「幻想」としての司法改革

     「縄文時代」のイメージは、つくられた幻想だった、ということを、8月30日付け朝日新聞朝刊オピニオン欄に掲載されているインタビーューで、先史学者の山田康弘氏が語っています。興味深いのは、時代背景、社会背景でそれが変遷してきたという点です。戦後間もなく、代表的な弥生遺跡である登呂遺跡の発見で、ポジティブな弥生時代イメージが登場し、日本人がそこに日本の原風景、ユートピアをみるなかで、縄文時代は貧しく遅れた時代に。

     それが1970年代、国土開発で大規模開発が行われ、縄文遺跡から籠や漆を塗った椀が、一方弥生遺跡から武器が発見され、高い技術を持つ縄文人、争いが多かった弥生時代となり、「縄文は遅れていた」「弥生は平和」というイメージが崩れてきた。高度成長の終焉、公害の社会問題化で、現代社会への懐疑が高まるなかでの「ディスカバー・ジャパン」、オカルトブーム、その空気が縄文土器に美を見出した岡本太郎らの「縄文ポピュリズム」と結び付き、縄文ブームを起こした。

     さらに、1990年代になると、三内丸山遺跡などの発見で、縄文の平等社会イメージに疑問符がふられ、バブル崩壊後、格差や社会の階層化が問題になった時期に、縄文時代にも階層があったという話に――。

     彼は、この一連の流れについて、こう括っています。

     「縄文のイメージは、考古学的な発見とそれぞれの空気があいまってつくられてきたものです。見たい歴史を見た、いわば日本人の共同幻想だったんです」

     これは、とても示唆に富む意見だと思います。私たちは、何かの発見によって、すぐさま歴史が塗りかわったかのように、それを受けとめてきたかもしれません。しかし、考えてみれば、山田氏が言う通り、縄文にしても地域差もあれば、文化の併存だってある。現代人である私たちが考えたい、進歩史観やユートピア論が、多様性を奪い、実際とは違う歴史を生み出してしまっているのかもしれません。

     いささか突拍子もない話と思われるかもしれませんが、この記事をみて、全く次元も内容も、異にする司法改革のことを連想しました。1990年代後半から、2000年にかけて、この「改革」が論議された時代。最終的に小泉規制改革のムードのなかでまとめられていった「改革」は、弁護士の役割、これからやって来る時代のニーズ、市民のかかわり方、法曹養成の在り方、いずれもそのムードの影響を多分に受けた、過去と未来の「見たい歴史」のもとに形づくられたのではなかったのか、と思えてきたのです。

     司法は「二割」しか機能せず、そこに決定的な弁護士の数の不足が存在している。予備校依存が法曹の質に影響している。これからやってくる事後救済社会に向けて弁護士の社会的役割は飛躍的に増大する。人的基盤の確立のためには、司法試験という「点」のみの選抜ではだめで「プロセス」としての法曹養成が必要。国民はこれまでの統治客体意識から脱却し、公共的事柄に能動的姿勢が求められ、司法も国民の主体的参加を得て、国民的基盤がより強固になる――。

     これらをみると、どれもこの「改革」路線が描いてみせた一面的なストーリーのようにみえます。「二割司法」論が本当にどれだけの弁護士の生存可能性を前提に、増員必要論を生み出したのか、法曹養成の「プロセス」は、「点」と決めつけられたかつての「プロセス」よりも、本当に多様性を確保できるものだったのか。納税者であり、司法に一定の信頼を置いていた国民の意識を、脱却すべき統治客体意識と決めつけ、そこから司法への直接強制参加に直ちに結びつけたのは妥当だったのか。

     既にこたえは出ているというべきかもしれませんが、やはりこれらも「共同幻想」といってもいい、「見たい歴史」だったのではないでしょうか。

     それは現在の議論でもいえることかもしれません。たとえば、弁護士の経済的異変が語られるときに、さまざまな地域や業態を無視した「やれる」論、あるいは自分は「できている」論が、まるで「生存バイアス」のように同業者間でも語られる現実。同じものさしで弁護士の現実を括って、「だからこの改革は間違っていない」という論法も、「見たい歴史」がある種の多様性を奪っている議論といっていいように思えるのです。

     「縄文に限らず、ある時代の一側面を切り取って、優劣をつけるのは、様々な意味で危険です」

     前記記事で山田氏はこう語ります。「改革」は過去の司法の在り方の一面を切り取り、優劣をつけた。それは、遺跡の発見で見えた世界とは違い、もっと見える、見てきた歴史をもとにしたはずだったのに、「必ずしもそういえるのか」という問いかけには、時代のムードのなかでに耳をかさなかった。「私たちは欠陥品ですか」と問いかけた旧試出身の弁護士議員がいましたが、「改革」の優劣には大きな矛盾があったともいえます。

     この「改革」の本質的な問題に目を向けず、路線の上を走ろうとする人々は、いまだに「見たい歴史」の虜なのではないかという気がしてきます。


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    「依頼者保護給付金制度」をめぐる不透明感 

     弁護士会内から異論も出ている、弁護士による高齢者や依頼者の金銭を着服する形の横領事案について、被害者に一定額を支払うという日弁連の救済制度が、「依頼者保護給付金制度」という名称で、既に創設決定というニュアンスで報じられています。これを1面トップで報じた8月23日付け朝日新聞朝刊は、こう書いています。

     「経営に苦しむ弁護士の増加が背景にあるとみており、『市民の信頼低下を防ぐことが急務』との考えだ」

     この一文は、前記弁護士会内の異論につながる、この制度をめぐる日弁連主導層の不透明な姿勢を記者の意図はともかく、いみじくも表現したといえます。前段の背景とした「経営に苦しむ弁護士の増加」が続く以上、故意犯として発生し続ける可能性があるこの種の事案に対して、こうした後追いの救済策で、「急務」と括られる、弁護士の信頼は回復できるのかどうか――。

     この制度自体は抑止につながらないとみれば、どう考えても「急務」なのは、前段の「背景」をなんとかすること以外ありません。しかも、ゆっくりとこれから、「まだまだある」「掘り起こせる」はずという弁護士のニーズに期待しているヒマもないはずです。

     こうした制度を弁護士自治を根拠にして、つまり不祥事は当然、自治団体の自浄作用の問題となるから、その被害についても責任を負うという建て前のうえに、弁護士全体のイメージダウンにつながる共通の不利益への連帯責任を、会費からの拠出と言う形で会員に負わせる――という発想。そこに会員の当然ともいえる疑問がくすぶっています。しかも、そこまでしなければ維持できない成年後見や自治ならば返上してもかまわない、という意識にまでつながることを、日弁連主導層は前記「背景」からは読み取っていないようにとれるのです(「弁護士横領事案、『連帯責任』の受けとめ方」)。

     日弁連は、今、この制度によって何に対して責任を負おうとしているのでしょうか。自治、強制加入制度がある団体として、こうした弁護士を生み出した、あるいは放置した責任でしょうか。個々の会員の故意犯まで責任を負うということの裏返しとして、こうした弁護士を存在させないことへ責任をどう負いきれるという話なのでしょうか。不祥事に対して、弁護士会は何かをしなければならないというのは理解できても、どうも日弁連・弁護士会の不祥事対策には「自治の建て前上何かしなければならないからやった」という、その先に妙案があるわけでもないととれてしまうような、不透明なものを感じてしまいます(「弁護士不祥事をめぐる自浄能力と自覚」)。

     前記「背景」を生み出し、そしてこうした弁護士をつくり出してしまったことは、まさに「改革」の失敗を意味するととれば、その「改革」の旗を振った人間としての結果責任を負わなければならないはずです。そうだとすれば、現実にこうした弁護士を少しでも生み出さないために、その「背景」にメスをいれることこそが、これから被害にあうことが予想される依頼者の安全を考えれば、根本的かつ「急務」な対策といえないのでしょうか。

     それとも、日弁連はこれからも起こる一部弁護士が故意に引き起こした不祥事に対して、多くのまっとうに業務に向っている弁護士までが連帯して責任を負っている、というところに社会の称賛を期待しているということでしょうか。こうした案件そのものへの対策としても、有効ととれる対策を提案している弁護士もいます(弁護士法人岩田法律事務所コラム)。

     マスコミへのリークも含めて、日弁連主導層には、この制度導入に対して、強い意欲があるということも伝えられています。しかし、まるで会員の状況や声、さらには逆に自治の内なる危機までが、目や耳に入っていないかのように押し進められようとしている、この制度をめぐる不透明感には、彼らが前提として目をつぶっている「改革」路線の不都合な真実があるように思えてなりません。


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    「勇者」登場期待論の無力感と欠落感

     今回の司法改革の動きが本格化する以前から、いわゆる刑事畑、人権畑とされる弁護士のなかには、強固な弁護士増員論者がいました。そういう弁護士たちの話は沢山聞きましたが、彼らが増員にこだわる理由として述べていたのは、大きく二つでした。その一つは、強烈な弁護士=正義という考えによるもの。「その国の人権レベルは弁護士の数に比例している」と言った人もいましたが、とにかく弁護士数の増加は、人権擁護を進めることにつながり、市民にとって望ましいものになるのだ、と頭から強調する、むしろそれを信じて疑わないといっていいものでした。

     そして、もう一つはこの分野に携わる弁護士の絶対的な少なさへの対策になるという考え方。要は母数が増えれば、それと比例してこの分野に参入する弁護士は増えるはずとの見方で、そのため前記対策として、増やすに越したことはない、という発想につながっているものでした。

     ただ、当時、特に後者の考え方に触れる度に、その増員への根拠性、つまり、それが現実的にそのヨミ通り、刑事・人権畑の弁護士を増やす効果があるのかどうか以前に気になったのは、その思考が教える無力感のようなものでした。こういう分野の弁護士が増えることへの期待感とは、要するに「勇者」の登場への期待感なのか、と。こうした分野に携わろうとする弁護士には、あたかも全体に占める動かし難い一定割合が存在し、その割合そのものは変えられないということを前提に、母数を増やすしか、人材を獲得することは基本的にできない、といっているようにとれたからです。

     今、この前記二つの意見を見れば、増員政策について、ともに刑事・人権分野の弁護士の獲得に目を奪われながら、母数が増えることによる弁護士全体への影響が決定的に目に入っていない感を持ちます。ただ、それに加えて、こと後者に関しては、その刑事・人権分野の弁護士の獲得そのものについて、本当の意味でどうすれば養成できるかとか、経済環境を含め何が一定割合に押し込めているのか、といった、制度的な裏打ちや、可能性について考えていくという思考方法が、不思議なくらい欠落していることに気付かされるのです。

     そこには、漠然とした「経済的自立論」の固定観念があったのかもしれません(「『経済的自立論』の本当の意味」)。弁護士の経済的基盤が確保されることで、おカネにならない案件を扱える。その基本的な形は変わらず、なんとかなっていく。いや、むしろ自分たちはそれでなんとかやってこられた、という「成功体験」が、彼らに前記した意見を言わせたのではないか、ということまでうかがわせます。その意味では、そのころにはやはりまだ、これから起こる弁護士増員がもたらす経済的影響に対して、決定的な楽観論が彼らの中に存在していたということなのかもしれません。

     最近、こうしたことを思い出させるような記事を目にしました。「【関西の議論】「『歯を食いしばれ!』弁護士が冤罪に加担しないために…スペシャリストが説く〝いばらの道〟」(産経WEST8月18日) 。 「足利事件」「東電OL殺害事件」などの冤罪事件に関与した神山啓史弁護士が、7月18日に京都で開かれた第69期司法修習生7月集会の全体会で話したことを中心にまとめられた記事です。

     裁判員制度をにらんだ「公判前整理手続」の導入や、証拠物一覧が交付されることになった今年5月の刑訴法改正が、風穴を開けた形にはなった検察側収集証拠の開示。記事によれば、神山弁護士は、こうしたなかでの開示請求の重要性を説きつつ、膨大な証拠を吟味する労力、知能が必要になってくるという弁護士側の覚悟の必要性を指摘します。

     しかし、現実問題として検察のマンパワーに対抗して、弁護士側にそれはできるのか。同じゲストスピーカーの前田恒彦・元検事からは、現実的な疑問が提示されます。「例えば従前の弁護活動とは比べものにならない時間と労力、報酬や諸費用を誰がどう負担するのか。被告に有利な証拠の開示を受けたのに、弁護人が見逃してしまう『弁護過誤』を引き起こすのではないか――」

     神山弁護士はこれを「まったくその通り」と同意したうえで、この少ないマンパワーでどう対抗するかという問題に関して、次のように語ったと記事は書いています。

     「神山弁護士は現在も再審請求が続く『名張毒ぶどう酒事件』の弁護団に加わった際、分厚いファイル50冊分の記録を読み込んだ経験を踏まえ一言『根性しかない』と語った。会場に苦笑が漏れる中、神山弁護士は『法曹資格を持ってしまったらしようがない。労力を負担したくないなら、そもそも資格を与えるべきではない。歯を食いしばれ、としか言えない』と続けた」

     この集会に出席していないので、この記事での発言の引用が正確なのかも、あるいは神山弁護士の言いたいニュアンスを正確に反映しているのかどうかについても裏を取っていないことは、まずお断りしなければなりません。あくまでこの記事に基づくことをお許し下さい。もちろん、神山弁護士の指摘は、経験に裏打ちされた重みがありますし、そこには彼の現実的視点があるのだと思います。

     しかし、あえていえば、そこにはやはり冒頭の意見同様の「勇者」登場に期待する「無力感」を感じてしまったのです。元検事から指摘された時間と労力、報酬や諸費用を誰がどう負担するのか、といった視点。そこには一切踏み込めない。労力を負担したくない人間には資格を与えるな、資格を与えられた以上、歯をくいしばってやれ、と言うしかないのだ、と。

     神山弁護士の発言は、「改革」によっても結局、弁護士側が犠牲的に負担せざるを得ないという現実を伝えているととれば、そこから「改革」への別の評価を導き出すこともできるかもしれません。しかし、少なくともこの記事は、同弁護士の言葉をそのまま受けて、「若手弁護士よ、いばらの道を行け」という言葉で締めくくってしまっています。

     「改革」が本当に「市民のため」になるものであるべき、と言い続けるのであれば、あるべきものを成り立たせる制度が正面から模索される議論が必要ではないのでしょうか。「勇者」の登場への期待には、それに対して後ろ向きととれるだけでなく、支えるものを考えない「改革」の欠陥を是認しているととれる決定的な欠落感があります。そして、何よりも「勇者よ来たれ」という掛け声だけで、本当に能力や知力がある人材が集まるのかということに、「改革」もそしてその掛け声を言う人間も、もっと自覚的であっていいと思ってしまうのです。


    今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

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    プロフィール

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
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    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

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