FC2ブログ

    制度存続が自己目的化した「現実論」

     作ってしまった制度、実施してしまった政策を前提にするのが、現実論であるとする人たちがいます。しかし、それでも問われなければならないのは、その制度、政策の目的です。当初、それはどういう目的で作られ、また実施されたのか、そしてそれはどうなったのか。言うまでもなく、そこにこだわらなければ、その論調は自己目的化してしまう。制度や政策を維持するための、そこから逆算した「現実論」ということになってしまいます。

     司法改革の議論は、まさにそこに陥っている観があると度々思ってきました。例えば、法科大学院の失敗の原因について、大学・推進派サイドはつとに74校の乱立を、公式見解のように挙げてきました。そして、現在でも、今後の法科大学院制度のあり方と絡めて、そうした見方をする人は少なくありません。

     つまり、法科大学院の淘汰が進み、校数・入学者が絞られれば、制度は存続する。司法試験にしても、累積で修了者の7、8割程度も実現可能になる。だから、現在、当初の半数以下になり、さらに進む法科大学院の撤退は、むしろ歓迎すべき状況だ。逆にいえは、初めからそれを実施し、定員を2000人~2500程度に収める形にしていれば、この制度は成功していた、と。

     なぜ、当初、法科大学院の参入規制を設けず、この指とまれ的に、われもわれもと司法試験合格の実績がない大学までが名乗りを上げることを、この「改革」は許してしまったのか――。これについては、「改革」が急ぎ過ぎた。つまりは、あの時点で参入を規制し、大学を実力や適性に照らして選抜することになれば、相当な時間を要した、その労を回避して「改革」を急いだ、ということもいわれています。

     しかし、根本的な問題はそこではありません。肝心なことは、法曹大量増員政策の存在です。この「改革」の目的のうえに、それを現実化するものとして法科大学院制度が作られたということです。目標とされた司法試験年間合格3000人、当初の「改革」路線のニュアンスからすれば、場合によってはそれ以上の量産体制を視野に入れたなかで導入されたのが法科大学院制度であり、それが制度の目的でもあったのです。

     それを考えれば、そもそも法科大学院を数校に収め、定員を2000人程度にするなどということは、制度そのものとしてはあり得ないことだった。そして、それを今、前記のように「あの時、こうしておけば成功だった」というのであれば、それは当初の「改革」の目的を度外視し、とにかく制度維持だけを今さらのように考えるのであれば、という注釈付きの話にならざるを得ません。まさに自己目的化の話です。

     まず、増員政策は破綻し、前記合格3000人の旗は降ろされました。この時点で、量産計画の上に立つ法科大学院制度の設計は破綻している。そして、皮肉にも、その増員政策が生み出した弁護士資格の経済的価値の下落が、法曹志望者を遠ざけ、さらに時間的経済的負担を受験要件化という強制化の論理をともなった法科大学院制度の妙味のなさを浮き彫りにさせ(現在のところ、これを上回る、動機づけにつながる「価値」も提示できていない)、それが制度を直撃した。これが入学者を遠ざけ、法科大学院制度を窮地に陥れた本当の現実です。

     もちろん、数校の生き残りから制度存続を考える方向にシフトした「改革」論調は、いまや大量増員政策を念頭としていない(量産の必要が遠のいた)のだから、これで成立するならば結構ではないか、という人もいるはずです。しかし、制度を擁護する側が大量増員の失敗を頭から認めているわけではありませんし(人材のミスマッチや、弁護士自身の努力不足、心得違いをいうものはあっても)、そもそも増員は現在でも続いています。そして、前記「改革」の増員政策という目的を前提とせず、また、それが生み出している現状を考えた場合でも、強制化の論理を伴った法科大学院制度の存続が、法曹養成にとって最良なのかという問題が本来、存在するはずなのです。

     大量の志望者が目指し、そこから選抜するということが現実化していた旧来のこの世界の形よりも、それに代わって、それを壊してまで、法科大学院制度は導入されるべきで、一つの結果が出た現在でも、なお継続させるべきなのかについての、フェアな視点です(「法科大学院存続論が無視する事情」)。

