伝わっていない司法試験「選抜機能」の危機

     千葉県弁護士会の及川智志会長が9月13日付けで、今年の司法試験結果を受けた声明を発表しています。合格者数を1000人以下とすることと、予備試験合格者数を不当に制限しないことを政府に求める、という基本的な要求は、2012年以来、毎年、司法試験結果を踏まえて、同会会長が声明として発表してきた内容と変わりません。ただ、今年の会長声明には、この要求の前に、次のような内容が加わっています。

      「当会は、平成29年司法試験合格者数の決定にあたり『1500人程度』という政策上の人数確保ありきで『質の確保』という大前提が遵守されなかったのではないかとの疑義を表明する」

    この内容が結果の何に注目しているのかといえば、12日に法務省が発表した今年の司法試験結果によると、今年の受験者は前年を932下回る5967人でありながら、合格者は40人減の1545人。受験者も合格者も減る中で、合格率は前年を2.91ポイント上回る25.86%だった、という点。要は、受験者が14%も減りながら、合格者がこの数値にとどまっているという現実への疑義です。声明は理由のなかで、こう述べます。

     「平成27年6月30日の法曹養成制度改革推進会議では、司法試験合格者について、当面『1500人程度』は輩出されるよう必要な取組を進めるとされた一方、輩出される法曹の『質の確保』が大前提とされていたところ、本年の合格者数決定にあたり『1500人程度』という政策上の人数確保ありきで法曹の『質の確保』という大前提が遵守されなかったのではないかとの疑義がある」
     「当会は平成23年2月の総会で司法試験合格者数を1000人以下にすることを求める決議をしているが、人数は勿論のこと、昨年より受験者が大幅に減少した中での合格率増加は、司法試験の選抜機能を損なわせ、法曹の質の低下を招く危険性が高く、極めて遺憾である」

     今回の結果に対して、司法試験の選抜機能への疑問や前記「改革」路線の政策的意図への憶測から、声明のような疑義を表明する声は、弁護士会内から聞こえてきます(「弁護士猪野亨のブログ」)。今年の受験者数と、例年の合格率から合格1300人台になるといった予測まであっただけに、目標というより最低死守ラインとして打たれた「1500人」への力が働いたとの見方を強めているようにとれます。

     ただ、基本的な問題は、この「疑義」の伝わり方にあります。そして、そのキーワードになるのは、やはり司法試験の「選抜機能」だと思います。声明にあるような、この選抜機能が損なわれること、そしてそれが法曹の質の低下を招くことへの危険性という主張が、弁護士が考えている以上に社会に伝わらない現実が既にあるからです。

     司法試験、あるいは法曹養成制度における「選抜機能」の意義について、多くの弁護士はいわば当然のこととして認識しているようにとれますが、結果からみて、この「改革」のなかで、その位置付けは、ある意味、曖昧のようにみえます。「プロセス」が強調された新法曹養成制度ですが、現実的には旧司法試験体制でも、大学法学部を中心とした法学教育、司法試験、司法修習、さらにいえば、弁護士についていえば事務所での修養期間も含めた、養成のプロセスがかっちりした選抜機能とともに存在していました。それが、この「改革」では、司法試験前の予備校の介入ばかりが受験技術偏重として問題化され、法科大学院を中核としたプロセス強制化の必要が強調されたのです。

     ところが、蓋を開ければ、司法試験の選抜(最高裁も法務省も法科大学院が導入されようと絶対にレベルは下げないと強調していたところですが)のレベルに十分到達できた人材を、法科大学院側は目標通り輩出したとはいえないにもかかわらず、つとにこれを司法試験側の問題としてきました。そして、前記結果がはっきりした現在においてもなお、司法試験の方を法科大学院の現状に合せるべき、という主張を繰り出しています(「法科大学院の『本音』と『自覚』」 「法科大学院『本道』をめぐる現状認識と自覚の問題」)。

     そもそも法科大学院制度と一体の弁護士増員政策によって、弁護士が競争・淘汰にさらされる、さらされるべき、という論調にのっかって、とにかく合格させて輩出させろ、質は競争と淘汰によって保たれる、といった、不要論といってもいいような、選抜機能そのものの必要性について軽視する見方も、法科大学院関係者には根強く存在していたのです。

     「質の確保」を競争・淘汰に丸投げするという発想そのものは、もはや資格制度そのものの軽視であり、さらにいえば、利用者のこと(利用者が資格に求める最低限度の安心・信用保証)を全く考えていないといわざるを得ませんが、法曹養成のどこかで「選抜」を真剣に考えるのであれば、以前も書いたように大きく二つの選択肢しかありません。要は「入口」で絞るか「出口」で絞るか。入口とは法科大学院入学時点、出口とは司法試験です。逆に言えば、司法試験・司法修習という旧プロセスの前に、法科大学院という新強制プロセスを設けた以上、むしろこの問題をなんらかの形でクリアしなければならないはずなのです。

     ところが、結果的に法科大学院にとっては、法曹数から逆算した法科大学院定員の削減・管理の必要性や経済的な妙味も含めて、「入口」選抜は難しく、かといって前記したように厳格な「出口」選抜も、実績として都合が悪い現実に突き当たってしまったのが、この「改革」の現実です。その結果として「選抜」そのものの意義もまた、この「改革」のなかでぼやけているのです(「法曹『選抜機能』の行方」)。

     目を離して「改革」の結果をみれば、一定の選抜が機能していた(多数の受験者から人材を選べていた)司法試験についても、2年間当てられていた修習にしても、弁護士登録後の修養期間についても、いずれも旧司法試験体制より後退し、その代わりに強制された新プロセスとしての法科大学院制度もうまくいっておらず、法曹界そのものが志望されないという現状まで生み出しているのです。

     前記千葉県弁護士会声明が指摘する疑義と危機感についての報道を目にしない現実をみるにつけ、選抜機能の意義と、それに反する「1500人」合格死守という政策的意図の真意などを含めて、本当に伝えられるべきことが伝えられていないまま、いまだ続いている「改革」路線の現実(「司法試験合格1500人と弁護士増への認識」)を思わざるを得ません。


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    弁護士「心得違い」論に対する姿勢

     今回の司法改革が、この国の弁護士について浮き彫りにしたものの一つとして、弁護士に対する「心得違い」論の根深さがあるように思えてなりません。端的にいえば、弁護士の姿勢批判というべきもので、弁護士自身の姿勢転換の決断ひとつで、事はどうにでもなる、社会が利益を得る方向で改善し得る、という見方です。

     そもそも「改革」は、マスコミの取り上げ方も含めて、そうした期待感を煽るものであったことは事実であり、さらに弁護士会内の「改革」主導層自身が当初、まさに弁護士の「改革」を「登山口」「一丁目一番地」といった、自省的な受けとめ方をしたことも、そうした方向に拍車をかけた、といえます。

     そして、「改革」のなかでの、彼らの自省的な受けとめ方の典型が弁護士増員の必要性に対するものでした。弁護士の数は決定的に少ない、そしてそのうえで、弁護士は社会の役に立つための積極的な姿勢を怠ってきた――。こうした反省は、「改革」に協力する弁護士の謙虚で、積極的な姿勢として、「改革」主導層は打ち出していました。その背景には、これまで在野法曹として「市民の味方」を自認していた彼らが、規制改革論議のなかで、予想以上の「市民側」論者の批判にさらされたショックもあったともいわれています。

     既にその段階で、「心得違い」論の根深さは存在していたとみるべきだった、といえるかもしれませんが、皮肉なことに彼らの「改革」のなかでの自省的な姿勢は、一定限度「心得違い」論を認めたことにより(というよりそういう形になり)、結果的にその方向を強めたようにとれます。

     増員必要論と結び付けて、盛んにいわれ、弁護士会自身が、いわゆる「ゼロ・ワン地域」(弁護士がゼロが一人しかいない司法過疎地)解消として掲げた、弁護士の偏在問題にしても、弁護士増員政策の足を引っ張っているように言われてきた、訴訟偏重批判を含む業務とニーズのミスマッチも、さらにそもそも増員政策自体に対しての会内の慎重論・反対論に対していわれる自己保身論(競争を排除する地位維持のための供給制限志向という見方)にしても。弁護士の考え・姿勢が改められれば、すべて問題は解決する、という、イメージしやすい単純化が、まさに「心得違い」論の本質です。

     そこには、不思議なくらい強制化の発想が絡んでいます。弁護士の「心得違い」は強固であり、彼らを追い詰めなければ現状は変わらない、重い腰を上げないという捉え方で、これは会外の弁護士増員必要論と強く結び付いていました。弁護士を増やせば食えなくなった弁護士が、いやでも過疎地である地方に流れ、嫌でもこれまで手を出さなかった案件を手掛けるはず。そして、嫌でも競争のながて、費用の低額化も図るはず。「コップの水が溢れるように」という表現を使った人もいましたが、増員によって弁護士が追い詰められる先に、社会、利用者にとって、いいことづくめのことが待っているという描き方です。

     いまさらいうまでもないことかもしれませんが、現実はそうではありません。過疎地に弁護士が行っても当然、経済的な支えがなければ成り立ちません。そもそも経済的な妙味があれば、そこは過疎地になっていないということを考えもできます。弁護士があたかも贅沢を言わず、ハードルを下げればいい、そこまで追い詰めればよし、というのは、常識を無視した無理に期待する話だったといえます。

     現に、「ゼロ・ワン」地域は解消されたという人がいますが、それは食えなくなった弁護士が地方を目指したことによるものでは決してなく、有志の精神といってもいい自己犠牲によるものです(「弁護士過疎と増員の本当の関係」)。

     前記ミスマッチ批判にしても、低額化への期待感にしても、弁護士自身が成り立つ採算性を度外視するところに、根本的な誤解が生まれているといえます。皮肉なことに弁護士側の自己犠牲的な受けとめ方や、あるいは公益的自覚が、この誤解を助長してきた面も否定できないように思います。努力する、という前向きな姿勢が、期待にすべて応えてくれる、まるで「心得違い」論の正しさを裏付けているようにとらえられ、肝心の自営業者として当たり前の採算性についての視点を後方に押しやってきたといえないでしょうか。

     「弁護士激増政策は、弁護士過疎偏在対策としても失策だったのでは?」。最近、白浜徹朗弁護士が自身のブログ(「白浜の思いつき」)で、こんなタイトルの一文を掲載しました。前記「ゼロ・ワン」地域の解消は、法科大学院の卒業生が弁護士になるころには、ほぼ解消されており、少なくとも法科大学院制度によって解消された事実はない。最近の2年間の会員数の少ない函館から茨城県までの33弁護士会の会員数の増加比率は、弁護士全体の増加比率を下回り、一時期顕著だった小規模弁護士会での弁護士の増加は既に頭打ちの段階にはいっている現実を伝えたうえで、次のように述べています。

     「過疎地に育った者としての感覚としては、過疎地に人がいなくなるのは、経済活動の低迷、つまりその時代の平均的な要求に見合った収入を得られる仕事が確保できないことに主因があると思っているが、そのような過疎地に弁護士を赴任させようとした場合、経済的に安定するだけの仕事があるかどうかが決定的に重要ということになろう」
     「ところが、ゼロワン地域の解消が進んだ頃には、人口過疎地でもいわゆる過払バブルがあってひまり公設事務所でも経営は安定していたものの、この過払バブルがはじけた後は、人口過疎地での弁護士の仕事の確保はかなり厳しくなっているように私は理解している。そうなると、あえて過疎地に赴任しようとする弁護士が減っていくのは自然の流れということになる」
     「弁護士急増政策は、市場調査なしに実施されたために、弁護士1人当たりの仕事や収入を大きく減らす結果をもたらしてしまったが、そのことは、仕事があるかどうかもよくわからない過疎地への赴任者を減らす結果につながったのではないかと私は推測している」
     「数さえ増やせば、過疎地に弁護士が増えるだろうというような乱暴な政策では、過疎地の法的ニーズに対応することはできなかったということではなかろうか」

     地方を中心とする弁護士会や、それに動かされた国会議員が「『職がない』などというデマまがいの宣伝を繰り広げている」などとして、法科大学院制度を中心とした「改革」路線維持と、弁護士の「心得違い」論を結び付けているようにとれる論調は、「改革」が結果を出している現段階でも存在しています(「ロースクールと法曹の未来を創る会」の「司法試験の合格者決定について要請」)。しかし、弁護士は、自らに向けられる「心得違い」論に対しても、現実的に実現不可能な、「あったらいいな」的な期待感に対しても、もっとずっと前に言うべきことがあった、「やれないことはやれない」と言うべきだったのではないでしょうか。

     弁護士の増員基調が続く中で、こうしたことに対する「改革」のスタンスを、基本的に変えていないようにみえる弁護士会主導層は、まず、そのことをしっかりと受けとめるべきです。


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    「改革」自己目的化への視線

     法科大学院関係者の中からは、相変わらず、制度存続のために、もっと便宜が図られていい、という論調が聞かれます(「法科大学院『本道』をめぐる現状認識と自覚の問題」)。そして、法科大学院の撤退に注目する大新聞も、これを批判的に取り上げてはいません。

     最近も、朝日新聞が法科大学院の相次ぐ募集停止に注目しながら、司法試験合格実績が低い未修コースを実績校に絞ったり、大学法学部と大学院の連携を強める検討が始まっていることを伝えました(「法科大学院、次なる改革模索 募集停止相次ぐ中で…」朝日デジタル9月9日付け)。この記事は、同紙の大阪版(9月6日付け朝刊)にしか掲載されておらず、ネットをチェックしていない他地域の本紙読者は目にしていない可能性もあるものですが、このなかで同紙は大貫裕之・法科大学院協会理事長の以下のような見解を紹介しています。

     「(大貫氏は)近年の法科大学院の状況について、『全体の定員を抑えるなどのこれまでの改革が成果を生んでいる。近年は司法試験の合格率が安定化した。学生の経済的負担も軽減されるなど、学生が勉強に取り組む環境は改善されてきた』と強調する」 
     「ただ、さらに志願者が減ると、将来の人材が不足しかねないとして、大貫氏は『法曹の仕事の魅力を伝える取り組みが必要』と指摘。司法試験についても、『依然として要求する水準が高く、問題の量が多い。大学院の教育内容に即した出題が望ましい』と改善の必要性を訴える」

     前段では自らが存続に否定的だった給費制が、給付制として復活したことが経済的負担の軽減につながっていることを棚に上げ、「改革」の成果を強調しています。そのうえで、「改革」がもたらした経済的異変が志望者減に直結している現実に対して、効果が疑わしいお決まりの「魅力発信」と法科大学院の教育に即して、司法試験を受かり易くするようにしろ、という、さらなる便宜を求める見直し必要論を掲げています。

     こうした論調を無批判に取り上げることは、「改革」の「成果」に対する現状認識もさることながら、「魅力発信」や司法試験合格率が基本的な現状の解決策であるような誤解につながる、法科大学院関係者の主張をなぞるものにとれます。司法試験合格率が低かった旧司法試験になぜ、多くの志望者がチャレンジしていたのか。そのことからも、本来、こうした主張のおかしさ、無理は、もっと伝えられていいはずなのです。そもそも未修コースを実績校に絞るという方向も、実質的に法学部がある大学しか参入できないことを意味する連携強化の検討も、法科大学院という新プロセス強制化で失われる人材の多様性への、ある意味「弁明」となっていた発想の、明らかな後退であることが伝わる取り上げ方ではありません。

     これらは結局、「改革」によって現実的に何が得られるか、それがどういうメリットがあるかというところから逆算されている主張ではもはやなく、法科大学院制度の存続という「改革」そのものが自己目的化している主張といわなければなりません。そして、こうしたメディアの取り上げ方は、その問題性を看過し、読者にそれを極力気付かせないものであるようにみえます。要は「改革」の自己目的化に加担している、といわれても仕方がないということです。

     そのことは、この新法曹養成制度と一体のものである弁護士の増員政策についても、問われることです。個人事業者である弁護士が、増員政策から生まれた現在の経済状況を踏まえ、たとえ生き残りのための業務のあり方を模索したとしても、それはもちろん認められることだろうし、ある種の権利性も帯びていると思います。

     ただ、そうした工夫が社会のニーズにこたえるものとして検討されたとしても、それが直ちに今も続く増員基調の政策を正しいものとできるのかには、少なくとも私たちは慎重でなければなりません。いうまでもなく、結果的に増えてしまった弁護士をどうするか、あるいは有効活用できるか、ということと、果たして社会にとって、こうした形で増やすべきだったか、今後も増やすべきかというテーマは、目的において必ずしも一致していないからです。弁護士会自身が掲げた「市民のための改革」を含め、あくまで目的から逆算して、「改革」の現状とこれからは評価されなければなりません(「『町弁』衰退がいわれる『改革』の正体」)。

     法科大学院制度にしても、弁護士増員政策にしても、「改革」で生まれた制度・政策は正しく、したがって制度が続くことは正しい、という自己目的化の発想が、「改革」の影響とその誤算がはっきりした現在に繰り出されていることにこそ、もっと注目する必要があるはずです。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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