の領域で、既に弁護士資格を離れる「法曹有資格者」が登場している事態を、弁護士会は依然直視しようとしていないのではないでしょうか。

     日本組織内弁護士協会の調査によれば、今年6月現在で、企業内弁護士は2千人を超え、全国の弁護士の5.4%に当たる2161人と、その数は過去11年間の間に10倍以上に膨れていますが、全体の約76.5%が、ほぼ弁護士経験10年以内の修習60期以降の若手です。組織を目指した若手弁護士が、弁護士資格の必要性を見出せなくなり、次々と弁護士会に見切りをつける事態を、依然、増員基調の「改革」を容認している弁護士会主導層は、果たしてどこまでこの先の未来に描き込んでいるのでしょうか。

     もっとも、弁護士請求者数からいわれていることは、いずれも、あくまで推測でしかなく、詳細な退会者の追跡調査の結果をもとにしたものではありません。なぜ、日弁連・弁護士会はそれをやろうとしないのか。事態をそれほど深刻に見ていないことからの、やる気のなさによるものなのか、それとも、やってしまうと、認めたくない不都合な現実を見ることになるからなのか――。そんな深読みもしたくなります。


    弁護士会の会費についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4822

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    変化しつつある弁護士引退の意識と事情

     弁護士の引退の決断は、意外と難しいと言われてきました。体力が求められるといっても知的な頭脳労働で、高齢者になっても、頭を使うからボケになることも少ないなどとされ、かつては「生涯現役」というのが当たり前のように言われており、当の本人たちにも「老後がない世界」という認識が強かったからです。それだけに、誰から勧告されるわけでもない、その気になれば、どこまでも「現役」という環境の中で、ピリオドを打つべきか否か、そしてそれはいつなのかを決断する難しさがあったということです(「弁護士にとっての老後と引退」)。

     メスを握れなくなったと判断した外科医が、自らプロとして通用しなくなったと自覚した時に、引退を決断するというのと同じような意識の弁護士ももちろんいましたが、外科医にとっての執刀に当たるような、決定的な限界の基準は、弁護士にとっては何なのかについては、個人によっていろいろな捉え方があり得るでしょうし、その人生観によって引退そのものの受けとめ方もさまざまのはずです。

     外科医のなかには、周囲の医師や看護師に、自分の限界に気が付いたら、いつでも正直に言ってくれ、という謙虚な姿勢の方もいるようですが(それでも実際に忠言できるかどうかは別にして)、少なくともかつて長老支配が強かったころの弁護士界は、そんなムードではありませんでした。引退時期を意識しながらも、「働けるうちはいつまでも」で思考停止している人が、弁護士会では一般的だったといっていいと思います。

     「改革」によって、弁護士の引退事情にも少なからず異変がありました。一つは、辞めたくても辞められないということ。かつて経済的に余裕があった時代には、退職金がない世界とはいえ、経済的な理由でこの仕事を続けなければならないという話は、高齢で引退を意識する世代の話としてはあまり聞かれませんでした。ところが、今は、老後の生計がその決断に大きくかかわるという話になってきています。

     それと同時に、引退を意識し、できることなら引退したい、という年齢は低下しつつあるようです。若手が「改革」がもたらした経済的異変から、業界の将来性を見切って、他の職業、生き方を模索するという傾向が、かつてより生まれているようですが、老後という観点でみても、必ずしもしがみついていたいような環境が待っているとはいえないという目線です。その意味では、引退を考える意味も、結果的に残ろうとする意味も、かつての弁護士とは違ってきているということです。

     最近、話した50歳代の弁護士も、引退を意識しながら、「辞めるに辞められない」、いわば経済的な問題のクリアも含め、どうしたらピリオドを打てるのか、という方に関心を示しているようでした。自分が弁護士として、いかに役立てるのか、貢献できるのか、とか、この仕事を続ける魅力だけで、引退の決断時期を考えた、あるいは考えられた時代が終わっていることを感じました。

     もう一つの異変は、かつてより引退を迫るムードが、業界内に少しずつ生まれているように見えることです。数年前、「仕事が来なくなったら競争社会に負けたということ。その場合は潔く事務所を閉めて引退するなど、エリート意識を捨てることが必要」「ハッピーリタイアできるよう、若いうちから老後資金をためておくよう意識改革を促すこともひいては不祥事対策」と語った日弁連副会長がいました(「『廃業』から見えてくる弁護士界の今の姿」)。

     依頼者のカネに手を付けるといった弁護士の不祥事には、ベテランが多く関与しており、その理由がかつてのような遊興や投資目的への費用捻出ではなく、事務所運営の行き詰まりに伴う費用補てんであるというケースが目立っています。前記日弁連副会長が言う「不祥事対策」というのも、そうした現実が背景にありますが、「改革」がもたらした状況によって、高齢・ベテラン弁護士に対する同業者の目線も、変わってきたといえます。能力的な問題でも、資格の更新制を求める声が、かつてより強まっていることをみても、「しがみつく」弁護士への業界内の目線は、厳しくなってきていることを感じます。

