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    法科大学院「改革」批判論調の失われた視点

     朝日新聞が10月21日付け朝刊教育面で、早稲田大学法科大学院の学生たちが、原発被災地である福島県浪江町で行っている、町民への聞き取り調査にスポットを当てています(朝日デジタル)。将来の法律家に、現場の声を聞いて何ができるのかを考えてもらおうという、有志教員が3年前に始めた試みだそうです。

     記事では、東電とのかかわりがあった被災住民の、賠償請求をめぐる複雑な感情に触れた学生の声をはじめ、彼らの問題意識や、この活動に好意的な地元の声が紹介されています。ただ、一読して分かるのは、この記事が、法科大学院という教育機関が行う、こうした活動の意義をただ読者に伝えるだけのものではないことです。

     「法学部と法科大学院を経て法曹資格を得る期間が来春から短縮されるため、こうした教育に時間がかけられなくなるのではないか、と懸念する声もあがる」

     記事のリードの末尾は、こうした一文で括られています。記事全体の印象からすれば、意図的にやや強引に、このテーマに持っているようにとれます。全体の4分の3以上のスペースは、前記調査に関するものですが、一転、「法曹コース」新設による資格取得時短化への懸念につなげ、ご丁寧に「法科大学院改革」という用語説明の別記事を挟みこんでいます。

     当の学生たちは、自分たちの活動を紹介する記事の結論が、こういうところにつなげられることを知っていたのだろうか、とさえ、疑ってみたくなります。このことに関する彼らの声は一切なく、代わりに指導教授がこんな言葉で記事を締め括っています。

     「来春からの改革で、最小限の勉強で司法試験合格だけをめざす法科大学院が増える恐れがある。こんな状況だからこそ活動を続けたい」

     「司法試験合格だけをめざす」「こんな状況」という言葉に、批判的な響きがとれます。「法曹コース」「大学院在学中の司法試験受験容認」といった、資格取得への時短化による法科大学院志願者減対策に期待する側と、これによる教育理念の崩壊を懸念する側に、法科大学院制度擁護派を分裂させることになった今回の「改革」(「法科大学院制度擁護派の分裂と旧試『欠陥論』」 「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」 「法曹養成見直しにみる『無自覚』と司法試験への共通認識」)。朝日は、後者の立場の懸念に、あるいは指導教授のスタンスもあってか、この学生の活動を、なんとかつなげようとしたととれます。今回の「改革」は、こんな有意義な活動を奪いかねないのだ、と。

     しかし、あえて前者の立場から反論をすれば、では、志願者減はどうするのだ、ということになるのでしょう。今回の時短化政策が本質的な志願者の回復につながるのかには疑問があります。しかし、では後者の理念派から、志願者回復に有効な対策が提示されているわけではありません。「理念が滅ぶ」「理念は正しい」「こんな活動だって意義がある」と連呼して、志願者は戻って来るのでしょうか。

     強いて言うならば、司法試験合格率をなんとかしろ、という話かもしれませんが、それでは、やはり手段はともあれ「合格」の魅力頼みということになります。「法曹コース」の成果に期待する側の関係者からすれば、予備校扱いするような、「合格だけをめざす」などという言い方には当然反発するでしょう。逆に、法科大学院が、法曹の卵として、旧試体制にはない、こうした幅広く考える機会が得られる教育が施されるプロセスだとしても、その評価だけで志望者が回復する状況にはないというべきです。

     そして、もう一つ、付け加えるならば、時短化に期待する「改革」への批判が、これまで制度が掲げてきた理念への矛盾として、一理あるとしても、では彼らと今回の活動からそれを取り上げる朝日は、本当に学生の立場を考えている、といえるのでしょうか。

     朝日の読者は、この記事を読んで、あるいはこうした法曹の卵として有意義な活動の機会を奪う「改革」は本末転倒であるとストレートに理解し、この「改革」の方向に疑問を抱くかもしれませんし、それが朝日の狙いかもしれません。しかし、そもそもこの「改革」は、こうした学生の問題意識を育み、現実的にそれを活かしたり、役立てる環境を未来に描けるものにしているでしょうか。増員政策によって打撃を受けた弁護士の経済環境は、いまやそうした純粋に社会に役立つための志望者の志よりも、現実的には、まず、生存のための、ビジネス感覚と覚悟を彼らに求めるものになっています。それがなければ生きられない世界であり、そのことをむしろ業界からもっと彼らのために発信せよ、という声すらあるのが現実です。

     志望者減の根本原因が、弁護士の経済的価値の下落にあるとすれば、それに目を背ける前記法科大学院擁護派のどちらの立場にせよ、志望者が安心して、そして志を歪めないものとして、目指せる世界を考えているとはいえないはずです。「法科大学院がこういう活動をしているのは素晴らしいかもしれないが、卒業後の世界がこれでは・・・」という志望者は、彼らや朝日が回復を期待する人材として除外しているということでしょうか。

     記事に登場する指導教授は、コメントの中で、この経験が「法科大学院が本来めざすべき『十分な教養や体験を経た法律家』の養成に役立つはず」と語っています。しかし、学生の立場を考えれば、そうした教育は司法試験合格後の方がより身が入り、そしてそもそもその先に、この教育にかかったコストを回収できるだけの見通しが立つ、経済的に安定した未来が見通せる、少なくともそれが期待できるかどうか、という視点があっていいはずです。

     「法科大学院の」本来の教育に叶っているかどうか、という視点は伝わっても、その枠組みを生んだ「改革」が、本当に法曹養成と法曹志望者にとって、よりよい形になっているのか、あるいはそこから逆算された今なのかが、伝わってきません。


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    「無理」への認識と本当の価値

     今回の司法改革は、結果的に弁護士と法曹志望者に無理を強いる「改革」モデルだった、といえます。むしろ「改革」の結果は、既にそれをはっきりさせているといえないでしょうか。弁護士は競争・淘汰を乗り越えよ、法曹志望者はこれまでになかった経済的時間的負担を乗り越えよ、という発想。「改革」推進論者は、今でも本質的にそれを無理と認めているとも言い難いわけですが、問題はその発想がもたらした現実が、本当に社会にとって有り難いものなのか、そこが誤魔化しなく、社会に伝わる形で提示されているのかです。

     もちろん、推進論者は、この「無理」(たとえ、本当に無理だとしても)の先に、メリットを提示、あるいはイメージ化してきました。経済的に弁護士を追い詰めれば、これまで寡少性にあぐらをかいてきた彼らが「心得違い」を改め、努力することで、サービスは良質化、あるいは低額化し、より利用しやすくなる。その努力ができず、競争に敗れた者は市場から退去する、という望ましい効果が生まれる。志望者については、これまでの旧試体制よりも、法曹としてよりふさわしい教育が施されるし、必要とされる法曹の大量増産計画を支える形になる。志望者にとっても、これまでよりも試験は受かり易くなる――。

     しかし、現実は何度も書いているように、弁護士を激増させても、経済環境が破壊されたなかでは、むしろ当然に彼らの生存が優先される。薄利多売化が難しい仕事にあっては、必ずしも健全な形で低額化が生まれるわけでもない。「心得」や努力に期待しても、限界がある。退場といっても、サービス向上に怠慢な弁護士だけでなく、「改革」以前ならば生存できた市民に寄り添おうとする志や公的な活動に意欲的な弁護士までもが、当然に消えていき、巧みに金儲けに長けた弁護士がまず生存を確保する(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。

     志望者のなかには、この業界の現状と、新プロセスの経済的時間的負担の割りの合わさに気付きはじめ、これまた前記旧試であれば、志をもってこの世界を来たはずの人材も含めて、離れていく。安定のため分野指向、大事務所指向、あるいは起業家センスというフィルターで、事実上人材は選別される。

     しかし、新制度を守ろうとする側は、弁護士の経済的な問題をどうにかするという発想には立ちません。離れていく志望者については、時間的負担の「無理」だけを一部認めて、資格取得への時短化で彼らを取り戻せる、といっているのが現実です。

     つまり、何が言いたいのかといえば、この「改革」の「無理」は、本当に「改革」という名にふさわしく、社会と利用者に有り難い結果をもたらしているのか、この先もたらすのかが、問われていない、ということなのです。

     しかし、この「無理」は、不思議なくらい彼ら当事者に被せやすい、という特徴があります。有り体にいえば、実質的な社会にもたらす利よりも、「心得違い」だ、「甘えるな」という精神論や、「他の仕事ならばやっている」「俺たちもそれで生きている」という仕事の特殊性を認めない一般化の論理が、あてはめられがちてあり、判断停止を招きやすいということてす。

