伝わっていない司法試験「選抜機能」の危機

     千葉県弁護士会の及川智志会長が9月13日付けで、今年の司法試験結果を受けた声明を発表しています。合格者数を1000人以下とすることと、予備試験合格者数を不当に制限しないことを政府に求める、という基本的な要求は、2012年以来、毎年、司法試験結果を踏まえて、同会会長が声明として発表してきた内容と変わりません。ただ、今年の会長声明には、この要求の前に、次のような内容が加わっています。

      「当会は、平成29年司法試験合格者数の決定にあたり『1500人程度』という政策上の人数確保ありきで『質の確保』という大前提が遵守されなかったのではないかとの疑義を表明する」

    この内容が結果の何に注目しているのかといえば、12日に法務省が発表した今年の司法試験結果によると、今年の受験者は前年を932下回る5967人でありながら、合格者は40人減の1545人。受験者も合格者も減る中で、合格率は前年を2.91ポイント上回る25.86%だった、という点。要は、受験者が14%も減りながら、合格者がこの数値にとどまっているという現実への疑義です。声明は理由のなかで、こう述べます。

     「平成27年6月30日の法曹養成制度改革推進会議では、司法試験合格者について、当面『1500人程度』は輩出されるよう必要な取組を進めるとされた一方、輩出される法曹の『質の確保』が大前提とされていたところ、本年の合格者数決定にあたり『1500人程度』という政策上の人数確保ありきで法曹の『質の確保』という大前提が遵守されなかったのではないかとの疑義がある」
     「当会は平成23年2月の総会で司法試験合格者数を1000人以下にすることを求める決議をしているが、人数は勿論のこと、昨年より受験者が大幅に減少した中での合格率増加は、司法試験の選抜機能を損なわせ、法曹の質の低下を招く危険性が高く、極めて遺憾である」

     今回の結果に対して、司法試験の選抜機能への疑問や前記「改革」路線の政策的意図への憶測から、声明のような疑義を表明する声は、弁護士会内から聞こえてきます(「弁護士猪野亨のブログ」)。今年の受験者数と、例年の合格率から合格1300人台になるといった予測まであっただけに、目標というより最低死守ラインとして打たれた「1500人」への力が働いたとの見方を強めているようにとれます。

     ただ、基本的な問題は、この「疑義」の伝わり方にあります。そして、そのキーワードになるのは、やはり司法試験の「選抜機能」だと思います。声明にあるような、この選抜機能が損なわれること、そしてそれが法曹の質の低下を招くことへの危険性という主張が、弁護士が考えている以上に社会に伝わらない現実が既にあるからです。

     司法試験、あるいは法曹養成制度における「選抜機能」の意義について、多くの弁護士はいわば当然のこととして認識しているようにとれますが、結果からみて、この「改革」のなかで、その位置付けは、ある意味、曖昧のようにみえます。「プロセス」が強調された新法曹養成制度ですが、現実的には旧司法試験体制でも、大学法学部を中心とした法学教育、司法試験、司法修習、さらにいえば、弁護士についていえば事務所での修養期間も含めた、養成のプロセスがかっちりした選抜機能とともに存在していました。それが、この「改革」では、司法試験前の予備校の介入ばかりが受験技術偏重として問題化され、法科大学院を中核としたプロセス強制化の必要が強調されたのです。

     ところが、蓋を開ければ、司法試験の選抜(最高裁も法務省も法科大学院が導入されようと絶対にレベルは下げないと強調していたところですが)のレベルに十分到達できた人材を、法科大学院側は目標通り輩出したとはいえないにもかかわらず、つとにこれを司法試験側の問題としてきました。そして、前記結果がはっきりした現在においてもなお、司法試験の方を法科大学院の現状に合せるべき、という主張を繰り出しています(「法科大学院の『本音』と『自覚』」 「法科大学院『本道』をめぐる現状認識と自覚の問題」)。

     そもそも法科大学院制度と一体の弁護士増員政策によって、弁護士が競争・淘汰にさらされる、さらされるべき、という論調にのっかって、とにかく合格させて輩出させろ、質は競争と淘汰によって保たれる、といった、不要論といってもいいような、選抜機能そのものの必要性について軽視する見方も、法科大学院関係者には根強く存在していたのです。

