FC2ブログ

    ある「改革」批判者の絶望

     当ブログのコメント欄でも紹介されていましたが、法科大学院制度や弁護士会の現実に、舌鋒鋭く、批判的な分析を加え、業界関係者を中心に注目されていた、弁護士(のち請求退会)ブログ「黒猫のつぶやき」が、今月28日の更新を最後に、新たな記事を掲載しないことを発表しました。

     「改革」の失敗と、それによる法曹界の変質を直視した論調は、「改革」論議が過去のものになりつつある業界内にあって、貴重な視点を提供する役割を果たしてきただけに、それが今後、新たに見れなくなることを惜しむ読者の声が聞こえてきます。その一方で、時に旧試体制との比較において、新法曹養成体制で生まれた法曹の質の問題に触れる、辛辣な表現には、一部から反発や異論の声も出されました。

     彼の主張の根底には、常に「改革」後のこの世界に対する、失望感もしくは絶望感が横たわっていたようにとれました。「改革」によって壊れた、彼からすれば劣化した法曹養成と法曹、そしてそれについて自覚のない業界に対する、緻密な批判的分析は、今にしてみれば、それ自体、彼のこの業界に対する嫌気の発露だったといえます。そして、その言葉通り、やがて彼は弁護士会から離れ、そして今回、その業界を見放すかのように、批判者の立場にも幕を下ろすことになったのでした。

     28日の「最終記事」と銘打った投稿は、まさにそんな彼らしい、法曹養成をめぐる「改革」に関する総括的な彼の見方を提示するものとなっています。ただ、彼が振り返る「改革」と弁護士界の変遷を、ずっとウオッチしてきた立場からすると、正直、的確に言い当てていると感じる部分と、微妙な違和感を覚えるところがあります。

     もとより立場の違い、あるいはこだわりどころの違いはあります。彼はあくまで業界の中にいた人間として、業界にとっての失敗と劣化をえぐります。一方、業界の近くで見てきた一市民である、当方の立場からすれば、あくまで「市民のため」「国民のため」と銘打った「改革」が一体何であったのか、その誤魔化しのない「価値」そのものに一番の関心があります。だから、当然、彼のような業界への絶望を背景に、見放すと形で終わらせるという結末にもなりません。

     それはともかく、彼の「最終記事」には、次のようなタイトルが振られています。

     「『弁護士=負け犬』の構造」

     彼は、ここで「弁護士業界の凋落」の経緯を時系列的に取り上げていますが、彼が言いたいのは、司法改革批判者が考えているような、小泉政権下における、今回の司法制度改革がその原因ではなく、それ以前からその前兆があったということでした。

     詳しくは、お読み頂ければと思いますが、昭和の高度成長期を通じた経済発展に伴い法律関係の需要増大と、司法試験受験者増のなかで合格者が長年抑えられてきた事実。その背景にあった政府・自民党側の増員欲求と、官僚司法打破、判検を含む法曹三者増員を条件化する日弁連の対立と、法曹三者間の合意の不調。その結果としての、司法試験の超難関固定化、合格者層の高齢化。そのなかで、難関を突破したというエリート意識にあぐらをかいた弁護士たちは、実は経済的合理性や採算性を度外視した発想の持ち主であり、資格によって生活が保証されていただけで、そこに客観的には既に「負け犬」の構造が成立していた、と。

     その後の、実質弁護士のみの合格増を受け入れることになった「中坊路線」、経済界や大学法学部の復権を目論む法律学者・文部科学省などの政治的圧力に屈していったのは、そうした昭和の時代からの、多くの「おかしな信念の持ち主」である弁護士が、経済界の需要に応えられなくなり、そうした彼らの弁護士に対する不満が爆発したことによる、のだというのです。

     そして、彼は弁護士会主導層や旧世代弁護士に矛先を向け、次のような、いつもながらの「黒猫節」を炸裂させています。

     「日弁連や大規模弁護士会の執行部で実権を握っている高齢の弁護士たちは、大半が前述のような馬鹿げた信条の持ち主」
     「自分たちが、経済的損得など考えず何年も司法試験の勉強を続けた結果ようやく弁護士になれた『エリート(笑)』である以上、同じように経済的損得など考えずに法科大学院へやってくる人間だけが弁護士になればいいという発想の持ち主が、呆れるほどに多い」
     「結局のところ、何年もかけて『難関』の旧司法試験に合格したことの一事をもって、自分は社会のエリートだと勘違いしている旧世代の弁護士も、他に逃げる術もないため弁護士の肩書にしがみつかざるを得ず、現実逃避のために自分は司法試験に合格した法務博士様であるから社会のエリートだと主張し続けざるを得ない法科大学院世代の弁護士も、そのほとんどが愚かな社会の負け組であるという一点においてはほぼ同類」