     見方をかえれば、そういう制度存続にとって都合が悪い視点が、存在しないことにする、そうしたものを遠ざけようという意向の反映が、まさに冒頭の自己目的化した「現実論」といわなければなりません。

     その意味では、適性試験の廃止や司法試験側による合格者増(合格率「主因説」)、在学生への保護・同情論(だから制度を残せ)、延々と言われてきた予備試験を「抜け道」とする制限論もすべて同様といえます。さらにいえば、修了者の「7、8割」合格にしても、制度を強制化する以上、そのくらいの合格者を出していなければ選択されない、制度選択の妙味として説得力がないということだけから、なにやらその達成(数合わせ的なものであっても)が制度存続の合格ラインのように位置付られることも、そうかもしれません。それらの「効果」で仮に一時期、法科大学院志望者減に歯止めがかかったとしても、制度存続を自己目的化しない現実論からすれば、「それが何なのだ」ということを、やはり言わなければならないはずなのです。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    スポンサーサイト

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    「谷間世代」救済と志望者処遇の視点

     給費制の廃止から、新たな給付制の導入までの6年間に、無給での司法修習を余儀なくされた、いわゆる「谷間世代」(新65期~70期、対象人員約1万1000人)への対応で、弁護士会内がずっとざわめいています。日弁連は5月の定期総会で、新たな給付制度について、最高裁判所、法務省等の関係諸機関と協力して支えるとともに、谷間世代について、経済的負担や不平等感によって法曹としての活動に支障が生ずることのないよう、引き続き国による是正措置と日弁連による可能な施策の実現に尽力することを盛り込んだ決議を採択しました。

     この谷間世代が生まれている状況そのものが、不平等であり、給費制廃止が失策であったということはもはや明らかで、多くの弁護士の共通認識にもなっているようにとれます。問題は決議の最後の部分、日弁連が「可能な施策」として、同世代の会員への会費の減額などの経済的支援を行うことの是非についてです。

     当ブログのコメント欄でもご紹介頂いていましたが、坂野真一弁護士が自身のフログで、日弁連の支援という方向への異論を分かりやすく述べています。日弁連が谷間世代への日弁連会費の減額を行う意向を有しているとの見方を提示し、既に毎月3500円を10年にわたって減額するという案が日弁連理事会で討議され、総額40億円を超える規模の支出が試算されている、との情報も紹介しながら、こう指摘しています。

     「司法修習を受けている間に、国庫から給付を受けられなかったいわゆる谷間世代の問題については、私は当初から、国の政策の誤りだったのだから、責任は国にある。したがって、対応を求めるのは国に対してであるべきであって、弁護士会が対応を行うことは理屈に合わず、間違いだと述べてきた」
     「間違いであるばかりか、給費制復活を目指して活動中の方々に対しても、『立法政策の問題ということもさることながら、弁護士会や日弁連が対応しているようですから、もういいでしょう』と反論する論拠を相手に与えかねず、悪影響を及ぼしているはずだ」
     「百歩譲って、悪影響がないとしても、会員間における差別的な扱いには間違いなくなるだろう。同じ施設を利用し、同じサービスを受けるにもかかわらず、支払う対価を一部免除される者とそうでない者に分かれるのである」

     基本的に、もっともなご意見だと思います。あくまで国の失策、国の責任というのが筋であり、確かに弁護士会の支援で片付けられる可能性もある。かつてよりも高額会費に敏感になっている会員意識からも、会員間差別ということにもなりそうです。余剰会費の使い道として許容してもいいのではという声もありますが、坂野弁護士も言う通り、それならばそれで会員に一旦も返還するのが筋ということになります。

     ただ、一点、悩ましいのは、給費制廃止という失策の根本がどこにあるのか、という点です。そもそもこの事態を生み出したのは、弁護士の激増政策とそれを支える法科大学院制度導入という、今回の「改革」そのものである、という見方もできるからです。確かに日弁連は給費制廃止には反対しました。しかし、廃止の根拠につながり、また、本来、志望者の経済的負担というのであれば、問題視すべき法科大学院制度を推進する側に回っています。つまり、日弁連は、この給費制廃止という失策にかかわる「改革」を推進してきた責任は免れない、という見方もできるのです。

