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    司法試験の地位を変える法科大学院制度変更

     法科大学院の制度変更として検討されている、在学中の司法試験受験「容認」(「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」)が実現した場合の、在学中合格者について、法科大学院を修了しなければ、司法修習に進ませない、という、ある意味、奇妙な案が取り沙汰されています。既に在学中受験「容認」への条件付き賛成を理事会で決定した日弁連も、「基本的確認事項」の中で、在学中合格者の司法修習については、法科大学院修了の条件化を打ち出しています(「『条件付き賛成』という日弁連の選択」)。

     制度への「背理」として、制度擁護派からも出ている在学中受験「容認」案への異論に対して、合格しても法科大学院教育は受けさせるという形で、それは分裂回避のための落とし所のような格好で打ち出されているようにもとれます。

     しかし、こうなってくると、当然のことながら、司法試験とは一体、なんなのだ、という話になります。司法試験は、法曹三者になろうとする者に必要な学識、その応用能力を有するかどうかを判定する試験(司法試験法1条)であり、それゆえに、合格者は司法修習に進んできました。そう考えれば、合格者への修了条件化は、資格試験としての司法試験の地位を変えるものになるといえます。

     もっとも新法曹養成にあって、新司法試験は前記目的を維持したまま、法科大学院教育の「効果測定」という役割を担わされました。ところが、今回の案では、在学中受験ということで、その役割が俄然不透明になった。というよりも、仮に不透明なっても、さらには修了条件化で司法試験の性格を変えても、受験・資格取得への「時短化」で志望者回復を目指そうとしている、ということになります。

     これはいってみれば、あちらを立てれば、こちらが立たず的な話です。これまで通りの司法試験の性格を立てれば、合格者を法科大学院に強制的に縛り付けることはおかしく、逆に法科大学院教育を立てれば、司法試験の従来の性格を変えても、法科大学院は経なければならないとするのが筋である、と。

     しかし、これは相当の無理筋の案にとれます。必要な学識・応用力審査をパスしても、これまでのように司法修習に進めない、ということには相当な説明が必要です。司法試験の「効果測定」的役割を前提にするならば、教育を全うしていなくても、全うしたのと同レベルの人材が合格者ということになりますから、その余の教育の強制化の必要性は不透明です。一方、根本的に関門としての司法試験の地位を落とし、修了を優先させるということになると、合格しても経なければならない理由をはっきりさせなければならないはずです。

     問題は、法科大学院制度は、果たしてその中身を具体的に提示できるのか、ということです。合格しても修了が必要というのは、具体的にどういう教育が合格者に加味して施される意義があるからだ、そうしないと法曹として不都合があるのだ、と。だから司法試験の従来の地位を落としても必要なのだ、と。まさか、そこで説明できるのが、制度としてそうなっているから、とか、制度を維持するためにそうせざるを得ない、ということではないでしょうね、と、問い質したくなってしまうのです。

     もっとも、制度擁護派内異論派も、さすがにその無理筋を分かっており、在学中受験「容認」反対の文脈でも、合格者は「試験の時点において、『こうした知識と能力を有する』と判定されたことになるわけですから、その者には、受験後に法科大学院に在学する理由はまったくない」としています(「Law未来の会」の要請書)。もっとも彼らは、関門としての司法試験の役割は変えずに、司法試験のレベルを現実の法科大学院のレベルに沿わせることで、合格率を上げ、志望者回復を図ろうとしていますから、法科大学院制度のために別の形で、やはり司法試験を変質させようとしている、ともいえます。

     司法試験に合格しても法科大学院教育を経なければダメ、というのは、制度維持を疑いようもなく前提にしている側でも意見が割れるほど無理筋ですが、これは、旧司法試験組や予備試験組が本当にダメなのか、法曹として通用しないのか、あるいは法科大学院修了者に法曹として劣るのか、という根本的な疑問につながってしまいます。