     法科大学院世代の法曹に対する、旧試体制で輩出された法曹の、実力面での優位性が強調されているイメージがあった黒猫氏の論調のなかで、今回はその旧試体制で生まれ、「改革」を主導した(受け入れた)法曹たちの発想の問題に着眼しているのが特徴です。彼は「負け犬」「負け組」と表現していますが、それを自覚していない当時の弁護士たちが、その無自覚のゆえに、「改革」につながる、当然の社会の不満を呼び起こし、その「改革」の結果が法曹養成を破壊するものであってもなお、いまだに無自覚であるということになります。そこで「弁護士業界が持ち直せる可能性」がなくなったと見切った結果が、今回の彼の最終決断ということになります。彼の絶望が導いた結論です。

     確かに、「改革」主導層の無自覚さがあることは当ブログでも書いてきたことです(「問われる弁護士会主導層の現実感」 「司法試験『選抜機能』の危機が省みられない事情」 「現実を直視できない増員路線」)。しかし、前段の日弁連・弁護士会がこの「改革」を受け入れざるを得なかった、つまりは必然的に「中坊路線」が登場せざるを得なかった、という論調につながる見方は、むしろこの「改革」の旗を未だに振ろうとする側と、「改革」の失敗に対して弁明しようとする側の捉え方と変わりません。

     「改革」側の思惑に乗せられ、あるいはその意図通り、弁護士が変質したという事実、警鐘を鳴らし、あくまで抵抗した弁護士たちもいたという事実を見てきた側からすれば、弱点をまんまと突かれた(法曹一元待望論、法曹養成でのイニシアティブ獲得、あるいは抵抗しても無駄という敗北的現実論等)という方がしっくりくるように思えます。弁護士会全体を俯瞰した時に、盲目的な無自覚が、現在の状況に至る「負け組」の起源というのは、何かしっくり来ない表現のように感じます。

     より早くから経済界から不満が出ないような、経済的合理性を持った弁護士の自覚があれば、こんな「改革」の結果になっていないということを言いたいのでしょうか。そうだとすれば、「改革」推進論者は、この「改革」は間違っておらず、遅すぎたくらいだと言うでしょう。そして、この混乱と淘汰の先に、お決まりの経済的合理性を持った弁護士が生き残る姿を描くでしょう。

     また、「改革」主導層の現在の無自覚は、「改革」の失敗を認めて舵を切れないこと(その意味では無自覚ではなく、自覚しながら認められないだけかもしれませんが)。経済的合理性を考えれば、弁護士過剰状態に対して、もっとはっきりとした姿勢を示せるはずなのに、市場原理に乗っかった増員を受け入れながら、それはできない、という矛盾にこそ、問題があります。

     「負け組」というのであれば、逆に一体どういう形が勝利の形であったのか、それがよく分からなくなってくるのです。それはもちろん、前記したような立場の違いからすれば、やはりそもそもその答えも違うのかしれません。しかし、少なくとも、彼を絶望に追い込んだ、「改革」と業界の現実と、私たち社会にとってのその意味には、今後も目を向けていかなくてはなりません。その意味で、最後までこのブログは、貴重な視点を提示してくれているように思えます。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト



    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    法科大学院の「メリット」というテーマ

     法科大学院に行くメリットをインターネット上で紹介する記事で、ほぼ共通して、真っ先に取り上げられているのは、「司法試験の受験資格が得られる」ということです。次いで、「社会人が利用できる」「試験科目以外の専門科目を学習できる」なども挙げられています(Law-MEDIA 資格スクエア LEGAL NET)。

     しかし、結論からいえば、それらはメリットとして評価しにくい「メリット」といえます。これらは事実であっても、果たしてどこまでメリットとして強調できるのか、極めて怪しいといわなければならないからです。