     もっとも増員政策や法科大学院制度推進の責任を口にしない日弁連としては、自ら「反対」して勝ち切れなかった給費制の問題については、そもそも結果責任ということではなく、互助精神と現実的救済の先行という発想で、この事態に対応するという風にとれます。だから、むしろ国の責任を口にしつつも、坂野氏の言うような筋論を徹底し、「改革」批判にまで踏み込みたくない、もっと嫌な見方をすれば、同弁護士のいうような、「これでよし」論の根拠を相手に与えても、「改革」の本道に影響することはしたくない、という姿勢ととる余地もありそうです。ましてそれは結果としての会員間差別などということよりも、執行部にとっては重要なテーマなのではないか、と。

     これらを含めて、日弁連の対応をどう評価すべきかという話なのです。

     さて、もう一つ、この問題に関連しては、別の基本的な発想がずっと抜け落ちてるように見えます。日弁連は前記決議のなかで、新たな給付制度を支援し、さらに「安心して修習できる環境の整備」によって「多くの志ある者が法曹の道を志望すること」を目指すとしています。そもそも新たな給付制度を導入せざるを得なくなった事情には、深刻な志望者減があり、法科大学院制度を死守しつつ、志望者獲得を目指したいという「改革」側の意向があります。むしろ、同制度を守るためには、あれほど反対した給費制の、一部復活もやむを得ないという選択です。

     しかし、これは果たして現実を直視しているといえるのでしょうか。そもそも経済的な負担を志望者に課すという方向は、沢山の優秀な人材を獲得する方向ではない、ということが、つとに弁護士界外の人間から当然のように言われながら、どうも業界内、とりわけ「改革」推進派には通じない話になっていると感じてきました。
     
     つまり、「安心して修習できる」よう整備されるというのは、むしろ最低限の条件、まして給費制廃止、貸与制移行でいわれたような、「やってやれないことはない」的な話は、優秀な人材に積極的に訴えるものにならない。むしろ、経済的負担の除去というよりも、「厚遇」される、されている形でなければ、効果を期待できない、という話です。これは、弁護士資格そのものにも、言えたことです。あえていえば、さんざんいわれた「恵まれ過ぎ」「社会に通用しない」論ではなく、「恵まれている」環境だったからこそ、多くの志望者を獲得できていた、ということをそろそろ認めるべきではないでしょうか(「『給費制』復活と『通用しない』論」)。

     そして、「社会に通用しない」ということも、「改革」が「改革」のためにひねり出した言葉であり、いま起きている事態よりも「厚遇」を社会が問題視するなどという事実はなかったことも、もはや認める必要があるというべきです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    司法試験合格判定への不安の本質

     2015年6月の、政府の法曹養成制度改革推進会議の方針決定に従い、事実上の「最低死守ライン」となっている司法試験合格者「1500人」への懸念が、弁護士会から示されています。法曹志望者の急減に歯止めがかからないなか、このラインを死守するために、合格ラインが引き下げられると、合格者の質が担保されなくなる恐れがある、だから、この「死守ライン」を優先させず、厳正な合格判定をせよ――。こうした趣旨の会長声明が、昨年来、埼玉、兵庫県などの弁護士会から出され、今年についても、京都弁護士会が昨年に続き、今月21日に会長声明を発表しています。

     「死守ライン」が、意図的に優先され、質確保が前提とならないという疑義は、昨年の実績に対して、既に示されています。昨年、司法試験受験者が前年を932下回る5967人でありながら、合格者は40人減の1543人。受験者も合格者も減る中で、合格率は前年を2.91ポイント上回る25.86%。受験者が14%も減りながら、合格者がこの数値にとどまっているという現実が、これを物語っているということです。受験者数がさらに729人減った今年、同様のことが行われるのかという問題なのです。

