「無料化」が拡大させた期待と誤解

     弁護士を探す市民の口から、「弁護士の費用はどこまで無料になりますか」とか、「値切れますか」といった期待感をにじませた問いかけを耳にする度に、以前書いた法律相談無料化の「副作用」が、確実に広がっていることを感じます。集客効果を期待した弁護士側の無料化が、本来、有償である法律相談への認識を遠ざけ、それにとどまらず弁護士に過剰なサービスを期待する相談者を増やすという副作用を生む、という事態です(「法律相談無料化の副作用」)。

     弁護士を普通のサービス業と同一視する見方に立つほどに、利用者からすれば、無料化はあくまで当然の「士業努力」であり、弁護士が増え、かつてと違う競争原理が働くというのであればなおさら、冒頭のような期待感につながることも、本来は想像できたことでした。

     一方で、弁護士の無料化の発想は、むしろ単純で、弁護士の収益全体に占める割合が低い相談料を無料化し、顧客を獲得できればいい、というものです。これを批判されてきた、いわゆる「敷居の高さ」を低くすることであると受けとめていた弁護士もいますし、広告料よりもはるかに割安という捉え方も彼らのなかにありました。

     しかし、いまや弁護士のなかのそうした無料化への期待も、多くは失望に変わっています。「無料」の期待感でやってくる相談者が、その先の有償である受任に必ずしもつながらないからです。嫌な言い方をすると、「無料」に期待してくる相談者は、支払い能力においても、その意志においても、弁護士の収益につながりにくいことを、多くの弁護士が気付いたという話です。

     これは30分5000円の相談料を被っている損失と理解されがちですが、実はそうではなく、むしろ大量の収益につながらない相談者の相手をする時間の損失が業務全体のリスクになる、という意味の方が大きいといえます。

     この状況では、弁護士と利用者の間の、期待感の方向の接点がありません。「無料化」が、そうした状況を生み出したといえます。利用者の無料への期待は、当然、無料の枠の中で少しでも解決させてしまおう、という甘い期待感を生み出す。それだけでなく、はじめからそうした期待感だけしか持ち合わせない利用者を誘引する。皮肉をいえば、そうした利用者拡大が実現してしまう。そして、相談にとどまらず、弁護士業務全体に対して、「なんとかやれるだろう」的な欲求を強めていく。弁護士が無料化から脱却して、自己防衛策としての有料化を打ち出すのも、当然のことといえます。

     弁護士に聞けば、無料化が「士業努力」として評価されるという見方よりも、むしろ有償の仕事が少なく、無料化で顧客を集めなければ仕事がない弁護士とみられかねない、という意識がいまや強く存在していることを感じることもあります。顧問料を頂戴している顧問先への手前を気にする声もあります。

     「改革」は、結果として弁護士に一サービス業への自覚を促すものとはなりましたが、無料化の「士業努力」には、はっきりとした落とし穴があったというべきです。弁護士会は「敷居が高い」という批判的な切り口に強く反応して、これまで「気楽に」「小さなことでも」法律事務所の門をたたいてくれ、とばかりに、そうした弁護士像が、社会が知らない本当の弁護士であるという方向のアピールをしてきました。だが、そのなかでむしろ、法律指南である相談は本来有償であるということや、薄利多売化が困難である業務の特殊性といった、普通のサービス業とは違う点をアピールできてこなかった。まさに、そのツケということもできますし、このこと自体が「改革」の副作用にもみえます。

     思えば、弁護士が「無料化」に踏み切る動機付けは、「改革」路線が生み出したともいえる、このサービス業としての顧客誘引期待の「努力」の他に、もうひとつ、「手弁当」といわれるような純粋に弁護士の義憤や覚悟によるものがありました。かつて利用者の感謝の声を沢山聞いた、弁護士のそんなスタイルに、いまや経済的余裕のなさや前記利用者の無償化への誤解から、多くの同業者もよそよそしい目線を向けるようになっています。

     利用者にとって本当に有り難いことは何だったのか、ということを考えて現状をみると、やはり「改革」の罪深さを感じてしまうのです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    弁護士の「利便性」をめぐる認識格差