     「質の確保」を競争・淘汰に丸投げするという発想そのものは、もはや資格制度そのものの軽視であり、さらにいえば、利用者のこと(利用者が資格に求める最低限度の安心・信用保証)を全く考えていないといわざるを得ませんが、法曹養成のどこかで「選抜」を真剣に考えるのであれば、以前も書いたように大きく二つの選択肢しかありません。要は「入口」で絞るか「出口」で絞るか。入口とは法科大学院入学時点、出口とは司法試験です。逆に言えば、司法試験・司法修習という旧プロセスの前に、法科大学院という新強制プロセスを設けた以上、むしろこの問題をなんらかの形でクリアしなければならないはずなのです。

     ところが、結果的に法科大学院にとっては、法曹数から逆算した法科大学院定員の削減・管理の必要性や経済的な妙味も含めて、「入口」選抜は難しく、かといって前記したように厳格な「出口」選抜も、実績として都合が悪い現実に突き当たってしまったのが、この「改革」の現実です。その結果として「選抜」そのものの意義もまた、この「改革」のなかでぼやけているのです(「法曹『選抜機能』の行方」)。

     目を離して「改革」の結果をみれば、一定の選抜が機能していた(多数の受験者から人材を選べていた)司法試験についても、2年間当てられていた修習にしても、弁護士登録後の修養期間についても、いずれも旧司法試験体制より後退し、その代わりに強制された新プロセスとしての法科大学院制度もうまくいっておらず、法曹界そのものが志望されないという現状まで生み出しているのです。

     前記千葉県弁護士会声明が指摘する疑義と危機感についての報道を目にしない現実をみるにつけ、選抜機能の意義と、それに反する「1500人」合格死守という政策的意図の真意などを含めて、本当に伝えられるべきことが伝えられていないまま、いまだ続いている「改革」路線の現実(「司法試験合格1500人と弁護士増への認識」)を思わざるを得ません。


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    「改革」自己目的化への視線

     法科大学院関係者の中からは、相変わらず、制度存続のために、もっと便宜が図られていい、という論調が聞かれます(「法科大学院『本道』をめぐる現状認識と自覚の問題」)。そして、法科大学院の撤退に注目する大新聞も、これを批判的に取り上げてはいません。

     最近も、朝日新聞が法科大学院の相次ぐ募集停止に注目しながら、司法試験合格実績が低い未修コースを実績校に絞ったり、大学法学部と大学院の連携を強める検討が始まっていることを伝えました(「法科大学院、次なる改革模索 募集停止相次ぐ中で…」朝日デジタル9月9日付け)。この記事は、同紙の大阪版(9月6日付け朝刊)にしか掲載されておらず、ネットをチェックしていない他地域の本紙読者は目にしていない可能性もあるものですが、このなかで同紙は大貫裕之・法科大学院協会理事長の以下のような見解を紹介しています。

     「(大貫氏は)近年の法科大学院の状況について、『全体の定員を抑えるなどのこれまでの改革が成果を生んでいる。近年は司法試験の合格率が安定化した。学生の経済的負担も軽減されるなど、学生が勉強に取り組む環境は改善されてきた』と強調する」 
     「ただ、さらに志願者が減ると、将来の人材が不足しかねないとして、大貫氏は『法曹の仕事の魅力を伝える取り組みが必要』と指摘。司法試験についても、『依然として要求する水準が高く、問題の量が多い。大学院の教育内容に即した出題が望ましい』と改善の必要性を訴える」

     前段では自らが存続に否定的だった給費制が、給付制として復活したことが経済的負担の軽減につながっていることを棚に上げ、「改革」の成果を強調しています。そのうえで、「改革」がもたらした経済的異変が志望者減に直結している現実に対して、効果が疑わしいお決まりの「魅力発信」と法科大学院の教育に即して、司法試験を受かり易くするようにしろ、という、さらなる便宜を求める見直し必要論を掲げています。

     こうした論調を無批判に取り上げることは、「改革」の「成果」に対する現状認識もさることながら、「魅力発信」や司法試験合格率が基本的な現状の解決策であるような誤解につながる、法科大学院関係者の主張をなぞるものにとれます。司法試験合格率が低かった旧司法試験になぜ、多くの志望者がチャレンジしていたのか。そのことからも、本来、こうした主張のおかしさ、無理は、もっと伝えられていいはずなのです。そもそも未修コースを実績校に絞るという方向も、実質的に法学部がある大学しか参入できないことを意味する連携強化の検討も、法科大学院という新プロセス強制化で失われる人材の多様性への、ある意味「弁明」となっていた発想の、明らかな後退であることが伝わる取り上げ方ではありません。

     これらは結局、「改革」によって現実的に何が得られるか、それがどういうメリットがあるかというところから逆算されている主張ではもはやなく、法科大学院制度の存続という「改革」そのものが自己目的化している主張といわなければなりません。そして、こうしたメディアの取り上げ方は、その問題性を看過し、読者にそれを極力気付かせないものであるようにみえます。要は「改革」の自己目的化に加担している、といわれても仕方がないということです。

     そのことは、この新法曹養成制度と一体のものである弁護士の増員政策についても、問われることです。個人事業者である弁護士が、増員政策から生まれた現在の経済状況を踏まえ、たとえ生き残りのための業務のあり方を模索したとしても、それはもちろん認められることだろうし、ある種の権利性も帯びていると思います。

     ただ、そうした工夫が社会のニーズにこたえるものとして検討されたとしても、それが直ちに今も続く増員基調の政策を正しいものとできるのかには、少なくとも私たちは慎重でなければなりません。いうまでもなく、結果的に増えてしまった弁護士をどうするか、あるいは有効活用できるか、ということと、果たして社会にとって、こうした形で増やすべきだったか、今後も増やすべきかというテーマは、目的において必ずしも一致していないからです。弁護士会自身が掲げた「市民のための改革」を含め、あくまで目的から逆算して、「改革」の現状とこれからは評価されなければなりません(「『町弁』衰退がいわれる『改革』の正体」)。

     法科大学院制度にしても、弁護士増員政策にしても、「改革」で生まれた制度・政策は正しく、したがって制度が続くことは正しい、という自己目的化の発想が、「改革」の影響とその誤算がはっきりした現在に繰り出されていることにこそ、もっと注目する必要があるはずです。


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    法科大学院関係者の「印象操作」から見えるもの

     ある職業の養成過程がどんなに充実しているとうたっても、その職業自体に魅力がなければ、その過程を人が目指さなくても当たり前です。養成過程とその職業は、一体となって、そのことを考えなくてはならないはずです。養成過程の負担がその職業につくメリットを上回ることも、養成過程を存続させるために、職業自体の現状を考慮しないという発想も、本来、出て来ないはずと思えます。そして、今回の「改革」をめぐる法科大学院制度擁護派の発想をみていると、当初からこのことの根本的な疑問に突き当たってきました。

     繰り返し述べてきたように、現在法曹界が抱える志望者減の原因は、激増政策によって激変した弁護士の経済環境の不安定化、不透明化によって、経済的な意味での仕事の魅力が減退したこと、それに加えて、法科大学院修了の司法試験受験要件化による、その時間的経済的負担が、「価値」として見合わない、いわば妙味がないプロセスと判断されたこと、にあります。この構造が解決しない限り、特に前者が解消しない限り、根本的には志願者減に歯止めはかからない。それを考えれば、弁護士過剰状態を生み続ける増員基調の政策は、まさに逆効果といわなければなりません(「逆効果政策をやめられない『改革』」)。

     増員政策の結果という点について、法科大学院関係者の基本的なスタンスは、自分たちには関係ない、責任はない、という立場にとれました。法科大学院制度そのものは、法曹量産ということを前提に導入されている以上、増員政策をやめるという発想は彼らにとって、いわば死活問題であり、かつ、増員しても「なんとかする」責任は、主に需要開拓を含め弁護士側にある、淘汰されるならばそれもなおよし、ということになるのかもしれません。

     ただ、逆に言うと、もし、彼らのなかにそうしたつけ離したような発想があるのだとすれば、そもそも法曹量産が根本的に失敗であった時点で、(彼らが認めるか否かにかかわらず)制度の運命は見えたといわなければなりません。一方、量産が失敗であったとしても、彼らが制度の「価値」を主張するのであればなおさらのこと、弁護士のおかれた現実をにらんで、志望者が「価値」を認める形を目指さなくてはならないはずです。

     では、そう考えたとき、例えば給費制への反対や、司法試験合格率が上がれば志望者は獲得できる、という、これまで彼らが示した姿勢は、どう考えるべきなのでしょうか。給費制がなくなるというのは、志望者にとって極めて現実的なマイナス要因であり、一方、司法試験合格率は決定的な要素ではない。その先が魅力があれば、狭き門でも志望者が挑戦することは司法試験の歴史が示しています。率直な印象を語れば、全く分かっていないのではないか、あるいは「志望者が『価値』を認める形」という発想にどこまでいっても立てないのではないか、と。

     しかし、このこれまでの彼らのそうした発想に、さらなる疑問符が付く発言が、今月、弁護士界内で話題になりました。法科大学院協会のホームページに掲載された大貫裕之理事長のメッセージの文面です。

     「弁護士の活動領域は着実に拡大しており、活躍の舞台は、法律事務所だけでなく、企業、公務員、国際機関、国会議員政策秘書など実に多様になりました。弁護士の就職難といわれる状況も確実に解消されつつあります。司法試験に合格し司法修習を終えた者の97%が就職でき、しかも、弁護士5年目の年収(中央値-経費等を引く前の数字)は1,081万円と、安定した収入を得ています」
     「法科大学院の既修者コース修了者の司法試験の累積合格率(受験資格のある期間内に受験者が合格した割合)は約7割になっています。2017年度の法科大学院全体の定員は2,556名で入学者は1,704人です。政府が司法試験の合格者数の当面の努力目標とした1,500人を前提とすると、真摯に勉学に取り組めば入学者の大半が司法試験に合格できる状況になっています」
     「2017年から、司法修習生に対する給付金制度が新設され、基本給付として一律月額13.5万円、住宅給付として月額3.5万円が支給されます。さらに、学業成績が優秀な学生については、飛び級制度や早期卒業制度を利用して、学部3年+法科大学院2年で法科大学院を修了する道が拡充されています」

     この発言に弁護士界のなかからは怒りと呆れる声が聞えてきます(「Schulze Blog」)。弁護士の年収に関しては収入と所得の区別がついていない、入学者減の影響や未修コースの存在が巧みに隠され、努力次第で司法試験に合格できる状況としている、あれほど反対して来た修習生への給費が給付金制度として復活したことをまるで自分たちの努力のように「改革の試み」として、一転評価している――。要は、最近よく耳にする言葉を使えば、なりふりかまわず、志望者獲得のための「印象操作」をしているととれるのです。

     ただ、このいまさらの「印象操作」のような法科大学院関係者の言葉をみると、もう一つ、別のことを思ってしまいます。やっぱり彼らは本当は分かっていたのか、それともいまさら気がついたのか、と。弁護士の経済状態が安定しなければならないことも、給費制廃止が志望者の現実的な課題になることも。それはすべて志望者減につながり、自らの制度を根底から脅かすことも。分かっていなかったとすれば、それはそれで問題ですが、分かっていたとすれば、増員政策の無理に目をつぶり、ひたすら弁護士に責任を丸投げし、存在価値を分かっていながら、補助金の資金源のことに目を奪われ、給費制を廃止させ、その復活に反対したのか、と。「あるべき法曹養成」としながら、徹頭徹尾、自分たちの制度のことしか考えてこなかった証しではないか、と。

     そして、こうした現実をまるで目に入っていないかのように、日弁連主導層のなかに強硬な法科大学院制度擁護派が今も存在している、という事実も指摘しなければなりません。

     結局、大学運営という、いわばこの国のあるべき法曹を輩出するということとは、別の目的を引きずらざるを得ない機関に、「中核」の地位を与えた「改革」によって、わが国の法曹養成は相当傷ついた――。やはりどうしても、思いはそこにいってしまいます。


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    専門資格業「岩盤規制」改革の失敗体験

     加計学園問題で注目される形になった獣医学部新設、獣医師養成というテーマに、弁護士増員政策、法科大学院制度創設といった司法改革が被せられて語られ始めています。正確にいえば、被せられているのは、それらの「改革」の失敗体験です(「郷原信郎が斬る 獣医学部新設は本当に必要なのか~『法科大学院の失敗』を繰り返すな」) 。

     両者は一見して共通する課題を抱えています。例えば、需給見通し、教員確保、あるいは地域に根差す専門家の養成。司法の方の失敗体験でいえば、このどれもが不完全で、根拠が疑われるままに、言ってみれば初めから危いまま、先に進んでしまいました。年間3000人の合格者を出すことを目指す大量増員政策を支える確たる需要見通しがないままに、それを支える法曹量産体制の教育機関が目指されたこと。研究者教員主導の教育体制で、実務家を養成する困難性。そして、地域の教育機関で輩出された専門資格者を地域に根付かせる、逆にそのことを地域にその機関が存在する意義につなげようとする発想の無理――。

     ただ、これらもさることながら、両者をつなげてみて、ある意味最も重要なキーワードは、「岩盤規制」ではないか、と思えます。安倍首相が国会で、一連の疑惑に対して、正当化の拠り所にするように連呼した「岩盤規制」に風穴を開けるという発想。弁護士激増政策が生み出され、それを強力に後押しした背景には、この発想があったといえます。「不当に」数の少ない状態を維持されていたとされた弁護士には、散々「既得権益」という言葉が被せられました。規制緩和の流れのなかで、まさに「岩盤」としてターゲットになり、風穴を開けることが正当化されていったのです。

     しかし、これこそが司法改革の失敗体験として銘記すべきところです。専門資格者の養成が、規制緩和の正当化に引きずられ、安易な需給見通しのもとに進められれば、どうなるのか――。結局、増員資格者が経済的に支え切れないだけでなく、一定の質を担保・保証する専門資格業そのものが信用を失い、結果的に崩壊していく、ということです。

     大量生産し、あとは淘汰に任せる、という発想は、潜在的に存在するはずのニーズが顕在化しないことが分かると、より強調されることになりました。しかし、そうなると、一定の質を保証し、利用者を安心させるはずの資格の信用度は当然下がり、かつ、いつまで続くか分からない淘汰の過程の「犠牲者」をどう考えるのか、という問題を浮き彫りにしました。結局は、大量生産の先、質の保証は自由競争に丸投げ、その間の被害は利用者の自己責任に丸投げという形です。

     これが、こと専門資格業のあり方として望ましく、そもそも利用者が望む形なのか、ということが問われなければいけなかった。しかし、それが問われないまま、弁護士「岩盤規制」撤廃として突き進んだのが司法改革です。国民が問題にすべき弁護士の「既得権益」が存在し、それが撤廃されることで、その利が国民に還元されるという「改革」のシナリオ。少なくとも「改革」は国民にその正しさを実感させることはできませんでした。あえていえば、弁護士に経済的に恵まれた環境があり、それを「岩盤」と位置づけて破壊しても、利用者に有り難い環境がもたらされたわけではない、むしろ後退しているところが、見逃せない問題なのです。 

     司法改革で、ある意味致命的だったのは、当の弁護士会主導層が、これを自己批判的に受け入れ、推進したことです。「既得権益」という言葉を彼ら自ら使っていた記憶がありませんが、「数が足りない」ということを強調し、「これまであぐらをかいてきた」くらいの認識は口にしていました。会内の増員反対・慎重論をまず、説得しなければならない「岩盤」と認識していたのではないか、と思えるところもあります。

     専門資格業として、試験、修習、法律事務所での修養過程を含めて、自らの数が、「既得権益」以上に、何を保証し、何を意味してきたのか、という点にこだわることなく、早々に「既得権益」を認めて、増員政策の旗を自ら振る側に回ったと取られたとしても、仕方がないとも言えます。弁護士会外の「改革」推進派が、当時、「弁護士会は大人になった」と皮肉ともとれるほめ言葉を言っていたのを思い出します。

     法科大学院の失敗は、事前の参入規制が行われず、この指とまれ的に74校の乱立を許したことが原因、という見方が、つとに国サイドから聞かれ、いまもそれを唱えている人がいますが、やはり問題の本質はそこではない、と思えるのです。

     「獣医師が少しうらやましい」。こう語る弁護士がいました。加計学園問題を通じて、養成の在り方が注目されたことと、司法改革の失敗があったことで、ただ、数を増やせばよしとはならず、資格業としての質という問題がクローズアップされ、自分たちの世界のようにはならないで済むかもしれないから、と。しかし、今回の問題は、司法改革とその失敗が、何だったのかを、もう一度、問い直す契機にもできそうです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

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    「改革」推進者の中の現実感

     弁護士界外の人のなかには、今回の「改革」で弁護士たちが自らの保身のために、増員政策に一貫して徹底的に反対し続け、現在に至っている、というイメージを持たれている人が依然として多いことに気付かされます。なぜ、そういうことになっているのか、といえば、結局、「改革」の経緯を知らない人にも、「保身のため」という想定にはリアリティがある、ということではないか、と思います。

     数が少ない、自分たちの生存に有利な環境を参入規制によって死守しようとしている、そのことは利便性においても、経済的、質的な意味の競争がもたらす効果においても、利用者が享受できるものを享受できない形にしてきたのだ、と。「改革」でさんざん言われた、弁護士の保身批判を結び付けた増員肯定論の描き方です。

     ただ、現実は前記イメージとして理解されているものとは違い、弁護士会は内部に反対論を抱え、議論を経たものの、司法試験年間合格者3000人の激増政策を受け入れ、それが破綻した今に至るまで、増員基調の「改革」そのものに反対しているわけではありません。

     「改革」論議の時代が遠のき、それを知らない世代の弁護士のなかには、むしろそれを逆に理解できない、という見方があるようです。何で弁護士会自らがこんな破滅的な増員を受け入れ、現在に至るまで徹底的な抵抗をしないのか。「保身」といわれても、業界団体が業界を守るのは当たり前じゃないのか、と。冒頭のイメージ通り、弁護士会が一貫して反対していたというのならば、むしろ会員として納得できる、ということになります。

     これまでに何度かこの問題も取り上げていますが、受け入れた当時の弁護士の意識には、一言でいえば、やはり甘さがあったといえます。前記したような「保身」批判を自省的に受け入れる人、本心からそうは自覚していなくても抵抗しきれないと諦めた人もいましたが、当時の日弁連会長までが太鼓判を押した「3000人」方針(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)を含めて、楽観論があったのも事実です。

     ただ、これに関して、当時、そのなかにいた会員の口からよく聞かれるのが、やはりリアリティの問題なのです。同業者が激増した場合に業界がどうなるのか、実感を持って受けとめられなかった、と。それは、17000人を超す弁護士(前記「3000人」を受け入れた2000年時点)が、今に比べればそれなりに余裕をもってやれていた、そのなかにいた人間の実感に基づいてしまったことを意味することになります。

     業界に重大な影響をもたらす可能性がある「改革」について、しかも論理的な思考を仕事にしているような人たちが、こんな根拠薄弱な印象のようなものを基礎にした「なんとかなる」論で、方針を選択したことは信じられないという方もいらっしゃる、と思います。信じられないからこそ、冒頭のような、当然の反対イメージが存在するのかもしれませんし、「改革」を知らない世代が首を傾げることにもつながっているといえるのかもしれません。

     ただ、目を話して、今回の「改革」をみれば、それほど強い根拠が伴っていない「なんとかなる」論が基礎にあるととれるものは、ここだけではありません。「給付制」として事実上の復活を果たした給費制、法科大学院制度をめぐる司法試験受験要件化や未修コース中心方針、さらに現在の「志望者減」に対する姿勢に至るまで、「なんとかなる」論が外れたり、依然として、その現実感なき甘い見通しの先に、実現を期待しているような論調に出会うのです。

     今月、成立した質の高い専門職の人材養成を目指す新しい高等教育機関「専門職大学」「専門職短大」を創設する改正学校教育法が成立したのを受けて、「法科大学院の大失敗から何を学んだんですかね」とツイートした弁護士がいました。

     専門職の養成を大学が担うことの可能性への期待化、学位取得というメリット、そして卒業生が成長産業で活用されるという見通し――。確かに法科大学院と増員政策の失敗を目の当たりにしていれば、その「なんとかなる」論の根拠と、推進者の持っている現実感は、一応問い質してみたくなります。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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