     修了者が司法試験の受験資格を得られるというのは、あくまで法科大学院制度がそういう形を作っているのですから当然のことです。ただ、あくまで旧司法試験時代には、長年存在しなかった形であり、かつてはより自由に受験機会があったという事実を考えれば、それをやめてまで設けられた形のメリットは、他になくてはならないはずです。過去の制度を知らずに、現状だけをみれば(受験要件化を当然の前提とみれば)、「メリット」となるかもしれない、という話です。

     もっともこの世界を目指そうとする人たちが、この事実を知らないということが果たしてどれほどあるのかは疑問ですし、「法曹資格が得られる」というのならともかく、そもそもそれほど有り難い「メリット」とは言いにくいともいえます。むしろ、全く何も知らない人向けというより、予備試験ルートの困難性のうえに、とにかく「受験資格」まで辿り付ける、ということを「メリット」として、アピールしているようにもとれてしまいます。

     「社会人が利用できる」にいたっては、受験資格同様に旧試体制と比べてどうなのか、ということにとどまらず、そもそも現状においても、本当に「利用できる」と胸を張れる制度なのかは疑問です(かつての制度が社会人に道を閉ざしていた、という事実があるのならばともかく)。決まって社会人にとって「夜間部」がある(現実には設けている「ところもある」)ことを「メリット」としていたり、社会人が予備試験に孤独なチャレンジをすることの困難性が挙げられたりしていますが、法科大学院の時間的拘束を考えたときに、それほど志望者に訴える「メリット」なのか、といいたくなります。

     「試験科目以外の専門科目の学習」は、本来的に法科大学院制度の「メリット」であっていいもののはずです。ただし、もはや説明するまでもなく、あくまで志望者にとって、法曹になれることが大前提ですから、そのうえで初めて「メリット」として換算できるものといえます。ここで法曹としての「質」の違いを示す、というのは、本来、法科大学院本道主義の王道といってもいいものかもしれませんが、現状はむしろそれをむしろ「メリット」とするのであれば、志望者にとっても制度にとっても、司法試験合格前ではなく、合格後に施されるものの方がベターであることを明らかにしつつある、といえます。
     
     一方、法科大学院に行くデメリットとしては、共通してまず、経済的・時間的負担、次いで予備試験ルートと比較した司法試験合格率の低さが挙げられています。前記メリットの「価値」そのものが、あくまでデメリットを比較したうえでの、いわば「費用対効果」で決まるともいえるわけで、志望者にとってはいうまでもなく、「ここまでするほどのメリットか」を抜きに語ることができないものです。

     これらネットに流れるメリット・デメリットをみて、強く感じることは、現状で制度が強調できる「メリット」の方の、圧倒的な弱さです。そして、さらに、「いや、法科大学院のメリットはこんなものではない」という意見が、制度擁護派から少なくとも説得力を持って出され、志望者にその認識が広がっているという現実もみられない。

     今回の学部・大学院の法曹コース新設、在学中の司法試験受験容認という、資格取得への時短化策に制度が舵を切ったのをみても、いかに制度が「メリット」で勝負できない(材料がない)とみている(もはや擁護派の多くが本音ではそうとらえている)ことを示しているともいえます。デメリットの緩和によって、予備試験との志望者獲得競争の条件を、有利にしたいということが、この改革の本音であることはもはや明らかであり、関係者の一部も認めていることだからです(「法曹志望者回復をめぐる発想と誤解」)。

     しかも、予備試験ルートの競争ということでいえば、受験資格要件まで握っている、本道の価値を強調するには、極めて厳しい、資格取得後の人材評価の現実が伝えられています(Schulze BLOG)。ここで圧倒的な勝利を収められない現実は、法科大学院本道主義の存在意義を直撃するもののはずです。そして、ここをいずれ逆転する道筋もまた、今の制度擁護派の言のなかにも、まして今回の時短化政策のなかにも見出せないといわなければなりません。もちろん、それも志望者の選択の検討材料に加えられ続けることになります(「法科大学院制度の『勝利条件』」)

     法科大学院制度の現実を考えれば、もはやネット上に流れるメリット情報による、志望者ミスリードの実害はあまり考えなくていいのかもしれません。むしろ、「本当にこれでいいのか」という問いかけは、やはり制度擁護派と、この「改革」そのものに、何度でも投げかけられるべきといわなければなりません。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    司法試験「選抜機能」の危機が省みられない事情

