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    予備試験「抜け道」批判が隠し続けるもの

     予備試験という存在が、法科大学院制度擁護派、とりわけなんとしてでも制度を死守したい方々にとって、非常に都合の悪い存在になっていることは、もはや明らかです。しかし、制度にとっての本質的な「不都合」は、彼らが繰り返し言う、予備試験が「抜け道」になっているということに止まらない。そしてそれが表層的な現象だけをとらえたものであることを、ほかならない彼らが知らないわけはない、と思うのです。

     いわば志望者の「心得違い」による、予備試験の目的外使用をいう「抜け道」批判は、もちろん本道に流れるはずの人材が、そちらに逸れてしまう、人材を奪われる機会を与えてしまっていることを問題視し、それが彼らにとっても、あるべき法曹養成にとっても「不都合」であるというものです。

     しかし、それをいうのであれば、予備試験という存在は、制度にとってもっと本質的に「不都合」な存在になり得るはずです。それはいうまでもなく、その結果が、本道の「価値」そのものを揺るがしかねないからです。つまり、予備試験ルートで輩出される人材が、法曹として何の問題もない、という社会的な評価が下された場合、それでも司法試験の受験資格を「人質」に、プロセスを強制する制度が、このまま維持できるのか、という話です(「『予備試験』が明らかにするもの」)。

     予備試験ルートの人材が大手事務所から注目されているという話はありますが、現状においても法曹として有為な人材は両ルートに存在していると思います。だからどちらが優秀であるかといった、両者のレベルの問題より、むしろ本道側が何を根拠に、プロセス強制の必要性を強調できるのか、ということになってだと思うのです。有り体にいえば、「結果的にこれほどの違いかある」ということを立証できないまま、このまま受験要件化を掲げて強制化の論理を貫くのか、志望者の自由な選択を認めない制度を維持できるのか、ということです(「『価値』の実証性から見る法曹志望者の『選択』」)。

     冒頭の見方につながりますが、あくまで印象とお断りしたうえで言わせて頂ければ、制度を死守したい方々は、彼らにとって、最悪に「不都合」な展開をよく認識している。認識しながら、否、認識していればこそ、前記の恐るべき不合理さには触れない。彼らが、二言目にはいう「抜け道」批判は、実はそれを証明しているようにとれます。つまり、プロセスの正統性を、所与の前提として、頭ごなしにそれから逸れることを批判する本意は、決定的に制度を揺るがす、「価値」の立証不能を覆い隠すところにあるのではないか、ということです。

     11月7日、今年の予備試験合格者が昨年より43人増え、476人と過去最多となったことが、法務省から発表されました。このニュースを伝えた、同月8日付け朝日新聞朝刊は、今年の司法試験合格者の内訳で、予備試験ルート組が合格率で8割と、法科大学院修了者の約3割に比べ、2倍以上の開きがある現実を伝えたうえで、次のような一文で記事を締め括っています。

     「予備試験は本来、経済的な事情などで法科大学院に進めない人を救う制度だが、法科大学院に通う時間や費用を節約できる『抜け道』として受験者が増えているとみられる」

     相も変わらぬ制度擁護派・大マスコミの「抜け道」論に、業界関係者の中からはため息も聞かれます(「Schulze BLOG」)。これまでも書いてきたことですが、そもそも志望者が「法科大学院に通う時間や費用を節約できる」と考えることが、なぜ否定的にとらえられなければならないのでしょうか。それをそれぞれの個人的の「経済的な事情」に含めない、というのも、境界線がよく分からない話です。

     しかも、「法曹コース」新設や在学中司法試験受験容認の、制度改革についていえば、身内の擁護派からも異論があったとはいえ、結局、その志望者の気持ちを汲んだ負担軽減策としての、時短策を打ち出したのではないか、と言いたくなります。いわば、その「抜け道」の意図を汲んで、予備試験と同じ土俵で競争することにした。朝日の立場からすると、今回の「改革」にはやや批判的かもしれませんが、そこに違和感を覚えます。

     そして、そのこともさることながら、やはり彼らは、制度の「価値」が問われていることに触れない、というか、問題をそういうことにしない。あえていえば、「節約」が悪いという前提に立っているだけでなく、「時間や費用」をかけてまで選ぶ制度ではない、という志望者の判断が反映しているとは、絶対に捉えない。さらにその判断の裏に、単に司法試験合格率の問題ではなく、社会的にみて、いまだ制度が不可欠である(予備試験、あるいは旧試との違いを示す)ことができていない制度の現実と将来性には言及しない――。

     制度の勝負は、「まだ決着していない」という人もいるかもしれません。それがいつまで言われるのか、ということも問題ではありますが、表立ってそう表明する人は、むしろ少なくなっている印象です。しかし、「価値」で勝負しようとせず、あくまで受験要件という「特権」にしがみついて、「抜け道」批判で制度を維持しようする、法曹養成の形に、私たちの社会はいつまで付き合うことになるのでしょうか。


    「予備試験」のあり方をめぐる議論についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/5852

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    新法曹養成をめぐる格差への「感性」

     大学入学共通テストで導入される民間の英語試験をめぐる、萩生田光一・文部科学大臣の、いわゆる「身の丈発言」に批判が集まっています。教育格差容認との批判の拡がりに、既に同大臣は「説明不足」として、謝罪・撤回に追い込まれていますが、制度自体のアンフェアを問題視する声は収まっていません。

     朝日新聞は10月29日朝刊「視点」で、深刻なのは、この制度自体が「身の丈入試」であることを拭えない点であるとし、「民間試験を使う以上、都会の裕福な家の子が何回も受験の練習をするのを妨げられない」と問題視。さらに、翌30日には社説でも取り上げ、「入試には貧富や地域による有利不利がつきまとう。その解消に努めるのが国の責務であり、ましてや不平等を助長することはあってはならない」「格差を容認する暴言と批判されたのは当然」と厳しく指摘しました。

     大臣の問題発言そのものよりも、それを許さない、この社会の反応を見るにつけ、経緯や前提となる内容が異なることは承知していても、司法改革の対象となった法曹養成は、ある意味、不幸であったという印象を持ってしまいます。

     新たに志望者へ課されることになり、これまでの司法試験受験の公平・平等の機会を奪うことになった法科大学院制度でも、さらにそれに上乗せして新たな経済的負担を課すことになった給費制廃止でも、この議論同様、「裕福な子弟しかチャレンジできない」という、不平等を危惧する声は出されたからです。

     しかし、資格取得のための費用の自弁性や、予備校依存批判を含めた旧試体制改革の意義を強調する推進論は、常に公平とか格差といった問題を後方に押しやって進めてきました。大学入試と司法試験の間に、社会的反応の差があるのは当然という片づけ方をすることができたとしても、それでも法曹養成において、もっとこの視点が強調されていれば、あるいはこの点にこだわる社会の感性があれば、今、どうなっていたのかと思わざるを得ないのです。

     大臣発言をきっかけに、制度自体の問題を鋭く指摘している朝日にしても、司法改革での格差については、今回とは全く違う反応だったといえます。今回の社説のなかで、朝日は「改革の方向性は正しいのだから、多少問題があってもやるしかない。(萩生田)氏に限らず今回の入試改革の関係者には、そんな開き直った態度が見え隠れする」と批判的に述べています。司法改革推進の関係者に、なぜ、朝日は今回見せたような、格差を問題視する感性で、このような言葉をぶつけられなかったのか、と言いたくなります。

     アメリカのロースクールの危機的状況を告発した、ブライアン・タマナハ・ワシントン大学ロースクール教授の書「アメリカ・ロースクールの凋落」(邦題)の訳者、樋口和彦氏は「訳者あとがき」の中で、アメリカのロースクールの現状の問題点を次の5点にまとめています。

     ① ロースクール卒業生は膨大な借金を抱える。
     ② 法律家需要より多くのロースクール卒業生を輩出し続けるので就職困難となる。
     ③ 景気動向とは関係なく法曹志望者は減り続けている。
     ④ 多くの若き弁護士は借金返済のための企業法務を目指す。
     ⑤ 金持ちでないと法曹を目指せない傾向がある。

     あえて説明するまでもなく、日本の法科大学院で全く同様なことが生じているのです。日本の司法改革でモデルとしたアメリカのロースクールにおける、問題点までを、日本の現状がなぞることになっているという、皮肉な結果です。

     そして、さらに樋口氏は「格差」に関連しては、こう言及しています。

     「そもそも、アメリカのロースクールが3年制となったのは、裕福な白人階級の保身のためであった(本書2章)。その結果、法曹の主流は中流より裕福な白人で占められている。日本が法科大学院制度を導入した真の狙いはこの辺にあるのではないかと疑いたくもなるのである」

     19世紀末の、アメリカ法曹協会を牛耳っていた超エリート法曹人たちによる、新移民法律家による法曹の評判低下への危惧。学生を集めるのに苦戦していた大学付属ロースクールの事情。「法曹界と一流大学のロースクールは、経済面と専門性の利益の一致を共有し、法学教育に高い基準を課した」「この二者の連携を確固たるものにしたのは、アメリカの法曹支配階級の心の奥底にある人種・民族差別主義と移民排斥主義であった」(前掲書2章)。

     アメリカのロースクール長い歴史のなかで、当初定着していた2年制課程が、こうした事情を背景に20世紀に入ってから現行の3年制課程に変えられます。そして、すべての学生に経済的窮乏を強いてまで強制する3年制への疑問を引きずりながら、「専門職の統一化」モデルから、それは維持されているのです。

     「中流や貧国階級の真の敵は、ロースクールに行くのを思いとどまらせ、ロースクールに行った者には過重な借金を課すお金がかかる3年制課程というロースクールの制度である」(前掲書同)

     1990年代から2000年代初頭の、日本での司法改革論議の「季節」に、日本が範としようとする国の制度をめぐり、現実には何が起こっていたのか――。「改革」の勢いに任せず、制度の真の影響を浮き彫りにして、そこを丁寧に議論することにつながる、「格差」への感性が、社会から示されていれば、あるいは今、志望者も法曹養成もここまで傷ついていなかったのではないか、と思ってしまうのです。


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    弁護士必要・活用論への疑念

     弁護士は必要だから増やす、というのが、司法改革の増員政策の基本的な発想でした。そのためか、ある意味、当然のごとく、この「改革」では当初から、この社会の法的な需要の受け皿になるのが、「どうしても(あるいは本当に)弁護士でなければならないのか」という視点が後方に押しやられてきた感がありました。

     ここでも何回か取り上げている、司法制度改革審議会意見書の、いわゆる隣接士業との関係の下りにも、そのことが象徴的に表れていました。

     「弁護士と隣接法律専門職種との関係については、弁護士人口の大幅な増加と諸般の弁護士改革が現実化する将来において、各隣接法律専門職種の制度の趣旨や意義、及び利用者の利便とその権利保護の要請等を踏まえ、法的サービスの担い手の在り方を改めて総合的に検討する必要がある」

     増員政策を既定方針化し、既に増員政策の上に法科大学院を構想していた司法審の方向性しては、隣接士業の最終的活用のあり方については棚上げにした。その後、散々、諸外国との比較において、隣接士業数を換算しなかった法律実務家不足論のおかしさが指摘されるわけですが、この時点で、司法審はそうした視点で、既定方針の増員政策を覆すことになるかもしれない議論を回避したのです。

     結果として、司法審意見書がいう弁護士大幅増の「将来」では、それを支えるだけの経済的な法的需要は顕在化せず、増員政策そのものもが大幅に想定からズレました。増やしてしまった、あるいは増え続ける弁護士をどうするか、という活用論、開拓論のなかでも、隣接士業の可能性を考えた「総合的に検討する」ことが行われていません(「司法書士にとっての弁護士激増」 「弁護士『資格』必須度というテーマ」)。

     職能団体としての弁護士会が、弁護士の必要論、活用論を強調し、幅広い「進出」論を唱え続けること自体は、はもちろん理解できなくはありません。ただ、前記増員政策の失敗で、弁護士がこれまでのような経済的環境を維持できず、同時に人気資格から転落すると、「改革」論議の中には「法曹有資格者」という言葉が登場してきました。

     この言葉に内心衝撃を受けた弁護士会関係者は少なくありませんでした。これはある意味、法科大学院を中核とする新法曹養成に都合がいい、苦し紛れの人材「活用論」につながっています。「弁護士」という資格にこだわらない「活用」の可能性を示唆するものであり、激増させてまで、なにが何でも弁護士が必要という立場とは異なるメッセージだからです。弁護士の需要開拓は、そちらで「なんとかしろ」という丸投げの姿勢は変わらないまま、一方で、弁護士がどうにもならなくても、あるいはそれが経済的妙味で敬遠されるならば、という目線逸らしの発想ともいえます(「『法曹有資格者』への変化」)。

     もちろん、あくまでこれはご都合主義ですので、現実は「法曹有資格者」ならばどうにかなる、志望者に魅力的なアピールになるという、楽観的な状況ではありません。しかし、制度の側には、「法務博士」の価値は上げたい、法科大学院修了生が単体で社会から評価され、そこに法科大学院の存在価値が見出せるという期待感は、実は延々と強いのです(文科省「“法科大学院”と“あなた”が拓く新しい法律家の未来」)。

     「改革」の、激増させてまで、どうしても「弁護士」という発想の土台の、脆弱性、根拠性を疑いたくなる要素になります。

     本当に、法科大学院のような専門教育機関が養成した人材が活用できるとして、そうした一定のリテラシーを持った人材を前提にできるのであれば、資格の経済的価値を破壊するほどに、あるいはのために資格者も利用者も混乱させてまで、どうしても弁護士の活用を前提とした激増が必要なのか、という視点が生まれてもいいのではないでしょうか(「『事後救済型社会』と法科大学院の選択」)。

     弁護士万能主義に立ち、隣接との関係においても、あたかも「上位資格」として、「弁護士ならばまちがいなし」という思考停止も見直していいはずてす。棲み分けの方向、法的に高度な対応が要求される部分を弁護士に委ねる、隣接との関係、有り体いえば、大病院と開業医のような連携の可能性を考えた時に、弁護士の激増が本当に必要なのかという、根本的なところに立ち戻ることはできないでしょうか。

     最近、弁護士のなかでは、需要はあったとしても、経済的に処遇されていない、ということはそれなりの存在なのではないか、とか、弁護士の将来的可能性が期待されている、企業内弁護士などインハウスにおいても、大卒事務系社員に比べて、果たして弁護士資格者が処遇されているのか、といった疑念の声が聞かれます。合否がかかった時間的年齢的リスクを負ったチャレンジ、さらに経済的なリターンや将来的な妙味の期待減。これらはの現実は、志望者の敬遠傾向につながっているだけでなく、弁護士の自覚としても「どうしても弁護士必要論」が変化してきていることをうかがわせます。

     もちろんいうまでもなく、弁護士が必要でなくなったのではありません。需要が眠っているから、大量に必要とされる未来がやってくるから、という「改革」の予想が外れた今、もう一度、社会の需要の受け皿として、無理なく、そして他の資格も活用した上での、弁護士の数はどのくらいが本当は適正であったのか――。その視点に立ち返った方が、それこそ無理も、犠牲も生まない、かつ「市民のための」司法に向かうような気がしてならないだけなのです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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