裁判員「辞退」の現実と説明責任

     裁判員への就任を辞退する人が今や3人に2人という現実を取り上げて、「裁判にゆかりのある人」に語らせる企画を掲載しています(11月18日付け朝日新聞朝刊オビニオン面「耕論 裁判員 なぜ辞退」)。正直なことをいえば、このタイトルを見ても、推進派「朝日」のこれまでの論調を知っているだけに、制度の現実に対する捉え方の変化を期待したといえば嘘になります。むしろ、関心はハナから「朝日」がそれを変化させず、これまでのスタンスのなかで、このテーマをどう扱うのか、どういう風に読者に伝えようとするのかにあったといっていいと思います。

     そういう意味で、皮肉な言い方をすれば、この企画は予想通りであり、期待通りのものだったといえます。そもそも「なぜ辞退」という問いかけの企画ですが、その人選はその本音を引き出す対象であるはずの「辞退者」は一人として登場していません。「朝日」が語らせているのは、裁判員経験者の小平衣美さん、裁判傍聴芸人の阿曽山大噴火さん、法社会学者の飯孝行・専修大学法学部准教授の三人です。

     小平さんは、推進する側がかねがね注目させようとしてきた「やってよかった」経験者から選出されたような方で、検察官から言われた裁判員制度が犯罪抑止につながるという論を正面から受けとめた方です。飯准教授は、この制度でもたらされた市民参加の効用と、わが国同様に高い辞退率に悩みながら取り組む諸外国の姿に触れ、「官民協働で制度を育てていく」ことを願う、どこから見てもバリバリの推進論者です。その意味では、阿曽山さんだけが前記お二人に比して、中立的な立場の方のようにとれ、そこで「朝日」的にはバランスをとっているような体にしているのもしれません。

     この企画で「朝日」は、彼らの言から何を「なぜ辞退」に結び付けようとしているのか――。その視点からみると、非常に違和感を覚えたのが裁判員広報・報道と守秘義務の扱いです。広報・報道に関して、小平さんは制度開始当初から「裁判員=つらい、苦しい」とのイメージは変わっていない、制度が社会にもたらしたものがもう少し報道されるべき、としています。また、飯准教授は、裁判所が裁判員の任務のイメージをもっと示し、不安解消に努めるべきで、負担感ばかりを強調する報道の在り方に疑問を投げかけています。

     一方、守秘義務については、阿曽山さんと飯准教授が言及し、守秘義務の線引きの曖昧さや誤解が、経験を発信したい経験者を孤立化させるとともに、逆に聞きたくても聞けない状況が制度や参加への要因になっているという認識にとれます。

     つまり、ここに共通するのは、制度そのものの無理や推進者側がその意義を説明しきれない現実があるのではなく、伝達の阻害要因が除去されて、「やってよかった」の体験や制度意義への理解が進めば、「辞退」は解消に向かうはずである、という見方です。そして、それはまさしく相変わらずの制度肯定派の希望的な想定の刷り込みにとれるのです。

     そもそも事実認識として、裁判員広報・報道は制度の足を引っ張ってきたという話になるでしょうか。むしろ、お決まりの参加の意義と「誰でもできる」参加イメージを繰り返し伝え、世論が参加にはっきりした敬遠傾向がある制度にあって、意図的に裁判員が抱えることになる現実の重さ、つまりは推進に不都合な点を伝えていなかったのではないでしょうか。そう考えれば、伝えられなかった現実がはっきりすればするほど、つまり制度の本質を理解すればするほど、市民の参加への気持ちは離れていっているとみることもできます(「伝えられていなかった裁判員制度のツケ」)。

     「やってよかった」体験は、そもそも体験者の自己肯定的なバイアスを加味して評価すべきという意見はありますが、裁判員経験者にとって、守秘義務の負担が現実のものであったとしても、肯定的体験の共有だけで、根本的な「辞退」の歯止めとなり、参加を促すとみること自体、推進者にとって都合のいい見方にとれます。

     その意味で、この企画の中で、阿曽山氏だけが、この制度とその推進にかかわる根本的な疑問に言及しています。

     「そもそも、なんで裁判員にならなきゃいけないんですかね。国民が司法に参加する意義って?裁判に市民感覚を反映される必要性は?司法と国民の距離が近くなれば、冤罪がなくなったり、犯罪が減ったりするんですかね。その根っこの部分を、納得できるように答えてくれる人がいない。謎ですよ」

     制度に対する説明責任という括り方になるかもしれません。ただ、問題はそれを果たしていない、といよりも、もはや果たせないのではないか、という点にあります。制度の経験が共有されたり、報道や広報の在り方を変えて、あたかも制度の真実がちゃんと伝われば、阿曽山さんが挙げている疑問は氷解していく――。もはや、そんな見方に立てるのでしょうか。繰り返されてきた、あるいはこれからも繰り返されるだろう、市民感覚の反映の意義、冤罪や犯罪防止への効用といったお決まりの意義の説明では、納得できない。納得できる見通しにも立てないというのが、阿曽山さんが「謎」と表現した現実ではないでしょうか(その阿曽山さんの見出しが、その点ではなく、「守秘義務も尻ごみの一因」ととられているところも「朝日」の工夫ですが)。

     ああすれば、こうすれば、という提案だけで、核心部分の答えは延々と得られない。そこに、説明責任はもはや果たせない制度の現実を読みとるのは、自然なことではないでしょうか。

     この裁判員制度には、強制化という問題が張り付いています。ただ、阿曽山さんも言うように、出頭拒否者に対して罰則はあっても、適用はされていない。その理由は、端的に言って制度に国民が背を向けている現実があることです。強権発動がさらに反発を招く、また当面一定数の出頭数が確保できるならば、それを回避しても制度がもつ、という事情が、制度の強制化を建て前のものとさせているのです。そして、今後、仮に出頭率がさらに低下したとしても、もはや推進派大マスコミも、おそらく「国民に制裁を科せ」と主張するのは不可能という見方になっているのが制度の現実です(猪野亨弁護士ほか「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」)。国民の反発を恐れて、自ら掲げた強制化を建て前のものにしている制度について、いずれ誰かが納得のいく説明をしてくれると考える方が不思議です。

     「なぜ辞退」という問いかけの企画のなかで、結局、「朝日」は巧みに説明責任を果たすことが困難な制度の本質から、読者の目をそらさせています。そして、裁判員制度に限らず、法科大学院制度や法曹人口増員、あるいは法テラスにしても、「改革」の現実に対する説明責任や結果責任の追及を極力回避させる応援団たちの論調が、果たして事態をよい方向に導こうとしているのか――。私たちは、そのことを考える必要があります。


    弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046

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    裁判員法改正と大新聞の論調からみえる矛盾と無理

     審理が長期間になる裁判を裁判員制度の対象から外すことを盛り込んだ改正裁判員法の成立を、朝日新聞が6月7日付け社説で嘆いています。

      「導入7年目で施された初の制度見直しが、対象を狭める方向になったのは残念である。司法に国民の意識を反映させるという理念をふまえれば、今後は制度をもっと生かすための見直しをめざすべきだ」
      「どのくらいからが長期裁判なのか、改正法は具体的に示しておらず、裁判所の運用によっては、市民を裁判から遠ざけることになりかねない」
      「裁判官だけの裁判に戻すことには、裁判所も市民もきわめて慎重であってほしい」

     この改正の目的は、あくまで裁判員の「負担軽減」であり、その背景にあるのは、この負担によって裁判員を確保できなくなる事態への懸念です。「朝日」は開廷不能状態に備えた「念のため手当ては必要」との一定の理解を示しながら、それを優先させた改正に前記のような忠告と懸念を表明したわけです。

     しかし、この「改正」に対しても、また「朝日」のこだわりに対しても、やはりこの制度の推進に当たり、はじめから不透明なままの根本的な疑問点をぶつけざるを得ません。つまり、裁判とは一体、何のための、誰のためのものなのか、ということです。

     彼らが今回の「改正」の、ある種の矛盾に気が付いていないわけがありません。裁判員制度が軽微な事件からではなく、いきなり重大事件から参加を強制させる形をとった、その理由とされたのは、それらの事案の社会的影響の大きさでした。すべての刑事事件を対象にしたり、分かりにくい民事事件に参加させる「負担」も挙げられていましたが、要は死刑対象事件を含む重大事件関与への精神的負担を市民に課してでも、そここそが市民参加の意義と成果を最も社会に示せるところというとらえ方を、この制度はとったはずでした。

     それを重大な事案でこそ、起こり得る長期化の前に、「例外」を作るというのが、今回の「改正」であり、同時に「朝日」の前記懸念につながっているところです。見方を変えれば、重大事件こそ市民参加という意義も、市民の都合次第。そちらを優先させることで、「例外」が生まれ、前記制度の趣旨が歪もうとも、対応にバラツキが生まれようとも、制度維持のためなら「いいじゃないのか」という話になります。

     しかし、一方で、「朝日」のこだわりも、市民参加の大義の後退、一辺倒です。そもそも法廷に出される例の刺激的な証拠の扱いにしても、今回の長期化の問題にしても、適正な手続きを優先させるのであれば、「負担軽減」のためにそれらを改めるという発想自体が本末転倒であり、矛盾です。言い方を変えれば、もし、「負担軽減」を優先させるのならば、何を犠牲にするのかは明らかであり、それが制度維持のためであるというならば、それは制度自体の根本的な無理とみるべき問題のはずです。

      「朝日」は全部分かっている、ととれます。選任手続きへ出頭率が初年度の40%から昨年26%、辞退率は53%から64%になり、多様な人材参加に「壁」があるとし、さらに最高裁の世論調査で参加に消極的な見解が87%に及んでいることにも触れ、負担、責任からの敬遠にも「自然な感情」と理解を示しています。

     しかし、その一方で、経験者の「いい経験だった」発言に注目し、お決まりの守秘義務の弊害を指摘。「負担はあっても、その経験は個人と社会に意義深い」という裁判員経験者ネットワーク世話人のコメントや、これまた定番の司法制度改革が目指した「『お上』任せでない、自律的な市民像」を登場させています。

     要は、「負担」の意義に対する理解を共有できればなんとかなるはず、という描き方であり、初めから制度そのものが抱えていた矛盾や無理が明らかになってきた、という視点はどこにもありません。

     つまり、「負担」に配慮して矛盾を露呈させている「改正」にしても、大義からの後退を嘆き、大義と負担への理解を訴える「朝日」にしても、「裁く側」を向いた話ばかりであり、この制度推進側がいかに「裁かれる側」の視点を欠いているか、別の言い方をすると、いかにあるべき刑事裁判から逆算した発想で制度を見ていないのかをうかがわせるのです(「『負担軽減』という課題に隠された裁判員制度の課題」)。

     あるべき市民参加、あるべき裁判員制度を語る一方であるべき裁判からは本末転倒ともいえる、「裁く側」の「負担軽減」を打ち出さざる負えない制度の無理と矛盾には、社会の目を向けさせない。その制度が、裁判への常識の反映とともに司法に対する国民の理解増進を掲げているおかしさです。

     先ごろ弁護士らによって出版された「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」(猪野亨、立松彰、新穂正俊著、「ASKの会」監修、花伝社刊)は、まさに裁判員制度推進派の大マスコミが、文字通り、何を伝えていないのか、いわばその「不都合な真実」をえぐり出していますので是非、お読み頂ければと思います。

     裁判員制度の現実と本質に、私たちが目を向けようとする時に、そこに立ちはだかっているのが、推進派大マスコミの論調であり、姿勢である現実を、私たちは十分認識しておかなくてはなりません。


    あなたは憲法学者らが「違憲」とした安保関連法案に対する政府の対応をどう考えますか。また、どのような扱いをすべきだと思いますか。ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「ニュースご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6707

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    「必要になる未来」という前提

     被告人に死刑判決を言い渡した裁判員裁判で急性ストレス障害になった裁判員の国に対する慰謝料請求を退けた、9月30日言い渡しの福島地裁判決(「裁判員制度が踏みにじっているもの」)の判決文を見ると、裁判員制度の必要性ということについて、裁判所が二つの前提に立っていることが、改めて分かります。一つは、この制度が従来の刑事裁判の問題性を根拠としていないこと、もう一つは国民的基盤強化の必要性です。

     つまり、これまでの刑事裁判が民意を反映していないとか、妥当な量刑がなされていなかった、という前提で、それを改めるために、この制度が導入されたわけではなく、司法制度改革審議会最終意見書が示したように、司法制度に対する国民の理解、信頼を増すためのものなのだ、ということです。

     ただ、ここで見落としてはいけないのは、この前提があくまで「将来の必要性」ということのうえに成り立っているということです。裁判のやりとりのなかでも、従来の刑事裁判に問題があったものではないならば、国民に義務まで課して国民的基盤を確立する必要はないはずであり、裁判員法の立法事実は存在しないとする原告側主張に対し、判決はこういっています。

      「裁判員法が国民の司法に対する理解の増進と信頼の向上を図り、ひいては国民的基盤の確立を趣旨とする理由は、経済社会の構造が変革していくことに応じて、国民自らが自己の権利・利益が司法的手段を通じて実現していくことができるよう、司法がより納得性の高い紛争解決機能を提供するという、従来とは異なる新たな役割を果たすことを求められていることにあるといえる」
      「そうであれば、従来の社会構造の下、従来の刑事裁判には何ら問題がなかったとしても、そのことは何ら裁判員制度の導入を不要とする理由にはならないものといわざるを得ない」(太字は筆者による)

     このとらえ方は、ある意味、裁判所がこの制度を受け入れるに当たって、好都合なものになった、というべきです。逆に言えば、この制度が現行刑事裁判の反国民性を前提にしたものであるとなれば、裁判所側のハードルは当然高くなった、というか、そもそものめるものになったとは到底思えません。その意味では、弁護士界内の制度推進論調に見られる、国民の直接参加が従来の刑事裁判の問題性を払拭するという期待感に基づく、いわゆる「風穴論」とは、同じ制度推進の立場であっても、同床異夢ともいうべき全く正反対の前提に立っていることを確認しておかなければなりません。

      判決は、原告側の、過料の制裁による国民への強制と国民理解増進目的の矛盾をいう主張も、この国民的基盤の確立の必要性を前提にした、参加国民の多様性確保論で退けています。

     しかし、判決の立場からすれば、これらもすべて将来のこととしなければなりません。これまでの長い刑事裁判の歴史のなかで、その国民的基盤が問われ、この制度が必要になったとは、一つも認めたわけではない。むしろ、司法の「従来とは異なる新たな役割」の登場がなければ、従来の刑事裁判に国民的基盤が問われるようなところはない、といっているようにさえ聞こえます。

     しかし、実は「将来の必要性」というところに、この「改革」路線の描き方の共通した不透明さがあります。いうまでもなく、法曹人口増員政策の前提もまたここにありました。法曹が大量に必要となる事後救済社会の到来。脅威のように強調されたその前提と、それに対応するための大幅な見積もり方の誤算が、現在の弁護士、法科大学院の惨憺たる状況を生み出しました。

     一見すれば、自立した国民の意思が司法に反映するかのような理想をうたっている判決文の文面も、「経済社会の構造」変革とか、「従来とは異なる新たな役割」を果たす司法の変革という、国民として具体的にどこに実現可能性を見通せるのか分からない条件が付されています。ただ、そのこともさることながら、もっとも肝心なことは、「求められる」という言葉への国民の了解度です。強制まで避けられないほどに、一体、だれがこの制度を必要としているのか、そこまでする「将来の必要性」は、本当に社会の了解事項なのか、ということです。

     この「改革」が前提としてきた「将来の必要性」の見立ては正しかったのか、そして、市民、国民のためであるはずの「改革」は、そのことについて、社会の共通認識のうえに立てたのか。裁判員制度でも、法曹養成制度でも、既にはっきりとした実害が生まれた、今、そのことを抜きに、この「改革」路線が論議され、維持されることを、私たちは許していいのか、という気持ちになるのです。


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    裁判員制度が踏みにじっているもの

     被告人に死刑判決を言い渡した裁判員裁判の裁判員を務め、殺人現場の写真を見せられるなどして、急性ストレス障害になったとして、国に慰謝料を求め、9月30日に福島地裁で請求を棄却された福島県郡山市の青木日富美さんの訴訟に関連して、今年1月17日付け四国新聞が、あるコラムを掲載しました。タイトルは「矛盾」。

     2011年に裁判員候補者名簿登載の通知を受けた青木さんは、裁判員になることには不本意でした。ただ、彼女が出頭したのは、翌2012年12月に届いた呼び出し状に、下線まで引かれた次の一文があったからでした。

     「正当な理由なくこの呼び出し状に応じないときは、10万円の過料に処せられることがあります」

     彼女は、この処罰を回避したい思いから出頭し、抽選で裁判員に選任されてしまいます。コラムは、その彼女の二つの後悔について書いていました。

      「青木さんは10万円を払ってでも裁判員を拒否すればよかったと後悔している。過料は行政上の制裁で刑事罰ではないと言われても、違いも分からないし、それを払ってでも義務を逃れようとするのは、ひきょうだと感じるのが普通だと思う」
      「もう一つの後悔は、血の海で横たわる被害者2人のカラー写真や、被害者が119番通報した断末魔の声から、自分の視覚と聴覚の二つの感覚だけで判決を下した『軽率でばかな自分』に対してだ。青木さんは『よく分からないまま死刑判決に関与した罪の意識』とも表現する」

     彼女は、嘔吐、不眠などの体調不良、現場写真のフラッシュバックに悩まされ、仕事も失います。それは、裁判員裁判が彼女に与えた実害というべきですが、実はそれ以前に、コラムが取り上げた彼女の「後悔」は、裁判員制度の「強制」が、確実に国民から奪いとっているもの、あるいは踏みにじっているものを、浮き彫りにしています。それは、端的にいえば、「裁きたくない」という個人の自由な意思と、「裁くべきではない」という責任感あるいは良心です。

     裁判員裁判が、「思想・信条の自由」を否定してまで強制化する発想は、ひとえに制度が「選択されない」脅威です。自由に不参加を認めてはなり手がいなくなる恐れ。そこには、辞退したい信条に対して、あたかも「真摯」なものとそうでないものが存在し、その区別をつけることは不可能だから一律、強制化すべきという発想があります。さらにいえば、それは、この制度のためには、「思想・信条の自由」の一定限度の犠牲はやむなしという立場ということもできます。

     まさに、その発想が、現実に何を犠牲にするのかを、彼女の「後悔」は示しているようにみえます。報道によれば、今回の判決は、彼女について、裁判員就任と急性ストレス障害の因果関係を認めながら、裁判員の辞退が認められていることと、国家公務員災害補償法で補償を受けることもできることを指摘しています。しかし、「辞退が認められている」ことを理由とするならば、彼女が不本意ながら受けざるを得なくなった、処罰の脅威による「強制」は、まず取り除かれなければならないはずです。そして、制度が踏みにじったのは彼女の健康だけでなく、その自由であり、裁判に対する国民の良心であることを考えれば、補償ということだけで解決策する問題でないことも、また明らかです。

     その意味で、この訴訟を契機に注目された裁判員の負担軽減もまた、この制度の「強制」が奪っているものの本質をみないものといわざるを得ません。金銭的な補償目的でも、配慮に基づく運用改善でもなく、制度によって「二度と私のような犠牲者を出してほしくない」と原告が語った、この訴訟が投げかけているものも、そこにあるというべきです。

     「最大の問題はこの訴訟を、裁判所が裁くことだ。裁判員裁判の旗振り役として遮二無二、制度導入を進めてきた裁判所自身が、この訴えを裁けるのか。現行の司法制度の矛盾があらわだ」

     冒頭のコラムは、こうした一文で締めくくられていました。判決後の記者会見で、青木さんは「思いの半分も伝えられなかった。国はもっと関心を向けてほしかった」と無念の表情を見せ、代理人の織田信夫弁護士は「個人の尊重より、国の制度が優先するという判決だ」と批判した、と報じられています(河北新報10月1日)。

     コラムが指摘した「矛盾」のなかでは、ある意味、今回の判決は、案の定の結論ということもできるかもしれません。コラムニストも、この結果を予想したからこそ、この一文に「矛盾」というタイトルを付けたようにも思えます。裁判員制度が踏みにじっているものと、それを押し隠して制度を支える司法の「矛盾」に対する、私たち社会の感性が問われているように思えます。


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    「国民の司法参加」論議の欠落感

     今回の司法改革で、大きな目玉として、注目されることになった「国民の司法参加」というテーマ。最終的に国民を裁きの場に強制徴用して、職業裁判官とともに、量刑まで関与させる裁判員制度にたどりつくことになったわけですが、いまさらいうまでもなく、国民のなかにこのテーマに対する強いこだわり、あるいは欲求が存在していたわけではありません。あくまで、これを根付かせようとした方々の発想に基づき、国家が上からの導入を図ったものです。

      ただ、その過程で、このテーマは、本来的には国民が当然に持つ二つの疑問に向き合わねばならなかった、いうべきです。その一つは、なぜ、強制されなければならないのか、そして、もう一つは、なぜ直接参加でなければならないのか、ということです。

     結論からいえは、裁判員制度導入に至る議論が、果たしてこのテーマに真正面から向き合ったのかは、甚だ疑わしいといわざるを得ません。繰り返された「民主的」効果、国民の意思の反映や、逆に裁判への国民の理解という効用をいう意義、「お任せ司法」論、義務化・強制の現実をあたかも極力薄めようとするかのような国民の権利論、そしてお決まりの諸外国の実践例等々。これらが、本当に前記二つの疑問に向き合い、それにこたえたといえるのか、という問題です。

     例えば、「統治客体意識」などと烙印を押された「お任せ」体質を本当に多くの国民は了解したのでしょうか。おそらく、裁判員制度を知っていても、その過程で、国民がこうした烙印を押されていることに、多くの人は自覚的でないと思います。納税者であり、資格の選抜と特殊教育を施された専門家への信頼を基に、いわば託してきた司法判断を「お任せ」扱いされること、それがあくまで司法自体の、あるいは専門家の改革ではなく、国民の直接参加を必要としなければならなかったのか、そしてさらにいえば、なぜ、この憲法にも規定がない強制が参政権に例えられるような権利になるのか――。

     有り体にいえば、このテーマをめぐる議論は前記疑問にこたえたわけではなく、制度導入を前提に、前記論法を繰り返しながら、疑問そのものは極力喚起しない姿勢がとられた。それに法曹三者も大マスコミも一体で協力した、というのが事実ではないかと思えるのです。

     ところで、この「国民の司法参加」については、陪審・参審といった「直接」ではなく、「間接」的参加という形が存在します。日弁連は2000年9月に発表した「『国民の司法参加』に関する意見」のなかで、のちに司法制度改革審議会意見書にも反映することになる、最高裁判事国民審査制度の見直し、下級裁判官任用手続きや裁判官職務評価への参加といった、「判決」ではなく、裁判官という「人」について、現行制度の透明性の向上や民意の反映を求めていくことを、「間接」参加の形として挙げています。

     ただ、実は「間接」参加とは、これにとどまらず、もう一つ肝心な形がありました。かつて小田中聰樹・東北大学名誉教授は、自身の論稿のなかで、こう書いています。

      「国民が裁判者となる制度的な司法参加のほかに、裁判批判や裁判運動・裁判闘争などの非制度的な国民参加の形態がある。訴訟資料の綿密な検討を踏まえ、問題点を広く国民に訴え、世論を喚起し、これを背景に事実と論理を説き、裁判官の良心に訴えていく――このような裁判批判と裁判運動は、刑事裁判のみならず国民の権利や生活を守るさまざまの裁判において展開され、貴重な成果を上げてきた。このことは、松川事件をはじめとする冤罪事件裁判や公害裁判の例を思い起こすだけで十分に理解することができるであろう」(『国民の司法参加』、岩波書店「日本の裁判」)

     小田中氏がいった「非制度的な国民参加」の原動力となってきたのが、ほかならない弁護士たちであることを、最も分かっているはずの日弁連が、なぜ、「制度的」参加だけに目を向け、そのことに言及しなかったのか――。裁判員制度批判論のなかで聞かれるように、国民を裁きの「共犯者」として取り込む裁判員制度が、結果として小田中氏がいう裁判批判、裁判運動にどういうベクトルで作用することが懸念されているのかを考え合せると、嫌な感じがしてきます。

     小田中氏は、こうした裁判批判、裁判運動の一層の発展の先に、優れた陪審・参審制度が生み出され、「自由と人権の砦」としての機能を果たしていく、といった未来図をここで提示していましたが、実際のわが国の「国民参加」は、不幸にして、そうではない形でもたらされました。

     思想・信条の自由も脇においた「強制」をあっさり受け入れたのと同様、あの時、制度導入ありきの発想のなかで、弁護士会はここでも本来守るべきものを捨て去ったのではないか。そんな思いがしてくるのです。


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    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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