     大雑把な括りになりますが、弁護士が利用者にとって「便利な存在」であるべきということに異を唱える人は、ほとんどいないと思います。「改革」が目指した方向性についても、それを何も矛盾なくとらえた人々が沢山いましたし、今でもネット上では、身近で便利な存在になる、ということをアピールしている法律事務所の広告を見ることができます。

     ただ、目を離してみると、あたかも利用者と弁護士の共通テーマのようになったといっていい「利便性」の中身は、両者のなかで果たして一致しているのか、という気持ちに度々させられるのです。端的にいえば、「使う側」が求めている中身と、「使われる側」の視点で解釈され、描かれた中身が必ずしも一致していないということです。

     例えば、利用者の考える利便性には、より金銭的に安く利用できるという欲求は反映しやすい。ところが、「使われる側」としての弁護士の捉え方は、この低廉化の欲求にこたえるという視点よりも、おカネを投入してでも適正なサービスを求める層に向いた話が主流です。また、アクセスという問題にしても、とにかく適正に対応してくれる弁護士との出会いを求める利用者の欲求に対して、会を含めて弁護士側は、これまで数が増えるとともに、「身近に」なることや、業務の透明化によって「敷居が高い」という誤解を解消するという捉え方をしてきたといえます(「弁護士利用拡大路線が生み出している負の『効果』」)。

     これは、ある意味、「改革」そのものを、「使われる側」がそう解釈した、という言い方もできるように思います。しかし、薄利多売化に基本的にそぐわない弁護士業の性格が、低廉化によって数をこなすという発想にならないことの理由づけになるとしても、数が増え、競争によって便利になるはずの「改革」には、当然、低廉化の期待は被せられます。その一方で、弁護士が増えて「身近に」なっても、より弁護士の出会いが確保されるようになったとか、その点での「使う側」の労力が軽減されたという話も一向に聞こえてきません(「気づきを与えようとした『改革』が生んだもの」)。

     利便性として、法律事務所のなかには、ホームページなどで「立地」ということをアピールしているところもありますが、およそ数が沢山いても弁護士にたどりつけず、漂流を余儀なくされている利用希望者にとっては、一般的なアクセスのよさの評価は限定的なものといわざるを得ません。

     以前も書きましたが、そういう漂流する利用希望者については、もちろん弁護士側にも言い分がある場合はあります。つまり、たどりつけないということそのものが、利用者自身の事案や司法的な解決への誤解に基づいている結果であるケースもあるからです。弁護士がきちっと説明しても、収まらない利用希望者に対して、「付き合いきれない」「極力かかわらない」とする弁護士を責めることはできません。

     しかし、あえていえば、依頼者側にそうした認識がない以上、結果的に弁護士にはマイナスポイントが付きます。そして、彼らは言うはずです。「少しも便利になってなんかいない」と。

     最近、ホームページ上で、「取り扱わない分野」を明記した法律事務所が業界内で話題になっています。離婚、男女トラブル、相続、慰謝料請求、近隣トラブル等の案件について、基本的に弁護士が介入すべきではない、という持論を展開して、基本的に相談の受け付けも拒絶しています。このほかには頭から医療機関や医療従事者を訴える側に立たないことや、官公庁に対する請求は「理由不要」として、一切受け付けないことを宣明しています。

     一般的な受任ポリシーや、「取り扱う分野」について公表している法律事務所は、これまでもありますが、ここまではっきりと「拒絶」を打ち出しているものは珍しいといえます。

     これに対する同業者の反応は、実はさまざまです。理由付けの仕方や「理由不要」とした点についての妥当性を問題視する見方がある一方で、受任しないことはあくまで弁護士側の自由であり、むしろ「取り扱わない分野」を明言すること自体は、問題ないという見方も出されています。

     しかし、結果的に利用者が好意的な評価をするのか、少なくとも弁護士の利便性という点において、プラスの評価につながるのかは甚だ疑問です。弁護士が増え、こうしたことを堂々と明言する弁護士の多様性が生み出されても、結局、たどりつけない現実は変わらない、「拒絶」表明の向こうに別の道が開けているわけでもないからです。「取り扱わない分野」を明言しておいてもらった方が、利用者も選別の際に手間が省けるはず、という意見もありそうですが、その有難味もやはり限定的といわざるを得ません。

     むしろ、「改革」がもたらしている弁護士の余裕のなさを考えれば、表現の工夫はともかく、こうした「拒絶」を打ち出す弁護士は、今後、増えてもおかしくない情勢といえます。それが、弁護士の「利便性」とは、どうつながっていくのでしょうか。

     もう一つ、弁護士と利用者の「利便性」をめぐる捉え方の違いを象徴するような、こんな弁護士のツイートがありました。

     「弁護士やって数年しか経ってないけど、『単価を安くするとみんなが不幸になる』ということはわかった。 単価が安いと数をこなさなきゃいけないから1件あたりの労力は減らさなきゃいけないし、安くやってると思うと気持ちも下向きになるし、家族も事務員も潤わず、自分の健康も損なう。いいことなし」(take-five)

     「改革」に対する、ある意味、お互いに都合のいい解釈や期待感を一度白紙にして、弁護士の「利便性」についての弁護士と利用者の認識格差を、現実に即した形で、どこかで埋めなければならないように思います。しかし、残念ながら、いまのところ、そんな気配をこの世界周辺に読みとることはできません。


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    弁護士「セカンド・オピニオン」の限界と現実

     医療分野同様に、弁護士の世界でも、いわゆるセカンド・オピニオンの必要性を認める業界内の声は、近年、急速に多くなりました。しかし、表現は微妙なものになりますが、肯定するとはいっても、必ずしも歓迎しているわけではない。むしろ歓迎はできないような、微妙なニュアンスがそこに込められることになります。

     「改革」の弁護士増員政策を肯定する立場からは、結果として、依頼者の自己責任による選択のハードルが高くなる現実に対して、必ず持ち出されるといっていいのが、弁護士による情報公開と、このセカンド・オピニオンという手段です。利用者・市民の自由・適正な選択の可能性と、それによって適正に行われる弁護士の競争・淘汰を、この「改革」にどうしても描き込まなければならない、「改革」肯定派の立場からすれば、ある意味、当然といえば、当然です。

     弁護士がどんどん情報を公開すれば、非対称性は解消し、依頼者がどんどん弁護士を取り変えて、多くの弁護士の知見に触れられれば、適正な選択は実現する。だから、たとえ資格付与による弁護士の質保証を緩め、いったん社会放出して、そこを競争に委ねたとしても、実害は依頼者市民の努力次第で回避できる――。こういう見立ての「改革」であればこそ、セカンド・オピニオンの実践は当たり前であり、むしろ前提といっていいものといえるからです。

     では、弁護士界内の肯定的な流れは、この「改革」の描き方をそれこそ肯定的に受け入れた結果ととれるのか、というと、そうでもなさそうです。もちろん、医師の世界もそうですが、セカンド・オピニオンには、知見・判断に対する疑義という専門家としては「面白くない」感情的な問題をはらむことは事実です。また、弁護士界内の「歓迎できない」ニュアンスなどと書けば、またぞろ競争を回避しようとする「心得違い」といった弁護士に対する「心理分析」も登場してきそうです。

     ただ、むしろ「改革」の現実からは、利用者・市民として、ここは別の面を押さえておくべきであるように思います。

     一つは端的にいって、弁護士のセカンド・オピニオンは、医者のそれより対応が難しいということです。いうまでもなく、医師のそれで問われるのは、当事者(患者)の病状であるのに対して、弁護士で問われるのは、その当事者が置かれた、あるいは抱えた法的な状況です。以前にも書いたことですが、二番目の弁護士の判断材料は、相談者が提出してきた資料と証言です。相談者が一番目に語ったこと(伝わっていること)と全く同一なことを語ってくれているかどうかで、結論は違いますし、依頼者側が自分に不利なことは言っていない場合や、肝心な情報が落ちている可能性もある。少なくとも二番目の弁護士は、時間的にもまだ、一番目ほど依頼者の話を聞いておらず、情報量は違い、判断材料が異なれば、弁護士の出す結論は変わります(「弁護士のセカンド・オピニオン」)。

     その点では、当事者に当たり、仮に病状についての本人の申告漏れやうまく伝えられないことがあっても、検査をすることで客観的に判断材料が得られる医師の場合とは、根本的に違います。このことを経験のある弁護士ほど、よく分かっていて、即断には慎重な姿勢になります。かつ、それに加え、弁護士に禁じられている他の弁護士の受任事件への不当介入(弁護士職務基本規程72条)を気にするということもあります(「弁護士湯原伸一〈大阪弁護士会〉)の右往左往日記」)。

     本来、他の弁護士の間違った対応への指摘ならば、少なくとも「不当介入」にはならないはず、となりそうなところですが、その判断材料を得ることが前記のような状況だと、やはりここでも慎重な判断は働きます。そこは、相手も弁護士であり、主張してくることも想定されます。いわば、同業者をかばっているわけではなく、自らの身を守るために慎重にならざるを得ないということです。

     つまり、現実を考えれば、弁護士のセカンド・オピニオンの効果には、多くの場合、限界がある。即刻、誰が見ても懲戒相当になるような証拠がそろっている(他の事情があろうともといえるような)場合ならばともかく、依頼者が多くの場合で抱えている、納得できない弁護士の対応についての二番目以降の弁護士の所見は、前記慎重姿勢のうえに「一概に言えない」扱いになるか、いくつもの仮定のうえの抽象的な「あり得る」「場合もある」的な結論になっていくのです。そこについての依頼者市民の不満は、これまでも度々耳にすることになってきましたが、その都度、これまで書いてきたような事情を、一応、伝えることになるのです。

     そして、もう一つ、押さえておくべきなのは、やはり「改革」がもたらしている今の状況です。セカンド・オピニオンが活用される前提は、複数の知見が存在し得るという当事者の認識です。ある専門家の知見への疑義を「素人考え」でおさめきれなくさせるのは、当然、「素人考えではない」ことを明らかにする他の専門家の所見があるかもしれない、とする可能性です。有り体に言えば、およそ「どの専門家でも同じだろう」とか、逆に「同じ結論になるのが専門家だろう」という発想が強いほど、このチャレンジは広がりません。

     医療でのセカンド・オピニオンの広がりには、この検証を経た選択への患者の権利性に専門家側が無視できなくなってきた面もありますが、医師側もよりよい処方を探る上でも、また、本人の納得という面でも、これを是認してきたという経緯がみられます。利用者からみた誤診回避が、専門家からみたよりよい医療の追求という形になる点は、一見、弁護士の場合も同じです。しかし、後者を担保することについて、前記したように弁護士は医師の場合と比べて、限界や躊躇せざるを得ない現実があります。

     では、それでも今、弁護士がこのセカンド・オピニオンの必要性を語り出しているのはなぜなのか。そこには、以前よりも、多くの弁護士が多くの弁護士の知見を疑い出している、あるいは同業者として、その知見に自信がもてなくなっていきているということがあるのではないか、と思えるのです。

     もちろん、これも以前書いたことですが、もともとこの弁護士が扱う法律分野では、対処の仕方、考え方が弁護士によって一つではない面、多様な捉え方が合法的に現れることを知らない弁護士はいないと思いますし、ならばこそ、前記慎重姿勢にもつながってきました。しかし、最近、弁護士たちはこの「改革」がもたらした増員時代に、そうしたこれまでの認識をさらに超えた「多様な」弁護士が生まれていることを知っています。依頼者の意向に沿うことだけを考えて、説得することなく、法的には実現不可能な無理な要求を突き付けてくる弁護士、経済的余裕がなかったり、採算性を追求するあまり、明らかに依頼者の不利益になる手抜きをする弁護士、そして、「合法的」という前提も疑われるようなものが含まれる弁護士。

     いわば、前記したセカンド・オピニオンの限界に引っかからずにアウトと判断すべき弁護士が、かつてより沢山この世界に現れ出していることを、ほかならない同業者が広く認識し始めているということになります。そうした現実が先行するなかで、本来、限界があるセカンド・オピニオンの必要性が語られ出しているのではないか、ということです。

     そうだとすれば、これは冒頭の「改革」路線の増員政策や、弁護士の競争・淘汰を支えていく、積極的な意味合いでのセカンド・オピニオンの効果に注目が集まり出したのでも何でもない。むしろ、その実害を少しでもなくするために、とらざるを得なくなっている「改革」の負の影響の表れともとれることになります。

     利用者にとって、弁護士のセカンド・オピニオンが必要か否かと問われれば、必要ということになります。おかしな弁護士、危うい弁護士が増えているという情報が社会に伝われば、これからより利用者はその成果に期待するかもしれません。しかし、その一方では利用者にとって、選択の自己責任の酷さを甘くみることにつながる、安易なセカンド・オピニオンへの期待感だけは、幾重にも戒められなければならないようにも思えます。


    弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046

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    弁護士報酬をめぐる不安感と不信感

     弁護士を探している人々と接していると、弁護士の報酬の相場観のようなものが、依然として存在していないことを感じます。弁護士の報酬基準規程が公正取引委員会からの独占禁止法違反の指摘を受け、規制緩和の流れのなかで2004年に廃止されて以降、日弁連は全国弁護士のアンケートをもとに目安を作ったり(「『時代の流れ』と割り切られる結果」)、それなりの対応をしてきました(日弁連「弁護士報酬(費用)のご説明」)。

     また、このほかにもいまやネット上で、弁護士自身や専門サイトが一応の解説を発信しており、利用者の立場で考えれば、ネット環境が存在しなかった時代に比べて、格段にそうした情報には触れやすくなってはいるはずです。

     それにもかかわらず、依頼者市民が弁護士報酬に感じる不透明感と、そこから来る不安感が以前に比べて大きく変わってきたという印象はありません。そもそも相場といっても、案件ごとにざっくり最低金額が分かるだけの情報での把握には限界があります。ただ、ここに関して言えば、千差万別の個別案件に立ち入らなければ、金額は提示しにくいと考える弁護士は少なくなく、相場を示すことの方に限界があるという見方が業界内にはあります。

     前記日弁連の目安が、ざっくりとアンケート結果から、いくらで扱う弁護士が何パーセントいた、という形で伝えたのも苦肉の策ということはできます。ただ、その一方で、前記した事情からは、数値的に少数派に位置付けられた高額報酬に当てはまってしまった場合、この目安に重きをおいた市民から、ケース個別事情度外視で、「いかにも不当ととられかねない」という懸念も弁護士側にはあります。
     
     ただでも以前から分かりにくさで定評があった弁護士の報酬についての基準廃止は、それこそ「敷居を低く」を唱える弁護士の「改革」姿勢からすれば、逆効果のおそれが想定されるものでした。一方で、弁護士があたかもより自由に料金を設定できるというイメージのなかでは、「低額化」への期待というものがそこには存在しました。そもそも今回の「改革」では、弁護士が増えることで、競争と淘汰のなかで、これまでなかった良質化や低額化が進むという期待感が刷り込まれました。

     しかし、現実はそうではありません。案件にもよりますが、あくまでまともにやろうとすれば、およそ薄利多売化が困難な弁護士という仕事の性質上、低額化への価格競争が簡単に起きないということもあります(「弁護士『薄利多売』化の無理と危険」)。ただ、それに加えて、利用者市民の声を聞いて分かるのは、相場観が定まらないなかで、「低額化」そのものが分からないという事情があるということです。有り体に言えば、弁護士から提示される金額が、どういう対応が付加されている、あるいは欠落しているということを換算してお得になっているのか、なっていないのかが、そもそも分からない、という話です。

     ここで見逃せないのは、「改革」がもたらしている弁護士に対する根本的な不信感です。増員政策によって、弁護士がかつてより経済的困窮し始め、よりビジネス化し、そのなかで拝金主義的な傾向を強めているというイメージ。事務所経費の捻出に行き詰まり、依頼者のカネに手をつけるベテランの事件報道を目にしている市民が、そういう警戒感、不信感を持つのは当然です。そして、こうしたなかでは、不当に高くとられることも、安いけど不当に手を抜かれることも、すべて弁護士の一存で決められるという懸念が、これまで以上に市民の中に芽生えることも当然の帰結といわなければなりません。

     相場観の裏付けがもてない「低額化」への期待感は、限りなく「無償」でやれ、という、逆に社会のなかにある不当な欲求に火をつけている面もあります。そのなかでは、弁護士からすれば、正当な「それなり」のサービスを、前記したような「不当に手を抜かれた」と括られる事態も生まれやすくなっているといえます。

     ネットをみれば、個々の法律事務所によって、報酬の不透明性から来る不安をなんとか除去しようとする姿勢や工夫がなされており、そのこと自体はもちろん評価されるべきです。また、そもそも個別事情にかかわるということであれば、弁護士の説明する能力や姿勢にかかっているという捉え方もできます。

     ただ、このテーマについて話していた、ある実業家はぽつりとこう語りました。

     「やはり、弁護士は人格者であってほしい。人格者が弁護士であってほしい」

     どこまでいっても、弁護士のペースに委ねざるを得ない関係で、カネのことを第一に考えられてしまうことへの、どうしようもできない不安を彼は口にしていました。弁護士に対する「安全」という最低限のニーズといえるものを考えれば、いかに自己責任が強調されようとも簡単に選択でない市民が、究極的にこうした願いを持つことはこれからも変わらないはずです。しかし、「市民のため」のはずだった「改革」が、結果としてこの願いを叶える方向に向いているのかを考えると、複雑な気持ちにさせられます。


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    「それなり」のサービスのリスクと認識

     「改革」の弁護士増員政策を肯定する側からは、しばしば利用者による「選択」の意義がつなげられて語られてきました。端的にいえば、利用者による主体的な「選択」が実現すれば、あたかも弁護士側が懸念するような利用者の不利益は生じない、むしろ利用者側の判断に委ねよ、という捉え方です。

     弁護士の善し悪し、外れを引くか引かないかということで言えば、これまでも書いてきたように、情報の非対称性の存在も含め、そこを依頼者市民側の自己責任に委ねるのは、こと弁護士については酷な現実がありますし、そうした特殊性が十分に社会に伝えられていると思いません(「依頼者『自己責任』の酷」)。

     ただ、この「選択」について、もう一ついわれてきたのは、コストとリスク判断での可能性でした。つまり、この「改革」によって、例えば提供されるサービスの程度によって投下コストを主体的に選べる形が、弁護士という仕事についてもこれまで以上に完備されていくのだ、という見方です。

     このことは、いわゆる隣接士業といわれる司法書士、行政書士の側からも、ある種の期待感を込めて語られるのを耳にすることになりました。有り体にいえば、弁護士を依頼するほどじゃない、そこまでのコストをかけたサービスを期待していないニーズの受け皿に彼らがなれるという期待感のもとに、「選択」の意義が強調された格好です。

     ただ、いうまでもなく、その判断には「リスク」ということが重要な意味を持ちます。コストとリスクを考え、費用対効果で「選択」するのは、およそこの社会の有償サービス利用者にとっては当たり前という話にもなりますし、むしろ弁護士側から出される懸念論は、そうした利用者側の機会を阻害するものとして、またぞろ批判の対象になるといったこともありました。ある司法書士は、「リスクは背負っても、それなりの安いサービスを受けたいというニーズはこの社会にある」と唱え、隣接への代理権付与といった権限拡大方向を含め、「改革」の方向への期待感をあらわにしていました。

     しかし、この点についても、果たして弁護士「選択」でのリスクがどういうものなのか、現実的に依頼者市民がどういうことを迫られるのかについて、果たして十分に伝えられているのかは、疑問と言わざるを得ないのです。

     ある意味、この社会の中にあった、簡易な弁護士利用への期待感の「受け皿」になった一方で、いまや弁護士から不評の声ばかりが聞こえてくる、法テラス(日本司法支援センター)。その利用を考えている市民への、いわば分かりやすい忠告といえる一文を、ある弁護士ブログ(「街の弁護士本音ブログ」)が掲載しています。

     法テラスの扶助制度を利用した場合、通常の弁護士費用の3~5割程度安くなり、分割払いもでき、生活保護受給者であれば支払を免除される。その半面、弁護士にとっては、まさに前記不評の原因となる割安な弁護士費用と建て替え制度利用での手続きの手間という大きなデメリット。強いて弁護士にとっての利点をあげれば、とりっぱぐれがないことと、弁護士費用を払えない低収入者・生活保護受給者からも一応弁護士費用を支払わせることができる、といった点。「しかし、これが『利点』になるのは、他にろくな仕事がない弁護士にとってのことに限られる。他に仕事があるなら、あえて法テラスを使って引き受けるメリットなどなにもない」(前記ブログ氏)。

     こうした現実を紹介したうえで、前記ブログ氏は、これが単に弁護士にとってのデメリットではおさまらない、利用者側のリスクにつながっていることを忠告します。要は、提供されるサービスの「質」への影響です。

     「第1に、値段による差だ。少し考えてみれば分かることだが、同じ店で、あるサービスと別のサービスとの値段に差がある場合、高い値段の方がサービス内容が良いのが普通である。もちろん、弁護士にとっては、たとえ無料であろうとも、依頼者の正当な利益の実現に努めなければならず、依頼者に対して負っている義務は変わらないことになっている。しかし、これも考え方の問題であって、依頼者に対して負っている最低限の義務は果たすが、それ以上の努力は一切しないと割り切ることでサービスに差を付けるということは可能である」
     「弁護士の仕事は、依頼者に分からないように手を抜こうと思えばある程度できてしまうので、分からぬように手抜きをされることは十分あり得る(あるいは、意図的に手抜きをしないまでも、弁護士にとっては無意識的にであれとことん依頼者のために努力しようというモチベーションを低めることはあり得る。)」
     「第2に、このような意図的なものでなくても、仕事の質が悪い可能性が高いということである」
     「弁護士にとって法テラスの仕事はあまり割に合わないのだから、そのような仕事をあえて引き受けるということは、能力が低いので他に仕事がないという可能性もある。そうでないとしても、法テラスの仕事は費用が安いのだから、これで経営を成り立たせようとすれば『薄利多売』にならざるを得ず、1つ1つの事件に費やせる労力にもおのずと限界が出て、仕事の質に影響するということもあり得る。あるいはまた、新人でまだ仕事の少ない弁護士が、いわば練習の機会も兼ねて法テラスで事件を受けるということもある」

     つまりは、「それなり」のサービスが、手抜きを含めて利用者に分からない形の弁護士主導で当然に行われることのリスクと、法テラスの待遇に見合った「それなり」の能力に遭遇するリスクについての忠告です。

     ブログ氏はこのあとに、法テラス利用のまともなサービスを受けられる場合として、弁護士にその事件に思い入れがあるとか、依頼者に何か共感・同情したとか、はたまた社会運動的観点から力を入れているとか、あるいは機嫌がよかったとか、弁護士がお人好しだったといったような場合、新人でまだ仕事の少ない弁護士が練習を兼ねて法テラスで事件を受けた場合で、その新人に相応の能力がある場合といった、幸運を期待するしかないと指摘。「法テラスを使ってくれ」といって嫌な顔をせず、勧めてくれば、その幸運なケースかもしれないが、その逆の反応ならば、そうしたケースではないのだから、その弁護士への依頼はやめておくのがお互いのため、と結論付けています。

     自己責任による「選択」も、費用対効果を考えるのも、この社会では当たり前といっても、社会の中にある弁護士のサービスへの期待度には非常に高いものがあります。コストに見合った当然の「手抜き」を依頼者がどこまで覚悟しているのか、についても、依頼者の失望の声を聞くたびに、疑問に思ってきました。そこには、利用者自身が実は一民間サービス業とは必ずしも同一視していない、公益性のイメージもあって、「ここまでやってもいいだろ」的な無理な期待感に基づくハードルの上げ方もあるのが現実です。その一方で、ある種のプライドも手伝ってか、弁護士側もブログ氏のような現実的なリスクを、これまで十分に提示してこなかった観があります。

     メリットの強調と期待感を前面に出し、現実的なリスクを後方に押しやって続ける「改革」に、ゆがみが出るという当然の成り行きを私たちは今、改めて直視すべきです。


    弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046

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    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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