     司法試験の選抜機能の危機が、ここまで弁護士会内から叫ばれる事態を「改革」路線も、また、それを受け入れた弁護士たちも、実は全く想定できなかったはずです。今月、長野県弁護士会仙台弁護士会が相次いで、今年の司法試験での厳正な合格判定を求める会長声明を発表しましたが、そこにあるのは司法試験の選抜機能の喪失とそれによる合格者の質への影響です。司法試験受験者数が減るなかで、年間1500人程度の合格者を輩出するという、いわば最低ライン死守のために、合格レベルが下げられる事態への危機感であり、既にこれまでも一部弁護士会から指摘されてきたものです(「伝わっていない司法試験『選抜機能』の危機」)。

     ただ、いまもって法科大学院関係者はもとより、弁護士会主導層までもが、この司法試験の選抜機能の危機という切り口に、想定外であったことを認めないばかりか、冷ややかな姿勢をとっているようにみえます。それは一重に法科大学院制度を維持するためには、この危機感のうえに立った合格者減の方向が不都合であり、極力それを回避したいという意向が働いているととれてしまいます。

     そして、この反応に対して、もう一つ、改めて感じることは、今回の「改革」路線の根底にある、司法試験軽視といってもいい発想です。そもそも今回の新法曹養成をめぐる「改革」論議では、「点からプロセス」という謳い文句のもとに、法科大学院を中核とする「プロセス」の効用が強調されました。同時に「点」と位置付けせられた司法試験も、その法科大学院教育の「効果測定」という位置付けになりました。

     今でも司法試験の「選抜機能」の必要性を直球で否定する声に出会います。法科大学院関係者から出された、とにかく合格させよ、という社会放出論ともいえる論調(質の確保は競争に委ねよ)も、司法試験を法科大学院の現実に沿わせよという論調も、前記発想につながっています。

     しかし、資格制度と質の担保というテーマを考えた時、これほど奇妙な発想もありません。資格試験として司法試験が質を担保するために、最も適正に機能する条件とは、より多くの受験者から選抜されること(司法試験自体が多くの受験者がチャレンジする存在であること)と、厳格な関門であることです。冒頭の危機感とは、「改革」によってその両方が崩れようとしていることに対するものです。そもそもこれを追求しない資格試験というものが、資格試験として価値があるのでしょうか。資格が質を最低限担保するというのは、適正な利用者の選択担保が困難な資格であればあるほど、利用者にとっては最低限のニーズになり得るものです。 

     「合格させよ」論の中には、たとえ司法試験の「選抜」について、多少合格者枠を拡大しても実害はない(質担保に影響はない)というニュアンスの捉え方もあります。かつて1点の違いに多くの受験者がひしめいていた時代のイメージによるところが大きいものですが、それこそ受験者の母数が減るほどに、その説得力はなくなっているというべきです。

     「改革」の法科大学院本道主義には、資格試験としての司法試験が必要ないくらいに、法科大学院を中核としたプロセスが質を担保する(司法試験はいわば形式的チェック)というような発想もあったように見えます。しかし、少なくとも法科大学院制度を受け入れた法曹界が、司法試験と司法修習(実質的には「点」ではなく旧プロセス)の役割・実績を軽視していたわけではなく、また、「改革」後に、法科大学院制度側がそこまでの実績を示せたわけでもありません。

     法科大学院がそこまで質担保の役割を担う(担っている)いう自覚があるとすれば、前記社会放出論はやはり矛盾しているようにとれます。もっとも、前記「とにかく合格させよ」論や「法科大学院に沿わせよ」論には、あたかも現行司法試験が法科大学院教育を経た「法曹適格者」を、司法試験が不当に排除しているというニュアンスもあります。しかし、本音としては質担保の問題ではなく、合格率さえ上がれば、志望者が来るという制度存続のための期待感が透けています。

     しかも、プロセスを経ていない予備試験ルート組が、司法試験合格での実績で上回り、今のところ法科大学院ルートと比べ、「法曹適格者」として劣っているという実績もないという、法科大学院側に不都合な現実があります。彼らは、今回の法改正で予備試験ルートを学生獲得の競争相手として、あくまで資格取得への時短という負担軽減策で勝負しようとしています。しかし、本来的には質担保で予備試験ルートと勝負して勝利しなければ、前記司法試験軽視論調の説得力もないといわなければなりません(「法科大学院制度の『勝利条件』」)