     このことは結局、法科大学院が制度存続ありきではなく、その教育が、法曹にはどうしても必要であるという「価値」で勝負すること、修了の司法試験受験要件化ではなく、時間をかけてでも、社会にそれを実証し、「なるほど修了しなければ通用しない」「のちのち実力に差がつく」という評価を得るというのが正道だということ、そして、それを回避しようとしても、ずっと付きまとうことを教えているようにとれるのです。


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    「司法試験前」という位置取りへの疑問

     法科大学院が目指すという教育が、なぜ、司法試験という関門の前に施されなければならないのか、という素朴な疑問が、ずっと弁護士会のなかでくすぶっています。法科大学院教育の存在意義のように語られてきた「理論と実務の架橋」や「幅広い知識と教養を身につけた法曹の育成」。法科大学院関係者が強弁してきたように、仮にそれが「理念」として正しかったとしても、なぜ、そのプロセスが現在のような位置取りでなければならないのか、という問題です。

     これらのスローガンには、多分に旧司法試験体制を意識し、それに対するアンチテーゼの色彩があります。端的に言えば、旧体制では志望者は司法試験のための受験技術に傾き、法曹としての幅広い知識・教養に欠けることになっていた、という捉え方です。しかし、司法試験に合格し得る基礎的な法律知識とともに、2年ないし3年の期間に法科大学院自体が身につけるという「幅広い」教養とはいかほどのものなのかは初めから不透明でした。

     それを考えれば、制度が当初強調していた、「多様なバックグラウンド」という言葉でいわれていた、受け入れる人材の多様性確保がうまくいかないのであれば、なおさら実績にはつながらないといわざるを得ません(「『多様性』のプライオリティ」)。そして、さらに「実務」ということであれば、なおさら不透明なものがあります。前期修習廃止ともにさんざんいわれましたが、一つは法科大学院の教育担当能力の問題であり、もう一つは司法試験合格後の方が、教える側にとっても教わる側にとっても効果的ではないかという問題です。

     実は、これらについての突っ込んだ説明が、制度の側から不思議なくらいされてこなかった現実があります。実務教育面での制度の能力やタイミングについて、こだわっていいはずの日弁連も、この点について、2011年に発表した提言のなかで、次のようにさらっと言い切っています。

     「法科大学院では、実務に特化した教育を行うプロフェッショナル・スクールとして『法理論教育を中心としつつ、実務教育の導入部分(例えば、要件事実や事実認定に関する基礎的部分)をも併せて実施することとし、実務との架橋を強く意識した教育を行う』こととされており、従来の法学部教育に比べ、現実に“使う”観点に基づく法理論教育が徹底されるとともに、実務教育により、法理論の定着・深化を図り、かつ、実務家としての価値観、責任感、倫理観を教えることが期待されている」(「法科大学院教育と司法修習との連携強化のための提言」)

     実務教育に関わる法科大学院制度の役割と能力を当然の大前提とし、司法試験に合格していない段階の人材に「実務家としての価値観、責任感、倫理観を教える」妥当性に何の疑問も抱かいていない。タイミングとしての司法修習との比較、本来どちらの時期がその目的達成に適しているのかという視点もありません。旧制度へのアンチテーゼを疑問の余地なく受けとめ、頭から制度に期待する姿勢といわざるを得ません。

     この点について、森山文昭弁護士は著書のなかで次のように述べています。

     「『実務家としての価値観、責任感、倫理観』は、司法試験に合格してからでも十分学ぶことができるし、むしろその方が効果的である。この法曹倫理の授業は、アメリカでは学生にとって最も評判の悪い授業であると言われており、その点は日本でも同様である」
     「法科大学院生は、司法試験に合格することが最大の目的である。まだ、合格できるかどうかわからない段階で実務を教えられても、身が入らないのは当然である。このことは、法曹倫理だけでなく、すべての実務科目について言えることである。教育効果という点で考えれば、法科大学院では理論教育に徹し、実務教育は司法試験に合格した後に行うというのが最も合理的な方法であろう」(「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」)