     マスコミの扱い方もあって、残念ながらここで示されている司法試験をめぐる問題性への理解は、社会に広がっているようにはみえません。司法試験が、こんな状態なっていることを知らない国民もまだいるはずです。しかし、いうでもないことですが、一定の能力・質を担保するのは資格制度の生命線であり、存在意義にかかわることといってよく、資格に求める社会の最低限のニーズといえるものです。しかも、それが司法の一翼を担い、国民の権利擁護に直結する資格で、今、いわれている不思議さは、もはや異常さと言い換えていいように思います。

     なぜ、こんなことになっているのか――。それは、結局、この「改革」の根本的な発想にかかわっているといえます。「質・量ともに豊かな法曹」の養成を目指すとした「改革」は、一方で、「量」の飛躍的拡大を至上命令にしていることを誰もが分かっていた。「量」はまさに「改革」の軸であり、法科大学院の存立もまさにそれから逆算されるように構想されていました。「改革」推進の中心にいて、弁護士会内でその主導的な役割を担った中坊公平弁護士が、はっきりと「(質と量) どちらを選ぶんだと言えば、私は今必要なのは量だと思う」と明言していたという事実もあります(「不安を引きずってきた増員優先の『改革』」)。

     もっとも、裁判所は新法曹養成下でも、私の知る限り、表向き「質は絶対に落とさない」という一貫した姿勢でしたし、政府としても国会答弁で、前記司法試験合格「1500人」ラインに関して「法曹の質の維持を優先する」という趣旨の説明をしてきました(「一聴了解」)。

     しかし、「量」の確保は、法科大学院制度の根幹にかかわり、「改革」全体の失敗を決定付けるものであり、「改革」推進する側にとって、それゆえの「至上命令」という扱いなのです。当初の目標だった司法試験合格者年「3000人」が、2000人程度で頭打ちになった事情として、これ以上レベルを下げられなかったという見方とともに、本来、さらに受験者の現実からすれば、人数を減らすべきところ、「至上命令」の存在がこの数字に止まらせた、という見方があります。量産への強いベクトルが働いていたとみる方がむしろ自然ともいえます(「新法曹養成制度の実力という視点」)。

     また、この「改革」の「質より量」を決定的に後押した発想は、競争・淘汰による効用論です。弁護士が増えることによって、競争・淘汰が促され、良質の弁護士だけが残っていく、つまり、質は量産によって確保されるのだ、という描き方です。司法試験合格率が伸びないことが決定的になった時点で、法科大学院関係者の側から、とにかくできるだけ合格させよ、社会放出せよ、それでも実害はないという方向の発言が聞かれたのも、結局、この描き方に乗っかったものといえます。

     しかし、これは前記した資格制度の役割を根本的に軽視、あるいは否定するものです。司法試験の選抜機能ということが、弁護士・会側からつとに強調されながら、新法曹養成制度を維持しようとする側が、そこに注目しないとしても、また、質確保の不安から慎重に量産を検討するという姿勢にならなくても、こうした彼らの発想からすれば当然といえば、当然の話になるのです(「法曹『選抜機能』の行方」 「伝わっていない司法試験『選抜機能』の危機」)。

     増員政策が既に行われた今、中坊氏が言ったような量産の価値が上回る、ということ、要は数が増えることによる効用が、質の確保への懸念(前記弁護士会声明が懸念する実害)より優先されてしかるべき、といったことは、もはや「改革」の現実そのものが実証できていないといえます。数が増えたことによる良質化を利用者は体現できているとは思えないし、本当の意味で利用しやすくなったと思っているかも疑わしいからです。これまでも繰り返し書いてきたように、競争・淘汰は弁護士という資格において、簡単に良質化・低額化を伴って進行しないし、少なくともいつ果てるか分からない淘汰の過程で、自己責任の名のもとに、資格が保証してくれない質の不安に利用者がよりさらされることは、既にはっきりしているというべきです。

     そうとらえれば、弁護士会がいう前記「死守ライン」への懸念は、当初からこの「改革」が引きずってきた発想への懸念であると同時に、まさしく弁護士利用者に跳ね返って来る不安要因であることが見えてくるのです。


    弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    増員政策に乗っかった法科大学院制度必要のロジック

     法曹人口大量増員の実現と、法科大学院制度の必要性を、「質の確保」ということでつなげる、司法改革のロジックがありました。要は、旧司法試験体制では、司法試験合格者を増やし、大量の法曹を輩出するうえで、質が維持できなくなる、だから、法科大学院のような、新たな養成機関が必要なのだ、というものです。

     司法制度改革審議会の最終意見書は、「受験者の受験技術優先の傾向が顕著となってきたこと、大幅な合格者数増をその質を維持しつつ図ることには大きな困難が伴うこと等の問題点が認められ、その試験内容や試験方法の改善のみによってそれらの問題点を克服することには限界がある」としていました。予備校に依存した受験技術に依存した「一発試験」では、質の問題が生じる、そして、それはこの新制度を導入しない限り、他の改革、要はこれまでの法曹養成改革で議論されてきた司法試験や司法修習の改善では克服できない、という捉え方だったのです。

     これが提起されていた2000年代初頭の法曹界が、こうした捉え方を頭から信じて、それで一致していたかというと、それもまた疑わしい面があったといえます。弁護士会内の「改革」推進派のなかからも、結果的に前記捉え方をまさになぞるような必要論もいわれましたが、懐疑派も根強く、日弁連も当初はアメリカ流ロースクールは困難とする姿勢にとれました。特に裁判所は司法修習の評価、あるいはその先に予想される修習不要論台頭への脅威もあって、法科大学院の未知数の「実力」には、最後まで懐疑的であったようにとれました。

     しかし、結果的に裁判所がこの新制度を受け入れる形になったのは、ひとえに数の問題があったからでした。要するに、「改革」が当初目標としていた、司法試験合格年間3000人を突き付けられれば、もはや物理的に従来の司法修習体制では背負い切れないということだったのです。逆に言うと、法曹界は当初から、今後も司法試験と司法修習によって「質は絶対におとさない」として、法科大学院については、「お手並み拝見」という視線を送っていた面があったのでした(「新法曹養成制度の実力という視点」)。

     いろいろな見方があったとはいえ、あえていえば、これは「改革」の方向性としてこうなった以上、新制度に期待するしかないということであり、少なくともこと増員の影響と質確保という点で前記したような旧試体制の問題性、あるいは実害性と絡めて導き出した前記ロジックの発想とは、もともと異なっていたのです。

     しかし、現段階で前記ロジックの描き方は、二つの点から、事実上ほぼ破綻しているようにとれます。一つは、目標であり、目的ともいえた年間3000人合格者という増員政策が破綻していること。前記した法曹界、とりわけ裁判所にとっての新制度導入の物理的根拠となった数についていえば、実は合格1500人というリミットが業界内でいわれていました。つまり、法曹界は合格1500人というラインまでは、従来の現行司法修習制度と、その改善で「やれる」という腹を固めていた、ということです。

     目標としての合格3000人の旗が降ろされ、そのラインに近付いてきた現在の司法試験合格者数を考えれば、数の関係で何が何でも法科大学院が必要という、司法審が描いたような法科大学院でなければ克服できないという前提は消えたようにみえます。少なくとも、裁判所の動機付けにかかわるところが、今はなくなっているといえます(「法科大学院制度導入必然性への疑問」)

     そして、もう一つは、実証性の問題です。制度発足から10年経って、いまでも続く増員基調の「改革」のなかで、質確保にこの制度が必要であること、別の言い方をすれば、こうしたプロセスの教育をどうしても経なければ、増員法曹の質に支障が出る(出ていた)ということを示せていないということです。

     それはとりわけ、予備試験組という法科大学院を経ずに、旧試同様、「一発試験」を経て、法曹になった人材への評価との対比において、はっきりした形で表れていないということでもあります。「質の維持」のためにどうしても必要というプロセスを経た人材が、法曹になったあと、その違いをはっきりと社会に示しているのであれば、前記ロジックの正しさは、当然、裏打ちされるはずでした。

     増員政策と新法曹養成制度の先に現れた法曹志望者減という事態は、これまでも書いてきたように、本質的には弁護士資格の経済的価値の激減に起因しているといえます。しかし、そのなかで予備試験受験者が確保されている現実は、あれほど旧試体制を数としての参入規制とした「改革」にあって、法科大学院制度、とりわけ司法試験受験要件化という強制こそが、志望者にとっての参入規制になっていることを示しています。そして、それに加えて前記ロジックが描いた「価値」を、多くの志望者が認めていないことも示しているといえます。

