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    制度存続が自己目的化した「現実論」

     作ってしまった制度、実施してしまった政策を前提にするのが、現実論であるとする人たちがいます。しかし、それでも問われなければならないのは、その制度、政策の目的です。当初、それはどういう目的で作られ、また実施されたのか、そしてそれはどうなったのか。言うまでもなく、そこにこだわらなければ、その論調は自己目的化してしまう。制度や政策を維持するための、そこから逆算した「現実論」ということになってしまいます。

     司法改革の議論は、まさにそこに陥っている観があると度々思ってきました。例えば、法科大学院の失敗の原因について、大学・推進派サイドはつとに74校の乱立を、公式見解のように挙げてきました。そして、現在でも、今後の法科大学院制度のあり方と絡めて、そうした見方をする人は少なくありません。

     つまり、法科大学院の淘汰が進み、校数・入学者が絞られれば、制度は存続する。司法試験にしても、累積で修了者の7、8割程度も実現可能になる。だから、現在、当初の半数以下になり、さらに進む法科大学院の撤退は、むしろ歓迎すべき状況だ。逆にいえは、初めからそれを実施し、定員を2000人~2500程度に収める形にしていれば、この制度は成功していた、と。

     なぜ、当初、法科大学院の参入規制を設けず、この指とまれ的に、われもわれもと司法試験合格の実績がない大学までが名乗りを上げることを、この「改革」は許してしまったのか――。これについては、「改革」が急ぎ過ぎた。つまりは、あの時点で参入を規制し、大学を実力や適性に照らして選抜することになれば、相当な時間を要した、その労を回避して「改革」を急いだ、ということもいわれています。

     しかし、根本的な問題はそこではありません。肝心なことは、法曹大量増員政策の存在です。この「改革」の目的のうえに、それを現実化するものとして法科大学院制度が作られたということです。目標とされた司法試験年間合格3000人、当初の「改革」路線のニュアンスからすれば、場合によってはそれ以上の量産体制を視野に入れたなかで導入されたのが法科大学院制度であり、それが制度の目的でもあったのです。

     それを考えれば、そもそも法科大学院を数校に収め、定員を2000人程度にするなどということは、制度そのものとしてはあり得ないことだった。そして、それを今、前記のように「あの時、こうしておけば成功だった」というのであれば、それは当初の「改革」の目的を度外視し、とにかく制度維持だけを今さらのように考えるのであれば、という注釈付きの話にならざるを得ません。まさに自己目的化の話です。

     まず、増員政策は破綻し、前記合格3000人の旗は降ろされました。この時点で、量産計画の上に立つ法科大学院制度の設計は破綻している。そして、皮肉にも、その増員政策が生み出した弁護士資格の経済的価値の下落が、法曹志望者を遠ざけ、さらに時間的経済的負担を受験要件化という強制化の論理をともなった法科大学院制度の妙味のなさを浮き彫りにさせ(現在のところ、これを上回る、動機づけにつながる「価値」も提示できていない)、それが制度を直撃した。これが入学者を遠ざけ、法科大学院制度を窮地に陥れた本当の現実です。

     もちろん、数校の生き残りから制度存続を考える方向にシフトした「改革」論調は、いまや大量増員政策を念頭としていない(量産の必要が遠のいた)のだから、これで成立するならば結構ではないか、という人もいるはずです。しかし、制度を擁護する側が大量増員の失敗を頭から認めているわけではありませんし(人材のミスマッチや、弁護士自身の努力不足、心得違いをいうものはあっても)、そもそも増員は現在でも続いています。そして、前記「改革」の増員政策という目的を前提とせず、また、それが生み出している現状を考えた場合でも、強制化の論理を伴った法科大学院制度の存続が、法曹養成にとって最良なのかという問題が本来、存在するはずなのです。

     大量の志望者が目指し、そこから選抜するということが現実化していた旧来のこの世界の形よりも、それに代わって、それを壊してまで、法科大学院制度は導入されるべきで、一つの結果が出た現在でも、なお継続させるべきなのかについての、フェアな視点です(「法科大学院存続論が無視する事情」)。

     見方をかえれば、そういう制度存続にとって都合が悪い視点が、存在しないことにする、そうしたものを遠ざけようという意向の反映が、まさに冒頭の自己目的化した「現実論」といわなければなりません。

     その意味では、適性試験の廃止や司法試験側による合格者増(合格率「主因説」)、在学生への保護・同情論(だから制度を残せ)、延々と言われてきた予備試験を「抜け道」とする制限論もすべて同様といえます。さらにいえば、修了者の「7、8割」合格にしても、制度を強制化する以上、そのくらいの合格者を出していなければ選択されない、制度選択の妙味として説得力がないということだけから、なにやらその達成(数合わせ的なものであっても)が制度存続の合格ラインのように位置付られることも、そうかもしれません。それらの「効果」で仮に一時期、法科大学院志望者減に歯止めがかかったとしても、制度存続を自己目的化しない現実論からすれば、「それが何なのだ」ということを、やはり言わなければならないはずなのです。


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    対価性と需要をめぐる誤解と無理

     「サービスに対する適正な対価」という言葉が、かつてよりも弁護士の口から聞かれるようになりました。報酬に対する依頼者の不満に対して、弁護士がその「適正さ」を弁明する場面が、もちろんこれまでにもなかったわけではありませんが、最近、それとは明らかに違う文脈で登場しています。その違いとは、弁護士全体への処遇に対する危機感を背景に語られている点です。

     「改革」の増員政策は、弁護士の競争による低廉化、つまり利用者からすれば、安く使えるという期待感を社会に広げましたが、それは弁護士が生存していくこと、あるいは持続可能性から逆算されていないことに、多くの弁護士が実感し始めた、ということです。依頼者の誤解に、実際に接してみて、それを感じている弁護士たちもいます。

     これまでもそうした指摘がなかったわけではありませんが、より明確にはっきりと弁護士側の採算性については、勘違いしている依頼者にクギを指すべきという意見が、弁護士側の自己防衛策として語られているのです。これまでよりも、より慎重に依頼者を選別し、お引き取り願う方には早々にお引き取り願う。関わること自体が業務上のリスクである、と。

     その意味では、「どんなことでもお気楽に」という、これまでの「敷居を低くする」ことを主眼に置いた、日弁連の「ウェルカム」広告に、会内にはやや批判的な目線もあります。「敷居が低い」ことをアピールして、いわば誤解を解けば、市民は弁護士を頼って来るというスタンスよりも、もっとサービス業としての当然の有償性を強調すべきではないか、要はいまや最優先で解くべき誤解は他にあるということです(「日弁連『フレンドリー』広告の見え方」 「日弁連イメージ広告戦略への距離感」)。

     ただ、弁護士のサービスの対価性への誤解は、単に前記した「改革」への(あるいは利用者による勝手な)期待感ということに止まらない、根の深い問題です。なぜなら、「改革」自体が初めから、そのテーマを後方に押しやってきた、もっと言ってしまえば無視してきたようにとれるからです。

     利用したい人がいる、買いたい人がいる、というだけで、サービスや商品を大量に生み出すなとということは、もちろんあり得ません。その利用者や購入者は、それが成り立つだけの対価を払うつもりなのかも分からない。あるいは安ければ買う、無料ならサービスを利用する、という人たちかもしれないからです。これらを一律、有効な需要として換算できるわけではありません。

     弁護士の増員政策は、いうなれば、初めからそうしたことを無視したといえます。そして、さらに問題とすべきは、そこで生まれる無理を、あたかも弁護士側の努力で「なんとかしろ」「なんとかなる」と丸投げしているようにとれる点です。弁護士が経済的なハードルを下げることと、ひたすら有効需要を開拓すること(これまた努力すれば、必ずや存在する有償需要を掘り起こせるはずという捉え方)が、前記無理を無視し、常に弁護士の努力不足に置き換える形で、大マスコミも含め、推進派から繰り返し言われたのです。そして、弁護士会主導層自体が、無理を主張するわけではなく、「なんとかなる」論の側に立ってきたのです(「弁護士坂野真一の公式ブログ」)。

    このことは逆に、増員弁護士が、社会的な要請として、取り組まなければならない無償の需要があるならば、それをどうすれば成り立たせられるか、どういう経済的支えが必要なのかという現実的な対応への議論も遠ざける結果につながってきたというべきです。

     ここ1、2年、新人弁護士の就職状況が改善に向かっている、という話が業界内で聞かれます。確定的な根拠があるとはいえない話ですが、弁護士の一斉登録時の未登録者数が修習68期(2015年12月登録)以降、明らかに減少したこと(「Schulze BLOG」)などを改善の根拠にする見方もあるようです。しかし、この変化については司法試験合格者が減り、就職希望者の母数が減ったことなどとともに、推測ではありますが、勤務弁護士の給与水準が下がったことが原因ではないかということが業界内で言われています。

     そうだとすれば、結局、「改善」と位置付けられても、弁護士側がハードルを下げることで生まれる「需要」と変わりません。そして、前記したような「改革」の発想からすれば、その点は省みられることはなく、やはり「改善」と位置付けられてしまいそうです。

     安く使えるならば、嫌な言い方をすれば買いたたいて使えるならば使うという「需要」を、これまでも、そしてこれからも、弁護士の需要と位置付ける「改革」に、弁護士会ははっきりと異を唱えないのでしょうか。ここをはっきりさせなければ、昨今、メディアやネット界隈で取り上げられる、弁護士という仕事が「食えるか食えないか」というテーマの答えにも、本当は近付けないはずです。

     もっとも、今、深刻な問題となっている志望者の減少についていえば、焦点は「食えるか食えないか」ではなく、「恵まれているかいないか」であるというべきですから、ハードルはさらに高くなるということも、需要「まだまたある」論を言い続ける側はしっかりと認識しておく必要があります。


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    「谷間世代」救済と志望者処遇の視点

     給費制の廃止から、新たな給付制の導入までの6年間に、無給での司法修習を余儀なくされた、いわゆる「谷間世代」(新65期~70期、対象人員約1万1000人)への対応で、弁護士会内がずっとざわめいています。日弁連は5月の定期総会で、新たな給付制度について、最高裁判所、法務省等の関係諸機関と協力して支えるとともに、谷間世代について、経済的負担や不平等感によって法曹としての活動に支障が生ずることのないよう、引き続き国による是正措置と日弁連による可能な施策の実現に尽力することを盛り込んだ決議を採択しました。

     この谷間世代が生まれている状況そのものが、不平等であり、給費制廃止が失策であったということはもはや明らかで、多くの弁護士の共通認識にもなっているようにとれます。問題は決議の最後の部分、日弁連が「可能な施策」として、同世代の会員への会費の減額などの経済的支援を行うことの是非についてです。

     当ブログのコメント欄でもご紹介頂いていましたが、坂野真一弁護士が自身のフログで、日弁連の支援という方向への異論を分かりやすく述べています。日弁連が谷間世代への日弁連会費の減額を行う意向を有しているとの見方を提示し、既に毎月3500円を10年にわたって減額するという案が日弁連理事会で討議され、総額40億円を超える規模の支出が試算されている、との情報も紹介しながら、こう指摘しています。

     「司法修習を受けている間に、国庫から給付を受けられなかったいわゆる谷間世代の問題については、私は当初から、国の政策の誤りだったのだから、責任は国にある。したがって、対応を求めるのは国に対してであるべきであって、弁護士会が対応を行うことは理屈に合わず、間違いだと述べてきた」
     「間違いであるばかりか、給費制復活を目指して活動中の方々に対しても、『立法政策の問題ということもさることながら、弁護士会や日弁連が対応しているようですから、もういいでしょう』と反論する論拠を相手に与えかねず、悪影響を及ぼしているはずだ」
     「百歩譲って、悪影響がないとしても、会員間における差別的な扱いには間違いなくなるだろう。同じ施設を利用し、同じサービスを受けるにもかかわらず、支払う対価を一部免除される者とそうでない者に分かれるのである」

     基本的に、もっともなご意見だと思います。あくまで国の失策、国の責任というのが筋であり、確かに弁護士会の支援で片付けられる可能性もある。かつてよりも高額会費に敏感になっている会員意識からも、会員間差別ということにもなりそうです。余剰会費の使い道として許容してもいいのではという声もありますが、坂野弁護士も言う通り、それならばそれで会員に一旦も返還するのが筋ということになります。

     ただ、一点、悩ましいのは、給費制廃止という失策の根本がどこにあるのか、という点です。そもそもこの事態を生み出したのは、弁護士の激増政策とそれを支える法科大学院制度導入という、今回の「改革」そのものである、という見方もできるからです。確かに日弁連は給費制廃止には反対しました。しかし、廃止の根拠につながり、また、本来、志望者の経済的負担というのであれば、問題視すべき法科大学院制度を推進する側に回っています。つまり、日弁連は、この給費制廃止という失策にかかわる「改革」を推進してきた責任は免れない、という見方もできるのです。

     もっとも増員政策や法科大学院制度推進の責任を口にしない日弁連としては、自ら「反対」して勝ち切れなかった給費制の問題については、そもそも結果責任ということではなく、互助精神と現実的救済の先行という発想で、この事態に対応するという風にとれます。だから、むしろ国の責任を口にしつつも、坂野氏の言うような筋論を徹底し、「改革」批判にまで踏み込みたくない、もっと嫌な見方をすれば、同弁護士のいうような、「これでよし」論の根拠を相手に与えても、「改革」の本道に影響することはしたくない、という姿勢ととる余地もありそうです。ましてそれは結果としての会員間差別などということよりも、執行部にとっては重要なテーマなのではないか、と。

     これらを含めて、日弁連の対応をどう評価すべきかという話なのです。

     さて、もう一つ、この問題に関連しては、別の基本的な発想がずっと抜け落ちてるように見えます。日弁連は前記決議のなかで、新たな給付制度を支援し、さらに「安心して修習できる環境の整備」によって「多くの志ある者が法曹の道を志望すること」を目指すとしています。そもそも新たな給付制度を導入せざるを得なくなった事情には、深刻な志望者減があり、法科大学院制度を死守しつつ、志望者獲得を目指したいという「改革」側の意向があります。むしろ、同制度を守るためには、あれほど反対した給費制の、一部復活もやむを得ないという選択です。

     しかし、これは果たして現実を直視しているといえるのでしょうか。そもそも経済的な負担を志望者に課すという方向は、沢山の優秀な人材を獲得する方向ではない、ということが、つとに弁護士界外の人間から当然のように言われながら、どうも業界内、とりわけ「改革」推進派には通じない話になっていると感じてきました。
     
     つまり、「安心して修習できる」よう整備されるというのは、むしろ最低限の条件、まして給費制廃止、貸与制移行でいわれたような、「やってやれないことはない」的な話は、優秀な人材に積極的に訴えるものにならない。むしろ、経済的負担の除去というよりも、「厚遇」される、されている形でなければ、効果を期待できない、という話です。これは、弁護士資格そのものにも、言えたことです。あえていえば、さんざんいわれた「恵まれ過ぎ」「社会に通用しない」論ではなく、「恵まれている」環境だったからこそ、多くの志望者を獲得できていた、ということをそろそろ認めるべきではないでしょうか(「『給費制』復活と『通用しない』論」)。

     そして、「社会に通用しない」ということも、「改革」が「改革」のためにひねり出した言葉であり、いま起きている事態よりも「厚遇」を社会が問題視するなどという事実はなかったことも、もはや認める必要があるというべきです。


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    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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