     しかし、あくまで「改革」がもたらすことになった、こうした状況が、かつてより弁護士にとっても、利用者市民にとっても有り難いものなのかどうかは、話が別といわなければなりません。弁護士はかつてとは違う事情と意識で、この仕事にしがみつかざるを得ない。それを、あたかもこれまでの「エリート意識」によるものから、「改革」によって弁護士が迫られることになった「覚悟」がもたらす、社会にとって望ましい変化とみるような、前記日弁連副会長の描き方が本当にできるのかどうか。

      「食えない弁護士は潔く廃業しろ」と訴えてみたところで、むしろ食っていける可能性のある人材が逃げていき、弁護士業界から逃げる力もない底辺層が残るだけで、弁護士の社会的ステータスはさらに下がるとする見方もあります(「黒猫のつぶやき」)。それもまた社会にとって、果たして有り難いことなのかどうか。蓄えの有無を含めて「競争社会」の勝敗で弁護士を選別しているような、前記日弁連副会長の発想そのものに、その意味ではとても危ういものも感じます。

     当ブログのコメント欄でも紹介されていましたが、最近、引退を予定している69歳の弁護士が引退までの日々をつづるという、7月に立ち上がったブログが、ネット界隈の業界関係者の間で話題になっています。匿名のブロクで、本人記載以外、このブログ氏に関する情報は全く持ち合わせていないのですが、このテーマでは、確かに一つの老弁護士の引退をめぐる本音が吐露されているように読めます。

     この弁護士は、あるエントリーで引退の動機について、こう書いています。

     「弁護士の仕事はストレスの多い仕事です。複雑な事実関係を整理して解決の方針を建てること、依頼者の無理な要求を入れること、敵対的な相手方と対峙することも弁護士の仕事です。また、法廷での尋問がどうしたら上手く行くか考え、裁判所の和解案が不利ならばどのような理由で拒否するか、拒否したあとの対策をどう立てるかも考える必要があります」
     「弁護士の頭の中には他人の人生を背負っていることからさまざまな心配事が生まれます。自分の人生であるならば、どう転んでも自分の責任です。大したことはありません。しかし、他人の人生に責任を負うのは大きなストレスです」
     「こうした仕事にもかかわらず、弁護士の中には死ぬまで仕事を続けたいという方が珍しくありません。それはそれで立派なことだと思うのですが、年をとったらこうした弁護士としてのストレスから解放されて生きてみたいと思わないのかと不思議に感ずることがあります。高校の同窓会に行くと、仕事をしているのは弁護士と医者だけです。多くの方は無職で、楽しそうに暮らしています。正直言って、羨ましいと思います」
     「男性の平均寿命を考えると、生きられるのはあと十数年です。アッという間に過ぎてしまいます。残り少ない最後の人生を仕事から解放されて生きることは決して悪くはないと思うのです」(「弁護士引退日記」『何故、やめる』)

     このブログ氏の気持ちを理解できる人は多いと思いますし、弁護士という仕事の過酷さに改めて気付かされる人もいるかもしれません。しかし、前記してきたような業界内事情からすれば、人生の最後の要望として、ストレスからの解放を目的に弁護士を引退出来ること自体、いまや恵まれた環境の者がなし得る、あるいは贅沢なこととされてもおかしくないでしょう。

     もし、これが許されないことが当たり前になるのが、これからの弁護士の運命だとすれば、それもまた、弁護士にとってだけでなく、利用者である私たちにとっても、幸せで有り難い結末につながるのか、考えてみたくなるのです。


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    弁護士「コミュ力」から見える不吉な未来

     最近、弁護士に求められるものとして、業界内でかつてよりも強調されるようになったものに、「コミュ力」(コミュニケーション能力)があります。こう書けば、いや、もともと弁護士は、依頼者とのコミュ力が求められる仕事だという人もいるでしょうし、当然、それを意識してきたという人もいるはずですが、最近のこうした傾向は、「改革」以前は求められなくてもなんとか成立してきたこの仕事が、増員政策によるビジネス化、いわば積極的な顧客獲得が求められる時代になったことで、この能力が業務の安定化に欠かせないものになってきた、という認識が反映しているようにとれます。

     弁護士の中には、このことに関連して、最近では「この業界はこれまで『コミュ障』(コミュニケーション障害)がある人材が目指してきたが、これからはそれも通用しない」という言い方をする人もいます。司法試験という難関を突破したというエリート意識が強かったかつての弁護士と比べれば考えられないことですが、その意味で一般企業に就職できない人が来る世界ということが、より自嘲的に語られるようになっているのです。かつてのような収入が期待できない、安定しない資格になり下がり、法科大学院の経済的負担を含め、いまや「日本一割に合わない資格」といわれていることも、こうした言葉が口を突いて出る背景にあるようにとれます(「資格価値の暴落と『改革』への認識」)。

     かつての弁護士がこの点をどう自覚していたのか、ということは一概にいえない面がありますが、キャリアを上りつめた裁判官へのインタビューでの、なぜ、弁護士を選ばなかったか、という質問の中では、度々、この点に言及されることがありました。つまり、自分には依頼者との関係で弁護士に求められるそうした能力が劣っていると考えたから、と。より裁判官が「なくても成立する」という認識だったということともに、法曹三者のなかではもともとそうした能力が求められるとされながら、それでも今思えば「なくても成立していた」という世界だった、ということになるのかもしれません。

     そうした能力がなくても成立していた時代というのが、依頼者の理解や手続きの適切な進行には好ましくない状態があった、逆に弁護士側からすれば、業務への誤解や果ては「敷居が高い」といわれるようなアクセス障害につながっていた面があるとすれば、「改革」によって、少なくとも弁護士の自覚が促されたというメリットはあったとはいえます。ビジネス化の是非以前の問題ともいえます。

     しかし、最近、現在の若手弁護士と、これからの弁護士・会を考えるうえで、気になる論稿を目にしました。「『コミュ力重視』の若者世代はこうして『野党ぎらい』になっていく」(野口雅弘・成蹊大学教授、現代ビジネス)という一文です。

     現在の若い世代の「野党嫌い」の背景には、そうした世代の「コミュ力」重視がある。空気を読み、フレンドリーな関係を築けることが評価基準となる。「コミュ障」とされる人は会話がすれ違ったり、お互いの言い分が感情的に対立したりして、それを調整するのに骨が折れるような「面倒臭い」事態を招くという扱い。しかし、コミュニケーションの理想が、こうした「コミュ力」とされているものの基準となるならば、ここに野党的なものが存在する余地は全くない――。

     彼はこの「コミュ力」と世界が重なるものとして、政治学者のオットー・キルヒハイマーが指摘した、脱イデオロギー化して、特定の階級や支持層ではなく、幅広い国民的な得票を目指す政党「catch-all party」(「包括政党」)の「こだわり」を持つ人や強く反対する人を忌避する世界を引用して、次のように述べています。

     「『こだわり』を持つことも、『情念』を出すことも禁じられれば、対抗する側(『野党』は英語ではoppositionである)はその分ますます無力になる。おかしいと思う問題に『こだわり』続ければ、『まだやっているのか』と言われ、不正義に憤って大きな声を出せば、『冷静な議論ができない』と言われ、党内で論争しただけで『内ゲバ』と言われる。そして恐ろしいことに、そうしたレッテル貼りには、抗いがたいほどの共感が広がっていく」

     ここに書かれていることは、いろいろ意味で弁護士・会の現実とこれからに被せてみたくなります。それは一つには、こうした感覚の人材がこれから弁護士界にやって来るとすれば(あるいは、こうした感覚からこの世界が選択されないということも考えられますが、逆にこうした感覚で選択された場合)、弁護士という仕事はどうなっていくのか。そして、そうした感覚の会員が圧倒的多数を占めた場合、弁護士会はどうなるのか、ということについてです。

     今の新しい弁護士たちの評価として、確かにかつてよりも依頼者への当たりがよく(というか、他のサービス業と変わらず普通化している)という評価がないわけではありません。そこだけとればプラスにカウントされるかもしれません。  しかし、その一方で、依頼者への説得という「面倒臭い」事態の回避という意味では、気になる現実も報告されています。かつてならば、法的な主張の無理を依頼者に説得したようなケースで、やたらに迎合的な姿勢で依頼者の気持ちをつなげようとする弁護士たちの話です。これは、姿勢や意識の問題である同時に、手間ということだけでなく、本来ならば求められる、説得する能力の穴を、「コミュ力」で埋めてしまう問題といえます。もちろん、これは依頼者にとって、結果的に有り難いとは限らない、危うい状況です(「『ポーズ』弁護士増加の嫌な兆候」 「歓迎できない『従順』弁護士の登場」)。

     「野党嫌い」という話は、そのまま弁護士会の将来像にかかわってくる問題といえます。在野性を強調し、反権力的スタンスをとってきた弁護士スタイルはもちろん、それを必要論のよりどころにしてきた弁護士自治が維持できるかに関わります。問題ある法制度新設、権力犯罪、誤判・再審にいたるまで、在野の法律専門家として、徹底的な反対運動と議論を喚起する「抵抗勢力」としての、まさに野党的な弁護士会の姿はおよそ志向されない未来のように見えます。

     現在の自治不要論を含めた、弁護士会批判は、「改革」が生み出した経済的な問題を背景に、会費の負担軽減をはじめ、反権力姿勢の批判よりも、会員利益を優先しない強制加入会への不満が上回っている観がありますが、前記してきたような若者世代の意識があるとすれば、いずれにしても流れは決定的なものになりかねないようにみえます。

     これがそれこそ、社会的な傾向ならば、どうしようもないじゃないか、という人もいるかもしれません。しかし、前記論稿も政党政治について言及していますが、では、それならばどういうことになるのか、ということだけは、弁護士・会についても冷静に考えておかなければなりません。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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