     ところで、なぜ、この点を今、取り上げたかといえば、それは法科大学院制度をめぐって起きていること、志望者減と、その対策としての司法試験受験・資格取得への「時短化」、そしてそれをめぐる制度擁護派の分裂という状況(「法科大学院制度擁護派の分裂と旧試『欠陥論』」 「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」)に、この素朴な疑問がつながっているからです。

     志望者は森山弁護士がいう通りの、この制度のおかしさに当然に気付き、司法試験合格前に絶対に経なければならないという本質的な制度の「価値」を(経済的意味でも)低く見積もったからこそ、彼らは予備試験に流れている。そして、制度通過の価値を自ら否定するかのような、在学中受験「容認」の制度変更の方向性は、見方によっては前記タイミングに対する疑問の正しさを、制度が認めざるを得なくなったということではないか――。そう考えれば、日弁連提言の姿勢のような、この素朴な疑問にこだわらず、制度の「価値」を当然の大前提としたツケが回ってきてるのが、現在の状況ととれるのです。

     法科大学院制度を司法試験の前に構想した側には、医師国家試験と医学部のイメージが念頭にあったということがいわれています。医師のように、医学部という教育プロセスを経た人材が試験に合格し資格を得る形に、なんとか法曹養成も変えられないか。これはある意味、一般的にはイメージしやすかったかもしれません。しかし、「改革」は、司法試験と司法修習という形で成り立ってきた法曹養成の実績を余りに無視し、無理で急激な変化を強いて、一気にその新制度の「価値」を認めさせようとして、それを実現できなかった。修了の司法試験受験要件化という、「強制化」によって制度を支える道を選び、時間をかけてでも教育の「価値」を認めさせる方法をとらなかったことが裏目に出たともいえます。 

     一方の前記制度変更を批判する制度擁護派の主張をみれば、いまだ「理念は正しい」という前提で、制度変更の「背理」を主張しています。司法試験をとにかく修了者が受かるものにできれば、制度は維持できるとするような発想は、今も前記医学部イメージのなかで活路を見出そうとしているようにもとれます。

     この「改革」で何が議論されず、そして何のツケ回ってきたのか――。もう正面から問い直されていいと思えてなりません。


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    法科大学院制度擁護派の分裂と旧試「欠陥論」

     法科大学院制度の導入は、旧司法試験体制「欠陥論」の危うさや矛盾を、ある意味、力づくで越えた観があります。「点からプロセス」と強調されながら、旧試体制でも司法試験と司法修習、さらにその先のOJTというプロセスの実績が存在していたこと。さかんに批判された「予備校依存」にしても、その現実的な影響については不透明なところがあったこと。そして、何よりもこの制度を導入しようとした時点で、それを推進しようとする者を含めて、現役法曹が「欠陥」養成過程出身となってしまうこと――。

     結論からいえば、以前も書いたように、無理と自己矛盾を抱えかねない、この「欠陥論」を、「改革」主導者は、新プロセス必要論と法科大学院待望論につなげようとしました。その結果として、ある種の、潔さとして受けとめられるかもしれない、自らもそこから生まれてきたことを脇に置いた同業者の質批判。一発試験、修習、その先の法律事務所での修養では得られない「実務教育」を、法科大学院で実現できるというような期待感への誘導。現実に司法試験が残ることを知っていながら言われた脱試験の効用や法曹の「閉鎖性」の強調が行われたのでした(「旧試法曹『欠陥』論からのハードル」)。

     しかし、一方で現実的には、法曹界や大学関係者のなかにも、受けとめ方の温度差がありました。完全にその気になっている人、この部分はあいまいのまま、「現状をより良くする」くらいに読み変えて支持する人、懐疑的ながら沈黙する人――。そして、結局、法科大学院制度は、どこかこの自己矛盾を抱えたままの、導入したい側の論理と、それを取り巻く状況を、今日まで引きずってきたようにみえるのです。

     いま、法科大学院制度擁護論が分裂的な状況に立ち至っています。志望者減という深刻な状況を前に、司法試験受験と資格取得への「時短化」による時間的負担軽減で、事態打開を図ろうとする政府の制度変更の方向に対して、制度擁護派のなかから、法科大学院を法曹養成の中核として、いわば必須プロセスとしてきた趣旨への背理を指摘する反発が出ているのです。日弁連は、早々に条件付きで政府の方向で賛成に回り、会内擁護派の分裂を極力回避したい意向をうかがわせています(「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」 「『条件付き賛成』という日弁連の選択」)。

     こうしたなか、制度変更反対派が11月26日に行った記者会見の模様が報じられています(弁護士ドットコムNEWS)。そして、その中で、会見を開いた側の大学関係者の一人が、政府の制度変更の方向に関して、次のように述べたことが伝えられています。

     「どういう法曹を育てるかということ考えず、司法試験合格で法律家になれるという歪んだ考え方ではじまっている」

     この記事からだけでは、前後の文脈が分かりませんが、この発言の引用が正しければ、ここに前記「欠陥論」を当てはめるのは容易です。彼のなかで、司法試験と司法修習の旧プロセスは、まさに今でも「どういう法曹を育てるか」を考えず、「歪んだ考え方」で成り立っていたもの(あるいは、そうとしなければならないもの)であり、制度変更の方向は、それへの回帰であると。

     しかし、そう考えると、制度変更の方向の現実性は、「欠陥論」の敗北を意味しているようにもとれます。必須プロセスを経ない例外への妥協は、旧試「欠陥論」が裏打ちしたはずの、新プロセス必要論の根拠を弱めるとともに、「欠陥論」も根本的に弱めてしまう。「それでも別にいいじゃないか、人を集めるためだし、制度を支えるためなのだから」と言った瞬間に、制度導入のためにかざした旧制度「欠陥論」は何だったんだという話になって当然のはずです。

     その意味では、何があっても「理念は正しい」と強弁してきた側が、「欠陥論」にしがみついて、前記のような強い、露骨な表現をすること自体は、理解できる話ではあります。

     しかし、彼らは自覚しなければなりません。法科大学院から離れて行く、あるいは離れていった志望者たちは、とっくにこの「欠陥論」など信じていないということを。これまでのような「欠陥法曹」にならないためには、法科大学院に行かなければならないとは誰も考えていない。逆に言えば、それこそが、制度が「欠陥論」の正しさとともに、社会に証明できなかった新プロセスの「価値」であるということを。

     制度変更反対論者は、政府の方向を、「制度の趣旨をかなぐり捨てている」かのように批判しますが、「欠陥論」にしがみつく、その姿は、「どういう法曹を育てるかということ」を考えていない、と相手を批判しながら、彼らもまた、制度維持のために、もはやあるべき法曹養成という発想を「かなぐり捨てている」ように見えてしまいます。


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    新法曹養成制度の高いハードルの意味

     法曹養成制度をめぐる「改革」の失敗を考えるうえで、見過ごせない特徴の一つは、その設定された目標のハードルの高さです。2010年ころに新司法試験合格者の年間3000人、法科大学院修了者の7、8割程度の司法試験合格、未修コース原則化と3年という設定など、「改革」が自ら設定した高いハードルを、ほぼことごとくクリアできない現実を私たちは目の当たりにしています。

     単に認識が甘かったと括ることはできるかもしれませんし、「改革」であるがゆえに、目標を高く掲げがちという見方もできるかもしれません。しかし、もう一歩進めて考えてみると、結局、これは「改革」の名のもとに既存の制度を批判し、それに代わる存在意義を強調し、そうなることを急いだ結果ととれます。逆に言うと、それだけ旧制度には長く存在してきた妥当性や意義は強く存在していたということのようにとれるのです。いわば、それを破壊するうえに制度をつくるための、高いハードル設定が、ものの見事に現在の失敗につながっているということです。

     この「改革」をめぐっては、「まず増員ありき」ということが言われてきました。法曹の大量増産計画、合格3000人という目標の固定化、前提化。これそのものが、当時の法曹界からみても高いハードルであったにもかかわらず、弁護士界自らがそれを受け入れた。そこには、仮に増員を現実化するとしても、既存の弁護士の数の経済的な妥当性、有り体にいえば、増員でも「やれるだろう」とか、数の裏付けのない必要論ではなく、結果論ではあるものの、無理をするリスクの方にもっと目が向けられてよかった(「『合格3000人』に突き進ませたもの」 「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。

     弁護士不足の大合唱、弁護士の保身批判や抵抗勢力扱いされかねない状況で、ある意味、政治的にそれは無理だったという見方も当然あります。ただ、それが志望者減という法曹養成全体にかかわる深刻な問題の原因となる、資格そのものの経済的価値の下落につながったという結果の重大性。そして、今でも弁護士会がその経済的価値の回復について、明確な見通しがないまま、「まだまだ論」を掲げて増員基調の「改革」路線から決別できない現実からも、ここは「仕方がなかった」では済まないところです。

     しかし、このこともさることながら、やはり見過ごせないのは、この前提によって新法曹養成が背負ったものです。この大量増員計画に当たり、旧司法試験体制では、法曹の質を確保できないということが、法科大学院という新法曹養成機関の存在意義、必要論として語られました(「増員政策に乗っかった法科大学院制度必要のロジック」)。しかし、これはそもそも制度に高いハードルを課すものといわなければなりません。合格水準を下げて大量増員するのならば、ともかく、水準を下げないのであれば、新プロセスが底上げ的に相当効果が期待できる教育を施すか、あるいはこれまで以上に優秀な人材が志望してくる以外に考えられないからです。

     今にしてみれば、それをなぜ可能と考えたのかは、ある意味不思議といければなりません。後者について、資格の経済的価値の下落を生んだ増員政策自体が、いまや全く正反対の効果を生み出したといえます。一方、前者は前記した未修コース原則化と3年設定の発想でも分かるように、法曹養成に対する、相当に甘い見通しがあったようにとれます。

     それと同時に、ここには制度導入ありきの発想があったのではないでしょうか。つまり、新制度が旧制度を代替し、効果において凌駕するというそれこそ、前提が必要だった。それゆえに、高いハードルとそれが可能であるという前提もまた、この制度には当然必要だった――。

     志望者の予備校依存、受験技術偏重批判というものも、新制度導入必要の文脈で語られましたが、今もその中身については疑問の声が聞かれます。具体的にその弊害が、どこまで当時の現役法曹の質に影響していたかは不透明のままですし、司法試験が存在し、合格させるという使命を受け入れた以上、新制度も受験を意識しなければならないのは当然だったからです。そして、法曹としての幅広い能力を育成するというのであれば、それが司法試験合格の前でなければならないのか、それが志望者にとって最適といえるのかという疑問を制度は抱え込むことも明らかだったのです。

     そもそも未修コース原則化にしても、予備試験の設置にしても、旧司法試験体制に比べて、公平な受験機会について新制度が明らかに後退するなかで、多様性の確保を強調したいあまり、導入した(導入せざるを得なかった)ものとみることもできるのです(「法科大学院の数と制度『失敗』の本質」)。

     つまり、何が言いたいかといえば、冒頭書いた制度の高いハードルは、その本当の必要論や実現可能性、もっといえばそれへの制度構築者側の自信の裏付けよりも、旧制度をなくす、代替の制度導入ありきで、必要とされたものだったのではないか。反対・慎重論、さらに詳密な議論の頭越しに、増員政策と新法曹養成を実現するため、先を急ぐために必要なものだったのではないか――、ということです。

     しかし、結果からすれば、それがそういうものであっただけに、崩れるのは早かった。「7、8割合格」も、「3000人目標」も、未修コースで実績を出すことも、いずれも早々にその「無理」が露呈した。そして、その後はその「無理」を脇に置いたまま、「予備試験」批判、司法試験の合格率批判、さらには最近の合格、資格取得までの時短化で志望者を回復させようとする方向まで、「制度ありき」が貫かれている観があります。つまりは、はじめから「改革」は自己目的化していたのではないか、ということです。

     今、「もう、元の司法試験制度に戻せばいいだけじゃないか」という声が、以前よりも多く聞かれるようになってきました。それは「実務と理論の架け橋」とかプロセスとしての教育の「理念は正しい」と強弁されてきた制度ながら、現実的に旧制度に代わる、それを凌駕する「価値」を既に新制度は示し切れなかった、さらに言えば今後、示し切れる自信も見られない、と見切った意見ととれます。

     何のための「改革」だったのか、そして何のために続けられる制度なのか――。始まってしまった、創ってしまったに引きずられず、正面から「改革」の目的と自信を問い直すべき時といえそうです。


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    見切られた側の「自覚」という問題

     いうまでもなく、法曹志望者減という現象は、あくまで彼らが「価値」を見切った結果と考えなければなりません。見切られているのは、要するに弁護士資格と法科大学院です。何度も書いているように、「改革」の増員政策が、弁護士資格の経済的「価値」を下げ、そのリターンを期待できない資格に対する、なおかつ司法試験合格も危うい制度に、時間とおカネを先行投資する「価値」が見出せなくなった、ということです。

     そして、そうだとすれば、今、一番問われるべきなのは、見切られた側の「自覚」であるはずです。ところが、この状況下で、率直に言って、そこが一番危ういようにみえるのです。そもそも表向き、「価値」を見切られている側という自覚自体、疑わしく思えるところもあります。

     例えば、前者について、弁護士会側が引き金になった増員政策の失敗をペースダウン論に置き換え、抜本的な原因に舵を切らず(切れず)、夢や魅力を語れとばかり、「生存バイアス」ととられかねない、成功者を取り上げるのは、本当にそれを自覚しているととれるのでしょうか。(「巧妙で曖昧な増員『ぺースダウン』論」)

     一方、後者の法科大学院という制度に関して言えば、その先の弁護士資格取得の経済的妙味がなくなっているという部分については、被害者意識がある関係者もいるようですが(もっとも、それも制度と一体となった増員政策の結果ですが)、それはともかく、時間的経済的負担と「価値」についての自覚がはじめから足りていない。

     つまり、どういうことかといえば、これも書いてきたことですが、初めから旧試体制に対し、先行投資的に時間的経済的負担を課す制度であることは明確である制度なのですから、その負担を志望者に受け入れさせるだけの、「価値」を提示することが制度として宿命付けられている、という自覚が、当然に求められていた、ということです。要するに、どうしても法曹養成には欠くことができないという存在になること、社会的にも、専門家の目にも、そして志望者にとっても、なるほどこれは法科大学院に行かなければダメだ、という「価値」を示すことです。

     制度ができた当初、正直、その自覚は当然、存在していると思っていました。しかし、早々に修了者の「7、8割」達成見込みが外れたことへの弁明じみた対応に始まり、予備試験批判や「とにかく司法試験に合格させよ」といった発言が法科大学院関係者側から聞かれるに及んで、どんどんそれ怪しくなってきた。有り体に言えば、本気で「価値」で勝負して、勝ちに行く気があるのかどうかが疑わしくなってきたということです。