     冒頭の二弁護士会の会長声明では、ともに当面,司法試験合格者数を年間1500人程度以上とすべき、とした2015年6月の法曹養成制度改革推進会議の決定での、「輩出される法曹の質の確保を考慮せずに達成されるべきものでないことに留意する必要がある」との留保に言及しています。留保を付されるまでもなく、これは資格試験のあり方として至極当たり前の話にとれます。しかし、それが当たり前であるだけに、なおさら、これを踏まえようとしていない「改革」の現実と、その擁護・推進者の姿勢に深刻な歪みを感じてしまいます。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    法科大学院制度の「勝利条件」

     「法曹コース」新設と法科大学院在学中受験容認という、時間的負担経験策で志望者の回復を狙った、6月19日成立の改正法(「法曹資格取得『時短化』法成立が意味するもの」)について報じた、同月20日付け日本経済新聞朝刊の記事には、次のような文面が登場します。

     「法科大学院を経ずに司法試験の受験資格を得られる予備試験が法曹への最短コースととらえられ、出願者が年々増えてきた」
     「法曹コースを順調に進めば、法曹資格を得るまでの期間は大学4年で予備試験に合格した場合と同じ。一橋大法科大学院の山本和彦教授は『学生の経済的負担が減ることで、法曹への道を勧めやすくなる』と評価する」
     「『多くの学生は予備試験と法科大学院の両にらみで勉強を進める。どちらを選ぶかは読みづらい』(司法試験予備校)と慎重な見方もある。弁護士志望の東大1年の男子学生(20)は『早く社会に出たいので6年でも長い』と予備試験合格を目指す考えだ」

     ここで記事が伝えようとしていることも、その切り口も、もはや目新しいものは何もない、と感じる方も少なくないと思います。「法曹への最短コース」ととらえられた予備試験に学生が流れ、それが志望者減の主因であると(本心からそう認識しているのかはともかく)位置付けた、法科大学院制度擁護派によって、まさに早期資格取得という、いわば敵対相手の土俵で勝負する改正法が登場し、目下、それがもたらす限定的な時間的経済的負担軽減の効果が、関係者の関心事となっている――。

     大学入学から法曹資格を得るまでの最短期間を現行の8年弱から6年に縮める、ということを、改正法のメリットとして、新聞各紙はこぞって伝えています。しかし、いうまでもなく、これを予備試験と法科大学院の競争条件としてみれば、志望者にとっての、要はそれだけの違いがもたらす経済的時間的負担軽減と、現行法科大学院教育の「価値」が、どう志望者予備軍たちに見積もられるかが、競争の結果を決めることになります。

     そう考えれば、記事の「6年でも長い」という東大生のコメントには、「背理」とまでいわれた、身内の制度擁護派の反対を振り切って、「時短化」で勝負に出た改正法の、いわば勝負どころの選択ミスの可能性を匂わす効果があるようにも見えてきます。

     この改正法の真の狙いは、法科大学院の対「予備試験」での競争条件の改善である、という見方がある(「法曹養成見直し2法案審議が映し出したもの」)ことにひっかけて、あえて言うのであれば、今、本当に問われるべきなのは、むしろ真の「勝利条件」の方ではないでしょうか。別の言い方をすれば、「改革」によって創られた、この制度は、一体、何を背負ったはずだったのか、ということについてです。

     法科大学院制度が示さなければならないのは、あくまで法曹養成における新プロセスの「価値」のはずです。志望者が資格取得への最短コースにひかれ、予備試験に流れた、というのは、現象としては正しく伝えている表現かもしれませんが、同時にこれは、「時短」に代わる「価値」を新プロセスが示せなかった、示せていないことを意味します。

     もともと誰が見ても、旧試体制に比べて、新制度は時間的経済的負担を課す制度であることは明らかでした。つまり、そもそもの新制度側の「勝利条件」でいえば、志望者がそれでも経由すべき、法曹として明らかに違いが出る知識・技能や、司法試験の選抜を通過するレベルの能力の取得、そして旧試体制を上回る、修了者の法曹としての、社会的評価を獲得しなければならない。有り体にいえば、ただ早く資格取得に辿りつけるというところが勝負どころではなく、それでも新プロセスを通過することが確かに妥当である、という明らかな違いが示せなければ、この勝負には勝利できないのではないか、ということです。

     それは対予備試験以前に、対旧試体制に代わるものとして、法科大学院中核論が背負ったもののはずでした。つまり、司法試験の厳しい選抜機能によって、厳格に選抜された人材に、実務家が司法修習によって鍛えてきた旧制度よりも、新プロセスは、法曹養成にとって優れた効果を生む、ということでなければならない。
     
     こういう話になると、これまで法科大学院関係者を含めた制度擁護派からは、優れた人材も輩出されているとか、修了者が社会にもっと輩出され、行き渡ることが必要(そうなれば、必ずや社会も旧試体制よりも高い評価をするはず)といった、弁明を耳にすることがありました。

     しかし、こうした勝負未決着論といえる、論調は、いつまで繰り出され、いつまでそれに付き合わなければならないのでしょうか。そもそも修了の司法試験受験要件化への執着や予備試験への制限欲求を含め、強制化のシステムに依存しなくても、提供する「価値」によって制度が評価されたり、選択されると道を目指すことへの自信や自覚を疑いたくなる面は、この制度にはずっとつきまとってきました(「法科大学院『本道』をめぐる現状認識と自覚の問題」 「受験資格化を必要とする理由」  「法曹志望者回復をめぐる発想と誤解」)。

     今回、改正法がある意味、正面から、「時短化」で、なんとか競争を有利に展開しようと、「予備試験」ルートとの勝負に打って出たことは、むしろその制度的体質から生み出されているようにみえます。志望者減が法曹界にとって深刻であり、喫緊の課題である、ということもしきりと言われていますが、それが身内の制度擁護派の中からも制度の「終わりまの始まり」と警告された手段に打って出た、口実になっている面は否定できません。有り体にいえば、制度擁護派は、この改正法案をめぐり、あくまで勝負未決着を掲げ、さらなる制度優遇策での局面打開に期待する側と、予備試験と同一の土俵にのっても「時短化」で手っ取り早く志望者を奪還することの方を期待する側に割れた、ようにもとれるのです。

     前記日経の記事に登場する関係者の言葉には、もはや時間的経済的負担を軽減しなければ、法科大学院を経た法曹への道を勧めにくい、ということを法科大学院関係者が本音では認め、さらにはこの「時短化」政策によっても、学生が法科大学院を選択するかどうか未知数であることを、予備校関係者が認識している現実が映し出されています。

     しかし、この「時短化」による新たに「競争条件」の効果に関心が集まる中で、本当はその成り行きよりも、一時的な志望者回復効果で満たさないはずの、法曹養成と法曹界の未来がかかった、「勝利条件」が問われない制度のなりゆきをもっと気にしなければならないはずです。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    法曹資格取得「時短化」法成立が意味するもの

     「法科大学院 生き残り狭き門」。資格取得までの時間的負担軽減で、法曹志望者をなんとか回復することを狙う政府法案が成立した6月19日の朝日新聞朝刊は、「法曹養成2年短縮 きょう成立へ」というタテ見出しとともに、こんなヨコ見出しが打たれていました(朝日デジタル)。

     法曹養成関連では、いつもながら法科大学院本道主義ありき、と言いたくなる朝日の記事ではありますが、そもそもこの法案成立にあてがった記事の見出しとして、これはどのように解釈すれば良いのでしょうか。この法案は法科大学院の生き残りがかかっている、あるいはそうした現状が、こうした「理念」的には苦しいが、背に腹は変えられないという内容の法改正に至った、ということを伝えたかったのでしょうか。

     それとも、あえてより皮肉めいた読み方すれば、この改正法成立をもってしても、志望者回復への根本的な打開策にはならず、法科大学院の「生き残り狭き門」の状況が続くことを暗示したのでしょうか。それは否定するのかもしれませんが、そうとられることを想定していないとすれば、それもなにやら奇妙な感じかします。

     この記事で朝日は、既に半数以上が撤退した法科大学院の現実の中で、学生を獲得し、修了者の高い合格率を維持している一橋大法科大学院と、学生募集を停止した近畿大・北海学園大の各法科大学院の「明暗」にスポットを当てています。これもあるいは、記者の意図したところとは違うのかもしれませんが、少なくともこの記事を読む限り、「明」の決め手は、学生の「自主ゼミ」と弁護士が法的文章を書く指導をする仕組み。「暗」の原因は、修了者の司法試験合格率の伸び悩みと、合格者の就職難、そして予備試験の影響、ということになりそうです。

     なんの予備知識もなく、この記事を読んだ人は、今回の法案が狙うところと、いかに関係ないところで、法科大学院の明暗が分かれている現実があるのか、という印象を持ってもおかしくありません。強いて言うならば、やはり対「予備試験」というところしか、つながりを見出しにくい。そう考えてしまうと、この記事のヨコ見出しが、この改正法によっても厳しい法科大学院についての悲観的な見通しを暗示した、という深読みも、あながち外れていないように思えてきます。

     この改正法成立については、今、少なくとも二つのことを確認しておく必要があります。一つは、この成立によって、ついに法科大学院が司法改革当初からの「理念」と矛盾する、あるいはそれをかなぐり捨てて、生き残りを模索する選択に踏み出した、ということです。今回の改正法が可能とする、法科大学院在学中の司法試験受験については、当初から制度擁護派からも強い反発が出ました。「理念の放棄」「法科大学院の終わりの始まり」「背理」という厳しい声が、身内から出ているものを、それでも選択した。初めて制度擁護派は、「理念」の下に折り合うことなく、分裂することになったといえます(衆院文科委員会審議「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」)。

     そして、このことは、いよいよプロセスを経由することを必須とする理念を脇においても、早期合格の実績を目指すことが、志望者を獲得し、制度を生き残らせる道であることを関係者に、より強く意識させるものになるはずです。

     そして、そのつながりで、当然、確認しなければならないのは、予備試験との関係です。今回の法改正の本当の目的は、法科大学院にとっての、予備試験との競争条件の優位化にある、という的確な指摘がありました(前出文科委員会審議)。以前から「抜け道」と揶揄し、学生を奪われる結果になっている元凶として目の敵にしてきた制度に対し、法案は早期合格という、いわば相手の土俵で勝負する選択をしたことになります。

     これが果たして本当に、法科大学院側に根本的に学生を呼び戻すための、優位な条件を生み出すのか、予備試験ルートに勝利するのかについては、経済的観点が抜け落ちていることからも、疑問があります。ただ、制度側がはっきりと「敵対政策」を打ち出してきた点は注目しなければなりません。

     それは制度擁護派分裂の中で、この「敵対政策」の必要性については、逆に共通の意識を強めている観もあるからです。在学中受験容認を含む法案に反対した制度擁護派は、競争条件の優位かではなく、まずは直接的な予備試験ルートの制限策必要であることを唱え、この点で制度擁護派は共通していることを強調しています。

     朝日は、この法改正に関連する3月14日の社説で、法案の志望者負担軽減での再生に理解を示しながら、理念が脇に追いやられる恐れを指摘し、関係者の進路指導での一層の工夫を求めながら、予備試験の制限・合格基準見直しを「必須」とまで言っていました。今回の記事でも、同様の必要性を言う関係者の声で、記事を締め括っています。

     制度擁護派分裂のなかで、彼ら共通の次の射程と政策の着手は、より近付いてきているという印象を持ちます。改正法の「敵対政策」の効果が不足であれば、制度擁護派はいよいよ一丸となって、その矢を放って来るとみるべきではないでしょうか。

     前記朝日の法科大学院の「明暗」に触れた記事は、北海学園大法科大学院の予備試験に対する、こんな本音のコメントを載せています。

     「(予備試験に)合格すれば、法科大学院未修了でも司法試験の受験が可能になったことで、『法科大学院のニーズを大きく引き下げた』」

     これが正しい引用かも、また、他の法科大学院関係者が、どのくらい同様の本音を持っているかも分かりません。ただ、これを読む限り、高い「理念」を掲げながらも、「法科大学院のニーズ」とは、そもそもがやはり受験機会の可能性で敗北を喫してしまう程度のものとして認識されていたのではないか、という気がしてしまうのです。つまり、そもそもがそれを超えるニーズで、勝負をすることを「覚悟」した制度ではなかったのではないか、と。

     そのことが、この法改正によって、はっきりしたということも、あるいは今、改めて確認しておくべきことなのかもしれません。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR