「生き残り」策に引きずられない法科大学院中核論

     法科大学院制度の見直し論をめぐり、法科大学院関係者や弁護士会内の制度擁護派が直視しようとしていない点があります。それは、率直にいって、今の方向が、制度存続のためのものなのか、それとも本当に法曹養成制度のためのものなのか、ということ。別の言い方をすれば、今、見えてきている方向は、本当にあるべき法曹養成から逆算されているのか、という点です。

     いまや法曹界内多くの人の認識として、結果的に法科大学院は今後、旧帝大を含めた旧司法試験体制でも実績がある司法試験合格上位校に絞られる、そして、一定の限られた受験者数のなかで、累積を含め限りなく「7、8割」に近くなる合格者数をそれらの残った法科大学院が輩出する――という形で、落ち着く方向で検討されている、ということが聞こえてきます。

     肝心なことは、これが実現するかどうかということよりも、法科大学院制度見直し論のなかで、こうした新たな「生き残り」のシナリオが、前記したような法科大学院を中心に、ある時期から選択されたととれるということです。「改革」が目標とした、多数の合格者輩出は実現できず、志望者は離れ、彼らが「抜け道」と揶揄する「予備試験」に人が流れ、大量の撤退校が出て、「失敗」という言葉がマスコミ論調のなかでも使われた出すなかで、その一部「生き残り」のための方策が語られ出している。では、それが本当に法曹養成のあるべき形なのか――。

     大量の受験者のなかから、優秀な人材が選抜される。そこでは、できるだけ広く門が開かれていることとともに、「点」にしても、「線」にしても、法曹養成として、(旧司法試験体制との比較においても)より適正に選抜が機能していなければならない。ある意味、この「改革」が本当にあるべき法曹養成を目指したのであれば、そこから正当に逆算されない「生き残り」策は、もはや「改革」の趣旨にも反しているともいえるはずなのです。むしろ、こういう視点で語られないことが、冒頭書いた現実に感じる決定的な欠落感といえるのです。

     これまでも法科大学院制度と「改革」のあり方について、法科大学院教育に携わってきた経験も踏まえ、冷静・的確な分析と提案をされてきた森山文昭弁護士(「法曹『選抜機能』の行方」 「『朝日』法科大学院記事の微妙な『兆候』」)が、近著(「変貌する法科大学院と弁護士過剰社会」花伝社)のなかでも、まさにこうした現実を踏まえ、ある意味、「改革」路線のなかの存続論や見直し論に引きずられない視点を提示しています。

     これまでも書いてきたように、資格制度のあり方としては、「入口」(入学試験)か「出口」(司法試験)できちっとした選抜を行うことは基本的に回避できません。彼は新法曹養成が「点」から「プロセス」といううたい文句のもとに、司法試験という「点」のみの選抜をやめて、法科大学院をプロセスの中核として位置付けた時点で、司法試験の選抜機能も旧養成プロセスであった司法修習も、以前ほど重要視されなくなることは想定されていた(後者については、その結果としての短縮化)、とします。そして、そのプロセス教育の貫徹には、卒業生の何割ではなく、入学した人がほとんど司法試験に合格できる状態にする必要がある。いわば、このことを新プロセスが背負ったということを確認しています。

     そして、そう考えた場合、つまりは入学者がほとんど合格し、司法試験合格レベルだけを卒業させ、かつ、入学後に鍛えて、ついてこれないものをどんどん落とすことも出来ないというのであれば、法科大学院存続を前提とする限り、残された方策はただ一つ、前記「入口」で絞るしかないのだ、と。その意味で、この新プロセス教育が看板とした「未修者コース」は、そもそも矛盾を抱えていた、としています。法学未修者を3年で司法試験合格レベルにするのは至難のわざであり、法曹の素養に欠けた人材の大量放出につながってしまうのが現実だからです。

     彼が本書の中で提示している、法科大学院を法曹養成の中核として位置付ける場合の、抜本的改革案の柱は以下のようなものです。

     ① 法科大学院の入学総定員数は司法試験の合格者数から逆算し、法科大学院に入学すればよほどのことがない限り司法試験に合格できるようにする(当面司法試験合格者500人、入学定員550人、予備試験70人、1校当たりの入学定員の上限30人)。
     ② 法科大学院の入試は全国統一の法律科目試験として実施する。
     ③ 原則として未修コースは廃止して既習コースのみとする。
     ④ 法科大学院では法律基本科目だけではなく、基礎法学、隣接科目、展開・先端科目、法律実務基礎科目についても、一層量的・質的に充実した教育が行われるようにする。
     
     合格者、入学者を絞り、前記した理由から未修コースの旗を降ろし、合格可能な状況のなかで、実務教育を④の充実化(合格を気にしていたならば、現実的に身にならないという問題の解消も含め)を可能にするというのが特徴といえます。

     大事なことは、むしろ彼がこの改革案現実化へのハードルを低いとは考えていないという点です。司法試験合格者から入学定員の逆算も、彼の既刊の著書では、「現実的には困難」という見方も示していました(「司法崩壊の危機」同)。それでも、彼はあえてここで、前記したように現在の「生き残り」策から逆算されたような見直し論調に引きずられない視点を提示したととれます。彼は、こう書いています。

     「私がここで一番言いたいことは、法科大学院を本当に法曹養成教育の中核機関として位置付けるのであれば、そして法科大学院で理想的なプロセス教育を本当に実現しようというのであれば、そこまで突き詰めて考えないといけないのではないかということである」
     「この議論は、本来であれば法科大学院設立のときに行っておくべきだった。それをしないで中途半端に法科大学院を作ってしまったことが、現在の混乱を招いている。法曹志望者も苦しんでいる。今からでも遅くはないので、原点に立ち返った議論を望みたいのである」

     彼は、この抜本的改革案のハードルが高くてどうにもできないのであれば、もはや司法試験の受験資格要件化から法科大学院の修了を外すことを検討するしかない、と結論付けています。そうでなければ、法曹志望者の回復に、「法科大学院の存在が桎梏になる可能性がある」としています。

     彼の本書のなかでの論調こそ、現在進められている「生き残り」から逆算されているようにみえる「改革」見直し論と、法曹養成の本来的な在り方や、志望者減への本質的な解決策から逆算されたものとの、距離感を示すものと言えます。受験要件化をなくすことは制度の事実上の「死」、かといって森山氏の提案するような抜本的な「改革」案は、制度の隠れた目的である大学起こし的な経済的妙味からはますます遠く手が出ない――。

     もし、そうだとすれば、やはりあるべき法曹養成の中核を大学運営という別の事情を引きずらざるを得ない主体に委ねるべきなのか、という議論も、もっとしておくべきだったのではないか、というところに行きついてしまいます。


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    法曹志望者減と「改革」の実相

     今回の司法改革の先に、深刻な法曹志望者減という事態が来るかもしれないことは予想できなかったのか――。ある意味、不思議なことですが、法曹界のなかで、弁護士の増員政策と法科大学院を中核とする新法曹養成制度導入の、一つの「結果」が現れた今、こういう問題の立て方をする人に、ほとんどお目にかかりません。現実的に弁護士の需要を含め、予想できなかったから(予想を間違えたから)、こういう結果になっている、ということが、前記問いかけ自体を無意味のようにとらえさせているのかもしれません。

     ただ、いまさらながら、これを根本のところで、「不可能あった」ととらえることには、かなり違和感を感じるのです。志望者減の大きな背景には、増員政策に伴う、経済的な妙味、安定性を含めた弁護士という資格の「価値」の下落があり、そこにはこれまでも書いてきたように、有償需要に対する不確定な、あるいは希望的なヨミがあったことは事実です。ただ、それ以前に法曹界の人間が実は当然に分かっていておかしくなかった(現実的には多くの人間が、おそらく分かっていた)ことは、法科大学院というプロセス強制化の影響です。

     司法制度改革審議会の最終意見書は、このプロセス導入によっても、「公平性、開放性、多様性を旨と」することをうたい、それを犠牲するととれることはうたっていませんが、弁護士界のなかには、この点について一部、強くこだわる見方がありました。当然といえば当然ですが、これまで誰でも受験できた旧司法試験体制に対し、法科大学院修了を受験要件化してこのルートを本道として強制化し、そこにこれまで以上の経済的負担を課す制度が、この点で旧制度より後退することは目にみえている、比較にならないことは当然だったから、です。

     「改革」論議のなかで、旧制度は受験技術偏重批判とともに、「一発試験」で法曹になる制度というような捉え方がさかんになされてきましたが、「一発」であるところに、公平・開放で、また、新制度よりも経済的な負担なく、チャレンジできる機会があったこと、そのメリットを、そのなかで弁護士になれた多くの人間たちは、よく分かっていたのです。社会人から弁護士になった人、とりわけ経済的に恵まれない環境のなかでチャレンジし、合格した弁護士のなかには、最後までこの点で、新制度の志望者視点での現実的問題を訴えた人もいましたが、多くの人は分かっていたながら、沈黙していたようにみえました。

     経済的にみれば、これは非常に単純なことでした。新プロセスの強制で志望者にとっての経済的負担が増える以上、これまでの公平・開放・多様性を犠牲にしないというのであれば、弁護士になったあとのリターンは、今まで以上に増えるという見通しが、本来立たなければならないはずなのです。弁護士が増員されてもやっていかれるとかではなく、本来は今まで以上の経済的妙味が保証されるような話がなければ、そもそも志望者目線では現実的可能性でも、あるいは動機づけとなる経済的魅力という意味でも、旧制度から後退することは十分に考えられたのです。

     結論からいえば、それでもこの「改革」が進められた過程には、いくつかの要素が絡んでいたといえます。ひとつは社会の弁護士に対する強固な「経済的成功者」になれるというイメージです。医者・弁護士と並べられる社会的な地位が、経済的に窮するという未来は、(今でもかもしれませんが)一般に想像しにくかった。それだけに、当初のうたい文句だった法科大学院修了者の「7、8割合格」を含め、旧制度よりも「受かりやすくなった」ということだけで、その先のリターンの不安を当然に飛び越えさせてしまうものに、当初、この制度がなったことは否定できません。

     そして、もう一つは、「改革」そのものが期待を膨らましたという面です。弁護士増員必要論には、事後救済社会の到来を含めて、弁護士の大量需要発生時代の到来を強調するものが、つとに張り付いていました。いまでも業界の中からは、当初は弁護士が経済的に窮して、生き残りを模索しなければならない、競争させて淘汰させるという未来像ではなく、増やしても大丈夫なくらいの、あるいは増やさなければ決定的に足りなくなるくらいの需要が存在する、という触れ込みだった点を強調する声が聞こえてきます。

     増員政策には、競争・淘汰による良質化を促進するくらいの、人口過剰性が、当然のように組み込まれていたという捉え方がありますが、少なくとも「改革」による増員を受け入れた多くの弁護士は、そういう理解ではなく、当然、「増やしてもやれる」だけの需要がある、ということを前提的に受けとめたのです。不安はあったという人はいます。ただ、ここは「改革」推進者としての見識は問われて当然です。そして、それ以上に、前記志望者の新制度に対する期待感への責任も問われてしかるべきです。当の弁護士が年間3000人の司法試験合格者を出しても、弁護士はやれる、という太鼓判を押す「改革」に、仮に経済的な安定やリターンに対する不安を挟まなくても、志望者側の見識が問われる話ではないように思うからです(「日弁連が『3000人』を受け入れた場面」)。

     結局、志望者たちは、自分たちの前を進んだ多くの志望者たちの犠牲と、その「改革」の現実を徐々に伝え出した、マスコミ報道で知ることになり、その当然の反応としての「選択」が、この世界を回避するということだった、ということになります。とりわけ、既に職についている社会人が、リターンが望めない資格にチャレンジするということの無理は、旧制度との差を埋められないほどに、既にはっきりしてしまっているのです。

     「弁護士は世間で思われているほど経済的基盤が強固な職業ではない」。こういう言葉を弁護士のなかから、近年よく異口同音に聞きますが、「改革」によって弁護士自身が、そのことをさらに自覚したという面もあるかもしれません。しかし、一方で前記した社会のなかにある弁護士の経済的強者イメージには、依然として強固なものがあるようにみえます。「なんだかんだいっても資格さえとれれば」という意識が、さらなるチャレンジャーの人生をかけた悲劇的誤算を生むかもしれません。

     すべて「自己責任」で片付ける人もいると思いますが、注釈なく魅力の発信を促したり、合格者を増やせば志望者はくるという見方に立つ、業界側、あるいは「改革」擁護者側は、この事態を予想できなかったこと、問題が分かっていながら沈黙したことに加え、このことについても責任を自覚しているようには見えません。


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    伝わっていない司法試験「選抜機能」の危機

     千葉県弁護士会の及川智志会長が9月13日付けで、今年の司法試験結果を受けた声明を発表しています。合格者数を1000人以下とすることと、予備試験合格者数を不当に制限しないことを政府に求める、という基本的な要求は、2012年以来、毎年、司法試験結果を踏まえて、同会会長が声明として発表してきた内容と変わりません。ただ、今年の会長声明には、この要求の前に、次のような内容が加わっています。

      「当会は、平成29年司法試験合格者数の決定にあたり『1500人程度』という政策上の人数確保ありきで『質の確保』という大前提が遵守されなかったのではないかとの疑義を表明する」

     この内容が結果の何に注目しているのかといえば、12日に法務省が発表した今年の司法試験結果によると、今年の受験者は前年を932下回る5967人でありながら、合格者は40人減の1543人。受験者も合格者も減る中で、合格率は前年を2.91ポイント上回る25.86%だった、という点。要は、受験者が14%も減りながら、合格者がこの数値にとどまっているという現実への疑義です。声明は理由のなかで、こう述べます。

     「平成27年6月30日の法曹養成制度改革推進会議では、司法試験合格者について、当面『1500人程度』は輩出されるよう必要な取組を進めるとされた一方、輩出される法曹の『質の確保』が大前提とされていたところ、本年の合格者数決定にあたり『1500人程度』という政策上の人数確保ありきで法曹の『質の確保』という大前提が遵守されなかったのではないかとの疑義がある」
     「当会は平成23年2月の総会で司法試験合格者数を1000人以下にすることを求める決議をしているが、人数は勿論のこと、昨年より受験者が大幅に減少した中での合格率増加は、司法試験の選抜機能を損なわせ、法曹の質の低下を招く危険性が高く、極めて遺憾である」

     今回の結果に対して、司法試験の選抜機能への疑問や前記「改革」路線の政策的意図への憶測から、声明のような疑義を表明する声は、弁護士会内から聞こえてきます(「弁護士猪野亨のブログ」)。今年の受験者数と、例年の合格率から合格1300人台になるといった予測まであっただけに、目標というより最低死守ラインとして打たれた「1500人」への力が働いたとの見方を強めているようにとれます。

     ただ、基本的な問題は、この「疑義」の伝わり方にあります。そして、そのキーワードになるのは、やはり司法試験の「選抜機能」だと思います。声明にあるような、この選抜機能が損なわれること、そしてそれが法曹の質の低下を招くことへの危険性という主張が、弁護士が考えている以上に社会に伝わらない現実が既にあるからです。

     司法試験、あるいは法曹養成制度における「選抜機能」の意義について、多くの弁護士はいわば当然のこととして認識しているようにとれますが、結果からみて、この「改革」のなかで、その位置付けは、ある意味、曖昧のようにみえます。「プロセス」が強調された新法曹養成制度ですが、現実的には旧司法試験体制でも、大学法学部を中心とした法学教育、司法試験、司法修習、さらにいえば、弁護士についていえば事務所での修養期間も含めた、養成のプロセスがかっちりした選抜機能とともに存在していました。それが、この「改革」では、司法試験前の予備校の介入ばかりが受験技術偏重として問題化され、法科大学院を中核としたプロセス強制化の必要が強調されたのです。

     ところが、蓋を開ければ、司法試験の選抜(最高裁も法務省も法科大学院が導入されようと絶対にレベルは下げないと強調していたところですが)のレベルに十分到達できた人材を、法科大学院側は目標通り輩出したとはいえないにもかかわらず、つとにこれを司法試験側の問題としてきました。そして、前記結果がはっきりした現在においてもなお、司法試験の方を法科大学院の現状に合せるべき、という主張を繰り出しています(「法科大学院の『本音』と『自覚』」 「法科大学院『本道』をめぐる現状認識と自覚の問題」)。

     そもそも法科大学院制度と一体の弁護士増員政策によって、弁護士が競争・淘汰にさらされる、さらされるべき、という論調にのっかって、とにかく合格させて輩出させろ、質は競争と淘汰によって保たれる、といった、不要論といってもいいような、選抜機能そのものの必要性について軽視する見方も、法科大学院関係者には根強く存在していたのです。

     「質の確保」を競争・淘汰に丸投げするという発想そのものは、もはや資格制度そのものの軽視であり、さらにいえば、利用者のこと(利用者が資格に求める最低限度の安心・信用保証)を全く考えていないといわざるを得ませんが、法曹養成のどこかで「選抜」を真剣に考えるのであれば、以前も書いたように大きく二つの選択肢しかありません。要は「入口」で絞るか「出口」で絞るか。入口とは法科大学院入学時点、出口とは司法試験です。逆に言えば、司法試験・司法修習という旧プロセスの前に、法科大学院という新強制プロセスを設けた以上、むしろこの問題をなんらかの形でクリアしなければならないはずなのです。

     ところが、結果的に法科大学院にとっては、法曹数から逆算した法科大学院定員の削減・管理の必要性や経済的な妙味も含めて、「入口」選抜は難しく、かといって前記したように厳格な「出口」選抜も、実績として都合が悪い現実に突き当たってしまったのが、この「改革」の現実です。その結果として「選抜」そのものの意義もまた、この「改革」のなかでぼやけているのです(「法曹『選抜機能』の行方」)。

     目を離して「改革」の結果をみれば、一定の選抜が機能していた(多数の受験者から人材を選べていた)司法試験についても、2年間当てられていた修習にしても、弁護士登録後の修養期間についても、いずれも旧司法試験体制より後退し、その代わりに強制された新プロセスとしての法科大学院制度もうまくいっておらず、法曹界そのものが志望されないという現状まで生み出しているのです。

     前記千葉県弁護士会声明が指摘する疑義と危機感についての報道を目にしない現実をみるにつけ、選抜機能の意義と、それに反する「1500人」合格死守という政策的意図の真意などを含めて、本当に伝えられるべきことが伝えられていないまま、いまだ続いている「改革」路線の現実(「司法試験合格1500人と弁護士増への認識」)を思わざるを得ません。


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    「改革」自己目的化への視線

     法科大学院関係者の中からは、相変わらず、制度存続のために、もっと便宜が図られていい、という論調が聞かれます(「法科大学院『本道』をめぐる現状認識と自覚の問題」)。そして、法科大学院の撤退に注目する大新聞も、これを批判的に取り上げてはいません。

     最近も、朝日新聞が法科大学院の相次ぐ募集停止に注目しながら、司法試験合格実績が低い未修コースを実績校に絞ったり、大学法学部と大学院の連携を強める検討が始まっていることを伝えました(「法科大学院、次なる改革模索 募集停止相次ぐ中で…」朝日デジタル9月9日付け)。この記事は、同紙の大阪版(9月6日付け朝刊)にしか掲載されておらず、ネットをチェックしていない他地域の本紙読者は目にしていない可能性もあるものですが、このなかで同紙は大貫裕之・法科大学院協会理事長の以下のような見解を紹介しています。

     「(大貫氏は)近年の法科大学院の状況について、『全体の定員を抑えるなどのこれまでの改革が成果を生んでいる。近年は司法試験の合格率が安定化した。学生の経済的負担も軽減されるなど、学生が勉強に取り組む環境は改善されてきた』と強調する」 
     「ただ、さらに志願者が減ると、将来の人材が不足しかねないとして、大貫氏は『法曹の仕事の魅力を伝える取り組みが必要』と指摘。司法試験についても、『依然として要求する水準が高く、問題の量が多い。大学院の教育内容に即した出題が望ましい』と改善の必要性を訴える」

     前段では自らが存続に否定的だった給費制が、給付制として復活したことが経済的負担の軽減につながっていることを棚に上げ、「改革」の成果を強調しています。そのうえで、「改革」がもたらした経済的異変が志望者減に直結している現実に対して、効果が疑わしいお決まりの「魅力発信」と法科大学院の教育に即して、司法試験を受かり易くするようにしろ、という、さらなる便宜を求める見直し必要論を掲げています。

     こうした論調を無批判に取り上げることは、「改革」の「成果」に対する現状認識もさることながら、「魅力発信」や司法試験合格率が基本的な現状の解決策であるような誤解につながる、法科大学院関係者の主張をなぞるものにとれます。司法試験合格率が低かった旧司法試験になぜ、多くの志望者がチャレンジしていたのか。そのことからも、本来、こうした主張のおかしさ、無理は、もっと伝えられていいはずなのです。そもそも未修コースを実績校に絞るという方向も、実質的に法学部がある大学しか参入できないことを意味する連携強化の検討も、法科大学院という新プロセス強制化で失われる人材の多様性への、ある意味「弁明」となっていた発想の、明らかな後退であることが伝わる取り上げ方ではありません。

     これらは結局、「改革」によって現実的に何が得られるか、それがどういうメリットがあるかというところから逆算されている主張ではもはやなく、法科大学院制度の存続という「改革」そのものが自己目的化している主張といわなければなりません。そして、こうしたメディアの取り上げ方は、その問題性を看過し、読者にそれを極力気付かせないものであるようにみえます。要は「改革」の自己目的化に加担している、といわれても仕方がないということです。

     そのことは、この新法曹養成制度と一体のものである弁護士の増員政策についても、問われることです。個人事業者である弁護士が、増員政策から生まれた現在の経済状況を踏まえ、たとえ生き残りのための業務のあり方を模索したとしても、それはもちろん認められることだろうし、ある種の権利性も帯びていると思います。

     ただ、そうした工夫が社会のニーズにこたえるものとして検討されたとしても、それが直ちに今も続く増員基調の政策を正しいものとできるのかには、少なくとも私たちは慎重でなければなりません。いうまでもなく、結果的に増えてしまった弁護士をどうするか、あるいは有効活用できるか、ということと、果たして社会にとって、こうした形で増やすべきだったか、今後も増やすべきかというテーマは、目的において必ずしも一致していないからです。弁護士会自身が掲げた「市民のための改革」を含め、あくまで目的から逆算して、「改革」の現状とこれからは評価されなければなりません(「『町弁』衰退がいわれる『改革』の正体」)。

     法科大学院制度にしても、弁護士増員政策にしても、「改革」で生まれた制度・政策は正しく、したがって制度が続くことは正しい、という自己目的化の発想が、「改革」の影響とその誤算がはっきりした現在に繰り出されていることにこそ、もっと注目する必要があるはずです。


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    法科大学院関係者の「印象操作」から見えるもの

     ある職業の養成過程がどんなに充実しているとうたっても、その職業自体に魅力がなければ、その過程を人が目指さなくても当たり前です。養成過程とその職業は、一体となって、そのことを考えなくてはならないはずです。養成過程の負担がその職業につくメリットを上回ることも、養成過程を存続させるために、職業自体の現状を考慮しないという発想も、本来、出て来ないはずと思えます。そして、今回の「改革」をめぐる法科大学院制度擁護派の発想をみていると、当初からこのことの根本的な疑問に突き当たってきました。

     繰り返し述べてきたように、現在法曹界が抱える志望者減の原因は、激増政策によって激変した弁護士の経済環境の不安定化、不透明化によって、経済的な意味での仕事の魅力が減退したこと、それに加えて、法科大学院修了の司法試験受験要件化による、その時間的経済的負担が、「価値」として見合わない、いわば妙味がないプロセスと判断されたこと、にあります。この構造が解決しない限り、特に前者が解消しない限り、根本的には志願者減に歯止めはかからない。それを考えれば、弁護士過剰状態を生み続ける増員基調の政策は、まさに逆効果といわなければなりません(「逆効果政策をやめられない『改革』」)。

     増員政策の結果という点について、法科大学院関係者の基本的なスタンスは、自分たちには関係ない、責任はない、という立場にとれました。法科大学院制度そのものは、法曹量産ということを前提に導入されている以上、増員政策をやめるという発想は彼らにとって、いわば死活問題であり、かつ、増員しても「なんとかする」責任は、主に需要開拓を含め弁護士側にある、淘汰されるならばそれもなおよし、ということになるのかもしれません。

     ただ、逆に言うと、もし、彼らのなかにそうしたつけ離したような発想があるのだとすれば、そもそも法曹量産が根本的に失敗であった時点で、(彼らが認めるか否かにかかわらず)制度の運命は見えたといわなければなりません。一方、量産が失敗であったとしても、彼らが制度の「価値」を主張するのであればなおさらのこと、弁護士のおかれた現実をにらんで、志望者が「価値」を認める形を目指さなくてはならないはずです。

     では、そう考えたとき、例えば給費制への反対や、司法試験合格率が上がれば志望者は獲得できる、という、これまで彼らが示した姿勢は、どう考えるべきなのでしょうか。給費制がなくなるというのは、志望者にとって極めて現実的なマイナス要因であり、一方、司法試験合格率は決定的な要素ではない。その先が魅力があれば、狭き門でも志望者が挑戦することは司法試験の歴史が示しています。率直な印象を語れば、全く分かっていないのではないか、あるいは「志望者が『価値』を認める形」という発想にどこまでいっても立てないのではないか、と。

     しかし、このこれまでの彼らのそうした発想に、さらなる疑問符が付く発言が、今月、弁護士界内で話題になりました。法科大学院協会のホームページに掲載された大貫裕之理事長のメッセージの文面です。

     「弁護士の活動領域は着実に拡大しており、活躍の舞台は、法律事務所だけでなく、企業、公務員、国際機関、国会議員政策秘書など実に多様になりました。弁護士の就職難といわれる状況も確実に解消されつつあります。司法試験に合格し司法修習を終えた者の97%が就職でき、しかも、弁護士5年目の年収(中央値-経費等を引く前の数字)は1,081万円と、安定した収入を得ています」
     「法科大学院の既修者コース修了者の司法試験の累積合格率(受験資格のある期間内に受験者が合格した割合)は約7割になっています。2017年度の法科大学院全体の定員は2,556名で入学者は1,704人です。政府が司法試験の合格者数の当面の努力目標とした1,500人を前提とすると、真摯に勉学に取り組めば入学者の大半が司法試験に合格できる状況になっています」
     「2017年から、司法修習生に対する給付金制度が新設され、基本給付として一律月額13.5万円、住宅給付として月額3.5万円が支給されます。さらに、学業成績が優秀な学生については、飛び級制度や早期卒業制度を利用して、学部3年+法科大学院2年で法科大学院を修了する道が拡充されています」

     この発言に弁護士界のなかからは怒りと呆れる声が聞えてきます(「Schulze Blog」)。弁護士の年収に関しては収入と所得の区別がついていない、入学者減の影響や未修コースの存在が巧みに隠され、努力次第で司法試験に合格できる状況としている、あれほど反対して来た修習生への給費が給付金制度として復活したことをまるで自分たちの努力のように「改革の試み」として、一転評価している――。要は、最近よく耳にする言葉を使えば、なりふりかまわず、志望者獲得のための「印象操作」をしているととれるのです。

     ただ、このいまさらの「印象操作」のような法科大学院関係者の言葉をみると、もう一つ、別のことを思ってしまいます。やっぱり彼らは本当は分かっていたのか、それともいまさら気がついたのか、と。弁護士の経済状態が安定しなければならないことも、給費制廃止が志望者の現実的な課題になることも。それはすべて志望者減につながり、自らの制度を根底から脅かすことも。分かっていなかったとすれば、それはそれで問題ですが、分かっていたとすれば、増員政策の無理に目をつぶり、ひたすら弁護士に責任を丸投げし、存在価値を分かっていながら、補助金の資金源のことに目を奪われ、給費制を廃止させ、その復活に反対したのか、と。「あるべき法曹養成」としながら、徹頭徹尾、自分たちの制度のことしか考えてこなかった証しではないか、と。

     そして、こうした現実をまるで目に入っていないかのように、日弁連主導層のなかに強硬な法科大学院制度擁護派が今も存在している、という事実も指摘しなければなりません。

     結局、大学運営という、いわばこの国のあるべき法曹を輩出するということとは、別の目的を引きずらざるを得ない機関に、「中核」の地位を与えた「改革」によって、わが国の法曹養成は相当傷ついた――。やはりどうしても、思いはそこにいってしまいます。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


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