     予備試験ルートとの本当の勝負どころは、本当は彼らが選択した時短や経済効率ではなく、それを上回るプロセスの「価値」です。本来の「予備試験」の本来の趣旨を強調する「抜け道」論が、制度擁護の立場から主張されてきましたが、考えてみれば、本来「価値」で勝利さえすれば、その主張通り、本来の趣旨に戻せるはずです。予備試験ルートの選択者は、少なくとも前者の弁護士資格の「価値」をいまた見切っていない。したがって、時短よりも投資価値がある制度であれば、それを選択する可能性があり、それでも経済的理由で、それこそ現実問題としてどうしても選択できない人が、予備試験ルートを選ぶことになるからです。

     要は、現状、時短、経済的効率ルートを思いとどまらせるものが、本道にないということなのです。当初、これも当然に、これは制度側が「改革」の時間の問題としてとらえているのか、と考えていました。つまり、制度定着に時間が必要で、いずれ本道が凌駕する、と。むしろ、そうでもなければ、長年施行され、ある意味、誰でもいつまでも受験できる機会を与えてきた旧司法試験をなくし、これまで専門家の間でも一定の実績とそれへの評価を得ていた司法修習に代わり、法曹養成の中核になるなどあり得ない、と考えられたからです。そんなに自信がなくて、中核を名乗るなどあり得ないだろう、と。

     しかし、最近の動向をみるにつけても、この「価値」で勝負することへの自信のなさは、ある意味、信じ難いことですが、やはり制度の本質的な問題なのではないか、と思えるのです。前回書いたような、今、検討の俎上に上がってきた、司法試験合格・資格取得までの時短化による時間的負担軽減で、志望者を回復しようとする制度見直しの方向(学部3年+大学院2年の「法曹5年コース」導入、法科大学院在学中の司法試験受験容認)。法科大学院「応援団」からも批判されるような方向は一体、何を意味しているのでしょうか。「予備試験」とそこで勝負するつもりなのか、と突っ込みたくなります。

     「応援団」の自らの実績の問題ではなく、制度の問題として司法試験合格率を上げよ、というのも、実は同様ですが、あれほど「理念は正しい」といいながら、その「理念」の「価値」で勝負するという道はない、ということでいいのか、と言いたくなるのです(「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」 司法ウオッチ「編集長コラム『飛耳長目』~失われた『狭き門』批判のメリット」)。
     
     弁護士増員政策や法科大学院制度について、鋭い問題提起をしている森山文昭弁護士は、著書の中で、修了の司法試験受験要件化、つまりは法科大学院本道の核となる部分の条件として、前記したように法曹として必要な能力を身につけるうえでどうしても必要なプロセスとして認められることと、修了者がほぼ全員司法試験に合格できること(必ずしも司法試験制度をそうしろ、ということではなく、法科大学院の実力としてと解される)の二点を挙げています。

     そして、そのうえで、前記二つの正当化条件が満たされないのであれば、受験要件化は制度から外すしかなく、そうしなければ、「現在差し迫った最も重要な課題となっている法曹志望者の回復という大事業にとって、法科大学院の存在が桎梏となる可能性がある」と喝破しています(「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」)。

     弁護士会のなかには、法科大学院制度「失敗」の声の高まりに対しても、一方で「おいそれと制度は潰せない」という、腰の引けた発言も根強くあります。弁護士会の前記増員政策に対する姿勢にも、実は法科大学院制度を含め、「改革」路線の大きな枠組み、つまり量産計画を基礎に、それを支えるプロセスとして法曹養成の中核に法科大学院を据えた制度設計を基本的に変えたくない、という発想があるようにもとれます。

     しかし、冒頭、「自覚」の危うさについて、「表向き」と書いたように、弁護士会も法科大学院周辺も、本当はすべて分かっているのではないかと考えざるを得ません。つまりは、しがみついているものに、そして、その先の弁護士界に、今後、そんなに明るい展開が待っていないということを。やはり、今、まず求められる「自覚」とは、森山弁護士が言っている、そのしがみついているものが「桎梏」となる本当の深刻度へのそれなのかもしれません。 


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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