     最近も、及川智志弁護士がツイッターで紹介した、こんな「ある弁護士の怒りまたは嘆き」に批判的な声が出されました。

     「50歳を超えた。弁護士になって5年、10年と過ぎてもキャリアアップできない状況。誇りを持てない。事務員もいない1人事務所。『なんで自分なんかを司法試験に受からせたのか』と思ってしまう。国選弁護や民事法律扶助を担わせる労働力がほしかっただけではないのか」

     正直、前記した「改革」を取り巻く論調からすれば、いかにも批判されてしまいそうな表現が含まれています。キャリアアップできないことも、「誇りを持てない」ことも、本人の問題であり、そういう意識の持ち主は、利用者にとっても有り難くない人材である、と。「なんで自分なんか」という下りも、単なる責任転嫁で片付けられそうです。

     しかし、それも承知のうえであえていえば、「労働力がほしかっただけではないのか」と、この弁護士が感じている国選弁護や民事扶助事件に、現状のような、経済的な「無理」を強いてなければ、あるいはそれが無理にならない経済的な環境が担保されていれば、この弁護士は、今、こんなことを言っていない。いくら法テラス案件に貢献しても、キャリアアップができない、という状況。そこは問わずに「甘えるな」「なんとかしろ」と言い続けることが、その「無理」をなんとかすることよりも、本当に有り難い結果をもたらすのか、と言いたくなるのです。

     最近、司法試験受験者減少の原因として、日弁連主導層がいかに増員政策の失敗による弁護士の経済的激変の影響を直視していないかが分かる、彼らへのインタビュー記事が、ネットニュースで流れました(弁護士ドットコムニュース)。

     「受験者数が減少したのは、法曹志望者数が減ったこと、魅力がなくなったことなどが要因だといわれることもあります。しかし、法科大学院の定員規模の適正化、修了認定の厳格化が進んだ結果でもあるといえます。法科大学院の制度改革は着実に進んできています」
     「法科大学院の修了生の質を高め、司法試験の合格率を高めるという政策が実行されているとともに、司法試験受験者、ひいては司法試験合格者のクオリティが維持されてきていると分析しています」
     「(2019年の法科大学院志願者数が増加に転じたのは)私どもの地道な広報活動が実を結んだと考えたいと思っておりますが、あとは司法修習生の修習給付金制度が2017年から実施されていること、就職状況が一定程度安定化し、司法試験合格後の見通しがつきやすくなったこと、経済条件の好転など諸要素あると思います」
     「(「法曹コース」新設の新制度で)期間が短くなるということは、時間的負担とともに、経済的負担が少なくなるということになります。学生の選択肢が増えることになりますし、学生のニーズに応えることにもなるでしょうから、人気が高まっていくことを期待しています」

     この記事のタイトルには、「司法試験の受験者減少は『悪いこと』なのか?」とあるので、そこの回答を期待したのですが、実際にはその良し悪しというよりも、「法曹の不人気」もその原因も直視せず、志望者減そのものが「改革」の効果であるとして、ひたすらこの先への期待感を強調する楽観的な内容になっています。

     弁護士の現状を一番分かっているはずの団体の主導層が、今、本当に足元で起こっている同業者の現状をなぜ、直視しようとしないのか、さらに「改革」がもたらしている、この業界の無理の先に、本当は誰のために有り難い未来を描こうとしているのか、という気持ちになってしまうのです。


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    真の原因にたどりつけない現実

     以前、ある弁護士ブログに、次のような見方を提示しているものがありました。

     「皮肉なことに、いまとなっては、法科大学院こそが、更なる弁護士の経済環境悪化をギリギリのところで阻止している」(「あくまで法律のはなし」)

     このブログ氏は、法科大学院制度を擁護する立場ではありません。制度は既に破綻しており、「理性的に政策論を語るなら、即刻廃止すべき」という立場です。簡単に説明すれば、彼が言っているのは、法科大学院の司法試験受験要件化の「効果」についてです。

     法科大学院の志願者減の真の原因は、弁護士の経済的価値の下落であり、法科大学院におカネを先行投資しても、リターンが期待できない弁護士業のの現状があるから。しかし、その状況下でも、前記受験要件化が撤廃されれば、それでも資格を取ろうとチャレンジする若者がいるはず、つまりは、同要件化は事実上、司法試験合格者増のストッパーになっている、と。

     ブログ氏は、次のような皮肉めいた一文で、このエントリーを締め括っています。

     「法科大学院には、もうしばらく、国民の税金と若者を食い物にする制度として存在し続けてくれたほうが、現役の弁護士にとっては都合が良いと言わざるを得ない」

     この一文は、現在の法科大学院維持・擁護中心の法曹養成をめぐる論調が、いかに本質的な問題とかけ離れているのかを、皮肉な形で浮き彫りにしています。前記法曹志願者減の真の原因が直視しないまま、司法試験合格者さえ増やせば志望者は回復するという発想。予備試験に流れる人材を、時短策や同試験への制限で、こちらに振り向けることに腐心する発想。そして、自らが受験者・合格者のストッパーになっているとは認めず、法科大学院制度=受験要件化は生命線としがみく発想。

     いうまでもなく、受験要件化が撤廃されれば、今よりもチャレンジャーが増えるかもしれないといっても、弁護士の経済的現状を考えれば、一つの制約が外れたに過ぎず、今の弁護士の状況が、当然、優秀な人材を呼び込める条件を具備しているのかどうかという問題は残ります。また、法科大学院敬遠で受験生、合格者が抑制されている、あるいは「ギリギリ」弁護士の経済環境のさらなる悪化が阻止されている、といっても、増員政策が続いている以上、今のところ弁護士という仕事が明るい見通しに立てる状況にもありません。

     「明るい見通しがない」資格取得に、それでもチャレンジしたい人材へ、経済的に高いハードルを課し、高いリスクを負わせる制度の現実を脇において、資格取得までの時短化を謳い、「受験資格が与えられます」と銘打つ制度。「国民の税金と若者を食い物にする制度」は、それと引き換えにできるような、誰かに有り難い法曹養成を本当に目指しているのでしょうか。この状態が、「現役弁護士にとって都合が良い」ということ自体、理想的な形どころか、法曹養成も、弁護士という資格業も、既にそこまで壊れてしまっているということではないでしょうか(「法科大学院の『メリット』というテーマ」)。

     「司法の基盤が揺らぎかねない」。こんなタイトルで、9月29日付け読売新聞が、司法試験合格者4年連続減少と法曹離れに歯止めがかからないことの危機を訴える社説を掲載しています。これまで読売の論調との比較で注目点などについて、弁護士ブログ「Schulze BLOG」も取り上げていますが、そこで指摘されている通り、微妙な変遷もあります。

     しかし、ここでも感じることは、司法基盤の危機というテーマを投げかけながら、本質的な問題から目が逸れている、あるいは巧みに逸らそうとしているというメディアの姿勢です。読売は「最大の原因は、法科大学院を中核とする法曹養成制度がうまく機能していないこと」としています。自己目的化した「改革」を正直に白状してしまっているようにもとれなくありませんが、とにかく徹頭徹尾、法曹離れの前記根本原因である弁護士の経済的価値下落と、それの引き金となっている増員政策の失敗から目を背けています。

     「法曹離れに歯止めがかからなければ、国民に対する司法サービスの低下を招く」ともしていますが、果たしてそうでしょうか。増員し続けなければ、こたえられない司法サービスの需要があるならば、弁護士の経済的環境はここまで下落していません。仮にその需要が市場原理とは無関係になんとかしなければならないものとして、この社会に存在するのであれば、数を増やすだけでなんとかするという発想の方がそもそも間違いといわなければなりません。読売はそこに言及しているわけでもない。

     「多様な人材の活用も進んでいない」、社会人入学者が少ないと嘆き、「司法試験合格率の低迷が続いているため、思い切って挑戦する決心がつかない人もいることだろう」と推察してみせています。合格率が低くても、その先の弁護士の経済的環境が今のようでなかった時代には、多くの受験者を確保できていた事実を無視し、あくまで司法試験合格率のせいにする。「多様な人材」の挑戦の阻害に前記したように、法科大学院のハードルが一役買っている、という視点もなし。そして、最後はお決まりの「新たなビジネスの創出やグローバル化の進展で、司法が必要とされる分野は広がっている」という待望論と、社会人のために法科大学院の「夜間コースの拡充や通信制の導入」の検討提案――。

     結局、法科大学院擁護派の業界関係者もメディアも、弁護士の経済的な環境など、「なんとかせよ」「なんとかなる」「なんとかできないは業界の責任」という発想から、ずっと抜け出していないようにみえます。もちろん、それがある以上、法曹離れの真の原因にも辿りつけず、次の一歩にも踏み出せないということになります。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    ある「改革」批判者の絶望

     当ブログのコメント欄でも紹介されていましたが、法科大学院制度や弁護士会の現実に、舌鋒鋭く、批判的な分析を加え、業界関係者を中心に注目されていた、弁護士(のち請求退会)ブログ「黒猫のつぶやき」が、今月28日の更新を最後に、新たな記事を掲載しないことを発表しました。

     「改革」の失敗と、それによる法曹界の変質を直視した論調は、「改革」論議が過去のものになりつつある業界内にあって、貴重な視点を提供する役割を果たしてきただけに、それが今後、新たに見れなくなることを惜しむ読者の声が聞こえてきます。その一方で、時に旧試体制との比較において、新法曹養成体制で生まれた法曹の質の問題に触れる、辛辣な表現には、一部から反発や異論の声も出されました。

     彼の主張の根底には、常に「改革」後のこの世界に対する、失望感もしくは絶望感が横たわっていたようにとれました。「改革」によって壊れた、彼からすれば劣化した法曹養成と法曹、そしてそれについて自覚のない業界に対する、緻密な批判的分析は、今にしてみれば、それ自体、彼のこの業界に対する嫌気の発露だったといえます。そして、その言葉通り、やがて彼は弁護士会から離れ、そして今回、その業界を見放すかのように、批判者の立場にも幕を下ろすことになったのでした。

     28日の「最終記事」と銘打った投稿は、まさにそんな彼らしい、法曹養成をめぐる「改革」に関する総括的な彼の見方を提示するものとなっています。ただ、彼が振り返る「改革」と弁護士界の変遷を、ずっとウオッチしてきた立場からすると、正直、的確に言い当てていると感じる部分と、微妙な違和感を覚えるところがあります。

     もとより立場の違い、あるいはこだわりどころの違いはあります。彼はあくまで業界の中にいた人間として、業界にとっての失敗と劣化をえぐります。一方、業界の近くで見てきた一市民である、当方の立場からすれば、あくまで「市民のため」「国民のため」と銘打った「改革」が一体何であったのか、その誤魔化しのない「価値」そのものに一番の関心があります。だから、当然、彼のような業界への絶望を背景に、見放すと形で終わらせるという結末にもなりません。

     それはともかく、彼の「最終記事」には、次のようなタイトルが振られています。

     「『弁護士=負け犬』の構造」

     彼は、ここで「弁護士業界の凋落」の経緯を時系列的に取り上げていますが、彼が言いたいのは、司法改革批判者が考えているような、小泉政権下における、今回の司法制度改革がその原因ではなく、それ以前からその前兆があったということでした。

     詳しくは、お読み頂ければと思いますが、昭和の高度成長期を通じた経済発展に伴い法律関係の需要増大と、司法試験受験者増のなかで合格者が長年抑えられてきた事実。その背景にあった政府・自民党側の増員欲求と、官僚司法打破、判検を含む法曹三者増員を条件化する日弁連の対立と、法曹三者間の合意の不調。その結果としての、司法試験の超難関固定化、合格者層の高齢化。そのなかで、難関を突破したというエリート意識にあぐらをかいた弁護士たちは、実は経済的合理性や採算性を度外視した発想の持ち主であり、資格によって生活が保証されていただけで、そこに客観的には既に「負け犬」の構造が成立していた、と。

     その後の、実質弁護士のみの合格増を受け入れることになった「中坊路線」、経済界や大学法学部の復権を目論む法律学者・文部科学省などの政治的圧力に屈していったのは、そうした昭和の時代からの、多くの「おかしな信念の持ち主」である弁護士が、経済界の需要に応えられなくなり、そうした彼らの弁護士に対する不満が爆発したことによる、のだというのです。

     そして、彼は弁護士会主導層や旧世代弁護士に矛先を向け、次のような、いつもながらの「黒猫節」を炸裂させています。

     「日弁連や大規模弁護士会の執行部で実権を握っている高齢の弁護士たちは、大半が前述のような馬鹿げた信条の持ち主」
     「自分たちが、経済的損得など考えず何年も司法試験の勉強を続けた結果ようやく弁護士になれた『エリート(笑)』である以上、同じように経済的損得など考えずに法科大学院へやってくる人間だけが弁護士になればいいという発想の持ち主が、呆れるほどに多い」
     「結局のところ、何年もかけて『難関』の旧司法試験に合格したことの一事をもって、自分は社会のエリートだと勘違いしている旧世代の弁護士も、他に逃げる術もないため弁護士の肩書にしがみつかざるを得ず、現実逃避のために自分は司法試験に合格した法務博士様であるから社会のエリートだと主張し続けざるを得ない法科大学院世代の弁護士も、そのほとんどが愚かな社会の負け組であるという一点においてはほぼ同類」

     法科大学院世代の法曹に対する、旧試体制で輩出された法曹の、実力面での優位性が強調されているイメージがあった黒猫氏の論調のなかで、今回はその旧試体制で生まれ、「改革」を主導した(受け入れた)法曹たちの発想の問題に着眼しているのが特徴です。彼は「負け犬」「負け組」と表現していますが、それを自覚していない当時の弁護士たちが、その無自覚のゆえに、「改革」につながる、当然の社会の不満を呼び起こし、その「改革」の結果が法曹養成を破壊するものであってもなお、いまだに無自覚であるということになります。そこで「弁護士業界が持ち直せる可能性」がなくなったと見切った結果が、今回の彼の最終決断ということになります。彼の絶望が導いた結論です。

     確かに、「改革」主導層の無自覚さがあることは当ブログでも書いてきたことです(「問われる弁護士会主導層の現実感」 「司法試験『選抜機能』の危機が省みられない事情」 「現実を直視できない増員路線」)。しかし、前段の日弁連・弁護士会がこの「改革」を受け入れざるを得なかった、つまりは必然的に「中坊路線」が登場せざるを得なかった、という論調につながる見方は、むしろこの「改革」の旗を未だに振ろうとする側と、「改革」の失敗に対して弁明しようとする側の捉え方と変わりません。

     「改革」側の思惑に乗せられ、あるいはその意図通り、弁護士が変質したという事実、警鐘を鳴らし、あくまで抵抗した弁護士たちもいたという事実を見てきた側からすれば、弱点をまんまと突かれた(法曹一元待望論、法曹養成でのイニシアティブ獲得、あるいは抵抗しても無駄という敗北的現実論等)という方がしっくりくるように思えます。弁護士会全体を俯瞰した時に、盲目的な無自覚が、現在の状況に至る「負け組」の起源というのは、何かしっくり来ない表現のように感じます。

     より早くから経済界から不満が出ないような、経済的合理性を持った弁護士の自覚があれば、こんな「改革」の結果になっていないということを言いたいのでしょうか。そうだとすれば、「改革」推進論者は、この「改革」は間違っておらず、遅すぎたくらいだと言うでしょう。そして、この混乱と淘汰の先に、お決まりの経済的合理性を持った弁護士が生き残る姿を描くでしょう。

     また、「改革」主導層の現在の無自覚は、「改革」の失敗を認めて舵を切れないこと(その意味では無自覚ではなく、自覚しながら認められないだけかもしれませんが)。経済的合理性を考えれば、弁護士過剰状態に対して、もっとはっきりとした姿勢を示せるはずなのに、市場原理に乗っかった増員を受け入れながら、それはできない、という矛盾にこそ、問題があります。

     「負け組」というのであれば、逆に一体どういう形が勝利の形であったのか、それがよく分からなくなってくるのです。それはもちろん、前記したような立場の違いからすれば、やはりそもそもその答えも違うのかしれません。しかし、少なくとも、彼を絶望に追い込んだ、「改革」と業界の現実と、私たち社会にとってのその意味には、今後も目を向けていかなくてはなりません。その意味で、最後までこのブログは、貴重な視点を提示してくれているように思えます。


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    法科大学院の「メリット」というテーマ

     法科大学院に行くメリットをインターネット上で紹介する記事で、ほぼ共通して、真っ先に取り上げられているのは、「司法試験の受験資格が得られる」ということです。次いで、「社会人が利用できる」「試験科目以外の専門科目を学習できる」なども挙げられています(Law-MEDIA 資格スクエア LEGAL NET)。

     しかし、結論からいえば、それらはメリットとして評価しにくい「メリット」といえます。これらは事実であっても、果たしてどこまでメリットとして強調できるのか、極めて怪しいといわなければならないからです。

     修了者が司法試験の受験資格を得られるというのは、あくまで法科大学院制度がそういう形を作っているのですから当然のことです。ただ、あくまで旧司法試験時代には、長年存在しなかった形であり、かつてはより自由に受験機会があったという事実を考えれば、それをやめてまで設けられた形のメリットは、他になくてはならないはずです。過去の制度を知らずに、現状だけをみれば(受験要件化を当然の前提とみれば)、「メリット」となるかもしれない、という話です。

     もっともこの世界を目指そうとする人たちが、この事実を知らないということが果たしてどれほどあるのかは疑問ですし、「法曹資格が得られる」というのならともかく、そもそもそれほど有り難い「メリット」とは言いにくいともいえます。むしろ、全く何も知らない人向けというより、予備試験ルートの困難性のうえに、とにかく「受験資格」まで辿り付ける、ということを「メリット」として、アピールしているようにもとれてしまいます。

     「社会人が利用できる」にいたっては、受験資格同様に旧試体制と比べてどうなのか、ということにとどまらず、そもそも現状においても、本当に「利用できる」と胸を張れる制度なのかは疑問です(かつての制度が社会人に道を閉ざしていた、という事実があるのならばともかく)。決まって社会人にとって「夜間部」がある(現実には設けている「ところもある」)ことを「メリット」としていたり、社会人が予備試験に孤独なチャレンジをすることの困難性が挙げられたりしていますが、法科大学院の時間的拘束を考えたときに、それほど志望者に訴える「メリット」なのか、といいたくなります。

     「試験科目以外の専門科目の学習」は、本来的に法科大学院制度の「メリット」であっていいもののはずです。ただし、もはや説明するまでもなく、あくまで志望者にとって、法曹になれることが大前提ですから、そのうえで初めて「メリット」として換算できるものといえます。ここで法曹としての「質」の違いを示す、というのは、本来、法科大学院本道主義の王道といってもいいものかもしれませんが、現状はむしろそれをむしろ「メリット」とするのであれば、志望者にとっても制度にとっても、司法試験合格前ではなく、合格後に施されるものの方がベターであることを明らかにしつつある、といえます。
     
     一方、法科大学院に行くデメリットとしては、共通してまず、経済的・時間的負担、次いで予備試験ルートと比較した司法試験合格率の低さが挙げられています。前記メリットの「価値」そのものが、あくまでデメリットを比較したうえでの、いわば「費用対効果」で決まるともいえるわけで、志望者にとってはいうまでもなく、「ここまでするほどのメリットか」を抜きに語ることができないものです。

     これらネットに流れるメリット・デメリットをみて、強く感じることは、現状で制度が強調できる「メリット」の方の、圧倒的な弱さです。そして、さらに、「いや、法科大学院のメリットはこんなものではない」という意見が、制度擁護派から少なくとも説得力を持って出され、志望者にその認識が広がっているという現実もみられない。

     今回の学部・大学院の法曹コース新設、在学中の司法試験受験容認という、資格取得への時短化策に制度が舵を切ったのをみても、いかに制度が「メリット」で勝負できない(材料がない)とみている(もはや擁護派の多くが本音ではそうとらえている)ことを示しているともいえます。デメリットの緩和によって、予備試験との志望者獲得競争の条件を、有利にしたいということが、この改革の本音であることはもはや明らかであり、関係者の一部も認めていることだからです(「法曹志望者回復をめぐる発想と誤解」)。

     しかも、予備試験ルートの競争ということでいえば、受験資格要件まで握っている、本道の価値を強調するには、極めて厳しい、資格取得後の人材評価の現実が伝えられています(Schulze BLOG)。ここで圧倒的な勝利を収められない現実は、法科大学院本道主義の存在意義を直撃するもののはずです。そして、ここをいずれ逆転する道筋もまた、今の制度擁護派の言のなかにも、まして今回の時短化政策のなかにも見出せないといわなければなりません。もちろん、それも志望者の選択の検討材料に加えられ続けることになります(「法科大学院制度の『勝利条件』」)

     法科大学院制度の現実を考えれば、もはやネット上に流れるメリット情報による、志望者ミスリードの実害はあまり考えなくていいのかもしれません。むしろ、「本当にこれでいいのか」という問いかけは、やはり制度擁護派と、この「改革」そのものに、何度でも投げかけられるべきといわなければなりません。


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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
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