     法曹志望者が、それこそ法曹としての将来を考えて、自らの質のために「なるほど必要である」という評価を、法科大学院というプロセスに下しいない、ということです。「価値」という意味では、これこそが法科大学院が目指すべき目標であっていいはずです。ところが、制度は前記受験要件化という強制に始めからすがっている。

     そして、さらにもし、それを理想とするのであれば、むしろこのプロセスは、司法試験の合格後に位置している方が望ましい、ということにもなります。いうまでなく、法曹に必要な法知識や能力を身につけさせるということであれば、司法試験合格を気にしない状況で行われる方が、志望者の現実的な意識としても、教育の効率からいっても、当然に適切だからです。逆に言えば、そうなっていない制度が、志望者に見切られているのです。もちろん、そうなっていないのは、それこそ前記ロジックとは関係なく、大学運営にとっての経済的妙味から望ましくない(志望者を相手にするか、合格者を相手にするかの、数の問題)という思惑も透けています。

     このロジックの描き方について、「事実上ほぼ破綻」などという言い方になったのは、いうまでもなく、まだ、決着がついたわけではないという人もこの世界には沢山いるからです。多くが撤退したあとの、残った法科大学院が、将来、法曹の「質の確保」において、必ずや当初の予定通り、社会にその違いを見せつけるのだ、と。その時は、予備試験組法曹(その時に予備試験が本道の都合によって潰されていなければ)の社会的評価を、法科大学院修了法曹が凌駕し、志望者は「なるほど法科大学院を経なければ」として、その「価値」を認めて帰って来るのだ、と。

     もちろん、今、その可能性を頭から全面的に否定することなどできません。しかし、百歩譲っても、その未来が実現するまでに、この国の法曹と法曹養成はどうなってしまうのか、果たして社会にとって有り難い形で、持ちこたえられるのかは、今から懸念しておく必要があるはずです。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    新法曹養成「時短化」をめぐる思惑と現実

     法科大学院制度を擁護する方々の論調のなかで、時々、時間的負担軽減の重視は、最短で法曹になるメリットを強調する、志望者への「誤ったメッセージ」になるという懸念論が異口同音に言われるのを目にしてきました。中教審の部会でも委員から、そんな意見が出されています。

     しかし、こうした捉え方に接する度に、奇妙な気持ちになります。いうまでもなく、最短で法曹になる途を選択することは、ある意味、志望者としては当然のことではではないか、と思うからです。志望者に、そう考える方向で伝わることを、なぜ、彼らはことさらに「誤ったメッセージ」として懸念するのでしょうか。そして、それが制度が志望者減という現実の前に、時間的負担軽減をテーマとせざるを得なくなり、その観点から「法曹5年一貫コース」(「どうなの司法改革通信」Vol.100)が時短的発想で提案される状況になった、いまでもなお、いわれている奇妙さでもあります。

     この捉え方には、彼らが予備試験の現実について、さんざん被せてきた「抜け道」論を重ねてみることができます。つまり、まず、法科大学院というプロセスの教育的価値が存在し、いかなる形であれ、それを回避することになる時短的発想は、法曹志望者として、基本的にあってはならない「心得違い」と決め付けている格好です(「予備試験『抜け道』論者の心底」)。時間的負担は軽減しなければならないが、かといって時短のメリットを前面に打ち出すとなると、プロセスの価値を自ら後方に押しやりかねないし、もっといえば、批判してきた「抜け道」と同じ土俵で「価値」を示すことになる――というのが、彼らの懸念でしょうか。

     しかし、二つの点について、彼ら懸念する側は認識していない、もしくは目をそらしているようにみえます。一つは選択される「価値」としての敗北。つまり、志望者が新プロセスを回避して、より早く合格できる道を選ぶのは、現実的にそれでも法曹になるうえで、なんら支障がないことを見切っている、ということです。要は、わざわざ周り道をする「価値」を(少なくとも経済的時間的投資に見合うほどには)今のところ見出していないからこそ、彼らは何の躊躇もなく、当然のごとく、早く法曹なる道を選んでいる。

