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    予備試験「抜け道」批判が隠し続けるもの

     予備試験という存在が、法科大学院制度擁護派、とりわけなんとしてでも制度を死守したい方々にとって、非常に都合の悪い存在になっていることは、もはや明らかです。しかし、制度にとっての本質的な「不都合」は、彼らが繰り返し言う、予備試験が「抜け道」になっているということに止まらない。そしてそれが表層的な現象だけをとらえたものであることを、ほかならない彼らが知らないわけはない、と思うのです。

     いわば志望者の「心得違い」による、予備試験の目的外使用をいう「抜け道」批判は、もちろん本道に流れるはずの人材が、そちらに逸れてしまう、人材を奪われる機会を与えてしまっていることを問題視し、それが彼らにとっても、あるべき法曹養成にとっても「不都合」であるというものです。

     しかし、それをいうのであれば、予備試験という存在は、制度にとってもっと本質的に「不都合」な存在になり得るはずです。それはいうまでもなく、その結果が、本道の「価値」そのものを揺るがしかねないからです。つまり、予備試験ルートで輩出される人材が、法曹として何の問題もない、という社会的な評価が下された場合、それでも司法試験の受験資格を「人質」に、プロセスを強制する制度が、このまま維持できるのか、という話です(「『予備試験』が明らかにするもの」)。

     予備試験ルートの人材が大手事務所から注目されているという話はありますが、現状においても法曹として有為な人材は両ルートに存在していると思います。だからどちらが優秀であるかといった、両者のレベルの問題より、むしろ本道側が何を根拠に、プロセス強制の必要性を強調できるのか、ということになってだと思うのです。有り体にいえば、「結果的にこれほどの違いかある」ということを立証できないまま、このまま受験要件化を掲げて強制化の論理を貫くのか、志望者の自由な選択を認めない制度を維持できるのか、ということです(「『価値』の実証性から見る法曹志望者の『選択』」)。

     冒頭の見方につながりますが、あくまで印象とお断りしたうえで言わせて頂ければ、制度を死守したい方々は、彼らにとって、最悪に「不都合」な展開をよく認識している。認識しながら、否、認識していればこそ、前記の恐るべき不合理さには触れない。彼らが、二言目にはいう「抜け道」批判は、実はそれを証明しているようにとれます。つまり、プロセスの正統性を、所与の前提として、頭ごなしにそれから逸れることを批判する本意は、決定的に制度を揺るがす、「価値」の立証不能を覆い隠すところにあるのではないか、ということです。

     11月7日、今年の予備試験合格者が昨年より43人増え、476人と過去最多となったことが、法務省から発表されました。このニュースを伝えた、同月8日付け朝日新聞朝刊は、今年の司法試験合格者の内訳で、予備試験ルート組が合格率で8割と、法科大学院修了者の約3割に比べ、2倍以上の開きがある現実を伝えたうえで、次のような一文で記事を締め括っています。

     「予備試験は本来、経済的な事情などで法科大学院に進めない人を救う制度だが、法科大学院に通う時間や費用を節約できる『抜け道』として受験者が増えているとみられる」

     相も変わらぬ制度擁護派・大マスコミの「抜け道」論に、業界関係者の中からはため息も聞かれます(「Schulze BLOG」)。これまでも書いてきたことですが、そもそも志望者が「法科大学院に通う時間や費用を節約できる」と考えることが、なぜ否定的にとらえられなければならないのでしょうか。それをそれぞれの個人的の「経済的な事情」に含めない、というのも、境界線がよく分からない話です。

     しかも、「法曹コース」新設や在学中司法試験受験容認の、制度改革についていえば、身内の擁護派からも異論があったとはいえ、結局、その志望者の気持ちを汲んだ負担軽減策としての、時短策を打ち出したのではないか、と言いたくなります。いわば、その「抜け道」の意図を汲んで、予備試験と同じ土俵で競争することにした。朝日の立場からすると、今回の「改革」にはやや批判的かもしれませんが、そこに違和感を覚えます。

     そして、そのこともさることながら、やはり彼らは、制度の「価値」が問われていることに触れない、というか、問題をそういうことにしない。あえていえば、「節約」が悪いという前提に立っているだけでなく、「時間や費用」をかけてまで選ぶ制度ではない、という志望者の判断が反映しているとは、絶対に捉えない。さらにその判断の裏に、単に司法試験合格率の問題ではなく、社会的にみて、いまだ制度が不可欠である(予備試験、あるいは旧試との違いを示す)ことができていない制度の現実と将来性には言及しない――。

     制度の勝負は、「まだ決着していない」という人もいるかもしれません。それがいつまで言われるのか、ということも問題ではありますが、表立ってそう表明する人は、むしろ少なくなっている印象です。しかし、「価値」で勝負しようとせず、あくまで受験要件という「特権」にしがみついて、「抜け道」批判で制度を維持しようする、法曹養成の形に、私たちの社会はいつまで付き合うことになるのでしょうか。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    新法曹養成をめぐる格差への「感性」

     大学入学共通テストで導入される民間の英語試験をめぐる、萩生田光一・文部科学大臣の、いわゆる「身の丈発言」に批判が集まっています。教育格差容認との批判の拡がりに、既に同大臣は「説明不足」として、謝罪・撤回に追い込まれていますが、制度自体のアンフェアを問題視する声は収まっていません。

     朝日新聞は10月29日朝刊「視点」で、深刻なのは、この制度自体が「身の丈入試」であることを拭えない点であるとし、「民間試験を使う以上、都会の裕福な家の子が何回も受験の練習をするのを妨げられない」と問題視。さらに、翌30日には社説でも取り上げ、「入試には貧富や地域による有利不利がつきまとう。その解消に努めるのが国の責務であり、ましてや不平等を助長することはあってはならない」「格差を容認する暴言と批判されたのは当然」と厳しく指摘しました。

     大臣の問題発言そのものよりも、それを許さない、この社会の反応を見るにつけ、経緯や前提となる内容が異なることは承知していても、司法改革の対象となった法曹養成は、ある意味、不幸であったという印象を持ってしまいます。

     新たに志望者へ課されることになり、これまでの司法試験受験の公平・平等の機会を奪うことになった法科大学院制度でも、さらにそれに上乗せして新たな経済的負担を課すことになった給費制廃止でも、この議論同様、「裕福な子弟しかチャレンジできない」という、不平等を危惧する声は出されたからです。

     しかし、資格取得のための費用の自弁性や、予備校依存批判を含めた旧試体制改革の意義を強調する推進論は、常に公平とか格差といった問題を後方に押しやって進めてきました。大学入試と司法試験の間に、社会的反応の差があるのは当然という片づけ方をすることができたとしても、それでも法曹養成において、もっとこの視点が強調されていれば、あるいはこの点にこだわる社会の感性があれば、今、どうなっていたのかと思わざるを得ないのです。

     大臣発言をきっかけに、制度自体の問題を鋭く指摘している朝日にしても、司法改革での格差については、今回とは全く違う反応だったといえます。今回の社説のなかで、朝日は「改革の方向性は正しいのだから、多少問題があってもやるしかない。(萩生田)氏に限らず今回の入試改革の関係者には、そんな開き直った態度が見え隠れする」と批判的に述べています。司法改革推進の関係者に、なぜ、朝日は今回見せたような、格差を問題視する感性で、このような言葉をぶつけられなかったのか、と言いたくなります。

     アメリカのロースクールの危機的状況を告発した、ブライアン・タマナハ・ワシントン大学ロースクール教授の書「アメリカ・ロースクールの凋落」(邦題)の訳者、樋口和彦氏は「訳者あとがき」の中で、アメリカのロースクールの現状の問題点を次の5点にまとめています。

     ① ロースクール卒業生は膨大な借金を抱える。
     ② 法律家需要より多くのロースクール卒業生を輩出し続けるので就職困難となる。
     ③ 景気動向とは関係なく法曹志望者は減り続けている。
     ④ 多くの若き弁護士は借金返済のための企業法務を目指す。
     ⑤ 金持ちでないと法曹を目指せない傾向がある。

     あえて説明するまでもなく、日本の法科大学院で全く同様なことが生じているのです。日本の司法改革でモデルとしたアメリカのロースクールにおける、問題点までを、日本の現状がなぞることになっているという、皮肉な結果です。

     そして、さらに樋口氏は「格差」に関連しては、こう言及しています。

     「そもそも、アメリカのロースクールが3年制となったのは、裕福な白人階級の保身のためであった(本書2章)。その結果、法曹の主流は中流より裕福な白人で占められている。日本が法科大学院制度を導入した真の狙いはこの辺にあるのではないかと疑いたくもなるのである」

     19世紀末の、アメリカ法曹協会を牛耳っていた超エリート法曹人たちによる、新移民法律家による法曹の評判低下への危惧。学生を集めるのに苦戦していた大学付属ロースクールの事情。「法曹界と一流大学のロースクールは、経済面と専門性の利益の一致を共有し、法学教育に高い基準を課した」「この二者の連携を確固たるものにしたのは、アメリカの法曹支配階級の心の奥底にある人種・民族差別主義と移民排斥主義であった」(前掲書2章)。

     アメリカのロースクール長い歴史のなかで、当初定着していた2年制課程が、こうした事情を背景に20世紀に入ってから現行の3年制課程に変えられます。そして、すべての学生に経済的窮乏を強いてまで強制する3年制への疑問を引きずりながら、「専門職の統一化」モデルから、それは維持されているのです。

     「中流や貧国階級の真の敵は、ロースクールに行くのを思いとどまらせ、ロースクールに行った者には過重な借金を課すお金がかかる3年制課程というロースクールの制度である」(前掲書同)

     1990年代から2000年代初頭の、日本での司法改革論議の「季節」に、日本が範としようとする国の制度をめぐり、現実には何が起こっていたのか――。「改革」の勢いに任せず、制度の真の影響を浮き彫りにして、そこを丁寧に議論することにつながる、「格差」への感性が、社会から示されていれば、あるいは今、志望者も法曹養成もここまで傷ついていなかったのではないか、と思ってしまうのです。


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    法科大学院「改革」批判論調の失われた視点

     朝日新聞が10月21日付け朝刊教育面で、早稲田大学法科大学院の学生たちが、原発被災地である福島県浪江町で行っている、町民への聞き取り調査にスポットを当てています(朝日デジタル)。将来の法律家に、現場の声を聞いて何ができるのかを考えてもらおうという、有志教員が3年前に始めた試みだそうです。

     記事では、東電とのかかわりがあった被災住民の、賠償請求をめぐる複雑な感情に触れた学生の声をはじめ、彼らの問題意識や、この活動に好意的な地元の声が紹介されています。ただ、一読して分かるのは、この記事が、法科大学院という教育機関が行う、こうした活動の意義をただ読者に伝えるだけのものではないことです。

     「法学部と法科大学院を経て法曹資格を得る期間が来春から短縮されるため、こうした教育に時間がかけられなくなるのではないか、と懸念する声もあがる」

     記事のリードの末尾は、こうした一文で括られています。記事全体の印象からすれば、意図的にやや強引に、このテーマに持っているようにとれます。全体の4分の3以上のスペースは、前記調査に関するものですが、一転、「法曹コース」新設による資格取得時短化への懸念につなげ、ご丁寧に「法科大学院改革」という用語説明の別記事を挟みこんでいます。

     当の学生たちは、自分たちの活動を紹介する記事の結論が、こういうところにつなげられることを知っていたのだろうか、とさえ、疑ってみたくなります。このことに関する彼らの声は一切なく、代わりに指導教授がこんな言葉で記事を締め括っています。

     「来春からの改革で、最小限の勉強で司法試験合格だけをめざす法科大学院が増える恐れがある。こんな状況だからこそ活動を続けたい」

     「司法試験合格だけをめざす」「こんな状況」という言葉に、批判的な響きがとれます。「法曹コース」「大学院在学中の司法試験受験容認」といった、資格取得への時短化による法科大学院志願者減対策に期待する側と、これによる教育理念の崩壊を懸念する側に、法科大学院制度擁護派を分裂させることになった今回の「改革」(「法科大学院制度擁護派の分裂と旧試『欠陥論』」 「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」 「法曹養成見直しにみる『無自覚』と司法試験への共通認識」)。朝日は、後者の立場の懸念に、あるいは指導教授のスタンスもあってか、この学生の活動を、なんとかつなげようとしたととれます。今回の「改革」は、こんな有意義な活動を奪いかねないのだ、と。

     しかし、あえて前者の立場から反論をすれば、では、志願者減はどうするのだ、ということになるのでしょう。今回の時短化政策が本質的な志願者の回復につながるのかには疑問があります。しかし、では後者の理念派から、志願者回復に有効な対策が提示されているわけではありません。「理念が滅ぶ」「理念は正しい」「こんな活動だって意義がある」と連呼して、志願者は戻って来るのでしょうか。

     強いて言うならば、司法試験合格率をなんとかしろ、という話かもしれませんが、それでは、やはり手段はともあれ「合格」の魅力頼みということになります。「法曹コース」の成果に期待する側の関係者からすれば、予備校扱いするような、「合格だけをめざす」などという言い方には当然反発するでしょう。逆に、法科大学院が、法曹の卵として、旧試体制にはない、こうした幅広く考える機会が得られる教育が施されるプロセスだとしても、その評価だけで志望者が回復する状況にはないというべきです。

     そして、もう一つ、付け加えるならば、時短化に期待する「改革」への批判が、これまで制度が掲げてきた理念への矛盾として、一理あるとしても、では彼らと今回の活動からそれを取り上げる朝日は、本当に学生の立場を考えている、といえるのでしょうか。

     朝日の読者は、この記事を読んで、あるいはこうした法曹の卵として有意義な活動の機会を奪う「改革」は本末転倒であるとストレートに理解し、この「改革」の方向に疑問を抱くかもしれませんし、それが朝日の狙いかもしれません。しかし、そもそもこの「改革」は、こうした学生の問題意識を育み、現実的にそれを活かしたり、役立てる環境を未来に描けるものにしているでしょうか。増員政策によって打撃を受けた弁護士の経済環境は、いまやそうした純粋に社会に役立つための志望者の志よりも、現実的には、まず、生存のための、ビジネス感覚と覚悟を彼らに求めるものになっています。それがなければ生きられない世界であり、そのことをむしろ業界からもっと彼らのために発信せよ、という声すらあるのが現実です。

     志望者減の根本原因が、弁護士の経済的価値の下落にあるとすれば、それに目を背ける前記法科大学院擁護派のどちらの立場にせよ、志望者が安心して、そして志を歪めないものとして、目指せる世界を考えているとはいえないはずです。「法科大学院がこういう活動をしているのは素晴らしいかもしれないが、卒業後の世界がこれでは・・・」という志望者は、彼らや朝日が回復を期待する人材として除外しているということでしょうか。

     記事に登場する指導教授は、コメントの中で、この経験が「法科大学院が本来めざすべき『十分な教養や体験を経た法律家』の養成に役立つはず」と語っています。しかし、学生の立場を考えれば、そうした教育は司法試験合格後の方がより身が入り、そしてそもそもその先に、この教育にかかったコストを回収できるだけの見通しが立つ、経済的に安定した未来が見通せる、少なくともそれが期待できるかどうか、という視点があっていいはずです。

     「法科大学院の」本来の教育に叶っているかどうか、という視点は伝わっても、その枠組みを生んだ「改革」が、本当に法曹養成と法曹志望者にとって、よりよい形になっているのか、あるいはそこから逆算された今なのかが、伝わってきません。


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    「無理」への認識と本当の価値

     今回の司法改革は、結果的に弁護士と法曹志望者に無理を強いる「改革」モデルだった、といえます。むしろ「改革」の結果は、既にそれをはっきりさせているといえないでしょうか。弁護士は競争・淘汰を乗り越えよ、法曹志望者はこれまでになかった経済的時間的負担を乗り越えよ、という発想。「改革」推進論者は、今でも本質的にそれを無理と認めているとも言い難いわけですが、問題はその発想がもたらした現実が、本当に社会にとって有り難いものなのか、そこが誤魔化しなく、社会に伝わる形で提示されているのかです。

     もちろん、推進論者は、この「無理」(たとえ、本当に無理だとしても)の先に、メリットを提示、あるいはイメージ化してきました。経済的に弁護士を追い詰めれば、これまで寡少性にあぐらをかいてきた彼らが「心得違い」を改め、努力することで、サービスは良質化、あるいは低額化し、より利用しやすくなる。その努力ができず、競争に敗れた者は市場から退去する、という望ましい効果が生まれる。志望者については、これまでの旧試体制よりも、法曹としてよりふさわしい教育が施されるし、必要とされる法曹の大量増産計画を支える形になる。志望者にとっても、これまでよりも試験は受かり易くなる――。

     しかし、現実は何度も書いているように、弁護士を激増させても、経済環境が破壊されたなかでは、むしろ当然に彼らの生存が優先される。薄利多売化が難しい仕事にあっては、必ずしも健全な形で低額化が生まれるわけでもない。「心得」や努力に期待しても、限界がある。退場といっても、サービス向上に怠慢な弁護士だけでなく、「改革」以前ならば生存できた市民に寄り添おうとする志や公的な活動に意欲的な弁護士までもが、当然に消えていき、巧みに金儲けに長けた弁護士がまず生存を確保する(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。

     志望者のなかには、この業界の現状と、新プロセスの経済的時間的負担の割りの合わさに気付きはじめ、これまた前記旧試であれば、志をもってこの世界を来たはずの人材も含めて、離れていく。安定のため分野指向、大事務所指向、あるいは起業家センスというフィルターで、事実上人材は選別される。

     しかし、新制度を守ろうとする側は、弁護士の経済的な問題をどうにかするという発想には立ちません。離れていく志望者については、時間的負担の「無理」だけを一部認めて、資格取得への時短化で彼らを取り戻せる、といっているのが現実です。

     つまり、何が言いたいのかといえば、この「改革」の「無理」は、本当に「改革」という名にふさわしく、社会と利用者に有り難い結果をもたらしているのか、この先もたらすのかが、問われていない、ということなのです。

     しかし、この「無理」は、不思議なくらい彼ら当事者に被せやすい、という特徴があります。有り体にいえば、実質的な社会にもたらす利よりも、「心得違い」だ、「甘えるな」という精神論や、「他の仕事ならばやっている」「俺たちもそれで生きている」という仕事の特殊性を認めない一般化の論理が、あてはめられがちてあり、判断停止を招きやすいということてす。

     最近も、及川智志弁護士がツイッターで紹介した、こんな「ある弁護士の怒りまたは嘆き」に批判的な声が出されました。

     「50歳を超えた。弁護士になって5年、10年と過ぎてもキャリアアップできない状況。誇りを持てない。事務員もいない1人事務所。『なんで自分なんかを司法試験に受からせたのか』と思ってしまう。国選弁護や民事法律扶助を担わせる労働力がほしかっただけではないのか」

     正直、前記した「改革」を取り巻く論調からすれば、いかにも批判されてしまいそうな表現が含まれています。キャリアアップできないことも、「誇りを持てない」ことも、本人の問題であり、そういう意識の持ち主は、利用者にとっても有り難くない人材である、と。「なんで自分なんか」という下りも、単なる責任転嫁で片付けられそうです。

     しかし、それも承知のうえであえていえば、「労働力がほしかっただけではないのか」と、この弁護士が感じている国選弁護や民事扶助事件に、現状のような、経済的な「無理」を強いてなければ、あるいはそれが無理にならない経済的な環境が担保されていれば、この弁護士は、今、こんなことを言っていない。いくら法テラス案件に貢献しても、キャリアアップができない、という状況。そこは問わずに「甘えるな」「なんとかしろ」と言い続けることが、その「無理」をなんとかすることよりも、本当に有り難い結果をもたらすのか、と言いたくなるのです。

     最近、司法試験受験者減少の原因として、日弁連主導層がいかに増員政策の失敗による弁護士の経済的激変の影響を直視していないかが分かる、彼らへのインタビュー記事が、ネットニュースで流れました(弁護士ドットコムニュース)。

     「受験者数が減少したのは、法曹志望者数が減ったこと、魅力がなくなったことなどが要因だといわれることもあります。しかし、法科大学院の定員規模の適正化、修了認定の厳格化が進んだ結果でもあるといえます。法科大学院の制度改革は着実に進んできています」
     「法科大学院の修了生の質を高め、司法試験の合格率を高めるという政策が実行されているとともに、司法試験受験者、ひいては司法試験合格者のクオリティが維持されてきていると分析しています」
     「(2019年の法科大学院志願者数が増加に転じたのは)私どもの地道な広報活動が実を結んだと考えたいと思っておりますが、あとは司法修習生の修習給付金制度が2017年から実施されていること、就職状況が一定程度安定化し、司法試験合格後の見通しがつきやすくなったこと、経済条件の好転など諸要素あると思います」
     「(「法曹コース」新設の新制度で)期間が短くなるということは、時間的負担とともに、経済的負担が少なくなるということになります。学生の選択肢が増えることになりますし、学生のニーズに応えることにもなるでしょうから、人気が高まっていくことを期待しています」

     この記事のタイトルには、「司法試験の受験者減少は『悪いこと』なのか?」とあるので、そこの回答を期待したのですが、実際にはその良し悪しというよりも、「法曹の不人気」もその原因も直視せず、志望者減そのものが「改革」の効果であるとして、ひたすらこの先への期待感を強調する楽観的な内容になっています。

     弁護士の現状を一番分かっているはずの団体の主導層が、今、本当に足元で起こっている同業者の現状をなぜ、直視しようとしないのか、さらに「改革」がもたらしている、この業界の無理の先に、本当は誰のために有り難い未来を描こうとしているのか、という気持ちになってしまうのです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    真の原因にたどりつけない現実

     以前、ある弁護士ブログに、次のような見方を提示しているものがありました。

     「皮肉なことに、いまとなっては、法科大学院こそが、更なる弁護士の経済環境悪化をギリギリのところで阻止している」(「あくまで法律のはなし」)

     このブログ氏は、法科大学院制度を擁護する立場ではありません。制度は既に破綻しており、「理性的に政策論を語るなら、即刻廃止すべき」という立場です。簡単に説明すれば、彼が言っているのは、法科大学院の司法試験受験要件化の「効果」についてです。

     法科大学院の志願者減の真の原因は、弁護士の経済的価値の下落であり、法科大学院におカネを先行投資しても、リターンが期待できない弁護士業のの現状があるから。しかし、その状況下でも、前記受験要件化が撤廃されれば、それでも資格を取ろうとチャレンジする若者がいるはず、つまりは、同要件化は事実上、司法試験合格者増のストッパーになっている、と。

     ブログ氏は、次のような皮肉めいた一文で、このエントリーを締め括っています。

     「法科大学院には、もうしばらく、国民の税金と若者を食い物にする制度として存在し続けてくれたほうが、現役の弁護士にとっては都合が良いと言わざるを得ない」

     この一文は、現在の法科大学院維持・擁護中心の法曹養成をめぐる論調が、いかに本質的な問題とかけ離れているのかを、皮肉な形で浮き彫りにしています。前記法曹志願者減の真の原因が直視しないまま、司法試験合格者さえ増やせば志望者は回復するという発想。予備試験に流れる人材を、時短策や同試験への制限で、こちらに振り向けることに腐心する発想。そして、自らが受験者・合格者のストッパーになっているとは認めず、法科大学院制度=受験要件化は生命線としがみく発想。

     いうまでもなく、受験要件化が撤廃されれば、今よりもチャレンジャーが増えるかもしれないといっても、弁護士の経済的現状を考えれば、一つの制約が外れたに過ぎず、今の弁護士の状況が、当然、優秀な人材を呼び込める条件を具備しているのかどうかという問題は残ります。また、法科大学院敬遠で受験生、合格者が抑制されている、あるいは「ギリギリ」弁護士の経済環境のさらなる悪化が阻止されている、といっても、増員政策が続いている以上、今のところ弁護士という仕事が明るい見通しに立てる状況にもありません。

     「明るい見通しがない」資格取得に、それでもチャレンジしたい人材へ、経済的に高いハードルを課し、高いリスクを負わせる制度の現実を脇において、資格取得までの時短化を謳い、「受験資格が与えられます」と銘打つ制度。「国民の税金と若者を食い物にする制度」は、それと引き換えにできるような、誰かに有り難い法曹養成を本当に目指しているのでしょうか。この状態が、「現役弁護士にとって都合が良い」ということ自体、理想的な形どころか、法曹養成も、弁護士という資格業も、既にそこまで壊れてしまっているということではないでしょうか(「法科大学院の『メリット』というテーマ」)。

     「司法の基盤が揺らぎかねない」。こんなタイトルで、9月29日付け読売新聞が、司法試験合格者4年連続減少と法曹離れに歯止めがかからないことの危機を訴える社説を掲載しています。これまで読売の論調との比較で注目点などについて、弁護士ブログ「Schulze BLOG」も取り上げていますが、そこで指摘されている通り、微妙な変遷もあります。

     しかし、ここでも感じることは、司法基盤の危機というテーマを投げかけながら、本質的な問題から目が逸れている、あるいは巧みに逸らそうとしているというメディアの姿勢です。読売は「最大の原因は、法科大学院を中核とする法曹養成制度がうまく機能していないこと」としています。自己目的化した「改革」を正直に白状してしまっているようにもとれなくありませんが、とにかく徹頭徹尾、法曹離れの前記根本原因である弁護士の経済的価値下落と、それの引き金となっている増員政策の失敗から目を背けています。

     「法曹離れに歯止めがかからなければ、国民に対する司法サービスの低下を招く」ともしていますが、果たしてそうでしょうか。増員し続けなければ、こたえられない司法サービスの需要があるならば、弁護士の経済的環境はここまで下落していません。仮にその需要が市場原理とは無関係になんとかしなければならないものとして、この社会に存在するのであれば、数を増やすだけでなんとかするという発想の方がそもそも間違いといわなければなりません。読売はそこに言及しているわけでもない。

     「多様な人材の活用も進んでいない」、社会人入学者が少ないと嘆き、「司法試験合格率の低迷が続いているため、思い切って挑戦する決心がつかない人もいることだろう」と推察してみせています。合格率が低くても、その先の弁護士の経済的環境が今のようでなかった時代には、多くの受験者を確保できていた事実を無視し、あくまで司法試験合格率のせいにする。「多様な人材」の挑戦の阻害に前記したように、法科大学院のハードルが一役買っている、という視点もなし。そして、最後はお決まりの「新たなビジネスの創出やグローバル化の進展で、司法が必要とされる分野は広がっている」という待望論と、社会人のために法科大学院の「夜間コースの拡充や通信制の導入」の検討提案――。

     結局、法科大学院擁護派の業界関係者もメディアも、弁護士の経済的な環境など、「なんとかせよ」「なんとかなる」「なんとかできないは業界の責任」という発想から、ずっと抜け出していないようにみえます。もちろん、それがある以上、法曹離れの真の原因にも辿りつけず、次の一歩にも踏み出せないということになります。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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