     そうなると、制度側が時短を意識せざるを得なくなった時点で、「価値」の勝負では、ひとまず敗北しているということになります。彼らが、予備試験が利用される現実を「抜け道」と位置付け、制限する方向を示唆したり、合格者増さえしてくれれば、新プロセスの「価値」も見直されるはず、といったことを指摘するのを見るにつけても、教育そのものの「価値」、また結果が示す社会的評価で勝負することを断念している、もしくはその勝負の結果を待っていては、制度が持たないと考えているとしか、とれないのです。

     そして、もう一つは時系列に考えたときの新プロセスの無理です。前記彼らがあえて懸念してみせていることは、要は司法試験合格を急ぐあまり、肝心のプロセスの教育が疎かになることについてです。それは、法曹志望者として「心得違い」なんだと。しかし、そのプロセスの教育が、(あるいは長い目でみて)法曹として価値あるものになるとしても、合格しないことには、あるいはそれらの意味がなくなるかもしれない状況で、実の入った学習が果たしてできるのか。逆に教育の時期としても、本当にふさわしいのか。受験を意識しないで済む合格後に教育される方が、環境として適切なことは明確ではないでしょうか。

     このどうにもならない、宿命的な新プロセスの位置取りを分かっていればこそ、合格不安を解消するために、他力的に合格者増を要求しているというのであれば、その点は辻褄があうといえなくはありません。しかし、これは制度存続のためということでは、導かれても、資格制度の在り方としてどうなのかが問われるはずです。法科大学院入学時に、相当厳しい関門を設けるのであれば、また別ですが、現在の実績だけで、新プロセスの「価値」のために合格不安を解消する司法試験合格率を提供するという形になるのが、本当にこの資格にとって望ましいのか、ということです。なぜならば、法曹養成として、この新プロセスは、単年度2割台しか司法試験という関門を突破させられていないという、はっきりした実績が存在しているからです(「法曹『選抜機能』の行方」 「新法曹養成制度の実力という視点」)。

     将来的には、必ずや予備試験組といった本道回避者に違いをみせつけるであろうという期待のうえに繰り出される、新プロセスの「価値」への配慮によって、肝心な資格の保証を脅かすことはないのか、という話に当然なってよいところだと思います。

     最近、前記「法曹5年一貫コース」について、政府・与党が時短策として検討を始めたことを報じた大新聞が、その記事の中で次のように書いています。

     「法科大学院は法律家としての判断力や倫理を養うために設置された。ところが、予備試験が『抜け道』になり知識偏重の是正という改革の趣旨は揺らいでいる。与党関係者は『司法試験合格者の中にも、早くに予備試験をパスした方が、法科大学院修了者より優秀だという意識を持つ人がいると聞く。法科大学院が魅力を取り戻さなければ改革そのものが問われる』と指摘する」(5月18日付け、毎日新聞「政府 法学部『3年卒』検討 法科大学院『失敗』に危機感」)

     記事は、政府・与党も、時短策を「法科大学院離れ」への歯止めとして期待していることも伝えています。予備試験をいくら「抜け道」呼ばわりしても、それが「知識偏重」の実害も、それを是正する「価値」も、制度が実証できていない現実の裏返しである。だからこそ、早期予備試験パスした方がが優秀だと意識を持つ合格者を、頭から「心得違い」とはできない。そして、その現実からすると、「取り戻さなければ改革そのものが問われる」法科大学院の「魅力」とは、「時短」ではないはず――、ということに、どうもこの記事を書いた記者は気付いていないようにみえてしまうのです。 

     志望者減の現実を前にして、法科大学院擁護派から繰り出される司法試験合格率「主因説」が、弁護士の経済的価値の下落に対する志望者意識を無視している(「司法試験合格率『主因説』が無視するもの」)のと同様、時間負担軽減という制度見直しの方向にも、どうも制度にとって都合のいい現実に対する描き方がなされているように思えてなりません。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

    司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 資格試験
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR